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こちら石巻さかな記者奮闘記
この本はなかなかおもしろかった。朝日新聞の経済部の記者が、定年後に石巻支局に赴任し、漁業について書いた本。しっかりと現場の取材をしているし、素人(一般人)目線でかかれているのが良い。一線で活躍してきた新聞記者だけに、現場を伝える能力は抜群だ。この本は、漁業に対して好意的なんだけど、漁業ヨイショ一辺倒ではない。筆者の漁業に対する問題意識を、宴曲に表現している。書くことと、書かないことの区別、そして、書く部分の表現の選び方は絶妙だ。このあたりは、ベテラン新聞記者の技だね。
第二章のメロウド(イカナゴ)漁のレポートは、実に秀逸だ。日本漁業の問題点が透けて見える。
出航してから約二時間、漁場に着いたのだろう。(中略)周りには何隻も同じように舳先から長い棒を突き出した船が見える。(中略)エンジンを切らないのは、カモメの動きからイケ(魚の群れ)を見つけたときに、僚船よりも早くイケに近づくためだ。(P38)
イケに向かうときは、周りの僚船との競争になる。早くイケに近づいた方が最初に網を入れることができるというのが漁師仲間の昔からのルールだそうで、イケを見つけて、早くイケに近づくのも船頭の腕と言うことになる。僚船と鉢合わせする機会が数回あったが、賢一さんはいつも最初だった。(P40)
石巻漁港で水揚げを終えたところで、水揚げだかを尋ねたら約12万円とのことだった。ここから燃料代などを差し引くと、手元にはそれほど残らない計算だ。(P41)
私が乗ったメロウド漁は好漁だったので、(P49)
この情報を総合すると、こうなる。
- 少ない魚群を大量の船で奪い合っている
- 早取り競争に勝つために、常にアイドリング→大量の燃油の浪費
- 好漁日に、成績上位の船ですら、利益が出ない
多すぎる漁業者が、少ない魚群を奪い合う。早取り競争に勝つために、船体に不釣り合いな馬力のエンジンを搭載し、一日中、アイドリングをして、群れを見つければ全速で走る。燃油を湯水のように使い、資源を枯渇させながら、利益が出ない。沿岸漁業の実像が、克明に描写されているではないか。俺が常々書いている通りなのだ。でも、この漁業はマシな方だと思うよ。
では、どうすればよいのだろう。多すぎる漁船を適正規模まで縮小するのが最善だが、それがままならない場合も多いだろう。現在の隻数を維持しながらでも、競争による無駄なコストを削減することはできる。この漁場に対する適正な隻数なんてたかがしれているのだから、ローテーションを組んで、適正な隻数だけ出漁するようにする。また、群れの奪い合いを防ぐために、全ての船の漁獲金額をプールして、均等に再配分するプール制も有効だ。やり方は、いくらでもある。
燃油高騰は、現在の非効率的な競争操業を改める絶好のチャンスだったはずだ。しかし、安易な補填によって、その芽はつまれてしまった。何も考えずに、皆で漁場に出かけて、我先に群れを奪い合っているうちは、産業としては成り立たないだろう。この状態を維持するために公的資金をつかっても、長い目で見て漁業者を救うことにはならない。
「第三章 漁業を考える」では、地域捕鯨と遠洋捕鯨の摩擦、燃油問題など、日本漁業の問題について整理している。昨年暮れの東大のシンポジウムについてもふれている。議論のかみあわなさについて、率直な意見が書かれており、よく観察していると思った。
筆者は、思いやり予算をストレートに配るべきと言う立場である。水産庁が、燃油補填に対して、5人以上のグループ化を求めたことを、「結果的には使いづらい補助制度になった」と批判しているが、そうだろうか。個人の取り組みによる省エネには限界があるが、グループ化で無駄な競争を省けば、燃油は大幅に節約できる。公的資金を使う以上、無駄を省く努力をするのが当たり前である。補償金の要件として、グループ化を求めるのは、納税者に対する最低限の筋だとおもう。問題は、グループ化による操業合理化に全く向かっていないことだろう。
いろいろと書きたくなってしまうのは、ネタがよいからだろう。ただ、漁業という観点から書かれている、2章と3章は読み応え十分。ただ、4章と6章は、地方の話がとりとめもなくつづく。新聞社の地方支所の日常を垣間見ることが出来るが、漁業にはあまり関係がない。5章では魚の食べ方を説明しているのだが、俺的には目新しい情報はなかった。一般の読者にはこういうコーナーも必要だろう。
結論
読む価値がある本だった。当ブログ読者は、買って読むべし。文章が読みやすいので、さくっと読めるはずだ。消費者目線を維持しながら、漁業の現状がうまく記述されている。たった1年で、ここまで書けるのは、流石である。
石巻の漁業だけをいくら見ていても、漁業を発展させるための知恵は浮かんでこないかもしれない。石巻の現場を知った上で、海外の持続的に利益を出している漁業(たとえば、ノルウェー)を見れば、石巻にも使える知恵が数多く見つかるだろう。そういう情報を、地方に還元することこそ、地方魚記者の役目だと思う。国際的な視点と、経済的な視点をもつ、魚記者はまさに適任と言える。魚記者の今後の活躍に期待をしたい。
