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【書評】道の駅「萩しーまーと」が繁盛しているわけ
- 2012-12-18 (火)
- 書評
先日訪問した萩しーまーとの中澤さかな店長が成功の秘訣をまとめた本を出版されました。とても良い本なので、紹介します。
魚ビジネスは、あまり景気が良い話がありません。『売れない→仕方がないから値段を下げる→売り上げが落ちる』というのが、ほとんどの魚売り場の共通する悩みではないでしょうか。量販店では、質と品質(サイズ)の安定供給が重視されるので、多種多様な四季折々の地魚は売りづらい状態です。「本当は美味しいのに、扱ってもらえない」という声が、全国の漁港できかれます。
地魚が売れる道の駅が、山口県にあるときいて、取材に行きました。
実際に、萩しーまーとを訪問し、中澤店長の話をうかがって痛感したのは、「セオリーに忠実に、ちゃんとした売り方をすれば、ちゃんと魚は売れる」ということ。しーまーとの店舗は昔懐かしの魚屋スタイル。生きの良い多種多様な地魚がならんでいる。店内にはレジが17個もあり、それぞれの売り場を熟知した店員が対面販売を行っている。おすすめは何か、食べ方はどうすればよいのか、といったことも親切丁寧に教えてくれる。「そういえば、昔は、魚屋さんが、魚の食べ方を教えてくれていたよなぁ。スーパーではだれも魚の食べ方を教えてくれないから、魚食のハードルが高くなったよなぁ」と実感。水産庁のファストフィッシュのように、何も知らなくても、何も考えなくても、魚を消費できるようにするというのも一つのやり方かもしれないけど、俺として、萩しーまーとのようにきっちりと消費者教育ができるような売り場を応援したい。
魚屋自体が全国的に淘汰される中で、ただ、先祖返りをしても明るい未来は無い。そこは、元リクルートの中澤店長の腕の見せ所というわけだ。NHKテレビ山口放送局、FM萩、萩ケーブルネットワークなど、多様なメディアに毎週5分間、お魚情報を流すレギュラー番組を持ち、週刊誌、月刊誌でも連載をする。こういう露出を行うことで、消費者の関心を旬の地魚に引きつけ、ちゃんと対面販売をすることで、顧客満足度を高める。結果として、地元のリピーターの獲得に結びついた。さかなさんご本人が「奇抜なアイデアなどなにもない。当たり前のことを、やっただけです」と言われるように、本当に基本に忠実。「当たり前に考えれば、そうなるなるよなぁ」と思うようなことを、一つ一つカタチにしていったのが萩しーまーとだ。マーケティングとマーチャンダイジングをきちんとやることで、道の駅は、水産業活性化の多機能拠点施設になり得るということです。
最初、萩では、観光客目当ての道の駅ビジネスを予定していた。しかし、中澤店長は、全国100店舗以上の道の駅を視察して、観光客相手の商売は不安定でリスクが大きいことを実感。当初の予定通りの出店をすれば、数年後には店をたたむことになると危機感をもち、地元客に魚を売るという方針を180度方向転換。「近き者悦び、遠き者来る」、つまり、地元客を呼び込むことが、結果として、観光客も呼び寄せることに成功しました。
これまでの魚ビジネスは、業界の慣習に忠実であった。業界全体が沈没しているときに前例踏襲では先が無い。これからの魚ビジネスは、モノを売ることの基本に忠実になり、消費者に価値を届けることを使命とすべきである。消費者が価値を感じれば、必ずリピーターになり、長期的な売り上げは確保できる。そう確信させてくれる一冊です。
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書評:スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか
実践マニュアル スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか
アマゾンは品切れだけど、他の店には在庫があるみたいです。出版元から確認できます→こちら
チェルノブイリ事故を経験したスウェーデンは、どのような放射線防護をしているのかは気になるところだ。本書は、スウェーデン防衛研究所を中心に、農業庁、農業大学、食品庁、放射線安全庁が協力して作成した「プロジェクト・どのように放射能汚染から食料を守るか」(1997~2000年)の報告書の翻訳であり、オリジナルのスウェーデン語の報告書はここ。
結論から言うと、超お勧め。放射能の基礎知識から、防護の考えまで、一通り網羅されており、ものすごく勉強になった。ICRPのドキュメントよりもずっと読みやすくて、今まで読んだ中では、一般人に最もお勧めできる。残念ながら、アマゾンは在庫が切れているけど、待っていれば、入荷すると思う。
内部被曝関連の情報が多かったのが、嬉しい。また、食品への移行係数などの情報もあるので、消費者のみ成らず、生産者も読んでおくと良いだろう。
特に重要だと思う部分を抜粋した。より詳しく知りたい人は、本書を手にとってもらいたい。
1章 チェルノブイリ事故からの警鐘
