- 2012-05-31 (木) 9:29
- 三陸漁業復興
1993年の北海道南西沖地震とそれに続く津波によって、奥尻島は甚大な被害を受けた。東日本大震災をきっかけに、奥尻島の復興について触れられる機会が増えてきた。奥尻の復興については、意見が分かれている。農林中金(農協系金融機関)や朝日新聞は、復興をポジティブにとらえているが、北海道新聞をはじめとする地方紙は、地域の衰退を問題視している。
農林中金
http://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n1108jo1.pdf
水産業の復興が順調に進んだ要因として,①漁協による漁業者への対応,②漁船の共同利用,について述べる。
朝日新聞
http://www.asahi.com/edu/news/HOK201202120002.html
防災教育旅行を積極受け入れ 津波から復興果たした奥尻町
問題点を指摘しているのは、岩手日報、河北新報、北海道新聞などの地方紙。
岩手日報
奥尻島ルポ(下) 町悩ます過疎、高齢化
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko111030.html
高齢化率は30%を超し、毎年、地元高卒者約25人は進学や就職でほぼ全員が島を出る。2集落が震災で消滅し31集落が残ったが、96年から限界集落(住民の半数以上が高齢者)が現れ始め、今年3月末には8集落に拡大。1集落が消滅した。
高齢化は防災対策の見直しも迫っている。低地から5分以内の高台避難を目指し、42カ所の避難路を整備したが、階段やスロープが急で高齢者の利用が難しくなっている。
新村町長は「高齢化対策に取り組んでくるべきだった。建物などもコンパクトに造る必要があった」とする。
河北新報
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm
集落再生のほか、防潮堤建設なども含めた復旧・復興事業の総事業費は763億円に上る。工事は被災者の雇用を維持し、島外から最大2000人の作業員が入る「復興特需」が島を潤した。半面で町の事業費負担158億円が財政を圧迫した。地方債残高は92年度の39億円から98年度には94億円に膨張。年間約40億円の町予算のうち、償還額が7億~10億円という状態が続いた。
復旧・復興事業が終了した島は停滞感が漂う。人口は1960年の約7900人をピークに減少を続けており、2010年の国勢調査速報値では3041人で、05年からの人口減少率は16.5%に達した。
高齢化も著しく、ことし8月末現在で65歳以上の高齢者は人口の31.7%を占める。就職先が島にないため、25人前後の奥尻高の卒業生ほぼ全員が進学などで島を出ていくのが現状だ。
北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/touhokukou2/
復興しても人が減る 奥尻の教訓、もがく被災地
義援金5年で消えた■街の活性化 手回らず
義援金は5年でほぼ使い切った。さらに高台移転などの復興関連事業で町が支出した158億円の借金返済が、その後の町財政を圧迫。街の活性化に回せる財源は狭まった。
奥尻島の復興について
具体的にどのような復興施策が行われて、その結果、どうなったかを見てみよう。
1993年の奥尻地震では、津波によって沿岸漁村は壊滅的な打撃を受けた。被害総額は664億円となっている。復興事業費は763億円(国221億、道384億、町158億)。それとは別に、義援金が総額190億円寄せられた。被害地域が局所的であったために、被害額を上回る復興事業費が準備できたのだ。潤沢な資金を背景に、手厚い被災者支援事業を展開することができた。
住宅を新築する場合は見舞金も含めて1世帯に最大約1400万円を配分した。青苗の住民を中心に結成された「奥尻の復興を考える会」の会長だった明上雅孝さん(61)は「義援金のおかげで自己負担なしで家を建てた人もいる」と振り返る。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm
義援金が集まりすぎて、配るのに苦労をしたという話をきいたことがある。義援金をそのまま現金で配ったら、島の老人たちは、町に出た子供や孫の家のそばにマンションを買って出ていってしまうかもしれない。人口流出を防ぐために、島の中に新しい家を建てるのを補助するというような方式にしたらしい。「被災者にとって、何が幸せか」というよりは、「なんとか島の人口を維持したい」という切実な思いがあったのだろう。
防災のための大規模な公共事業が行われた。数年間は復興特需で潤ったが、後には巨額の借金が残された。
町の事業費負担158億円が財政を圧迫した。地方債残高は92年度の39億円から98年度には94億円に膨張。年間約40億円の町予算のうち、償還額が7億~10億円という状態が続いた。
「負担は大きく、その後の産業振興などに十分な予算を回せなかった」。地震発生時の町総務課長で、助役を経て2001年から町長を1期務めた鴈原徹さん(68)が嘆く。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1071/20110920_02.htm
漁業の復興にも、潤沢な予算が投入された。そのディテールについては、農林中金のレポートの後半部に説明がある。
被災漁船を公的資金で準備する場合には、漁協に漁船を与えて、複数の漁業者が共同利用することが前提となっている。しかし、制度運用によって、漁業者個人所有の船を、新調したのと近い状況になっている。まず、個々の漁業者の希望に添った船を新調し、貸し与えた。この時点では、漁船は漁協の所有なのだが、5年後に減価償却で費用が10%に減少したとして、格安で利用者に売却した。結果として、漁業者は、ほぼ公的資金で、自分の好みの新船を建造できたのである。日本では漁業者が減少し、どこでも漁船が余っている。そういう中古漁船を持ってくることも可能だったはずだが、公的資金で新調してもらえるなら、新船の方が良いに決まっている。共同利用漁船の導入実績は,新造船249隻,中古船購入9隻であった。
被災漁民への大盤振る舞いに対して、船が被災しなかった漁業者から不満の声が上がる。そこで、「公平感」のために、被災しなかった船も公的資金で更新をした。
5t未満船で被害を受けなかった老朽化漁船(主に木船)については,復興基金(「漁業振興特別助成事業」助成率:2/3)で更新できるようにした。これは漁船の被害を受けた人が新造船で,そうでない人が古い船ということでは,「公平感」が得にくいということでの対応であった。
漁業の経済規模を無視して、巨大な漁港を作り、津波の被害を受けたかどうかを問わずに、島の漁船を補助金で新造した。これらの手厚い補助によって、漁業のインフラはすっかりリフレッシュされたわけだ。
漁業の現状について
奥尻町のウェブサイトには、
奥尻町は、四方を日本海に囲まれていることから、豊富な水産資源の恩恵を受けながら漁業を主産業として発展し、古くから「宝の島」、「夢の島」と呼ばれ続けてきました。本町の水産業は、イカやマス、ホッケなどを対象とする漁船漁業と、ウニやアワビを対象とする磯根漁業に大別されますが、新しい奥尻の水産業は21世紀に向けて既に動き出しています
と書かれている。このサイトを見ても「がんばってます」というアピールだけで、島の主産業である漁業が、今どういう状態なのかはまるでわからない。
奥尻町の水産動向について新しい数字が国交省のレポートにあった。(このレポートによると、防災目的で、さらに83億円もかけて、港湾整備を平成30年まで整備するようですね。そのころ、島の人口はどのぐらいに減っているのだろう?)
