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大本営発表
桜本文書を解読する その3
致命的な「基本概念の誤り」
61 ページでは、「現行の我が国の水産資源の管理は、ABCを算定し、漁業の経営その他の事情を勘案してTACを決定している。しかしながら、科学的根拠に社会経済的要因を加味することは、科学的根拠をないがしろにし、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる」と述べている。すなわち、上記の記述はTACが社会的・経済的要因を加味して決定されること自体を否定している。しかし、社会的・経済的要因を加味しTACを決定すべきことは、TAC法にも明記されており、漁業生物資源の管理を考える際の至極当然な考え方である。例えば、サンマ資源は資源量が極めて大きく、ABCは 200万トン近い。規制改革会議はサンマについても、社会的・経済的要因を加味することをよしとせず、TACャを200万トン近く(2008年TACの約 4.5倍)に設定すべきと主張するつもりだろうか?
サンマの例もさることながら、経済的要因を一切考慮することなく、生物学的に妥当と思われる ABCを計算し、その値をTAC とすることが、「科学的根拠に基づく資源管理の徹底になる」という考え方自体が、根本的に間違がえている。なぜなら、規制改革会議が「科学的根拠」として取り上げているABCの値自体がそもそも合意事項であって、科学的に1つの値が決定できるといった性質のものではないからである。実はこのことを正しく理解している研究者は意外と少なく、そのことが今日の混乱を助長させている大きな要因にもなっている。このことは極めて重要であるので、以下に簡単に説明しておこう。
この文章の是非を論じる前に、ABCの基本についておさらいをしておこう。
法定速度が60kmの道路は、60km以下で走れば良いわけで、
別に60kmぴったりで走らなければならないわけではない。
ABCは法定速度のようなものであり、必ずしもABCぴったりまで漁獲をする必要はない。
0~ABCの間で、社会経済的な要素を考慮してTACを決めればよいのである。
現に日本をのぞく世界中では、そのようになっている。
科学的根拠を遵守するというのは、TACをABC以下に抑えると言うことであり、
サンマのTACは、ABCを遵守しているので問題はない。
問題はサンマ以外の資源である。
水産庁は、サンマ以外の全ての資源に対して、ABCを上回る過剰なTACを設定してきた。
「社会的・経済的要因」を口実に、漁業者から言われるままに、
非持続的なTACを設定してきたのである。
特に、低水準資源ほどABCを過剰に上回るTACが設定されている。
たとえば、激減しているマイワシ太平洋系群には、
2001年、2002年とABCどころか資源量を上回る漁獲枠が設定されていた。
現在、資源崩壊に向かっているスケトウダラ日本海北部系群に関して、
今後15~20年にわたり現状の親魚量を維持する漁獲量が4.6千トンというアセスメントの結果が得られた。
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/html/1910.html
それに対して、水産庁の設定したTACは18.0千トンである。
科学的アセスメントを無視して、資源量を現状維持できる漁獲量の何倍もの漁獲枠を、
まともな国ならとっくに禁漁をしているような低水準資源に対して設定しているのだ。
そもそもABCを大幅に上回るTACを設定するのは、TAC制度の根幹に関わる大問題である。
TAC制度のパンフレットには、「水産資源の適切な保存・管理を行うための制度です」とかいって、
過剰な漁獲枠を設定しているのは、納税者に対する裏切り行為だろう。
明らかに持続性に反するTAC設定をするならば、その理由をきちんと公開した上で、
国民の理解を求めるのが筋ではないだろうか?
水産庁および水産政策審議会は、社会的・経済的な要因を理由に、
ABCを遙かに上回る漁獲枠を設定している現状について、きちんと説明をする義務があるはずだ。
不都合な過剰漁獲には何もふれずに、例外的にABCを守れているサンマをとりあげて、
「ほら、どこに問題があるんだ」と居直るというのは、明らかに誠意に欠ける。
「漁業者が獲りたがっているから、明らかに非持続的なTACを設定することが至極当然だ」と主張するのが、
日本のお粗末な現状である。
社会経済的な要素を勘案したからといって、ABCを超えてTACを設定して良いことにはならない。
「遅刻しそうで、急いでいるから」などの理由で、制限速度を超えて良いことにしていたら、
実質的に速度規制が無いも同然だろう。
日本の水産資源も管理されていないも」同然なのだ。
規制改革会議はサンマについても、社会的・経済的要因を加味することをよしとせず、
TACャを200万トン近く(2008年TACの約4.5倍)に設定すべきと主張するつもりだろうか?
