漁業システム論 Archive
利益が出る漁業とは?
急がしてレスが遅れてしまいましたが、行政、流通、漁業者のお三方が、興味深い書き込みをされていたので、私見を述べたいと思います。
県職員さん
「多く獲る」ことに対する競争意識をなくし,資源を「少なく獲って」いかに「利益」を増やすか,合わせて資源を「いかに増やすか」の部分で競争してもらうよう頑張らねば。
さかなやオヤジさん
これを推進するにはハッキリ言って「高く買う」以外方法はありませんね。
確かに現状でも、その魚の扱いなどである程度差別化が出来ることもありますが、
うまく行っても1割2割高どまり。
扱いの悪い(または普通と言いますか)魚との差が2倍くらいになれば、漁業者も気づくはずです。
本来、ブランド化というものはそういうところから派生してもらいたいんですが、
皆さんご指摘の「組合」という集合体の中で意見すれば全てがブランドと言うことになる。
良い扱いをした魚を高く買い取り販売していく、と言うのが私の理想です。
少しずつですが、実現に近づいています。
県職員さん
漁業経営は簡単に言うと
利益=漁獲量×単価-経費
ですので
漁業者が「利益」を増やすためにはいろいろ考えられる方法があると思います。
まず「経費を削減する」,
そして「高い魚を獲る(高級魚を獲るという意味ではなく,小型魚を獲らず大きくなってから獲る)」「ブランド化(ブランド化しなくてもきっちりとした取り扱いをする事なども含まれる)などによる差別化を図る」「6次産業化に取り組む(漁獲した魚で加工品を自ら作成し販売する)」
「漁獲量」を増やすために「資源量を増やす」勝川先生がおっしゃっている事ですよね。
沿岸漁業の一漁師 さん
>品質と供給が安定させればうちの地元はそのための経費やコストがもったいないという状況ですね。
>3)魚価を上げること(安売りをしないこと)
『安売り=良心的』、『価格転嫁・真っ当な対価報酬の要求=守銭奴』という概念が染み付いちゃっていますからね・・・・・・・・・。
県職員さんのご指摘の通り、漁業利益=漁獲量×単価-経費であります。漁業先進国の漁業者は、漁獲量を控えめ・安定に保ち、単価を上げる戦略をとっています。一方、日本の漁業者は、ブランド化で単価の上昇を期待しつつ、漁獲量を増やして、経費を減らす戦略をとっています(まあ、戦略なんてレベルではありませんが)。漁業先進国が収益を着実に伸ばしているのに対して、日本は壊滅的にじり貧です。なぜこのような差が生じるかというと、漁で勝負する漁業というのは、EEZ時代以降は、ビジネスモデルとして破綻しているからです。
現在の人間の漁獲能力は、魚の生産力を大きく上回っている。この状況で、皆が多く獲ろうとすれば、必然的に資源が減少する。資源が減少すると、価値が高い大型魚から姿を消し、単価の低い小型魚しか獲れなくなる。短期的な漁獲量を増やすと、長期的な漁獲量と魚の質が減少するのです。さらに、漁業者が早獲り競争をしていると経費が増えます。先ほどの漁業利益の式に当てはめてみれば、漁獲量が減って、単価が下がり、経費が増えるのだから、儲かるはずがないのです。
日本の漁業者は、獲れるときに、獲れるだけ、獲ります。これを皆がやると、必然的に漁獲が漁期はじめに集中することになる。これが更なる単価の下落を招くのです。鮮魚市場の大きさは限られていますから、水揚げが集中すると、単価はてきめんに下がります。特に、産地市場では、トラックの大きさを超過して水揚げをして、ゴミになることも、少なくないわけです。
売り上げは、単価×漁獲量ですから、次のようになります。
価格を維持しながら、ほどほどに獲った方が利益が出るわけです。魚がきたら、皆で獲りまくり、値崩れをさせながら、あっという間に獲り尽くすというのは、最低・最悪の獲り方です。市場が必要とする漁をコンスタントに供給した方がよほど利益がでるのです。例えば、上のモデルで魚が80尾いたとします。1日で水揚げすれば、80×20円=1600円の売り上げにしかなりません。40尾ずつ、2日に分けて獲ると売り上げは3倍になります。
40尾×60円×2日=4800円
10尾ずつ8日に分けると、売り上げは更に増えます。
10尾×90円×8日=7200円
持続的に漁獲できる量は限られているのだから、それをできるだけコンスタントに、市場に供給できるように努力をすべきです。ほとんどの漁業で、獲りすぎる日を無くして、漁期を長くするだけで、価格は上がります。日本の漁業者は、「今日捕れる魚を明日に残さないのが漁業者だ」とか、「親の敵と魚は見たら獲れ」といった考えが骨の髄までしみこんでいますが、こういう考えで海に出ているうちは、どうしようもないですね。
