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宮城県復興特区における漁民の自治の侵害について

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宮城県が復興庁に申請していた「水産業復興特区(水産特区)」について、所管の水産庁は、
1)地元漁民のみでは養殖業の再開が困難である
2)地元漁民の生業の維持
3)他の漁業との協調に支障を及ぼさない
という要件を満たすと判断し、昨年4月にゴーサインをだした。これをうけて、復興庁は昨年4月23日付で、宮城県が申請していた水産特区を認定した。そして、今年の9月の漁業権の一斉更新によって、水産特区に申請をしていた有限責任会社「桃浦かき生産者合同会社(桃浦LLC)」が漁業権を得ることになった。漁業震災から、2年半が経過して、ようやくの船出である。一方で、未だに宮城県漁協は、特区に対して反対の姿勢を崩していない。

特区に関して、多くのメディアは批判的な報道を繰り返してきた。たとえば、これを読んでほしい。

視点・論点 「漁業再生」
これに対して、漁民らは漁場利用の秩序が乱れると猛反発しました。
水産特区は、漁場を自ら管理してきた、漁民の自治を無視した考えと批判されてもしかたないのです。
民主主義を重んじる漁民の自治を排除した、漁民不在の構想でした。

NHKの視点・論点といえば、社会的な影響力がある番組だ。そこで、「水産特区は、漁民の自治の排除である」と非難されている。「NHKが呼んでくるような立派な専門家がいうなら、そうなんだろう」と一般の人は思うだろう。筆者は全く逆の意見を持っている。漁民の自治の結果が水産特区であり、それに反対している宮城県漁協の方が漁民の自治を侵害していると思う。一般の人には、「漁業権」といわれても、なじみが無いだろうから、「漁業権とは、そもそもどういうものなのか」から、じっくり説明しよう。

漁業権って何?

農業と漁業の大きな違いは、生産基盤が私有物か共有物かということだ。農業の場合、土地は農家の私有物である。自分の土地で農業を営むには、特別な「農業権」を取得する必要ない。「土地の所有権=農業権」なのだ。一方、海や河川は、公共の空間であり、漁師の私有物では無い。これらの「公共の空間で排他的な漁業をする権利」が、「漁業権」である。ちなみに、陸上養殖(陸上にいけすをつくって行う養殖)の場合は、農業と同じく漁業権は必要が無い。

ポイント その1
農業の生産基盤 → 農地 → 農家の私有物 → 土地の所有権がすなわち農業権
漁業の生産基盤 → 海・河川 → 公共用物 →  公共の水面で漁業を行うには漁業権が必要

「海はみんなのもの」というルールだけでは、漁業という産業は成り立たない。たとえば、「共有の土地で農業ができるか」を考えてみよう。共有地の作物は、誰の物でも無いので、誰でも収穫できてしまう。この状態では、まともな農業は成り立たない。沿岸漁業も同じように、誰でも獲れる状態では、獲った者勝ちになる。外から誰でもやってきて、自由に獲れる状態では、利益が出ないような状態になってしまうのは時間の問題である。ということで、海はみんなのものだけれど、「そこで排他的に漁業をする権利(すなわち漁業権)」を、認めておく必要があるのだ

漁業権の歴史

貝塚などの遺跡からもわかるように、有史以前から、沿岸の住民は漁業を行ってきた。自分が住んでいる前浜を、自家消費に近いかたちで利用していたのだろう。現在の日本漁業制度の起源は、江戸時代といわれている。昔から、沿岸のアワビや海藻などをめぐって、漁業者間の紛争が絶えなかった。江戸幕府はそれぞれの漁村集落の縄張りを定めて、前浜の排他的利用権(および納税の義務)を認めたのである。このように地域集落に漁業権を与える方式は、地域漁業権(regional fisheries right)と呼ばれ、日本以外でも、伝統的に利用されてきた一般的なやり方である。

当時の日本の漁船は、一本の櫓(ろ)をつかう和船であった(時代劇の渡し船をイメージしてほしい)。漁業権が設定されたのは、和船の櫓が海底につくところまで。つまり、沿岸のごく浅い場所のみに地域集落の排他的漁業権を認めたのである。当時は遊泳性の魚を乱獲するほどの漁獲技術が無かったので、資源を巡る競争が無い沖まで線引きをする必要は無かったのである。これが、いわゆる「沖は入り会い、根は地付き」という制度である。