ABCは、社会経済的な要素を排除して、生物の持続性の観点から漁獲量の上限を定めたものである。
その定義に照らし合わせれば、200万トン獲っても資源の持続性に問題がないなら、
ABCは200万トンにするのが当然だろう。
ただ、ABCが200万トンだからといって、必ずしも200万トン獲る必要はない。
TACは社会経済的要素を加味して60万トンとしても、何も問題はないのである。
重要なことはABC≧TACであることなのだ。
問題なのは、本来のABCの定義を無視して、ABCをつかって出荷調整の道具にしていることだ。
値崩れを防ぐための出荷調整は、TACかもしくは業界団体の自主規制でやるべきである。
規制改革会議は、資源の低下に歯止めがかからない現状を問題視しているのだから、
ABCの倍以上のTACが設定されているスケトウダラ日本海北部系群や、
ABCはおろか資源量を超えるようなTACが設定されていたマイワシのことを批判しているのは自明だろう。
ただ、指摘されたように、規制改革の原文は、社会経済的な要素を考慮すること自体を否定しているように読める。
0~ABCの範囲で、社会的・経済的な要因を考慮してTACを設定することには問題はない。
ABCの超過を問題していることを明確にするように、文面を修正した方がよいだろう。
元の文章:
科学的根拠に社会経済的要因を加味することは、科学的根拠をないがしろにし、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる
↓
修正案:
社会経済的要因を理由に、科学的根拠をないがしろにした過剰な漁獲枠が設定され、それ故、水産資源の悪化と乱獲(過剰漁獲)の悪循環を助長しているといえる
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桜本文書を解読する その2
人々に誤解を与える不適切なデータの引用
上記「図表2-(1)-④」には、データの引用元として、「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)他より作成」という備考が記載されている。中間とりまとめを読んだ他の読者も同様であると思うが、私も最初にこの表を見たとき、「我が国周辺水域の漁業資源評価」のデータを中心に引用し、それでは補いきれないデータの不足分を他の資料から引用しているものと思っていた。しかし、実際にはそうではなく、上記6魚種のうち、約7割に当たるスケトウダラ、キチジ、アマダイ、マダラの4魚種の漁獲データについては、データの出所が明記されていない「漁業・養殖業生産統計年報」のデータが用いられているようだ。この相違は重大である。なぜなら、前者と後者では取り扱っているデータの範囲が全く異なっているからである。前者は、表題通り、我が国周辺水域の漁獲量や漁業資源評価が記載されているのに対して、後者は旧ソ連水域や米国沿岸水域等での漁獲データも含まれているからである。1970年代後半に諸外国が200 カイリ経済水域を実施するに伴い、日本漁船はそれら200カイリ水域から締め出され、漁獲量が激減したことはよく知られている事実である。日本沿岸ばかりでなく、旧ソ連水域や米国沿岸水域でも漁獲していた魚種について、1970年代と1980年以降の漁獲量を比較すれば、漁獲量が激減していても何ら不思議はない。
例えば上記の表で、スケトウダラの漁獲量は277万トン(1971)から22万トン(2007)へと約1/13に激減したことが示されている。しかし、 1971年のスケトウダラの漁獲量277万トンのうち実に75%強の210万トンは旧ソ連水域や米国沿岸水域で漁獲されたものである。これに対し、「我が国周辺水域の漁業資源評価」に記載されているスケトウダラ4系群の総漁獲量を用いると、その変遷は61万トン(1976)から19万トン(2006)と約 1/3の減少にとどまる。減少していることには変わりはないが、1/3の減少と1/13の減少とでは読者の受ける印象は全く異なるものになるだろう。
マダラについても、第3次中間とりまとめが用いた「漁業・養殖業生産統計年報」の1980年代までの漁獲量には、海外漁場で操業している母船式底びき網、北方トロール、北転船、北洋はえ縄・刺網による漁獲量(概ね5万トン程度)も含まれている。この5万トン程度を差し引くと日本沿岸での漁獲量は5万トン前後で安定していることになる。また、「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)」では、近年のマダラ資源は太平洋北部系群、日本海系群とも高位水準、増加傾向となっている。
これだけ結論が違ってしまうことについて、規制改革会議はいったいどのように説明するつもりであろうか? ここまでくると、もはや科学的か非科学的かといったレベルの問題ではなく、多くの人々が誤解することをむしろ期待して、わざとこのようなデータ操作をしていると言われても仕方がないだろう。「科学的根拠に基づく資源管理の厳格化」を主張する前に、規制改革会議こそ「科学的根拠に基づく厳格な論理展開」をしていただくようお願いしたいものである。
規制改革会議が、「ほら、資源が減ってるでしょ」と示した図に、国際漁場の漁獲量も入っており、
「国内だけ見たら、あまり減っていないじゃないか」という反論だ。
たしかに、国際水域も含めた漁獲統計をつかったのは、規制改革側のちょんぼである。
真摯に反省をした上で、図表を改めないといけないだろう 。
個々の魚種について見ていくと、スケトウダラは1/13→1/3なので、減少傾向は変わらない。
おそらく、過去の統計がザルであることを考慮すれば、1/6ぐらいにはなっていると思う。
ただ、データの精度まで言い出すときりがないので、
誰が見ても駄目っぽいスケトウダラ日本海系群に限っておいた方が無難だろう。
キチジについては乱獲&資源減少は明らかだから、このままでOK
マダラについては、数少ない高水準資源を持ってきたのはいただけない。
マダイも減ってはいるが、種苗放流があるから、資源変動を議論するのは微妙な資源である。
ということで、スケトウダラは日本海北部系群の図にし、マダラとマダイは別の魚種に変えるべきだろう。
マサバとか、マイワシとか、北海道のニシンとかを、減少資源には事欠かない。
図にする魚種を差し替えるだけで十分であり、規制改革の内容に影響を与えるほどのものではない。
「わが国の資源管理は有効な管理手段として何ら機能していない」はほんとうか?
同じ60ページで「このような状況(資源が危機的な状況)にまで陥った要因は、わが国の資源管理の在り方にある」と述べ、「我が国の水産業に必要なことは、有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、さらなる乱獲を促進している我が国の現行の漁業・管理の仕組みを抜本的に改正することである」、「このように、資源のほとんどが枯渇ないし減少している状況で、漁業者が資源状況を無視した漁獲を求め、行政が有効な対策を講じなければ、漁業の継続は不可能となり、我が国の水産業はなすべくして消滅することになる」と断言している。
しかし、TAC¬対象魚種以外の44魚種71系群のうちの約半数の36系群が我が国の現行の漁業・管理の仕組みによって、中位または高位水準にあり、決して漁業・管理の仕組みが「何ら機能していない」わけでも、「さらなる乱獲を促進している」わけでもない。現在TACが適用されている8魚種19系群について見てみると、マイワシ、マサバ、スケトウダラ等の9系群が低位水準、マアジ、ズワイガニ、スルメイカ等の7系群が中位水準、ゴマサバ、サンマ等の3系群が高位水準にある。しかし、誤解している人も結構いるようだが、中位または高位水準にある資源のうち、マアジ(太平洋系群、対馬暖流系群とも)は1980年ごろから増加、スルメイカ(春季発生系群、秋季発生系群とも)は1985年ごろから増加、ズワイガニ(日本海系群)は1991年ごろから増加しており、 TAC制を実施するずっと以前から資源は既に増加傾向を示していた。サンマのCPUE(資源量の指標となる)も1980年ごろから増加傾向を示している。「わが国の資源管理は有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、さらなる乱獲を促進している」という記述は明らかに事実に反しており、多くの人に誤解を与えるものである。
「中位や高位の資源もあるから、日本の資源管理はうまくいっている」と言いたいようだが、
普通に獲っていても、問題がない資源もあるのは当たり前。
たとえば、サンマが多いのは、海洋環境の影響で、我が国の資源管理とは何の関係も無い。
そもそも公海資源であるサンマをとりあげて、
「日本の資源管理が機能している」と主張するのはナンセンス。
逆に、低水準資源があるから資源管理が機能していないと決めつけるのも乱暴だ。
低水準資源に対して十分な漁獲抑制をして、それでも資源が減っているなら、仕方がないだろう。
資源管理が機能しているかどうかは、低水準の資源への対応を見た上で、判断すべきであろう。
「ブレーキをかけるべきところで、ちゃんとブレーキが踏めているか」が重要なポイントなのだ。
日本のTAC制度では、ABCを遙かに超えるTACが設定されているのだが、
低水準資源ほど、TACがABCから超過している。
低水準資源に対して、何ら漁獲規制をせずに、過剰漁獲を容認しているのだから、
資源管理とは呼べないだろう。
個々の事例を見ていこう。
超低水準のマイワシには、2001年、2002年と、現存量を超えるTACが設定されていた。
超低水準のスケトウダラ日本海北部系群の今年度のABCは資源量を現状維持できる8千トンであった。
それにたいして、水産庁が設定したTACはその倍以上の1万8千トンだ。
上の図はスケトウダラ日本海北部系群の資源量と漁獲割合なのだが、
こんな感じで減少している超低水準資源に対して、
現状維持でABCを計算する北海道の研究者にも問題はあるが、
その倍以上の漁獲枠をTACとして設定する水産庁は論外だろう。
マイワシやスケトウダラ日本海北部系群のように、前代未聞の低水準まで資源が落ち込み、
なおかつ高い漁獲圧にさらされている資源にたいして、何ら漁獲抑制をしなかった。
マイワシなど、「獲れるものなら全部獲ってみろ」と漁業者を煽ったわけだ。
これのどこが資源管理なんだ???