よく言われることですが、マイワシの豊漁で倉を建てた人はいません。みんながドカドカ水揚げしているときには単価がつかないからです。80年代のマイワシのように、資源が豊富であれば、多く獲るのもやむを得ないかもしれませんが、低水準のサバを、1000トンも2000トンも、まとめて水揚げするのは、全く愚かな行為です。その愚かな行為を税金で支えているのだから、日本の漁業は衰退して当然でしょう。
つづく
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非生産的なセクションを、政治力で温存するから、高齢化が進む
日本の社会では、非効率なセクションを整理・縮小することに、根強い反対がある。もちろん、非効率なセクションも残しつつ、全体が維持できればそれに越したことはない。しかし、多くの場合、それは無理な相談だ。再三度外視で、非生産的なセクションを温存しつづけるとどうなるかという答えが、今の日本漁業である。
沿岸漁村(漁協)は、大きく3つに分類できる。
1)漁業で、利益を出している
2)漁業外収入で、利益を出している
3)まったく利益をだしていない
1)漁業で利益を出している漁村
こういう漁村は、後継者もいるし、コミュニティーにも活気がある。残念なことに、こういう漁業は、きわめて少ないのが現実である。日本漁業における若齢層の少なさからも、再生産できている漁業が例外であることがわかるだろう。地元で漁業希望の若者が順番待ちをしている場合も多く、よそ者はまず入れません。
2)漁業外収入で、利益を出している漁村
沿岸環境を切り売りし、補償金などで莫大な利益を得ている漁村も存在する。しかし、その数は、あまり多くない。漁業権が打ち出の小槌になるかどうかは、地理的な要因が大きい。漁業者につかみ金を払ってでも沿岸をいじりたい人間がいなければ、漁場を占有したところで、金にならない。
漁業権利権でウハウハな漁協は、新規加入をまず認めない。漁業以外の収入は、漁業者を増やしても、増えない。むしろ、一人一人の分け前は、減るからである。また、この手の組合は、ドル箱を占有したいので、何があっても合併に反対する。
3)利益を出していない漁村
実はこれが大多数を占めている。補助金については、某シンポジウムでもいじめられたんだが、農業と比べれば規模は格段に小さい。もともと漁業は輸出産業だったので、伝統的に少ないのです。まああの手この手でいろいろやっているみたいだけど、ほとんどの場合お小遣い程度だ。
これらの浜の漁師も、少ない魚を大勢で分け合うのは基本的に反対だ。また、新規加入者だって、生活が成り立ってないようなところにわざわざ入りたくない。子供は漁業以外の職につかせて、「捕れるだけ獲って、漁業は自分の代で終わり」という漁師が多いだろう。日本のほとんどの沿岸漁村では、順調に高齢化と少人数化が進行している。縮小再生産すらできずに、一直線に絶滅に向かっている、「限界漁村」は多数存在する。
漁業就職フェアは税金の無駄遣い
漁協が成り立つには最小の人数がある。この定員に達していない漁協がかなりあると見られている。すでにリタイアしているお年寄りの幽霊会員でなんとか定数を保っているところもある。生産性の低さは、漁業権による政治力でのりきれる。しかし、政治力の源泉である漁業権が維持できるかどうかは死活問題だ。そこで、頭数をそろえるために、外から人を呼ぼうと言うことになる。しかし、漁師の子供ですら逃げ出すような生産性の低い浜に、素人がノコノコと転職したところで、経営が成り立つわけがない。漁業者就職の補助金のたぐいはあるが、指導という名目で既存の漁業者に吸い取られる。既得権者は、漁協が維持できて、補助金もゲットできて、一挙両得だ。一方、新規加入者は、自己資金を食いつぶし、新規雇用の補助金がつきたところで、賞味期限切れでサヨウナラだろう。
不況で、一次産業への転職を考えている人も多いようだが、くれぐれも、計画的に、下調べをした上での転職をおすすめします。儲かっている漁業は基本的によそ者お断りだし、誰でも良いから(自己資金をもって)きてくださいという漁業は、産業として成り立っていない可能性が高い。漁業就職フェアのたぐいは山のようにあるが、新規参入は、実質的に閉ざされたままであり、漁業は着実に自滅の道を歩んでいる。
漁業関係者に言わせると、高齢化は一次産業をいやがる若者が悪いらしいのだが、俺にはそうは思えない。生産性が低くて、生活が成り立たないから、漁業に就職できないのである。非生産的なセクションを政治力で温存した結果、高齢化が進み、ますます入り口が狭まっている。この構図を変えるには、(3)の利益を出していない浜の非生産性を改善し、(1)を増やすしかない。日本の漁業政策は、公的資金をばらまいて、非生産的な漁業を非生産的なまま温存しようとしているから、どこまでも衰退が続くのである。
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日本の意志決定とは何か?
