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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その3

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4/11日に関しては、論点を整理してみよう。

TAC値の根拠が説明されていることが、審議会の資料を見ればわかる

本当にそうなのか、実物を見てみよう。

それから、マイワシでございます。マイワシの資源は低い水準ながら平成7年以降横ばい傾向にありましたが、本年の加入量水準は再び減少傾向にあるとされていることから、平成14年のTACは削減をしたいと考えております。その削減幅でございますが、今回の削減によりまして過去最低のTAC数量となること、またマイワシは漁獲量の年変動が非常に大きいことから、対前年比1割減にしたいと考えております。この結果、14年のTAC総枠は34万2,000トン、うち大臣管理分の大中まき網漁業につきましては18万1,000トンにしたいと考えております。また、都道府県に対する配分につきましては、島根県で 2,000トン、その他の県で1,000トンの減となります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/003.html

これが資料のマイワシ関連の部分なのだが、これに対して質問もコメントも無かったわけだ。これで根拠が示されているとはとうてい思えない。委員に資源のことを理解している人間が皆無な時点で、まともな審議などする気がないのは見え見えだけどね。

この議事録でわかるように、水産庁は肝心な情報を隠している。

  1. 資源量がすでに26万トンまで減少していること
  2. 去年の実漁獲がすでに13万トンまで落ち込んでいること。

これらの2つの情報と照らし合わせれば、34万トンというTACが荒唐無稽であることは自明だろう。しかし、「加入が減ったからTACを10%減らします」という説明では、34万トンのTACの非常識さが全く伝わらない。TACが資源量を超えているという情報を委員は誰一人として知らなかったはずだ。また、TACは水産庁がいくらでも大盤振る舞いをできるが、だからといって魚が増えるわけではない。その前の年は、TACが38万トンに対して、実漁獲はたったの13万トンであった。すでに魚がいないことはわかっていたのだ。この期に及んで、実漁獲の3倍もの過剰なTACを10%削減しても何の意味もないことは自明だろう。

この議事録をいくら読んでも、TAC値の根拠は全く見えてこない。俺には、水産庁が都合が悪い情報は隠蔽し、お手盛り審議会でろくな議論もせずにTACを恣意的に決めているようにしか見えない。ここまであからさまな議事録を、堂々と公開できる神経は、流石としか言いようがない。この件に関しては、実物を自分の目で見て判断することをおすすめします。水産政策審議会の資源管理分科会議事録はここにあります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/
毎年、11月にTAC値の審議が行われますので、そこを重点的に読んでください。

 

TACを前年より若干減らすというフィードバック方式をとっていたから、水産庁の説明はおかしくない

フィードバック方式かなんだか知らないが、資源量を超えるような漁獲枠を出すのは論外。
「フィードバック方式は、かなり有力な手法である」とか自画自賛しているけど、資源量を超えるような漁獲枠を出した時点で、その方法が機能していないのは自明だろう。

実は、フィードバック管理は俺の専門分野だったりするのだが、TACがフィードバック方式なんて初めて聞いた。当時のTACの設定をフィードバック方式の管理と呼ぶのは、全くの論外である。確かにフィードバック制御は使い方次第で効果があるのだが、10%という小さな変動幅では、よほど寿命が長く、変動が小さな資源しか管理できないというのは、我々の間では常識だ。

実際のマイワシの資源を対数で表現すると下のようになる。削減率10%だと、赤線のように漁獲枠が減少していくのだが、実際の減少(青線)はそれよりも急なのだ。毎年、漁獲枠を10%削減し続けても、資源はそれ以上の早さで減ってしまうので、いつまでたっても漁獲にブレーキはかからないのである。10%変動幅でのフィードバック方式で、変動が大きなマイワシを管理できるはずがない。
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さらに、フィードバックをかけているのは、実漁獲ではなく、過剰に設定されたTACであることに注意が必要だ。当時の状況を整理すると、TAC38万トン、漁獲量13万トン、資源量26万トン、ABC2.4万トン(笑)だったわけだ。TACは、資源量の1.5倍、実漁獲量の3倍という、明らかに過剰な状態であった。すでに大幅に過剰なTACを10%削減しても何の効果もないことは明らかだろう。このときの資源量は26万トンしかないのだが、TACが26万トンまで減るのに4年もかかる。4年間も、獲りたいだけ獲れば、さらに資源状態は悪化するだろう。当時の漁獲量の13万トンまでTACが減るのは12年もかかる。12年間も漁獲にブレーキがかからない資源管理など、聞いたことがない。

