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水産基本計画(3) なぜ計画は破綻したのか

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水産基本計画がいかに荒唐無稽かを見てみよう。

現行の水産基本計画の検証(18年2月)
http://www.jfa.maff.go.jp/sinseisaku/keikaku_19/doc/180223_4.pdf
の中に、下のような図がある。

kihon6.png

この図で注目して欲しいのは、目標値だ。
平成11年以降、コンスタントに増やしていく予定だったらしい。
現在は、資源の生産力以上の漁獲圧がかかっている。
このような漁業の現実を考えれば、
いきなり漁獲量を増やすという目標が非現実的なことは明白だ。
水産基本計画の正体は、乱獲促進計画に他ならない。

水産基本計画は乱獲促進計画であることの証明
1.現在の漁獲量は資源の生産力を上回っている
2.現状で漁獲量を増やしたら、資源の減少を加速させる
3.漁獲量を増やすという基本計画は、乱獲を促進させて、資源の崩壊を早める。

水産基本計画は、3行で論破できてしまいました。

「資源が低迷しているときにどうしますか?」→「漁獲量を増やします」
この解答があり得ないことは、自明だろう。
このあり得ない解答が、水産基本計画の本質なのだ。
水産資源学とか以前に、常識の問題だろう。
水産基本計画はどう見ても非現実的であり、「計画」と呼べるレベルに達していない。

日本は、漁業大国で、水産物消費大国で、GNPが世界2位の先進国。
その国の漁業政策の大黒柱が、このレベルというのは由々しき事態ですぞ。

水産基本計画(2) 漁獲量は増えた?

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基本計画が発動してから5年が経過し、今年は途中見直しが行われている。
当ブログでも、勝手に水産基本計画の達成率を査定してみよう。

基本計画策定後の漁獲量のトレンド

最近の漁獲率のトレンドは以下の通り。
今までと同じようにだらだら減っているように見える。

kihon1.png

基本計画策定後にトレンドは変わったか?

基本計画開始前後で、漁獲率のトレンドに変化があったかどうかを詳しく見てみよう。
基本計画策定前の(1979-2000)のマイワシを除く漁獲量を直線回帰してみた。

kihon2.png

回帰式は240394 – 117year であった。
直線的な減少傾向が統計学的にも有意であった。
毎年11.7万トンずつ減っていることになる。

では、この回帰直線と基本計画策定後の漁獲量を同じ図に書いてみよう。
kihon3.png

青い点が基本計画前、赤い点が基本計画後の漁獲量である。
直線は基本計画前のデータ(青い点)から求めた回帰直線である。
赤い点が回帰直線の上に載っていることから、
基本計画の開始前後で漁獲量の減少傾向は変わっていないことがわかる。
正直、ここまできれいに一致するとは思わなかった。

以上の結果から、わかることは

  1. 基本計画開始前と同じペースで漁獲量は減少をしている
  2. 資源量もだらだらと減り続けている
  3. 水産基本計画は、漁業にも資源にも影響を与えていない
  4. 5年前と比べて、資源量が減少したので、目標がさらに遠ざかった

漁獲量を積極的に削減しなかった当然の帰着といえるだろう。
おそらく、今回の中間見直しで、数値目標を下方修正するだろう。
お家芸のムーンウォークだ。

今後の動向

水産基本計画策定後も、漁獲量は以前と同じ割合で減少している。
今後も同じ割合で漁獲量、および資源量が減少すると考えるのが自然だろう。

kihon4.png

黒線が今後の漁獲のトレンド。
青線が2012年に達成予定であった海面漁獲量。
赤点が現在までの漁獲実績。

回帰直線に従って漁獲量が減少を続けるなら、平成24年の漁獲量は478万トンである。
これは海面漁獲量の目標値の71%であり、目標を3割も下回ることになる。
582万トンから、669万トンに増やしますと公約した。
87万トン増やすつもりが、104万トンの減少になるわけで、 
水産基本計画の達成率は、-120%となり、C評価ですね。

おそらくはこの線で進むと思うのだけど、
最終年あたりに目標漁獲量に近づけるために漁獲率を上げさせそうな予感がする。
そうなると、資源的に非常に厳しくなるので、それだけは止めて欲しいな。