桜本文書では、たまたま資源が高水準にあるサンマの話ばかりを繰り返しているが、
都合が悪いからといって、低水準資源を無視するのはフェアではないだろう。
資源管理の効果を見えるには、低水準資源への対応こそ重要なのだから。
スルメ、ゴマサバ、マアジは、80年代以降、卵の生き残りが安定して良いので、
特に管理をしなくても、漁業が続けられてラッキーでしたね。
サンマは北太平洋全域に広がる公海資源だから、除外するとして、
唯一、資源管理をしたと言えるのは、日本海のズワイガニ漁業ぐらいだろう。
今年の初めに京都に行って、京都府海洋センターの山崎さんと、
底引き漁業者から、資源管理に関する話をいろいろときいてきた。
そのときにもらったパンフレットの図を引用するとこんな感じ。
昭和30年代、40年代とぐぐっと漁獲が減っていることがわかる。
当時も、県の自主規制や国の省令には従って操業をしていた。
でも、これらに資源管理効果は全くなかったので、資源は急激な減少を続けた。
「日本の漁業者は、資源管理に積極的に取り組んでいます」というのは一般的にはこのレベル。
昭和55年から、漁業者自らが資源管理に乗り出し、資源を回復させていった。
資源を持続的に利用するためには、資源が減った時に、さらに漁獲率を落とさないといけない。
言うのは簡単だけど、生活がかかっているときに、実行するのは難しい。
個人だって、難しいことを、組合という集団で実行できたのは凄いことであり、
京都府の底引き漁業者のがんばりは、例外中の例外だ。
組合長の話の中で、「自分たちが資源をつぶしたら、後の世代に申し訳がない」ということが何度もでてきた。
こういう人がいたから、資源の減少を食い止めることができたし、
MSCの認証をとることができたのだろう。
こういう漁業者を見ると、日本の漁業も捨てたもんじゃないと思う。
ズワイガニの資源管理が成功した背景には、例外的な漁民のがんばり以外に、
この漁業ならではの好条件があることを忘れてはいけない。
着底後のカニはほとんど移動しないため、
物理的に網を引けない禁漁区をつくれて、その利益を沿岸漁業者で排他的に利用できる。
この条件があったから、保護区の有効性を漁業者が実感でき、新たな保護区の設置へとつながっていったのだ。
日本海のズワイガニの成功は、例外であって、このレベルでちゃんと資源管理ができているような漁業は、
沖合、沿岸を通して、数えるぐらいしかないのが、現実なのだ。
この辺については、以前の文章を参考にして貰いたい。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/6_1.html
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/7_1.html
ズワイガニ(日本海系群)は1991年ごろから増加しており、
TAC制を実施するずっと以前から資源は既に増加傾向を示していた。
というのは、確かにそのとおりなんだけど、この資源についてはもっと前から見ていく必要がある。
ズワイガニに関して言うと、漁業の存続すら怪しかった昭和55年の状態からは、ずいぶん回復したが、
昭和40年以前の水準とは比べるべくもない。
超低水準からは脱したし、増加傾向にあるが、歴史的に見れば未だに低水準なのだ。
「昔は海の中じゅうカニだらけで、いくらでも獲れた」
「大量に獲って、売れ残ったら畑の肥料にしていた」
という景気の良い昔話を、漁業者から聞くことができた。
漁業者の実感としても昔と比べると、現在のカニの量はとてつもなく低いようだ。
水研センターは、すでに魚が減ってからの水準で、高位とか、中位とか言っているのだが、
日本には、本当に魚が多かった時代のデータが無いのだ。
終戦直後と比較すれば、ほとんどの資源が低位だろう。
状態が良い資源は本当に少ない。特に西の方はほぼ全滅だろう。
北海道から沖縄まで、スーパーでは、輸入魚とサンマばかりじゃないか。
確かにズワイガニに関しては、資源管理の効果はでている。
しかし、これは漁民の努力であって、国の資源管理ではない。
農林水産省令が何の役にも立っていないことは、上の図からもわかるだろう。
この資源はちゃんと残せば、ちゃんと増えるのだ。
そして、農林水産省令では、ちゃんと残せていなかったのだから、
資源管理として機能していなかったと言われてもしょうがないだろう。
具体的に、行政機関が主導した資源管理で成功した事例があるなら、教えて欲しいものだ。
水産庁の管理課は、瀬戸内海のサワラや、太平洋のマサバが、回復したと大本営発表をしていたが、
どっちも全然回復していないじゃないか。
まともな成功事例が無いから、こんなものを成功事例をして持ってこざるを得ないのだろう。
海外には国家主導の資源管理の成功例は、いくらでもあるんだけど。
TAC制度は、本当に漁獲の削減が必要な低水準資源の漁獲にブレーキをかけたことは1度も無いし、
今のままでは未来永劫、そんな機会は訪れないだろう。
資源管理ではなく、たんなる税金の無駄遣いだ。
TACという仕組みが悪いのではなく、水産庁の運用方法に問題があるのだ。
でたらめなTAC制度の運用をとがめるどころか、
バックアップしてきた、水産政策審議会の社会的責任は極めて重い。
「我が国の水産業に必要なことは、有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、
さらなる乱獲を促進している我が国の現行の漁業・管理の仕組みを抜本的に改正することである」
という規制改革会議の主張は全くの正論であろう。
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桜本文書を解読する その1
「科学的根拠に基づく資源管理」は科学的か?