当時の漁獲のもとで資源が減少していたのだから、実漁獲量を基準に漁獲枠を削減しなければ、フィードバック管理とは呼べない。前年の漁獲量の13万トンの1割減で、TACは11.7万トンにするとかいうなら、まだ話はわかる。漁業経営の観点からも、実際に13万トンしか獲っていないのだから、実漁獲ベースで考えるのが妥当だろう。

結論:当時のTACの算出方法はフィードバック方式とはとうてい呼べない。また、どのような方式であろうと、資源量を上回るような漁獲枠をだすような方法を正当化することはできない。

無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その1

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俺の基本スタンスとして、自分に対する反論は大歓迎だ。議論を通して、論点が明らかになることもあるだろう。ただ、岩崎氏の反論はレベルが低すぎて、議論にも何にもなりゃしない。そもそも無理解や誤解の上に批判を展開しているから、どうしようもないのだ。まあ、水産庁の中枢にいた人間のレベルがよくわかるという点では価値はある。また、改革に反対する勢力のお粗末さもよくわかるだろう。まともな反論はできない上に、勝手に墓穴を掘ってくれる岩崎氏には今後も活躍をしてもらいたいものだ。ただ、残念なことに、この人の文章は、ほとんどの人には理解不能だろう。これではもったいないので、解説を入れることにする。

まずは、4/10日の文章について分析してみよう。

最初の3段は、独善的とか、無責任とか、抽象的に誹謗しているだけで、特に内容はない。「おまえのかあちゃんでべそ」レベルですね。

笑ってしまったが「多くのデータにより普遍的に自分の主張が成立することを実証して論じるという通常の学者のルール」の下りだ。水産庁→北まき理事という都合の悪い過去を隠してる人間が偉そうに何を言う。当事者が第三者を装って自己弁護をするのは、人としてのルールに反していると思うけどな。

4段目はまっとうな内容だと思ったら、俺の文章の要約だった。ABCを超えたら乱獲というのはABCの定義から自明だし、根拠が不明なものより、根拠が明らかな方が信用できるというのも当然だろう。ルールを破る不届きものがいるのだから、何らかの強制力が必要なのは自明だし、現在まったく機能していないTAC制度を改善するのは当然だ。俺の言っていることは、実にわかりやすいじゃないか。

ABC値以上獲ると乱獲は誤り
これは、岩崎氏のABCに対する無理解を示している。ABCとは、そもそもの定義からして、それを超えたら乱獲になる閾値なのだ。「ABCを超えても乱獲ではない」というのはあり得ない。ABCを超えても乱獲ではないなら、それはABCではないわけだ。


資源が減るとか不都合なことが起きているか。起きていない。
では、大中巻き網対象魚種の資源量を見てみよう。マイワシは明らかに減っているし、マサバは増えているとか言い切っているが、対馬系群は明らかに減っている。マサバ太平洋についても、卓越を獲り尽くしただけだ。「乱獲で資源回復の芽を摘んだ」というのが適切な表現だろう。マアジも太平洋は減少傾向だし。まともなのはマアジ対馬ぐらいじゃないか。
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そもそも、北巻きなんて、獲るものが無くてモグラたたきみたいに未成魚が沸くたびに根こそぎ獲っているんだから、不都合があるのは明白だろうに。不都合がないなんて寝言は、休漁補償金を返納してから言ってほしいね。

