Home > 研究 Archive

研究 Archive

漁業の歴史 part2

[`evernote` not found]

増加期 ~ 沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ

日本漁業が発展をした増加期(1945-1971)までの主な出来事を振り返ってみよう。

1945年 終戦
1945年 トルーマン米大統領が大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言を発表
1948年 水産庁発足
1949年 新漁業法制定
1952年 日米加漁業条約調印・日米行政協定調印・李承晩ライン宣言
1952年 北洋漁業再開
1955年 日本国連加盟
1956年 日ソ漁業条約調印(日ソ漁業交渉第一年)
1960年 スケソウダラのすり身技術開発
1960年 南氷洋での捕鯨世界一に
1962年 堀江謙一、ヨットで単独大平洋横断

現在の漁業システムの基礎が作られたのは終戦直後である。
疲弊しきった国力で、何とか国民を食べさせなければならない。
貴重なタンパク源として、漁業にかかる期待は大きかった。
終戦3年後に水産庁が発足し、翌年に新魚業法が制定された。
また、各地の大学に水産学部が設けられ、水産大学や水産高校できた。
このように国を挙げて水産業を振興していく体制を整えたのである。
1952年に、米国・カナダと漁業条約を締結し、遠洋漁業への扉が開かれた。
戦後のインフラがない中で、まずは沿岸漁業の生産が増加した。
ディーゼルエンジンと無線の普及と共に沿岸から沖合、遠洋へと漁場が拡大する。
李承晩ラインのような逆風も在ったが、順調に漁業生産を増加させて、
1960年に南氷洋での捕鯨が世界一になった。


水産庁の役割

この時期の水産庁の役割は、とにかく素早く漁業生産を増加させることであった。
それは、漁業者の短期的経済利益とも合致する。
この当時のエンゲル係数は50%近く、食料=豊かさという時代であった。
とにかく食料が足りない時代だったので、短期的な食糧増産は国益とも合致する。
漁業者の利益・水産庁の役割・国益は、短期的な漁獲量の増大に収束していた。
官民一体となり、日本の漁業生産は急上昇して、国民の胃袋を満たした。
漁業は、食糧増産という使命に応えたのである。
この時期の日本の漁業政策は大成功といって良いだろう。

成功の要因

漁業生産のスタートダッシュに成功した背景には、
漁業者や水産庁の頑張り以外にも、いくつかの追い風があった。

1)資源状態が良好だった。
戦争中はほぼ禁漁状態にあり、戦前に減少していた資源も回復していた。
特に沖合、遠洋はほぼ未開発に近い状態。

2)漁業のノウハウがあった
もともと漁業が盛んだったので、沿岸漁業を足がかりに、
沖合、遠洋へと拡大していけた。
コッドなど一部の資源を除けば、水産物に対する需要は低く、
日本以外に、沖合、遠洋の資源を積極的に利用しようという国はなかった。

3)アメリカの協力
この時期の米国は日本の漁業にとても協力的であり、
自国の漁業の一部をつぶしてまで、日本に漁場を提供してくれたと、
カナダ人の政治学専攻の学生が教えてくれた。
このあたりの歴史的経緯を詳しく知りたいけど、何を読めばよいのかわからない。

4)公海自由の原則
この時期は、沿岸の極狭い海域を除いて全て公海であった。
公海は誰が利用しても良いという「公海自由の原則」が当たり前であった。
この公海自由の原則が日本の漁業の発展を支えたのだが、
やがてこの原則は失われることになる。

この時期には、資源の保全を考える必要性はほとんど無かった。
第一に漁獲能力は低いので、全力でとっても乱獲になりづらかった。
魚探が無い時代には、低水準資源を漁獲するのは至難の業であった。
非効率なことをするよりも、その時に獲れるものを追った方がよい。
技術的な限界から、乱獲が回避できていたのだ。
沿岸漁師は多くの魚種のなかから、その時に獲れる資源を狙う能力が高く、
減少した資源に追い打ちをかけるような行為が少ない。
沿岸の生産力は今よりも高く、前述のように資源状態も良かった。
一方、沖合・遠洋は、特定の魚種を大量に漁獲をすることが前提であり、
構造的に乱獲に陥りやすい特徴を持っている。
ただ、この時期は、資源の枯渇よりも早く漁場を拡大していくことが可能であり、
獲れなくなったら別の場所に行けば良いだけの話であった。