東京海洋大学 海洋科学部教授
桜本和美規制改革会議の第3次中間とりまとめが公表された。その中の③「水産業分野」の水産資源管理に関連する部分には、「科学的根拠に基づく資源管理」の重要性が繰り返し強調して述べられている。しかし、その論理展開は極めて非科学的で、基本的な認識と概念において意図的とも思われる重大な誤りがある。紙面の関係もあるので、上記の事項に絞って意見を述べたい。
一部のデータから全体的な結論を導くことの非科学性
第 3次中間とりまとめ60ページ「図表2-(1)-④ 減少が著しい魚種別漁獲量の推移」では、漁獲量の減少が著しい例として、スケトウダラ、キチジ、アマダイ、タチウオ、マサバ、マダラの6種について 1971年から5年ごとの漁獲量の変遷を示し、「我が国の水産資源の状況は危機的状況であるといっても過言ではない。」と断言している。しかし、上記の表の引用元である「我が国周辺水域の漁業資源評価(平成19年度版)、水産庁」には、52魚種90系群にもおよぶ資源状態が記載されている。これをみると、確かに半数近い43系群が低水準にあり、決して好ましい状況ではないが、見方を変えれば、半数以上の系群が中位(32系群)または高位水準(15系群)にあり、決して危機的状況というわけではない。そもそも、高位の資源もあれば、低位の資源もあるという状態が自然界の常態であるともいえるので、すべての資源を中位または高位水準に維持しようとしてもそれは無理というものである。高位・中位・低位にある資源の割合がどの程度であれば、自然な状態かを判定することは容易ではないが、少なくとも、わずか6魚種の極めて低水準にある資源のみを示して「我が国の水産資源の状況は危機的状況である」という結論を導き出すという論法はどう見ても科学的ではないし、意図的な悪意すら感じられる。
昭和27年には、沿岸漁業で250万トンも獲っていたが、現在は150万トンまで落ち込んでる。
昔の統計は精度が低く、数えこぼしがあったことを加味すると、漁獲量はさらに減っているはずだ。
魚群探知機などの発達で、低水準の資源を効率的に獲れるようになったことを考慮すれば、
海の中の魚がどれほど減ってしまったのか想像もつかない。
残念ながら、日本で統計が整備されたのは1980年代以降であり、
それ以前のデータは精度に問題がある。
日本には、本当に魚が多かった時代のデータが無いのだ。
ただ、日本近海の魚が減っていることは、年配の漁師や釣り人を捕まえて、
昔話を聞いてみれば、明らかだろう。
彼らは誇張を交えながら、日本の沿岸がいかに豊かな海だったか、
そして、いかに魚が減ってしまったかを教えてくれるはずだ。
50年前と比べれば、比較しようがないほど、魚は数も減ったし、サイズも小さくなっている。
回復したと言われる京都のズワイガニにしても、
昔はいくらでも獲れたから、つぶして畑の肥料にしていたのである。
資源管理で多少回復したとはいえ、昔の水準にはほど遠いのだ。
水研センターは過去15年間の資源変動をつかって、水準の評価を行っている。
こんな感じで過去15年の資源量推定値の最大値と最小値を3等分し、
最近の資源量が高位、中位、低位のどこにくるかで、水準を判断している。
15年前と言えば、すでに魚は減った後だ。
すでに魚が減ってからの水準で、高位とか、中位とか言っているのであり、
終戦直後の自然に近い水準と比較すれば、ほとんどの資源が低位といえるだろう。
また、この判断基準で低位が多いと言うことは、
過去15年程度のスケールで減少傾向にある魚が多いことを意味する。
減りきった上に、さらに減り続けているのである。
低位43,中位32,高位15種を図にしてみるとこうなる。
もし、日本周辺の水産資源が全体として安定ならば、高位と低位は同じ割合になるはずだ。
低位と高位の頻度にこれだけ差があれば、
低位と高位の確率が等しいという仮説は容易に棄却できる。
日本近海資源が全体としての減少傾向にあることは明らかだ。
決して好ましい状況ではないが、見方を変えれば、半数以上の系群が中位(32系群)または高位水準(15系群)にあり、決して危機的状況というわけではない。
桜本氏は、「好ましい状況ではないが、危機的ではない」という認識のようだ。
すでに多くの漁業経営体は危機的な状況にある。
さらに資源が減ったら、漁業が産業として成り立たなくなるという可能性が高い。
現在、低水準にある、スケトウダラも、マイワシも、確かに種として絶滅はしないだろう。
しかし、漁業が成り立たなくなれば、水産資源とはもはや呼べないはずだ。
産業として成り立つかどうかの瀬戸際にある漁業がたくさんある。
魚が捕れなくなって、困っている漁業者がたくさんいる。
こういう状況を何とか打破したいと危機感を持つのは、水産研究者として当然だろう。
また、水準の定義から考えれば、高位と低位の比が重要であり、
高位と中位を合わせて半分あるから良いなどという理屈は成り立たない。
低位資源がその3倍もあることを無視して、「高位資源が存在するから問題ない」と主張するのは、
一部の例外から、全体の結論を導きだす非科学的な論法である。
「すべての資源を中位または高位水準に維持しようとしてもそれは無理というものである」
と指摘をしているが、そんなことは当たり前である。
そもそも、低水準資源を無くせという無茶な主張をしている人間などいない。
規制改革の文書のどこにも、そんなことは書いてないのである。
改革サイドは、低水準に大きく偏った現状に危機感を持っているのである。
改革サイドの発言をねじ曲げた上で反論する、という論旨のすり替えが、この後も繰り返されている。
「改革サイドは無茶な要求をしている」という印象を、読者に植え付けようという意図であろうか。
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そろそろ例の文書につっこみを入れてみよう
いやぁ、最近忙しくて、ブログを書く、暇がないですよ。
8月〆の原稿も終わってないし、15日〆の原稿2つに至っては手つかずだし。
なんだかとってもピンチ、というより、すでにアウトな予感に満ちている。
15日の締め切りの一つは、俺が当初の締め切りでは書けないと断ったら、
発行日をずらして対応しますということになってしまったのだよ。
みなと新聞は、ちょっと遅れるかも。
ここまでされると、さすがに不義理はできない。
授業の準備もしないといけないし、引っ越しはあるし、JABEEは面倒くさいし・・・
