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猿払村は、いかにして地域漁業を復興させたのか?

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一つ前のエントリで、今までの復興政策では、漁業は衰退する一方だということを示した。では、水産業に金を入れるのがそもそも無駄なのか。というと、そうではない。従来の予算の使い方が未来につながっていないと言うだけの話だ。

では、何を目指すべきだろうか。漁村が中長期的に生き残るために何よりも重要なことは、漁業の生産性を、新規参入できる水準まで改善することだ。同じ北海道の遠隔地である猿払村を例に、未来につながる漁業復興について考えてみよう。猿払村は、北海道の北端に位置する。

 


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猿払組合のサイトはここにある。

http://hotatebin.net/modules/pico/index.php/content0001.html

魚家数が187戸で、売り上げが6,228百万円だから、一戸当たり3300万円の水揚げだ。これなら、跡を継ぎたくもなるだろう。

猿払村の漁業データはこんな感じ。
http://www.machimura.maff.go.jp/machi/map2/01-03/511/fisheries.html

猿払と奥尻の年齢組成を比較すると下のようになる。猿払は20~50代が中心になっている。漁業で十分に生活できる猿払では、若者は再び村に帰ってくるのである。そして、「猿払に生まれて良かった~」と言いながら、海に向かって生活をしているのだ。

利益を出しているホタテ漁業も順風満帆であったわけではない。もともと、このあたりは樺太から産卵のために南下してくるニシンを狙った漁が盛んだった。お隣の網走には、ニシン御殿や、ゴーストタウン化した繁華街のような、ニシン漁で栄えた時代の名残が残されている。過去には日本で一番の漁獲量を記録したこともあるニシンは、昭和30年代に姿を消した(参考:ニシン漁の歴史)。消えたのはニシンだけではない。「乱獲により姿を消してしまったほたて貝、漁業資源は軒並み枯渇、漁業経営が極端に衰退の一途を辿った」のである。獲るものがなくなり、「貧乏を見たけりゃ、猿払に行け・・・」と言われるような状況になってしまったのだ。

この状況から村役場と水産試験所が試行錯誤をして、ホタテ養殖を成功させる。そのプロセスについては次のPDF(よかネットNO.24 1996.11)を読んで欲しい。

http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

漁業には良い年もあれば、悪い年もある。漁師の多くは、まとまった金が入ると、「宵越しの金は持たぬ」とばかりに夜の町で景気よく浪費し、不漁年に借金を増やす。猿払村の場合は、不漁年を確実に乗り切るために給料の天引きが行われている。「天引き貯金を確実に実行するために、組合員には生活費7万円の月給制として強制積み立て」をしたと説明されていた。これが行われたのは、万博景気の昭和45年のことだそうだ。一部の漁協が「漁師の勤労意欲を奪う」と批判をしている「漁師のサラリーマン化」である。漁師のサラリーマン化が進んだ結果、どうなったのか。

漁師さん一人当たりの平均年収が、いまでは4000万円。去年、村を訪ねてみたら、ひと昔まえの大貧乏はどこへやら‥…。白い壁の鉄筋コンクリート三階建ての豪邸が、あっちにも、こっちにも。出かせぎに行く若者は皆無、嫁不足なんかどこ吹く風、北海道の町や村ではまず見かけることのない高級車がひしめいていた。」(村野雅義著、昭和61年刊)
10年後(昭和58年度)、稚内税務署管内の高額納税者(1000万円以上)99人の内59人が、人口3000人余の猿払村の人によって占められることになった。
http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

ホタテ養殖には、ヒモにつるす「垂下式」と、地面にばらまく「地捲き式」の2種類がある。垂下式は所有者がはっきりしているのだが、地捲き式はホタテが移動しているので所有者がはっきりしない。猿払は地捲き式なので、早い者勝ちでホタテを捕っていたら、小さいうちに獲り尽くされてしまう。猿払では天然資源を枯渇させた教訓から、競争を排除して、グループ操業を徹底しているのである。

面白いのが、利益を出している猿払では、グループ操業を徹底しているところ。グループで役割分担や操業の効率化が図られていて、「会社のような感じ」らしい。多くの沿岸漁業が、漁業者同士の競争で自滅しているのとは好対照だ。猿払と同じように利益を出している漁村は他にもあるが、組合長のリーダーシップと地域としてのまとまりがあるのが共通点。

猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び其の意志を我々も子孫もうけつぎ実践することを肝に銘じて建てられた「いさりの碑」に刻まれた「撰文」には、

人間は神々と力を競うべきではない
人間は自然の摂理に従うべきだ

と書かれている。実に共感できる文章ではないか。

猿払の漁業が復興した理由は、次の一文を読めばわかる。

所得のないところに福祉はありえない、両方進めていきたいけれども、どうしてもできない場合は生産の方を先にやらなければならない
昭和45年「過疎地域振興特別措置法」ができた。これに基づく過疎地域振興計画をつくるのだが、猿払付の振興構想は、「住民の福祉向上のためには、一つは産業振興による所得を増大すること。“所得のないところに福祉はありえない”を前提にして、他の一つは生活環境を改善することであるとし、しかもこの双方が並進することが望ましいけれども、とにかく低所得水準の克服を先決とする」と決めた。産業振興の2本柱が「未利用の広大な土地資源を利用した酪農振興と、かつて繁栄した前漁の活用による浅海根付資源(ホタテガイ、昆布)の増養殖とし、さらに、それに加えてこれらの加工産業や特殊林産物の導入を図ることとした。
http://www.yokanet.com/4.yokahitonet/pdf/yokahito1/yokahito1-1-12.pdf

漁家の所得向上が最優先。実に明快ではないか。昭和45年の段階で、とにかく、地域の基幹産業として、酪農と漁業を再生するという意気込みで、背水の陣で望んだのである。奥尻はどうだったか。高齢者福祉と土木工事に公的資金を集中投下して、一時的に潤っても、後に残るのは借金だけだった。三陸漁業は、奥尻と猿払のどちらを目指すべきだろうか。議論の余地は無いだろう。

残念ながら、この国の政治も、行政も、漁協も、奥尻型の復旧をすることしか頭にない。「予算が足りないから増税をしよう」などと言う前に、土木工事偏重の復興のあり方を根本的に見直すべきなのだ。もちろん、漁業の生産性に関わる土木工事は必要だが、漁業の生産性に関する議論がなにもないまま、土木工事だけしていても、漁業が良くなるはずがない。

漁業の生産性とインフラ(港の立派さ)は、ほとんど関係が無い。漁港が立派になれば、「台風の時に船を陸に揚げなくても良い」とか、「水揚げ作業が楽」という利便性はあるが、それによって、漁業の利益が大きく変わるようなものではない。だから、もともと儲かっていなかった漁業のためのインフラを立派に整備したところで、その土地の漁業には未来がないのである。つまり、奥尻型のインフラ再整備では、未来の地域の雇用に寄与しないし、中長期的に見れば、漁業の衰退を緩和する効果すら期待できないのである。これは、やる前から、少し考えればわかる話だろう。

今の水産行政には、漁船などのインフラを整備して、燃油を安くして、今いる漁業者に出来るだけ長く漁業を続けてもらおう、という後ろ向きの発想しかない。新規加入が途絶えた状態で、高齢漁業者が漁業を続けざるを得ない状況をつくったところで、彼らも遅かれ早かれリタイアする。その先の担い手がいないのだから、地域漁業は確実に死に向かっているのである。現在の復興政策は、終末医療と同じようなものである。終末医療に金をいくらかけても、いずれ、命は失われる。

こういう主張をすると「弱者切り捨て」とか、「企業の理論」とか、「アメリカの手先」だとか、意味が良くわからない批判に晒されるのが常なのだが、俺だって、高齢者福祉的な政策を全て無くせと主張するつもりはない。「高齢者福祉に全ての予算を投入しても先がない」と言いたいのである。未来のためと称して、未来には全くつながらないことばかりに金を使って、挙げ句の果てに増税・借金が未来の世代に先送りされ、地域には立派な防潮堤しか残らない。そんな未来は、納税者のためにも地方のためにもならない。

大切なことは、未来につながる漁業をあたらしくつくることだ。そのためには、漁師が魚を獲って生活が成り立つようにしないといけない。漁村に生まれた子供達が、その土地に戻って漁業を継げるところまで生産性を高めないといけない。

そのためにどうすればよいかは、下の二冊の本に書きました。これらの本を読んだ被災漁業者から、「一緒に考えて欲しい」というオファーが来るようになった。時間の許す範囲で三陸に行って、漁業者と協力して地域漁業の生産性を高めるための取り組みを行っている。そう言った取り組みについても、追々、紹介していきます。

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