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毎日の記事をアップしました

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毎日新聞から掲載許可が得られたので、アップします。
いろいろとつっこみどころもあると思うので、忌憚無き意見をお願いします。

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Comments:5

業界の一拗ね者 07-06-05 (火) 17:26

先生が高木委員会に出席されたころから、ブログを楽しく見させていただいております。
我が国の水産庁は、ABCより大きなTACを設定してきたことについては、別のところで勉強して驚愕していましたが、「教科書に載せたい乱獲」にも驚きました。と言うよりも、失望しました。
水産行政においては、水産研究所で科学的な研究をしているものの、施策については「漁業者の生活のため」という視点も必要だと勝手に思い込んでいました。
しかし、6月1日みなと新聞一面の「日本の水産統計制度崩壊」の記事を見て、まことに暗澹たる気持ちになってしまいました。農林水産大臣官房統計部は2006年から全国の主要漁港の水揚量、浜値の調査対象品目を108から25に大幅に減らし、シラス、タチウオ、マダイ、トラフグ、ズワイガニなど83魚種を調査対象から外した、というものです。記事にも、国の公式データが実質なくなったことを意味する、とあります。この国は、なにをもって漁獲量に上限を設けようというのでしょうか?
先生は、資源解析という研究分野におられるわけですが、漁獲データをどのように入手しておられるのか、農林水産省以外のデータソースがおありであれば、教えていただければ幸いです。
先生の記事にはあまり関連がないかもしれませんが、データを集積するという基礎的なところにも税金を投入するという発想が必要だと、痛切に思っているところです。

勝川 07-06-05 (火) 23:31

柄ではないので、先生は勘弁してください。

>この国は、なにをもって漁獲量に上限を設けようというのでしょうか?
なにをもって漁獲量に上限を設けているかはわかりません。
そもそも充分な情報がある魚種に対してでも、
TACが何故その値になったかの説明が無いです。
データ以前のモラルの問題と言えるでしょう。

>先生は、資源解析という研究分野におられるわけですが、
>漁獲データをどのように入手しておられるのか
実はデータは大学の研究者の泣き所なのです。
漁獲統計は大学の研究者個人では集められない。
漁業者か水研センターの研究者の協力が必要です。
でも、そうなるとデータ提供者を批判するような事は書けない。
漁業の現状を批判するような文章をかくと、
データを提供してくれた人が周りから批判されてしまう。
同業者の多くは皆データを巡るトラブルに巻き込まれています。

仮想データをつかって資源管理の方法論について論じるか、
IWCやマグロの国際会議などで日本の漁獲枠を増やすために働くか。
日本の資源研究者には、それしか選択肢が無かったのです。

資源評価票が公開されるようになって、状況が変わりました。
公開された以上、煮て食おうと、焼いて食おうと、情報提供者に迷惑はかからない。
ようやく、日本の資源について、自由に議論が出来る土台が整ったのです。
水研センターの複数の人から、
「あのデータは公開ですので、どんどんつかってください」
と言われました。
彼らも、データを出したくても出せなかったのです。

>データを集積するという基礎的なところにも税金を投入するという発想が必要

これはまさにその通りですが、現実には調査費用は削られる一方です。
漁業のデータには時間的、空間的なバイアスが掛かるので、
漁業とは独立した試験操業も必要です。
TAC魚種に関しても、ABCの計算に直接使われない調査はビシビシと削られています。
TAC魚種以外はなおさらでしょう。

ただ、今まで行われてきた調査が役に立っているかが疑問があります。
税金で調査をやったは良いけれど、データが非公開なまま、
塩漬けになっている場合が多いんです。
調査結果の公開を義務づけるなど、調査のあり方を見直す必要はあります。
調査の価値を高める努力をすべきところを、
調査自体を切り捨てては絶対に駄目です。