チェルノブイリ事故の当時、スウェーデンではどのような混乱した状況にあったかを読み取ることができる。事前警告・警報システムや汚染対策を迅速に実施できる防災組織が機能しなかったという反省にたち、組織の役割分担などを見直している。3節 の「情報提供の重要性」には、次のように書かれている。
- 行政当局は、ときに、国民に不安をあたえることを危惧して、情報発信を躊躇する場合があります。しかし、各種の研究報告によれば、通常、情報発信によってパニックの発生を恐れる根拠は無く、むしろ、多くの場合、十分に情報が得られないことが大きな不安を呼び起こすのです。とりわけ、情報の意図的な隠蔽は、行政当局に対する信頼を致命的に低下させかねません。
- 行政当局が十分な理由を説明することなく新しい通達を出したり、基準値を変更したりすれば、人々は混乱してしまいます。
まさに、日本政府の対応そのものではないだろうか。過去の他国の失敗に学んでいれば、ここまで致命的に信頼を失うことは無かっただろう。また、十分な説明無く、食品の基準値を370Bq/kgから、500Bq/kgへ引き上げた。この引き上げによって、不信と混乱を招いたのだが、それだけの価値があったかどうかは検証すべきだろう。
2章 放射線と放射性下降物
ここは、放射能に関する一般的な説明。計算をするとこういう数値になるとは書いてある。けれども、「この程度なら無視できる」とか、「~よりも少ない(から、大丈夫だ)」というような、書き手の意見を押し付けるような表現が無い点が良い。驚いたのが、P54-56の食品の検査に関する記述。酪農農家の24人に1人の割合で災害対策名簿に登録してあって、災害の際はその一部から、牧草と牛乳の調査はするようだが、他は無いみたい。
- 放射性物質が降下した直後に放射線被曝をもたらす恐れのある食品は、牛乳のほかに放射能が付着した葉物野菜があげられます。葉物野菜に関してもサンプルを採取し測定するプログラムを整備すれば、放射能汚染の対策や被曝線量の推計を行う上で、役に立つでしょうが、測定費用が高くつく割りに、被曝線量の抑制にも余り繋がらないと考えられるため、実際にそれを行う根拠は乏しいとされています。
- 食肉用の家畜から、サンプルを採取し測定するための特別プログラムも、同じような理由から、国のレベルでは整備されていません。
- 国レベルの測定準備体制には、販売用の食品に含まれる放射能の測定は含まれていません。商品の放射能検査は、業界や食品加工企業が自らの責任で行うべきだからです。
「コストに見合わないから、牧草と牛乳以外は測りません。売り物は勝手に測ってね」というのは、日本で許されるとは思えないのだが、スウェーデン市民はどのような反応をしているのだろうか。
3章 放射性降下物の影響
主に、動物、農作物への移行や、ほこりや外部被曝の説明。
4章 基準値と対策 ~食品からの内部被曝を防ぐ有効な対策
食品基準値の変遷が書いてある。
- 1986年のチェルノブイリ事故後、個人がこの事故のために食品を通じて受ける被曝線量の増加分が年間1ミリシーベルトを越えないようにすることを目標としました。ただし、特定の状況に限り、事故後1年間は、最高五ミリシーベルトまでの被曝も容認するとしました。そして、食品庁はこの目標を達成するために、市場に流通する全ての食品に対するセシウム137の基準値を300ベクレル/kgと定めました。
- この後、スウェーデン人が一般的に少量しか食べないと判断された食品については、1987年に基準値が1500ベクレル/kgに引き上げられました。野生の動物やトナカイの肉とその加工品、野生のベリー類とキノコ類、淡水魚、そして、ナッツです。しかし、この引き上げは各方面から抗議を受けることとなり、その結果、特に食品庁などの行政当局は情報提供に尽力せざるを得なくなりました。
- 基準値引き上げの背景には、スウェーデンで行われた食品購買調査があります。この調査の結果、平均的なスウェーデン人が市販の食品から摂取する放射性セシウムが、1日当たりせいぜい約30ベクレルでしかないことが明らかになりました。つまり、放射線防護庁が定めた目標に比べると、相当低い値だったのです。
放射性物質を除去する方法についても細かい記述がある。
家庭における汚染対策についてのアドバイスでは、「市場に流通している食品を除選する必要はほとんどない」としつつ、自家栽培をしている場合については「実践的なアドバイスが必要となる」と指摘している。
最後に「戦略的行動が必要」であり、一般的な原則として次を挙げている。
- 現行法や国際的な取り決めに反した対策は行わない
- 急性の深刻な健康被害を防ぐために、あらゆる努力を行う
- 対策は正当性のあるものでなければならない
- 講じる対策は、なるべく良い効果をもたらすように最適化する
- 対策の柔軟性が成約されたり、今後の行動が成約されることは出来るだけ避けるべき
- 経済的に費用が高くなりすぎない限り、農作物・畜産物は生産段階で汚染対策を行う
- 一般的に大規模な投資の必要がない汚染対策を実行すべき
まとめ
