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その他 Archive

だから、自主管理は機能しないのだ

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法的な強制力がない中で、漁業者が自主的に管理をするのはとても難しい。
最大の難所は、資源管理に消極的な漁業者の説得作業だろう。
資源管理に消極的な漁業者がどこにだって居る。
というか、日本の漁業者の大半は消極的だ。
全員の合意を取り付けようと思うと、管理のハードルを下げるしかない。
そのグループの有力な漁業者が管理に消極的だったりすると、
「やってもやらなくても同じ」レベルのことしかできない。
本当に漁獲圧の削減に繋がるような措置をとろうとすると、
確実に短期的な収益減を我慢できるごく一部の合意しか得られない。

自主管理では、「参加率」と「管理措置の実効的」はトレードオフの関係にあり、
どちらかを犠牲にせざるを得ないのが実情である。

①全員参加で形式的な資源管理ごっこをやる。
②一部の漁業者が手弁当で厳しい措置をとる。

①に効果が無いのは自明だが、実は②にも効果はない。
現在の漁船の漁獲能力を持ってすれば、
少数の漁業者が違反をするだけで、管理効果はほとんど無くなる。
有志が獲り残しても、他の漁業者が獲ってしまうのだ。
「やらないよりはマシ」という程度の効果しか期待できない。
後に残るのは、不公平感のみだろう。

資源管理は交通ルールのようなものである。
意識の高いドライバーのみが自主的に制限速度を守っても事故は減らない。
全てのドライバーが強制的に守るべき交通ルールが必要である。
「法定速度300Km」のような無意味なルールでも駄目だし、
ルールを守りたい人だけ守ればよいという自由参加でも駄目なのだ。

自主管理が機能しない原因は、実効性と強制力の欠如である。

「自主管理があるからTACは不要」なわけはない

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「自主管理があるから、TAC制度は不要だ」という研究者・役人は多い。
漁業者主体の自主管理こそが、日本のお家芸、伝家の宝刀ということだが、
成功例はたったの3つ。どれも沿岸のローカルな資源。
その他は、ぜんぜん上手くいっていないというお寒い状況だ。

たしかに3つの成功例はどれも凄い。世界に誇っても良いと思う。
問題は打率の低さなのだ。
100打数、3ホームラン、3安打というバッターは普通に考えれば戦力外だろう。
本当に自主管理で日本漁業を立て直そうと思ったら、
全く機能していないその他大勢の自主管理をどうするかを考えないとダメだ。
そのためには考えるべきことは山ほどある。
● 機能した自主管理と、機能しないその他大勢の管理はどこが違うのか?
● 自主管理が機能するための条件を洗い出す。
● その条件を満たす自主管理を増やすための方策を考える。
俺が知っている範囲では、こういった問題に取り組んだ人間はいない。

自主管理が大好き人間は、自主管理の成功例しか見ない。
過去の3つの成功例を繰り返し調べて、その素晴らしさを賛美するだけである。
数多くある自主管理のほとんどが破綻しているという厳しい現実を無視して、
数少ない過去の栄光(しかも他人の)に酔っているだけである。

本気で自主管理を漁業政策の中心に置くつもりなら、
現状で機能していないその他大勢の自主管理を、
どうやって成功に導くかというビジョンを示すべきである。
そういうビジョンを示さずに、過去の成功例をマンセーしているだけの人間は、
資源管理をしない口実として、自主管理の成功例を使っているだけだろう。
本気で、自主管理によって日本の漁業を立て直そうとは思っていないのだ。

資源回復計画はなぜ失敗するのか?

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TACが意図的に骨抜きにされたことは、周知の事実である。
ただ、管理課@水産庁としても、資源管理が不要だと思っていたわけではない。
管理課は、TAC制度ではなく、資源回復計画を資源管理の中心と考えていた。
たしかに、資源回復計画で乱獲が回避できるなら、TACは骨抜きでも構わないだろうが、
資源回復計画は軒並み転けているのだから、お話にならない。

欧米の資源管理も、日本の資源回復計画も、
漁獲量を抑制しようという方向性は同じであるが、その中身は全く違う。
欧米の資源管理の基本は取り締まりであり、
日本の資源回復計画の基本は補助金ばらまきである。

欧米の資源管理
欧米の資源管理には、乱獲回避という明確なゴールがある。
そのゴールを実現できるように漁獲ルールを決定する。
そして違反は厳しく取り締まることでルールを徹底する。
故意の違反には、一発で免許剥奪、さらには牢屋行きもある。
ルール違反の抑止力となるような強力なペナルティーがあるのだ。