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「魚のいない海」という本が出ました
- 2009-03-27 (金)
- その他
「魚のいない海」というフランス語の本の訳本です。私は監訳をしています。フランスの研究者が書いた本なのですが、実に資料が豊富で、有史以来の漁業の歴史を振り返りつつ、現在の漁業の非持続性について鋭く記述をしています。世界の漁業の現状について、良くまとめられていて、勉強になります。日本だと、漁業者よいしょ本ばかりで、こういう問題を一般向けに研究者がわかりやすく説明する場がほとんど無い。日本語で読める、漁業の問題を扱った貴重な本です。持続的な漁業へのスタート地点は、現在の漁業がいかに非持続的であるかを知ることです。本書が、日本の魚食がスタート地点に立つきっかけになると期待しています。良いタイミングで、良い本ができたことをうれしく思います。
この本では、専門的な部分をチェックし、前書きと付録(日本の漁業)をかきました。当サイトでは、前書きを全文公開します。付録は図がてんこ盛りで、29ページの力作です。
監訳者まえがき
遠いフランスの乱獲が、我々日本人に、何の関係があるのだろう。そう考える人も少なくないだろう。今日も、スーパーマーケットの鮮魚コーナーでは、売れ残った大量の魚が、半額セールで処分されている。「魚がいない海」など、日本の消費者には、想像できないだろう。マグロの激減や、ヨーロッパウナギが絶滅危惧など、海外発のニュースに対して、日本の消費者は値段が高くなる心配はするが、本当にいなくなるとは思っていないようだ。しかし、多くの海産魚、特に大型の高級魚が激減しているのは、専門家の間では周知の事実である。一部の科学者や資源保護団体が、話題作りのために大騒ぎをしているわけではない。日本を含む世界中の海で、水産資源は着実に減少しているのだ。日本の乱獲
「危機的」と言われている世界の漁業生産は、90年代から頭打ちである。ここ20年間は、きわめて安定的に推移しているとみることもできる。それに対して、日本の漁業生産は90年代以降、激減し、現在はピークの38%まで落ち込んでいる。終戦直後の昭和30年代の水準である。主要な漁業国で、日本ほど漁獲量を減らしている国は他にない。本書でもしばしば登場するダニエルポーリーたちが、世界の海の漁業生産を調べたところ、1980年から、2000年にかけて日本の周辺海域から、魚が激減したことがわかった。日本漁業は、世界でも群を抜いて、危機的な状況にある。
日本近海の水産資源の減少は、国内の調査でも明らかになっている。独立行政法人 水産総合研究センターが、日本の主要な漁業資源の状態を調べたところ、約半数が低位という結果が得られた。この調査では、過去15年の資源量のトレンドから、水準を判断している。すでに魚が激減していた90年代から、さらに減少傾向が続いているのである。これらの低水準資源への乱獲は、現在も継続されている。破綻している日本の資源管理
日本は、スケトウダラやサンマなど、主要7魚種については、漁獲枠を定めて管理をしている。たとえば、漁業の規模が日本の10分の1のニュージーランドは、94魚種に漁獲枠を設定しているのと比べれば、取り組みの不十分さがわかるだろう。また、数少ない対象魚種についても、管理は不十分である。毎年、水産総合研究センターの研究者が、漁獲データを解析し、持続的な漁獲の上限である生物学的許容漁獲量(ABC)を推定している。資源を持続的に利用するためには、漁獲量をABC以下に抑える必要がある。しかし、日本では慢性的にABCを大きく超過した漁獲枠が設定されており、乱獲を抑制するどころか、国が乱獲にお墨付きを与えているような状態である。
2001年および2002年のマイワシ太平洋系群の漁獲枠は、ABCどころか現存量を上回っていた。海にいるマイワシよりも多くの漁獲枠を設定していたのである。この件を取り上げた朝日新聞(2007年1月16日)の取材に対して、水産庁は「安定供給も必要だった。当時としては妥当な判断」とコメントした。現存量を超える漁獲枠がどう安定供給に結びつくのか、理解に苦しむ。水産庁の「安定供給」とは、マイワシを最後まで無規制に獲らせることなのだろうか。
近年、漁獲量が漁獲枠を超過する現象が頻発している。2007年2月にサバ類の漁獲量が漁獲枠を超過した。水産庁はサバを狙った操業を自主的に停止するよう呼びかけただけであった。また、08年8月に、沿岸漁業がマイワシの漁獲枠を超過したが、何事も無かったかのように漁獲は続けられ、最終的には漁獲枠の倍近くの水揚げを記録した。科学を無視して設定された、過剰な漁獲枠すら守れない。これが日本の漁業管理のお粗末な現状である。魚はいつまで輸入できるのか?
