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三陸漁業復興 Archive

水産業の苦境を打開するのに必要なのは、補助金では無く、資源管理


産経ビジネスに漁業の復興関連の記事があった。この記事から、日本の水産業が元気が無い理由が透けて見えるような気がしたので、整理してみようと思う。まずは記事に目を通して欲しい。

三陸の水産業者、苦境打開へ 世界に活路もアピール不足

三陸地方の水産業者が、海外展開に活路を見いだしている。東日本大震災から3年が過ぎても続く苦境を打開しようと、国や自治体も支援に乗り出した。だが、宮城県気仙沼市が5月に実施した欧州視察事業からは、国を挙げてのPR力不足や、衛生基準などを満たすハードルの高さが見えてきた

Sankei Biz 2014.6.21 07:10

「PR力不足」、「衛生基準の不備」、「人手不足」という問題があるのは確かなんだけど、「これらの他国では当たり前のようにできていることが、なぜ日本ではできないか」という根本的な問題を考えないといけない。これらの構造的な問題は、被災地だけのものでもないし、被災後に新たに発生したものでもない。そもそも漁獲規制が緩い日本では、価値が出る前に魚を獲り尽くしてしまうので、水産業では利益が出ない。だから、マーケティングや衛生管理などに投資ができないのである。乱獲された魚を高く買う先進国はないので、PR力や衛生基準の前に、持続性に取り組まなければならない。相手に買ってもらえる生産体制を作るのが先なのだ。

また、PR活動をやるなら、業界の自己負担が大原則だ。ノルウェーの場合は、ノルウェー水産物審議会がマーケティングをしている。日本でも、ノルウェー大使館と連携と獲りながら、活動をしている。その原資はすべて業界負担である。

前述の法律に基づき、ノルウェーの全ての水産物輸出業者は、NSC に登録し、賦課金を拠出することが義務付けられている。
NSC の財源は、各水産物の輸出ごとに徴収される賦課金である。賦課金は魚種に関係なく輸出額に対して一律 0.75%に設定されている。

http://www.maff.go.jp/j/shokusan/export/e_enkatu/pdf/h23_taisei_5norwey.pdf

業界が身銭をきっているから、NSCの活動は具体的な成果を常に問われている。組織防衛のために、必死になって、プロモーションをしている。日本の場合は、「初めに補助金ありき」である。他人の財布感覚で、タレントを呼んで、自己満足的なイベントをしておわり。広告代理店が儲けるだけで、後には何も残らない。

まとめるとこんなかんじ

○ これまでの水産物ブランド化事業→補助金で話題作り→効果が無い

○ ブランドを育てるために必要な要素
①差別化できる水産物の安定供給 → 資源管理・持続性認証
②適切なマーケティング → 受益者負担・専門組織

日本の水産物ブランド化の取り組み(補助金事業)はことごとく失敗してきた。ブランドを育てるために必要な要素が欠けているからである。水産物ブランド化の前提としては、差別化できる水産物を安定供給できる体制を整えないといけない。そのためにやるべきことは資源管理と持続性認証(水産エコラベル)である。水産エコラベルは、単価が高い欧米に魚を売る上でもはや必須と言える。①の条件と整えた上で、②適切なマーケティングを行う必要がある。そのための必要条件は、受益者負担とそのための専門組織をつくることだ。

人手不足の原因は、日本の水産業は利益が出ないから、安い賃金しか出せないことである。震災前から、日本の水産加工業は中国人研修生という安い労働力に依存していた。それでも利益が出ずに衰退の一途を辿っていた。ノルウェーは、人手不足で、賃金が高くても人があつまらないから、仕方なく設備投資をして省人化を進めている。日本とノルウェーでは、おかれた状況が違うのである。ノルウェーの近代的な加工設備を補助金で導入したところで、減価償却すら難しいだろう。今の日本がノルウェーから見習うべき点は、近代的な設備ではなく、そういう投資を可能にする前提としての資源管理なのだ。

地域の雇用という観点からは、日本に必要な施策は省人化では無く、水産業の黒字化であることは自明だろう。たとえば、こちらの動画(2:55~)はニュージーランドの離島の水産加工場である。ニュージーランド政府の厳しい漁獲規制のおかげで、水産業が利益を上げているために、機械化を進めなくても十分な賃金が支払われている。

これまでも、「あれが無い」、「これが無い」といって、補助金に依存してきた日本の水産業は衰退の一途を辿っている。海外に目を向ければ、資源管理をしっかりしている漁業国は軒並み利益を伸ばしている。水産業の苦境を打開するのに必要なのは、補助金では無く、資源管理なのである。

福島県の漁業の復興 その2 由比港漁協のプール制度


前のエントリで、福島の漁業復興の課題を説明した。その課題をクリアするためのヒントが、由比港漁協にある。

サクラエビ漁業の歴史

まずは、由比港漁協の主力漁業である桜エビ漁の歴史から解説しよう。サクラエビは、昼間は水深200-300mに分布しているが、夜中に水深20-30mまで浮上する。明治27年に、そのことを二人の漁師が偶然発見したことにより、サクラエビ漁業が始まった。当初のサクラエビ漁業は、極寒の夜間に操業するため、厳しい労働環境だったようである。漁船の動力化、大型化、昭和30年代から、ネットローラー(網揚げの機械化)や魚群探知機の普及など、様々な技術革新によって、漁獲効率は大幅に上昇した。その結果が、豊漁貧乏であった。

プール制の導入

昭和42年、43年と大漁であったが、エビの価格が大暴落してしまった。そこで、漁業者は、水揚げをプールしたうえで、売上金を均等配分することにした。均等配分は腕の良い(沢山獲れる)漁師の反対で頓挫するのが普通なのだが、由比の場合は、水揚げ量の多かった漁師がリーダーシップをとって話をまとめた。

昭和40年代は、高度経済成長に伴って、沿岸域の開発が急ピッチで進められた時期でもある。静岡県でも、火力発電所建設や田子の浦ヘドロ公害など、様々な問題が生じていた。漁業者が団結をして、沿岸の環境を守るための抗議活動を行ったことがきっかけとなり、漁民の間の連携が高まった。そして、昭和52年には地域の全船が参加する総プール制が確立した。

現在のプール制のシステム

静岡県サクラエビ漁業組合の下部組織である出漁対策委員会が、出漁するかどうかを決める。司令船の役割を果たす一隻をもうけて、無線で指示を出し一斉に操業を開始する。各船は水揚げ漁を司令船に報告し、出漁対策委員会が定めたその日の総水揚げ量に達した次点で、操業は終了となる。そして、その日の水揚げ金額を、船主・乗組員総数で均等に割った金額を各人の取り分としている。

プール制のメリット

プール制のメリットをまとめると次の図のようになる。

キャプチャ

① 早捕り競争の抑制

プール制の導入によって、早捕り競争が抑制されたことによって、出漁日数が減り、操業コストが削減され、労働条件が改善された。また、限りある資源を大切にしようという意識が高まった。漁協の青年部が自ら産卵調査を行って、産卵親エビの維持に努めている。資源の持続性が保たれているので、結果として漁獲量が安定し、漁業経営にも好影響を及ぼしている。

② 量から質への転換

自然の生産力には限りがあるので、持続的に漁を行えば、漁獲量は自ずと限られてしまう。漁獲量が増やせない状況で、売り上げを伸ばすには、単価を上げるしかない。由比港漁協では組合員が一丸となって、魚の単価を上げるための努力をしている。夜間に水揚げした桜エビは、朝の競りまで市場に保管することになる。由比港漁協の競り場は、温度管理ができる最新の設備となっている。エビの水揚げが多かった船に、水揚げが少なかった船が氷を漁場で渡して、鮮度の維持に努めている。水産物の価値を高めるためのマーケティングの努力も惜しまない。漁協で料理教室を主宰したり、浜のかき揚げ屋を運営したりして、地域ブランドの確立に努めている。