http://www.hkd.mlit.go.jp/topics/singi/h221104_2_6_1.pdf
P4
漁業者101人で漁獲高1億9300万円だから、一人あたり 年収 191万円ということになる。しかも、操業コストが高いイカが主流なので、利益はほとんど出ないだろう。もしかすると赤字かもしれない。この島に住むなら、延々と借金を返して、インフラの維持費を払い続けないといけないのだから、ハードルは更に高い。この状況では、新規加入など夢のまた夢だ。
新規加入が途絶えた状態で、深刻な高齢化が進んでいる。跡継ぎがいない高齢漁業者をいくら手厚く保護したところで、長い目で見て、漁業の再建にはつながらない。
養殖施設(ハコモノ)の建造にも余念が無い。99年に完成した「あわび種苗育成センター」によって、年間を通して安定したアワビが供給されることになっていた。http://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_zyoho_bako/tokutei/pdf/sub82_07.pdf
奥尻町のアワビの水揚げ金額のデータはここにあるのだけど、種苗センターが稼働してからも低迷している。
町は「捕る漁業」から「育てる漁業」への転換を目指すが、99年に完成した「あわび種苗育成センター」の漁業者への種苗提供は、2003年度の15万個から10年度は7万4千個に半減している。
http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/saiko/saiko111030.html
種苗育成センターは、地域漁業の救世主にはなりそうにない。むしろ、維持費を誰がどう負担していくかが心配だ。
防災教育旅行に未来はあるか?
観光客は1990年度の58563人から、2010年度は36100人へと、6割も減っている。現状では、「 防災教育旅行で、津波から復興」とは言えないだろう。復興バブルがはじけたあとに残ったのは箱物だけ。それを利用せざるを得ないというのが実情ではないだろうか。奥尻観光協会のサイトに、巨大コンクリート構造物の写真がある。わざわざ時間をかけて、こういうものを見に行きたいとは思わない。また、防災訓練にしても、遙かな離島でやるよりも、自分の生活圏でやることが重要だろう。朝日新聞が主張する「観光防災で町おこし」というのは、無理があると思う。
「水産土木栄えて、水産業滅ぶ」の愚
奥尻のデータをみると、漁業が産業として成り立っておらず、新規参入が途絶え、漁村が消滅に向かっているように見える。奥尻に限らず日本の多くの漁業は、収益性が低く、魚を捕っても生活できない状態だ。これを放置したまま、ハコモノにどれだけ公的資金をつぎ込んでも効果が無い、というのが奥尻の教訓だろう。
日本の漁業政策は、「漁場の利用は漁師に丸投げしておいて、インフラ整備をすれば漁業は良くなる」という基本方針がある。震災をきっかけにこの方針が、かつて無いレベルで達成できたのが奥尻の事例と言えよう。奥尻の事例からわかったことは、産業政策を無視して、公共事業にいくら予算を投入しても、無駄だということ。今の考え方は根本的に間違えているのである。自治体は、急速に衰退している現状を無視して、「あんなことをやってます」「こんなこともやってます」と宣伝ばかりするのだけど、様々な取り組みが機能していない現実を認めた上で、別の対策をとるべきではないだろうか。
奥尻の復興をどうとらえるかはくっきり分かれる。行政、自治体、農協、漁協はおおむねポジティブな評価。公的資金を配った側ともらった側は自画自賛をしている。一方、地方の衰退が将来の部数減少に直結する地方紙にとっては、死活問題であり、当事者視点できちんと分析している点が面白い。
過去の失敗をうやむやにしている限り、同じ失敗を繰り返すことになる。奥尻は採算度外視で、全ての漁業インフラを最新の大規模なものに切り替えたが、漁業の衰退は進む一方だった。三陸漁業の復興でも同じような議論がなされている。宮城にも、岩手にも100以上の大小様々な漁港がある。10年後には使う人が無いような所も少なくない。「利用者がいるかどうかは関係なく、すべての港を元通りにしましょう。これまで以上に高い大規模な防潮堤で沿岸を覆い尽くしましょう」というような話が着々と進行する一方で、魚を獲っても生活が成り立たない漁業の現状には何ら手を加えようとしない。だから、この先に希望がもてない漁業者がどんどん離れているのが現状だ。震災復興のために増税までして、三陸漁業を、今の奥尻のような状態にすることに、何の意味があるのだろうか。残るのは、人がいなくなった漁村と、コンクリートの巨大建造物と、返すあてのない借金だけだろう。
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