行政「違反をしたらタイホする」
漁業者「本当はもっと獲りたいけど、犯罪者にはなりたくないな」

日本の資源回復計画
補助金をばらまくから、有志が出来る範囲でベストをつくしなさい、というのが基本路線。
「有志が出来る範囲で頑張ればそれでよくて、具体的なゴールはない。
資源管理のためのルールは、行政と漁業者の間の協定であり、罰則規定がない。
管理責任を行政が負わないのである。
漁業者の相互監視が唯一の抑止力となる。
周囲と少し気まずくなることさえ我慢できれば、ルールを破ったもの勝ち。

行政「あめ玉を上げるから、獲るのを控えてください」
漁業者「休漁するから、保証金をくれ」

資源回復計画の正体は、合目性と強制力を欠いた補助金ばらまきであり、
乱獲を抑制するどころか、補助金によって過剰な漁獲能力が温存されるのがオチである。
現にマサバ回復計画では、サバの未成魚を守るために17億円も休漁補償金を払っておきながら、
一方では補助金を払ってサバの未成魚の輸出を振興しているのである。
わざわざ、税金を乱獲資金として提供しているようなものだ。

そもそも資源回復計画の前身である資源管理型漁業だって、
いくつかの卓越した例外を除けば、全く機能していなかった。
資源は減少したという厳しい現実は無かったことにして、
「やらないよりはマシだった」とか、
「意識は高まった」などと自画自賛をしていただけだ。
資源回復計画が失敗することはまず確実であろう。
管理課がTAC制度に強硬に反対し、資源回復計画にこだわる理由は、
あめ玉を配る側にも、あめ玉をもらう側にも痛みがないからだろう。
漁業者のご機嫌を損ねることなく、資源管理をしているポーズができる。
その代償として、資源と納税者の懐が痛むのである。

俺には、補助金ばらまきの資源回復計画には納得できない。
水産資源を排他的に利用する権利を得ておきながら、乱獲で資源を荒廃させたのは漁業者自身である。
なぜ資源を回復させるために、税金をばらまく必要があるのだろう?
むしろ、漁業者が乱獲によって未来の漁業に与えた損害を賠償すべきである。
ルールを破った人間に責任をとらせる欧米の管理の方がスジが通っている。

本音で語るTAC制度

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現在の日本のTAC制度は、資源管理として機能していないことに疑問の余地はない。
そんなことは、水産庁だって百も承知である。
むしろ、漁業の妨げにならないように、細心の注意をもってTAC制度は運用されているのだ。

TAC制度が導入されたのは、日本が国連海洋法条約に批准したからである。
国連海洋法条約を批准した理由は、海底鉱物資源の利用権を確保するためであった。
鉱物資源の確保の代償として、自国の沿岸の水産資源の管理責任を負うことになった。
国益全体を考慮してTAC制度が導入されたのだが、水産庁(少なくとも資源管理課)はTACに反対だった。
そこで、出来るだけ漁業への影響を少なくしつつ、資源管理の枠組みを形式的に作ることになった。
漁業者からは、外国船を追い出すことと、生産調整のための手段として受け止められた。

というようなことが、「本音で語る資源回復計画」という本に書かれています。
当事者が書いているので、きっとそうなのでしょう。
「くれぐれも少ないTACでもって船を止めようなどとはやってはいけない」とか
「成果と言えば、・・・、TACの運用においてもある意味で一定の歯止めをかけることができた」
など、TACを骨抜きにすることがまるで手柄のように書いてあり、脱力してしまいます。

TAC制度は対外的に「資源管理をしています」と言うための制度であり、
取り締まる側も、取り締まられる側も、資源を守るための制度だとは思っていない。
これじゃあ、資源が守れるわけがない。

視力検査に隠された甘い罠

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秋は健康診断の季節です。
昔は海洋研まで健康診断にきてくれていたんだが、
財政的な都合かなんだか知らないが廃止されて、
本郷までそのために行くことになった。
引きこもりには、つらいイベントだ。

去年は、採血で何回も刺し直しをされて、内出血をしてしまった。
今年の落とし穴は、視力検査だった。
視力検査では、専用の機械がある。
のぞき込んで、矢印が方向をレバーで示すのだ。

矢印が一定の間隔でテンポ良くでてくるので、
音げーの感覚で、テンポ良く入力してしまうのが人情。









と繰り返した後に、いきなり


と、逆をつかれたので、惰性で左にレバーを入れてしまった。
視力検査で、なんでフェイントなのよ?