水産基本計画(1) 計画の概要

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漁獲量が長期減少傾向にある場合には、
資源を回復させるためには一時的に漁獲量を下げる必要がある。
その場合、漁獲量が元の水準まで復活するには10年程度はかかる。
ということを簡単なモデルで説明した。

このことを頭に入れた上で、漁業政策の大黒柱である水産基本計画の内容を見てみよう。

水産基本計画とは何か?
昭和38年に制定された沿岸漁業等振興法が時代にそぐわなくなったので、
1999年に水産基本政策大綱が策定された。
日本国として、今後の漁業政策をどのように展開していくつもりかを表明したわけだ。
水産基本法は理念や原則を示したものであり、
実際の政策を決定するためにはより具体的なプランが必要になる。
そのアクションプランが水産基本計画なのだ。
水産基本計画にしたがって行動をすれば、
結果として水産基本法の理念は実現されるというわけだ。
この水産基本計画が、日本国の漁業政策の本体なのだ。

水産基本計画の具体的な中身
具体的な目標があるのは、漁獲量と自給率のみで、資源に対する目標は一切無い。
その漁獲量の目標が大幅増加というすごい内容だ。

我が国漁業の持続的生産目標
   上記のような課題が解決された場合において、資源を枯渇させることなく持続的に実現可能な我が国の漁業生産の水準(持続的生産目標)は、第1表のとおりである。なお、これらの目標を設定するに当たっては、漁業生産活動に関する国際的な枠組みが、基本的には現在のような状態で継続することを前提としている。

11年度 (参考)12年度 (目標)24年度
魚介類(全体) 595 574 682
うち、食用 461 453 526
[魚介類(全体)の内訳]
遠洋漁業1) 83 86 79
沖合漁業2) 280 259 342
沿岸漁業3)(海藻類を除く) 149  146  170 
海面養殖業(海藻類を除く) 70 70 78
内水面漁業・養殖業 13 13 13
海藻類
採藻・藻類養殖業  68  65  67 

沖合は22%増加!
沿岸は14%増加!

この大幅増加が、資源を枯渇させることなく持続的に実現可能な
我が国の漁業生産の水準(持続的生産目標)らしいのだが、
この数字は誰がどうやってはじき出したものなのだろう?

日本の漁獲量を10年後には大幅に増やします?
しかも持続的に?
どういう計算をしたら実現可能なのだろう。
根拠となった計算についてどこかに公開されてないのかな?

昨日、説明をしたように、漁獲圧が過剰な状態で、
漁獲量をV字回復することは不可能なのだ。
まず資源を回復させて、その後、徐々に漁獲量も回復していくしかない。
現在、だらだら減っている漁獲量を、人為的に下げる必要があるのだ。
漁業者は、漁獲量を増やすことには積極的だし、協力もするだろう。
でも、漁獲量を減らすことには反対するだろう。
かなり毅然とした対応をとらないと、資源の減少を食い止めることは不可能だ。
この基本計画を見る限り、水産庁としては、
漁獲量を減らすつもりはないようである。

水産基本計画を一言で言うと、
「漁獲量をとにかく増やしますよ」ということだ。
まるで60年前にタイムスリップしたかのような計画である。
日本の漁業の現状を見れば、
持続的に漁獲量を増やせる状況には無いと思うのだが。
何か秘策でもあるのだろうか?

2006 9/26 漁業法→沿岸漁業等振興法に訂正

漁獲量削減計画の重要性をモデルで検証してみた

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とても単純な数理モデルで、漁獲量削減の重要性を検証してみよう。
資源の生産力と漁獲率はほぼ拮抗しているが、漁獲の方がやや強いという現状を
単純な数理モデルで表現してみよう。

単純のため全ての資源をひとまとめで考えてみる。
資源の年間増加率を20%、現在の漁獲率を22%としてみよう。
年間2%の割合で減少していくことになる。
20年で2/3に減少することになるので、最近の減少傾向と値は近い。

さて、この仮想資源を最初の10年間は22%で漁獲をして、
最後の10年は別の漁獲率で利用する場合を考えてみよう。

4つのシナリオ

現状の漁獲率(22%)
資源量維持(20%)
漁獲率増加(28%)
漁獲率減少(12%)