くわしくはこちらを読んでください。→ http://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h21_h/trend/1/t1_11_2_3.html

川とか海に面している土地の所有者が、その土地の地番先の川とか海の公有水面を利用出来る権利を、地先権(ちさきけん)と呼ぶ。日本の漁業権制度の根底にあるのが地先権なのだ。漁業の場合は、個人では無く、地域コミュニティーが、地先権としての漁業権を伝統的に行使してきた歴史がある。地先権は、慣習上の権利であり、法律上の権利ではない。そこで、地元漁業者の地先権を保障できるように、漁業法という法律があり、地域の漁民がつくる漁協に漁業権を与えている。漁業権の行使について、その地域の漁業者が話し合う場として、それぞれの浜に漁協を組織した。「沿岸漁場の利用は、そこで漁業をしている漁業者がみんなで話し合って決める」ということ。

ポイント その2
日本の漁業権の基礎にあるのが地先権。地先権を尊重する漁業権運営をするために、漁協に漁業権が与えられている。

かつては、日本の沿岸の至る所に、漁協があった。昭和42年には全国に2443の漁協があり、それぞれの漁場を分割統治していたのだ(http://www.jfa.maff.go.jp/hakusyo/11do/11hakusyo.htm)。浜の意志決定機関である漁協が決めたルールで漁場が利用されるという点では、地先権に基づく地域コミュニティーによる自治が成り立っていたのだ。(残念ながら、民主的とは言いがたい運営がされている漁協も多々あるのだけれど)

平成の大合併

1970年代から、日本の漁業は衰退の一途をたどった。漁師の子供は漁業を継がず、高齢化が進み、漁業者の数はピーク時の1/5まで減少した。漁協の存続には、最低25人の正組合員が必要になる。正組合員の資格を得るには、年間100日漁業に従事する必要がある。原則として、25人の正組合員がいない漁協は解散するか、合併することになる。

新規加入が途絶えた状態で、高齢化が進み、25人の組合員が確保できない漁協が急増した。引退してほとんど漁に出ていない人を正組合員として登録して、数あわせをしていた漁協も少なくない。着実に漁村の限界集落化が進む中で、こういった一時しのぎは限界に達していた。

本来ならば、地域の漁業を支えるのに最低限必要な人員を確保できるように、漁業の生産性を改善した上で、外部から参入できるような仕組みを作らなければならなかったのだが、そうはならないのが日本の漁業村だ。これまでの枠組みを維持しつつ、正組合員の数あわせをするために進められたのが、漁協の大規模合併である。「県の漁協を一つにまとめてしまえば、組合員不足の危機は乗り越えられる」という考えだ。また、組織をまとめることで、財政が悪い漁協を護送船団方式で守ろうという意図もあっただろう。漁協の生き残りのために大型合併を、水産庁と地方行政が協力に後押しした。

漁民の高齢化・減少が深刻な宮城県でも、2007年に県内のほとんどの漁協が合併し、JF宮城(宮城県漁協)になった。一般的に、経営が悪い漁協は合併を望み、経営が良い漁協は合併をいやがる。単独でやっていける漁協が、業績が悪い漁協と経営統合したくないのは当然だろう。宮城県の中でも経営状況が良かったいくつかの漁協は合併に抵抗したが、、結局は2009年に併合させられてしまった。その直後に震災である。

桃浦の漁民はなぜ特区を申請したのか?

話を水産特区に戻そう。特区を申請した宮城県石巻市の桃浦地区では、残った漁民全員が60歳以上の高齢で、後継者がいなかった。なんでも、女の子ばかりが産まれたらしい。震災前から、「もう5年先は無いだろう」という状態であった。緩やかに消滅に向かっていた浜が津波で流された。この浜の主要な漁業は、カキ養殖である。養殖の資材をゼロからそろえるとなると、それなりの資金が必要になる。高齢で、跡継ぎがいない桃浦の漁民にとって、ゼロから立ち上がるのは困難であり、このままでは皆が廃業せざるを得ない状況であった。

桃浦の漁民は話し合いをした結果、自力での復興は困難と考えて、宮城県の水産特区を利用することにした。桃浦地区のカキ養殖の漁業者14名が,有限責任会社「桃浦かき生産者合同会社(桃浦LLC)」を設立し,地元の水産物卸売会社の仙台水産が経営参画した。桃浦地区には、刺網の漁業者が1名いるが、漁業形態が完全に異なるために、特区には参加していない。

