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餃子の農薬汚染に関する雑感

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 今回の報道で産経新聞が水を得た魚のごとく元気だ。

 中国江蘇省太倉市で1997年から2002年にかけ、中国製ギョーザによる中毒の原因とされる有機リン系殺虫剤「メタミドホス」による中毒事故が654件発生、210人が死亡していたことが1日、分かった。
 中国の総合医学雑誌「中華中西医雑誌」(03年8月号)の論文を医学専門ウェブサイト「中華首席医学網」が1日までに伝えた。
 論文は、同期間中の市内での農薬中毒の約82%はメタミドホスが原因だったと指摘。1都市でこれだけの規模の中毒が起きていたことで、中国ではメタミドホスが農薬中毒事故の主要原因の一つだったことが裏付けられた。
 江蘇省は中国の農薬生産の中心地。中国農業省などは、メタミドホスの中国国内での使用、販売を昨年1月1日以降全面的に禁止する通達を出している。
 太倉は江蘇省南部の都市で人口約46万人。(共同)
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080201/chn0802012041007-n1.htm

2003年の論文から数字を引っ張ってきたようだが、人口46万人の都市で6年間に210人死亡というのは凄い。これを人口13億の中国全体での1年間の死亡人数に直してみよう。

210人×13億/46万/6年=98913人

中国全土で、メタミドホスによって毎年10万人近く死んでいることになる。死亡の原因が特定されただけでこれだけの数字だから、実際にはもっと多いだろう。ちょっと信じがたい数字だが、あの国ならこれもアリだろう。中国人は「日本のメディアは小さいことを大げさに騒ぎすぎ」と言っているが、たった10人の被害で、死者もないのに、騒ぐ日本人の感性は中国人には理解不可能だろう。日本はそういう国に台所を預けているのである。

ただ、今回の残留量の130ppmというのは、偶然ではあり得ない数字に見える。過去の検出例を見てもたかだか3ppmである(http://www.fcg-r.co.jp/pesticide/linkpes.cgi?p267000)。日本の複数の大手企業に納入をしている工場なら、品質管理もちゃんとしているだろうから、こんなとんでもない量の農薬がうっかり混入するとは考えづらい。小麦粉にポストハーベストとして、農薬を直接混ぜていたという説もある。餃子の皮を作る段階で、小麦粉と水を混ぜて、てこねる行程を経る。メタミドホスは水溶性なので、濃度はかなり均一になるだろう。とんでもない高濃度の餃子の皮がごく少数出来るとは考えづらい。偶然ではなく、何らかの故意が働いているように思う。このあたりは、続報待ちである。

今回の食中毒が事件なのか、事故なのかは、未だに不明であるが、どちらにしても起こるべくして起こったように見える。少なくとも、製造元の天洋食品のみの話ではなく、中国食品全般にあるリスクとして考えるべきである。これだけ中国食品が出回っていても、今まで明確な健康被害を出していなかったというのは、日本の商社の商品能力の高さを伺わせる。彼らは良い仕事をしていると思う。ただ、リスクはゼロには出来ないのである。特に、故意が働く場合、チェックできるはずがない。現在の日本の食は中国食品なしには成り立たない。中国の食材を口にしないというのは極めて難しい。野菜などの食材はまだしも、加工品で中国を避けるのはほぼ不可能だろう。こういう状況で自衛の策は、外食はできるだけ避けて、安い加工品は口にしない。あとは、運を天に任せるしかない。http://www.yasuienv.net/Methamidophos.htm

日経調の新年会に行ってきたよ

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髙木委員つながりで日経調の新年会のお知らせが届きました。
場違いなことは承知ですが、滅多にない機会なので参加してきた。
髙木委員に呼ばれたときはあまり時間がなかったので、
委員の皆さんとゆっくり話ができて、大変有益でした。
皆さんの水産魂に触れて、「俺も頑張らねば」と
気持ちが引き締まりました。
髙木委員提言はあれだけ大きな影響力を与えたわけですから、
今後も、漁業を良くしようという志を同じくする人間が、
協力して新しい方向性を打ち出していく必要があります。