③ コミュニティーの連帯

プール制度のもとで、グループ操業をするために、漁師の連帯感が非常に強い。競争漁業では、漁業者は有限の資源を奪い合うライバルになるのだが、平等配分のプール制のもとでは同じ資源を共有する仲間になるのだ。漁業者が集まって話し合いをする機会が多いからだろう。この浜の若い漁師が多くて、仲が良い。プール制度を導入した先人に感謝をしつつ、地域の漁業をより良くするために、様々な取り組みを行っている。

福島の漁業はどこを目指すべきか

福島県では、今後も放射能検査の関係で水揚げ量を制限せざるを得ない。限られた漁獲量で、一人でも多くの漁業者を生活させるには次の2点が重要になる。

① 漁業全体の生産金額を大きくする(すなわち単価を上げる)
② 売り上げを平等に配分する

これらの条件をすでに満たしているのが、今回視察をした由比港漁協のサクラエビプール制度なのだ。

福島県に限らず、日本のほとんどの漁業は、早い者勝ちの自由競争だ。競争漁業では、魚を獲りすぎて資源を枯渇させてしまいがちである。環境要因などの影響で一時的に魚が増えたとしても、皆でまとめて水揚げをするから値崩れになり、豊漁貧乏になってしまう。どっちに転んでも漁業経営は厳しくなる。単価の安さを量でカバーしようとすると、鮮度管理などがおろそかになり、魚価がますます下がるという悪循環。日本の漁師の大部分は、「魚価が安い」とこぼすが、場当たり的に獲れるだけ獲っていて、魚価が上がるはず無いのである。

資源が回復し、漁獲量が制限される福島の漁業は、「量から質への転換」をするための条件が整っている。由比のプール制度を手本に、福島の漁業の現状にあった制度を当事者の手で築いて欲しい。それが福島の漁業の創造的な復興につながるはずだ。

福島県の漁業の復興 その1


福島では、震災以降、漁業がほぼ停止している。月に2回ぐらい試験操業が再開されたものの、放射能検査の関係で、地元にわずかな量が出荷されているだけ。東電からの補償で、福島の漁業者は当面の生活はできるものの、何時になったら、漁業が再開できるのか、先が見えない状況が続いている。漁業に見切りをつけて、他の場所・職種に移動してしまった人も多く、漁業が再開できたとしても震災前の1/3程度の漁業者しか残らないという予測もある。

明るい要素もある。3年の禁漁の結果、海の中の魚はすごい勢いで回復しているそうだ。試験操業では、これまで2時間引いていたのが、30分で網が一杯になるという。福島県の水産試験所の調査でも、ヒラメなどの底物は3倍に増えたという。

状況を整理しよう

条件1)放射能検査のために、水揚げ量が規定される
条件2)水産資源は総じて回復している
目的)漁業者の減少を食い止めつつ、地域の漁業を復興させる

水揚げ量が増やせない状況で、出来るだけ多くの雇用を維持するには、単価を上げるしか無い。当たり前の話なのだが、それ以外の選択肢は無いのである。単価をどれだけ上げられるかが、福島の漁業の復興の速度、および、どれだけ多くの漁業者を残せるかに直結する。

これまでも述べてきたように、日本の漁業は「早い者勝ちで多く獲るのが正義」を実践してきた。その結果として、水産資源は減少し、未成魚中心の価値の低い漁獲で、価格崩壊を引き起こしている。場当たり的に、獲れるだけ獲る漁業で自滅をしてきたのである。

現状を打開するために必要なことは、「十分な親を残した上で、価値のある魚を安定供給する漁業への転換」である。多くの漁業国がすでに「質で勝負する漁業への転換」を終えている。どうやって、転換したかというと、個別漁獲枠制度の導入である。漁獲量に上限を設けることで、「多く獲る」という選択肢を無くしてしまえば、収益を増やすための選択肢は高く売れるものを狙って獲る以外に無くなる。漁獲量を厳しく制限することによって、漁業者のインセンティブを多く獲ることから、単価を上げることへと切り替えたのである。

資源管理を始める際に問題になるのが、「獲らなければ魚が増えるのはわかるが、その間、どうやって生活するのか?」という問題だ。すでに資源が大幅に回復している福島では、この問題もクリアしている。質で勝負する漁業に方向転換をするために必要な条件が、福島県ではすでに満たされているのだ。

福島の漁業者から、相談を受けて、地元の市会議員だとか、魚屋だとか、いろんな人を集めて、漁業の復興について議論をしてきた。地域の取り組みとして、質で勝負する漁業への転換をすれば、別の未来につながる地域漁業が創出できると確信した。そのためには、「質で勝負する漁業」のビジョンを当事者にもってもらうことが重要。ということで、すでに質で勝負する漁業に転換をした実例を見てもらうために、福島の漁業者と共に、静岡県の由比港漁協を訪問した。(つづく)

宮城県復興特区における漁民の自治の侵害について


宮城県が復興庁に申請していた「水産業復興特区(水産特区)」について、所管の水産庁は、
1)地元漁民のみでは養殖業の再開が困難である
2)地元漁民の生業の維持
3)他の漁業との協調に支障を及ぼさない
という要件を満たすと判断し、昨年4月にゴーサインをだした。これをうけて、復興庁は昨年4月23日付で、宮城県が申請していた水産特区を認定した。そして、今年の9月の漁業権の一斉更新によって、水産特区に申請をしていた有限責任会社「桃浦かき生産者合同会社(桃浦LLC)」が漁業権を得ることになった。漁業震災から、2年半が経過して、ようやくの船出である。一方で、未だに宮城県漁協は、特区に対して反対の姿勢を崩していない。

特区に関して、多くのメディアは批判的な報道を繰り返してきた。たとえば、これを読んでほしい。

視点・論点 「漁業再生」
これに対して、漁民らは漁場利用の秩序が乱れると猛反発しました。
水産特区は、漁場を自ら管理してきた、漁民の自治を無視した考えと批判されてもしかたないのです。
民主主義を重んじる漁民の自治を排除した、漁民不在の構想でした。

NHKの視点・論点といえば、社会的な影響力がある番組だ。そこで、「水産特区は、漁民の自治の排除である」と非難されている。「NHKが呼んでくるような立派な専門家がいうなら、そうなんだろう」と一般の人は思うだろう。筆者は全く逆の意見を持っている。漁民の自治の結果が水産特区であり、それに反対している宮城県漁協の方が漁民の自治を侵害していると思う。一般の人には、「漁業権」といわれても、なじみが無いだろうから、「漁業権とは、そもそもどういうものなのか」から、じっくり説明しよう。

漁業権って何?