1970年代に入ると、順調に生産をのばした日本漁業にかげりが見え始める。
日本の漁業生産の増加を支えてきた条件のいくつかが失われてしまったのだ。
その布石となるのは、米国の「大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言」である。
戦争が終わって、まずこの宣言をするところに、戦略国家としての米国のすごさがある。

つづく

評価票修正案がキターー!

[`evernote` not found]

全体として、残すべきところは残してもらえたと思う。
過去の資源評価の妥当性を検証したうえで、
1998年級群の過大推定→過剰なABC→獲りすぎ
という一連の流れを明確に出来たのはとても良い。
計量魚探などで漁獲が始まる前に大まかな豊度を把握できるような調査をする
という対策が書かれているのも良い。


若齢魚の資源評価をがんばるのも大切だけど、それだけで資源を守れるかは疑問だな。
「次回は年級豊度が確定する前に過剰な漁獲がかかるのを避ける」という
コンセンサスを作っておかないと、同じことの繰り返しになりそうだな。
減少した資源では、必ず同じような問題が起こっているのだ。

  1. 資源が減少する
  2. 豊度が高い年級群が産まれる
  3. 期中改訂をして獲り尽くす
  4. 例年なみになちゃったよ  orz

年級群を獲るついでに、他の年級群への漁獲圧も高まるから、
結果として良い年級群が去った後は、資源が全体的に目減りしてしまう。
出る杭を打つついでに、他の釘まで打ってしまうのだ。

これを避けるためにも、「年級豊度が把握できるまでは、
過剰な漁獲を避ける」という記述が欲しかった気がする。
豊度が高い年級群が幸運にも発生したら、しっかりと再生産つなげないといけない。
これだけ資源が減ってしまうと、次があるか定かではないが・・・

漁業の歴史 part 1

[`evernote` not found]

日本の水産業が今後どうあるべきかという、少し大きな話をしようと思う。
その前に、水産業の現状について、共通認識を持っておく必要があるだろう。
そこで、日本の水産業の歴史をざっと振り返ってみよう。

歴史というのは、年表の丸暗記のような無機的なものではなく、
過去から現在まで連続的に続くストーリーであり、
それぞれのイベントは、前後のイベントと必然的に結びついている。
歴史から、水産業が歩んだ大きな流れを理解することが肝要だ。
歴史を学ばないものは、現状を本当の意味で理解できない。
また、将来のことも、正しく予測、行動ができない。

現在の漁業システムの基礎が作られたのは戦後である。
ここでは、戦後に限って歴史を振り返っていこう。
戦後の日本の漁獲量の変遷は次のようになる。

Image2.png

ここでは、大まかに3つのフェーズにわけて、
1972年までを増加期、1973-1987年までを高水準期、1988年以降を減少期とする。
それぞれ3つのフェーズはどのような背景で、漁業生産がどのように変化をしたのか、
その内部をこれから見ていこう。

スケトウダラ続報

[`evernote` not found]

平成18年度の資源評価票(案)が一般公開されました。
http://abchan.job.affrc.go.jp/18pbcom/index.html

スケトウダラ日本海北部系群はこれですね。
http://abchan.job.affrc.go.jp/18pbcom/html/1810.html

管理方策のABCLimitとABCTargetを見てください。
それぞれ、11000トンと8900トンです。

去年のABCLimitとABCTargetは、
それぞれ11900トンと7700トンでした。
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests17/html/1710.html

