スケトウダラ日本海系群については、漁業を緊急停止して、
資源だけでも次世代に残すべきだと思う。
しかし、それは出来ない相談のようだ。
漁業者だってカスミをくって生きていけるわけではないし、北海道も金なさげ。
資源回復計画で、禁漁に近い措置がとれるかどうかが最後の期待だったが、
でてきたのが努力量の1割削減という時点で、アウトだろう。
俺が北海道の資源評価に参加した2004年が、
この漁業を存続させるための最後の勝負所だったとおもう。
すったもんだの議論をした上で、なぜか大甘なABCになり、
さらに輪をかけてダメなtacが設定された時点で負けだった。
俺としても、所詮はABC止まりという、研究者の限界を思い知らされた。
資源管理という意味では、完全な失敗。
これ以上ないぐらいの惨敗だ。
時計の針を戻すことはできないし、この漁業を守る手段は俺にはない。
だからといって、クジラだとか、海洋環境だとか、予算不足だとか、
そういう外部要因に責任転嫁して溜飲を下げればよいというものではない。
歴史を遡って、管理の失敗点を明らかに下上で、
スケトウダラ日本海系群の失敗を教訓を他の漁業へ活かすべきだ。
これがスケトウダラ日本海系群に関わった研究者の義務である。
俺が最も骨身にしみた教訓は、
「減ってからだと、何もできない」
「平常時(減る前)の準備で勝負は決まる」
「卓越年級群に過度な期待は禁物」
ということだ。
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Comments:1
- 匿名甘えヒト 07-10-16 (火) 23:45
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>アウトだろう。
手厳しいが、事実でしょうな・・・
一つ前に
>すでに漁業者に方向転換をする体力はない。
と書かれていましたが、これもまた事実でしょう。
>これ以上ないぐらいの惨敗だ。
>失敗を次に活かすのが敗者の義務これって、研究者の立場ですょね。
体力のない漁業者は、この失敗は次に活かすことはできない・・・最近、でもないか、随分前から、思っていたコトがあります、というか、ここでも、手を変え品を変え、言い続けていることですが。
>「減っていない、まだ獲れる」と言い張って、獲り続けたのは、漁業者自身であり、
と漁業者をばっさり切り捨ててしまいますが、彼らの目は海洋資源をどのように捉えていたのでしょうか?・・・「獲れば獲れるんだぁ」・・・「来るものは拒まず」・・・???・・・
以前「資源の減少は自然の法則」的な漁業者サイドの発言に対し、「自分に都合のいいトコだけをとっている」と氏は批判しましたが、「いいトコ取り」をする程度には、彼らも勉強(?)しているわけです。では、何故、誰が、彼らの「信仰」を培ったのでしょう?
きつい言い方をすれば、「無知」が根本原因なのであって、それを放置してきた者にも責任の一端はあるのではないでしょうか?
漁師の武器は、経験と漁獲技術です。でも、資源管理論を学び、自らの物にしている漁師は国内にどのくらいいるのでしょうか?
「学ばないのが悪い」「やる気があれば学べたはずだ」と突き放すのは簡単です。「資源は失われ、コミュニティーは崩壊する」「この経験を次に活かす」
研究サイドが、その経験を次に活かそうとしても、実践者が理解しなければ、絵に描いたモチです。
資源管理がうまくいくための4原則の一つに「資源の崩壊を経験したことがある」というのがありましたが、その場合でもコミュニティーまでは崩壊していないわけですょね。つまり、経験者がいなくたってしまえば、何も始まらないわけです。法律による規制と監視の徹底をするのが特効薬なのか。
社会教育が漢方薬的に働くのか。
それとも、
「高木提案」の実践が水産資源の安定供給につながるのか。
いずれにせよ、
理解を得る努力も、もっともっと必要なのでしょう。あっ・・・行政と政治家センセの事を忘れていました。
彼らは・・・どーしょぉ・・・
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