みなと新聞の連載は、読んでいただいているようです。
とくに先日書いたものは、好評でした。
(記事は、後日、アップしますね)
あと、当ブログも読んでいただけているみたいですね。
コメント欄が好評でしたので、今後もびしびし書いてください。

水産業は、衰退産業ではありません。
水産物に対する需要は高いけれど、
それを満たせるような製品を供給できていないのです。
魚を調理する人は減りましたが、
魚を食べている量は減っていません。
外食や中食で以前よりも高い単価を払って魚を食べているのです。
これはビジネスチャンスです。
国内の素性の確かな原料を使って、
国内の信頼できる加工業者が加工をすれば、
多少高くても、俺は買います。
そういう消費者は少なからずいるはずです。

ただ、国内の水産物は乱獲で低迷しているので、
質量ともに供給が安定しません。
せっかくのビジネスチャンスも乱獲で台無しです。
例えば、マサバをみればよくわかります。
少し増えると、獲って獲って獲りまくるから、
ある年にまとめて小さいのが獲れても、
翌年はほぼ獲れなくなる。
そういう獲り方をしている限り、
後方の加工・小売り・消費は安定せず、
まともな値段はつかないでしょう。
今の獲り方だと、日本の消費者には見向きもされず、
中国やアフリカに投げ売りすることしかできない。
乱獲をする漁業者とそれを放置する行政の責任です。

資源を良い状態に保って、高く売れるサイズを安定的に供給すれば、
国産魚をつかった加工品を商業ベースで生産できます。
そうなれば、浜値も上がるだろうし、
消費者も日本のおいしい魚を食べられる。
加工・小売りの経営の安定にも役立ちます。
水産業の安定は、水産資源の安定からです。
そのために、水産資源の専門家としてできることは山のようにあります。
今年も忙しくなりそうです。

「死闘!値上げの冬」を見ました

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明日までの仕事が全然終わっていないです。またもや、ピンチ。
ブログの続きを書きたいのだが、時間がないです。
ネタは幾らでもあるんだが、筆が遅くて、まいっちんぐ。

日経スペシャル「ガイアの夜明け」 1月22日放送 第298回
「死闘!値上げの冬 ~価格は誰が決めるのか」を見ました。

値段のみを基準に店を選ぶ消費者。
売り上げを伸ばすために、無理な値段をつけざるを得ない小売り。
今の値段ではやっていけないことはみんなわかっている。
でも、自分だけ値上げをしたら、そこで淘汰されてしまう。
だから、皆、無理を承知で安売り競争を続ける。
値下げ圧力の犠牲になるのは、弱者である。
大手の価格圧力にさらされ、無理な値段をつける製造者。
大手のように買いたたけないから、客足が遠ざかる中小の小売り。
そんな殺伐とした舞台裏を垣間見ることができました。
まあ、全体のストーリーとしては、思っていたとおりの内容でした。

すでに言い尽くされたことではあるが、漁業も消費までを考えないとダメだね。
消費者にとって価値がある食料を持続的に生産しながら、業界全体で利益が出せるようにする。
その上で、利益を公平に配分していく必要があるだろう。
どういうシステムなら、それが可能かを考えていかないといけない。

「信じて安心」から「安全性を検証」への移行が必要

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食の安全というものを突き詰めて考えると、日本人の「丸投げ気質」という壁に突き当たる。
日本の消費者は、リスク管理を丸投げしておいて、うまくいかないと文句を言うが、
そもそも、丸投げした時点で上手くいくはずがないのである。

日本の社会は、専門家への丸投げ&思考停止によって運営されている。
これは、専門家にとっても、消費者にとって、楽な選択だ。
専門家は、合意形成などせずに独善的に基準を決められる。
そして、消費者の方も、専門家に決めてもらえれば、自分は考える必要がない。
お互いに楽をしてきた代償として、消費者は思考停止した情報弱者になり、
専門家は消費者よりも生産者のために働くようになる。
こうして、手抜き丸投げシステムは、確実に破綻をするのである。