4つのシナリオの資源量と漁獲量を示そう。

stocklevel.png

yield.png

シナリオ1 現状の漁獲率

漁獲率を変えなければ、今と同じ割合でだらだら減っていく。

シナリオ2 資源量の維持

資源量を維持するためには、漁獲率を下げる必要がある。
漁獲率を下げた年は漁獲量が減少するが、その後は安定するため、
5年後には、管理をしない場合の漁獲量を追い抜く。
シナリオ1では今後も漁獲量は減っていくが、
シナリオ2では永続的にこの漁獲量を確保することが出来る。

シナリオ3 漁獲率増加

漁獲率を増加することで、一時的に漁獲量は増大する。
しかし、資源の減少を早めてしまうので、すぐに頭打ちになる。
そして、減少に転じた後は、高い割合で減り続ける

シナリオ4 漁獲率減少

最初はがつんと漁獲量が減少するが、
資源の増加に合わせて、漁獲率も増加していく。
管理開始10年後に、管理開始時よりも漁獲量が増えるのはこのシナリオのみ。
このシナリオでは、資源量が増えていくので、持続的に漁獲量も増やすことが出来る。

 

管理開始10年後の漁獲量と漁獲率の関係を図示してみよう。

yield2.png

現状(22%)よりも漁獲率を上げれば、それだけ10年後の漁獲量は減少する。
短期的な漁獲量増産は長期的には裏目にでるのだ。
一方、漁獲率を資源量の維持できる水準以下に下げれば、資源が回復し、
結果として、漁獲量は増加することになる。
今の半分ぐらいの漁獲率にすると、10年後の漁獲量はピークになるが、
一時的に漁獲量が半減することになる。
それでも管理開始時の漁獲量までなんとか回復するかという線である。

結論

  1. 資源の減少に合わせて漁獲量を減らしても、じり貧
  2. 頑張って、漁獲量を増やすと、長期的には裏目にでる
  3. 漁獲率を減らして、資源を回復させると10年後には漁獲量は回復する

「いきなり漁獲量半減」みたいな厳しい管理は難しいから、
まずは資源量を減らさないようにするところから始めるべきだろう。
今の資源量よりも減らさないという体制に10年程度で移行し、
その後、徐々に回復させていくというような数十年スケールで考えないと出口がない。

プログラムのソースは以下を参照

今必要なのは、漁獲量削減目標ではないか?

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さて、日本漁業の歴史を振り返った上で、現状を分析してみよう。

日本の漁業生産は、世界一を記録してから、終戦直後と同程度まで減少した。
スタート地点に戻ったようにみえるが、その内情はまるで違う。

http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/09/part2.html
で挙げた日本漁業の成長に寄与した4つの条件は、2)以外は失われた。

1)資源状態が良好だった→日本近海の資源は長期低迷化
2)漁業のノウハウがあった
3)米国の協力→米国によって日本の公海漁業は排除される
4)公海自由の原則→排他的利用権と「責任ある漁業」へ

60年前と比べると、獲る場所も獲るべき資源もないのが現状なのだ。
高すぎる漁獲能力は乱獲による資源崩壊を引き起こすので、
メリットと言うよりはデメリットだろう。

マイワシバブルを除けば、コンスタントに漁獲量は減少を続けている。
遠洋漁業の衰退は漁場の縮小が大きいが、
沿岸や沖合に関してはEEZから外国船を閉め出したにもかかわらず、
1990年以降、一貫した減少傾向を示している。
沿岸や沖合の漁獲量はすでに資源の生産力を超えているのだ。
現在の漁獲量の減少は、資源の減少を反映したものであり、
1990年以降、漁獲率は殆ど落ちていない。
むしろ、マイワシのような低水準資源では、漁獲率が急上昇している。

 

sardine exp rate

このような状況で漁獲量を増やしたら、資源の枯渇を早めるだけだろう。
資源を維持しつつ、漁獲量を今すぐにV字回復するのは無理なのだ。
また、今までのように、資源の減少に合わせて漁獲量を減らしても、
資源はズルズルと減る一方で、回復はしないだろう。