ある水産関係者 07-06-06 (水) 20:24

 毎日の記事は興味深く拝読しました。勝川さんの主張が見事にまとめてあったと思います。折角ですから、お言葉に甘えて何点か忌憚のない意見を述べたいと思います。
 まず、記事の内容については、最後から2つ目と3つ目の段落を除き、基本的に諸手を挙げて同感です。その分析ぶりは、「あっぱれ」と言っても良いくらい、素人にも分かりやすく、お役所の「大本営発表」に染まってきた人達には、さぞ目から鱗が落ちるような思いがしたことでしょう。さらに、内心それが正しいと分かっていても立場上正直になれなかった漁業関係者にも、現状を直視する良いきっかけを与えてくれたと思います。是非、多くの人、特に、漁業関係者に読んでいただきたいものです。

 さて、私の意見ですが、率直に言わせていただいて、まずは「水産資源を国有財産と位置づけ」については賛成しかねます。水産資源については、沿岸国が管轄権を行使する下で「無主物先占」とする現行の制度によって全く問題がなく、それによって十分適切な管理・利用が可能と考えます。
 国有財産と位置付けることについては、高木委員会でも国連海洋法などを引用し、水産資源を「国民共有の財産、所有物と位置づける」ように言及されましたが、引用された国連海洋法では、プリアンブル(前文)において公海資源を「人類共通の相続財産(the common heritage of mankind)」と位置づけています。つまり、「国有財産」という位置づけは、そもそもの所有権が特定されない「人類共通の相続財産(国民共通の相続財産)」から、いつの間にか法律上の所有権が特定される文言にすり替えられたもので、本来の海洋法とは全く趣旨を異にする表現が一人歩きしている状態と考えます。
 国連海洋法では、沿岸国の200海里内資源に対する所有権について一切言及しておらず、沿岸国の管轄権(探査、開発、保存、管理のための主権的権利)を認めているのみに過ぎません。このことは、海洋法の枠組みが、水産資源を他の野生動物と同様、「無主物先占」を前提に構成されているからと考えます。仮に、水産資源を国有財産と位置づければ、「高度回遊性魚類」、「溯河性魚類」、「ストラドリングストック」等について、法律上の取扱いに大きな矛盾が発生します(公海や他国のEEZに泳いだ場合、どうなるか?など)。また、水産資源を「国有財産」と位置づけることによって、現行の制度(国が管轄権を持った中での「無主物先占」)と比較して如何なる具体的メリットが発生するか、疑問に思います。

