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桜本文書
桜本文書を解読する その5
「科学的根拠として現行のABCに固執するものではない」→ 自らの非を認めた?
61 ページに、「現在、我が国においては、科学的根拠としてABCを用いているが、・・・、その根拠については、現状のABCに固執するものではない」と記述されている。この記述の意味は、「ABCが計算できるものについては科学的根拠としてABCを用い、ABCが計算できないものについては、他の科学的根拠を用いてTACを設定してもよい」という意味なのか、「現行のABCを科学的根拠としている資源についても、必ずしも現行のABCに固執する必要はなく、他の科学的根拠を用いてTACを決定してもよい」という意味であるのかが不明である。前者はTAC制を現行のTAC対象種以外の魚種に拡張する場合の話であろうから、その妥当性については後述する。
もし後者であるとするならば、この記述は、今までの規制改革会議の主張と矛盾している。なぜなら、いままで規制改革会議は現行のABC を絶対視し、TAC¬=ABCとすべきという主張をくり返してきたからである。上記の記述は、現行のABC を絶対視し、TAC=ABCとすべきという自分たちの主張が誤っていたということを認めたということであろうか?
そもそも漁業者側の主張は「現行のABCの算定方法が納得できない」ということであり、資源量推定値の見直しや、RPS(産卵親魚量当たり加入量)一定という仮定のもとで資源量の将来予測を行い、ABCを決定することに対して懐疑的で、他のABCの決定方法も検討してほしいということであった。至極妥当な要求であるにも関わらず、そのような漁業者の要請は一切考慮しないで、現行のABC を絶対視し、TAC¬=ABCとすべきという主張をくり返してきた規制改革会議が、ここに至ってこのように変節する理由が理解できない。その程度の底の浅い主張であったということであろうか?
文章の意味がわからないなら、規制改革会議か水産庁に、確認すればよいと思います。
「自らの非を認めた?」などと、鬼の首を取ったかような勢いだが、
規制改革会議は、別に現行のABCにこだわってきたわけではない。
乱獲を回避して持続的に漁業ができれば、それでよいわけだ。
そのために、「利用可能な最良の科学情報をもとに漁獲枠の上限を設定すべきだ」と考えている。
利用可能な科学情報がABCしかないなら、ABCをつかうべきだし、
水研センターのABCよりも優れた指標があれば、そちらをつかうのが当然だろう。
現状では、ABC以外の科学的指標が、国内で出てくる可能性は極めて低い。
日本で資源評価ができるのは、水研センターと水試の一部のみ。
そういった人間は、ほぼ全員がABCの決定に関わっている。
資源音痴の水産庁が、独自に科学的根拠のある数字を出せるはずがない。
せいぜい、某お手盛り審議会で非公式協議をして、「根拠は外部に出せないけど、
学識経験者が認めた数字だから、科学的なんだ!!」と言い張るぐらいが関の山だ。
そんなものが科学的根拠と認められるほど、世の中甘くはない。
ABCに代わる科学的指標がでてるはずがないのだから、
科学的根拠を守れということは、結局はABCを守れということになるはずだ。
水産庁サイドの強い希望で、「科学的根拠を遵守するなら、現行のABC以外でもかまわない」
という文面になったらしいが、規制改革会議がこだわっているのは、
「科学的根拠に基づく持続性の確保」だから、別にどちらの記述でもおなじことだ。
また、ABC以外の科学的な指標が出てくるとは思えない現状では、
結局は、ABCを遵守しろと言うことになるのは明白だろう。
どこをどう読んだら、「変節」とか、「底が浅い」とかいうことになるのか、理解に苦しみます。
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桜本文書を解読する その4
「ABCの値は合意事項であり、科学的には決まらない」「生物学的に妥当な目標資源水準など科学的には(生物学的には)決められない」というのが私の持論であるが、紙面の関係もあり、その点についてはここでは触れないことにする(興味のある方は資源管理談話会報(2004)、月刊海洋38(2006)をご参照下さい)。 話を簡単にするために、今、生物学的に妥当な目標資源水準が科学的に(生物学的に)決定できるものとして説明する。例えば、20万トンが生物学的に妥当な目標資源水準であったとする。今、現状の資源水準が10万トンで、20万トンまで資源を回復させる必要があったとする。その時の対応として、本質的に異なる2つの管理方策が考えられる。管理方策Aは20万トンになるまで禁漁する(ABC=0)。管理方策Bは何年かかけて資源水準を20万トンに回復させる、という2つの管理方策である。
資源が多い場合についても同様である。今、資源量が40万トンであれば、管理方策Aは20万トンになるまで最大の漁獲圧で漁獲する(可能な限り獲まくる、ABCは青天井)。管理方策Bは何年かかけて資源水準が20万トンになるように、現状の漁獲量を増やす。