基準値や検査については、「えー、こんなんで良いの?」と思う部分もあるが、情報公開やコミュニケーションの重要性については頷ける点が多かった。いろんな意味で参考になるとおもうので、一人でも多くの人に読んで欲しいです。
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The Coveの感想:これはやばい
映画の感想
「かわいいイルカちゃんを殺す悪い奴らと闘う、僕ら正義の保護団体」というシンプルなメッセージ。「悪い奴は明らか、問題も明らか。あとは実力行使でやめさせるだけ」、ということだ。同じドキュメンタリーでも、食べることの意味を問いかけるOur daily bread(邦題:いのちの食べかた )と比較すると、メッセージの質は低い。しかし、わかりやすさという点では、良くできている。
エンターテイメントとしても、一級だ。世界一のビルを上る男とか、ジオラマ作成専門家とか、いろいろな特技を持った人間が協力してミッションを行うストーリーは単純明快でアメリカン。悪者にされた日本人にしてみれば、かなり不愉快な映画であります。この映画によって、日本人のイメージは確実に悪くなりますね。The Coveの内容についてはこちらのサイトが詳しいです。
この映画の価値を決定づけるのは、画像のインパクト。海で大量のイルカを処理すると、湾は文字通り血の海になる。血の海のなかで、もがき苦しみ、息絶えるイルカの画像は、非常に印象的です。さらに、大声で怒鳴り立てながら、すごんでくる日本の漁師が、ヒールとしてツボにはまりすぎ。訳わからん外人が大挙してきて、仕事を邪魔するのだから、短気な漁師が腹をたてるのはわかるんだけど、これでは、「野蛮な日本人」を演じて、映画に協力しているようなものですね。
シンプルかつ、攻撃力のある映画です。見終わった感想としては、「これはやばい」でした。どこが「やばい」かというと、次の二点です。
1)保護団体が、日本の沿岸捕鯨をネタにお金を集める「集金スキーム」を完成させたこと
2)日本の捕鯨推進派は、保護団体の影響力や怖さを軽視して、火に油を注ぎそう
自然保護団体の影響力
保護団体の世界世論にあたえる影響力を、日本人は過小評価をしています。日本のNGO、環境保護団体は脆弱であり、日本国内しか知らない人は、「保護団体なんか、無視しておけば?」と思うのも無理はないでしょう。しかし、海外の保護団体は、資金力・行動力を持ち合わせ、実力で世の中を変えてきた実績がありま す。保護団体の得意技は、一般人の感情に訴えるネガティブキャンペーンです。彼らのネガキャンは強力ですから、保護団体ににらまれると、ネスルや、マクド ナルドのような大企業も、震え上がります。
保護団体の基本的な行動メカニズムは次のようになります。彼らが活動できるか否かは、大衆の感情に訴えかけて、寄付金を集められるかです。寄付金が集まればさらなる抗議行動を行い、更に感情に訴えていく。これが彼らの戦い方です。資金源があるから彼らは戦えるのだし、資金源になるなら彼らは幾らでも叩くのです。保護団体の集金スキームが軌道に乗れば、抗議行動はどんどん過激になっていきます。沿岸捕鯨については、大衆の感情に訴える映像という武器(金づる)を手に入れたことで、集金スキームが完成しました。我慢していれば、過ぎ去っていく一過性の嵐ではないのです。
もう一つ、抑えておくべき点があります。保護団体は、日本人を差別して、日本のみを攻撃しているわけではないです。彼らは、自国の様々な活動も、過激に攻撃してきました。たとえば、自国の動物実験も、激しく攻撃しています。カナダの大学では、環境テロリストの攻撃対象になるということで、動物実験をする建物は、大学の地図に載せていませんでした。15年も前の話です。当時学生だった、私は、恐ろしい人たちがいるものだと驚きました。
我々の感覚からすると、太地のように、わざわざ、見えづらいところで殺しているのを、わざわざ盗撮しにくるのはどうかと思います。でも、そういう理論が通じる相手ではないのです。新薬を開発するための動物実験は、明らかに人類の福祉につながります。実験動物は、実験のために育てられており、実験は大学の研究室のような密室で行われる。それでも、動物の権利を侵害するのは許し難いというのが彼らの理論です。
動物実験の場合、大学側は実験所を隠して、保護団体を排除しようとしたが、うまくいきませんでした。大学内部にも、保護団体のメンバーは大勢いるので、保護団体の情報網から、逃れるのは至難の業です。結局、動物実験については、厳しいガイドラインが整備されることになりました。実験がガイドラインに沿っていない論文は、一切受理されず、業績になりません。「人類の役に立つんだから、何をやっても良い」とは、もはや言えないのです。ガイドラインは、動物実験を行う側の自衛策です。こういった自衛をしないと、保護団体から、いくらでもつけ込まれる。良くも、悪くも、そういう過激な人たち・価値観とも折り合いをつけていかないとならない時代になったと言うことです。
保護団体の攻撃から、どうやって自衛すればよいのか?
