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食料問題
世界漁業は成長産業 その3
主要な輸入国の輸入量は次のようになる。
ここでも日本のみが減少傾向、他が増加傾向である。特に2002年以降の日本の輸入量の減少が顕著である。その理由は、輸入単価のトレンドから明らかである。
不況の影響で、日本の輸出単価は1990年代中頃から下降傾向にあった。2002年に、輸入単価が上昇中の欧州に追いつかれたのである。その後は、欧州との魚の奪い合いにより、同調して単価が上がっている。2002年以降に日本の輸入単価が上昇しているのは、この価格以下なら、日本市場が要求する水準の水産物が確保できないからだ。不景気の中で、値段が上がれば、当然のことながら、量が減る。日本の輸入量の減少は、消費者の魚離れではなく、国際価格の高騰による買い負けである。水産庁は「自給率が上がった」などと、大々的に宣伝をしているが、日本が貧乏になって魚を輸入できなくなっただけである。
先日訪れたチャタム島でも、80年代は、ロブスターの9割が日本に輸出されていたが、現在は5%しか日本に行かないそうだ。
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世界漁業は成長産業 その2
世界の漁業生産が、過去最高水準で安定的に推移しているのは、各種統計から明らかである。ただ、漁獲量の統計のみでは、世界の漁業の現状を把握するのは難しいだろう。近年の世界漁業の発展は、量よりも質の向上によるところが大きい。
漁業を取り巻く状況が近年大きく変わってきた。50年前の水産物は、地産地消が基本であった。漁獲物は、比較的短期間のうちに、水揚げ地周辺で消費されてきた。冷凍技術と輸送技術の発達により、水産物が世界中を移動する時代になった。
世界の水産物の貿易量と金額を次の図に示した。漁業生産が頭打ちになった90年代以降も、水産物の貿易は順調に増加していることから、地産地消から、地産他消へのシフトが進んでいることがわかる。水産物の貿易の重量はコンスタントに増加しているが、値段はそれ以上に増加している。
重量ベースで見ても、金額ベースで見ても、水産物の貿易は伸びているが、特に金額ベースでの伸びが著しい。これは輸出単価の上昇を意味する。水産物の輸出平均単価を図にすると次のようになる。
長期的な上昇傾向にあることがわかる。近年、日本国内では魚の値段が低迷しているが、世界市場では2000年以降、急速に単価が上がっているのだ。90年代以前であれば、日本の価格の低下は、そのまま世界市場の価格の低下につながったが、現在はそうではない。日本が買わなくても、世界の魚の値段は上がっているのである。水産物国際市場は、急激な日本離れが進んでいるのだ。
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世界漁業は成長産業 その1
- 2009-08-10 (月)
- その他
「東京湾漁業は高度成長期以降の旺盛な湾域開発によって漁場環境は変貌し、湾内漁業は経済優位な産業に駆逐され衰退の一途を辿っている。加えて、漁業自身 の抱える問題-乱獲、魚価の低迷、魚病の発生等-も大きいが、資源の管理・環境保全(生態系サービス)を念頭に置いた漁業は今や高収益の成長産業であるこ とが明らかになってきている。」と記したところ、「高収益の成長産業であることが明らかになってきている」という具体的事例を示せ、という指摘を受けてい るところです。事例収集、解析等についてご教授くださると幸いです。
世界の漁獲統計をみれば、成長しているのがすぐにわかります。世界の漁獲量は90年代以降、極めて安定的に推移しています。その間に、世界の水産物の価格は急増しているので、産業規模として拡張傾向にあるのは明白です。SOFIAあたりを見ていただければ、一目瞭然です。高収益というのは、経費も含めた統計が必要になるので、示すのが難しいですね。ノルウェーはそういう統計を出していますが、NZは国としての統計はありません。一部の上場企業の業績をみれば利益は確実に上がっています。