管理方策Aを採用すべきと主張するのであれば、ただ一つのABCの値が科学的に決定できると主張しても誤りではない。ただし、生物学的に妥当な目標資源水準が科学的に(生物学的に)決定できるという条件付ではあるが・・・。しかし、管理方策Aを採用すべしと主張している人は実際には一人もいない(もし、そう主張される方がおられたら名乗りを挙げていただきたい)。科学的にただ一つのABCの値が決定できるとすれば、条件付ではあるが、この場合しかあり得ないことに注意する必要がある。
管理方策Bは何年で資源を回復させるか(最適な資源水準に持っていくか)ということが問題になる。5年で回復させるべき、10年で回復させるべき、あるいは6年で回復させるべき等々いろいろな提案があるだろう。しかし、5年で回復させるのが科学的に(生物学的に)正しくて、6年で回復させるのは科学的に(生物学的に)正しくないということを科学的に論証できる人などいないはずである(もし、論証できるという方がおられたら名乗りを挙げていただきたい)。つまり、何年で資源を回復させるかという議論の中には、既に生物学とは異なる次元の価値観が入り込んでいることになる。多くの場合その期間は社会的・経済的な要因に深く関係して選択されることになるだろう。
すなわち、何年で資源を回復させるかは生物学以外の要因も考慮した場合の合意事項であって、科学的に1つの値が決定できるといった類のものではない。何年で資源を回復させるか、その年数によって、当然ABCの値もすべて異なってくる。つまり、「ABCの値も合意事項であり、科学的に1つの値が決まるわけではない」ということである。「ABCが科学的に決定できない」から、合意形成のプロセスが重要になるのである。「ABCの値も合意事項であり、科学的には決定できない」ということを正しく理解していない人が「合意形成の重要性」を謳ってみても、「合意形成の重要性」を真に理解して発言しているとはとても思えない。
わかりづらい文章だが、要約すると「ABCは科学者の合意事項に過ぎないので無視して良い」ということだ。あまりに時代錯誤な考えである。90年代以降の世界の動きを全く理解しておらず、
「行政官ならまだしも、こんなことを言う研究者がまだいたのか」とかなり驚いた。
80年代以前には、世界中で、科学的アセスメントよりも、漁業者の目先の都合を優先していた。その結果、多くの漁業が破綻したのである。苦い経験から、不確実性があったとしても、利用可能な最善の科学情報を遵守するようになった。たとえば、92年のリオデジャネイロ宣言は、「科学的情報の欠如を口実に管理を怠ってはならない」と明記されている。また、1995年に公表されたFAOの責任ある漁業の行動規範でも同様のことがうたわれている。
現在、利用可能な最善の科学情報とは、「専門家集団の合意事項」に他ならない。日本政府が「これを実行に移さないのは科学軽視である」と他国を非難している。IWCのRMPにしても、科学者委員会の合意事項に過ぎない。桜本氏の考えを捕鯨に当てはめれば、「RMPは科学者の合意事項に過ぎないから無視して、漁業者の希望に応じてRMPで計算された捕獲枠を超過してもよい」ということになる。こんな主張が、通るわけ無いだろう。
また、「5年で回復させるのが科学的に(生物学的に)正しくて、6年で回復させるのは科学的に(生物学的に)正しくないということを科学的に論証できる人などいないはずである」という例は全く現実に即していない。
今の日本のTAC設定は「5年で崩壊させるのか、それとも1年がよいのか」というお粗末なレベルである。たとえば、マイワシでは海にいる魚の量を上回る漁獲枠が設定されていた。激減しているスケトウダラ日本海北部系群(参考資料1)の場合、資源量を維持するための漁獲枠4.6千トンに対して(参考資料2)、水産庁の設定した漁獲枠は1万8千トンであり、資源を保護するどころか、もっと漁獲圧を増やして良いという計算になる。
NZでは、ホキ資源が減少したときに、政府は漁獲枠を20万トンから10万トンに削減した。資源の回復を確認した後に、政府が漁獲枠の増枠を提案したところ、漁業者団体は、より早く確実な資源回復を実現するために、もっと漁獲枠を減らすように主張し、結果として、漁獲枠は1万トン削減された。そういうレベルでTAC設定の綱引きがされているのであれば、桜本氏の「漁獲枠は科学のみで決めるべきでない」という反論も理解できる。しかし、日本では、あり得ない過剰な漁獲枠に対して非難の声が上がっているのである。これらのTAC設定を容認してきた委員の長である桜本氏には、資源量を超える漁獲枠が、どのような社会経済学的理由によって、正当化されるかを、説明する義務があるはずだ。「資源回復の早さは科学的に決められない」などと、とぼけるのは、あんまりだろう。
参考資料1 スケトウダラの資源量(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/details/1910.pdfより引用)
参考資料2 研究者が勧告したスケトウダラの許容漁獲量は、3.4~4.2千トン(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/details/1910.pdf)。にも関わらず、水産庁が設定した漁獲枠は180千トン。現在の過剰な漁獲圧を更に増やして良いことになる。