欧米の企業・政府は、保護団体に散々叩かれてきたので、保護団体とのつきあい方を知っています。弱みを見せないように、先手を打って、ガイドラインを作ったりするわけです。例えば、マクドナルドでつかう白身魚は、すべてMSCのエコラベル認証漁業のものです。しかし、マクドナルドは、MSCロゴを表にはだしていません。米国の消費者にはMSCは浸透していないので、それほど売り上げには結びつかないのです。では、なぜ、割高のMSC製品を使うかというと、非MSC製品を使うと、「マクドナルドは、乱獲をサポートしている」と保護団体にいじめられるからです。MSC製品のみを使っておくというのは、企業としての自衛策なのです。
保護団体が影響力をもつ国と比べれば、日本はおおらかであり、保護団体に対して無防備でした。イルカの追い込み漁というのは、初めて見たのですが、ビジュ アル的に相当インパクトがありますね。これを映像としてとられてしまった時点で、勝負ありでしょう。わかりやすく言えば、やくざに目をつけられたばかりでなく、弱みまで握られた状態です。
感情的な反応は相手の思うつぼ
捕鯨と反捕鯨は戦争であり、戦争は軍資金がつきたら負けです。捕鯨サイドの兵站は、政府補助金と調査捕鯨の売り上げです。どちらも厳しい状態で、日本鯨類研究所は、鯨肉の在庫の山を眺めながら、爪に火をともして暮らしていたのです。金の切れ目がなんとやらで、「南氷洋から撤退し、沿岸捕鯨で」という方向を探っていました。そのタイミングで、沿岸捕鯨を攻撃して、退路を絶ちに来たわけです。嫌なタイミングで、一番嫌なところをついてきたのは、偶然ではないでしょう。「本当に、保護団体は喧嘩慣れしているなぁ」と感心してしまいます。
一方、日本の捕鯨推進派の行動は、戦略性を欠きます。保護団体を抑えるには、彼らの資金源を抑えること、つまり、大衆の感情を刺激するようなネタを与えないことが重要です。南氷洋のミンククジラは、かわいくないし、身近でもないので、それほど大衆の感情は動きません。これをネタにキャンペーンをしても、大した金は集められない。日本の調査捕鯨に対する保護団体の攻撃は、これまで決め手に欠いたわけです。
しかし、日本の捕鯨陣営は、わざわざ、ホエールウォッチングのシンボルのザトウクジラを調査捕鯨で獲ると宣言して、火に油を注いでしまった。ザトウ捕獲宣言によって、豪州・ニュージーランドでは、保護団体の集金力が大幅にアップして、抗議行動が活発化しました。保護団体は、諸手を挙げて喜んだでしょう。この間の上映抗議だって、やっている人間は映画館の支配人を締め上げて、大満足かもしれませんが、保護団体に「言論の自由もない野蛮な国」と日本を攻撃するための格好のネタを提供しているわけです。感情的な対応をすれば、百戦錬磨の保護団体は、それを逆手にとって攻撃をしてきます。
我々はどう対応すべきか?