世界の漁獲量のトレンドはこんな感じです。
(FAO FishStatより引用)
逆V字で50年前に逆戻りの日本漁業とは異なり、世界の漁業生産は右肩上がりで増加している。
主要な漁業国の1977年と2007年の漁獲量を比較するとこんな感じになる。
漁獲量を大幅に減らしているのは日本のみ。ノルウェーも漁獲量は減少しているが、日本とは全く異なる理由である。日本は世界の漁場から閉め出され、国内の資源も乱獲で減少し、捕る魚が無くなっている。それに対して、ノルウェーのEEZの資源は、1977年から、倍ぐらいに回復している。魚はたくさんいるが、厳しい管理によって、漁獲量を増やしていないのである。1977年には赤字であった漁業を改革し、高利益体質へと変貌している。ノルウェーの漁獲量の減少は、漁獲量を追求する漁業から、漁獲物の質と安定性を追求する漁業へと改革をした結果なのだ。魚を獲り尽くして、自滅をしている日本とは対照的である。
主要漁業国の過去50年以上の漁獲量のトレンドはこんな感じになる。
中国、インドネシア、米国、チリ、は右肩上がりもしくは、高め安定傾向。ペルーは主力のアンチョビの変動に大きく左右される不安定な産業構造ながら、健闘している。そして、ノルウェーは高価格戦略で、順調に利益を伸ばしている。ここでも、日本のように漁獲量が減少している国は他に見あたらない。
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漁業者が減っても、消費者は困らない
漁業関係者の多くは、「水産物の安定供給のために、赤字の漁業者を救済せよ」と主張している。
科学的にはじき出された許容量を上回る漁獲を、国が認める不可思議。当然、「乱獲を公認している」との批判があるが、水産庁は「TACをABCに沿って激減させると、漁業者は操業できず、倒産する。すると、水産物の安定供給が困難になる」という。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/suisan-oukoku/14119.html
これ、全くの嘘。むしろ赤字の漁業者を維持することは、水産物の安定供給にとって、マイナスでしかない。
まず、日本の漁業者は余っている。足りないのは魚だ。横浜国立大学の馬奈木准教授の試算によると、現状の漁獲量を維持するのに必要な漁業の規模は今の15%。要するに85%も過剰な漁船を保持しているのである。
漁業者多すぎ、魚がいない。というのは世界的に共通している。1989年にFAOは世界の漁獲能力は、現状の漁獲を維持するために必要な130%の水準であると推定した。また、Garcia and Newton (1997)は、世界の漁船規模を現状の53%に削減すべきであると試算をしている。世界中で、漁船も、漁業者も余りまくりなのだ。不足しているのは、魚や漁獲枠である。「日本近海に魚があふれるほどいるけれど、漁業者がいない」という事態は、まずあり得ない。もし、そのあり得ない事態になれば、暇をもてあましている漁船を海外からチャーターして、水揚げをさせれば良いのである。
たとえば、NZでは、ロシアや韓国漁船をチャーターして、自国で操業・水揚げをさせている。海外のチャーターは、日本漁船よりも圧倒的に安価である。韓国船は非常にマナーが悪いらしい。NZの操業違反の8割は韓国漁船だとか。一方、ロシア船は、操業規則も守り、魚の質も良いとのこと。日本の漁業者が絶滅をしても、ロシア船をチャーターすれば、水産物の安定供給は可能だし、その方が、魚の値段は下がって、質は上がる可能性が高い。
漁業者減ると、全漁連や、水産庁は、とても困る。我々、水産学の研究者も、存亡の危機だ。しかし、漁業者が減っても、消費者への悪影響はほとんど無い。それどころか、メリットが多いだろう。自国の漁船を維持するより、外国漁船を単年契約で利用する方が、資源が減少したときに、禁漁等の思い切った措置がとりやすくなる。結果として、資源の持続性が保たれ、水産物の安定供給に寄与する。繰り返すが、水産物安定供給の生命線は、漁獲努力量ではなく、資源なのだ。