資源量推定値は、去年が209千トンで今年が147千トンです。

これらを表にまとめるとこんな感じ。

去年 今年
ABCLimit

11900

11000

ABCTarget

7700

8900

資源量 209000

147000


資源量は3割減ったにも関わらず、
ABCLimitは去年と殆ど同じで、ABCTargetに至っては増えています。
このことからもわかるように去年のABCと今年のABCには整合性がありません。
目標を下方修正したからです。
もし、目標を下方修正していなければ、ABCはどうなったでしょうか。
今年のダイジェスト版の管理方策の下から2番目に「SSBの回復」というシナリオがあります。
これが去年までの目標です。
目標を下方修正していなければ、ABCLimitは5900トンとなりほぼ半減です。
ダイジェスト版には目標の変更に関する記述が無いので、ここに書いたようなことは伝わりません。

殆どの人は、ABCの数字しか見ません。
評価票を時系列を追って眺めるようなABCオタクにしか管理方策の変更がわからない。
また、管理方策が変更されたことがわかっても、どこがどう変わったのかが読みとれない。
こういう書き方では、資源の現状が伝わらない。

目標の変更というのはとても大切なことです。
やむを得ず目標を変更する場合には、
どういう理由で、どこをどう変えたのか。変えてなければどうなったのか。
そういったことを明記する必要があるでしょう。
詳細版に関しては、目標の変更について記述したバージョンがブロック会議で採択されました。
現在までは、会議で承認されたバージョンから、大幅な変更は無さそうです。
最終的なバージョンが公開されるまで、慎重に見守ろうと思います。

漁業者が納得しない理由

[`evernote` not found]

2004年に外部委員を引き受けてから、
「ABCに人間の都合は持ち込むな」ということを一貫して主張してきた。
その結果、北海道では人間の都合をABCや評価表に持ち込む人はいなくなった。
これは大きな成果だと思う。
未だに、人間の都合を持ち出すのは霞ヶ関から来た一部の人たちだけだ。
その一部の人たちは「こんな記述は、漁業者が納得しない」と言うが、
会議に出席している漁業者たちは、納得をしないどころかABCに協力してくれる。
この違いは、どうして生じるのだろうか。
俺が思うに「漁業者が納得しない」のではなく、
「説明が悪くて漁業者を納得させられない」のではないだろうか?

北海道の人たちにABCの重要性を納得してもらうために、
特別なことをしたわけではない。
なぜABCと人間の都合を切り離さないといけないか、
その理由をABCの起源まで遡って説明しただけだ。

資源を守るためには、資源の状態を正確に把握する必要がある。
そのために、資源評価票やABCが存在する。
正確な状況を把握するためには、人間の都合とは切り離して、
厳密に資源評価をしないといけない。
厳しい数字が出るかもしれないが、10年後の北海道漁業のために協力して欲しい。

ということを、誰かが人間の都合を持ち込もうとするたびに繰り返した。
それだけで、ちゃんと理解してもらえた。

ブロック会議には、漁業者の代表も来ている。TACが減ったら、一番困る人たちだ。
彼らは「何が何でもABCを増やせ」とか、
「評価票から、資源が減少したという記述を取り除け」とは言わない。
その代わり、「この年には、水温の関係で資源が沿岸まで来なかった」とか、
「この年はホッケが好漁だったから、みんなそっちを獲りに行ってた」とか、
漁獲統計の数字だけ見ていてはわからない情報を提供してくれる。
ABCの大切さを理解した上で、
より生物学的に妥当なABCを出すために協力してくれる。
俺が北海道の漁業者と話していて感じるのは、資源に対する意識の高さだ。
「資源が減ったのは、わかっている。
守らなくてはいけないのもわかっている。
ただ、大事にしていたのに何で減ったのかその理由を知りたい」
と彼らは口をそろえて言う。
ABCの重要性をきちんと説明すれば、理解が得られるはずだ。