この映画によって、日本人のイメージは確実に悪くなります。これを見て不愉快にならない日本人の方が少ないでしょう。しかし、「人種差別だ!!」と騒いで、日本での上映を禁止すればよいというものではありません。また、「おらが村のローカルのことだから、よそ者は口出しするな」というレベルの問題でもありません。日本の国家イメージに関わってくる国際問題です。貿易で成り立っている日本にとって、国家イメージは極めて重要です。国家イメージという、かけがえのない財産を守るためにも、彼らのメッセージを無視せず、感情的にならずに、戦略的に対応を考える必要があります。
日本が捕鯨を続けたいなら、保護団体に日本を攻撃するための材料を与えるないように、自衛策を講じるべきです。まず、種(個体群)、殺し方、利用方法などのガイドラインを作成し、徹底することも重要です。家畜のとさつ以下の苦痛にしたいところです。ビジュアル的に残酷な捕り方は、辞めた方がよいでしょう。また、反捕鯨のシンボルになり得るかわいいイルカは捕獲の対象から外すことも検討した方が良い。ただ、今からそういう自衛措置を講じても、沿岸捕鯨を守 れるかは微妙ですね。血の海でイルカが虐殺される写真は、それだけのインパクトがあります。
太地のイルカ漁は、9月に行われます。そのときに、保護団体がどのような抗議活動をするのか、それが海外メディアでどのように取り上げられるのか。そのあたりに注目したいと思います。
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資源経済学への招待
5月21日に発売の新刊書。生粋の経済学者と水産研究者のコラボです。
なかなか盛りだくさんですよ。勝川は3章と12章を担当しました。
目次
序 章 日本の水産業の再生を急げ
第1章 我が国の漁業の歴史と国際状況
第2章 水産資源は誰のものか
第3章 資源管理は可能か
第4章 日本の漁業における費用削減の可能性
第5章 再生可能資源と市場構造
第6章 資源の利用権市場の経済分析
第7章 ITQの検証
第8章 水産物エコラベル
第9章 水産エコラベリングの発展可能性
第 10章 貿易と水産業の経済理論
第11章 海面養殖の可能性
第12章 水産改革への提言
http://www.rieti.go.jp/jp/publications/summary/10050003.html
お値段は、なんと5000円ポッキリ。
水産関係は部数がでないので、割と高めの設定になってしまいました。
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マグロの国際規制に関する予習資料
マグロの輸出規制は、1992年からの歴史的経緯を追っていくと、「ああ、ついにきちゃったね」ということになるんだけど、国内ではそういう歴史を追えるような情報がない。マグロ保全問題について知りたければ、とりあえず読んでおくべき本をまとめておこう。
まずは、遠洋水研の魚住さんの本。この本に目を通すと、大体の状況と、日本の業界サイドの言い分がわかる。ただ、この本が出てから状況はだいぶ動いていることには注意が必要。
逆の視点から理解するには、この本がおすすめ。日本ではさっぱりだったけど、原著『 The end of the line』は、欧米で大ヒットし、世論に大きな影響力を与えた。賛成する、しないは、べつとして、こういう本が受け入れられて、世の中を動かしつつあると いう現実は知っておくべきだろう。
飽食の海の212ページから、IUCNマグロ問題に関する記述がある。
日本は、会合の場でこそ抗議しなかったが、国に帰るや否や、猛攻を開始した。”漁業”は世界的な産業だから、それに悪影響を及ぼすようなことなど認められないのだった
最初のセッションで日本が立ち上がり、マグロについて抗議した。総じて参加国には悪い態度が目立ちったが、いくつかの漁業国は「極端に欺瞞的だった」ことを覚えている、と博士は言う。
と、日本に手厳しいです。日本人は、消費者としての責任を問われている。
IUCNの日本代表の松田裕之さん(横浜国立大学教授)は、本書を「一貫性を欠く非理論的主張」と一刀両断。こちらも必読です。
漁業と魚食を批判する欧米世論 : チャールズ・クローバー「飽食の海」を読んで
日本水産学会誌 72(5) pp.995-998 2006
http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0007920925&lang=ja
それから、俺もちょっと書いているんだが、こんな本もあります。IUCNの基準や計算方法など、詳しいことも書いてあります。残念ながら、非売品。
ワシントン条約附属書掲載基準と水産資源の持続可能な利用
http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2004/CITESbook.html
まだ、余部があるので、欲しい人にはあげます。ただし、三重大まで取りに来れる人限定(笑
三重まで来るのが面倒な人は、発行元の自然保護協会に問い合わせてみると良いでしょう。
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蟹工船の未来