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補足資料:アラスカのTACとABCの設定
- 2008-10-08 (水)
- 未分類
ABCはメイドインUSAの舶来品
日本のTAC制度は、米国の管理制度を模倣していることは、周知の事実である。
日本には資源管理の枠組みは存在しないのだから、仕方がない。
実際にABCの引用文献を見ても、いくつか欧州の文献が混じる程度で、米国の政府文書がほとんどだ。
ABCのルーツはアラスカにあり
米国の中でもアラスカが独特の長い資源管理の歴史を持っている。
米国本土ではITQモラトリアムという愚行をしていたが、アラスカは独自路線を貫き、
スケトウダラにITQを導入し、資源の回復に成功している。
さて、そのアラスカでは、70年代にすでにABCが利用されている。
例:1987年のアラスカ湾周辺の底魚の資源状態に関する文書
(http://www.st.nmfs.noaa.gov/tm/nwc/nwc119.pdf#page=151)
ABCはAcceptable biological Catch, OY はOptimum Yieldである。
すでに70年代から、アラスカではABCが存在したのだ。
OYは社会経済的要素を加味した上で、設定される漁獲量であり、日本のTACに相当する。
1984年をのぞいて、すべてABC>OYとなっている。
ABCの現状
2007年にシアトルで開かれた会議の資料に、科学者委員会の役目が書かれている。
http://www.fakr.noaa.gov/npfmc/membership/ssc/SSCrole507.pdf
最後の部分に注目をして欲しい。
北太平洋漁業会議は、科学統計委員会(SSC)のアドバイスに従い、
TACs≦ABC≦OFLの不等式が成り立つようにTACを設定すること。
(一つの資源にたいして、常に一つの数字)
実に明快ではないか。
で、実際の運用がどうなっているかも見てみよう。
http://www.fakr.noaa.gov/sustainablefisheries/specs07_08/BSAItable1.pdf
全ての魚種で、Overfishing Level ≧ ABC ≧ TACとなっている。
アラスカはがんばっているじゃないか。
こういう風に資源管理をしっかりやっている漁業は、産業として着実に伸びている。
米国はABCは値は一つだけ。日本は欧州の流用で、limitとtargetの2つのABCを設定している。
日本のTAC制度との整合性を考えると、 こんな感じだろう。
米国 | 日本 |
OFL | ABCLimit |
ABC | ABCTarget |
TAC | 期中改訂後のTAC |
ITAC | TAC |
アラスカでのTACの期中改訂は、ABCを上回らない範囲で、常に上方修正だ。
漁業を経済行為としてとらえた場合に、期中改訂で漁獲枠を削るのは難しい。
期中改訂で漁獲枠が削られると思えば、早どりをせざるを得ないし、
漁業経営上望ましくないのである。
そこで、最初は安全を見て低めのTACを配分しておく(ITAC)。
その上で、情報を集めながら、TACを上方修正し、漁獲枠を追加配分していく。
漁獲枠の追加配分は、スケジュールに組み込まれている。
最終的な漁獲枠をABCいかに抑えつつ、資源分布の不確実性にも順応的に対応できる。
ちなみに、南アフリカもこのスタイルだ。
TACがABCを下回るのは大前提であり、ABC-TACが不確実性に対するマージンになる。
アラスカでは、社会的・経済学的な要素を加味して、
マージンの大きさ、つまり、「TACをABCからどこまで減らすか」を決定する。
その場合も、日本のように行政官が鉛筆をなめて決めるのではなく、
資源研究者と経済学者からなる専門委員会で、
社会経済的な要素をちゃんと考慮した上で、TACを決定するのである。
いろいろな国の資源管理制度を調べてきたが、社会的・経済的な要因を口実に、
ABCを上回るTACを正当化している国など日本以外にない。
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桜本文書を解読する その3
致命的な「基本概念の誤り」
61 ページでは、「現行の我が国の水産資源の管理は、ABCを算定し、漁業の経営その他の事情を勘案してTACを決定している。しかしながら、科学的根拠に社会経済的要因を加味することは、科学的根拠をないがしろにし、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる」と述べている。すなわち、上記の記述はTACが社会的・経済的要因を加味して決定されること自体を否定している。しかし、社会的・経済的要因を加味しTACを決定すべきことは、TAC法にも明記されており、漁業生物資源の管理を考える際の至極当然な考え方である。例えば、サンマ資源は資源量が極めて大きく、ABCは 200万トン近い。規制改革会議はサンマについても、社会的・経済的要因を加味することをよしとせず、TACャを200万トン近く(2008年TACの約 4.5倍)に設定すべきと主張するつもりだろうか?