消費者とまじめな生産者の長期的な利益を確保するには、
サービス提供者がしっかりと情報を開示して、
消費者がそれを判断するような社会システムへ変えていくべきだろう。
実際に日本の社会も、徐々にその方向に向かっている。
このブログでも、医療を例に1年半前にこんなことを書いているので、引用しよう。

方法論の違いについては、医者を例にするとわかりやすいと思います。
昔の医者は患者にろくな説明をしませんでした。
なにか質問をすると、「素人は口出しをするな」という感じで嫌な顔をされました。
患者は、症状についての情報も無いまま、ただ与えられた薬を飲むしかない。
今の医者は、情報公開に積極的になり、
症状や薬の効果など、いろいろなことを話してくれます。
同じ薬を処方させるにしても、患者の安心感がまるで違います。

昔の医者と今の医者の違いは、
情報を制限することで余計な手間を省こうとするか、
情報を共有することで相手の理解を得ようとするか、
ということです。
それぞれのスタイルには、それぞれのメリットがあります。
昔のスタイルだと、診察は短時間で済むというメリットがありました。
また、患者が無知であれば、医者にボロが出る心配はほとんどありませんでした。
医者としては非常に楽だったはずです。
一方、今のスタイルだと、時間は掛かるし、いい加減なことは出来ない。
その代わり、患者に安心感をあたえて、信用を得ることが出来ます。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/08/post_10.html

昔の医療は、患者の医者に対する根拠のない安心感によって、支えられていた。
医者が情報を流さなければ、患者は治療内容を検証することが出来なかった。
検証できないにもかかわらず、医者を信用して安心してきたのである。
相次ぐ医療事故などで、医療に対する安心が失われた。
そこで情報を開示して、患者に検証してもらうことで、
安心を得ようという戦略に変わったのである。

日本の医療の情報開示には目を見張るものがある。
医師が処方した薬に対して、薬局で効用や副作用の説明をしてくれるのがだ、
こちらとしてもダブルチェックができて安心だ。
また、主治医以外のより専門的な医者の意見を聞くという
「セカンドオピニオン」も広まりつつある。

医療の現場がここまで変われた理由は簡単だ。
治療内容が患者本人にとって重要だということだろう。
患者にとって、関心が高かったから、変わらざるを得なかったのである。
食の安全も消費者本人にとって重要なので、きっかけさえあれば変われるとおもう。
生産者サイドの疲弊状況を見れば、既に変わらなければならない状況だと思う。

専門家の意識改革が必要である。
専門家は「我々が決めてやるから黙って従え」というスタンスから、
「手助けはするが、最終的に決めるのはお前ら自身だ」というスタンスに変わるべきである。
「信じてください」から、「検証してください」へ変わるべきなのだ。
消費者も「考えるのめんどくさいから、そっちで決めといて」というスタンスから、
「俺たち自身で判断するから、情報を寄こせ」というスタンスに変わらないといけない。

専門家や行政の大多数は「消費者は無知だから、俺たちが決めてやらないとダメだ」と思っている。
情報を絶たれた消費者が無知なのは、当たり前の話だ。むしろ、そうし向けて来たのである。
きちんと情報を流し続けることで、消費者の判断力を鍛えて行かなくてはならない。
いきなりは無理でも、情報を開示し続ければ正しい判断を下すだけの知恵が、
多くの日本人にはあると思う。

ただ、最初の一歩を踏み出すのは並大抵のことではない。

動画:日本漁業はどうなっているのか?