今打つべき手は、現在の資源の生産量に見合った水準まで、
漁獲量を減らすことなのだ。
いったん、漁獲量を減らしたうえで、資源が回復するのと歩調を合わせて、
漁獲量を増やしていけばよい。
日本近海の生産力は半端じゃなく高いから、きちんと親を残してやれば、
漁獲量を今よりもぐっと伸びるはずだ。

新しく図を作ってみました

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katoさんのコメント

マイワシのグラフにスケソの構成も加えると、
減少度はもう少しフラットになると思います。
また沿岸漁家だけで見ると、漁獲金額のピークはバブルの頃で
(たぶん)70年代よりこちらの方が景気は良かったように思えます。

コメントに従って、図を新たに作成してみました。
下の図が、マイワシ以外の多獲性の魚種を示したものです。
ご指摘のようにすけとうだらを抜いてみると、変動傾向はかなりフラットになります。
マイワシとすけとうだらの重要性が良くわかります。
スケトウダラの減少に関しては、国際漁場から閉め出されたのと、
日本近海資源の再生産が近年落ちている影響が大きいです。

Image5.png

マイワシ、すけとうだらを除いた漁獲量のトレンドです。
1970年代前半がピークでそれ以降、一定の減少という傾向は変わりません。
スケトウ込みの図よりも減少率は低くなりますね。

Image4.png

下の図は漁業種別の生産金額です。
沿岸は1992年がピークですので、厳しさを増す漁業経営という表現は実情に反しているようです。
「70年代よりこちらの方が景気は良かったように思えます。」というご指摘通りですね。
特に、高級品を抱えている浜は、べらぼうに景気が良かったのは間違いないと思います。
バブルの鰻登りの経済成長と比べると、全体の伸び率としては低いように思います。
Image6.png

漁獲統計をいじるのは、なかなか面白いから、癖になりそうだ。
データはネットで落とせます。

http://www.tdb.maff.go.jp/toukei/a02smenu1?TokID=C001&TokKbn=C&TokKbnName=%92%B7%8A%FA%97%DD%94N%93%9D%8Cv

漁業の歴史 part5

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今まで見てきたように戦後の漁業の歴史は、
公海自由の原則→排他的利用権→責任ある漁業
といった具合に、一つの方向へ、ゆっくりと着実に動いてきた。
国際的な取り決めは、具体的な行動に移る前に長い準備期間が必要となる。
公海自由の原則が突然なくなったわけではないし、
漁業の責任がある日突然に問われだしたわけではない。
過去から現在までの流れをしっかりと見れば、未来を読むことは容易である。
「責任ある漁業」の次に来るのは、「責任を問われる漁業」だろう。
現在、IUU(違法、無報告、無規制)漁業や
FOC(地域漁業機関の非締約国等に船籍を移して無秩序な操業を行う便宜置籍船)などの
明らかな違法操業に対する規制が進んでいる。
今後は違法操業のみならず、乱獲などの無責任な漁業に対しても、
責任が問われることだろう。

乱獲漁業を規制する取り組みはすでに始まっている。
持続的な漁業であることを証明するエコ・シールがすでにある。
こういうものをつかって、消費者が乱獲を取り締まろうという動きもある。
いずれ、乱獲漁業に対する実行力のある規制が俎上に載るのは時間の問題だろう。
こうなると、日本のTAC魚種はサンマを除いて全滅するかもしれない。

漁業に関して言えば、時代の流れを読むのは容易であるにもかかわらず、
日本の漁業は時代の変化に適応してこなかった。
日本は「遠洋漁業は国際法を守って責任ある漁業を目指します。
でも、沿岸、沖合は今まで通り、好きなだけ獲りますよ。」
という内外ダブルスタンダードな政策をとっている。
責任ある漁業という外圧から、国内の漁業を守るために頑張っているのだ。

「日本のEEZの資源は乱獲をしても、日本の勝手でしょ?」というのは素人。
200海里の生物資源は、沿岸国の私有物ではない。
例えば、日本のEEZ内の資源を日本の漁獲能力では利用しきれない場合は、
外国に対して漁獲を許可する義務がある。
このことからも、EEZ内の資源が日本の私有物で無いことは明らかだ。
オープンアクセスにすると管理ができないので、
沿岸国が排他的に利用する権利を持っているだけなのだ。
その権利と引き替えに、資源を持続的に有効利用する義務も負っている。
EEZの資源であろうと、乱獲をする権利は無いのだ。
日本の現在の漁業は国連海洋法条約の理念に反している。
責任を果たしていないのに、権利のみを主張できるはずがない。
将来的に、日本に管理能力がないとみなされた場合、
管理能力がある国が日本に変わって排他的に利用することもあり得る。