安定供給を口実に、現状の過剰な漁業者による、過剰な漁獲を正当化するロジックがいかにデタラメかは自明である。水産庁だけでなく、組合も、漁業者も、御用学者も、みんな言っている。安定供給を口実に、業並みの手厚い保護を勝ち取ろうとしているが、実に浅はかである。漁業者が多すぎるから魚が減るという当たり前の事実に、納税者は遅かれ早かれ、気づくだろう。補助金依存度を高めたら最後、補助金なしには存続できない産業になってしまう。そして、補助金はいつまでも出せる国家財政ではない。補助金おねだり作戦のもたらす結果は、漁業の延命ではなく、確実な破滅なのだ。
日本漁業の生き残る路は、①生産性を高めて経済的に自立すること、②日本の漁業者に任せた方が、資源の持続的利用に寄与すると示すこと、の2点であろう。実際には、全く逆の方向に進んでいる。自給率ナイナイ詐欺で、非生産的な現状を肯定する。そして、「零細な漁民がいるから、資源管理はできません」などと開き直るのである。今のままでは、消費者から見捨てられるのは時間の問題だろう。俺としても、沿岸漁業が少しでも多く残ればよいと思っているが、このままではどこまでも淘汰が進むだろう。組合も、行政も、研究者も、漁業が自立した持続的な産業として発展していくのを助けるために全力を尽くすべきである。そのことが、長い目で見れば、漁業に寄生する我々が存続する唯一の道なのだ。
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再考:食料危機をあおってはいけない
ちゃんと読んだら、とても良い本でした。水産分野のダメっぷりに驚いて他の部分を読んでいなかったんだけど、面白い内容が多かったです。徹頭徹尾、楽観的だね、この人は。でも、それはそれで、重要でしょう。
素人には誤解されやすいんだけど、将来はどうなるか、専門家だってわからない。食料全体の供給がどうなるかは、はっきり言えば、誰にもわからない。もちろん、ある程度の予測はできるんだけど、それは、その人のバックグランドと情報に大きく支配される。100人の専門家がいれば、100通りの予測が出てきてもおかしくはない。そして、どの予測が正解かは誰にもわからない。環境問題でいろんな説が出てくるのは、誰かが嘘を言っているからではなく、それだけ不確実性があるからなのだ。
正解がないからといって、何もしないわけにはいかない。これが実学の悩ましいところだ。俺の専門である水産資源学も、歴史的にこの課題に直面してきた。そういう状況で、我々がどうしてきたかというと、まず、もっとも楽観的なシナリオと、もっとも悲観的なシナリオを作ってみる。未来は、2つの極端なシナリオの間のどこかにあるはずだ。最初に想定の範囲を示しておくと、その後のプランが立てやすい。理想を言えば、想定の範囲すべてに対応できるような方策を準備したいんだけど、一般的に想定の範囲はとても広くなるから、何が起きても大丈夫というケースは例外。ある程度、運が悪くても適応できる戦略を考えておくのが、現実的ということになる。
この本は、すべての歯車が楽観的な方向に廻ったら、どうなるかというビジョンを示しており、楽観的な上限を考える上では、参考になる。この本の最大の効果は、悲観的なシナリオを過度に強調し、消費者に全く寄与しないお荷物生産者を守ろうする、「自給率ナイナイ詐欺」の呪縛から、読者を解き放つことだろう。水産分野を見ればわかるように、この本は楽観的な方向に激しく偏っており、ツッコミどころは多い。だからといって、読まないのは実にもったいない。この本に書かれている楽観的な予測は、まず当たらないと思うが、視野を広げるという意味では読むべき価値がある本である。当ブログの読者にも、是非、目を通してもらいたい。いろんな発見があると思うよ。
それにしても面白い本が出たものだ。「一億総飢餓を防ぐために、零細生産者を守れ」という念仏を、大声で唱えていれば、研究費もポストも空から振ってくる。そういう世界で、こういう本はなかなか書けない。たぶん、筆者は、正直者というか、お調子者なのだろう。こういう人がどんどん出てくると、世の中、面白くなるね。
日本の一次産業も盛り上がって参りましたっ!!
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