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無責任発言時代の終焉

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岩崎氏は今までもいろんな場面で、ちょっかいを出してきてたんだけど、面倒くさいから完全にスルーしてきた。反論する価値がないから。読めばわかると思うけど、岩崎氏の文章は不明瞭で、説得力がまるでない。2ちゃんねるのような罵倒しかできない人間が登場したところで、自らの陣営の評価を下げるだけだ。俺にしてみれば、痛くもかゆくもないどころか、放置しておいた方が得ということになる。岩崎氏には、血圧に気をつけて、末永くがんばってもらいたいです。

今回、初めて反論をした理由は2つある。一つは、岩崎氏が、水産庁→北まき理事という輝かしい経歴を隠したことだ。せっかくオウンゴールをしてくれたのだから、彼の経歴を紹介しない手はない。もう一つの理由は、「TAC制度をちゃんと見直ししないとこうなるぞ」という見せしめだ。水産庁が「IQすらやりたくない」と駄々をこねるなら、俺は手加減しない。TAC制度を現状のままで擁護する自信があるなら、好きにすればよい。

 これには後日談がある。岩崎氏は俺の反論に対する反論を水産庁の幹部のみに配布したらしい。威勢良く登場したくせに、少し反撃されただけで、仲間内に引きこもってしまったのだ。あまりの雑魚っぷりに笑ってしまったよ。文句があるなら、みなと新聞に投稿すればよいのに。

岩崎氏は、今年の3月に「勝川の連載をやめろ」とみなと新聞に怒鳴り込んだのだが、みなと新聞サイドは「連載はやめませんが、反論があるなら掲載します」といって、岩崎氏のために紙面を確保した。こうして、岩崎氏の反論が掲載されたのだ。反対意見もちゃんと掲載するというのは、メディアとして実に公平じゃないか。実は、岩崎氏よりも2ヶ月前に全く同じ行動をとった団体がある。ZGRだ。5人ぐらいで挑んでくるという話だ。どうやって料理しようかと、手ぐすね引いて待っているんだけど、全然出てこない。もう待ちくたびれたよ。また、お得意の「出す出す詐欺」ですか?

Comments:6

県職員 08-05-28 (水) 17:26

水産振興という小冊子に「沿岸漁業への参入自由化を駁す-高木委員会提言・規制改革会議答申を吟味する」というタイトルで,東大の加瀬教授という方が寄稿していました。内容を一瞥しただけですが,色々と面白いことが書いていました。既にお読みになっているかも知れませんが,参考まで。

勝川 08-05-29 (木) 14:32

情報をありがとうございます。
ざっと読みましたが、予想通りの内容の無さでした。
改革に反対なのはわかったけど、
では漁業をどうするというビジョンがまるでないです。
「文句があるなら、対案をだせ。
それとも漁業が今のままで良いと思っているのか?」
というのが、感想です。

業界紙速報 08-06-03 (火) 17:35

きょうは業界紙ではなく、偶然この小冊子をみつけたので読んでみました、その感想を。
なんか虚脱感を覚えるというか、つまらないものです。小子は、制度面については何も知らないのでなにも言うことはできませんが、「現行漁業制度の下では漁業経営もままならず、日本の水産業は衰退を免れない」とは申し上げたい。筆者は現・東大教授であらせられ、「漁業経営の困難は、漁業における収支関係を困難にしている客観的な事情に由来している」と(いつも)言っておられるのですが、どうすればその困難に立ち向かえるか、浅学な小子は具体的な方策を提示されたのを見ておりません。まさか、「現行漁業制度の存在理由を確認した上で、それを将来に向けて創造的に革新していく努力は怠らないこと、加えて漁業経営の客観的な困難を漁業系統団体の力によって地道に打開していくこと」が、具体的な処方箋なんて言わないですよね。

ところで、この小冊子のなかで小子が疑問に思っている下記について、どなたか教えていただけないでしょうか?