蟹工船は、企業による労働者の搾取を描いた小説である。すでに著作権が切れているので、青空文庫で読むことができる。大学の生協でも平積みになっていたので、かなり売れているのだろう。蟹工船は、劣悪な条件で酷使される蟹工船の漁業者が、ロシア人の入れ知恵でサボ(ストライキ)を断行する、という話だ。テンポの良い独特な文体で、労働者から搾取する企業・国家権力を風刺している。さくっと読めるので、まだ読んでいない人は、是非。
戦後の日本の沿岸漁業は、小林多喜二の理想を具現化したようなものだ。排他的漁業権を持つ漁業者組合が、沿岸の絶対的な支配権を持っている。水産系の大企業は、過剰な漁業者を抱える沿岸ではなく、外海へと広がっていった。結果として、日本沿岸から企業的漁業は姿を消して、今日に至っている。
沿岸からは企業を排除した。漁業者は海に出ないでストをしている。小林が、今の沿岸漁業を見たら、「これぞ、理想の社会」と泣いて喜ぶかもしれない。では、労働者は豊かになったのかというと、そうではない。漁業者は再生産も出来ずに減少しているし、養殖業者は原価割れのただ働きだ。企業を排除して、個人営業のみになれば、みんなが幸せになるわけではない。そのことは、日本の沿岸漁業の歴史が証明している。
漁業が地域の基幹産業として機能するには次の2つの条件が必要である。
条件1)漁業で安定的な収益を得る
条件2)利益が関係者・地域にきちんと還元される
蟹工船の場合、漁業の利益は労働者に還元されなかった。資本家の搾取によって、条件2が満たされていなかったのである。このような不平等は許されるものではない。リスクを負っている労働者に、きちんとした対価が支払われるべきだ。一方、企業を排除した日本の沿岸漁業からは、経営の合理性が失われてしまった。互いに競争関係にある個人が、過剰競争によって、有限な再生資源を食いつぶす、「共有地の悲劇」の見本のような状態になっている。こちらは条件1が満たされていないのである。そもそも利益がなければ、搾取されようがない。逆に、漁業者の方が、「俺たちが魚を獲らないと困るだろ」と声高に主張して、補助金をゲットしている。
資本家の搾取が諸悪の根源であり、企業をなくせば問題が解決するわけではない。個人は善で、企業は悪というような、単純な二元論を脱却し、条件1と条件2を両立できるような漁業の形態を、企業・個人を問わずに模索していく必要がある。企業であれば条件2をどのように確保するか、個人であれば条件1をどのように確保するかが、課題だろう。
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こちら石巻さかな記者奮闘記
この本はなかなかおもしろかった。朝日新聞の経済部の記者が、定年後に石巻支局に赴任し、漁業について書いた本。しっかりと現場の取材をしているし、素人(一般人)目線でかかれているのが良い。一線で活躍してきた新聞記者だけに、現場を伝える能力は抜群だ。この本は、漁業に対して好意的なんだけど、漁業ヨイショ一辺倒ではない。筆者の漁業に対する問題意識を、宴曲に表現している。書くことと、書かないことの区別、そして、書く部分の表現の選び方は絶妙だ。このあたりは、ベテラン新聞記者の技だね。
第二章のメロウド(イカナゴ)漁のレポートは、実に秀逸だ。日本漁業の問題点が透けて見える。
出航してから約二時間、漁場に着いたのだろう。(中略)周りには何隻も同じように舳先から長い棒を突き出した船が見える。(中略)エンジンを切らないのは、カモメの動きからイケ(魚の群れ)を見つけたときに、僚船よりも早くイケに近づくためだ。(P38)
イケに向かうときは、周りの僚船との競争になる。早くイケに近づいた方が最初に網を入れることができるというのが漁師仲間の昔からのルールだそうで、イケを見つけて、早くイケに近づくのも船頭の腕と言うことになる。僚船と鉢合わせする機会が数回あったが、賢一さんはいつも最初だった。(P40)
石巻漁港で水揚げを終えたところで、水揚げだかを尋ねたら約12万円とのことだった。ここから燃料代などを差し引くと、手元にはそれほど残らない計算だ。(P41)
私が乗ったメロウド漁は好漁だったので、(P49)
この情報を総合すると、こうなる。
- 少ない魚群を大量の船で奪い合っている
- 早取り競争に勝つために、常にアイドリング→大量の燃油の浪費
- 好漁日に、成績上位の船ですら、利益が出ない
多すぎる漁業者が、少ない魚群を奪い合う。早取り競争に勝つために、船体に不釣り合いな馬力のエンジンを搭載し、一日中、アイドリングをして、群れを見つければ全速で走る。燃油を湯水のように使い、資源を枯渇させながら、利益が出ない。沿岸漁業の実像が、克明に描写されているではないか。俺が常々書いている通りなのだ。でも、この漁業はマシな方だと思うよ。
では、どうすればよいのだろう。多すぎる漁船を適正規模まで縮小するのが最善だが、それがままならない場合も多いだろう。現在の隻数を維持しながらでも、競争による無駄なコストを削減することはできる。この漁場に対する適正な隻数なんてたかがしれているのだから、ローテーションを組んで、適正な隻数だけ出漁するようにする。また、群れの奪い合いを防ぐために、全ての船の漁獲金額をプールして、均等に再配分するプール制も有効だ。やり方は、いくらでもある。