震災前から、桃浦で漁業をしてきた人間15人中、14人が特区を利用する決断をしたのだから、桃浦の漁民の総意といっても差し支えないだろう。「当事者の合議制で漁場の利用を決める」という本来の考えに従えば、彼らの意見が優先されるのは当然である。もし、桃浦漁協が存在したなら、桃浦特区は何の問題も無かったはずだ。実際に、地元の合意の元で企業が漁業に参入している例は、いくつか存在する。静岡県では、「雇用と漁場を守るには、それなりの資本が必要」という判断から、企業を定置網に参入させている。その結果、地元に雇用がうまれ、漁師の平均年齢は60代から、30代に若返った。合併前なら、何ら問題が無かったのである。

桃浦地区が合同会社形式になったとしても、他地区の漁業活動に支障を及ぼすとは考えづらい。なぜなら、牡蠣の養殖は桃浦の漁場で完結しているので、余所の浜ともめる要因が無いのだ。俺が周辺の浜の漁業者と話をしたときには、「桃浦の人たちとは、小学校から一緒で、彼らの苦しい状況はわかる。応援したい気持ちはあるが、県漁協から反対するように言われて、しかたなく反対している」と、苦しい胸中を語ってくれた。去年の8月に牡鹿半島を訪問したときには、道沿いに下の写真のようなのぼりがずらっと並んでいたが、浜を分断しているのは、いったい誰なのか。
nobori

今後の漁業権のあり方を考える

宮城県の復興特区にまつわる一連の騒動から、今後の漁業権のあり方を考えてみよう。漁協の大型合併を機に、漁業権の法的な主体が、浜ごとに設置された漁協(単協)から、県漁協という大きな組織に移行した。宮城県漁協は、宮城県全体の組織であり、それぞれの浜の代弁者では無い。漁業権を前浜は失ってしまったのである。

平時に、これまで通りの漁業活動を行うならば、漁業権の法的主体の変化は、大きな摩擦を起こさなかっただろう。現に、県一漁協に合併をした他の県ではそれほど大きな問題は今のところ生じていない(いろんな県の漁業者と話をしたが、合併して良かったという声は皆無だけど)。宮城県では、桃浦の漁民が特区を選択したことによって、地域漁民と県漁協が対立構図になり、この問題が顕在化した。宮城県漁協からみれば、「俺たちの権利を勝手に切り売りしやがって」ということになるだろうし、逆に、桃浦の漁民からすれば「なぜ、前浜のことが自分たちで決められないのか」ということになる。

漁業権が漁協に与えられた経緯を考えれば、宮城県漁協と桃浦のどちらの主張が正当化は明らかだろう。そもそも、地元漁民が地先権を行使できるように漁協に漁業権を与えていたのである。その理念に立ち返れば、桃浦の漁民の選択が優先されるべきなのだ。しかし、漁業法がつくられた当時には予想もできなかった沿岸漁業の衰退と、漁協の大合併によって、漁協がそれぞれの浜の代表機関では無くなってしまった。県一漁協という大組織が漁業権を持っているが故に、地域漁民の自治(地先権の行使)が妨げられるという本末転倒な事態になっている。漁民の自治が、漁協や漁業権によって、疎外されているのである。

宮城県に限らず、多くの都道府県で、漁協の合併が進んでいる。今は、顕在化していないかもしれないが、いずれ地域漁民が変化を望んだときに、宮城県と同じ状況に陥る可能性はある。地域の漁業の消滅を食い止めるには、漁業の生産性の改善(漁師が魚を獲って生活できるようにすること)が不可欠である。特区が最良の回答かどうかはわからないが、当事者である漁民が新しいことにチャレンジしようというのを、漁業権によって妨害されるのはおかしな話である。地先権を漁業権の根拠という基本理念に立ち返るなら、県一漁協ではなく、各支所に漁業権の行使の最終決定が出来るようにすべきだと思う。

視点・論点では何が語られなかったのか?