サンマの例もさることながら、経済的要因を一切考慮することなく、生物学的に妥当と思われる ABCを計算し、その値をTAC とすることが、「科学的根拠に基づく資源管理の徹底になる」という考え方自体が、根本的に間違がえている。なぜなら、規制改革会議が「科学的根拠」として取り上げているABCの値自体がそもそも合意事項であって、科学的に1つの値が決定できるといった性質のものではないからである。実はこのことを正しく理解している研究者は意外と少なく、そのことが今日の混乱を助長させている大きな要因にもなっている。このことは極めて重要であるので、以下に簡単に説明しておこう。
この文章の是非を論じる前に、ABCの基本についておさらいをしておこう。
法定速度が60kmの道路は、60km以下で走れば良いわけで、
別に60kmぴったりで走らなければならないわけではない。
ABCは法定速度のようなものであり、必ずしもABCぴったりまで漁獲をする必要はない。
0~ABCの間で、社会経済的な要素を考慮してTACを決めればよいのである。
現に日本をのぞく世界中では、そのようになっている。
科学的根拠を遵守するというのは、TACをABC以下に抑えると言うことであり、
サンマのTACは、ABCを遵守しているので問題はない。
問題はサンマ以外の資源である。
水産庁は、サンマ以外の全ての資源に対して、ABCを上回る過剰なTACを設定してきた。
「社会的・経済的要因」を口実に、漁業者から言われるままに、
非持続的なTACを設定してきたのである。
特に、低水準資源ほどABCを過剰に上回るTACが設定されている。
たとえば、激減しているマイワシ太平洋系群には、
2001年、2002年とABCどころか資源量を上回る漁獲枠が設定されていた。
現在、資源崩壊に向かっているスケトウダラ日本海北部系群に関して、
今後15~20年にわたり現状の親魚量を維持する漁獲量が4.6千トンというアセスメントの結果が得られた。
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/html/1910.html
それに対して、水産庁の設定したTACは18.0千トンである。
科学的アセスメントを無視して、資源量を現状維持できる漁獲量の何倍もの漁獲枠を、
まともな国ならとっくに禁漁をしているような低水準資源に対して設定しているのだ。
そもそもABCを大幅に上回るTACを設定するのは、TAC制度の根幹に関わる大問題である。
TAC制度のパンフレットには、「水産資源の適切な保存・管理を行うための制度です」とかいって、
過剰な漁獲枠を設定しているのは、納税者に対する裏切り行為だろう。
明らかに持続性に反するTAC設定をするならば、その理由をきちんと公開した上で、
国民の理解を求めるのが筋ではないだろうか?
水産庁および水産政策審議会は、社会的・経済的な要因を理由に、
ABCを遙かに上回る漁獲枠を設定している現状について、きちんと説明をする義務があるはずだ。
不都合な過剰漁獲には何もふれずに、例外的にABCを守れているサンマをとりあげて、
「ほら、どこに問題があるんだ」と居直るというのは、明らかに誠意に欠ける。
「漁業者が獲りたがっているから、明らかに非持続的なTACを設定することが至極当然だ」と主張するのが、
日本のお粗末な現状である。
社会経済的な要素を勘案したからといって、ABCを超えてTACを設定して良いことにはならない。
「遅刻しそうで、急いでいるから」などの理由で、制限速度を超えて良いことにしていたら、
実質的に速度規制が無いも同然だろう。
日本の水産資源も管理されていないも」同然なのだ。
規制改革会議はサンマについても、社会的・経済的要因を加味することをよしとせず、
TACャを200万トン近く(2008年TACの約4.5倍)に設定すべきと主張するつもりだろうか?
ABCは、社会経済的な要素を排除して、生物の持続性の観点から漁獲量の上限を定めたものである。
その定義に照らし合わせれば、200万トン獲っても資源の持続性に問題がないなら、
ABCは200万トンにするのが当然だろう。
ただ、ABCが200万トンだからといって、必ずしも200万トン獲る必要はない。
TACは社会経済的要素を加味して60万トンとしても、何も問題はないのである。
重要なことはABC≧TACであることなのだ。
問題なのは、本来のABCの定義を無視して、ABCをつかって出荷調整の道具にしていることだ。
値崩れを防ぐための出荷調整は、TACかもしくは業界団体の自主規制でやるべきである。
規制改革会議は、資源の低下に歯止めがかからない現状を問題視しているのだから、
ABCの倍以上のTACが設定されているスケトウダラ日本海北部系群や、
ABCはおろか資源量を超えるようなTACが設定されていたマイワシのことを批判しているのは自明だろう。
ただ、指摘されたように、規制改革の原文は、社会経済的な要素を考慮すること自体を否定しているように読める。
0~ABCの範囲で、社会的・経済的な要因を考慮してTACを設定することには問題はない。
ABCの超過を問題していることを明確にするように、文面を修正した方がよいだろう。
元の文章:
科学的根拠に社会経済的要因を加味することは、科学的根拠をないがしろにし、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる
↓
修正案:
社会経済的要因を理由に、科学的根拠をないがしろにした過剰な漁獲枠が設定され、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる
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桜本文書を解読する その2
人々に誤解を与える不適切なデータの引用
上記「図表2-(1)-④」には、データの引用元として、「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)他より作成」という備考が記載されている。中間とりまとめを読んだ他の読者も同様であると思うが、私も最初にこの表を見たとき、「我が国周辺水域の漁業資源評価」のデータを中心に引用し、それでは補いきれないデータの不足分を他の資料から引用しているものと思っていた。しかし、実際にはそうではなく、上記6魚種のうち、約7割に当たるスケトウダラ、キチジ、アマダイ、マダラの4魚種の漁獲データについては、データの出所が明記されていない「漁業・養殖業生産統計年報」のデータが用いられているようだ。この相違は重大である。なぜなら、前者と後者では取り扱っているデータの範囲が全く異なっているからである。前者は、表題通り、我が国周辺水域の漁獲量や漁業資源評価が記載されているのに対して、後者は旧ソ連水域や米国沿岸水域等での漁獲データも含まれているからである。1970年代後半に諸外国が200 カイリ経済水域を実施するに伴い、日本漁船はそれら200カイリ水域から締め出され、漁獲量が激減したことはよく知られている事実である。日本沿岸ばかりでなく、旧ソ連水域や米国沿岸水域でも漁獲していた魚種について、1970年代と1980年以降の漁獲量を比較すれば、漁獲量が激減していても何ら不思議はない。
例えば上記の表で、スケトウダラの漁獲量は277万トン(1971)から22万トン(2007)へと約1/13に激減したことが示されている。しかし、 1971年のスケトウダラの漁獲量277万トンのうち実に75%強の210万トンは旧ソ連水域や米国沿岸水域で漁獲されたものである。これに対し、「我が国周辺水域の漁業資源評価」に記載されているスケトウダラ4系群の総漁獲量を用いると、その変遷は61万トン(1976)から19万トン(2006)と約 1/3の減少にとどまる。減少していることには変わりはないが、1/3の減少と1/13の減少とでは読者の受ける印象は全く異なるものになるだろう。
マダラについても、第3次中間とりまとめが用いた「漁業・養殖業生産統計年報」の1980年代までの漁獲量には、海外漁場で操業している母船式底びき網、北方トロール、北転船、北洋はえ縄・刺網による漁獲量(概ね5万トン程度)も含まれている。この5万トン程度を差し引くと日本沿岸での漁獲量は5万トン前後で安定していることになる。また、「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)」では、近年のマダラ資源は太平洋北部系群、日本海系群とも高位水準、増加傾向となっている。
これだけ結論が違ってしまうことについて、規制改革会議はいったいどのように説明するつもりであろうか? ここまでくると、もはや科学的か非科学的かといったレベルの問題ではなく、多くの人々が誤解することをむしろ期待して、わざとこのようなデータ操作をしていると言われても仕方がないだろう。「科学的根拠に基づく資源管理の厳格化」を主張する前に、規制改革会議こそ「科学的根拠に基づく厳格な論理展開」をしていただくようお願いしたいものである。
規制改革会議が、「ほら、資源が減ってるでしょ」と示した図に、国際漁場の漁獲量も入っており、
「国内だけ見たら、あまり減っていないじゃないか」という反論だ。
たしかに、国際水域も含めた漁獲統計をつかったのは、規制改革側のちょんぼである。
真摯に反省をした上で、図表を改めないといけないだろう 。
個々の魚種について見ていくと、スケトウダラは1/13→1/3なので、減少傾向は変わらない。
おそらく、過去の統計がザルであることを考慮すれば、1/6ぐらいにはなっていると思う。
ただ、データの精度まで言い出すときりがないので、
誰が見ても駄目っぽいスケトウダラ日本海系群に限っておいた方が無難だろう。
キチジについては乱獲&資源減少は明らかだから、このままでOK
マダラについては、数少ない高水準資源を持ってきたのはいただけない。
マダイも減ってはいるが、種苗放流があるから、資源変動を議論するのは微妙な資源である。
ということで、スケトウダラは日本海北部系群の図にし、マダラとマダイは別の魚種に変えるべきだろう。
マサバとか、マイワシとか、北海道のニシンとかを、減少資源には事欠かない。
図にする魚種を差し替えるだけで十分であり、規制改革の内容に影響を与えるほどのものではない。
「わが国の資源管理は有効な管理手段として何ら機能していない」はほんとうか?