日本には独自の意志決定の伝統がある。伝統的な意志決定方法の特徴を理解するには、日本漁業の歴史を無視することはできない。60歳以上の漁業者に聞けば、日本の沿岸には今からでは考えられないほどの魚がいたことがわかる。魚を巡る競争が激化したのは、ここ数十年なのである。それまでは、魚よりもむしろ漁場や漁港を巡る争いであった。当時の漁具で効率的に魚が捕れる場所は限られていた。当時の船の動力では沿岸の漁場しか利用できなかった。当時の土木技術では、漁港として利用できる場所も限られていた。日本漁業が伝統的に直面していたのは、限られた漁場や漁港を誰が使うかという問題である。場所を巡る競争であれば、その場所を希望する当事者間の折り合いがつけば解決になる。
魚村の内部のことは、構成員全員で話し合う。複数の村にまたがることであれば、それぞれの村の代表同士が話し合う。最終的な決定権はコミュニティーのリーダーにあり、個人的な不満があっても、最終的には村の構成員代表の決定には従う。このような調停システムによって、利害を調整してきたという歴史がある。
沿岸漁業においては、資源管理の問題も、これと同じアプローチで処理された。皆で話し合って「できることをできる範囲でやる」というのが、資源管理型漁業の基本である。ことになる。日本以外の国ではどうかというと、管理には必ず目的がある。MSYにせよ、持続的利用にせよ、何らかの目標を設定し、その目標に到達できる方策を考える。複数の方策があれば、その中で何がベストかを選択することになる。前者を日本型意志決定、後者を合目的意志決定と名付けると、次のように図示できる。
日本型意志決定には、明確なゴールがない。進むべき方向性にできる範囲で進んでいくというアプローチだ。合目的な管理の枠組みを前提とした欧米人にはなかなか理解できないだろう。実際に、京都のズワイのMSC認証でも、このあたりの理解を得るのに時間がかかっているのだろう。
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資源管理の重要性は理解されているか?
- 2006-11-30 (木)
- 漁業システム論
「資源管理の重要性はわかっている。でも、その余裕がないんだ」という台詞をよく聴く。
漁業者の多くは、資源管理は余裕があるときのみ実行する将来投資と考えているようだ。
この発想こそが、資源管理の本質を理解していないなによりの証拠だと思う。
現在の延長で、資源管理をしなければ、国内漁業がどうなるかを考えてみよう。
現在、日本人の魚離れは着実に進行中である。
日本漁業は、縮小する国内市場を巡って他国の漁業と戦わなくてはならない。
日本の漁業は資源の枯渇から、生産力が弱い。また、賃金が高いから、競争力も弱い。
さらに過剰な漁獲圧で資源を枯渇させるので、
すでに低い国際競争力はこれからも下がり続けるだろう。
先に述べたように、ノルウェーをはじめとする資源管理先進国は、
ゆとりある資源利用によって、生産力・競争力・持続性の全てにおいて日本を圧倒している。
その差は広がる一方である。
一方、発展途上国は漁業のインフラの整備すらままならないのが現状だ。
世界の補助金をみればわかるように、漁業補助金のほとんどは先進国である。
先進国では、人間の漁獲能力が自然の生産力を上回った状態であり、補助金は必要ない。
本当に補助金が必要なのは、人間の漁獲能力が自然の生産力を下回っている途上国だ。
しかし、途上国には自国の漁業を振興するための資金がない。
資源管理をするには、調査、漁獲統計の整備、違反の監視などのコストがかかる。