 次に、「魚食文化を次世代に残すために社会で漁業を支えなければならない、その対価として漁業者は、国民に未来の食料供給の義務を負うべき」ついても、少し見解が異なります。勝川さんの見解は突き詰めれば、「漁業を国営産業(に近いもの)にすべき」のように聞こえますが如何でしょうか? 「魚食文化を次世代に残す」については、果たして現代の日本に、日本の漁業者を社会(国民)が支えてまで残すべき「魚食文化」が存在するか否か大いに疑問に思います。言うまでもなく、国産の魚を余すことなく大切に食してきた戦前以前の日本の食文化と、輸入魚中心に水産物を飽食している現代の日本人の魚食文化とは明らかに異なるからです。今の「魚食文化」を残すために社会で漁業を支えるならば、「米食文化」、「肉食文化」を社会が支えるために更なる税金が必要、と言うことになるでしょう。
 ただし、食糧安全保障の観点から日本の漁業を社会が支えるという考え方は可能かと思います。しかしながら、お役所の政策等を眺める限り、平時の際の資源管理は言うにおよばず、有事の際についても、自給に関する試算が肝心の漁船の燃料等の供給問題に及んでいないなど、食糧安全保障の枠組みについて真面目に考えている風にはとても考えることが出来ません。日本国民が一義的に守るべきものは、果たして「漁業」なのか、「資源」なのか、を決してはき違えるべきではないと思います(「漁業」は基本的に「資源」を利用するための手段であって、保護するための手段ではない)。
 このようなこともあって、私は、漁業をわざわざ聖域化し特別扱いすることには賛成しかねます。別にそうしなくても、水産資源を適切に管理・利用することは十分可能と考えます。具体的には、漁業をあくまでも他の産業と同様に一つの純粋な経済活動としてとらえ、一定ルールの下で利益を追求するという形態にすることです。資源を利用するに当たっての一定ルールには、当然ながら、TACをはじめ、漁業に関する様々な規制を遵守することが含まれます。また、漁業を営む者についても、一定ルールに従って選定され、誰でも自由ということではありません。その際、既存の漁業者が優先されることはあっても、既存の漁業者で経済的に成り立たないなら新規参入も認めるべきです。
 漁業者は、漁業を営む権利(資源を利用する権利)をもらう見返りに、受益者負担の観点から、資源管理等に要する研究・行政経費を漁獲量等に応じて応分の負担を支払う義務を負います。このことは、遊漁者も同様で、応分の負担を求めるべきです。
 さらに、このような制度の前提として、漁業者の数を経済的に採算がとれる水準にまで減らす必要があります。そのためには、漁業者の転廃業が不可欠となり、税金の投入も必要と思いますが、現在のサラリーマンがリストラによって無惨に首を切られている状況を考えれば、使える税金も限られたものになるでしょう。ただし、水産予算を眺めた場合、水産資源の回復にあまり役立つとも思えない(?)漁港整備に大部分が使われている点に着目し、それを国民の共通相続財産である水産資源を守るべく漁業者の転廃業に転用すればどれほど国民の利益に適うか、と思うのですが・・・、現実は厳しいのでしょう。
 私たちは、漁業を聖域化し、国家的補助を続けてきたことによる様々な弊害を経験済みです。資源の悪化もその一つでしょうし、様々な補助金等によって魚価が不当に低い水準に抑えられ、消費者もそれに慣れてきたし漁業者も魚価安に苦しんできた(?)実態も然りと考えます。そろそろ消費者も漁業者も資源の持続的利用には応分のコスト(負担)が必要、と言うことを学習する必要があります。魚の価格が上昇して魚離れが進むようなら、日本国民にとっての守るべき魚食文化というのはその程度のものだったのか、ということになるでしょう(実際、そうなのかも知れません)。

 さて、最後に漁業の構造改革に際し、水産業界の最大のタブーであり、勝川さんでさえ語れなかった最も深刻かつ致命的な問題に「敢えて」触れます。
 それは水産業界、特に、D日本水産会、Nかつ協、Z底連をはじめとする各種漁業者の利益代表団体や水研センター、G情報SC、N水産資源保護協会、K水産システム協会といった外郭団体、水産関係企業等へのお役所からの天下り問題です。これら団体等は、お役所を退職した職員を受け入れる(雇用する)一方で、お役所が発注する様々な事業を仲介したり請け負ったりしています。もちろん、両者の相互関係に明確な裏付けがあるわけではありません。が、いわゆる天下りの受け入れと、それに伴う官業癒着について様々な疑惑が発生しても何ら不思議ではない状況と考えます。理由は言うまでもなく、これら天下り職員の受け入れには経費(人件費負担)が必要となり、それを漁業者から集めた会費等で賄うとすれば、然るべき見返りが期待されても不思議ではないからです。受け入れの見返りとして、事業の請負による金銭的なもの、行政上の措置など、様々なケースが考えられますが、お役所の現役職員も、自分たちが将来天下ることを考えれば、天下ったOBに対し厳しい態度をとりづらいのが実情ではないでしょうか。天下り職員の数、これら団体等に流れたお役所の予算等を調べれば、如何にお役所を含む水産業界全体に、利害関係者の強靱な悪のネットワークが構築されているか理解できると思います。
 現実問題として、これら主要な漁業者の利益代表団体にお役所の元幹部が天下っている実態に鑑みれば、漁業の転廃業を推進し適切な資源管理を実現するための抜本的な構造改革など絶対に不可能である、というのが私の正直な感想です。官と業界のみならず、官と研究機関との関係(独立性の確保)についても絶望的です。それは、水研センターの幹部の出身を眺めれば明らかです。
 このように天下りの問題は真の国民の利益にとって決してプラスにならない無視できない問題であり、このタブーにメスを入れない限り、水産資源の適切な管理・利用など、絶対に前に進めることは不可能です。では、この致命的な問題を如何に解決すべきか、ということですが、それについては、私は、公務員制度改革、即ち、公務員の定年を65歳に延長し、少なくとも年金受給年齢までは働ける場を確保していくことに尽きると思います。それによって、天下りの必要性が大きく後退するし、官業の癒着も無くなるでしょう。ただし、公務員に対してのみ、65歳まで定年延長することには、国民の反発も相当なものと思います。でも、現在、日本国民は水産資源の持続的利用を獲得するか、公務員に対する嫉妬心に流されて改革を断念するか、という岐路に立たされているのも事実です。もちろん、他にも解決の妙案が存在しているかも知れません。これはと思われる方は是非提言してください。