同じ60ページで「このような状況(資源が危機的な状況)にまで陥った要因は、わが国の資源管理の在り方にある」と述べ、「我が国の水産業に必要なことは、有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、さらなる乱獲を促進している我が国の現行の漁業・管理の仕組みを抜本的に改正することである」、「このように、資源のほとんどが枯渇ないし減少している状況で、漁業者が資源状況を無視した漁獲を求め、行政が有効な対策を講じなければ、漁業の継続は不可能となり、我が国の水産業はなすべくして消滅することになる」と断言している。
しかし、TAC¬対象魚種以外の44魚種71系群のうちの約半数の36系群が我が国の現行の漁業・管理の仕組みによって、中位または高位水準にあり、決して漁業・管理の仕組みが「何ら機能していない」わけでも、「さらなる乱獲を促進している」わけでもない。現在TACが適用されている8魚種19系群について見てみると、マイワシ、マサバ、スケトウダラ等の9系群が低位水準、マアジ、ズワイガニ、スルメイカ等の7系群が中位水準、ゴマサバ、サンマ等の3系群が高位水準にある。しかし、誤解している人も結構いるようだが、中位または高位水準にある資源のうち、マアジ(太平洋系群、対馬暖流系群とも)は1980年ごろから増加、スルメイカ(春季発生系群、秋季発生系群とも)は1985年ごろから増加、ズワイガニ(日本海系群)は1991年ごろから増加しており、 TAC制を実施するずっと以前から資源は既に増加傾向を示していた。サンマのCPUE(資源量の指標となる)も1980年ごろから増加傾向を示している。「わが国の資源管理は有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、さらなる乱獲を促進している」という記述は明らかに事実に反しており、多くの人に誤解を与えるものである。
「中位や高位の資源もあるから、日本の資源管理はうまくいっている」と言いたいようだが、
普通に獲っていても、問題がない資源もあるのは当たり前。
たとえば、サンマが多いのは、海洋環境の影響で、我が国の資源管理とは何の関係も無い。
そもそも公海資源であるサンマをとりあげて、
「日本の資源管理が機能している」と主張するのはナンセンス。
逆に、低水準資源があるから資源管理が機能していないと決めつけるのも乱暴だ。
低水準資源に対して十分な漁獲抑制をして、それでも資源が減っているなら、仕方がないだろう。
資源管理が機能しているかどうかは、低水準の資源への対応を見た上で、判断すべきであろう。
「ブレーキをかけるべきところで、ちゃんとブレーキが踏めているか」が重要なポイントなのだ。
日本のTAC制度では、ABCを遙かに超えるTACが設定されているのだが、
低水準資源ほど、TACがABCから超過している。
低水準資源に対して、何ら漁獲規制をせずに、過剰漁獲を容認しているのだから、
資源管理とは呼べないだろう。
個々の事例を見ていこう。
超低水準のマイワシには、2001年、2002年と、現存量を超えるTACが設定されていた。
超低水準のスケトウダラ日本海北部系群の今年度のABCは資源量を現状維持できる8千トンであった。
それにたいして、水産庁が設定したTACはその倍以上の1万8千トンだ。
上の図はスケトウダラ日本海北部系群の資源量と漁獲割合なのだが、
こんな感じで減少している超低水準資源に対して、
現状維持でABCを計算する北海道の研究者にも問題はあるが、
その倍以上の漁獲枠をTACとして設定する水産庁は論外だろう。
マイワシやスケトウダラ日本海北部系群のように、前代未聞の低水準まで資源が落ち込み、
なおかつ高い漁獲圧にさらされている資源にたいして、何ら漁獲抑制をしなかった。
マイワシなど、「獲れるものなら全部獲ってみろ」と漁業者を煽ったわけだ。
これのどこが資源管理なんだ???
桜本文書では、たまたま資源が高水準にあるサンマの話ばかりを繰り返しているが、
都合が悪いからといって、低水準資源を無視するのはフェアではないだろう。
資源管理の効果を見えるには、低水準資源への対応こそ重要なのだから。
スルメ、ゴマサバ、マアジは、80年代以降、卵の生き残りが安定して良いので、
特に管理をしなくても、漁業が続けられてラッキーでしたね。
サンマは北太平洋全域に広がる公海資源だから、除外するとして、
唯一、資源管理をしたと言えるのは、日本海のズワイガニ漁業ぐらいだろう。
今年の初めに京都に行って、京都府海洋センターの山崎さんと、
底引き漁業者から、資源管理に関する話をいろいろときいてきた。
そのときにもらったパンフレットの図を引用するとこんな感じ。
昭和30年代、40年代とぐぐっと漁獲が減っていることがわかる。
当時も、県の自主規制や国の省令には従って操業をしていた。
でも、これらに資源管理効果は全くなかったので、資源は急激な減少を続けた。
「日本の漁業者は、資源管理に積極的に取り組んでいます」というのは一般的にはこのレベル。
昭和55年から、漁業者自らが資源管理に乗り出し、資源を回復させていった。
資源を持続的に利用するためには、資源が減った時に、さらに漁獲率を落とさないといけない。
言うのは簡単だけど、生活がかかっているときに、実行するのは難しい。
個人だって、難しいことを、組合という集団で実行できたのは凄いことであり、
京都府の底引き漁業者のがんばりは、例外中の例外だ。
組合長の話の中で、「自分たちが資源をつぶしたら、後の世代に申し訳がない」ということが何度もでてきた。
こういう人がいたから、資源の減少を食い止めることができたし、
MSCの認証をとることができたのだろう。
こういう漁業者を見ると、日本の漁業も捨てたもんじゃないと思う。
ズワイガニの資源管理が成功した背景には、例外的な漁民のがんばり以外に、
