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2006-10-16

漁業システム論(6) 漁村共同体は水戸黄門か?

1970年代から、日本が利用できる漁場が狭くなるのは決定的であり、
沿岸環境が重要になることは明白だった。
自由競争では乱獲になるので、国による資源管理が必要だというのが、
世界的な流れであった。
にもかかわらず、日本では資源を守るための強制的な措置は執られなかった。
管理をしない口実として利用されたのが、
「日本独自の漁村共同体(漁業などの地域コミュニティー)の存在」である。

「日本には確乎たる漁村共同体があり、トップダウン型の意志決定が末端まで徹底されるので、
行政による資源管理は不要である」というわけだ。
1980年代から、この手の資源管理不要論が展開されてきて、今でも根強い信者がいる。
存在するだけで問題が全て解決なんて、漁村共同体はドラえもんか水戸黄門みたいだ。

たしかに、官の仕事を民に任せた方が上手くいく場合もあるだろう。
しかし、資源管理は行政が責任をもって行うべき仕事だとおもう。
漁村共同体があるから、資源管理はしなくて良いというのは、非現実的な楽観主義だ。
俺が言うのもなんだが、少しでも現場を見れば、そうではないことがわかるだろう。
いくつかの証拠を提示しよう。

1)実際に資源の持続性が守られていない
遠洋・沖合と比較すると、沿岸漁業の方がしっかりとした漁村共同体がある。
しかし、沿岸のほうが管理が上手くいっていないのだ。
昭和37年の科学技術白書を見ればわかるように、
昭和27年の段階ですでに沿岸漁獲量は下り坂だ。
沿岸漁業は、努力量のコントロールが出来ていなかったのだ。

とくに沿岸漁業は,最も就業者が多く,生産性も著しく低いため,
過剰就業構造に対する抜本的対策を講じないかぎり,
その発展をのぞむことはもちろん,現状の維持さえも困難な状態にある。

抜本的対策を講じなかったので、科学技術白書の予言通りになった。
マイワシバブルによって、一時的に漁獲量は昭和27年の水準まで盛り返すが、
マイワシバブルが去ったら、その半分近くまで減少してしまった。

2)密漁に対する抑止力になっていない
日本は密漁天国であり、田舎でも密漁は盛んらしい。
もちろん、浜にもよるだろうが、
明確な違法である密漁すら防げない漁村共同体が多くあるのだ。
これらの共同体に、過剰漁獲を防ぐ能力は期待できないだろう。

3)漁業者が合理的な判断をする保証はない
漁村共同体では、上意下達型の意思決定が可能であるが、
共同体のボスが合理的な判断をする保証は全くない。
半分現役を引退したような高齢者が、
漁業の長期的利益よりも、自分の短期的利益を優先する可能性はある。

4)戦後の漁獲能力の拡充(特に魚群探知機)
戦前の漁業は、漁師が頑張ってとっても、資源を獲りきることは不可能だった。
魚群探知機が無ければ、魚が少なくなると捕れなかったのだ。
現在の漁業は、魚群探知機によって、低水準の資源を効率的に漁獲することが出来る。
江戸時代に機能していた体制が、現在も機能する保証は全くない。

5)多くの資源は、複数の共同体に利用される
沿岸においても、複数の共同体が使う資源がほとんどである。
単一の共同体で占有できる地崎の定住性の資源を除く、
殆どの資源では共有地の悲劇は起こるのだ。
現に、沿岸と沖合の先取り・後獲り問題などは、至る所にある。
より上位の調停者として、行政の役割は必要だろう。
現在の行政は、漁業者間の争いを調停するために、
「お前にも、お前にも獲らせてやるから喧嘩をするな」ということをする。
人間の争いを短期的に収める代償として、資源と漁業が衰退してしまう。

自主管理でうまくいっているなら、放置しても良いかもしれない。
でも、現実にうまくいっていないのだから、何らかの手を打たないとダメだろう。
この期に及んで、「確固たる漁村コミュニティーがあるから、
乱獲は日本にはありません」などと言うのは無責任だ。
学級崩壊しているクラスの担任が、
「生徒の自主性を信じて、教師は一切口出しをしません」というようなものだ。

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