途上国は資金的に資源管理を行うのは難しいが、
生産力の低さ故に日本漁業よりは長生きできるだろう。
収穫力 | 競争力 |
持続性 |
|
資源管理先進国 | ○ | ○ | ○ |
日本 | △ | × | × |
発展途上国 | × | △ | △ |
一部で買い負け現象が始まっているが、国内の魚価は世界水準よりもまだまだ割高であり、
今後も安価な輸入品は増え続けるだろう。
価格効率に優れる途上国と、生産力に優れる資源管理先進国に挟まれて、
今のままではどう見ても日本漁業に勝ち目はないだろう。
漁業者は「余裕ができたら資源管理を考えても良い」と言うが、
資源管理をしない限り、余裕など産まれるはずがないのだ。
水産庁は、資源管理型漁業の普及に当たって、
「我慢して資源管理をすれば、将来より儲かりますよ」という説得をした。
その結果、漁業者は、資源管理は投資の一種だと思っている。
恐らく、水産庁自身もそう思っているのだろう。
これは、大きな勘違いなのだ。
乱獲を放置している限り、日本の漁業に未来は無い。
資源管理は儲かる投資ではなく、過剰漁獲という死に至る病の唯一の治療薬なのだ。
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日本漁業がノルウェーのようになれない理由
ノルウェーの事例は、漁獲圧を厳密に管理すれば、
持続的に漁業生産を増やせることを示している。
ノルウェーは、漁獲圧と漁獲量の規制という単純な手法で漁業を再建した。
日本にも、漁獲量を規制するTAC制度と、努力量を規制するTAE制度が存在する。
資源管理をするための道具はそろっているが、
漁業活動を邪魔しないように、細心の注意を持って運用されているのが現状だ。
すでに道具はあるが、適切に使われていないのだ。
まさに、道具の持ち腐れと言えよう。
では、これらの道具が適切に使われれば資源管理は可能なのだろうか?
残念ながら、そうは思わない。
ミナミマグロの事例は厳しい規制を導入するだけでは、
資源管理が出来ないことを示している。
今の日本でTACをABCまで下げたとしても、
TACとしてカウントされない漁獲が増えるだけだろう。
現在の日本で、自然淘汰を待たずに漁獲量と漁業者を減らすのは困難だ。
逆に、なぜノルウェーでは、漁獲量と漁業者が減らせたのかを考えてみよう。
ノルウェーは、社会民主主義的な福祉国家であり、
すべての国民に労働の機会を与えることを国是としている。
雇用を高めるためにワークシェアリングが徹底されている。
労働者の流動性は高く、OECD諸国でも失業率は最低レベルであり、長期失業者も少ない。
(参考資料:完全雇用とノルウェー労働市場)
社会構造として、漁業を離れても生活の不安が少ないのだ。
雇用の流動性が高いノルウェーでも、漁業再建の道は平坦ではなかった。
ノルウェーの成功のツボは、漁獲量を減らすために税金を投入したことだろう。
ノルウェーは、公的資金を導入して、漁獲量を素早く削減した。
これによって、比較的短期間で、低迷した資源を回復することができた。
その過程では「資源管理には成功したが、漁業管理には失敗した」などと揶揄されたものである。
漁業者の自然淘汰を待っていたら、多くの資源を回復不可能な水準まで減らしていただろう。
厳しい漁獲規制と努力量削減へは、短期的にみれば経済を混乱させたかもしれないが、
長期的に見ればノルウェー漁業を世界一の国際競争力に押し上げた。
では、日本でも同じことができるだろうか?