サンマの漁獲はABCを下回っていたが、ここ数年、資源は下がり気味であり、ABC値は資源管理の基準として不適切である。
魚は自然変動する。歴史的にも希な高水準にあるサンマが、平均的な水準まで自然減少するのは当然だろう。サンマは超高水準から、高水準へと自然減少をしただけで、資源状態は現在も良好だ。資源量と比べて漁獲の規模は小さいから、まだまだ獲れる。出荷調整をしているだけで、まじめに計算すればABCはもっと多い。
岩崎氏は「ABC以下の漁獲なら資源は必ず増える」と勘違いしているようだが、そんなことはない。高水準のサンマは獲らなくても自然に減る。だからといって、ABCをゼロにして、現状を維持するために種苗放流をするべきだろうか。それこそ理不尽だろう。高水準資源については、ABCは漁獲の妨げにならないように設定すべきだし、実際にそうなっているのだ。
サンマや、するめいかは、高水準から、通常の水準へと戻っているだけで、今の資源状態は悪くない。ここ数年は、もっと獲っても問題は無かった。一方、マイワシとかマサバとか超低水準の資源は、一刻も早く回復措置を執る必要がある。特にマイワシは、現状を維持するだけでは危険な水準なので、安全を見て控えめに獲るべきなのだ。ABCは資源の状態を考量した上で、設定されている。「漁獲がABCを超えたら資源が減る」とか、「漁獲がABC以下なら資源が増える」と言ったものではないのだ。まあ、こんな勘違いをするのは岩崎氏ぐらいだろうが。

書評「築地 魚河岸三代目」

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料理漫画といえば、お○しんぼが有名だが、もうぐだぐだみたいだね。美味しんぼに関してはここのレビューが秀逸。100冊まとめて振り返るとという、そのエネルギーに脱帽だ。

初期を「山岡アウトロー編」、その次を、栗田との恋愛関係を描いた「恋の鞘当て編」そして「東西新聞の危機編」最後に「もうただなんか食ってるだけ編」といった感じ。

この分析も実にわかりやすい。アウトロー編は楽しかったんだけどなぁ。

それはそうと、料理漫画といえば、これですよ、「築地 魚河岸三代目」。映画化されるみたいだから、人気があるのでしょう。

この漫画の特徴は、しっかりと一次情報に取材をしたうえで、事実をふまえてストーリーを組み立てていることろだろう。たとえば、21巻のハンスさんは実在するし、22巻の海和商店は亀和商店のことだろう。フィクションというよりは、ドキュメンタリーのような感じだ。取材をしないことで有名な某長寿漫画とはえらい違いだな。いろいろと勉強になることは多いんだけど、特に今日紹介する21巻と22巻は絶対に読んでおくべき。


築地魚河岸三代目 21 (21) (ビッグコミックス)
鍋島 雅治
小学館
おすすめ度の平均: 5.0

5 遂に映画化!目指せ釣りバカ(笑)

21巻のみどころは、ノルウェー編です。三代目がノルウェーにいって、現地の漁業&サーモンの養殖を見学します。 ノルウェーの漁業を見た後の隠居(二代目)と三代目の会話が実に良い。

隠居 「近代的な捕鯨や遠洋漁業などの水産業は主にノルウェーから学んだのだよ。俺はノルウェーに来て日本の水産業はもう一度、ノルウェーを見習う必要があると思ったんだ。」
隠居 「ノルウェーの水産業がすばらしいのは、官・学・民の協力体制によって行われていることだ。」
隠居 「それは、官も学も民も同じ目的意識を持っているからだと思う。」

三代目 『同じ目的意識・・・』

隠居 「ああ・・・絶対にコモンズの悲劇を起こしてはならないという、強い共通の意志だ。」

俺もノルウェーに行って、ご隠居と同じことを思った。


築地魚河岸三代目 22 (22) (ビッグコミックス)
鍋島 雅治
小学館
おすすめ度の平均: 4.0

4 映画化決定の人気作!

22巻は「海を守るロゴマーク」の話が良い。MSCの生い立ちや現状がわかりやすく書かれている。俺がこれまで目にしたMSC関連の文章の中で、この漫画が一番わかりやすい。漫画には、漁業の現状を憂える千満四代目(小学生)が登場する。この四代目のストレートな発言が実ににすがすがしい。

四代目「ばかじゃないの?魚を獲るのが仕事なんでしょ!
魚を根こそぎ捕ったら絶滅しちゃうじゃん!
魚のすみかやえさ場まで破壊したりしたら、次からとれなくなっちゃうじゃん。
なんでそんなことがわからないんだよ!!」

四代目「やっぱり僕は無駄だと思うよ。
   ・・・
生産者側の意識が高くても消費者側の意識が低ければ話にならないんじゃないの?
   ・・・
そんな日本でMSCが広まると思う方がどうかしているよ・・・・」