日本は国産魚の減少を、輸入魚によって補ってきた。現在の管理体制では、今後も国産魚の減少は不可避である。日本の魚食の未来は、輸入魚の確保にかかっているといっても過言ではない。我々の食卓は、世界の水産物市場と密接に結びついているのである。
本書を読めばわかるように、世界の漁業生産はこれ以上伸ばす余地がない。その一方で、水産物の需要は世界的に高まっている。FAOは、今後10年で水産物の需要は3割増えると予測している。限られた水産物を世界中で奪い合いの時代に突入したのだ。
20年前までは、水産物を買いあさる先進国は日本のみであり、世界中から水産物を集めることができた。経済力を背景に途上国の食卓から、魚を奪ってきたのである。近年、ヘルシー志向を背景に、欧米の高級鮮魚市場が急速に伸びている。品質にうるさく、値段をつけない、日本の業者が敬遠されるという、いわゆる「買い負け現象」が広がっている。「買い負け現象」の進行は、数字にも、はっきりと現れている。成田空港における水産物輸入取扱額は、平成6年の1414億円から、平成19年の634億円へと半減した。国産魚の減少を輸入魚で補うという、今までのやり方は、見直す必要があるだろう。輸入大国日本の責任
日本は、水産物輸入大国であり、以前より衰えたとはいえ、今でも世界有数の購買力をもっている。水産物の国際市場における日本の影響力はきわめて大きい。日本人の消費活動が、漁業を通して、世界の生態系に大きな影響を与えてきた。そのことを、日本の消費者は自覚すべきである。
世界中でマグロ資源が激減している。ヨーロッパウナギは、乱獲によって、絶滅危惧種になってしまった。これらの魚の大部分は、日本で消費された。つまり、我々、日本人が食べ尽くしてしまったのだ。
マグロやヨーロッパウナギの減少については、新聞やテレビなどのマスメディアでも、大きく取り上げられたが、聞こえてくるのは値段が高くなる心配ばかり。よその国の野生生物を、絶滅寸前まで、食べてしまった責任については、頭にないようである。日本人のせいで、フランスやスペインでは、ウナギをつかった昔ながらの郷土料理が食べられなくなってしまった。日本人の乱食による、食文化の破壊である。無自覚に他国の食文化を破壊するような日本の魚食を、文化と呼ぶことはできない。我々、日本人は、これから魚とどうつきあっていくのか?
世界レベルでの魚の減少は他人ごとではない。本書に書かれているような、漁業の衰退、資源の枯渇、科学的知見の無視に関しては、そのまま日本にも当てはまる。むしろ、フランスよりも、日本の方が状況は悪い。日本の水産資源は乱獲で疲弊しきっている。今後も、我々の食卓に魚が並ぶかどうかは、世界の水産資源の安定にかかっている。また、我々の消費活動の負の影響についても、自覚をする必要がある。日本人の食欲が原因で、枯渇してしまった水産資源も数多くある。
世界の水産物の生産は限界に達している。我々が経済力を背景に、世界中から魚を買い集めてくれば、それだけ貧しい人々の食卓から魚が消える。安ければ、何を買っても良いというのは、単なる消費者エゴである。きちんと管理された魚を、適正な価格で購入し、残さずに全部食べることが、魚を消費する際の最低限のモラルである。現在の日本の魚食は、最低限のモラルすら欠いているのだ。
我々、日本人は、これから魚とどのようにつきあっていくかを、根本的に問い直さなくてはならない。そのための第一歩は、世界および日本の水産資源の状態を知ることであろう。世界の水産資源の現状を俯瞰できる本書は、最初の一冊として最適である。また、日本の読者向けに、日本漁業の現状を整理した付録を巻末に掲載したので、参考にしていただきたい。漁業の厳しい状況を理解した上で、皆で知恵を絞り、文化としての魚食を守り、育てる方法を模索しなければならない。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。
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