と、まあ、いろいろあるのですが、やっぱり、ブログも書かないと駄目だね。
「暇になったら書こう」なんて考えは甘い。絶対に、暇にはならないから。
忙しい中で時間を作って書かないといけないのだ。
最近、水産経済新聞に掲載された桜本先生の文章を手に入れたので、
その内容について検討してみよう。
文章の主な内容は次の通り。
- 魚が減っているというのは、事実無根な言いがかり
- 我が国の資源管理は機能している
- 社会経済的なその他の事情を勘案し、ABCを超過するTACを設定するのは妥当
- ABCは、科学者の合意事項に過ぎず、科学的ではないので無視して良い
- 帰省改革会議が、「現行のABCに固執しない」のは変節である
- TAC魚種は現状7種で十分であり、増やすべきではない
いままで水産庁が主張してきたこと、そのまんま。
一心同体なんですね。流石です。
次回から、原文を読み解きながら、じっくりと吟味をしていくのでお楽しみに。
この件に関しては、ブログのコメント欄でも盛り上がっていたのですが、
そのプロセスで、読者の質問に対する答えも明らかになるとおもいます。
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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その4
TAC制度に強制力を持たせるのは非常識
水産庁は形ばかりのTACを設定しておきながら、超過漁獲を取り締まらない。そして、TACの超過は日常茶飯事だ。これでは管理とは呼べないだろう。昨年度のマイワシを獲っていた沿岸漁業者のなかには、自分たちがTACを超過していることを知らない人も少なくないだろう。要するに、はなからやる気がないのである。
世界に目を向けると、漁獲枠のごまかしには厳罰が当たりまえになりつつある。ノルウェーなどの資源管理先進国では、違反をする気も失せるほど、徹底した監視体制が導入されている。そして、同じシステムがイギリスやスコットランドなどの周辺国にも広がっている。国際的に見れば、非常識なのは日本の水産庁である。
資源管理のルール違反にお目こぼしをすると、ルールを守った正直者だけが馬鹿をみることになる。これでは、ルールを守るものなどいなくなるだろう。資源管理に対して日本の漁業者が消極的な原因の一つは、「自分が獲らなくても、他の誰かが獲ってしまうのでは?」という心配である。「自分が獲り残した魚は、後でちゃんと獲れる」という安心感を植え付けるためにも強制力をもったルールが必要なのだ。たとえば、ノルウェーは非常に厳しい監視をしているが、実際には違法者はほとんどいない。違法者を罰するためと言うよりは、むしろ、安心して漁業者がルールを守れるように、強制力が必要なのだ。
パトカーのたとえ話は意味不明なのだけど、おそらく「漁業者は自主的にルールを守っているので、強制力は不要」と言いたいのだろう。TAC制度の規制が無視されていることについては、3月21日の記事で説明済みだ。
昨年2月に大中巻きのサバ類の漁獲量がTACを超過したが、水産庁は自主的な停止を要請したのみであった。その後も、「アジなど」、「混じり」という名前のサバが水揚げされ続けた。
意図的なTAC超過の部分には、岩崎氏は何の異論もないようだ。まあ、当事者だけに、反論するだけやぶ蛇だとわかっているんだろう。「TAC?知ったこっちゃねーよ。俺たちは巻きたいだけ魚を巻くだけだ」という無法集団がいる以上、性善説ではだめなのだ。
法律論についても、何が言いたいのかわからない。そもそも水産庁自身が穴だらけのTAC法を作っておいて、「取り締まるのは法律違反」と開き直るのは論外だ。それに納得する納税者はいないだろう。そもそも法律を作る時点で確信犯的にやる気がないというのが、根本的な問題なのだ。また、法の下の平等というなら、北海道のスケトウダラ漁業者はTACによる操業停止を義務づけられたにもかかわらず、マサバやマイワシはTAC超過を野放しという方が、不平等だろう。一律できちんとやるべきである。
マイワシ、サバをTACで管理しているのは、日本と韓国のみ
これは爆笑してしまった。あまりにも世間を知らなすぎる。岩崎氏は、日本とせいぜい韓国のことしか知らないのだろう。自分が知らないことを無いと言い切れる自信は流石だな。
米国は漁獲枠のことをHarvesting Guidelineと呼んでいる。岩崎氏は、「ガイドライン=強制力がない」と勘違いしているようだが、日本のTAC制度と違って米国のHarvesting Guidelineには強制力がある。サバの場合も、EEZでの漁獲量がHarvesting Guidelineに達したら、漁業が閉鎖されることになっている。
http://www.fishtheisland.com/National_fish_news.htm#11
EU・ロシア・ノルウェーの共同管理については、ここで紹介している。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2008/02/post_301.html
また、ネットで検索すれば、オーストラリアをはじめとする多くの国が漁獲枠を設定していることがわかるだろう。
サバは世界中に生息する広域分布種である。たとえば、マサバ(Scomber japonicus)の分布はこんなに広い。
http://fishbase.sinica.edu.tw/tools/aquamaps/receive.php
世界中にローカルなサバ漁業は無数にある。一部の先進国をのぞいて資源管理の文書はあまり整備されていないので、サバを漁獲枠で管理している国がないことを示すのは不可能だ。少しでも国際的な資源管理について調べた経験がある人間なら、「特定の魚種が、特定の方法で管理されていない」などと不用意なことは言わないはずだ。
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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その3
4/11日に関しては、論点を整理してみよう。
TAC値の根拠が説明されていることが、審議会の資料を見ればわかる
本当にそうなのか、実物を見てみよう。
