Home > Tags > 大本営発表

大本営発表

東シナ海における日本の乱獲の歴史

[`evernote` not found]

昨日のクローズアップ現代(国境の海で魚が消える ~追跡 中国虎網漁船~)を録画で見ました。内容はこんな感じ。

  • 豊かな資源を求めて、東シナ海に押し寄せる中国漁船。
  • 漁場を追われ急速に衰退する日本漁業。
  • 漁船が担ってきた国境の監視機能も低下しています。
  • 日本は日中共同水域の資源管理を中国に呼びかけたが、中国から拒否されている。
  • 漁業の衰退で中国漁船が国境の中に入りやすくなっている。

中国が虎網というむちゃくちゃな漁法で乱獲をしまくっているので、日本の漁師さんたちが困っているというお話です。中国の虎網漁船を取り締まる水産庁の監視船の乗組員は、「我が国の水産資源を責任もって守る」と熱く語っていました。

NHKのサイトでクローズアップ現代の全文文字おこしがあります。見逃したかたは、こちらをどうぞ。 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3329_all.html

この番組では、日本漁業が一方的な被害者として描写されていました。視聴者の多くは、中国漁業に対して悪印象を持つと同時に、日本の漁師に同情を覚えたことでしょう。しかし、歴史をひもといてみれば、かつては豊穣の海だった東シナ海の水産資源を破壊したのは、他ならぬ日本なのです。日本の乱獲で、東シナ海で捕れる魚は減少の一途を辿りました。コストが高い日本漁船では利益が出せなくなり撤退をしたところに、コストが安い中国船が入ってきて、日本が乱獲をした絞りかすを、容赦なく絞っているのです。

東シナ海のトロール漁業(以西底引き網漁業)の歴史

日本漁船が東シナ海に進出したのは、1908年に英国から汽船トロールという効率的な技術が導入されてからです。汽船トロールは瞬く間に広がり、沿岸漁民との深刻な対立を生み出しました。1908にトロール漁業排斥期成同盟会が結成され、翌年に「汽船トロール漁業取締規則が」制定されました。沿岸での操業を禁止されたトロールは、外洋へと向かったのです。太平洋戦争が終わって間もない1951年に、東シナ海の漁場を担当する水産庁の西海区水産研究所が「以西底魚資源調査研究報告」という47ページの報告書を発表しました。この報告書には、当時の東シナ海漁業の姿が克明に記されています。

 この広大な海面に操業する漁船は、1910年前後のトロール船による開拓と同時に、決河の勢いをもって此処に進出し、船数は上昇の一途をたどり、次いで、1920年前後において、漁法の改良により発展の途上にあった汽船底曳き漁船がこれに参加し、恰(あたか)も欧州におけるNorth Sea漁場と比肩すべき世界的漁場に迄発展し、将に絢爛(けんらん)たる状態を現出した。
然し、該漁場の資源に就ては、すでに1920年代から減衰の危険が叫ばれていたが、漁業者および当局の資源維持に対する無関心の為、又徒に所謂「赤もの」乃至「上もの」と称せられる「タヒ類」、「ニベ」、「マナガツヲ」等の高級魚類にその目的を置いた為に、本邦における他の多くの漁場の場合と同じく、否更に強度の又急激な荒廃状態を呈し始めた。そこで、従来市価の非常に低かった「グチ類」、「エヒ類」、「エソ類」、或は「フカ類」の如き「潰し物」乃至「下物」を漁獲対象とし、これ等を大量に漁獲することに依って上物不足を補う方向に進んできたのである。

トロール漁業が活発化すると、レンコダイ、マダイといった高級鮮魚は、瞬く間に獲り尽くされました。図の黒線が漁獲量。赤線が一回の操業での漁獲量(単位漁獲努力量あたり漁獲量)です。

高級魚がいなくなると、グチやニベなどのつぶしものと呼ばれる単価が安い魚が漁獲されましたが、これも減少の兆しがみえています。トロールという漁法の効率性の高さがよくわかりますね。こういう漁法で、魚を自由競争で奪い合ったら、魚がいなくなるのは当然でしょう。

東シナ海の魚にとっては幸運なことに、1941年(昭和16年)に太平洋戦争が始まると、漁船は軍に徴用され、東シナ海の漁獲はほぼ停止しました。戦争が終わって、再び漁業が開始されると、水産資源はかなり回復をしていたのです。しかし、戦後も同じことを繰り返しました。1947年に本格的に漁業が再開されたのですが、翌年には資源の減少が顕著になりました。西海区水産研究所のレポートは次のように警鐘をならしています。