まあ、実際その通りなのですが、それをどう変えるかを真剣に考えていかないとね。

ウエカツ水産さまへのコメント

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ウエカツ水産:



to:勝川さま



各国の事例を紹介いただき,ありがとうございます。そしてノルウエーの事例を知り,驚きました。というより,まさにそれが,私どものここ4年間で歩んできた道であったらからです(おそらく)。乗るウエー行政の,当面の場当たり的な妥協ではない,将来を見据えた調整能力を感じます。

私には、世界の漁業は一つの方向に向かっているように見えます。境港も試行錯誤の末、同じ方向に行き着いたというのは実に興味深い事例です。

過日この場をお借りして境港ベニズワイ漁業が各船個別割り当てに至った経緯を紹介させていただきましたが,それに対する勝川さんのご指摘には,今後の取り組みに向けて多くを学ばせていただきました。



そして今回のエントリーで,あらためて,過去も現在も含め,日本の多くの資源管理施策が“青い果実”であることを,はっきり認識いたしました(むしろ前浜が村有・郷有であった時代の共産的資源管理の方に結果として合理性があったように思います)。

小規模な閉じた社会であれば、「前浜が村有・郷有であった時代の共産的資源管理」でも良いと思いますが、当時の漁業と今の漁業ではずいぶんと違います。大規模化・効率化した現在の漁業に適した管理システムを模索しないといけないのですが、日本ではその取り組みが遅れています。

ひとつでも多くの地域,ないし漁業が,このようなイメージをきっかけに,自分たち,ひいては国民にとっての糧を子々孫々持続的に資源を利用できる方法を,“日常の中で”考えるようになれば,そう悪いことにはならん感じがいたします。少なからず希望が湧いてきました。

日本国内で個別漁獲枠というのは、貴重な事例ですので、いろいろ教えていただき、感謝しております。今後も当事者の観点から、いろいろとご教授ください。ちゃんと資源管理をすれば、日本漁業は必ず復活します。

ところで,

『日本以外の先進漁業国はおおむね条件を満たしている。

先進国では、乱獲を放置していたら、国民が許さないから、

行政もしかりとした対応をとらざるを得ない。

科学的なアセスメントをしっかりやって、その結果に従うことで、

資源の持続的利用への説明責任を果たしている。』



とのことですが,先進国(?)で乱獲が行われていることを,どこがどのように国民に伝えているのでしょうか。教えていただけませんでしょうか。

このような国民視野に立った事実の報道や行政としての対応というものは公務として当然のことであり不可欠と思うものの,実質あまり伝わっていないと思うので。

欧米では、環境保護団体の政治力が強いです。環境への関心の高さ故に、漁業は常に強い圧力と非難にさらされています。環境への関心の高さの副作用として、センセーショナルに悲観的な研究がもてはやされたりもします。たとえば、Wormの「2048年漁業消滅説」は内容にかなり無理がありますが、世界中で話題になりました。資源管理が機能している事例もたくさんあるのに、ちょっと悲観的すぎるようにおもいます。

この状況を打開する鍵は、漁業者以外への説明責任を果たすことでしょう。ノルウェーの漁業者ミーティングには、環境保護団体の代表も参加します。有権者の関心も高いので、漁業者の都合のみで乱獲などできません。ノルウェーの行政官は、「社会的な関心が無くなれば、漁業は良くない方向に必ず向かう」と言って、情報公開の重要性を強調していました。国民全体への説明責任を心がけているからこそ、第三者から見ても、合理的な資源管理システムになるのでしょう。

また加えて,我が国では「資源評価」なるものを「科学的に」といって算出しておりますが(水産研究所が独立法人化したこともあってか)魚種によっては無理矢理はじきだしている感もあり,結果として,現場の我々がサカナを獲りつつもヤセ我慢すればなんとかやれそうだと感じていても,一方で調整不能な(つまりそれに忠実に従って資源管理を実行すればその漁業自体が死滅するような)数値が出されているように感じておりますが,あれが「科学的アセスメント」と言うものなのでしょうか。これでは仮に行政や研究者が説明責任を果たしたところで,何の意味があるのかと思う次第です。