それから、マイワシでございます。マイワシの資源は低い水準ながら平成7年以降横ばい傾向にありましたが、本年の加入量水準は再び減少傾向にあるとされていることから、平成14年のTACは削減をしたいと考えております。その削減幅でございますが、今回の削減によりまして過去最低のTAC数量となること、またマイワシは漁獲量の年変動が非常に大きいことから、対前年比1割減にしたいと考えております。この結果、14年のTAC総枠は34万2,000トン、うち大臣管理分の大中まき網漁業につきましては18万1,000トンにしたいと考えております。また、都道府県に対する配分につきましては、島根県で 2,000トン、その他の県で1,000トンの減となります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/003.html
これが資料のマイワシ関連の部分なのだが、これに対して質問もコメントも無かったわけだ。これで根拠が示されているとはとうてい思えない。委員に資源のことを理解している人間が皆無な時点で、まともな審議などする気がないのは見え見えだけどね。
この議事録でわかるように、水産庁は肝心な情報を隠している。
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資源量がすでに26万トンまで減少していること
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去年の実漁獲がすでに13万トンまで落ち込んでいること。
これらの2つの情報と照らし合わせれば、34万トンというTACが荒唐無稽であることは自明だろう。しかし、「加入が減ったからTACを10%減らします」という説明では、34万トンのTACの非常識さが全く伝わらない。TACが資源量を超えているという情報を委員は誰一人として知らなかったはずだ。また、TACは水産庁がいくらでも大盤振る舞いをできるが、だからといって魚が増えるわけではない。その前の年は、TACが38万トンに対して、実漁獲はたったの13万トンであった。すでに魚がいないことはわかっていたのだ。この期に及んで、実漁獲の3倍もの過剰なTACを10%削減しても何の意味もないことは自明だろう。
この議事録をいくら読んでも、TAC値の根拠は全く見えてこない。俺には、水産庁が都合が悪い情報は隠蔽し、お手盛り審議会でろくな議論もせずにTACを恣意的に決めているようにしか見えない。ここまであからさまな議事録を、堂々と公開できる神経は、流石としか言いようがない。この件に関しては、実物を自分の目で見て判断することをおすすめします。水産政策審議会の資源管理分科会議事録はここにあります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/
毎年、11月にTAC値の審議が行われますので、そこを重点的に読んでください。
TACを前年より若干減らすというフィードバック方式をとっていたから、水産庁の説明はおかしくない
フィードバック方式かなんだか知らないが、資源量を超えるような漁獲枠を出すのは論外。
「フィードバック方式は、かなり有力な手法である」とか自画自賛しているけど、資源量を超えるような漁獲枠を出した時点で、その方法が機能していないのは自明だろう。
実は、フィードバック管理は俺の専門分野だったりするのだが、TACがフィードバック方式なんて初めて聞いた。当時のTACの設定をフィードバック方式の管理と呼ぶのは、全くの論外である。確かにフィードバック制御は使い方次第で効果があるのだが、10%という小さな変動幅では、よほど寿命が長く、変動が小さな資源しか管理できないというのは、我々の間では常識だ。
実際のマイワシの資源を対数で表現すると下のようになる。削減率10%だと、赤線のように漁獲枠が減少していくのだが、実際の減少(青線)はそれよりも急なのだ。毎年、漁獲枠を10%削減し続けても、資源はそれ以上の早さで減ってしまうので、いつまでたっても漁獲にブレーキはかからないのである。10%変動幅でのフィードバック方式で、変動が大きなマイワシを管理できるはずがない。
さらに、フィードバックをかけているのは、実漁獲ではなく、過剰に設定されたTACであることに注意が必要だ。当時の状況を整理すると、TAC38万トン、漁獲量13万トン、資源量26万トン、ABC2.4万トン(笑)だったわけだ。TACは、資源量の1.5倍、実漁獲量の3倍という、明らかに過剰な状態であった。すでに大幅に過剰なTACを10%削減しても何の効果もないことは明らかだろう。このときの資源量は26万トンしかないのだが、TACが26万トンまで減るのに4年もかかる。4年間も、獲りたいだけ獲れば、さらに資源状態は悪化するだろう。当時の漁獲量の13万トンまでTACが減るのは12年もかかる。12年間も漁獲にブレーキがかからない資源管理など、聞いたことがない。
当時の漁獲のもとで資源が減少していたのだから、実漁獲量を基準に漁獲枠を削減しなければ、フィードバック管理とは呼べない。前年の漁獲量の13万トンの1割減で、TACは11.7万トンにするとかいうなら、まだ話はわかる。漁業経営の観点からも、実際に13万トンしか獲っていないのだから、実漁獲ベースで考えるのが妥当だろう。
結論:当時のTACの算出方法はフィードバック方式とはとうてい呼べない。また、どのような方式であろうと、資源量を上回るような漁獲枠をだすような方法を正当化することはできない。
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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その1
俺の基本スタンスとして、自分に対する反論は大歓迎だ。議論を通して、論点が明らかになることもあるだろう。ただ、岩崎氏の反論はレベルが低すぎて、議論にも何にもなりゃしない。そもそも無理解や誤解の上に批判を展開しているから、どうしようもないのだ。まあ、水産庁の中枢にいた人間のレベルがよくわかるという点では価値はある。また、改革に反対する勢力のお粗末さもよくわかるだろう。まともな反論はできない上に、勝手に墓穴を掘ってくれる岩崎氏には今後も活躍をしてもらいたいものだ。ただ、残念なことに、この人の文章は、ほとんどの人には理解不能だろう。これではもったいないので、解説を入れることにする。
まずは、4/10日の文章について分析してみよう。
最初の3段は、独善的とか、無責任とか、抽象的に誹謗しているだけで、特に内容はない。「おまえのかあちゃんでべそ」レベルですね。