漁業の歴史 part4

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公海自由の原則が崩壊し、沿岸国の排他的利用権が保証されるようになった。 それと同時に、沿岸国は管理の義務も負うこととなった。 「責任ある漁業」の時代の幕開けである。

1988年 米国MMPAにより、鮭鱒が禁漁とともに米国200海里内底魚操業不可
1991年 北洋サケマス沖獲り禁止
1992年 公海流し網漁禁止
1992年 IWC科学小委員会は改訂管理方式(RMP)を完成
1993年 ベーリング公海操業一時休止
1995年 FAOが「責任ある漁業のための行動規範 (Code of Conduct for Responsible Fisheries)を採択
1995年 日本政府が「食料安全保障のための漁業の持続的貢献に関する国際会議(京都会議)」を開催
1996年 国連海洋法条約を批准
1997年 TAC法(海洋生物資源の保存管理法)施行、TAC制度導入
1997年 水産庁に資源管理部が新設される
1999年 水産基本政策大綱が策定される
2001年 資源評価票およびABCを公開
2002年 水産基本計画が策定される
2006年 国連公海漁業協定の批准

時間の経過と共に、公海漁業が次々と規制をされていった。 規制の対象となった漁業の中には、ぬれぎぬのようなものも少なくないが、 ひとたび漁業が禁止されてしまえば、漁業の復活は容易ではない。 それを象徴するのが、IWCだろう。 1992年にIWCの科学者委員会は、 鯨類を持続的に利用するための漁獲ルール(RMP)を完成させた。 科学者たちは、RMPに従って漁業を行えば、鯨は科学的に利用可能だと判断したのだ。 しかし、RMPが完成してから10年以上経過をした現在においても、 捕鯨は再開されていないし、再開のめども立っていない。 反捕鯨国からの管理取り締まりに対する要求を日本が拒絶したせいで、 膠着状態に陥っているのだ。

国際漁場からの締め出しがちゃくちゃくと進む中で、 1982年に採択された国連海洋法条約が1994年から発効することになった。 国連海洋法条約の基本理念は、海洋資源の利用にあたり、 従来の自由競争(フリーアクセス)に代えて、 海洋環境保全の責任を義務として課すことである。 排他的利用権の代償として、管理責任を負うことになったのだ。 人類共通の財産である海洋資源を守っていく上で、必然的な流れだろう。 海洋生物資源を利用する際に、具体的にどのような責任を負うべきだろうか? 90年代に入ると、その責任の中身を具体的に決める作業が進められ、 1995年にFAOが「責任ある漁業のための行動規範」を採択した。

責任ある漁業の中身は、
● 漁業の権利と資源保存の義務の両立
● 持続的開発の実現
● 過剰漁獲と過剰漁獲能力の抑制
● 予防的アプローチの適用
● モニタリング・監視・取締の実施
など、多岐にわたる。

日本も1996年に遅ればせながら国連海洋法条約に批准をした。 これによって、EEZ内の資源を適切に管理する義務を負うことになった。 ついに、「資源管理」という黒船がやってきたのだ。 昭和38年に制定された沿岸漁業等振興法では資源管理に対応できないので、 1999年に水産基本政策大綱が策定された。 http://www.jfa.maff.go.jp/kihontaiko/index.html さらに、その具体的な内容として、2002年に水産基本計画が公表された。 http://www.jfa.maff.go.jp/sinseisaku/kihonkeikaku.html 世界の流れを見ると、90年代以降のキーワードは「責任」である。 水産基本政策大綱において、責任という単語が出てくる場所は遠洋漁業のみ。

(1)責任ある遠洋漁業の実践 国際的な資源管理体制の下で責任ある遠洋漁業の実践に努めることを基本に、 強力な漁業外交の展開により漁場の確保を図るとともに、 コストの削減等により国際競争力の強化を図る。