「魚種によっては無理矢理はじきだしている」というのは、その通りだし、自覚もあります。本来、ABCの数字を出せない資源に対して、無理矢理数字を出しても、信用を失うだけです。科学的なアセスメントの限界に対する説明責任を果たすべきでしょう。

たとえば、私が関わっている北海道では、ロシアに分布の中心があり、日本沿岸への来遊量で日本の漁獲量が決まる資源があります。ロシア側の情報が無いのだから、ABCなど計算できるはずがありません。でもABCは計算しないといけない。困り果てた水研の担当者が「この資源は、ABCが推定不可能と書きたい」と提案したところ、水産庁サイドから「委託事業だから数字は出してください」という話がありました

「ABCが計算不可能な資源に関しては、管理のあり方を見直す必要がある」というのは、何年も前からある話なのです。ただ、なかなかそこまで手が回らないのが正直なところでしょう。今回のTAC制度の見直しで、ぜひ議論をしてもらいたいものです。私としては、スケトウダラのオホーツクや根室海峡はABCの計算対象から外すべきだと思います。もちろん、分布の中心がロシアにあるからといって、何をしても良いと言うことにはなりません。未成魚はとらないような工夫をしつつ、来遊したものを有効利用すればよいでしょう。

日本独自のエコラベルに値上げの噂が・・・

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日本版エコラベルが値上げをしたという噂をキャッチした。

まえは、「電車賃程度」という話だったのが、なんと100万円程度になるらしい。

もちろん、審査費用が100万でも、それだけ厳密な審査をするというなら問題はない。

しかし、厳密な審査で日本独自のエコラベルが運用されるとは、とうてい思えない。
エコラベルの本来の目的は「持続的な漁業を勝ち組にする」という差別化である。

護送船団の染みついた日本漁業界で、エコラベル本来の差別化の運用は難しいだろう。

申請者には基本的にシールを配るとしても、日本版エコラベルに100万円の価値は無い。

魚を輸出するなら、MSCが要求される時代になりつつある。
輸出を前提とした漁業なら、数百万の申請費用を負担しても、MSCをとることの経済的な見返りはある。
MSC認証を獲れる漁業はMSCを獲れば良いだけの話だし、

MSC認証をとれない漁業も認証するとなれば、MEL(J)自体が無視されるだけだ。
日本版エコラベルがMSCの代替として、国際的に認められる可能性は極めて低い。
輸出に関しては、日本独自のエコラベルは評価の対象外だろう。
一方、日本国内はどうかというと、消費者はそもそも持続性に関心がないので、

シールを張っても、経済的な見返りは無きに等しい。



輸出をするならMSCが必要であり、日本独自のエコラベルはMSCの代替にはならない。
また、輸出をしないなら認証自体が不要なのだから、
日本独自のエコラベルなど、そもそも必要ないと思う。
それでも「シール代1万円」とかなら洒落になるが、100万円はちょっと信じがたい。
本当に値上げをするのだろうか?
俺的にはガソリン代よりこっちが気になって仕方がないです。

日本の意志決定とは何か?

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日本には独自の意志決定の伝統がある。伝統的な意志決定方法の特徴を理解するには、日本漁業の歴史を無視することはできない。60歳以上の漁業者に聞けば、日本の沿岸には今からでは考えられないほどの魚がいたことがわかる。魚を巡る競争が激化したのは、ここ数十年なのである。それまでは、魚よりもむしろ漁場や漁港を巡る争いであった。当時の漁具で効率的に魚が捕れる場所は限られていた。当時の船の動力では沿岸の漁場しか利用できなかった。当時の土木技術では、漁港として利用できる場所も限られていた。日本漁業が伝統的に直面していたのは、限られた漁場や漁港を誰が使うかという問題である。場所を巡る競争であれば、その場所を希望する当事者間の折り合いがつけば解決になる。

魚村の内部のことは、構成員全員で話し合う。複数の村にまたがることであれば、それぞれの村の代表同士が話し合う。最終的な決定権はコミュニティーのリーダーにあり、個人的な不満があっても、最終的には村の構成員代表の決定には従う。このような調停システムによって、利害を調整してきたという歴史がある。

