食の安全保障のあり方を再考する

食の安全を考える際に重要なことは、リスク論であろう。
安全とはリスクであり、いくらコストをかけてもリスクは0%にはできない。
リスクをどこまで許容するかというのは消費者の価値観の問題であり、
行政や専門家が決めることではない。
リスクと値段のバランスを考慮して、
安全に対してどこまでコストをかけるかを決定するのは消費者である。
行政の役割はリスクを評価するための表示を徹底することであり、
専門家の役割は表示からリスクを評価できるように情報を整備することだろう。
判断は消費者の自己責任であり、行政と専門家はそれをサポートする。
これが正しい食品リスク管理のあり方だと思う。

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しかし、日本の現状は、これとはまったく違う。
日本では、行政が一意的な安全基準を決定する。
消費者に変わって、行政が許容リスクを決定しているのである。
一方、消費者は店に並んでいるものはゼロリスクだと勝手に考えて思考停止する。
リスク管理を行政に丸投げして、ゼロリスクを要求しているのである。
そもそも無茶な要求をして、何かあると文句ばかり言うのだから、行政も大変だ。
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日本の消費者にリスクという感覚はない。
店に並んでいるものは100%安全であるべきだと信じている。
だから、値段だけ見て買い物をして、何かあるたびにヒステリックに反応する。
まさに、だだっ子だ。

「食の安全が揺らいでいる」というのは、
消費者が「ゼロリスクではない」と気づき始めた良い兆候である。
今まで日本の消費者が持っていた根拠のない安心感の方が異常なのだ。
公的機関が安全宣言をしたり、運が悪い企業に見せしめ的に厳しい処罰をしても、
ゼロリスク信仰を取り戻すのは不可能だろう。
むしろ、これを良い機会と捉えて、ゼロリスクは無理ということを教育しながら、
食品のリスク管理を本来のあり方に徐々に戻していくべきだと思う。
行政と専門家は、消費者の代わりに何が安全で何が危険かを決めるのではなく、
消費者自身がリスクを判断するためのサポートに徹するべきである。

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食の安全保障のあり方を再考する への4件のフィードバック

  1. same のコメント:

    賞味期限改ざん、産地偽装、内容表示偽装、風評といった問題は、仰るとおり消費者の根拠なき安心志向からきていると思います。
    うちは厚労省のメチル水銀通達でひどいめにあって、中西準子先生の「リスク管理」に出会いました。当たり前の考え方なのですが、まだまだ一般的ではないようです。消費者心理には公害問題の傷跡が深く残っており、それを知ってか知らずかおかしな「安全・安心」概念がはびこっているのが現状ではないでしょうか。「消費者は神様です」の安売り小売店がそれに乗っかって流通に圧力を掛けるとおかしなことになる。商品の価格は多岐にわたる要因が絡み合っていますので複雑ですが、リンクさせないでひとつひとつ合理的に考えていけばいずれ整理されるんではないかと個人的に考えております。「安心」は行政がいう言葉でないように思います。

  2. 勝川 のコメント:

    >「消費者は神様です」の安売り小売店がそれに乗っかって
    >流通に圧力を掛けるとおかしなことになる。

    ただ小売りの立場にしてみると、他の選択肢があるかどうか・・・

    >「安心」は行政がいう言葉でないように思います。

    透明性が高くなれば失われるような、
    無知なる安心ではダメですね。
    透明性を高くして、安全性を検証できるようにした上での
    安心を手に入れたいものです。
    ただ、そのためのコストが幾らになることやら・・・

    消費者の無知を前提に、粗悪品を廉価で販売することで
    成り立っている食品業界全体の問題ですね。
    農水も厚生も生産者のための省庁だから、限界があります。
    消費者のための消費省でもつくってもらいたいものです。

  3. same のコメント:

    >ただ小売りの立場にしてみると、他の選択肢があるかどうか・・・

    よいものを安く手に入れたいのはみな同じです。ただ、なかなかそうはいかないのが通常です。しかし、今日無理やり力でそうさせようとしてきたのではないかと感じたりします。

    公正さの上に立った「お互い様」という関係が、長く続く商売を考える上で大事です。ただし甘やかしはよくありません。供給してくれる業者も購入してくれる業者も大事なお客様です。ただし、いいところ取りばかりではいけない。お互いが納得して笑顔で商売するのが一番でしょう。騙し商売はいつかばれます。

    >消費者の無知を前提に、粗悪品を廉価で販売することで
    成り立っている食品業界全体の問題ですね。

    これは言い過ぎではないでしょうか。「ああ、これやってるなぁ」とニヤリとしながらお付き合いすることあります。しかし、察するにあまりある=想定外のあくどさはいけませんね。たしかに確信犯的なインチキ業者もいますが、少数だと思いたい。きちんと評価されている生産業者は多いはずです。
    本当にインチキ販売でしか食品業界は成り立っていないとお考えなのでしょうか。

  4. 勝川 のコメント:

    >公正さの上に立った「お互い様」という関係が、
    >長く続く商売を考える上で大事です。
    >騙し商売はいつかばれます

    信用を大切にする商売が、
    安さを前面に出す商売に圧されているように見えます。
    消費者にインチキを見分けるすべが無く、
    現在の価格至上主義が続けば、
    まともな製造者が淘汰されるのではないでしょうか。
    それは、長い目で見ると、大きな損失です。

    >たしかに確信犯的なインチキ業者もいますが、少数だと思いたい。
    >きちんと評価されている生産業者は多いはずです。
    >本当にインチキ販売でしか食品業界は
    >成り立っていないとお考えなのでしょうか?

    「消費者の無知を前提に、粗悪品を廉価で販売する商売を野放しにすると、
    食品業界全体が地盤沈下をする」ということを言いたかったのです。
    読み返してみると、良くない表現でした。

    もちろんインチキ業者ばかりだとは、思いません。
    厳しい台所で頑張っているまっとうな生産者が殆どでしょう。
    しかし、消費者にはインチキ業者とその他を見分けるすべがありません。
    消費者サイドからみると、現在の食品(特に加工品)は、
    ちょっとだけウンコが混じったカレーのようなものです。
    殆どカレーだからそれでよいのかとか、
    自分はカレーを作っているからそれでよいという問題ではないでしょう。
    ウンコとカレーを分離しないと、まじめな生産者が淘汰されます。

    信用を大切に良いものを作ろうという生産者と、
    多少高くても素性の確かなものを食べたいという消費者を、
    結びつけるためのルートを造らないと駄目だと思います。

    そういうルートができたら、こんどは、
    素性がたしかな品物が圧倒的に足りないという問題が浮上するでしょう。
    特に水産物は国産品を国内加工でとなると、完全に供給不足です。
    「危険な食材しかない」とは言いたいわけではなく、
    「危険な食材抜きに成り立たない」と言いたかったのです。

    日本の食の安全を支えるためには、
    資源管理と透明性の高い流通制度が必要だというのが、
    私の結論です。

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