国際漁場では「責任ある漁業」でなければ通用しないと言う認識はあるようだが、 国内漁場では今後も「責任ある漁業」を進めていくつもりは無いようだ。 また、水産基本政策大綱のアクションプランである水産基本計画にしても、 生産量と自給率に関する数値目標はあるが、 資源水準などの生物の持続性に関連する目標がない。 また、漁業生産を上げるための方法にしても、 「種苗放流」と「コスト削減」のような従来の焼き直しが目立ち、 「責任ある漁業」に対応できていないように見える。

2006 9/26 漁業法→沿岸漁業等振興法 に訂正

漁業の歴史 part3

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高水準期 - 公海自由の原則の崩壊

ここでは、1972年から1988年までの15年間を高水準期と定義したが、
これは日本の漁獲量は世界一ィィイイィィイイ!であった期間でもある。
ただし、その内情を詳しく見ていくと、
日本漁業は既に斜陽にさしかかっていることがわかる。

1945年 トルーマン米大統領が大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言を発表
1972年 米国で海産哺乳動物保護法(MMPA)が履行
1973年 第1次オイルショック
1973年 県の栽培漁業センターの設立が始まる
1976年 米国200海里法成立(各国追従)
1977年 日本12海里領海法、200海里漁業水域法を制定
1978年 農林水産省発足
1979年 全国に国の栽培漁業センターの設立が始まる
1982年 商用捕鯨全面禁止(モラトリアム)
1983年 日本が国連海洋法条約署名
1985年 日米協議の結果、日本はIWCに対し、異議申立てを撤回

公海自由の原則の崩壊
1972年のMMPAは90年代に日本の公海漁業を規制するのに利用された方案である。
やはり米国は布石を打つのが早い。それに対して、日本はあまりに無策・・・
1973年に第一次オイルショックが勃発し、遠洋漁業がその煽りをうける。
戦後急速に伸びた遠洋漁業は1972年の約400万トンを最高に減少に転じることとなる。
1976年に米国が200海里法を成立させると、各国がそれに追従。
沿岸国による水産資源を囲い込みによって、「公海自由の原則」が崩れたのだ。
200海里に反対の立場をとっていた日本も、世界的な流れには逆らえずに、
1977年に12海里領海法、200海里漁業水域法を制定する。
この時点で、日本漁業の拡張主義は終わりを告げたのだ。
米国200海里法は、1945年の「大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言」が元となっており、
終戦と同時に海洋資源囲い込みの布石を打っていたことがわかる。
200海里時代に突入すると公海が狭まったのだが、
狭くなった公海での漁業への圧力も増してきた。
そして、1982年には商用捕鯨全面禁止(モラトリアム)がIWCで決議される。
日本は異議申し立てをしたものの、米国の圧力により1985年に異議申し立てを取り下げた。

マイワシの増加
このように1970年代以降は沿岸国による漁場の囲い込みで、
日本の漁獲増産を支えてきた「公海自由の原則」が崩壊した。
日本の漁業生産を牽引してきた遠洋漁業が衰退していったものの、
日本の漁獲量は増加を続けていくことになる。
その理由は、偶然にもマイワシがこの時期に増加したからである。
1960年代には幻の魚と呼ばれるほど減少していたマイワシが
1970年代に入って、増加をはじめた。
1972年に殆ど親が居なかったにもかかわらず、大量の仔魚が発生したのだ。
日本はマイワシの保護など一切行っていなかったので、
マイワシの増加は自然現象と考えられている。
おそらく、海洋環境が卵の生き残りに適していたと考えられているが、
その海洋環境の条件は未だに特定されていない。
その後も、マイワシ資源は増加を続けて、ピーク時には450万トンを超える漁獲があった。
マイワシの増加の影響を図示してみよう。

gyokaku.png


黒線が日本の総漁獲量、赤線がマイワシを除く総漁獲量である。
マイワシを除く漁獲量は、1973年以降ほぼ一定の割合で減少をしている。
マイワシ・バブルによって覆い隠されていただけで、
1970年代には、すでに日本の漁業は下り坂だったのだ。
日本漁業が行き詰まった瞬間に、マイワシ増加という神風が吹いたのだ。