沿岸漁業においては、資源管理の問題も、これと同じアプローチで処理された。皆で話し合って「できることをできる範囲でやる」というのが、資源管理型漁業の基本である。ことになる。日本以外の国ではどうかというと、管理には必ず目的がある。MSYにせよ、持続的利用にせよ、何らかの目標を設定し、その目標に到達できる方策を考える。複数の方策があれば、その中で何がベストかを選択することになる。前者を日本型意志決定、後者を合目的意志決定と名付けると、次のように図示できる。

20080417.png

日本型意志決定には、明確なゴールがない。進むべき方向性にできる範囲で進んでいくというアプローチだ。合目的な管理の枠組みを前提とした欧米人にはなかなか理解できないだろう。実際に、京都のズワイのMSC認証でも、このあたりの理解を得るのに時間がかかっているのだろう。

日本の資源管理の特徴をまとめてみよう。

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TAC制度

日本のTAC制度は、米国の資源管理を手本にしている。

どうせ手本にするなら、管理が上手くいっている国を手本にすればよいのに。

水産庁の米国好きに付ける薬が無いですな。

日本のTAC制度と米国のTAC管理の最大の違いは、TACの設定根拠があるか、無いかだろう。

米国は科学的なアセスメントをかなり厳格にまもっている。
一方、日本のTAC設定は役人の胸先三寸であり、説明責任が完全に放棄されている。

日本のTAC制度には合理性がまるでない。

大本営の中の人には、中の人なりの言い分もあるだろうが、

説明責任を果たしていない以上、何を言われても自業自得だろう。
「理由は言えないけど信用して」と言われても、説得力がないのですよ。

資源管理型漁業(沿岸漁業の自主管理)

一方、日本の資源管理型漁業はどうだろうか。

こちらは基本的にはボトムアップである。

漁業者があつまって、「とにかく出来ることをやろう」ということで話し合いをする。

「資源をどのような状態にするか」ではなく、「人間がどれだけ我慢できるか」で、管理の内容が決まる。
資源管理と言うよりは漁業調整と呼んだ方が現実に近いだろう。
(漁業調整だからって、駄目だと言いたいわけではない。漁業に役立てばそれでよいのです。)

管理の内容を決めるのは、資源ではなく、漁業者なのである。

もし、漁業者が資源の維持に必要な我慢を出来る状況にあるなら、管理は成功するだろう。

逆に、そうでないなら、管理は機能しないだろう。



実効力を高める必要条件は、ここにまとめたとおりである。

自主管理の必要条件

1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める

2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる

3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる

4)資源の壊滅的な減少を経験

1,2,4は自主管理の実効性を高めるために必要であり、

3は自主管理に合理性を与えるために必要である。

上手くいっている自主管理の陰には、熱心な水試職員が必要だ。

漁業者コミュニティーの話し合いに参加して、影響を与えていくためには、

人間的にも空間的にも浜との距離がちかくなくてはならないので、大学では難しいだろう。



上の4つの条件は、かなりハードルが高い。
4つの条件がすべてそろう確率はかなり低いのである。
自主管理の合理性は、漁業によって大きく異なるが、総じてあまり高くはない。


俺の考えをまとめると下のような図がかける。

Image200804152.png

まあ、こういうのは個人の考えを図示しただけで、これが正解って言うものは無いと思う。
自分の意見をまとめたり、他人に伝えるのに役立つから、使っているだけだ。
別の人が別の視点から見れば違う図になるだろうし、それでよいのだ。

世界の漁業管理を2つの軸で整理しよう

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日本では、「日本独自の管理」と「欧米の管理」の二元論で語られることが多い。
ステレオタイプなイメージはこんな感じだろう。

欧米スタイル→トップダウン(上意下達)、漁業者無視、科学絶対視、漁村崩壊、大規模企業独占
日本スタイル→漁業者の自主性、話し合い、ボトムアップ、きめ細かな規制、漁村繁栄

この考え方のおかしな点は、日本以外をひとくくりにしていることだ。
欧米にだって、漁業者を無視している国もあれば、そうでない国もある。
欧米と一口に言ってもその管理制度は千差万別であり、
「欧米の制度」とひとくくりに出来るようなものではないのである。
「資源管理は国それぞれで、複雑である」で終わりにしては単なる思考停止なので、
もう一歩進んで、欧米の管理を2つの軸に沿って分類してみよう。