結局、右が1.5、左が1.5以上という結果。
右が1.5以上じゃなかったのは、入力ミスが原因だろう。
見えてたのに・・・
見えてたのに・・・
なんだか、とても悔しいです。

視力検査においては、視力のみならず、
冷静な判断力も要求されると言うことだ。
来年の視力検査は、平常心で望もうと決意を固くするのであった。

日本のTAC制度はオリンピック方式ではない。それどころか資源管理ですらない。

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今まで見てきたように、ダービー方式(オリンピック方式)は問題が多い。
資源を守る代償として、漁業がぼろぼろになってしまうのである。
日本の漁業もぼろぼろだが、それはダービー方式の副作用ではない。
それ以前の問題なのだ。
資源管理には、乱獲を抑制して持続的に漁業をするというゴールがある。
ダービー方式でもきちんと運用をすれば、資源は守れる。
日本のTAC制度には、漁獲量を抑制する効果が全くないので、資源は減り続けている。
これを資源管理と呼ぶのは、まじめに資源管理をしている漁業に失礼だ。

正しい資源管理
生物の生産力を評価して、持続的な漁獲量の上限を推定する。
この持続的な漁獲量の上限が、ABC(Acceptable Biological Catch)である。
生物の持続性を守るためには、漁獲量をABC以下に抑える必要がある。
そのために全体の漁獲枠(TAC: Total Allowable Catch)を設定する。
TACはABCよりも低くないといけない。
乱獲を回避するために設定されたTACを配分する手段として、
ダービー、IQ、ITQなどがあるわけだ。
配分法によって、漁業の行く末や漁業者の痛みは全然違うが、
TAC<ABCであれば、生物の持続性は守られる。
ダービー制度、IQ,ITQはすべて、乱獲回避というゴールを達成できる。
そのいみで、これらの制度は全て資源管理なのである。

日本のTAC制度は乱獲のお墨付き
日本のABC、TAC、実際の漁獲量の関係はこんなかんじ。
image07092501.png
青棒がABC。「これ以上獲ったら乱獲になります」という漁獲量を科学者が推定したものだ。
赤棒が日本国によって実際に設定されたTAC。
白棒が実際に漁獲された量。
本来はABC>TAC>TAC採捕数量となるべきなんだが、
まともなのはサンマぐらいで、軒並みABCを上回るTACが設定されている。
これでは、国として乱獲にお墨付きを与えて推奨しているようなものである。
ただ、日本国が幾ら獲って良いと言っても海に魚が居ないんだから、
漁獲量がTACまで到達することは極めて希である。
この希なことがおこると、漁獲を制限するどころか、TACの方を増やしてしまう。
これで資源が守れるなら、資源管理なんて必要ないだろう。

日本のTAC制度は、ダービー制度ですらない。
資源枠組みを輸入したが、運用の段階で完全に骨抜きになっているのだ。

まっとうな資源管理と日本のTAC制度の違い

image07092508.png

まっとうな資源管理では、道筋こそ違えども、乱獲回避というゴールにはたどり着く。
一方、日本のTAC制度は、乱獲状態を容認している時点で、資源管理とは言えない。
日本漁業は、実質的には無管理であり、
時代遅れのオリンピック制度ですらないのである。
日本の資源管理は、スタート地点にすら立てていないのだ。

米国ですらITQに方向転換

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自由競争を国是とする米国では、権利ベースのITQへのアレルギーはすさまじかった。
1990年に最初にITQが導入されたものの、
1996年にITQモラトリアムを決定した。
すでに実施中のものをのぞき新規のITQ導入を見合わせることにしたのだ。
過剰な漁獲能力の削減は、税金による減船で行うことになった。
世界の流れとは、全く逆の方向に進んだのである。
その結果として、米国の漁業管理は難航し、漁業者は苦しんだ。

ダービー制度でちゃんと資源を守ろうと思うと、漁期はどんどん短くなる。
漁期が1月とかは良くある話で、3日とかいうのも少なくない。
俺がカナダで聞いた話では、産卵親魚を対象としたある漁業は、
漁業開始から終漁まで、なんと15分しか無いと言う。
最初は冗談だろうと思ったら、本当の話らしい。
どうやって漁獲量を集計するのかわからないけど、凄い話だ。
よーいドンで、狭い漁場に漁船が一斉に向かうわけだ。
すさまじい場所合戦で、船が転覆したり、死傷者が出たりするらしい。
「今年は、死人が出なくて良かった」とか話してるんだから、呆れてしまったよ。
そんな競争を毎年やらされる側にとっては、溜まったもんじゃないだろう。