農業と漁業の大きな違いは、生産基盤が私有物か共有物かということだ。農業の場合、土地は農家の私有物である。自分の土地で農業を営むには、特別な「農業権」を取得する必要ない。「土地の所有権=農業権」なのだ。一方、海や河川は、公共の空間であり、漁師の私有物では無い。これらの「公共の空間で排他的な漁業をする権利」が、「漁業権」である。ちなみに、陸上養殖(陸上にいけすをつくって行う養殖)の場合は、農業と同じく漁業権は必要が無い。

ポイント その1
農業の生産基盤 → 農地 → 農家の私有物 → 土地の所有権がすなわち農業権
漁業の生産基盤 → 海・河川 → 公共用物 →  公共の水面で漁業を行うには漁業権が必要

「海はみんなのもの」というルールだけでは、漁業という産業は成り立たない。たとえば、「共有の土地で農業ができるか」を考えてみよう。共有地の作物は、誰の物でも無いので、誰でも収穫できてしまう。この状態では、まともな農業は成り立たない。沿岸漁業も同じように、誰でも獲れる状態では、獲った者勝ちになる。外から誰でもやってきて、自由に獲れる状態では、利益が出ないような状態になってしまうのは時間の問題である。ということで、海はみんなのものだけれど、「そこで排他的に漁業をする権利(すなわち漁業権)」を、認めておく必要があるのだ

漁業権の歴史

貝塚などの遺跡からもわかるように、有史以前から、沿岸の住民は漁業を行ってきた。自分が住んでいる前浜を、自家消費に近いかたちで利用していたのだろう。現在の日本漁業制度の起源は、江戸時代といわれている。昔から、沿岸のアワビや海藻などをめぐって、漁業者間の紛争が絶えなかった。江戸幕府はそれぞれの漁村集落の縄張りを定めて、前浜の排他的利用権(および納税の義務)を認めたのである。このように地域集落に漁業権を与える方式は、地域漁業権(regional fisheries right)と呼ばれ、日本以外でも、伝統的に利用されてきた一般的なやり方である。

当時の日本の漁船は、一本の櫓(ろ)をつかう和船であった(時代劇の渡し船をイメージしてほしい)。漁業権が設定されたのは、和船の櫓が海底につくところまで。つまり、沿岸のごく浅い場所のみに地域集落の排他的漁業権を認めたのである。当時は遊泳性の魚を乱獲するほどの漁獲技術が無かったので、資源を巡る競争が無い沖まで線引きをする必要は無かったのである。これが、いわゆる「沖は入り会い、根は地付き」という制度である。

くわしくはこちらを読んでください。→ http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h21_h/trend/1/t1_11_2_3.html

川とか海に面している土地の所有者が、その土地の地番先の川とか海の公有水面を利用出来る権利を、地先権(ちさきけん)と呼ぶ。日本の漁業権制度の根底にあるのが地先権なのだ。漁業の場合は、個人では無く、地域コミュニティーが、地先権としての漁業権を伝統的に行使してきた歴史がある。地先権は、慣習上の権利であり、法律上の権利ではない。そこで、地元漁業者の地先権を保障できるように、漁業法という法律があり、地域の漁民がつくる漁協に漁業権を与えている。漁業権の行使について、その地域の漁業者が話し合う場として、それぞれの浜に漁協を組織した。「沿岸漁場の利用は、そこで漁業をしている漁業者がみんなで話し合って決める」ということ。

ポイント その2
日本の漁業権の基礎にあるのが地先権。地先権を尊重する漁業権運営をするために、漁協に漁業権が与えられている。

かつては、日本の沿岸の至る所に、漁協があった。昭和42年には全国に2443の漁協があり、それぞれの漁場を分割統治していたのだ(http://www.jfa.maff.go.jp/hakusyo/11do/11hakusyo.htm)。浜の意志決定機関である漁協が決めたルールで漁場が利用されるという点では、地先権に基づく地域コミュニティーによる自治が成り立っていたのだ。(残念ながら、民主的とは言いがたい運営がされている漁協も多々あるのだけれど)

平成の大合併

1970年代から、日本の漁業は衰退の一途をたどった。漁師の子供は漁業を継がず、高齢化が進み、漁業者の数はピーク時の1/5まで減少した。漁協の存続には、最低25人の正組合員が必要になる。正組合員の資格を得るには、年間100日漁業に従事する必要がある。原則として、25人の正組合員がいない漁協は解散するか、合併することになる。

新規加入が途絶えた状態で、高齢化が進み、25人の組合員が確保できない漁協が急増した。引退してほとんど漁に出ていない人を正組合員として登録して、数あわせをしていた漁協も少なくない。着実に漁村の限界集落化が進む中で、こういった一時しのぎは限界に達していた。

本来ならば、地域の漁業を支えるのに最低限必要な人員を確保できるように、漁業の生産性を改善した上で、外部から参入できるような仕組みを作らなければならなかったのだが、そうはならないのが日本の漁業村だ。これまでの枠組みを維持しつつ、正組合員の数あわせをするために進められたのが、漁協の大規模合併である。「県の漁協を一つにまとめてしまえば、組合員不足の危機は乗り越えられる」という考えだ。また、組織をまとめることで、財政が悪い漁協を護送船団方式で守ろうという意図もあっただろう。漁協の生き残りのために大型合併を、水産庁と地方行政が協力に後押しした。

漁民の高齢化・減少が深刻な宮城県でも、2007年に県内のほとんどの漁協が合併し、JF宮城(宮城県漁協)になった。一般的に、経営が悪い漁協は合併を望み、経営が良い漁協は合併をいやがる。単独でやっていける漁協が、業績が悪い漁協と経営統合したくないのは当然だろう。宮城県の中でも経営状況が良かったいくつかの漁協は合併に抵抗したが、、結局は2009年に併合させられてしまった。その直後に震災である。

桃浦の漁民はなぜ特区を申請したのか?

話を水産特区に戻そう。特区を申請した宮城県石巻市の桃浦地区では、残った漁民全員が60歳以上の高齢で、後継者がいなかった。なんでも、女の子ばかりが産まれたらしい。震災前から、「もう5年先は無いだろう」という状態であった。緩やかに消滅に向かっていた浜が津波で流された。この浜の主要な漁業は、カキ養殖である。養殖の資材をゼロからそろえるとなると、それなりの資金が必要になる。高齢で、跡継ぎがいない桃浦の漁民にとって、ゼロから立ち上がるのは困難であり、このままでは皆が廃業せざるを得ない状況であった。

桃浦の漁民は話し合いをした結果、自力での復興は困難と考えて、宮城県の水産特区を利用することにした。桃浦地区のカキ養殖の漁業者14名が,有限責任会社「桃浦かき生産者合同会社(桃浦LLC)」を設立し,地元の水産物卸売会社の仙台水産が経営参画した。桃浦地区には、刺網の漁業者が1名いるが、漁業形態が完全に異なるために、特区には参加していない。

震災前から、桃浦で漁業をしてきた人間15人中、14人が特区を利用する決断をしたのだから、桃浦の漁民の総意といっても差し支えないだろう。「当事者の合議制で漁場の利用を決める」という本来の考えに従えば、彼らの意見が優先されるのは当然である。もし、桃浦漁協が存在したなら、桃浦特区は何の問題も無かったはずだ。実際に、地元の合意の元で企業が漁業に参入している例は、いくつか存在する。静岡県では、「雇用と漁場を守るには、それなりの資本が必要」という判断から、企業を定置網に参入させている。その結果、地元に雇用がうまれ、漁師の平均年齢は60代から、30代に若返った。合併前なら、何ら問題が無かったのである。

桃浦地区が合同会社形式になったとしても、他地区の漁業活動に支障を及ぼすとは考えづらい。なぜなら、牡蠣の養殖は桃浦の漁場で完結しているので、余所の浜ともめる要因が無いのだ。俺が周辺の浜の漁業者と話をしたときには、「桃浦の人たちとは、小学校から一緒で、彼らの苦しい状況はわかる。応援したい気持ちはあるが、県漁協から反対するように言われて、しかたなく反対している」と、苦しい胸中を語ってくれた。去年の8月に牡鹿半島を訪問したときには、道沿いに下の写真のようなのぼりがずらっと並んでいたが、浜を分断しているのは、いったい誰なのか。
nobori

今後の漁業権のあり方を考える

宮城県の復興特区にまつわる一連の騒動から、今後の漁業権のあり方を考えてみよう。漁協の大型合併を機に、漁業権の法的な主体が、浜ごとに設置された漁協(単協)から、県漁協という大きな組織に移行した。宮城県漁協は、宮城県全体の組織であり、それぞれの浜の代弁者では無い。漁業権を前浜は失ってしまったのである。

