- 2009-04-02 (木) 17:24
- 書評
「魚が減ったのは環境変動が理由で、漁業のせいではないんです」、という役所や漁業者が好みそうなレジームシフト本はたくさんある。たしかに、レジーム・シフトが存在することは間違いない。だからといって、獲りたい放題獲っていたら、魚がいなくなるのもまた事実なのだ。本書は、環境変動ばかりでなく、漁業の影響についても触れているのが、今までの本とはひと味違う。「環境変動だよ」という専門家の意見も、「漁業も影響しているよ」という専門家の意見も、併記されている。インタビューが多いのだが、どれも「この人だったら、こう言うだろうな」という感じで、ちゃんとした取材に基づき、その人の意見をちゃんと反映して書いているという印象だ。俺も随所で登場するのだが、直接インタビューは受けていない。いろんなところに書いたものを引用されているが、しっかりと要点は抑えてくれている。
レジーム・シフトの研究は、日本が世界をリードしている。残念ながら、これらの研究は、水産資源の持続的利用ではなく、「資源管理をしない口実」に使われてきた。「漁業は悪くない。悪いのは海洋環境だ」という、業界の自己弁護に使われてきたのだ。行政的にも、漁業者的にも、どんどん進めて欲しい、数少ない研究分野なのである。レジームシフトの研究は、資源評価ではほとんど使われていないのが現状だ。レジームシフト系の研究者の中には、「魚の変動は海洋環境で決まるから、漁業の規制など意味がない」という巻き網業界の代弁者もいる。もちろん、渡邊先生や川崎先生のように、「変動を考慮に入れた上で、持続的に利用すべき」と主張する研究者もいるのだが、「持続的利用」の部分は、全く無視されてきた。最近にやって、漁業の影響もちゃんと考慮しないといけないという意見が、徐々に強くなってきたのだが、具体的な利用については、全くの白紙。「変動する資源をどうやって持続的に有効利用するか」なんて、議論すらされていない。これがレジームシフト先進国、日本の現状だ。本書は、その現状をうまくとらえていると思う。
第6章 水産庁の巻は、最高だ。「職員は柔軟でとっつきやすく、個性的な人が多い。逆に、これがいい加減とうけとめられることもある。」というのはおもしろい分析ですね。この章は、大本営発表をそのまま活字化しているので、ツッコミどころ満載なのだが、これはこれで意味がある。そもそもTAC制度は、出荷調整の手段というふうに漁業者に説明して導入したとか、そういった公然の秘密が活字化されたことは実に意義深い。
また、繰り返し出てくるMSY批判も古すぎる。この本で、批判されているMSY理論は60年代のものであり、現在はこんなのを使っている国はありません。このレベルの批判は、70年代にすでに終わっている。有名どころで言えば、Larkins (1977)*1かな。すでに30年前に墓石が立って、今やこけが生えまくっているような理論を、いまだに批判しているのだ。
MSYについては、ずっと前に、ここに書いたヨ(今は少し意見がちがうけど)。
プロダクションモデルというのは、漁獲量のみしかデータがない、コンピュータも無い。そういう時代に、資源解析をする手段として、開発されたわけだ。これが現実と違うって、そりゃ当たり前でしょう。では、現在はどういうことをやっているかと言うこと、仮想現実モデル(OM)を使って、不確実性に頑健な漁獲アルゴリズム(コントロールルール)を、シミュレーションで選択している。このときに、「資源の持続性を維持しつつ、長期的な漁獲量を最大にするコントロールルール」を「MSYコントロールルール」と呼ぶ。MSYの理念は今でも資源管理の中心に存在し続けている。国連海洋法条約では、資源管理の目的をMSYの実現としている。NZ, 豪州, 米国など、MSYを資源管理の目標に位置づけている国は多いけど、定常状態なんて仮定していないです。
ただ、MSYが徐々に時代遅れになりつつあるのは、事実である。それは、資源が変動するからではなく、「経済的要素を考量すると、MSYまで獲る必要はない」からだ。漁獲量の最大化を追求すると、毎年の漁獲量の変動は大きくなる。一方、漁獲量を控えめにすると毎年コンスタントに獲ることが出来る。資源管理をやっている国の漁業者は、漁獲量は少なめでも、コンスタントの方が、値段が安定して利益がでるということに気がついた。また、そういう漁業の方が資源にも優しい。漁業先進国の関心は、いかにしてMSYを実現するかではなく、MSYからどの程度低めに目標を設定するかに、漁業者の関心が変わっているのである。漁業管理の先端では、MSYは時代遅れになりつつある。ただ、この本のMSY批判は、時代遅れかつ的外れ。
水産庁の大本営発表とか、ロシア批判、MSY批判は、首をかしげたくなる部分が多いのだが、これは本書の執筆者の責任と言うより、日本の行政官・研究者がそういう意見をもっているということだ。本書は、日本の行政官・研究者の最大公約数的な意見をうまくまとめており、日本の漁業関係者のものの見方を知る上で、非常に価値がある。当ブログの読者は、いろいろとツッコミをいれながら、読んでもらいたい。
*1 Larkin, P. A. 1977. An epitaph for the concept of maximum sustained yield. Transactions of the American Fisheries Society, 106:1-11
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Comments:2
- 県職員 09-04-03 (金) 17:36
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コーチングでは「変えられることに焦点を当てる」という事が良く言われます。
レジームシフトは取っつきやすいので,漁獲量の増減と水温との関係については,因果関係はわからないけど相関はあるという切り口で,報告などでもよく使っています。
一方,漁業者と話していると温暖化(レジームシフトとは違うのですが)のせいで魚がいなくなったなどと良く言われます。自分たちが獲りすぎているとはあまり深刻に考えていない。とにかくスケープゴートを見つけたがる。
そんな時には「温暖化のせいで魚が減ったかも知れませんが,もし仮にそうだとしても温暖化はそう簡単には食い止められません。自分たちができることをやっていくしかないでしょう」と提言するようにしています。 - 勝川 09-04-06 (月) 15:13
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本当に、ご指摘のとおりだと思います。環境変動があったとしても、人間は持続的利用のための努力を怠ってはなりません。
多くの魚種で、水温と卵の生残率には関係が認められます。ただ、それは、親を残さなくても良い理由にはなりません。自然の生産力が下がったら、漁獲圧も減らすべきです。たとえば、ノルウェーは、自然減少したシシャモをすぐに禁漁にしました。5年間禁漁をしましたが、資源が維持していたので、環境が回復したらすぐに漁業を再開できました。NZはHOKIの漁獲枠を半減させました。網を引けば引くだけ魚が捕れるような状態で、厳しい規制をしているのです。
変動する資源は、変動しない資源よりも慎重な利用が必要になります。変動を理由に過剰漁獲を正当化することはできません。
レジームシフトは過去数千年に渡って繰り返されてきた事象であり、減少期に痛めつけなければ、いずれ資源は回復するでしょう。適切な管理をしていたら、今頃は、サンマと同じぐらいサバが捕れてたはずです。
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