燃油高騰は、現在の非効率的な競争操業を改める絶好のチャンスだったはずだ。しかし、安易な補填によって、その芽はつまれてしまった。何も考えずに、皆で漁場に出かけて、我先に群れを奪い合っているうちは、産業としては成り立たないだろう。この状態を維持するために公的資金をつかっても、長い目で見て漁業者を救うことにはならない。
「第三章 漁業を考える」では、地域捕鯨と遠洋捕鯨の摩擦、燃油問題など、日本漁業の問題について整理している。昨年暮れの東大のシンポジウムについてもふれている。議論のかみあわなさについて、率直な意見が書かれており、よく観察していると思った。
筆者は、思いやり予算をストレートに配るべきと言う立場である。水産庁が、燃油補填に対して、5人以上のグループ化を求めたことを、「結果的には使いづらい補助制度になった」と批判しているが、そうだろうか。個人の取り組みによる省エネには限界があるが、グループ化で無駄な競争を省けば、燃油は大幅に節約できる。公的資金を使う以上、無駄を省く努力をするのが当たり前である。補償金の要件として、グループ化を求めるのは、納税者に対する最低限の筋だとおもう。問題は、グループ化による操業合理化に全く向かっていないことだろう。
いろいろと書きたくなってしまうのは、ネタがよいからだろう。ただ、漁業という観点から書かれている、2章と3章は読み応え十分。ただ、4章と6章は、地方の話がとりとめもなくつづく。新聞社の地方支所の日常を垣間見ることが出来るが、漁業にはあまり関係がない。5章では魚の食べ方を説明しているのだが、俺的には目新しい情報はなかった。一般の読者にはこういうコーナーも必要だろう。
結論
読む価値がある本だった。当ブログ読者は、買って読むべし。文章が読みやすいので、さくっと読めるはずだ。消費者目線を維持しながら、漁業の現状がうまく記述されている。たった1年で、ここまで書けるのは、流石である。
石巻の漁業だけをいくら見ていても、漁業を発展させるための知恵は浮かんでこないかもしれない。石巻の現場を知った上で、海外の持続的に利益を出している漁業(たとえば、ノルウェー)を見れば、石巻にも使える知恵が数多く見つかるだろう。そういう情報を、地方に還元することこそ、地方魚記者の役目だと思う。国際的な視点と、経済的な視点をもつ、魚記者はまさに適任と言える。魚記者の今後の活躍に期待をしたい。
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再考:食料危機をあおってはいけない
ちゃんと読んだら、とても良い本でした。水産分野のダメっぷりに驚いて他の部分を読んでいなかったんだけど、面白い内容が多かったです。徹頭徹尾、楽観的だね、この人は。でも、それはそれで、重要でしょう。
素人には誤解されやすいんだけど、将来はどうなるか、専門家だってわからない。食料全体の供給がどうなるかは、はっきり言えば、誰にもわからない。もちろん、ある程度の予測はできるんだけど、それは、その人のバックグランドと情報に大きく支配される。100人の専門家がいれば、100通りの予測が出てきてもおかしくはない。そして、どの予測が正解かは誰にもわからない。環境問題でいろんな説が出てくるのは、誰かが嘘を言っているからではなく、それだけ不確実性があるからなのだ。
正解がないからといって、何もしないわけにはいかない。これが実学の悩ましいところだ。俺の専門である水産資源学も、歴史的にこの課題に直面してきた。そういう状況で、我々がどうしてきたかというと、まず、もっとも楽観的なシナリオと、もっとも悲観的なシナリオを作ってみる。未来は、2つの極端なシナリオの間のどこかにあるはずだ。最初に想定の範囲を示しておくと、その後のプランが立てやすい。理想を言えば、想定の範囲すべてに対応できるような方策を準備したいんだけど、一般的に想定の範囲はとても広くなるから、何が起きても大丈夫というケースは例外。ある程度、運が悪くても適応できる戦略を考えておくのが、現実的ということになる。
この本は、すべての歯車が楽観的な方向に廻ったら、どうなるかというビジョンを示しており、楽観的な上限を考える上では、参考になる。この本の最大の効果は、悲観的なシナリオを過度に強調し、消費者に全く寄与しないお荷物生産者を守ろうする、「自給率ナイナイ詐欺」の呪縛から、読者を解き放つことだろう。水産分野を見ればわかるように、この本は楽観的な方向に激しく偏っており、ツッコミどころは多い。だからといって、読まないのは実にもったいない。この本に書かれている楽観的な予測は、まず当たらないと思うが、視野を広げるという意味では読むべき価値がある本である。当ブログの読者にも、是非、目を通してもらいたい。いろんな発見があると思うよ。
それにしても面白い本が出たものだ。「一億総飢餓を防ぐために、零細生産者を守れ」という念仏を、大声で唱えていれば、研究費もポストも空から振ってくる。そういう世界で、こういう本はなかなか書けない。たぶん、筆者は、正直者というか、お調子者なのだろう。こういう人がどんどん出てくると、世の中、面白くなるね。
日本の一次産業も盛り上がって参りましたっ!!