一つは、合理性・非合理性という軸。
もう一つは、ボトムアップ、トップダウンという軸である。

合理性・非合理性

合理性・非合理性については、2つの条件で判断できる。

あ)科学的アセスメントに基づいて乱獲リスクを管理しているか
い)産業の発展を阻害する不健全な競争を抑制しているか

あ)科学的アセスメントに基づいて乱獲リスクを管理しているか
日本以外の先進漁業国はおおむね条件を満たしている。
先進国では、乱獲を放置していたら、国民が許さないから、
行政もしかりとした対応をとらざるを得ない。
科学的なアセスメントをしっかりやって、その結果に従うことで、
資源の持続的利用への説明責任を果たしている。

い)産業の発展を阻害する不健全な競争を抑制しているか
譲渡可能な個別漁獲枠制度を導入したノウルェー、アイスランド、NZ、AUSに比べて、
オリンピック制度に固執し続けた米国・カナダは非合理的である。
実際に、これらの国の漁業管理は、前者ほどは上手くいっていない。
米国は自由競争を国是とするために、予め枠を配分して既得権化することに消極的であった。
結果として、米国の漁業は混乱し、甚大な悪影響を与えてしまった。
ただ、米国は自国の失敗を認めて、ITQへの方向転換を表明している。
やるとなったら、とことんやるお国柄だけに、どこまで突っ走ってくれるのか実に見物である。
このあたりの経緯については↓を読んでください。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2007/09/itq_4.html

ボトムアップ、トップダウン

漁業者の意向を無視して、行政機関が方針を決めて、実行してしまうのがトップダウンである。
NZ, AUS, 米国がこのスタイルだ。
これらの国の漁業者は「行政は俺らの意見など聞きやしない」と、諦め顔である。
ただ、トップダウンだからといって、これらの国の行政官が好き勝手に裁量を振るっているわけではない。
納税者全体への説明責任を重視して、漁業者の意向よりも科学的アセスメントを重視しているのだ。
漁業者の意向は無視されていても、日本のTAC制度のようにお上の胸先三寸ではないのである。

国民の大多数が漁業に関連しているアイスランドや、漁業者の政治力が強いカナダでは、
より漁業者よりの政策を採用している。

漁業者の意向を全面的に採用しているのが、ノルウェーである。
ノルウェーの資源の多くは国際資源であり、ノルウェーの漁獲枠はEUとの国際交渉で決まる。
ノルウェー国内で沖合漁業と沿岸漁業に漁獲枠を配分するのだが、
その配分比を決めるのは、毎年行われる漁業者の代表の話し合いである。
漁具漁法の規制なども、この漁業者間の話し合いで決定する。
漁業者が合理的な選択をする手助けをするのが研究者の役割であり、
漁業者の決定を法制化し、監視・取り締まりをするのが行政の役割だそうだ。

俺はこの話をきいて、たまげてしまった。
漁業者の話し合いで、漁獲枠の配分が決まるとは、にわかには信じられなかった。
「話し合いがまとまらなかったら、どうするの?」とノルウェーの行政官に質問をしたら、
「その時は、放置しておく。そういう事例もあったが、2年後には漁業者が結論を出した」とのこと。
彼の話の端々に、漁業者の意思決定能力への揺るぎない信頼を見て取ることができた。

まとめ

世界の資源管理を図にするとこんな感じになるだろう。

image08041101.png

次回は、日本のTAC制度と資源管理型漁業が、この図の何処に来るかを議論しようと思う。
読者の皆さんも、日本の資源管理の位置付けを考えてみてください。

スケソウやサバ、漁獲可能量見直し 「資源守る基準超す」と批判

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 水産庁は、漁獲可能量(TAC)を見直す方針を固めた。TACの大半が、資源枯渇を防ぐ目安となる生物学的許容漁獲量(ABC)を上回り、専門家の批判の対象になっているためだ。ABCを上回るTACを設定する傾向は以前から続いており、サバは漁獲量がTACを超えたこともある。こうしたTAC設定の理由について、水産庁は「漁業者の経営が成り立つかどうかも考慮している」と説明するが、専門家は「資源管理が機能していない」「TAC設定の根拠が不透明」などと問題視していた。
 近く発足するTACのあり方を議論する会合では、ABCを超過するTACをできるだけ解消する方向で、より厳格な資源管理の方策を議論する。また、漁獲総量がTACに達した時点で操業を打ち切る現在の管理方式は、総量に達するまでの間、漁業者間の過剰な漁獲競争を招く恐れも指摘されており個別の漁業者に漁獲枠を割り当てる方式の導入も検討する。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/agriculture/85241.html