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先日、規制改革関連のミーティングがあった。
半分ぐらいは、経済の人で、漁業のことはあまり知らぬだろうという配慮から、
日本漁業の現状が俯瞰できるような文書を配付した。

せっかくだから、それをパワーポイントにして、ナレーションを入れてみた。
overview.wmv (41.3MB、32分)

「日本漁業にITQはなじまない」という嘘

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ITQへのありがちな反論として、「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」というのがある。
これがいかに的外れな批判かを説明しよう。

たしかに日本は多様な魚を利用しているが、そのすべてをITQで管理しろなどとは誰も言っていない。
俺の主張は、現在のTAC魚種の管理をオリンピック制度をITQに置き換えろというものだ。
日本漁業において、生産量として重要な魚種は限られている。
主要な魚種数が世界の漁業と比べても、特別に多いわけではない。
そのことを数字を使ってみてみよう。

FAOのThe State of World Fisheries and Aquaculture 2006のP29に以下のような記述がある。

Most of the stocks of the top ten species, which account in total for about
30 percent of the world capture fisheries production in terms of quantity (Figure 6 on p. 11), are fully exploited or overexploited and therefore cannot be expected to produce major increases in catches.
image08012301.png

世界の漁業では、上位10種で全体の漁獲量の30%を占めているというのだ。

一方、日本の漁業では上位10系群で海面漁業生産の約50%を占めている。
上位10種にしたら、もっと割合は上がるだろう。
日本で利用されている魚種は多いが、量として重要な魚種はそれほど多くないのである。

Image200801091.png

ITQは、企業的な大規模漁業を管理するためには不可欠である。
大臣許可漁業、特に巻き網のような漁業をターゲットにITQを導入すべきだと議論をしてきた。
それらの重要魚種の殆どは、既にTAC制度で管理の対象になっている。
現在のTAC対象種は、漁獲量の個別配分と譲渡のルールさえ決めれば、ITQの導入は可能である。
それだけで、日本の漁獲量の半分程度はカバーできるのである。
まずは、そこからやるというのは全然無理な話ではない。
むしろ、ITQではなく、オリンピック方式を採用していることが非常識なのだ。

現行のオリンピック制度をITQに改めろという我々の主張に対して、
「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」という反論はそもそも的外れなのだ。
「日本全国津々浦々の海産物全部をITQで管理しろ」なんて、誰も言っていない。
ITQの適用範囲は、現在のTAC魚種+数種に限定されるだろう。
日本の脆弱な研究体制では、ローカルな魚のABCまで推定できないことは、
実際にABCの計算に携わっている我々が一番よく知っている。
そもそも、ITQ先進国のアイスランドだって、ITQで管理しているのは沖合漁業のみで、
沿岸は地域ベースの管理である。それでも十分な効果があるのだ。

「日本漁業にはITQがなじまない」と主張する人間には、
現在のTAC魚種を、ITQではなく、オリンピック方式で管理すべき理由を示すべきである。
もちろん、ITQが完璧な管理システムだなどというつもりはない。
しかし、世界の主要な漁業を見渡せば、ITQがもっとも成功している管理方式であり、
既に使えないことが証明済みなオリンピック方式よりも優れていることに異論の余地はない。
オリンピック方式を使わなければならない理由があるなら、それを示してもらいたいものだ。

「ITQは日本漁業にはなじまない」と主張する人間が、日本になじむ資源管理の実例を示した試しはない。
対案をださずに、ただ、反対をしているだけである。

ITQに反対している人たちは、資源管理自体に反対なのだろう。 
 

類似品にご注意を~日本版エコラベル

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日本でも独自のエコラベルをつくる取り組みが始まっている。
すでに、口が悪い読者からは「泥棒が売る防犯グッズ」などと揶揄されているとおり、
かなり駄目っぽい。

資源管理更新国である日本では、MSCのエコラベル認証をとれそうな漁業はほとんど無い。
MSCのエコラベルが普及すれば、資源管理をしている国とますます差をつけられてしまう。
そこで考案されたのが日本独自のエコラベルだ。
エコラベルを貼れない日本の漁業者がかわいそうだから、
誰でも張れるエコラベルを自前で準備したのだろう。
(そもそも資源管理をまじめにやろうという発想は無いのだろうか?)
電車賃程度で認証可能という時点で、消費者をを小馬鹿にしてる。
担当者「資源管理やってる?」
漁業者「うちは、ちゃんとやってるよ」
担当者「このシールを張っておいてね。それじゃあ。」
というようなことが行われるのは目に見えている。