北米では、ダービー漁業による魚の奪い合いに明け暮れる中、
自由競争を捨てて権利ベースのIQ・ITQに移行した国々は、着実に漁業収益を伸ばした。
学習能力がある米国は、2002年にITQのモラトリアムを解除した。
そして2006年に、漁業資源保存管理法が改定され、
ITQが政策の中心として推進されることになった。
やると決めたら徹底的にやるお国柄だから、本気でITQに向けてひた走るだろう。

自由競争原理主義の米国ですら、権利ベースのITQへ移行している。
これは、キリスト教原理主義者がコーランを受け入れる様なものである。
ダービー制度の総本山が既に敗北宣言をしているのだから、
全ての資源管理は、権利ベースの配分制度に進んでいると言っても良いだろう。
残された問題は、漁獲枠の譲渡をどこまで許容するかであろう。 

日本は何も考えずに、米国の漁業制度の猿まねをしてきた。
現在の日本のTAC制度は、90年代の米国の管理システムを、
そのまま骨抜きししたようなものである。
そして、米国ですら諦めたダービー制度に、未だにしがみついている。
自由競争好きの米国と違って、日本は既得権大好きなんだから、
そもそもダービー制度に固執する理由など無いと思うのだが。

まあ、水産庁の米国好きは筋金入りだから、
米国のITQ移行が本格化したら、日本もすぐさまITQに移行するかもしれない。
いや、冗談抜きで、本当に。

米国の漁業制度に関しては、これが参考になります。

水産振興 473号
米国の漁業管理政策について
-マグナソン・スティーブンス漁業資源保存管理法改正からの示唆-
水産庁資源管理部管理課資源管理推進室 課長補佐 大橋 貴則

http://www.suisan-shinkou.or.jp/gekkann.htmから申し込むとタダでもらえるので、
興味がある人は是非。
442号の「本音で語る資源回復計画」とセットで読むと、味わい深いです。

全国評価会議の音声を公開します

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全国評価会議は、公開で、録画もOKな会議です。
ということで、録音した音声をそのままアップしますね。

平成19年度 全国資源評価会議 マサバの質疑応答(11.3MB)

マサバの07年級群を巡る攻防です。
威勢が良いのが北巻関係者で、
低い声で淡々と反論をしているのが水研の担当部長です。
TACを超過して不正漁獲をしておきながら、偉そうですねぇ。

ただ、残念なことに前後が切れて居ます。
「あっこれ、おもしろい」と思ってからレコーダーを取り出したので、前半部分がありません。
あと、電池が切れてしまったので、俺の発言が途中で切れてしまいました。
俺の発言についてはここに書いたとおりです。
完全版をお持ちの方がいらっしゃいましたら、提供してください。

ちゃちなカメラで録音したので、音質は良くありません。
来年は、ちゃんとしたマイクを持っていきます。

マサバの07年級群については、ここにまとめてあります。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2007/08/post_175.html

サバ漁業の様々な課題については、
http://www.jfa.maff.go.jp/suisin/kouiki/t/giji/t_08.pdf
のP14以降を読むと、よくわかります。

資源管理をすると漁業は滅びるか?

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今まで見てきたように、TACの配分方式によって、漁業の方向性は変わってくる。
逆に言うと、現在の漁業の抱える問題点を明らかにした上で、
適切な方式を採用しなくてはならない。
不適切な配分方式を採用すれば、資源は守れても漁業は破綻する。
薬を間違えれば、治療どころか逆効果になるのと同じことだ。

資源管理をすると、魚を守る代償に漁業がつぶれてしまうと言う人がいる。
行政、漁業者、および、勉強不足の研究者だ。
確かにそういった実例はあるものの、そのほとんどが北米に集中している。
北米で用いられてきた資源管理こそが、フリーアクセスのダービー制度なのだ。

北米の資源管理の失敗原因は明白だ。
すでに過剰な努力量が存在する中で、ダービー制度に固執したからである。
すでにぱんぱんに空気が入った風船を小さくしたら、破裂するに決まっている。
空気を抜くための仕組みが必要なのだ。
米国に必要な管理制度は、ITQ(もしくはノルウェーのような譲渡付きIQ)である。