平時に、これまで通りの漁業活動を行うならば、漁業権の法的主体の変化は、大きな摩擦を起こさなかっただろう。現に、県一漁協に合併をした他の県ではそれほど大きな問題は今のところ生じていない(いろんな県の漁業者と話をしたが、合併して良かったという声は皆無だけど)。宮城県では、桃浦の漁民が特区を選択したことによって、地域漁民と県漁協が対立構図になり、この問題が顕在化した。宮城県漁協からみれば、「俺たちの権利を勝手に切り売りしやがって」ということになるだろうし、逆に、桃浦の漁民からすれば「なぜ、前浜のことが自分たちで決められないのか」ということになる。

漁業権が漁協に与えられた経緯を考えれば、宮城県漁協と桃浦のどちらの主張が正当化は明らかだろう。そもそも、地元漁民が地先権を行使できるように漁協に漁業権を与えていたのである。その理念に立ち返れば、桃浦の漁民の選択が優先されるべきなのだ。しかし、漁業法がつくられた当時には予想もできなかった沿岸漁業の衰退と、漁協の大合併によって、漁協がそれぞれの浜の代表機関では無くなってしまった。県一漁協という大組織が漁業権を持っているが故に、地域漁民の自治(地先権の行使)が妨げられるという本末転倒な事態になっている。漁民の自治が、漁協や漁業権によって、疎外されているのである。

宮城県に限らず、多くの都道府県で、漁協の合併が進んでいる。今は、顕在化していないかもしれないが、いずれ地域漁民が変化を望んだときに、宮城県と同じ状況に陥る可能性はある。地域の漁業の消滅を食い止めるには、漁業の生産性の改善(漁師が魚を獲って生活できるようにすること)が不可欠である。特区が最良の回答かどうかはわからないが、当事者である漁民が新しいことにチャレンジしようというのを、漁業権によって妨害されるのはおかしな話である。地先権を漁業権の根拠という基本理念に立ち返るなら、県一漁協ではなく、各支所に漁業権の行使の最終決定が出来るようにすべきだと思う。

視点・論点では何が語られなかったのか?

ということで、NHKの視点・論点 「漁業再生」とは全く逆の結論に到達したのだが、視点・論点の文章を読み返しながら、そうなった原因を考察してみよう。

一番のポイントは、視点論点では、特区に賛成の漁民の存在が完全に無視されていることだ。

以上の二つの例は、民主主義を重んじる漁民の自治を排除した、漁民不在の構想でした。
漁民らは漁場利用の秩序が乱れると猛反発しました。確かに、漁民らの主張は否定できません。
行政庁は、一方的に復興方針を決めて押しつけるのではなく、漁民の自治を尊重しつつ、その意向を通して、復旧・復興を進めていくことが肝要です。

漁民の反対を押し切って、知事が独断で企業を参入させようとしているというような論調である。当事者である(地先権をもっている)桃浦の漁民が、特区を選択したという重要な情報が抜け落ちている。宮城県知事が地元漁民の意向を無視して、企業を押し込んでいるなら、非難されても仕方が無いのだが、実際は地元漁民が選択したから、桃浦の特区が成立したのである。

ここでいう漁民とは、ようするに宮城県漁協のことである。宮城県漁協の方針の賛同しないは、漁民と見なされないのだろうか。一番の当事者である桃浦漁民の存在を無視することで、「宮城県漁協 VS 桃浦地区の漁民」という対立構図を、「漁民 VS 企業」という構図にすり替えているのだ。この論者が守りたいものは、地先権に基づく漁民の自治権ではなく、漁協の既得権としての漁業権なのだろう。

その他の反対理由についても、俺には理解しがたい。

同じ漁場の中で複数の漁民が養殖業を営む場合には、もめ事が多くなります。そのため、漁民らは漁業権行使規則などの自主ルールを策定して、それに基づいて喧嘩にならないよう漁場を共同管理しています。漁協はまさに漁民の自治の場です。漁協に漁業権の管理権が優先的に免許される理由はここにあります。

とあるが、桃浦で牡蠣養殖をしているのは、特区のメンバーだけ。牡蠣の養殖は、場所を固定して行うので、他の浜との競合は起こりえない。水産庁がきちんと調べたうえで、「他の漁業との協調に支障を及ぼさない」と判断したことからも明らかだろう。

これまで漁民は、漁業権という「権利」を得るだけでなく、漁場利用のためのコストを支払って、秩序形成を図ってきました。それは漁民の「責任」です。そのような漁民らと、「責任」を背負わなくて良い漁民会社とが、もし漁場で競合することになれば、漁場紛争は避けられません。

たしかに、漁場維持のために漁民がコストを払ってきたのは事実である。その責任が企業だから、免除されるというのは、おかしな話である。企業にも、漁協と同等の責任を負わせれば良い。それだけの話だろう。また、漁業権を行使する上で負うべき責任については、きちんと議論をする必要があると思う。組合であろうと、企業であろうと、資源の持続性に対する責任を負うべきである。

桃浦特区があまりに誤解されているので、見るに見かねて、このエントリを書いてみた。ただ、本来はこういう説明は、部外者の筆者の仕事では無い。新しい枠組みを作ろうというなら、その枠組みの正当性を外部の人間に認めさせるのは、当事者の義務である。今後は、当事者の積極的な情報発信に期待したい。

宮城県の水産特区の懸案事項


特区第一号がようやく公開された。

宮城・水産特区、まず1件 「石巻・桃浦港」年内申請へ
今年8月30日、地元漁業者15人が共同出資して民間資本の受け皿となる新会社「桃浦かき生産者合同会社」を設立。仙台市の水産物専門商社「仙台水産」が経営参画することで合意した。
毎日新聞 2012年09月04日 東京朝刊

仙台水産は老舗企業だから、地元のことは知り尽くしている。県漁協としても、つきあいが深い相手だけに安心感はあるだろう。また、地元の漁業者16人中15人が加わっている合同会社に漁業権を与えたところで、これまでと大きな違いはないだろう。この件については、県が水面下で調整をしていたみたいなんだけど、漁協を刺激しないような事例を上手にまとめてきたという印象。

桃浦は上手くいきそうな感じがするのだが、横への広がりが無いのが気がかり。漁業権は5年に1回、一斉に更新される。来年の秋の一斉更新で、桃浦の合同会社に漁業権を与える予定。村井知事は「桃浦をモデルケースにして全国に広げたい」と意気込むのだが、今のところ、桃浦の1地区しか候補がなさそうだ。来年の秋までに2地区目が出てこなければ、次の一斉更新がある5年後の13年9月まで、特区が桃浦のみとなる可能性がある。2例目以降がでてくるのが、震災から7年半後では、特区を活用して水産業を復興するには、時期が遅すぎる。去年の4,5,6月に、あれだけ漁協と対立して問題提起をしたにも関わらず、特区を活用して復興できるのは桃浦の15人だけでは、あまりにも寂しい。

復興のための水産特区は、それを望む地元の漁業関係者全員に対して、門戸を開くべきである。漁業権の更新まで、あと1年ある。桃浦の一例で満足せずに、特区の要項と概要を公開した上で、広く公募を募るべきである。

宮城県の水産特区について


宮城テレビの特別番組の収録で、県の村井知事と対談を行った。内容は放射能から、特区構想まで多岐にわたる。最初は県漁協の組合長もくる予定だったらしいのだけど、キャンセルされたので、ゲストは俺と知事の二人。

撮影前日に、塩釜、東松島、雄勝を回って、浜の最新情報をリサーチした際に「特区が動くらしいよ」という噂を耳にした。撮影当日の日経の朝刊に、かなり踏み込んだ内容の水産特区の記事が掲載されていた。石巻の桃浦地区と地元の仙台水産が特区一号になるということ。具体的な特区が表に出てきたタイミングでの知事との対談を収録した番組は9月9日に宮城テレビで放映予定。知事とのやりとりなどは番組放映後のお楽しみとして、今回は宮城県知事の水産特区に関する私見をまとめてみた。