厳しさを増す漁業経営
マイワシのおかげで漁獲重量は伸び続けたのだが、漁業経営は厳しさを増していった。
魚の単価は、消費者物価並みには伸びていかなかった。
一般国民との生活水準のギャップを埋めるためには、漁獲量を増やす必要があった。
1970年代後半以降はそれでも埋め合わせが利かず、漁業者の生活水準は下がり始めた。
この時期に多獲されたマイワシに対する需要は低く、値段が殆どつかない状況だった。
獲っても儲からないけれど、それでも獲らないとやっていけないという状況であった。
漁業の生産金額は1982年にピークの2兆9772億円を記録してから、減少の一途を辿ることになる。
他の産業が発展を続ける中で、漁業のみが生産額を減少させていったのだ。


その時、水産庁は?
当時の国際情勢を考えれば、公海での漁業が規制されていくことは明白である。
消去法的に、自国の資源を大事に使う以外に道はないように思う。
しかし、水産庁はそういう方向は目指さなかったようである。
当時の水産白書は見つからなかったので、代わりに科学技術白書を見てみよう

1962年(昭和37年)
「したがつて,今後における漁獲量の増大は

  1. 沖合漁業とくに遠洋漁業の開発
  2. 未開発資源の開発,新漁場の開発
  3. 養殖の開発

などにもとめることとなろう。

1974年(昭和49年)
今後とも、新漁場の開発や大規模な増養殖事業の展開により、漁業生産は拡大すると思われる

1983年(昭和58年)
海洋生物資源は、我が国の将来における食料供給において大きな役割を果たすものと考えられている。
このため海洋のもつ潜在的可能性に鑑み、海洋生物資源の利用の増大を図るためには、
資源培養技術開発、漁場造成技術開発、未利用資源開発等を推進する必要がある。

200海里時代の前後を挟んで、水産政策は全く変化していないことがわかる。

戦後の水産政策の3本柱

  1. 新漁場開発
  2. 未利用資源の開発
  3. 栽培漁業

新漁場開発と未利用資源の開発は、増加期の手法そのままであり、
200海里以降の時代の流れと完全に逆行している。
唯一の新しい方法論は栽培漁業である。
栽培漁業は、遠洋漁業に代わる水産行政の柱として、
70年代以降、国策の中心に据えられることになった。
1963年に瀬戸内海に栽培漁業センターが設立されたのを皮切りに、
1973年から県の栽培漁業センターの設立があいつぎ、
1979年から全国に国の栽培漁業センターが設立された。
このように器を整えた上で、潤沢な資金が導入され続けたのだが、
マイワシを除く漁獲量の変遷をみればわかるように、
現在の資源の減少を食い止める効果は無かった。
ついでに、養殖についても見てみよう。
平成15年現在、国内の水産物の消費量(食用)は802万トン。
それに対して、魚類の養殖生産はたったの26万トンである。
26万トンのうち、ブリ15万トン、マダイ8万トンで、2魚種で9割をしめるのである。
養殖だけでやっていこうと思うと、一人あたりの魚の消費量を30分の1にして、
さらにブリとマダイしか食べられないことになる。
最近15年は生産量は横ばい、生産額はやや減少傾向にあるのだ。
「金はいくらでも出すから、採算を問わずに生産を上げろ」ということを
すでに何十年も続けてきて、この程度の生産量なのだから、
今後も増養殖が獲る漁業の代替とはなり得ないだろう。
豆知識:栽培漁業と養殖業のちがいはなに?

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養殖生産量(t)

夢の終わり
日本の漁業が限界を迎えた70年代に、偶然にもマイワシ増加という神風が吹いた。
しかし、日本は漁業の構造を変えるための有効な手段を講じなかった。
その結果、1988年以降マイワシが減少しはじめると、
坂道を転がり落ちるように漁業生産は減少を続けることになる。

つづく

漁業の歴史 part2

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増加期 ~ 沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へ

日本漁業が発展をした増加期(1945-1971)までの主な出来事を振り返ってみよう。

1945年 終戦
1945年 トルーマン米大統領が大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言を発表
1948年 水産庁発足
1949年 新漁業法制定
1952年 日米加漁業条約調印・日米行政協定調印・李承晩ライン宣言
1952年 北洋漁業再開
1955年 日本国連加盟
1956年 日ソ漁業条約調印(日ソ漁業交渉第一年)
1960年 スケソウダラのすり身技術開発
1960年 南氷洋での捕鯨世界一に
1962年 堀江謙一、ヨットで単独大平洋横断