北海道新聞の記事です。一般紙でも、資源管理の話題が出るようになりましたね。
誰だか知らないけど、専門家はGJだな。

これは、わかりやすくまとめられている、良い記事だとおもいました。
1)ABCを超過するTACをできるだけ解消する方向で、より厳格な資源管理の方策を議論する
2)オリンピック方式からIQへの移行も検討する
という結論に関しても妥当ですね。実際にABCとTACの乖離を少なくする方向で動いているようです。
(ただし、現在のTACにあわせてABCを上げる圧力が強まっているので注意が必要です)
また、IQの導入も時間の問題でしょう。オリンピック方式を続ける理屈がないですから。

ゆっくりではありますが、資源管理をちゃんとやろうという方向に世の中は動いています。
だから、資源管理反対派は相当に焦っているようですね。
「ABCなんて無視しても良い」と吠えている人もいますが、ごく少数です。
言っていることが支離滅裂だし、世間の支持は得られていないので、放置しておけば良いでしょう。

TAC制度に関しては、導入の経緯からしてグダグダだったので、
最初の数年は資源管理として機能しないのはしょうがない面もある。
ただ、TAC制度が始まって10年が経過しているのだから、
「制度として未完成である」などという言い訳はさすがに通用しない。
「(A)今までは管理できていなかったけど、これからはまじめにやります」ということであれば、
過去についてはとやかく言っても仕方がないでしょう。
しかし、「(B)今までもTAC制度は機能していたし、これからも同じようにやります」と開き直るなら、
過去に遡って、TACの設定根拠の妥当性が徹底的に追求せざるをえない。
俺としても、日本の漁業をどうやって良くしていくかを前向きに議論していきたいので、
(A)のTAC制度をきちんと見直すという方向でお願いしますよ、本当に。

今回の見直しには世間の注目が集まっているので、いい加減なことは出来ない。
逆に、ちゃんとした見直しをすれば、水産庁の株はぐっと上がるはずだ。
特定漁業者の顔色ばかりをうかがわずに、
納税者全体に対して、水産庁の存在意義を示して欲しい。

サバも養殖ですか。餌は小サバ?

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若狭のサバ 養殖で復活…福井・小浜市の県立大水産資源生物学研究室
 かつて若狭湾でとれた魚介類を京都まで運んだ「鯖街道」。だが、材料は実のところ、ノルウェーなど外国産のサバが多いのだ。
 「やっぱり、小浜といえばサバ。おいしい地物の若狭のサバを復活させたい」。県立大生物資源学部海洋生物資源学科の青海(せいかい)忠久教授(58)は1999年の同大学赴任をきっかけに、サバの養殖研究に乗り出した。
 若狭のサバ 福井県内のサバ類の漁獲量は、1970年代、80年代はおおむね2000~4000トンで推移していたが、95年以降は毎年650トンに満たず、2004年はわずか54トンにまで激減している。県は08年度に復活推進事業として、嶺南4か所でマサバの育成を始める
http://osaka.yomiuri.co.jp/edu_news/20080401kk04.htm

マサバの未成魚を養殖の餌として乱獲して、資源を枯渇させたのだけど、
サバが獲れなくなったから、今度は養殖ですか。
なんともシュールですなぁ。餌が小サバだったりして。

サバを養殖するより、サバの未成魚をブリ養殖の餌にするのを止めた方が、
環境にも消費者にも幸せな結果をもたらすと思う。
ただ、資源管理がまるでできていない現状では、
生簀に囲い込む以外に大型魚を安定供給する方法が無いから、
こういう方向に行くのはしょうがないのかなぁ。なんか切ないです。


 

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from 18 Mar. 2009

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