この漁業ならではの好条件があることを忘れてはいけない。
着底後のカニはほとんど移動しないため、
物理的に網を引けない禁漁区をつくれて、その利益を沿岸漁業者で排他的に利用できる。
この条件があったから、保護区の有効性を漁業者が実感でき、新たな保護区の設置へとつながっていったのだ。
日本海のズワイガニの成功は、例外であって、このレベルでちゃんと資源管理ができているような漁業は、
沖合、沿岸を通して、数えるぐらいしかないのが、現実なのだ。
この辺については、以前の文章を参考にして貰いたい。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/6_1.html
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/7_1.html
ズワイガニ(日本海系群)は1991年ごろから増加しており、
TAC制を実施するずっと以前から資源は既に増加傾向を示していた。
というのは、確かにそのとおりなんだけど、この資源についてはもっと前から見ていく必要がある。
ズワイガニに関して言うと、漁業の存続すら怪しかった昭和55年の状態からは、ずいぶん回復したが、
昭和40年以前の水準とは比べるべくもない。
超低水準からは脱したし、増加傾向にあるが、歴史的に見れば未だに低水準なのだ。
「昔は海の中じゅうカニだらけで、いくらでも獲れた」
「大量に獲って、売れ残ったら畑の肥料にしていた」
という景気の良い昔話を、漁業者から聞くことができた。
漁業者の実感としても昔と比べると、現在のカニの量はとてつもなく低いようだ。
水研センターは、すでに魚が減ってからの水準で、高位とか、中位とか言っているのだが、
日本には、本当に魚が多かった時代のデータが無いのだ。
終戦直後と比較すれば、ほとんどの資源が低位だろう。
状態が良い資源は本当に少ない。特に西の方はほぼ全滅だろう。
北海道から沖縄まで、スーパーでは、輸入魚とサンマばかりじゃないか。
確かにズワイガニに関しては、資源管理の効果はでている。
しかし、これは漁民の努力であって、国の資源管理ではない。
農林水産省令が何の役にも立っていないことは、上の図からもわかるだろう。
この資源はちゃんと残せば、ちゃんと増えるのだ。
そして、農林水産省令では、ちゃんと残せていなかったのだから、
資源管理として機能していなかったと言われてもしょうがないだろう。
具体的に、行政機関が主導した資源管理で成功した事例があるなら、教えて欲しいものだ。
水産庁の管理課は、瀬戸内海のサワラや、太平洋のマサバが、回復したと大本営発表をしていたが、
どっちも全然回復していないじゃないか。
まともな成功事例が無いから、こんなものを成功事例をして持ってこざるを得ないのだろう。
海外には国家主導の資源管理の成功例は、いくらでもあるんだけど。
TAC制度は、本当に漁獲の削減が必要な低水準資源の漁獲にブレーキをかけたことは1度も無いし、
今のままでは未来永劫、そんな機会は訪れないだろう。
資源管理ではなく、たんなる税金の無駄遣いだ。
TACという仕組みが悪いのではなく、水産庁の運用方法に問題があるのだ。
でたらめなTAC制度の運用をとがめるどころか、
バックアップしてきた、水産政策審議会の社会的責任は極めて重い。
「我が国の水産業に必要なことは、有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、
さらなる乱獲を促進している我が国の現行の漁業・管理の仕組みを抜本的に改正することである」
という規制改革会議の主張は全くの正論であろう。
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桜本文書を解読する その1
「科学的根拠に基づく資源管理」は科学的か?
東京海洋大学 海洋科学部教授
桜本和美規制改革会議の第3次中間とりまとめが公表された。その中の③「水産業分野」の水産資源管理に関連する部分には、「科学的根拠に基づく資源管理」の重要性が繰り返し強調して述べられている。しかし、その論理展開は極めて非科学的で、基本的な認識と概念において意図的とも思われる重大な誤りがある。紙面の関係もあるので、上記の事項に絞って意見を述べたい。
一部のデータから全体的な結論を導くことの非科学性
第 3次中間とりまとめ60ページ「図表2-(1)-④ 減少が著しい魚種別漁獲量の推移」では、漁獲量の減少が著しい例として、スケトウダラ、キチジ、アマダイ、タチウオ、マサバ、マダラの6種について 1971年から5年ごとの漁獲量の変遷を示し、「我が国の水産資源の状況は危機的状況であるといっても過言ではない。」と断言している。しかし、上記の表の引用元である「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)、水産庁」には、52魚種90系群にもおよぶ資源状態が記載されている。これをみると、確かに半数近い43系群が低水準にあり、決して好ましい状況ではないが、見方を変えれば、半数以上の系群が中位(32系群)または高位水準(15系群)にあり、決して危機的状況というわけではない。そもそも、高位の資源もあれば、低位の資源もあるという状態が自然界の常態であるともいえるので、すべての資源を中位または高位水準に維持しようとしてもそれは無理というものである。高位・中位・低位にある資源の割合がどの程度であれば、自然な状態かを判定することは容易ではないが、少なくとも、わずか6魚種の極めて低水準にある資源のみを示して「我が国の水産資源の状況は危機的状況である」という結論を導き出すという論法はどう見ても科学的ではないし、意図的な悪意すら感じられる。
昭和27年には、沿岸漁業で250万トンも獲っていたが、現在は150万トンまで落ち込んでる。