日本でも金額としては十分な税金が投入されているが、
それらは主に漁港や養殖場などの建築と維持に使われている。
この税金を漁業者に魚を獲らせないために使うのは困難だろう。
水産庁は短期的な漁獲量を増やすことが自分たちの役目だと思っている。
水産基本計画をみれば、そのことは明白だろう。
また、漁業者も生活を守るために、漁獲規制をしないように水産庁に働きかける。
水産庁も漁業者も漁獲量の減少を遅らせるために奔走し、
結果として資源を追いつめて、漁業を衰退させているのだ。
マイワシバブルを除けば、日本の漁業生産は30年以上単調減少を続けている。
70年代以降の日本の漁業政策は、根本的に機能していないのだ。
にもかかわらず、短期的な小手先の使い古された施策でなんとかしようとあがいている。
現在の漁業の延長線上には明るい未来などありはしないのに。
長期的な視野を持たなくてはならない。
大局的な戦略を持たないとならない。
その上で、日本漁業を守ることの意味を問い直さなくてはならないだろう。
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資源管理の成功例:ノルウェー(2)
North Sea herringの復活に成功した背景には、国の政策の大転換があった。
特定の漁業だけ頑張ったわけではなく、国の漁業全体を方向転換させたのだ。
ノルウェー政府の基本政策
1.資源の保護を最優先した漁獲量の規制を徹底する
2、漁業ライセンスの発行を控えて、漁業者を減らす
3.補助金を減らして、水産業の自立を促す
これら3つの古典的な管理手法が、如何に効果的であったかは歴史が証明している。
資源量
資源量はコンスタントに上昇を続けて、浮魚・底魚共に、85年から倍以上に回復した。
浮魚のSSBの合計値
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 1Aより引用)
底魚のSSBの合計値
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 2Aより引用)
漁業者の数
漁業者の数は、どんどん減っている。資源が高水準にあっても、漁業者の数を絞るための努力が続けられている。
ノルウェー漁業白書のp5より引用
漁獲量
一時的に漁獲量が減らし、資源を回復させた。
そして、資源回復後も、漁獲量を増やし過ぎないように努力をしている。
http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/5459/43391/file/rapport2004.pdfのP40より作図
漁獲高
漁獲高(million Nok)は、上昇の一途を辿っている。
世界中で魚の需要が高まり、魚の単価が上昇しているので、漁獲量が横ばいでも収益は増えている。
豊富な資源から、需要があるサイズを安定的に供給できるので、
日本のように獲れるものをその都度獲りきる漁業よりも、価格の面で有利である。
ゆとりある資源利用によって、経済効率を高めているのだ。
「漁獲量を減らし、収益を増やす」というのが、ノルウェーの政策目標である。
http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/5459/43391/file/rapport2004.pdfのP40より作図
補助金について
70年代の補助金依存体質からの脱却には15年かかった。
この図は80年代からのデータだが、実は70年代よりも80年代の方が補助金は増えている。
過剰努力量が自然淘汰されるのを待っていては資源が持たないので、税金を使って淘汰したのだ。
ピークの81年には200億円ぐらいだった補助金が、現在は殆どゼロまで削減されている。
漁業の採算を自立させる方向に誘致したので、補助金を打ち切ってからも生産性は向上している。
不適切な補助金を出さないことが、漁業の競争力を高めて、漁業者の経営を安定させるという実例だ。
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 13より引用)
日本とノルウェーの漁業構造の比較
日本 | ノルウェー | |
漁業従事者 | 21万人 | 1.9万人 |
漁獲量 | 550万トン | 280万トン |
漁業者あたり漁獲量 | 26トン | 147トン |
資源状態 | 低位減少 | 高位横ばい |
補助金 | 1800億円+α | ほぼゼロ |
貿易(重量) | 輸入一位 | 輸出一位 |
ノルウェーの漁業者あたり漁獲量は、日本の5倍以上。
この表面的な数字以上に、日本の漁業の方が効率が悪い。
ノルウェーは資源量を高めに維持しつつ、経済的に価値が高いサイズを計画的に漁獲している。
一方、日本では値段がつけば何でも獲る漁業が主流であり、
こんなことまでしている。
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20061002001.htm