では、なぜ、一部の人たちは漁業者を納得させられないのだろうか?
理由は簡単だ。
彼ら自身が資源評価を軽視していて、その中身の理解も不十分だからだ。
これでは、漁業者にABCの大切さを伝えられるはずがない。
「漁業者が納得しないから、評価票を書き換えろ」などという暴論を吐く前に、
漁業者を納得させられるように評価票の中身を勉強するべきだろう。
俺の見た限り、北海道の漁業者はABCに理解を示してくれる。
彼らが納得していないのは、ABCではなく、TACの配分だ。
資源を獲っちゃった人たちの漁獲枠が増えて、
獲らずに待ってた人たちの漁獲枠が減るのは、あんまりだろう。
まあ、それについては、後々詳しく書くことにしよう。

大学の研究者が果たすべき役割

[`evernote` not found]

「なんで、この人はこんなに必死なの?」と思っている人も多いだろう。
そこで、俺が考える大学の研究者の役割と、必死な理由を説明しよう。

どういう立場でABCに関わっているかというと、
ABCを決める際に科学的なアドバイスをして欲しいと言うことで、
水研センターから依頼をされて、事前検討会とブロック会議に参加している。
会議に参加をしても、交通費しか出ない。
弁当代も、懇親会のお金も自腹の完全にボランティアのお手伝い。
資源評価票には俺の名前は出ないし、評価票に対して何かの責任を問われることはない。

漁業者、行政、水研センターなど、ブロック会議の参加者は、
資源や漁業と何らかの関わりを持っている。
彼らは、自らの組織を代表して参加しているわけで、
組織の利益の代弁者としての発言を要求される。
みんな、重たいものを背負って会議に来ているのだ。
「減っているのはわかるけど、生活もある」
「減っているのはわかるけど、正直に書くと怒られる」
とか、いろいろあるのだろう。
自分の発言は、組織にも多かれ少なかれ影響を与えてしまう以上、
自分が理想を通そうとすると自分一人の問題ではすまない。

それに対して、俺は何も背負っていない。
スケトウダラが豊漁になっても何の利益もないし、
逆にスケトウダラ漁業が崩壊しても何の不利益もない。
ぶっちゃけ、スケトウダラ資源がどうなろうと、俺の生活には全く影響がないのだ。
漁業の利権システムとは無関係であるが故に、発言の自由がある。
みんなが言いづらいことを、俺が言わなければ、いったい誰が言うのか。
発言の自由が保証されているということは、発言をする責任もある。
何も背負っていないが故に、妥協は許されない。
自分が日本漁業の未来を守る最後の砦だという気概と責任感を持って、
相手が誰であろうと、言うべきことは言わないといけない。
それが資源研究者としての最低限の責任なのだ。

水産業という利権システムの内側では、発言の自由は制限されてしまう。
この困難な時代にあって、大学の研究者の果たすべき役割は大きい。
同業者には、是非、ブログを書くところから初めてもらいたいものだ。

なぜABCを守らないといけないのか

[`evernote` not found]

資源管理のことを知らない人にも、
何が問題なのかがわかるようにその背景から詳しく説明をしよう。

ABCとは何か?
漁業者は、できるだけ多くの魚を獲りたいと思うのは当然だろう。
しかし、漁獲能力が生物の生産力を上回っている現状で、
獲りたいだけ獲れば資源が枯渇し、産業自体が成り立たなくなってしまう。
生物へ非持続的な漁獲圧を避けるためには、漁獲規制が必要になる。

生物の生産力は時代と共に変わるし、現存資源量の推定精度も低い。
様々な科学的な限界から、生物学的に乱獲の線引きをすることは容易ではない。
切迫した人間の都合と不確実性の高い生物の持続性を一度に論じると、
どうしても人間の都合が優先されてしまう。
結果として、過剰な漁獲枠が設定されて、いくつかの重要資源が崩壊してしまった。

これらの失敗を糧に、人間の都合とは切り離して、
生物の持続性のみを論じる場所を作ることにした。
それがABCなのだ。
ABCは、正確にはAcceptable Biological Catchの略である。
わざわざバイオロジカルと断りを入れて、
TACとは別にABCを推定するのはそういう意味がある。