昔の統計は精度が低く、数えこぼしがあったことを加味すると、漁獲量はさらに減っているはずだ。
魚群探知機などの発達で、低水準の資源を効率的に獲れるようになったことを考慮すれば、
海の中の魚がどれほど減ってしまったのか想像もつかない。
残念ながら、日本で統計が整備されたのは1980年代以降であり、
それ以前のデータは精度に問題がある。
日本には、本当に魚が多かった時代のデータが無いのだ。
ただ、日本近海の魚が減っていることは、年配の漁師や釣り人を捕まえて、
昔話を聞いてみれば、明らかだろう。
彼らは誇張を交えながら、日本の沿岸がいかに豊かな海だったか、
そして、いかに魚が減ってしまったかを教えてくれるはずだ。
50年前と比べれば、比較しようがないほど、魚は数も減ったし、サイズも小さくなっている。
回復したと言われる京都のズワイガニにしても、
昔はいくらでも獲れたから、つぶして畑の肥料にしていたのである。
資源管理で多少回復したとはいえ、昔の水準にはほど遠いのだ。
水研センターは過去15年間の資源変動をつかって、水準の評価を行っている。
こんな感じで過去15年の資源量推定値の最大値と最小値を3等分し、
最近の資源量が高位、中位、低位のどこにくるかで、水準を判断している。
15年前と言えば、すでに魚は減った後だ。
すでに魚が減ってからの水準で、高位とか、中位とか言っているのであり、
終戦直後の自然に近い水準と比較すれば、ほとんどの資源が低位といえるだろう。
また、この判断基準で低位が多いと言うことは、
過去15年程度のスケールで減少傾向にある魚が多いことを意味する。
減りきった上に、さらに減り続けているのである。
低位43,中位32,高位15種を図にしてみるとこうなる。
もし、日本周辺の水産資源が全体として安定ならば、高位と低位は同じ割合になるはずだ。
低位と高位の頻度にこれだけ差があれば、
低位と高位の確率が等しいという仮説は容易に棄却できる。
日本近海資源が全体としての減少傾向にあることは明らかだ。
決して好ましい状況ではないが、見方を変えれば、半数以上の系群が中位(32系群)または高位水準(15系群)にあり、決して危機的状況というわけではない。
桜本氏は、「好ましい状況ではないが、危機的ではない」という認識のようだ。
すでに多くの漁業経営体は危機的な状況にある。
さらに資源が減ったら、漁業が産業として成り立たなくなるという可能性が高い。
現在、低水準にある、スケトウダラも、マイワシも、確かに種として絶滅はしないだろう。
しかし、漁業が成り立たなくなれば、水産資源とはもはや呼べないはずだ。
産業として成り立つかどうかの瀬戸際にある漁業がたくさんある。
魚が捕れなくなって、困っている漁業者がたくさんいる。
こういう状況を何とか打破したいと危機感を持つのは、水産研究者として当然だろう。
また、水準の定義から考えれば、高位と低位の比が重要であり、
高位と中位を合わせて半分あるから良いなどという理屈は成り立たない。
低位資源がその3倍もあることを無視して、「高位資源が存在するから問題ない」と主張するのは、
一部の例外から、全体の結論を導きだす非科学的な論法である。
「すべての資源を中位または高位水準に維持しようとしてもそれは無理というものである」
と指摘をしているが、そんなことは当たり前である。
そもそも、低水準資源を無くせという無茶な主張をしている人間などいない。
規制改革の文書のどこにも、そんなことは書いてないのである。
改革サイドは、低水準に大きく偏った現状に危機感を持っているのである。
改革サイドの発言をねじ曲げた上で反論する、という論旨のすり替えが、この後も繰り返されている。
「改革サイドは無茶な要求をしている」という印象を、読者に植え付けようという意図であろうか。
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そろそろ例の文書につっこみを入れてみよう
いやぁ、最近忙しくて、ブログを書く、暇がないですよ。
8月〆の原稿も終わってないし、15日〆の原稿2つに至っては手つかずだし。
なんだかとってもピンチ、というより、すでにアウトな予感に満ちている。
15日の締め切りの一つは、俺が当初の締め切りでは書けないと断ったら、
発行日をずらして対応しますということになってしまったのだよ。
みなと新聞は、ちょっと遅れるかも。
ここまでされると、さすがに不義理はできない。
授業の準備もしないといけないし、引っ越しはあるし、JABEEは面倒くさいし・・・
と、まあ、いろいろあるのですが、やっぱり、ブログも書かないと駄目だね。
「暇になったら書こう」なんて考えは甘い。絶対に、暇にはならないから。
忙しい中で時間を作って書かないといけないのだ。
最近、水産経済新聞に掲載された桜本先生の文章を手に入れたので、
その内容について検討してみよう。
文章の主な内容は次の通り。
- 魚が減っているというのは、事実無根な言いがかり
- 我が国の資源管理は機能している
- 社会経済的なその他の事情を勘案し、ABCを超過するTACを設定するのは妥当
- ABCは、科学者の合意事項に過ぎず、科学的ではないので無視して良い
- 帰省改革会議が、「現行のABCに固執しない」のは変節である
- TAC魚種は現状7種で十分であり、増やすべきではない
いままで水産庁が主張してきたこと、そのまんま。
一心同体なんですね。流石です。
次回から、原文を読み解きながら、じっくりと吟味をしていくのでお楽しみに。
この件に関しては、ブログのコメント欄でも盛り上がっていたのですが、
そのプロセスで、読者の質問に対する答えも明らかになるとおもいます。
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