笑ってしまったが「多くのデータにより普遍的に自分の主張が成立することを実証して論じるという通常の学者のルール」の下りだ。水産庁→北まき理事という都合の悪い過去を隠してる人間が偉そうに何を言う。当事者が第三者を装って自己弁護をするのは、人としてのルールに反していると思うけどな。
4段目はまっとうな内容だと思ったら、俺の文章の要約だった。ABCを超えたら乱獲というのはABCの定義から自明だし、根拠が不明なものより、根拠が明らかな方が信用できるというのも当然だろう。ルールを破る不届きものがいるのだから、何らかの強制力が必要なのは自明だし、現在まったく機能していないTAC制度を改善するのは当然だ。俺の言っていることは、実にわかりやすいじゃないか。
ABC値以上獲ると乱獲は誤り
これは、岩崎氏のABCに対する無理解を示している。ABCとは、そもそもの定義からして、それを超えたら乱獲になる閾値なのだ。「ABCを超えても乱獲ではない」というのはあり得ない。ABCを超えても乱獲ではないなら、それはABCではないわけだ。
資源が減るとか不都合なことが起きているか。起きていない。
では、大中巻き網対象魚種の資源量を見てみよう。マイワシは明らかに減っているし、マサバは増えているとか言い切っているが、対馬系群は明らかに減っている。マサバ太平洋についても、卓越を獲り尽くしただけだ。「乱獲で資源回復の芽を摘んだ」というのが適切な表現だろう。マアジも太平洋は減少傾向だし。まともなのはマアジ対馬ぐらいじゃないか。
そもそも、北巻きなんて、獲るものが無くてモグラたたきみたいに未成魚が沸くたびに根こそぎ獲っているんだから、不都合があるのは明白だろうに。不都合がないなんて寝言は、休漁補償金を返納してから言ってほしいね。
サンマの漁獲はABCを下回っていたが、ここ数年、資源は下がり気味であり、ABC値は資源管理の基準として不適切である。
魚は自然変動する。歴史的にも希な高水準にあるサンマが、平均的な水準まで自然減少するのは当然だろう。サンマは超高水準から、高水準へと自然減少をしただけで、資源状態は現在も良好だ。資源量と比べて漁獲の規模は小さいから、まだまだ獲れる。出荷調整をしているだけで、まじめに計算すればABCはもっと多い。
岩崎氏は「ABC以下の漁獲なら資源は必ず増える」と勘違いしているようだが、そんなことはない。高水準のサンマは獲らなくても自然に減る。だからといって、ABCをゼロにして、現状を維持するために種苗放流をするべきだろうか。それこそ理不尽だろう。高水準資源については、ABCは漁獲の妨げにならないように設定すべきだし、実際にそうなっているのだ。
サンマや、するめいかは、高水準から、通常の水準へと戻っているだけで、今の資源状態は悪くない。ここ数年は、もっと獲っても問題は無かった。一方、マイワシとかマサバとか超低水準の資源は、一刻も早く回復措置を執る必要がある。特にマイワシは、現状を維持するだけでは危険な水準なので、安全を見て控えめに獲るべきなのだ。ABCは資源の状態を考量した上で、設定されている。「漁獲がABCを超えたら資源が減る」とか、「漁獲がABC以下なら資源が増える」と言ったものではないのだ。まあ、こんな勘違いをするのは岩崎氏ぐらいだろうが。
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グランドデザインから、国内組と国際組の違いを説明してみる
日本の水産政策のグランドデザインは次の2点である。
1)公海に日本漁業の縄張りを確保する
2)縄張り内からより多くの漁獲量を得られるように漁業者をサポートする。
1)と2)がセットになって、戦後の日本漁業の生産が伸びていった。魚を乱獲しながら、外へ外へと広がっていく、焼き畑漁業である。焼き畑漁業の前提条件として、新漁場や未開発資源を常に開拓する必要がある。1)を国際組が、2)を国内組が担当していたのだが、どちらも破綻すべくして破綻してしまった。そもそもの基本戦略が時代に即していなかったのである。
1970年の段階で、日本の漁業は世界に広がっており、これ以上の拡張は望めなかった。沿岸国の排他的利用は時代の流れであり、日本の外交力では世界的な流れを逆行できるはずがない。また、貿易摩擦が取りざたされた時代には、自動車や半導体のために漁業を犠牲にするという国としての政治判断もあった。国内外の逆風の中で、国際組にできることは、撤退を遅らせることのみであり、その観点からは良い仕事をしたと思う。
本来であれば、国際組が時間稼ぎをしている間に、国内組は資源管理を徹底して、自国の資源と漁業を立て直すべきであった。ちょうどこの時期に神風が吹き、マイワシが増えた。マイワシでなんとか凌ぎながら日本沿岸の回復を図ることは可能だったはずだ。しかし、実際には、マイワシが増えたからといって、安易に漁船規模を拡張して、自らの首を絞めた。国際組が時間を稼いだ間に、乱獲で資源を枯渇させ、後に残ったのは借金と過剰な漁獲努力量だけ。これでは、幾ら時間を稼いでも、何の意味もなかった。そもそもグランドデザインの時点で、破綻していたのである。捕鯨を見ればわかるように、水産庁は未だにこの破綻したグランドデザインにしがみつき、漁業を衰退させているのである。
研究においても、グランドデザインに従って、国際組と国内組は全く違うミッションの下にあった。
国際組の役割は、国際会議において、日本に有利な結果を通すことである。そのような会議においては、参加者全てがデータを共有するのが前提である。データが同じである以上、解析手法で優劣が問われることになる。統計解析においては最新の手法が、モデル解析においては、出来るだけ多くの要素が入った複雑なモデルが良いとされた。国際組の戦場は、米ソ軍拡競争のように複雑化の一途を辿ったのである。こういった軍拡競争は勝者を産まず、資源の有効利用にも繋がらなかったが、泥沼の中からOMという新しい考え方が産まれたのだが、その当たりの経緯は、このブログでも前に書いたので省略。http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/study/490om/でも読んでくれ。