厳密に審査をされたMSCのエコラベルと、誰でも張れる日本のエコラベルはまったく別物である。
しかし、一般の消費者にはエコラベルの区別はつかないだろう。
まんまと騙されて、非持続的な漁業で獲られた魚を高く買わされてしまう。
これは、乱獲された魚を騙して売りつけられる日本の消費者にも、
まじめに管理に取り組んでいる一部の日本の漁業者にも不幸な事態である。

MSCのエコラベルの根底にあるのは差別化の思想である。
消費者の力で、持続的な漁業を勝ち組にすることで、
世界をより持続的な方向に導くという狙いがある。
一方、日本版エコラベルの本質は、みんな横並びの護送船団である。
みんなで足並みをそろえて、仲良くシールを張りましょうということだ。
似たようなシールを無差別に貼れば、消費者は判断基準を失ってしまうので、
非持続的な日本漁業が差別されるのを防ぐことができる。
世界のエコラベルが目指す差別化を台無しにする効果があるのだ。
同じような取り組みでも、運用次第でまったく逆の機能を持つのである。
本来は資源管理だったはずのTAC制度も、
水産庁が運用すれば乱獲を容認するための免罪符に早変わりする。
こういうところだけは、本当に知恵が回る。
その知恵を、漁業を良くするために使って欲しいものである。

護送船団方式は、産業を傾ける確実な方法である。
生産性が低い、非持続的な経営体を保護する代償として、業界全体が沈んでいく。
味噌もくそもごった混ぜにして、横並びでシールを貼ろうという計画は、
漁業にとって百害あって一利なしである。
こういった愚行を、食い止めるのが専門家の使命であろう。
TAC制度も、ABCとTACの乖離をネチネチと指摘し続けた結果、
徐々にではあるが風向きが変わってきつつある。
日本版エコラベルに関しても、非持続的な漁業に対してシールを貼っていたら
嫁をいびる姑のように、ネチネチと問題にしていきたい。

認証第1号は2008年度半ばになる見通しだ。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200712070039a.nwc

ということで、どんな漁業がでてくるのか、わくわくしながら待つことにします。

食料生産の過程への無関心とヨーロッパウナギ

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豪州人と同様に日本人も食料の生産過程についてもっと知るべきである。
食品の生産過程に対する無関心は、商業捕鯨よりもずっと深刻な問題だ。

例えば、日本への輸出でヨーロッパウナギが絶滅寸前に追い込まれている。
このことはニュースで大々的に取り上げられたので、知っている人も多いだろう。
よその国の野生生物を絶滅寸前まで追い込んでおきながら、
多くの日本人はウナギが食べられなくなる心配しかしていない。
ヨーロッパの人たちはどう思うだろう?
ウナギを食べていた地方では、ウナギを食べられなくなってしまった。
日本人の乱食による食文化の破壊である。
こういうことをやっていて、日本の食文化を尊重しろと言っても説得力がない。
他国の文化を尊重する心根こそが、文化の本質だろう。

他国の野生生物を絶滅寸前まで追い込んでおきながら、道義的な負い目は感じない。
それは、目の前にある食品と、その生産過程がつながっていないからだ。
確かにスーパに捨て値で山積みされていれば、絶滅寸前だとは思わないだろう。
しかし、それが現実なのだ。

金を持っているからと言って、何を買っても良いというわけではない。
道義的に買っても良いかどうかを判断する必要がある。
経済力がつけばつくほど、この手のモラルが要求されるのだが、
その経済力とは不釣り合いに日本の消費者のモラルは低い。
これに関しては消費者のみでなく、生産者や小売りにも責任はある。