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「食料危機」をあおってはいけない、のここがおかしい
- 2009-04-24 (金)
- 書評
いろいろとアラはありますが、こういう本が出たこと自体は、実に喜ばしい。農政トライアングルの「自給率ないない詐欺」にたいして、「なんか変じゃない?」という視点を、消費者が持てるのは良いことだ。食糧危機については、生産者が都合良く危機感をあおりすぎだと思う。ただ、水産分野の内容は、ちょっと、あんまりなので、専門家として、ツッコミは入れておこう。
買い負けの相手は中国ではない
そもそも、買い負けについて、中国を軸にして話をしている時点でわかってない。中国は世界最大の水産物輸出国である。日本のライバルは、水産物の輸入超過な米国と欧州だ。ノルウェーのサバも一部は中国に流れているけど、中国で加工されて、最終的には日本に来る。もちろん、中国への買い負けが全くないわけではないけれど、日本で養殖の餌にしていたサバが、中国に流れてるとか、そのレベル。
養殖では水産物の増産は無理
「水産物の増産は、養殖以外では困難です」と書いているのも、おかしい。養殖1kgをつくるのに、天然魚が5~10kg必要になるので、養殖を増やせば、それだけトータルで利用可能な水産物は減るんですけど・・・
世界の水産物消費は先進国を中心に増えている
世界の水産物消費は、途上国で一時的に増えるだけで、経済発展するとむしろ減る傾向にある、というのが筆者の基本的な主張。FAOStatを見ればそうではないことは明白だ。一人当たり消費量も先進国を中心にふえている。むしろ、低水準にとどまっているのは途上国である。
筆者は先進国での水産物消費が増えてないと主張する根拠は、いったい何かというと、「個人的な伝聞」と「個人的な印象」だ。
現場の人に聞きますと「・・・」と言います。
・・・というのが私の印象です。
どこのレストランに行ってもそういう印象をうけます。
現地の研究者に話をきいても「・・・」だそうです。
こんな表現ばっかりです。客観性の皆無な、印象と伝聞を重ねて、欧米人は魚を食べていないと結論づけている。唯一数字が出てくるのは、英国の水産物の低下を述べた部分である。「イギリスでも1960年代以降、水産物消費は減ってゆく傾向にあって、1961年の一人当たりの水産物消費量が年間20.1キロあったのに対し、2001年には15.6キロまで落ちています」と書いているが、この数値はデタラメだ。1961年がスタートということはFAOの統計だろう。1961年の値は、FAOの統計とあっているが、その後が違う。
確かに英国の水産物消費量は1961年から下り坂であった。しかし、その後、上昇に転じるのである。英国の水産物消費は、肩下がりとはいわない。どう見てもV字である。で、V字の底が、15.6キロなんだよね。最初の値や、底の値などが、中途半端に正しいのが、不思議な感じだ。
1960年代から1980年代までの下降は、魚から肉へのシフトであった。その当時の魚のイメージは悪かったのだろう。しかし、80年代以降、健康志向を背景に、魚のイメージは、肉よりも良くなった。サブプライム直前まで欧州の景気は良かったので、肉がないから、仕方が無く魚を食べるような状況ではなかった。筆者は「欧米ではもとも魚は肉の代用品で、ハイクラスの人が食べる食材ではないのです。」というが、おそらく、現在の欧州では、所得が高い層ほど、魚を食べているだろう。
英国内のデータを集めてみたら、予想以上に家庭に入り込んでいることがわかった。
http://www.seafish.org/upload/file/market_insight/Seafood_consumption.pdf
2007年のドキュメントみたいだけど、家庭での魚の消費は、2000年から2007年に16%増えたようだ。
英国人が水産物を食べる頻度
食べない 10%
週に1回より少ない 13%
魚を週に1回食べる 36%
週に2回食べる 26%
2回より多く食べる 13%
結論
筆者は次のように結論づけるが、同意できない。
しかし世界の水産物消費の傾向をデータとしてみていると、「世界人口の増加と発展途上国の経済成長によって、世界の魚は争奪戦になり、日本人の口に入らなくなる」ということはないのです。
まず、「データを本当に見たのか?」とツッコミをいれたい。また、最近の一連の記事で示したように、途上国の魚を、先進国間が争奪戦をしているというのが基本的な構図であり、筆者は、根っこの部分で勘違いしているようである。「知らないなら、書かなければよいのに」、というのが、俺の率直な感想でした。
これから魚の輸入量は減るという俺の主張と、魚は余っているというこの筆者の主張のどちらが正しいかは、FAOStatでもつかって、読者の皆さんで検証してみてください。
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