ということで、NHKの視点・論点 「漁業再生」とは全く逆の結論に到達したのだが、視点・論点の文章を読み返しながら、そうなった原因を考察してみよう。

一番のポイントは、視点論点では、特区に賛成の漁民の存在が完全に無視されていることだ。

以上の二つの例は、民主主義を重んじる漁民の自治を排除した、漁民不在の構想でした。
漁民らは漁場利用の秩序が乱れると猛反発しました。確かに、漁民らの主張は否定できません。
行政庁は、一方的に復興方針を決めて押しつけるのではなく、漁民の自治を尊重しつつ、その意向を通して、復旧・復興を進めていくことが肝要です。

漁民の反対を押し切って、知事が独断で企業を参入させようとしているというような論調である。当事者である(地先権をもっている)桃浦の漁民が、特区を選択したという重要な情報が抜け落ちている。宮城県知事が地元漁民の意向を無視して、企業を押し込んでいるなら、非難されても仕方が無いのだが、実際は地元漁民が選択したから、桃浦の特区が成立したのである。

ここでいう漁民とは、ようするに宮城県漁協のことである。宮城県漁協の方針の賛同しないは、漁民と見なされないのだろうか。一番の当事者である桃浦漁民の存在を無視することで、「宮城県漁協 VS 桃浦地区の漁民」という対立構図を、「漁民 VS 企業」という構図にすり替えているのだ。この論者が守りたいものは、地先権に基づく漁民の自治権ではなく、漁協の既得権としての漁業権なのだろう。

その他の反対理由についても、俺には理解しがたい。

同じ漁場の中で複数の漁民が養殖業を営む場合には、もめ事が多くなります。そのため、漁民らは漁業権行使規則などの自主ルールを策定して、それに基づいて喧嘩にならないよう漁場を共同管理しています。漁協はまさに漁民の自治の場です。漁協に漁業権の管理権が優先的に免許される理由はここにあります。

とあるが、桃浦で牡蠣養殖をしているのは、特区のメンバーだけ。牡蠣の養殖は、場所を固定して行うので、他の浜との競合は起こりえない。水産庁がきちんと調べたうえで、「他の漁業との協調に支障を及ぼさない」と判断したことからも明らかだろう。

これまで漁民は、漁業権という「権利」を得るだけでなく、漁場利用のためのコストを支払って、秩序形成を図ってきました。それは漁民の「責任」です。そのような漁民らと、「責任」を背負わなくて良い漁民会社とが、もし漁場で競合することになれば、漁場紛争は避けられません。

たしかに、漁場維持のために漁民がコストを払ってきたのは事実である。その責任が企業だから、免除されるというのは、おかしな話である。企業にも、漁協と同等の責任を負わせれば良い。それだけの話だろう。また、漁業権を行使する上で負うべき責任については、きちんと議論をする必要があると思う。組合であろうと、企業であろうと、資源の持続性に対する責任を負うべきである。

桃浦特区があまりに誤解されているので、見るに見かねて、このエントリを書いてみた。ただ、本来はこういう説明は、部外者の筆者の仕事では無い。新しい枠組みを作ろうというなら、その枠組みの正当性を外部の人間に認めさせるのは、当事者の義務である。今後は、当事者の積極的な情報発信に期待したい。

Comments:2

cazain 14-07-01 (火) 19:12

通りすがりで失礼いたします。
とてもわかりやすく大変参考になる記事に
差し当たりお礼をしたくなりコメントさせていただきました

私は現在宮城県庁の採用試験を受験しているゆえあって
このサイトにたどり着きましたが
そうでもなければ(または漁業に携わる県民でもなければ)
高い確率でミスリードされたまま認識を固めてしまったはずです
そういった意味で先生にはぜひ感謝を申し上げたいと思いました

誤った認識の上で有効な議論はできませんし
今後注目されうる論点なだけに多くの方が誤解したまま
というのはとても残念です
私もできる範囲で周知していきたいと思います

不躾ですが
今後も先生の有益な視点を発信していっていただければ
国民としてありがたい限りです

田中一正 15-08-07 (金) 13:52

勝川先生、八田先生、小松先生の書籍、ブログは良く拝見しています。
日本の農林水産業(ここでは主に水産業を考えています)を何とかしなくてはとの思いが強いのですが、政治、行政、既得権益者を動かすには、国民が正しく認識し意見を上げることが重要と考えます。
広く水産業の現状を国民に正しく伝え、解決策についても説明し、そして漁業者とも将来について話し合いをし、世論の喚起に努めておられれる団体があればお教えください。私も何らかのお手伝い(さらに勉強が必要でしょうが)が出来ればと考えています。

神奈川県藤沢市在住
66歳 田中一正(男)

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