現在の漁業システムの基礎が作られたのは終戦直後である。
疲弊しきった国力で、何とか国民を食べさせなければならない。
貴重なタンパク源として、漁業にかかる期待は大きかった。
終戦3年後に水産庁が発足し、翌年に新魚業法が制定された。
また、各地の大学に水産学部が設けられ、水産大学や水産高校できた。
このように国を挙げて水産業を振興していく体制を整えたのである。
1952年に、米国・カナダと漁業条約を締結し、遠洋漁業への扉が開かれた。
戦後のインフラがない中で、まずは沿岸漁業の生産が増加した。
ディーゼルエンジンと無線の普及と共に沿岸から沖合、遠洋へと漁場が拡大する。
李承晩ラインのような逆風も在ったが、順調に漁業生産を増加させて、
1960年に南氷洋での捕鯨が世界一になった。


水産庁の役割

この時期の水産庁の役割は、とにかく素早く漁業生産を増加させることであった。
それは、漁業者の短期的経済利益とも合致する。
この当時のエンゲル係数は50%近く、食料=豊かさという時代であった。
とにかく食料が足りない時代だったので、短期的な食糧増産は国益とも合致する。
漁業者の利益・水産庁の役割・国益は、短期的な漁獲量の増大に収束していた。
官民一体となり、日本の漁業生産は急上昇して、国民の胃袋を満たした。
漁業は、食糧増産という使命に応えたのである。
この時期の日本の漁業政策は大成功といって良いだろう。

成功の要因

漁業生産のスタートダッシュに成功した背景には、
漁業者や水産庁の頑張り以外にも、いくつかの追い風があった。

1)資源状態が良好だった。
戦争中はほぼ禁漁状態にあり、戦前に減少していた資源も回復していた。
特に沖合、遠洋はほぼ未開発に近い状態。

2)漁業のノウハウがあった
もともと漁業が盛んだったので、沿岸漁業を足がかりに、
沖合、遠洋へと拡大していけた。
コッドなど一部の資源を除けば、水産物に対する需要は低く、
日本以外に、沖合、遠洋の資源を積極的に利用しようという国はなかった。

3)アメリカの協力
この時期の米国は日本の漁業にとても協力的であり、
自国の漁業の一部をつぶしてまで、日本に漁場を提供してくれたと、
カナダ人の政治学専攻の学生が教えてくれた。
このあたりの歴史的経緯を詳しく知りたいけど、何を読めばよいのかわからない。

4)公海自由の原則
この時期は、沿岸の極狭い海域を除いて全て公海であった。
公海は誰が利用しても良いという「公海自由の原則」が当たり前であった。
この公海自由の原則が日本の漁業の発展を支えたのだが、
やがてこの原則は失われることになる。

この時期には、資源の保全を考える必要性はほとんど無かった。
第一に漁獲能力は低いので、全力でとっても乱獲になりづらかった。
魚探が無い時代には、低水準資源を漁獲するのは至難の業であった。
非効率なことをするよりも、その時に獲れるものを追った方がよい。
技術的な限界から、乱獲が回避できていたのだ。
沿岸漁師は多くの魚種のなかから、その時に獲れる資源を狙う能力が高く、
減少した資源に追い打ちをかけるような行為が少ない。
沿岸の生産力は今よりも高く、前述のように資源状態も良かった。
一方、沖合・遠洋は、特定の魚種を大量に漁獲をすることが前提であり、
構造的に乱獲に陥りやすい特徴を持っている。
ただ、この時期は、資源の枯渇よりも早く漁場を拡大していくことが可能であり、
獲れなくなったら別の場所に行けば良いだけの話であった。

1970年代に入ると、順調に生産をのばした日本漁業にかげりが見え始める。
日本の漁業生産の増加を支えてきた条件のいくつかが失われてしまったのだ。
その布石となるのは、米国の「大陸棚及び漁業保存水域に関する宣言」である。
戦争が終わって、まずこの宣言をするところに、戦略国家としての米国のすごさがある。

つづく

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from 18 Mar. 2009

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