その1
「筆者は端的に、資本主義社会における資源管理の目的は漁業経営の維持であると考えるから、MSY水準は資源管理の目標にはなり得ないと考える。(P.41)」
筆者がことさら「資本主義社会」と唱えるのは、「現実の世界が商品経済社会であり、消費市場の量的規模は短期的には伸縮することはできず、水産物は腐敗することなしに食料不足地域へ輸送・貯蔵するためには莫大なコストを必要とし、そのコストは市場メカニズムの中で消費者によって支払われなければならない。そうした状況の下で、資源管理が理想的に成功して、あらゆる魚種でMSYが実現してしまったら、魚価は暴落し、漁業経営は成り立たなくなるだろう。」ということを前提としているからでしょうが、このなかの「魚価の暴落」について、さらっと自明のことのように読み流せるものなのでしょうか? (以前、どこかで見たことがあるような気がします。)

その2
P.45に教授は、MSY理論は極めて非科学的な仮定の上に成り立っているように私には思われるとして、MSY理論を援用したABCの算出にどれだけの科学的基礎があるのだろうか、と疑問を投げかけ、エコノミストによる株価や外国為替相場の予想ほどには当てずっぽうではないとしても、利害関係者を納得させるだけの「科学性」を有しているとは思われない、とおっしゃっています。東大の経済出身である現・東大教授にこのように言われたエコノミスト諸氏にはお気の毒ですが、利害関係者が納得する「科学性」とはどのようなものを想定すればいいのでしょうか?前述の「魚価の暴落」を導き出すことができるような理論なら十分な「科学性」を有しているということでしょうから、前記その1については是非解答が知りたいです。

最後に、どうしても腹に据えかねるのは、p49に「そもそも二〇〇海里外の海域の資源量までも含めてTAC量の少なさを問題にしている真意を疑う」と書いてあるサンマ。これは、MSY理論を援用して導いたTACじゃなくて、漁業経営を支援するために実施する生産調整でしょうに。(そうか、制限を解いて漁獲が爆発的に増えると漁業経営が難しくなるのかっ。)

業界紙速報 08-06-05 (木) 18:00

みなと新聞「市場原理主義」は有効か 規制改革会議第二次答申をめぐって
  規制改革会議答申の基本性格 上(4日付) 下(5日付)

なぜ、いま昨年12月25日提出の内閣府規制改革会議第2次答申への反論なのか、まったく理解できないところで、小冊子の先生が書いておられます。昨年2月の「第1次答申では、水産業関係の規制緩和論が林業と合わせてたったの2行であったことを想起すると、第2次答申に新規事項を盛り込むための関係者の暗躍のほどが透けて見える極端なまでの変化」とは、なんたる書きっぷり。関係者の暗躍が透けて見える、なんてサスペンスじゃあるまいし、誰が書いた文章かと思ってしまいます。小冊子といい本コラムといい、常軌を逸した表現振りは岩崎氏よりひどい。本日の「下」は、水産関係のことはなにも書いてないので、まったく読む価値はない。以下は、「上」からの引用です;

≪第2次答申における水産業改革の内容は、文字面を離れてその実質を端的にいえば、①沿岸漁業における参入自由化と、②漁協組織圧縮・権限弱体化の2点である。この両者は論理的に不可分であり、養殖業・定置網漁業への外部企業の参入を自由化するためには、漁業権の運営上で漁協が重要な役割を果たしている現状を打破しなければならないから、漁協の漁場管理に関する権限と組合員の経営と直結する漁協経済事業の縮小が必要となるのである。≫
小子は、先日「現行漁業制度の下では漁業経営もままならず、日本の水産業は衰退を免れない」と言い放ったのですが、①と②は不可分のものなのでしょうか?現状を打破するために沿岸漁業への参入自由化が不可欠であるとは思っていないのですが、この論旨にはついていけません。

≪「規制改革」をうたう審議会が資源管理強化という「規制強化」を提言しているという、一見すればパラドックスと思われる事態も、漁協を通さない資源管理方式―IQ、ITQは漁協の漁場管理権限をなくし、行政と個別経営が直接向き合う制度である―を実現して、漁協の存在理由を一挙に奪っていく手段であると考えれば理解しやすい。≫
「規制改革」ではなく「規制緩和」とすればもっとわかりやすい文章になったのでしょうけど、誉められる言い方ではないでしょう。ところで、いつもそうなんですが、「資源管理が漁協の存在理由を奪う手段である」と考えても、なかなか理解できません。論理の飛躍はない?小子には理解できません。