ABCの大原則

ABCとは純粋に生物の持続性の観点から決定しなくてはならない
人間の都合や希望は、ABCの決定から排除すること

もちろん、漁業は経済行為であり、人間の都合を無視することはできないので、
ABCとは別に社会経済的要因を考慮してTACを決めることになっている。

ABCの推定 + 社会経済的要因 → TAC

以上は、水産資源管理先進国でのお話。
日本は資源管理後進国であり、生物の持続性を考えた管理は最近まで実施されてこなかった。
国連海洋法条約のからみで、急遽、資源管理を始めることになり、
水産資源管理先進国で利用されている上記の枠組みが輸入されることになった。

日本のTAC制度
さて、日本にTAC制度を導入するにあたって、
ABCの推定と、TACの決定は、それぞれ別の部署が担当することになった。
この枠組みを決めた人は、ABCの本質を良く理解していると思う。
水産庁は行政機関であり、水産庁内部でABCの推定を行うことは不可能だ。
そこで、ABCの実質的な計算は、外郭団体の水研センターに業務委託される。
日本国内には、ABCの業務が出来る機関は水研センター以外に無い。
水研センターが資源評価において果たすべき役割・責任はきわめて重い。

組織図

ABCを守る理由
日本のTAC制度において、資源の持続性を考慮するのはABCのみだ。
ABCをきちんと人間の都合とは切り離さなければ、日本のTAC制度は機能しない。
にもかかわらず、TACを決める元締めのような立場の人間が
「つべこべいわずに、資源評価票を言うとおりに書き換えろ」と怒鳴り込んでくる。
これがとんでもないルール違反であることはABCが誕生した経緯からも明らかだ。
ABCに人間の都合を持ち込んだら最後、TACは資源の持続性は無視して、
人間の都合だけできまることになる。
そうなれば、TAC制度はもはや資源管理ではなく、たんなる漁業調整である。

さらに言うと、ABCの基礎となる資源評価票は、
日本の漁業政策において資源の現状を判断する最大にして唯一の手がかりなのだ。
その評価票を一部の人間の都合に合わせてねじ曲げてしまえば、
資源の現状を誰も把握できなくなるだろう。
日本の漁業は厳しい時代に突入し、難しい舵取りが要求されている。
そんなときに、厳しい現実に目をつぶってしまえば、どうなるかは明白だ。
ABCへの政治介入は、TAC制度のみならず、
日本の漁業政策全体を破綻させる。

様々な政治圧力からABCを守ること。
生物の現状が正確に反映された資源評価票を書くこと。
これが、日本の水産政策が正しい方向へ向かっていくための最低条件だ。
だから、俺は「ABCに人間の都合を持ち込むな」と口を酸っぱくして言い続けている。
大学の研究者が水産庁の資源評価システムを機能させようと必死になっているのに、
資源管理を担当する行政官がそれをないがしろにしようとする。
この奇妙な現実をどう考えるのか、水産庁の偉い人に訊いてみたいものだ。

来年はもう少し勉強してきてください

[`evernote` not found]

水産庁には、業界とのしがらみがあり、
資源評価票に、これは書いて欲しくないとか、最低限これだけの漁獲枠は欲しいとか、
いろんな注文が来ているのだとは思う。

ただ、評価票に影響力を持ちたければ、もう少し勉強をしてから来て欲しい。
議論の場に最低限必要な知識が無い人間をいくら送り込んでも無駄なのだ。
例えば、班長はスケトウ日本海北部に関して、
「海洋環境が悪いんだから、この資源は獲らなくても減っていくに決まっている。
日本の出生率が2を下回っているのと同じような状況なんだから、
親を守れといっても漁業者は納得しない」という発言をした。
とても「スケトウダラ回復計画」を推進している部署の偉い人の発言とは思えない。