Image200801151.png
生産者も小売りも、消費者の購買意欲をそぐような真似はしない。
経済活動にとって、都合が悪い情報は遮断して、
都合が良い情報のみを与えられた消費者は、
何も考えずに消費活動を続けることができる。
生産者、小売りの情報操作の結果としての、消費者の思考停止。
これが「日本の食の安心」の正体である。
一皮むけば、乱獲、乱売、乱食だ。

鯨食非難の原因は、食品に対する無知と想像力の欠如

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オーストラリアの「クジラ食べるのは野蛮な行為」という偏見の根底には、
人種差別と言うよりは、自分たちが食べているものに対する無知があると思う。
それは、豪州人のみならず、我々日本人にも当てはまる現代病である。

我々はスーパーマーケットでパックに詰められた加工済みの肉を買う。
その肉がどのようなプロセスで生産されたかを消費者は知らない。
だから、肉を食べるときに罪悪感を感じることはない。
それは、想像力の欠如である。
生産に関する情報は完全に遮断されている。
それは、罪悪感を感じたくない消費者と、
食べる側の罪悪感を払拭して売り上げを伸ばしたい生産者の双方にメリットがある。
消費社会において、食品生産の現場に関する想像力は退化する一方である。

そういった想像力が欠如した中で、
豪州では、クジラに関してのみ、生産現場のショッキングな情報が流された。
それが出来たのは、彼らの国に捕鯨産業が無いからである。
ショッキングな情報に対する豪州人のリアクションはリテラシーによって異なる。
脳髄反射的に野蛮な日本人を攻撃する人間もいれば、
その背後にある問題を捉えた上で「でも牛も豚もそうだよね」と考える人間も大勢いる。
前者がYoutube、後者が新聞とメディアを棲み分けているのも面白い。

豪州人の想像力の欠如に対して、とやかく言う資格は日本人にはない。
日本でも、食品生産の現場に関する想像力は欠如している。
例えば、トンカツ屋のメニューにかわいい豚のイラストが描いてあって、
「このかわいい動物を食べてるんだよな」とげんなりしたことがある。
「この店は無神経だ」と思う反面、「それが事実だと受け止めた上で、
豚に感謝をして食べないといけない」とも思った。
そのイラストを採用した店の側には、
かわいい豚のイラストと調理された豚肉をつなぐ想像力が無い。
俺にしても、その瞬間に少し嫌な気分になっただけで、
普段は何も考えずに、食べているだけだ。 

庭で飼っていた鶏を締めて食べるといった経験を、我々の多くはしていない。
手の中で必死にもがく生き物を殺した経験など、殆どの人が無いだろう。
一方、我々の食を支えるために、毎日、どれだけの動物がもがきながら殺されているか。
我々は自分の手で生き物を殺さないという特権を、金で買っている。
自分の手を汚す代わりに、金を払って、代わりに殺してもらっているだけである。
それによって、道義的な道義的な罪悪感を感じずに済んでいる。

想像力の欠如は、クジラに関しても同様だ。
たしかに、クジラに感謝する鯨塚のようなものはあるし、
昔の日本人は食べ物に対する感謝の感覚を持っていたのだろう。
その感覚を現代の日本人は失いつつある。
明治以前は殆どの日本人はクジラを口にしていなかった。
日本人の多くがクジラを口にしたのは食糧難の時代であり、
文化というよりは栄養的なものが背景にあった。
自分自身が給食でクジラ肉を食べるときにも、
その他の肉と同様にその生産過程には無関心であった。
現在は、クジラが希少価値ゆえに有り難がられているだけで、
スーパーに普通に並ぶようになったら、他の食材と同じように、
ただ、買ってきて食べるだけのものになるだろう。

高木委員提言のどこが凄かったのか?

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漁業を取り巻く情勢の変化を肌で感じる今日この頃、皆さん、いかがお過ごしですか?