特区の意義について

8月31日の日経新聞が4面には、桃浦地区の牡蠣養殖漁業者15人が共同で出資して設立する新会社と仙台水産が特区一号になるという記事が掲載された。桃浦地区は牡鹿半島の付け根に存在する集落。高齢化が進む中で、津波で壊滅的な被害を受けて、漁業を続けられる状態ではなかったらしい。そこで、地元の大手流通業者の仙台水産が手をさしのべて、一緒に立ち上がろうという流れ。

これまでの養殖漁業は、漁協が生産物を集めて、共同販売(入札)を行っていた。生産者は生産物を漁協に出荷して終わり。流通業者は、漁協が並べたものに値段をつけるだけ。共同販売が壁となって、生産者と流通業者が分断されていたのだ。

漁師と流通業者が分断されている日本漁業の現状を、会社でたとえるなら、製造部門と営業部門が分断されているようなものだ。製造部門が市場を無視して場当たり的に製品をつくる。製品段階で差別化できないので、営業は価格をどこまで下げられるかを競っている。これでは利益が出ないのも仕方が無いだろう。

「一山いくら」の共同販売制度でも、バブル期まではある程度は機能していた。並べておくだけで、全体的な魚価があがったからだ。デフレで全体の価格が低迷しているし、高齢化で食料の需要は落ちる。こういう状況で、ただ並べて値段をつけてもらうだけの共販制度が機能するとは思えない。

「こういう規格で、この数量つくれば高く買うよ」という話が小売りから来ても、それは漁師まで届かない。品質で差別化できないから、値段の安い差で勝負するような販売戦略しかとれないのである。意欲的な漁師が、品質が良いものを作っても、市場で評価されずにその対価を受け取れない。良いものを作っているというプライドに支えられてがんばっているのが実態だ。

実際に海外では、漁師と流通業者の経営統合は、当たり前の話。むしろ、協力をして全体の売り上げを増やす方向に努力をしている。

たとえば、アラスカのカニ漁業は、漁船と加工場の経営統合が進んでいる。加工場がカニを外に販売した売り上げを、漁船と加工場で半々に分けることになっている。漁船と加工場が共同で漁獲・加工・出荷のプロセスを戦略的に一本化することで、余計な経費を削減し、カニの質を上げて、全体の売り上げを増やすことに成功している。

日本でも、良い製品を作って付加価値付けをしたいという生産者と、差別化できる製品をちゃんとした値段で売りたい流通業者が、戦略的な提携をして、win-winの関係を築く余地は大いにある。

今後の進め方について

生産段階から販売まで一気通関をするという、桃浦・仙台水産の特区には、期待をする反面、不安もある。特に、漁民とのコミュニケーション不足が気になるところだ。

1)概要・要項が示されていない

特区構想が、誰のための、何を目指すものなのかが明確では無い。知事は「民業を活用する」というが、どういう形で活用するのかがわからなければ、賛成しようも、反対しようも無い。

民間企業の参入と言っても、様々なやり方がある。
A) 地元漁民が会社組織を作って、販売等の活動を自由に展開していく
B) 地元漁民を排除して、外の企業をいれて漁業をさせる

「Aはどんどんやればよいけど、Bはちょっと・・」と感じる人が多いのでは無いだろうか。今回、知事に直接確認をしたのだけど、知事の構想はAであり、よそから縁もゆかりも無い企業が参入することはかんがえていないそうだ。桃浦の場合も、震災前からその土地で漁業を営んでいた地元漁民15人が会社を作って、仙台水産という地元企業と連携をしていこうと言うことだから、1)の形式になっている。

特区の概要・要項をまず公開して、1)の形式の特区を考えていると言うことを明らかにすると同時に、そのことを周知する必要があるだろう。
2)漁民とのコミュニケーション不足

浜では「全否定をするわけでは無いが、特区は何をしたいのか具体的なことが何もわからないので、何とも言えない」という意見が多かった。具体像が見えない中、「民業の活力」とか「浜の秩序」といった抽象論で、知事と県漁協が喧々がくがくの状態。現場を無視した血の通っていない議論だと思う。
漁村によって、抱える問題は多岐にわたる。もともと活力がある浜では、復興がスムーズに進み、「あとはもう自分たちで出来るから、大丈夫」というところもある。一方で、震災で人が減って、集落自体が成り立たないところもある。人はいるけれども、収益が上がらず、じり貧のところもある。漁業者と一緒に、そこの漁業の問題を精査して、一緒に解決策を考えていく。その際に、必要とあれば、特区を柔軟に使えるような体制を整えて欲しい。

3)県漁協との関係悪化

宮城県漁協は、相変わらず「浜の秩序を乱す」と繰り返している。今まで、漁協の浜の秩序の元で、漁業が衰退してきたのだから、浜の秩序を見直す必要があるのは自明だろう。特区を導入せずに、桃浦をどうやって復興するのか、という対案を、県漁協は何ら示していない。対案を示さずに反対のための反対をしているだけの漁協は無責任だと思う。

ある程度の摩擦は仕方が無いとしても、県漁協との関係をもうちょっと上手に出来ないものだろうか。知事と漁協が全面対立ということになれば、漁民は板挟みになる。漁協からの締め付けが増せば、特区に関心がある漁業者とのコミュニケーションが難しくなり、桃浦に続く事例が出てこない可能性もある。

水産特区は、概要を公開した上で、漁民(≠漁協)とコミュニケーションをとり、彼らの理解を得ながら進めていって欲しいと思う。

民間は更に進んでいる

水産特区は、知事と漁協の対立から、議論が空転し、1年半かけて、ようやく、一例目の概要が示された。その間にも、現場レベルでは様々な試みが始まっている。志を同じくする漁民のグループが合同会社を作ったり、株式会社を作ったりして、販売を手がけようという試みが、同時多発的に起こっている。特区とは無関係に企業化が進みつつある。株式会社化をした漁師に取材として、企業化を進める理由を聞いてみた。

1)販売・ブランド化
漁協経由だと、生産者の顔が見えない。宮城の牡蠣は一緒くたに売られるので、自分たちのブランドを育てようがない。現在の販売には限界を感じている漁師が多い。そこで、良いものを高く売りたい仲間で、共同出荷することでブランドを育てようという思惑がある。

2)外部から窓口が見える
合同会社、株式会社であれば、販売窓口が外から見えるので、新しい取引先が見つけやすいだろう。

3)資金調達で有利
外部から、資金を調達しようにも、一般の銀行は漁業者には金を貸さない。水産関係の経営はブラックボックスなので、仕方が無いだろう。一般企業となって、会計を明らかにすることで資金調達がやりやすくなる。

4)経営感覚が養われる
企業として会計をすることで、これまでどんぶり勘定だった収支を数字で見ることになり、経営感覚が養われる。

デメリット

デメリットとしては、経理など、これまでやっていなかった事務仕事が増えることと、販売の手間(売れなかったときにどうするか)があげられる。共販制度は、価格が安くても、納品すれば自動的に全量販売できた。販売の手間をかけるのが面倒くさい漁師には便利な制度である。自分で売るとなると軌道に乗るまでが大変だろう。

まとめ

企業化や販売提携は、そのための労力が必要となるし、販売リスクもある。跡継ぎがいない年金漁業者は、面倒なことを嫌がるのが常である。彼らのためにも組合の共同販売は今後も必要だろう。一方、跡継ぎがいて、親子で従事している漁業者や、若手の漁業者にとっては、まともな値段で販売をするのは死活問題である。販売については個人で行うのは難しいし、販売窓口も必要になるので、合同会社や株式会社をつくるのは自然の流れだろう。漁民の新しい取り組みを応援したい。