これは、ぼちぼちやっている魚屋さんのBBSで仕入れたネタなのだが、
サゴシで豊漁貧乏とは酷すぎる。1年待てば高級魚なのに・・・
こういう漁獲をしていたら、日本の市場が輸入品に席巻されても仕方がないだろう。
負けるべくして負けているのだ。
補助金漬けの日本漁業に国際競争力がないのは当然だ。
国内の漁業関係者は、10年後には漁業者が10万人に減るとか心配しているようだが、
10年後には資源も半減しているだろうから、それでもまだまだ漁業者が多すぎる。
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資源管理の成功例:ノルウェー(1)
ノルウェーの最近30年の歩みは、日本漁業の将来を考えるうえで、貴重なモデルケースになると思う。
1970年中頃までのノルウェー漁業は補助金漬けで、漁業経営は悲惨な状態であった。
「補助金漬け→過剰努力量→資源枯渇→漁獲量減少」というおきまりの路線を進んだ。
乱獲スパイラルに巻き込まれて、多くの漁業が瀕死の状態であった。
まるっきり、今日の日本と同じ状況だ。
そこから、ノルウェーは漁業政策を転換して、20年がかりで漁業を立て直した。
減少した資源を回復させて、漁業生産高を着実に伸ばしている。
資源の枯渇が最も顕著だったNorth Sea herringを例に、どのようにして漁業を立て直したかを見てみよう。
この資源の長期的なデータはICESのレポートにまとまっている。
http://www.ices.dk/products/AnnualRep/2005/ICES%20Advice%202005%20Volume%206.pdf
以下の図は、このpdfファイルのp195からの引用である。
North Sea herringは、伝統的に重要な資源であり、1965年のピークには120万トンもの水揚げがあった。
しかし、過剰な漁獲圧によって、60年代後半から坂道を転がり落ちるように漁獲量が減少した。
SSB(産卵親魚バイオマス)を見ると、1960年代の高い漁獲量は、資源を切り崩していたことがわかる。
その後も漁獲圧を上げ続けたので、1970年代後半に親魚量はほぼ壊滅状態になる。
下の図が、漁獲死亡係数の変動である。
1960年代後半から、資源が減少するに従って、漁獲率が急上昇していく。
漁獲死亡係数F=1.5というのは、現在の日本のマイワシ漁業に匹敵するような非常識に強い漁獲圧だ。
現在のマイワシ漁業と似たようなことをやっていたのだ。
ただ、0歳や1歳の漁獲圧は低めに保たれていたので、日本のマイワシよりもマシだろう。
1970年代中頃には、このまま漁業を放置すれば、資源は崩壊し、漁業も壊滅することは明白だった。
そこで、ノルウェー政府は、努力量を抑制すると同時に、厳しい漁獲量規制を行った。
1970年代後半のFの急激な減少を見て欲しい。
1.5もあった漁獲死亡係数が、殆ど0まで下がっている。
70%近い漁獲率の漁業を、ほぼ禁漁にしたのだから、かなり思い切った措置である。
経済は大混乱したが、これによって崩壊の瀬戸際にあった資源を生き残らせることが出来た。
あと一歩でもブレーキをかけるのが遅ければ、Newfoundlandのコッドのように壊滅していただろう。
首の皮一枚で、資源が生き残ったのだ。
禁漁の効果は、徐々に現れて、1980年代には資源は目に見えて回復した。
その後は、資源の回復にあわせて漁業を復活させたが、努力量を厳しく抑制する政策がとられたので、
資源は以前の水準に戻っても漁獲率は低く抑えられたままだった。
近年、漁獲量が伸びていないのは、予防的措置に基づいて漁獲率を低めているからであり、
SSB(産卵親魚バイオマス)を見ればわかるように資源状態は極めて良い。
短期的な漁獲量を追求するのではなく、資源を良い状態に保ちつつほどほどの漁獲量で利用しているのだ。
漁獲量は抑えつつも、世界的な魚の値上がりを背景に、着実に生産高を増やしている。
North Sea Herringを回復させるために、ノルウェー政府は画期的な資源管理をしたわけではない。
回復のための管理は、努力量を抑制と、TACによる漁獲量の規制のみである。
使い古された管理手法であっても、徹底して行えば効果はでるのだ。
過剰漁獲量はガン細胞のようなもので、放置すれば資源を食いつぶし、
健全な経営体まで乱獲の渦に引きずり込んでしまう。
ノルウェー政府は、大規模な外科手術によって、
過剰な努力量を削減し、資源と漁業の一部を生き残らせることに成功した。
漁業が自然淘汰されるのを指をくわえて眺めていたならば、
Newfoundlandのタラのように資源を崩壊させていただろう。
その場合、今でもこの漁業が存在しない可能性が高い。
ノルウェー政府の決断が資源と漁業を救ったのだ。
この例を見ると、日本海北部のスケトウダラだって、諦めるのはまだ早いと思う。
今すぐにTACを5000トンぐらいに落として、その漁獲量で食っていけるだけの船に減らす。