一曳網の漁獲量(1回網を引いたときの漁獲量)は、1947年の230貫から、1948年の191貫に低下した。而も1948年は最も違反操業が多く、許可海域外での漁獲が相当の部分を占めると思われるから、許可海域での1網平均漁獲量の低下は、これより著しいと推定される。そして、予想された通り、レンコダイ、エソ、シログチ、フカの資源がすでに減少し始めたことは表2からうかがわれる。又、其他の部類に含まれる価値の少ない雑魚が、著しく大きい部分を占めていることも、戦後のこの漁業の特徴である。

従来の漁業およびその研究は、いかにすれば多量の魚を漁獲できるかに主眼が置かれていた。ある漁場で獲れなくなれば、船足を伸ばして新漁場を開拓し、また新しい漁具、漁法を考案して獲れるだけ獲ったのであり、獲った後がいかなる状況になるかにおいては、一顧も与えなかった。その央にしても獲れる間は良いが、魚は海の中に無限にいるのではない・・・獲り得主義の、そして、将来に対する見通しを持たなかった漁業のあり方の結末は自明であって、乱獲による資源の枯渇現象となって現れ、経営が行き詰まってきたのは、蓋し当然と言わねばならない。

下の図は、戦後の東シナ海漁場の漁獲量です。残念ながら、西海区水研の報告書が警告した通りになってしまいました。

1950年代には、漁場の拡大と漁船の大型化により、漁獲量は増えました。1960代から、漁獲量は直線的に減少しました。1951年の時点で、研究者も、管理当局も、漁業者も、魚を獲りすぎているという自覚はあったにもかかわらず、戦前と同じ失敗を繰り返してしまったのです。漁業規制は現在まで行われていません。1980年代から、日本漁船は採算がとれなくなり、撤退が相次ぎました。撤退していく日本の中古船を買って、中国人が同海域で操業を開始しました。この漁場に中国漁船が進出してくるのは、日本漁船が撤退していく1980年以降の話なのです。その時点で、東シナ海の資源は、日本によって、すでに乱獲をされていたのです。

筆者の所属する三重大学では、毎年、東シナ海でトロール実習を行っています。何時間も底引き網を曳いても、商業価値のないカニしか獲れません。かつての豊穣の海の面影は、どこにもありません。豊かな漁場を砂漠のような場所に変えてしまったのは、ほかならぬ日本の漁業者です。戦前と戦後に、同じ失敗を繰り返したにもかかわらず、日本の漁業者には、現在も反省の色は見られません。クローズアップ現代は、日本の過去の乱獲は無かったことにして、「中国の最近の乱獲で日本の漁業が衰退している」と主張します。実際は、日本の漁業者が乱獲をして、自滅したのです。中国漁船が日本漁業衰退の主要因ではないことは、中国船が来ていない太平洋側の漁業も、日本海側と同様に廃れていることからも、明らかでしょう。

そのうえ、日本は現在進行形で自国のEEZの乱獲を放置しています(参考その1 参考その2)。日本の漁業関係者は、過去の乱獲を反省せず、同じことを繰り返しているのです。確かに、現在の中国漁船の乱獲操業はほめられたものではありませんが、日本の漁業者に、他人事のように中国漁船を非難する資格は無いでしょう。乱獲を放置して、日本の水産資源の減少に荷担している水産庁が、「我が国の水産資源を責任もって守る(キリッ)」と言っていたのには呆れてしまいました。自国の水産資源を守りたいなら、まず、自国のEEZの資源管理をしてもらいたいものです。

日本の漁業管理について知りたい人は、これでも見てください。

日本の乱獲を知っていながら報道しなかったNHK

実は、NHKはこのブログの記事に書かれた事実を全部知っていました。NHK長崎が俺のところに取材にきたので、こういった背景を説明した上で、西海区水研の報告書のコピーを渡してあります。知らなかったとは言わせない。NHKは、歴史的な経緯をすべて理解した上で、日本の乱獲については一切触れず、「中国の乱獲のせいで、無辜な日本の漁師さんたちが迷惑をしている」という番組をつくったのです。ちなみにゲストの専門家の東海大・山田吉彦教授は、海賊問題がご専門のようですね。この海域の漁業の歴史を少しでも知っていたら、自国の乱獲を棚に上げて、中国を一方的に非難できなかったと思います。

Home > Tags > 大本営発表

Search
Feeds
Meta
Twitter
アクセス
  • オンライン: 4
  • 今日: 893(ユニーク: 431)
  • 昨日: 958
  • トータル: 9360588

from 18 Mar. 2009

Return to page top