これまで通りに漁協の共販を利用したい人はそうすれば良いし、自らが販売まで手がけたい人間はそうすれば良い。漁協は漁業者のための組合であり、組合のサービスを使うかどうかは漁業者自身が決めること。漁協は漁業者のための組合なのだから、漁民が主体的に新しい取り組みを始めるのを応援すべきである。行政は、漁協との対立構図を煽るような動きはできるだけ避けつつ、地元漁民の声を聴いた上で、淡々と必要なサポートをしてほしい。

漁業の生産性が上がらない構造的な理由


前回の記事で、「漁師が魚を捕って生計を立てられる」ことの重要性を指摘した。では、漁業の生産性を上げるにはどうすれば良いかを考えてみよう。

漁業の収益は次のように単純化できる。

漁業収益 = 売り上げ-経費
= 魚価 × 漁獲量 - 経費

漁業収益を増やすには、次の3つの方向性がある。

1)魚価を上げる
2)漁獲量を増やす
3)経費を減らす

では、どの方向を目指すかということを考えていくと、八方ふさがりの漁業の現実に直面する。

1)魚価をあげるのは難しい

週末のスーパーの特売のチラシを見れば、「アジ一尾100円」という具合に、まだ獲っていない魚の値段がすでに入っている。購買力をもつ大手小売りチェーンによって、末端の魚価は決められているのだ。スーパーは自分の利益が出るような価格で、どこかから魚を引っ張ってくる。流通業者は、さらに自分たちの経費を引いた値段でしか魚を買えない。出口の価格を決められた上に、複雑な日本の水産流通のすべての段階のコストをさっ引けば、漁師の取り分など残らないのである。

漁師の仕事は魚を海から捕ってきて市場に並べるところで終わり。魚の値段は、漁協が主催するセリで決まることになる。バブル期までならいざ知らず、現在、高い値段がつくことはまれである。良い魚が、高く売れるとは限らない。良い魚も、悪い魚も、一緒くたに安値で買いたたかれている。

日本の漁業者には、価格の決定権が無い。それどころか、価格形成にほとんど関与できない仕組みになっている。また、漁協のセリの運営は極めて排他的であり、魚を買いたたきやすい状況を作っている。川下主導の価格形成が行われている既存の流通システムの中で、漁師の努力で手取りを上げるのは至難の業である。

2)漁獲量を増やすのは難しい

漁獲量を増やすのは難しい。というのも、獲るべき魚が減少しているからだ。現状ですでに漁獲圧が過剰だからだ。農水省のアンケートでは、日本近海の水産資源が減少していると答えた漁業者が9割。資源が増えていると答えた漁業者は0.6%に過ぎなかった。日本の資源が減少している原因は、日本漁業者による乱獲である。日本国内では、漁獲規制が不十分であり、大型漁船が沖で未成魚を根こそぎ獲ってしまう事例が後を絶たない。

漁獲が過剰な現状で、いきなり漁獲量を増やすと、資源を減らしてしまう。長い目で見ると、漁獲量をむしろ減らすことになりかねない。漁獲量を増やすには、公的機関はしっかりとした漁獲規制をして、資源を回復させる必要がある。漁業者の自己努力で漁獲量を増やすのは難しいだろう。

3)経費を下げる余地は無い

もう何十年も、漁業の利益は減少傾向にある。日本の漁業者は、すでい簡単に削れるコストは、削減済みである。 コストの大部分を占める燃油については、漁業者の価格決定は難しいだろう。

結論

とてもネガティブな話になってしまったが、これが日本の沿岸漁業の現実だ。出口の見えない八方ふさがりの状況で、漁業者はもがいている。

被災地・非被災地を問わず、今の日本漁業には希望が無い。漁業が衰退するのは構造的な問題だから、未来につながる形に漁業のあり方を変えていかなればならない。

ミッション:未来につながる漁業のビジョンを示し、それを地元漁民と共有する

猿払村は、いかにして地域漁業を復興させたのか?


一つ前のエントリで、今までの復興政策では、漁業は衰退する一方だということを示した。では、水産業に金を入れるのがそもそも無駄なのか。というと、そうではない。従来の予算の使い方が未来につながっていないと言うだけの話だ。

では、何を目指すべきだろうか。漁村が中長期的に生き残るために何よりも重要なことは、漁業の生産性を、新規参入できる水準まで改善することだ。同じ北海道の遠隔地である猿払村を例に、未来につながる漁業復興について考えてみよう。猿払村は、北海道の北端に位置する。

 


大きな地図で見る

 

猿払組合のサイトはここにある。

http://hotatebin.net/modules/pico/index.php/content0001.html

魚家数が187戸で、売り上げが6,228百万円だから、一戸当たり3300万円の水揚げだ。これなら、跡を継ぎたくもなるだろう。

猿払村の漁業データはこんな感じ。
http://www.machimura.maff.go.jp/machi/map2/01-03/511/fisheries.html

猿払と奥尻の年齢組成を比較すると下のようになる。猿払は20~50代が中心になっている。漁業で十分に生活できる猿払では、若者は再び村に帰ってくるのである。そして、「猿払に生まれて良かった~」と言いながら、海に向かって生活をしているのだ。

利益を出しているホタテ漁業も順風満帆であったわけではない。もともと、このあたりは樺太から産卵のために南下してくるニシンを狙った漁が盛んだった。お隣の網走には、ニシン御殿や、ゴーストタウン化した繁華街のような、ニシン漁で栄えた時代の名残が残されている。過去には日本で一番の漁獲量を記録したこともあるニシンは、昭和30年代に姿を消した(参考:ニシン漁の歴史)。消えたのはニシンだけではない。「乱獲により姿を消してしまったほたて貝、漁業資源は軒並み枯渇、漁業経営が極端に衰退の一途を辿った」のである。獲るものがなくなり、「貧乏を見たけりゃ、猿払に行け・・・」と言われるような状況になってしまったのだ。

この状況から村役場と水産試験所が試行錯誤をして、ホタテ養殖を成功させる。そのプロセスについては次のPDF(よかネットNO.24 1996.11)を読んで欲しい。

http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

漁業には良い年もあれば、悪い年もある。漁師の多くは、まとまった金が入ると、「宵越しの金は持たぬ」とばかりに夜の町で景気よく浪費し、不漁年に借金を増やす。猿払村の場合は、不漁年を確実に乗り切るために給料の天引きが行われている。「天引き貯金を確実に実行するために、組合員には生活費7万円の月給制として強制積み立て」をしたと説明されていた。これが行われたのは、万博景気の昭和45年のことだそうだ。一部の漁協が「漁師の勤労意欲を奪う」と批判をしている「漁師のサラリーマン化」である。漁師のサラリーマン化が進んだ結果、どうなったのか。

漁師さん一人当たりの平均年収が、いまでは4000万円。去年、村を訪ねてみたら、ひと昔まえの大貧乏はどこへやら‥…。白い壁の鉄筋コンクリート三階建ての豪邸が、あっちにも、こっちにも。出かせぎに行く若者は皆無、嫁不足なんかどこ吹く風、北海道の町や村ではまず見かけることのない高級車がひしめいていた。」(村野雅義著、昭和61年刊)
10年後(昭和58年度)、稚内税務署管内の高額納税者(1000万円以上)99人の内59人が、人口3000人余の猿払村の人によって占められることになった。
http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

ホタテ養殖には、ヒモにつるす「垂下式」と、地面にばらまく「地捲き式」の2種類がある。垂下式は所有者がはっきりしているのだが、地捲き式はホタテが移動しているので所有者がはっきりしない。猿払は地捲き式なので、早い者勝ちでホタテを捕っていたら、小さいうちに獲り尽くされてしまう。猿払では天然資源を枯渇させた教訓から、競争を排除して、グループ操業を徹底しているのである。

面白いのが、利益を出している猿払では、グループ操業を徹底しているところ。グループで役割分担や操業の効率化が図られていて、「会社のような感じ」らしい。多くの沿岸漁業が、漁業者同士の競争で自滅しているのとは好対照だ。猿払と同じように利益を出している漁村は他にもあるが、組合長のリーダーシップと地域としてのまとまりがあるのが共通点。

猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び其の意志を我々も子孫もうけつぎ実践することを肝に銘じて建てられた「いさりの碑」に刻まれた「撰文」には、

人間は神々と力を競うべきではない
人間は自然の摂理に従うべきだ

と書かれている。実に共感できる文章ではないか。

猿払の漁業が復興した理由は、次の一文を読めばわかる。

所得のないところに福祉はありえない、両方進めていきたいけれども、どうしてもできない場合は生産の方を先にやらなければならない
昭和45年「過疎地域振興特別措置法」ができた。これに基づく過疎地域振興計画をつくるのだが、猿払付の振興構想は、「住民の福祉向上のためには、一つは産業振興による所得を増大すること。“所得のないところに福祉はありえない”を前提にして、他の一つは生活環境を改善することであるとし、しかもこの双方が並進することが望ましいけれども、とにかく低所得水準の克服を先決とする」と決めた。産業振興の2本柱が「未利用の広大な土地資源を利用した酪農振興と、かつて繁栄した前漁の活用による浅海根付資源(ホタテガイ、昆布)の増養殖とし、さらに、それに加えてこれらの加工産業や特殊林産物の導入を図ることとした。
http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

漁家の所得向上が最優先。実に明快ではないか。昭和45年の段階で、とにかく、地域の基幹産業として、酪農と漁業を再生するという意気込みで、背水の陣で望んだのである。奥尻はどうだったか。高齢者福祉と土木工事に公的資金を集中投下して、一時的に潤っても、後に残るのは借金だけだった。三陸漁業は、奥尻と猿払のどちらを目指すべきだろうか。議論の余地は無いだろう。

残念ながら、この国の政治も、行政も、漁協も、奥尻型の復旧をすることしか頭にない。「予算が足りないから増税をしよう」などと言う前に、土木工事偏重の復興のあり方を根本的に見直すべきなのだ。もちろん、漁業の生産性に関わる土木工事は必要だが、漁業の生産性に関する議論がなにもないまま、土木工事だけしていても、漁業が良くなるはずがない。

漁業の生産性とインフラ(港の立派さ)は、ほとんど関係が無い。漁港が立派になれば、「台風の時に船を陸に揚げなくても良い」とか、「水揚げ作業が楽」という利便性はあるが、それによって、漁業の利益が大きく変わるようなものではない。だから、もともと儲かっていなかった漁業のためのインフラを立派に整備したところで、その土地の漁業には未来がないのである。つまり、奥尻型のインフラ再整備では、未来の地域の雇用に寄与しないし、中長期的に見れば、漁業の衰退を緩和する効果すら期待できないのである。これは、やる前から、少し考えればわかる話だろう。

今の水産行政には、漁船などのインフラを整備して、燃油を安くして、今いる漁業者に出来るだけ長く漁業を続けてもらおう、という後ろ向きの発想しかない。新規加入が途絶えた状態で、高齢漁業者が漁業を続けざるを得ない状況をつくったところで、彼らも遅かれ早かれリタイアする。その先の担い手がいないのだから、地域漁業は確実に死に向かっているのである。現在の復興政策は、終末医療と同じようなものである。終末医療に金をいくらかけても、いずれ、命は失われる。

こういう主張をすると「弱者切り捨て」とか、「企業の理論」とか、「アメリカの手先」だとか、意味が良くわからない批判に晒されるのが常なのだが、俺だって、高齢者福祉的な政策を全て無くせと主張するつもりはない。「高齢者福祉に全ての予算を投入しても先がない」と言いたいのである。未来のためと称して、未来には全くつながらないことばかりに金を使って、挙げ句の果てに増税・借金が未来の世代に先送りされ、地域には立派な防潮堤しか残らない。そんな未来は、納税者のためにも地方のためにもならない。

大切なことは、未来につながる漁業をあたらしくつくることだ。そのためには、漁師が魚を獲って生活が成り立つようにしないといけない。漁村に生まれた子供達が、その土地に戻って漁業を継げるところまで生産性を高めないといけない。

そのためにどうすればよいかは、下の二冊の本に書きました。これらの本を読んだ被災漁業者から、「一緒に考えて欲しい」というオファーが来るようになった。時間の許す範囲で三陸に行って、漁業者と協力して地域漁業の生産性を高めるための取り組みを行っている。そう言った取り組みについても、追々、紹介していきます。

奥尻の失敗を、三陸でも繰り返すのか?


1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。東日本大震災をきっかけに、奥尻島の復興について触れられる機会が増えてきた。奥尻の復興については、意見が分かれている。農林中金(農協系金融機関)や朝日新聞は、復興をポジティブにとらえているが、北海道新聞をはじめとする地方紙は、地域の衰退を問題視している。

農林中金
http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1108jo1.pdf

水産業の復興が順調に進んだ要因として,①漁協による漁業者への対応,②漁船の共同利用,について述べる。

朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/news/HOK201202120002.html

 防災教育旅行を積極受け入れ 津波から復興果たした奥尻町

問題点を指摘しているのは、岩手日報、河北新報、北海道新聞などの地方紙。

岩手日報
奥尻島ルポ(下) 町悩ます過疎、高齢化
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko111030.html

高齢化率は30%を超し、毎年、地元高卒者約25人は進学や就職でほぼ全員が島を出る。2集落が震災で消滅し31集落が残ったが、96年から限界集落(住民の半数以上が高齢者)が現れ始め、今年3月末には8集落に拡大。1集落が消滅した。
高齢化は防災対策の見直しも迫っている。低地から5分以内の高台避難を目指し、42カ所の避難路を整備したが、階段やスロープが急で高齢者の利用が難しくなっている。
新村町長は「高齢化対策に取り組んでくるべきだった。建物などもコンパクトに造る必要があった」とする。

河北新報
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm

集落再生のほか、防潮堤建設なども含めた復旧・復興事業の総事業費は763億円に上る。工事は被災者の雇用を維持し、島外から最大2000人の作業員が入る「復興特需」が島を潤した。半面で町の事業費負担158億円が財政を圧迫した。地方債残高は92年度の39億円から98年度には94億円に膨張。年間約40億円の町予算のうち、償還額が7億~10億円という状態が続いた。
復旧・復興事業が終了した島は停滞感が漂う。人口は1960年の約7900人をピークに減少を続けており、2010年の国勢調査速報値では3041人で、05年からの人口減少率は16.5%に達した。
高齢化も著しく、ことし8月末現在で65歳以上の高齢者は人口の31.7%を占める。就職先が島にないため、25人前後の奥尻高の卒業生ほぼ全員が進学などで島を出ていくのが現状だ。

北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/touhokukou2/

復興しても人が減る 奥尻の教訓、もがく被災地
義援金5年で消えた■街の活性化 手回らず
義援金は5年でほぼ使い切った。さらに高台移転などの復興関連事業で町が支出した158億円の借金返済が、その後の町財政を圧迫。街の活性化に回せる財源は狭まった。

奥尻島の復興について

具体的にどのような復興施策が行われて、その結果、どうなったかを見てみよう。

1993年の奥尻地震では、津波によって沿岸漁村は壊滅的な打撃を受けた。被害総額は664億円となっている。復興事業費は763億円(国221億、道384億、町158億)。それとは別に、義援金が総額190億円寄せられた。被害地域が局所的であったために、被害額を上回る復興事業費が準備できたのだ。潤沢な資金を背景に、手厚い被災者支援事業を展開することができた。

住宅を新築する場合は見舞金も含めて1世帯に最大約1400万円を配分した。青苗の住民を中心に結成された「奥尻の復興を考える会」の会長だった明上雅孝さん(61)は「義援金のおかげで自己負担なしで家を建てた人もいる」と振り返る。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm

義援金が集まりすぎて、配るのに苦労をしたという話をきいたことがある。義援金をそのまま現金で配ったら、島の老人たちは、町に出た子供や孫の家のそばにマンションを買って出ていってしまうかもしれない。人口流出を防ぐために、島の中に新しい家を建てるのを補助するというような方式にしたらしい。「被災者にとって、何が幸せか」というよりは、「なんとか島の人口を維持したい」という切実な思いがあったのだろう。

防災のための大規模な公共事業が行われた。数年間は復興特需で潤ったが、後には巨額の借金が残された。

町の事業費負担158億円が財政を圧迫した。地方債残高は92年度の39億円から98年度には94億円に膨張。年間約40億円の町予算のうち、償還額が7億~10億円という状態が続いた。
「負担は大きく、その後の産業振興などに十分な予算を回せなかった」。地震発生時の町総務課長で、助役を経て2001年から町長を1期務めた鴈原徹さん(68)が嘆く。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm

漁業の復興にも、潤沢な予算が投入された。そのディテールについては、農林中金のレポートの後半部に説明がある。

被災漁船を公的資金で準備する場合には、漁協に漁船を与えて、複数の漁業者が共同利用することが前提となっている。しかし、制度運用によって、漁業者個人所有の船を、新調したのと近い状況になっている。まず、個々の漁業者の希望に添った船を新調し、貸し与えた。この時点では、漁船は漁協の所有なのだが、5年後に減価償却で費用が10%に減少したとして、格安で利用者に売却した。結果として、漁業者は、ほぼ公的資金で、自分の好みの新船を建造できたのである。日本では漁業者が減少し、どこでも漁船が余っている。そういう中古漁船を持ってくることも可能だったはずだが、公的資金で新調してもらえるなら、新船の方が良いに決まっている。共同利用漁船の導入実績は,新造船249隻,中古船購入9隻であった。

被災漁民への大盤振る舞いに対して、船が被災しなかった漁業者から不満の声が上がる。そこで、「公平感」のために、被災しなかった船も公的資金で更新をした。

5t未満船で被害を受けなかった老朽化漁船(主に木船)については,復興基金(「漁業振興特別助成事業」助成率:2/3)で更新できるようにした。これは漁船の被害を受けた人が新造船で,そうでない人が古い船ということでは,「公平感」が得にくいということでの対応であった。

漁業の経済規模を無視して、巨大な漁港を作り、津波の被害を受けたかどうかを問わずに、島の漁船を補助金で新造した。これらの手厚い補助によって、漁業のインフラはすっかりリフレッシュされたわけだ。

 漁業の現状について

奥尻町のウェブサイトには、

奥尻町は、四方を日本海に囲まれていることから、豊富な水産資源の恩恵を受けながら漁業を主産業として発展し、古くから「宝の島」、「夢の島」と呼ばれ続けてきました。本町の水産業は、イカやマス、ホッケなどを対象とする漁船漁業と、ウニやアワビを対象とする磯根漁業に大別されますが、新しい奥尻の水産業は21世紀に向けて既に動き出しています

と書かれている。このサイトを見ても「がんばってます」というアピールだけで、島の主産業である漁業が、今どういう状態なのかはまるでわからない。

奥尻町の水産動向について新しい数字が国交省のレポートにあった。(このレポートによると、防災目的で、さらに83億円もかけて、港湾整備を平成30年まで整備するようですね。そのころ、島の人口はどのぐらいに減っているのだろう?)

http://www.hkd.mlit.go.jp/topics/singi/h221104_2_6_1.pdf
P4

漁業者101人で漁獲高1億9300万円だから、一人あたり 年収 191万円ということになる。しかも、操業コストが高いイカが主流なので、利益はほとんど出ないだろう。もしかすると赤字かもしれない。この島に住むなら、延々と借金を返して、インフラの維持費を払い続けないといけないのだから、ハードルは更に高い。この状況では、新規加入など夢のまた夢だ。

新規加入が途絶えた状態で、深刻な高齢化が進んでいる。跡継ぎがいない高齢漁業者をいくら手厚く保護したところで、長い目で見て、漁業の再建にはつながらない。

 

養殖施設(ハコモノ)の建造にも余念が無い。99年に完成した「あわび種苗育成センター」によって、年間を通して安定したアワビが供給されることになっていた。http://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_zyoho_bako/tokutei/pdf/sub82_07.pdf

奥尻町のアワビの水揚げ金額のデータはここにあるのだけど、種苗センターが稼働してからも低迷している。

町は「捕る漁業」から「育てる漁業」への転換を目指すが、99年に完成した「あわび種苗育成センター」の漁業者への種苗提供は、2003年度の15万個から10年度は7万4千個に半減している。
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko111030.html

種苗育成センターは、地域漁業の救世主にはなりそうにない。むしろ、維持費を誰がどう負担していくかが心配だ。

防災教育旅行に未来はあるか?

観光客は1990年度の58563人から、2010年度は36100人へと、6割も減っている。現状では、「 防災教育旅行で、津波から復興」とは言えないだろう。復興バブルがはじけたあとに残ったのは箱物だけ。それを利用せざるを得ないというのが実情ではないだろうか。奥尻観光協会のサイトに、巨大コンクリート構造物の写真がある。わざわざ時間をかけて、こういうものを見に行きたいとは思わない。また、防災訓練にしても、遙かな離島でやるよりも、自分の生活圏でやることが重要だろう。朝日新聞が主張する「観光防災で町おこし」というのは、無理があると思う。

 「水産土木栄えて、水産業滅ぶ」の愚

奥尻のデータをみると、漁業が産業として成り立っておらず、新規参入が途絶え、漁村が消滅に向かっているように見える。奥尻に限らず日本の多くの漁業は、収益性が低く、魚を捕っても生活できない状態だ。これを放置したまま、ハコモノにどれだけ公的資金をつぎ込んでも効果が無い、というのが奥尻の教訓だろう。

日本の漁業政策は、「漁場の利用は漁師に丸投げしておいて、インフラ整備をすれば漁業は良くなる」という基本方針がある。震災をきっかけにこの方針が、かつて無いレベルで達成できたのが奥尻の事例と言えよう。奥尻の事例からわかったことは、産業政策を無視して、公共事業にいくら予算を投入しても、無駄だということ。今の考え方は根本的に間違えているのである。自治体は、急速に衰退している現状を無視して、「あんなことをやってます」「こんなこともやってます」と宣伝ばかりするのだけど、様々な取り組みが機能していない現実を認めた上で、別の対策をとるべきではないだろうか。

奥尻の復興をどうとらえるかはくっきり分かれる。行政、自治体、農協、漁協はおおむねポジティブな評価。公的資金を配った側ともらった側は自画自賛をしている。一方、地方の衰退が将来の部数減少に直結する地方紙にとっては、死活問題であり、当事者視点できちんと分析している点が面白い。

過去の失敗をうやむやにしている限り、同じ失敗を繰り返すことになる。奥尻は採算度外視で、全ての漁業インフラを最新の大規模なものに切り替えたが、漁業の衰退は進む一方だった。三陸漁業の復興でも同じような議論がなされている。宮城にも、岩手にも100以上の大小様々な漁港がある。10年後には使う人が無いような所も少なくない。「利用者がいるかどうかは関係なく、すべての港を元通りにしましょう。これまで以上に高い大規模な防潮堤で沿岸を覆い尽くしましょう」というような話が着々と進行する一方で、魚を獲っても生活が成り立たない漁業の現状には何ら手を加えようとしない。だから、この先に希望がもてない漁業者がどんどん離れているのが現状だ。震災復興のために増税までして、三陸漁業を、今の奥尻のような状態にすることに、何の意味があるのだろうか。残るのは、人がいなくなった漁村と、コンクリートの巨大建造物と、返すあてのない借金だけだろう。

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from 18 Mar. 2009

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