≪漁業金融の強化という「規制緩和」とは無縁の提言が紛れ込んでいる理由も、漁協系統の金融事業を圧縮して、新規参入企業への金融を民間金融機関に任せ、組合員と漁協事業とを切り離す意図に基づいていると解釈できる。もちろん、民間企業がリスクの多い漁業金融に本当に乗り出すのかどうかはまゆつば物であるが、それは答申の関心事ではないだろう。≫
ここではちゃんと「規制緩和」となっている、う~む。ところで、漁協について小子は、その金融事業には問題があることから組織の見直しが必要であると思います。現行、世情の金融事情が穏やかならざるときに、果たして現在の系統金融がその設立理念に沿った機能を果たせるのか、まことに疑問です。村のなかだけでやり繰りがつくのであれば結構なことですが、外部との取引きがあるからには、金融機関として仕事をするために越えるべきハードル(BIS規制なり金融庁検査なり)を越せないならば、金融機関としての機能は放棄せざるを得ないでしょう。すると、漁業金融が手薄になってしまうので、その部分をなんとかしなければならない、ということではないでしょうか?だいたい、新規参入企業への金融は、そもそも民間金融機関が行うものであって、このことが組合員と漁協事業を切り離す意図に基づいているとは思えません。被害妄想じゃないのかな?
これについては、民間金融機関の再編をみれば、現実の厳しさは明らかです。漁協は違うというかもしれませんが、逆に銀行は昔のままでいいんだよ、と思っているひとはいないでしょう。住専の問題が噴出したとき、農協関連資金が優先的に保護されたことを国民は忘れていないと思います(小子は決して忘れません)。
それにしても、小子と同様、この先生も最後に一言いわないと気が済まないようですが、民間企業がリスクの多い漁業金融に本気で乗り出すわけがない、と考えているのであれば、そのようなリスクの多い事業に乗り出す「意欲も能力も資本力も」有している外部企業がある、と先生は本気では思っていないんじゃないかなあ。

≪……漁業経営の悪化の原因は、燃油価格の暴騰や飽和的輸入による魚価低迷といった客観的事情にはなく、意欲も能力も資本力も無い漁業者が漁業から退場せずに漁場を占有していることこそその原因であると考え、……≫
ここで言う「燃油価格の暴騰」は後出しジャンケンで反則でしょう。昨年12月の答申のときであれば、この言葉は使われなかったのではないでしょうか?ここで、小子も多言を弄することをご容赦ください。以下のコメントは、鈴木衆院議員が3月28日に水産ジャーナリストの会三月研究会で講演したときのお話です。;
『経営体質も大きなポイントで、省エネ体質に転換することが必要だ。数次のオイルショックで他産業は、省エネ体質に転換できたが、水産業はエネルギー効率が良くなく、「喉元過ぎれば」で、真の構造改革につながらなかった。燃油価格の高止まりを覚悟し、ピンチをチャンスに転換すべきだ。
漁業の特性から「早い者勝ち」の競争が働き、燃油の多消費構造になっているが、速度を落としたり、光力を抑制、まき網漁業で探索や運搬の共同化など実績が上がっており、漁業者の意識改革が求められる。燃油価格で価格差補填の要望が強いが、辛いことだができない。かつて、燃油対策資金を講じたが、負債になってしまった教訓もあり、多消費構造の温存につながる。』
小子は、政治家の話を聞くときには眉に唾するものと思っておりました。しかし、水産業界を応援していると目される政治家が、今回の燃油高騰に対する水産業界の対応には眉をひそめているのですから。後出しジャンケンみたいに経営悪化の原因として挙げられた客観的事情、燃油高騰は、小子が知る限りでも3度目のことであり、このことに対応できていない業界は、世間から「自分ではどうにもならない原因で経営が苦しくなって、かわいそうなこと」なんて思ってもらえるでしょうか?

小子は、高木委員会の提言や規制改革会議答申に全面的に賛成するものではありませんが、これらが水産業界に波紋を起こしたことについては拍手を送るものです。第一次答申に水産関係の記述がなかったときのことは自分でも覚えており、もはや産業分野として認められていないのか、という気分でした。それが第二次答申では別物のような取扱いで驚きました(確か、このブログに報告したような気がしますが)が、これを関係者の暗躍のせいだ、なんて思ってもみませんでした。大学の先生がこんなことを考えるとは驚愕の極みです。有識者、学識経験者と呼ばれ、よりよい社会を実現するために世間一般のひととは別の能力を発揮するものとして重用されている人たちが、どのように議論を深めていってくれるのであろうかと期待していたのですが、はっきり言って「揚げ足取り」ばかりで現状をどのように変革していけばよいか、具体的な提案はみたことがありません。鈴木議員の講演については実は業界紙で読んでいたのですが、浅はかにもその真意に迫ることができませんでした、政治家の発言には眉に唾していたものですから。しかし、東大の先生が後出しジャンケンで出した燃油のことを、こんなに明確に「水産業界の皆さん、しっかりしなさい」と叱咤激励しているのです(しかも3月28日に、です)。大学の先生は忙しいから、業界紙なんか読まないでしょうし、政治家の話なんか聞かないんでしょう。それだったら、下世話な話題はやめにして、高所から貴重な御意見をうかがいたいものです。