 水産業界、特に、漁業界は、天下り問題を含め、タブーを数多く抱えた閉鎖的社会かも知れません。対症療法を議論することも重要ですが、根治のための療法についても、是非、フランクに議論できる環境が早期に整うことを期待しますし、そうならない限り水産資源の再生はあり得ないでしょう。

県職員 07-06-07 (木) 18:26

現行の制度(国が管轄権を持った中での「無主物先占」)

国(+α)管轄権持ってますかね。
たとえ持ってても,本気では管理しようとしてませんよね。
 漁業法は,所詮お話し合いが基本の漁業調整がベースですから。

天下りも関係しているかも知れません。ただ,水産資源が原則「無主物」で有ることが大きなネックになっています。

勝川 07-06-12 (火) 23:40

ある水産関係者さん
>水産資源を「国有財産」と位置づけることによって、
>現行の制度(国が管轄権を持った中での「無主物先占」)と比較して
>如何なる具体的メリットが発生するか、疑問に思います。

一つは、国の管理責任を明確にすると言うことです。
国有財産というのはそのためのメッセージとしてわかりやすいと思いました。
国の管理責任を明確にした上での「無主物」でも良いかもしれません。
ただ、「先占」は曲者ですね。
「無主物→俺が獲ったら、俺のもの」という意識が不毛な競争を産み、
結果として、漁業の生産力を奪っているように思います。

>勝川さんの見解は突き詰めれば、
>「漁業を国営産業(に近いもの)にすべき」のように聞こえますが如何でしょうか?
理想は、生物の限られた生産力を持続的に有効利用するための長期戦略をもった漁業です。
捕れる魚は全部獲り、その上で「どうやって売ろう?」と悩むのが今の漁業です。
「どの大きさで獲って、どこに売るのが一番儲かるのか?」という視点が必要。
ただ、現在のオリンピック方式では、漁業者に最適なタイミングで獲る自由はありません。

グランドデザインに関して、透明性の高い議論をする場所が必要です。
その上で、グランドデザインを実行する強制力も必要です。

この2つが満たされるなら、自主管理でも何でも良いです。
伊勢湾・三河湾のイカナゴ漁業などはこの2つの条件が満たされているので、
国が関与しない方が良いでしょう。

>魚の価格が上昇して魚離れが進むようなら、
>日本国民にとっての守るべき魚食文化というのはその程度のものだったのか、
>ということになるでしょう(実際、そうなのかも知れません)。

専門家のつとめとして、「魚を食べ続けるためにはコストが必要になる。
そのコストを払ってでも魚を食べ続けたいか?」
という選択肢を一般消費者に示す必要があるでしょう。
もちろん、「肉があるから魚はいらない」という意見が大勢であれば、それまでです。

何はともあれ、このような議論を公の場ですることが何より重要でしょう。

県職員さん
>たとえ持ってても,本気では管理しようとしてませんよね。
> 漁業法は,所詮お話し合いが基本の漁業調整がベースですから。

逃げる気満々ですね。
本当は、国連海洋法に則ってEEZの資源の排他的利用権を行使している時点で、
国として管理責任を負っているはずなのですが・・・

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