国内組は、日本の漁業にブレーキをかけるような研究は御法度だった。ちょっと調べれば「獲りすぎ」という結果が出てくるに決まっているので、日本では漁業に直接関係する研究はほとんどできなかった。資源研究者には、国際組に入って帝国軍人として大本営の命令通りに闘うか、国内組として仮想資源の仮想的な話をするかの選択肢しかなかったのである。その一方で、漁獲を続けるための理由付けを助ける研究は大いに奨励された。例えば、「海洋環境と資源変動の関連を調べて、資源が減った理由を海洋環境から説明しよう」という研究には多額の予算が付いた。「魚が減ったのは海洋環境のせいだから、人間は悪くない!」と居直るのに使えるからだろう。また、純粋な意味での生物学・生態学も、乱獲問題に触れない限り、自由であった。
国内では、魚自体や、魚と海洋環境の関係を対象とした研究は進んだが、漁業に関してはアンタッチャブルであった。その状況を変えたのがTAC制度である。資源評価を外部に公開でやることになったのだが、前述のような事情で、漁業の影響を評価できるような人材は国内には殆ど居なかった。しょうがないから、別の専門分野の研究者に資源評価をやらせているのである。無茶なことをさせるものだと思うが、人材が居ないのだから仕方がない。人材育成については、大学の責任もある。国内の資源評価に関して言うと、担当者がそれぞれ手探りでやっているというのが実情だろう。苦しい台所ながら、頑張っていると思う。
国際組の研究は統計学・シミュレーション解析に偏っており、国内組の研究は魚の生態・海洋環境と資源変動の関係に偏っている。お互いに無いものをもっているのだ。国内の資源評価の質を高めていくためには、国際組を活用しない手はないだろう。上手くはまれば、良い関係になると思う。ただ、国際組のスキルは縄張り争いで喧嘩に勝つための道具であって、より合理的な資源管理をするための道具ではないことに注意が必要だ。決まった大きさの土俵があって初めて相撲の技術は意味をなすように、同じデータを使って正しさを競い合うという前提があって初めて意味をなす技術も多い。複雑すぎる統計手法は国内では不要だろう。そもそも厳密な議論をするほどの情報の精度ではないし、国内資源に関しては、データをとりに行くことも可能だからだ。最近年の資源量の推定に関しては、VPAのチューニングを頑張るより、音響調査などの漁獲統計と独立した資源評価をした方が良いだろう。国際組の財産の中で特に重要だと思うのはOMに関連する部分だ。日本でも資源管理をまじめにやることになれば、OM的なアプローチは必要になるから、準備をしておいて欲しいものだ。
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水政審はTACへの説明責任を果たしてください
水政審でTAC制度の見直しをするらしいのだが、コメントを聞くと水産庁の従来の主張を繰り返しているだけだ。水政審はTAC制度が批判を受けている理由が理解できていないのだろう。
資源研究者が、水産生物の持続的な利用のための漁獲量の閾値(ABC)を毎年計算している。それを元に、実際の漁獲枠(TAC)が設定されることになっている。本来は漁獲枠(TAC)は持続性の範囲(ABC以下)でなければならないのだが、日本ではABCを大きく上回る漁獲枠が慢性的に設定されている。そして、そのような乱獲とも思われるTACが許容されている根拠が示されていない。さらに、いくつかの魚種でTACを大幅に超過する漁獲が野放しにされている。TAC制度が批判されている点を箇条書きすると次のようになる。
- ABCを大幅に上回るTACが慢性的に設定されている
- TACの値を設定する根拠が全く示されていない
- TACを超える漁獲が野放しであり、資源管理としての実効性がない。
残念ながら、水政審は、これらの問題に真摯に対応するつもりはなさそうである。
資源管理分科会の櫻本和美分科会長(東京海洋大教授)も現在のTAC制度について「早急に見直しを行い、制度を改善する必要がある」との見解を示した。「従来の日本の管理方式とは異なるものの、システムとしては洗練されたものとなってきた」としながら、一方で「不満がないとは言えない。TACが資源管理に有効に機能していないとの批判が出ており、資源管理分科会としてもこれを真摯に受け止め、説明責任を果たす必要がある」と強調した。
実際の漁業への影響力がないABCのあら探しをしている暇があったら、実際に管理で使われているTACに対する説明責任を果たしていただきたい。 水政審には、TACの設定根拠を明らかにした上で、ABCよりもTACの方が妥当であることを説明する責任がある。きちんと筋を通した上でABCを無視するなら、文句を言うつもりはない。水政審は、自らが承認したTACの根拠を示さずに、ABCのあら探しをしているだけでは論外である。
具体的には、TACがABCより大きく設定されている批判に対しては①漁場形成などの関係からTAC達成率の低い魚種に対しては、ABC=TAC達成のためには「ABC÷TAC達成率=TACとすることが必要」(すなわち、TACはABCより大きく設定しなければならない。ただ過去のデータから妥当性を検討すべき)と説明。
漁場形成が変化しても漁獲量をTAC以下に抑える漁獲枠配分システムを作れば良いだけの話であり、漁場形成を口実に安易にTACの水増しをすべきではない。「ただ過去のデータから妥当性を検討すべき」という部分もぶっ飛んでいる。ABCを超えるTACを設定しておきながら、その妥当性は検証してないってことだよね。無責任にもほどがある。
加えて②ABCの定義の問題として、唯一のABCの値があたかも絶対的なものと解釈されている。TACがABCより大きいことがすぐ乱獲であると一般に理解されるが、ABCはあくまでも人間が定義するもので、研究者間でも合意が得られていない。合意できるABCの再定義が必要。
「ABCを少し超えた」というレベルではなく、倍や3倍は当たり前なんだから、明らかに乱獲である。マイワシのTACなんか現存量を超えていたのだ。こういった漁獲枠の妥当性に対する水政審の見解をお聞きしたいですね。 ABCが絶対に正しいとはおもわないけど、マイワシのTACは絶対に間違えていると思う。
研究者の合意が得られてないと言うが、合意していない研究者って誰だろう。俺が知っている範囲で、ABCに文句を言っているのは、自称研究者の天下り役人ぐらいなんだが。TACと違って、ABCは公開の会議で議論の上、承認されている。納得いかない研究者がいるのなら、ブロック会議で意義を唱えれば良いだけの話である。
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