Vanishing Species: Saving The Fish, Sacrificing The Fisherman
Susan R. Playfair
Univ Pr of New England (2005/04)

この本は、ブログのコメント欄で教えてもらったのだけど読み応えがあった。
タイトル通り、資源管理の犠牲として苦しむ漁業者のルポです。
ダービー制度で漁獲枠を制限された米国の漁業者が、
なすすべもなく苦しんでいく様が、克明に示されている。
悲惨の一言に尽きる。

ただ、この本を読んで、「資源管理=漁業の崩壊」と結論づけないで欲しい。
資源管理は漁業に良くないという論調の多くは米国の失敗例に基づいているのだが、
米国の失敗の原因は、ダービー制度固有の悲劇なのだ。
適切な管理手法があるにもかかわらず、それを採用しなかったのが根本原因である。
医療ミスによって、患者が死んでしまったからといって、
医学には害しかないという結論にはならない。

サイエンス・ゼロ雑感

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サイエンス・ゼロは、見ましたか?
image07091901.png
なかなか良い仕上がりでしたね。
見損ねた方は、是非、再放送をご覧ください。

大きく3つの話題がありました。
1)マサバの乱獲
2)エコラベル
3)海洋環境を調べることから、魚の保護につなげようという研究

マサバに関しては、クロ現と重なる部分も多かったですね。
俺の画像も使い回しだし(笑
新たに撮った神奈川水試の調査風景はグッドでした。
一般の人にも調査の現場の雰囲気が伝わったのではないでしょうか。
そこで、マサバの年級群が単純化しているという話から、
ノルウェー→俺とつないで、最後にスタジオの渡邊先生という流れ。

俺の登場は一瞬でしたね。まさに、チラッとでただけ。
「ちゃんと獲り残せば、回復するという期待はある。」
「大切なことは、充分な親を確保すること」
という2点は俺が言いたいポイントであり、
良い部分を抜粋してもらったと思う。

渡邊良朗先生が、番組のわかりやすさに大きく貢献していた。
渡邊先生のコメントは、説得力があるんだよね。
テレビにむかって、「うんうん」とうなずいてしまったよ。
メッセージは明確だし、立ち位置もぶれないし、
一般の視聴者にもわかりやすかったと思います。
スタジオは渡邊先生と聞いたときに、グッドな人選だと思ったのだが、
予想を上回るグッドコメンテーターぶりでした。
マサバ漁業の危機的状況がお茶の間に伝わったことでしょう。

エコラベルについても良かった。
MSCは認証費用がバカ高いので、営利目的などという批判もあるが、
世界的には着々と進みつつある。
それだけ需要があるということだろう。
さて、日本初のMSC申請ということで、京都府のズワイガニが紹介された。
京都のズワイガニは個人的に応援している漁業です。
俺が修士の学生の時に、松宮先生のところに、京都の水試の人が会いに来た。
「とにかく資源管理の効果を評価して欲しい。厳しい結果が出ても構わない。
必要なデータは出来るだけ集める。」と言う話だった。
俺は「まじめに資源管理をしようという人が日本にもいるんだ」と感銘を受けたのだ。
その流れで書かれた論文がこれ。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003144786/
松宮先生が亡くなられてから、接点はとぎれてしまったが、
陰ながら、京都府の取り組みは応援をしています。
番組でも、資源管理の取り組みが詳しく紹介されていて嬉しかったです。
こういう漁業こそ紹介すべきだと、前々から思っていました。
目の付け所が良いですね。

最後の海洋環境に関するプロジェクトは、ちと微妙かな。
こういったプロジェクトが、魚の保護につながるかは疑問です。
海洋環境によって、魚の生産力は変わるけれど、現在の乱獲はそれ以前の問題。
未成熟のうちに獲り尽くすような漁業は、
どのような環境条件であっても正当化されません。
そういう明らかな不合理漁獲を放置したまま、
海洋環境と資源変動の関係に多額の予算をつかっても、
「資源減少は地球温暖化が原因である」というアリバイ作りにしかならない。
海洋環境と資源変動の研究例はすでに山ほどあるけれど、
実際の資源管理には殆ど使われていないという現実がある。
本気で海洋環境の情報を資源管理に役立てようと思ったら、
現在までに得られた情報をどうやってつかうかを考えるのが先でしょう。

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