業界紙速報 08-06-09 (月) 18:35

本日の水産通信の3面に、「全資源に年間規制設定へ 米国、過剰漁獲資源解消に本腰」という記事があります。

国家海洋局(NMFS)は五日、連邦管轄水域(三~二○○浬)の四一の漁業資源がまだ「過剰漁獲水準」にあるとして、二○一○年までに過剰漁獲魚種に対し年間漁獲制限(ACL)と義務的措置(AM)を設定、残りの全資源についても一一年にACLとAMを設定し、過剰漁獲資源の解消を図る新管理方式を提案すると官報公示した。一般の意見を募ったあと、新管理方式を導入する。
この規制はブッシュ大統領が署名して昨年発効した「マグナソン・スティーブンス漁業保存管理改正法」が求めている「国家基準1」を具体化するもの。同法では、海洋漁業資源管理について、全米に八つある地域漁業委員会(RC)の権限強化と、RCの下部組織である科学統計委員会(SSC)の科学に基づいた漁獲枠の設定を優先するように求めている。
官報によると、○八年末に処女資源量に対して四割以下となる「過剰漁獲水準」と認定された資源については、RCがACL及び年間漁獲目標(ACT)とAMを策定、一○年の漁業管理計画(FMP)でACLを設定するようにRCに求めている。○九年に過剰漁獲と認定された場合は、可能な限り一○年でACLを設定、できなければ一一年に設定すべきとした。さらに、過剰漁獲でない他の全ての資源についてもACLとAM方式に移行、一一年までにACLを設定すべきとした。そして、最終的に過剰漁獲資源を解消するだけでなく、二度と過剰漁獲資源を生まないよう求め、全魚種とも最適維持生産量(MSY)を維持できるようにするとしている。
マグナソン・スティーブンス漁業穂損管理改正法では用語の定義を決めていないため、同官報では、過剰漁獲水準(OFL)、生物学的許容漁獲量(ABC)などを定義している。OFLは漁獲がこれを超えた場合、過剰漁獲となる漁獲量と規定、ABCはOFL設定の科学的不確実性を担保する水準とし、AMは漁獲がACLを超過しない方策と定義した。ACTはACLを実施する際に実際の漁獲集計の不確実性や集計ミスを担保するもの。以上から、各項目の位置付けを「OFL≧ABC≧ACL≧ACT」と定義づけた。

以上に続いてこの記事では、同官報では、これまでの米国の漁業管理の結果、それでもなお○七年十二月末時点で四一の資源が過剰漁獲である現状について、八つの理由を挙げていることを報じています。このようなきめ細かい対応は利用魚種の多い我が国では不可能だ、ABCなんて非科学的で恣意的だ、と言い募るのが大人の対応だと言えるのでしょうか?まさに、東大の先生が「資本主義社会における資源管理の目的は漁業経営の維持であると考えるから、MSY水準は資源管理の目標にはなり得ないと考え」、「MSY理論は極めて非科学的な仮定の上に成り立っているように私には思われる」としているMSYを、全魚種で維持できるようにするとの目標を掲げているものですから、少し驚いた次第。

勝川 08-06-20 (金) 3:58

規制改革答申の問題点を指摘するように指示されたんだろうけど、
資源管理なんてまるでわかっていないから、
抽象的なイデオロギー論をこねるしかできないのでしょう。
ZGRも無理難題を押しつけて酷なものです。

あと、日本ではMSYを頭ごなしに否定する学者が多いですが、
はっきりいって勉強不足である場合がほとんどです。
MSYの概念も時代とともに進化しているのですが、
日本の学者は1950年代のカビが生えたMSYを批判しているのです。
古典的な狭い定義でのMSYは確かに非現実的ですが、
理念としてのMSYは今日でも有効です。
MSYの実現は、国連海洋法条約にもうたわれています。

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