その変化を引き起こしたのは高木委員提言なんだが、その影響はどこまで続くのか計り知れない。
水産関係者のほとんどは、髙木委員のポテンシャルを理解できず、影響力を過小評価していた。
楽にスルーできるはずが、あれよあれよという間に火の手が回り、狐に包まれたような状態だろう。
なぜ高木委員提言がこれほどの影響力を持ち得たのかを、未だに理解できない水産関係者のために、
高木委員提言のどこがどう凄かったのかを分析してみよう。

髙木委員提言の特色
髙木委員提言の意義は、水産系の企業のトップを集めた集団が、現状にNOと言ったことだろう。
名簿をみればわかるように水産関係の大きな企業のトップが集まっている。
組織のトップとしては、組織防衛を一番に考えるので、
こういう委員会として明確な方向性をもった提言を出すのは極めて困難だ。
とりまとめは並々ならぬ苦労があっただろうが、それをやり遂げたのである。

漁業関係者が高木委員提言を軽視した理由
難しい合意形成のプロセスを経てた髙木委員提言にはパッチワーク的な部分がある。
全体の整合性や、細かい部分の配慮などでラフな部分も少なくない。
減点方式でみていくと、提言の評価は低くなるだろう。
漁業関係者は、自分たちに気にくわないものは、すべて減点主義で、あら探しをする習性がある。
あらが見つかれば、それを理由に無視をすれば良いというのが彼らの発想だ。
● ラフな方向性を示しただけで、細かい部分まで詰めていない
● 漁業関係者の合意が得られていない
という2点をもって、漁業関係者は、高木委員提言に全く脅威を感じず、
無視していれば良いと楽観的に考えたようである。

ところが、髙木委員提言は、漁業関係者以外には、全く別の受け入れられ方をした。


漁業関係者以外への高木委員提言の効果
髙木委員提言は、外部の人間に漁業が深刻な問題を抱えていることを示した。
一方、漁業関係者は、提言に文句を言っているだけで、まともな対案ひとつ示せなかった。
これによって、水産庁にも全漁連にも漁業が抱える問題を解決能力が無いことが、
第三者の目にも明らかになり、外部からの改革への流れを決定的にした。
対案も出さずに、無視や反対を決め込んだことで、漁業関係者は墓穴を掘ったのである。 

髙木委員提言の引き起こした連鎖反応
1) 漁業には早急に対応すべき深刻な問題があることを外部に示した
2) 漁業関係者は問題に取り組む意欲も能力も無いことを外部に示した
3) 1)2)によって、外的な圧力によって漁業改革を進める必要性を明らかにした
4) 漁業をどう改革すべきかを議論する段階に突入した ← 今ここ!

髙木委員提言の真の狙いを推理する
俺は部外者なので、憶測でしかないのだが、
今にして思うと、髙木委員提言は漁業者を説得するためのものではなく、
外部から強制的に改革を進めるための仕掛けだったのでは無いだろうか。
そのことを見抜けない漁業関係者は、提言のあら探しをしただけで無視を決め込んだ。
それによって、自らが無為無策であることを示し、外部からの改革の必要性を明示した。
反対意見を出すだけで何もしないという漁業関係者の行動原理を利用して、
改革を軌道に乗せるというのは実に賢いやり方だ。
髙木委員が引き起こした連鎖反応は、偶然にしては上手くできすぎててる。
髙木委員の仕掛け人は、世の中の動かし方を熟知しているキレ者だろう。
世の中、頭のいい人っているもんだ。

高木員提言の価値は、その内容よりもむしろ波及効果にある。
そのことをに気づかない限り、髙木委員の真価は理解できないだろう。
髙木委員が起爆剤となり、すでに連鎖的な爆発が起こっている。
この連鎖がどこまで続くかはわからない。
爆発によって、日本漁業を縛る呪縛が壊れて、新しい漁業が出現するのか?
それとも漁業もまとめて吹っ飛んでしまうのか?
それは今後の漁業関係者の行動にかかっている。
ただ一つ言えることは、爆発前には戻れないと言うことだ。

盛 り 上 が っ て ま い り ま し た !!

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