人間の出生率に近い考え方は、水産分野にもあり、それはSPRと呼ばれている。
出生率云々という発言から、班長はSPRの存在を知らないことがわかる。
SPRとは、漁獲開始サイズまで成長した個体が生涯に産む産卵量の期待値で、
漁獲がない場合のSPRを100%として相対値で示すのが一般的だ。
スケトウダラの場合は「資源を維持するために必要なSPRは60%」と明記してある。
漁獲がない場合の60%の産卵量で資源水準を維持できるということは、
漁獲がなければ資源量は1世代に1.7倍(=100/60)に増えるわけで、
獲らなくても減るような状況ではない。
SPRのことを知っていれば、これぐらいのことは瞬時にわかる。
重要魚種の評価票の多くは、SPR解析を基本に書かれている。
評価票に目を通しているなら、SPRを知らないと言うことはあり得ない。
SPRを知らないと言うことは、評価票に目を通していないのだろう。

資源評価票は何年も議論を重ねてきて、現在のスタイルに落ち着いている。
基本的な内容すら理解できていない人間が怒鳴り込んできて、
「つべこべ言わずに俺たちの言うとおりに書き換えろ」といっても、通るわけが無い。
それが通るほど、ABCを決める舞台は腐ってはいない。

評価票の質を落とさずに、管理課の意向にも配慮した書き方はあると思う。
そのためには、評価票の内容を理解している人を派遣してほしい。
その上で、きちんと議論をしながら、落としどころを探っていければ良いですね(^^

北海道ブロック会議の顛末

[`evernote` not found]

今回の会議では、これは書かねばなるまいという事件があった。
「今回の会議は公開だから、ブログに書けますよ」とか、
「このことは、是非、ブログに書いてください」とか、
「あの件は、どういう風に書くの?」とか、
会議が終わる前から、複数の方から外堀を埋めて後押しをしてをいただきました。
もともと、書くつもりだったけど、もはや書かないことは許されない情勢。
バッチリ書きます。

今回の会議の争点は、スケトウダラ日本海北部系群。
この資源は、北海道の日本海側の最重要資源。
この資源を守れるかどうかが北海道漁業の生命線となる。

このあたりに書いたような流れで、目標資源量を大幅に低くすることになった。
目標資源量が前年と同じならABCはほぼ半減になるのに、
目標資源量をさげた結果として、ABCはほぼ横ばいになっている。

目標変更に関する記述が評価票案にほとんど無かったので、
これは由々しき事態だと思ったので、パワーポイントファイルをつくって、
次のような話をした。

実現不可能になった目標を捨てて、
新しく下方修正した目標を設定すること自体は理解できる。
しかし、目標を下方修正するにあたって踏むべき手順が無視されている。
資源の減少にあわせて目標資源量をズルズル下げていけるなら、
資源の減少に歯止めをかけることはできない。
うやむやに目標の下方修正ができるなら、ABCは努力目標ですら無くなる。

目標の下方修正に必要な手順

  1. 目標が非現実的になる
  2. 失敗を認める
  3. 原因の究明
  4. 再発防止
  5. 次の目標を設定する

このうち2から4が抜け落ちている。

必要な記述

① 去年と今年の目標の変更を明らかにすること

② 目標の下方修正の原因を検証すること
1)目標の妥当性の検証
目標がそもそも非現実的だったのか
目標は現実的だったが管理に失敗したのか

2)管理の失敗の原因の分析
ABCが過剰 → 科学者の責任 or 科学の限界
TACがABCを超過 → TACを決めた人の責任 
漁獲量がTACを超過 → 漁業者の責任

③ 再発防止について
特定された失敗原因をもとに再発防止策を練る。

ABCの役割

ABCには2つの役割がある。
一つは、乱獲を食い止めるブレーキとしての機能
現在のTAC(漁獲量)はABCを遙かに超えている状況であり、
残念ながら、ブレーキとしては機能していない。

もう一つは、リスクを周知するクラクションとしての機能
「資源が減っているぞ」とか、「このままではまずいぞ」という情報を発することで、
リスクを伝達するのがABCの最低限の役割である。
目標をさりげなく下方修正することが許されるなら、
クラクション機能すら失ってしまう。