そして、今後10年は船を一切増やさなければ、きっと回復するだろう。
首を完全に切ってしまうか、首の皮一枚残せるかで、漁業の運命は右と左に泣き別れで、
今がその境目なのだろう。
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漁業システム論(8) ジーコジャパンと日本漁業
- 2006-10-18 (水)
- 漁業システム論
世界のサッカーでは、システムとして機能するチームが勝ってきた。
スーパースターを並べればそれで勝てるわけではない。
歴代のサッカーチームのなかで、最もタレントが豊富だったと言われる
黄金のカルテットですら、結果を残せなかったのだ。
ジーコ・ジャパンのシステムは素人目にも破綻していた。
システムが破綻しているときに、選手個人に出来ることはほとんど無い。
ジーコ・ジャパンがドイツで惨敗したのは選手の責任ではない。
誰がピッチに立とうと、同じような結果に終わっただろう。
システムの不全は、監督であるジーコの責任だ。
だからといって、ジーコを非難してもしょうがない。
彼なりにベストを尽くしたのだろうから。
世界のサッカーは90年代以降、戦術が急速に進化したのだが、
ジーコはその時期に日本でプレーして、そのまま引退した。
プレイヤーとしてシステマチックな近代サッカーを経験していないし、監督経験もない。
80年代のサッカーしか知らない人間に、近代的なチームを作れといっても無理だろう。
ジーコを監督に選んだ時点で、システムが破綻することは確定的だった。
ネームバリューだけでジーコを選んだのが日本サッカー協会であり、
それを暗に支持したのが日本のサッカーファンなのだ。
ファンの多くは、日本を応援をして騒ぎたいだけで、サッカーの内容には興味がないだろう。
ジーコジャパンと日本の漁業は共通点が多い。
上の文章を日本の漁業に置き換えると次のようになる。
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漁業システム論(7) 共同体は十分条件ではなく必要条件
- 2006-10-17 (火)
- 漁業システム論
この前の記事では、漁村共同体管理の限界について論じたのだが、
「現にコミュニティーベースの管理の成功例があるじゃないか!」
という反論があるだろう。
たしかに、自主管理の成功例はあるにはあるが、
引き合いに出されるのは、秋田のハタハタ、伊勢湾のイカナゴ、京都のズワイガニの3つだけ。
逆にこれしか上手くいっている事例が無いのだ。
ここ数年、新しいものは出てきていないし、
俺が把握している範囲では上手くいきそうな次の計画は見あたらない。
3つの例外的に上手くいった事例を除いて、全く広がっていかなかった。
成功例があるということよりも、成功例が非常に少なく、
後に続く漁業が無いことに着目すべきだろう。
3つの成功例の共通点から、自主管理が機能するための条件が見えてくる。
1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験
成功例である3つの漁業は、共同体で管理をするための条件が整っている。
ここまで条件がそろった資源は、かなり例外だろう。
さらに、これらの条件がそろった資源だって、最初から上手く資源を利用していたわけではない。
どの例をみても、過去に資源を壊滅的に減少させているのだ。
資源の崩壊を経験した後に、ようやく厳しい管理が出来るようになった。
コミュニティーがあれば乱獲を自動的に回避できるといった、
甘っちょろいものではないのだ。
漁村共同体があるから、管理をしなくても乱獲が回避できるわけではない。
実態は全く逆なのだ。
日本は行政主導のトップダウン型管理が機能していないから、
漁村共同体でボトムアップ型管理ができる資源しか守れない。
漁村共同体は、乱獲を回避するための十分条件ではなく、必要条件なのだ。
日本で資源管理が成功するのは、ラクダが針の穴を通るようなもの。
その針の穴がコミュニティーベースの自主管理であり、
針の穴を通り抜けた3匹のラクダが、ハタハタ漁業、イカナゴ漁業、ズワイガニ漁業である。
現在の日本で機能している資源管理の実例から学ばない手はない。
日本の漁業を守るためには、この3つの成功例を手本に、
自主管理の条件が満たされている資源から管理を進めるべきだろう。
自主管理が出来そうな資源は限られると思うが、探せばいろいろとあるはずだ。
11月の海洋研のシンポジウムでは、ハタハタとイカナゴの当事者の話が聞けてしまう。
3つのうち2つをまとめて勉強できてしまう、貴重な機会はそうあるものではない。
ズワイガニがそろえば大三元だったが、小三元でも実質4翻だ。
全ての水産関係者は、午前中だけでも聞いておくべきだろう。
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from 18 Mar. 2009