ABCがその意義を失うかどうかの瀬戸際なので、
目標を下方修正する経緯について詳しく書かないといけない。
担当者にとって厳しい要求であることは理解しているが、
この部分を曲げてしまえば、もはやABCは完全に形骸化してしまう。

以上が、俺の話の内容。

それに対して、北大の松石さんから
「管理目標の変更は、実現不可能になったからではなく、
前から予定されていたことだ」というコメントがあった。

それに対して、俺はこう返答した。
「予定されていたなら、それはそれで良い。
ただ、目標を変更したことは明記すべきだし、
目標を変更した経緯についても書く必要がある。
資源が減少しているのに、ABC殆ど変わらない。
(目標を下方修正していなければ、ABCはその半分ぐらい)
目標が変更されたことを知らない人には、資源の現状が伝わらない」

その後も細かい議論が続いて、
最終的には、担当者が手直ししたものを翌日提示することになった。
我々が酒を飲んでいる間に、担当者は徹夜をして、
俺の要求を盛り込んだ新バージョンをつくり、翌日の午前中に修正点を説明してくれた。
「これは書けませんでした」という部分もいくつかあったけれど、
全体としては、頑張って書いてもらえたと思う。
読んだ人に目標が下方修正されたことがダイレクトに伝わるような内容になった。

ABCの最低限の役割は守れたことで、ほっと一息入れようとしたその瞬間、
水産庁のTAC班長が立ち上がって、
「俺はこんなやり方は承認しない。
とにかく新しく書き足した部分を全部削れ。
ワードファイルを今すぐ開いて逐一チェックさせろ」と大声を張り上げた。
理由もなにも言わずに、「とにかく削れ、こんなものは認めない」と連呼する。
あげくの果てに、「こんな会議は意味がない」とまで言い出して、場内騒然。

俺は頭に来て、
「俺が書き足すように言った部分を全部削れとのことだけど、
なぜ、こういうものを書く必要があるかは、昨日ちゃんと説明をしました。
あなただって、その場にいて、聴いてたでしょ。
そのときに一言もいわないで、後になって理由も言わずに全部削れというのは無いだろ。
俺は、新しく書き加えた部分が必要な理由を述べたわけだから、
削れっていうなら、削るべき理由を言うのが筋だろう。
この会議に意味がないわけではなくて、あなたがないがしろにしているだ。」
と言い返した。

場内は、静まりかえる。
班長は、下をむいてぶつぶつなんか言ってたけど、
俺には何の反論も返ってこなかった。
結局、俺の意見に沿って修正されたバージョンがそのまま採択された。
こうして、ABCの最低限の機能は守られたのでした。

ブロック会議は公開みたいだから、是非、皆さんも足を運んでください。

海洋環境が悪ければ、乱獲をしてもOK?

[`evernote` not found]

資源減少に対する都合の良い言い訳として、環境変動がしばしば使われる。
「海洋環境が悪化したから、資源の減少はしょうがない」というわけだ。

そもそも資源の生産力が、経年変動するのは分かり切ったことである。
人間がコンスタントに獲りたいからと行って、それは無理。
自然が人間の都合に合わせてくれない以上、
人間の側が自然の変動に対応する必要がある。
生産力の変動に対する準備をしない時点で、人間の側のミスだろう。
それを棚に上げて、「減少は海洋環境が原因だから」といって、
いつまでも強い漁獲圧をかけ続ける。
増加から減少に転じて数年ならともかく、
10年以上同じような減少傾向が続いているなら、
人間の側が対応する努力をしないといけないだろう。

資源が増加をするときに漁船のキャパシティーを増やすことには積極的だが、
資源が減少をしたときに資源を守る努力はせずに、
むしろ、肥大化した努力量を維持しようと必死になる。
結果として、資源はどこまでも減少をする。

Home > 研究 Archive

Search
Feeds
Meta
Twitter
アクセス
  • オンライン: 2
  • 今日: 679(ユニーク: 422)
  • 昨日: 1354
  • トータル: 9371167

from 18 Mar. 2009

Return to page top