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スケトウダラ北部日本海系群のおもひ出 その3

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スケトウダラ日本海北部系群に関しては、研究者側にも大チョンボがあった。
そのことはきちんと書き示しておくべきだろう。

1998年は10年ぶりの卓越年級群であり、世紀末救世主と目されていた。
漁業者は、この年級群が漁獲対象になるのを指折り数えて待っていたわけだ。
主に沖合底引きと沿岸延縄の2つのグループがこの資源を利用している。
沖底は、大陸棚でえさを食べている群れを狙うので、未成熟も成熟も獲れる。
沿岸は産卵場に戻ってきた成熟個体をターゲットにするので、未成魚はとれない。
まずは、2000年に未成魚の段階で沖底が漁獲を開始した。
期待された卓越年級群だけあり、当初は調な水揚げであった。
「次は俺たちの番だ」と、沿岸漁業者の期待も高まった。
しかし、ふたを開けてみれば成熟までにとりつくしてしまい、
資源の回復には全く寄与しなかったのである。
日本ではありがちなパターンである。

資源評価の精度が悪いというのは、まあ、皆さんご存じの通りだが、
特に精度が悪いのが最近年の若齢魚である。
一般的な資源評価では、過去の年齢別の漁獲尾数を元に資源量を推定する。
漁獲を繰り返すうちに、推定精度は上がっていくが、
若齢魚は肝心な漁獲のデータが少ないので、推定値は大きくぶれることになる。
さらに、これが卓越年級群だったりすると、推定精度はさらに悲惨になる。

他の年級群との漁獲量の比から、それぞれの年級群の大きさを推定するのだが、
資源が低水準で卓越が出た場合、周りの年級とは桁が違うので比較が困難である。
周りに低い家ばかりのところに高いビルが1つだけあるようなものである。
推定精度はさらに落ちることになる。

また、コホート解析では過去の平均的な漁獲パターンを仮定して最近年の計算をする。
実際には、漁業者は卓越年級群を狙って操業するため、
卓越年級群は普通の年級群よりも強い漁獲圧にさらされる傾向がある。
結果として、卓越年級群は過大推定をされることになる。
後からわかった年齢別の漁獲死亡係数はこのようになる。
Image071025.png
赤で囲んだ部分が1998年生まれが2~4歳で経験した漁獲圧である。
漁業者が狙うので、他の年級群より高い漁獲圧にさらされていたことがわかる。
1998年級群は、2000~2002年度に2~4歳で多く獲れた。
確かに、年級群として多かったこともあるが、
それ以上に漁業者ががんばって獲った効果が大きかったのである。
当時の資源評価は、漁獲量だけをみていたので、
たくさん獲れる→たくさんいる→もっと獲ってOK
となってしまった。
2002年には、わざわざ期中改訂をして、未成魚の漁獲を促したのである。
で、ふたを開けてみたら、例年並みにしか残っていなかったのである。
待望の卓越年級群が、自分たちの漁場に来る前に獲り尽くされてしまった
沿岸漁業者の心境は察するにあまりある。

資源が低水準のときに発生した卓越年級群は、
推定精度が低い上に、過大推定しやすい。
これは現在の資源評価手法の構造的な問題点である。
低水準資源に卓越が発生した場合、若齢から積極的に獲るべきではない。
獲らなかった魚は後で捕ればよいが、捕った魚はもう戻せないのだ。
1日でも早く獲りたいのは漁業者の常であるが、
ほとんどの場合、大きくしてから獲った方が儲かる。
また、低水準資源を回復させるためには、資源を回復させなくてはならない。
長い目で見て、未成熟の段階から利用するメリットはほとんどないのである。
低水準資源の場合は、卓越が発生しても、
未成魚の漁獲は例年並みの漁獲量にとどめるべきである。
最低でも1回は産卵をさせてから、積極的な利用を開始すべきである。
こういう獲り方をしていれば、
1998年級群を次世代に結びつけられたはずだ。
また、卓越年級群を、沿岸と沖合で公平に利用できたはずである。

現在の資源評価の精度は決して高くはないが、
そのことを肝に銘じた上でリスクを回避するように心がければ、
資源管理は十分に可能である。
2000-2002年に、研究者が犯した過ちは、資源量の過大推定よりもむしろ、
過大推定をする可能性を考慮せずに、安易に高い漁獲圧を認めたことである。
不確実性を勘定に入れた上で、リスクを回避しなかったことが失敗の本質である。
不確実性ではなく、リスク管理に失敗したのである。
資源管理ができないことを資源評価誤差のせいにしているかぎり、
同じ失敗を繰り返すだろう。

資源が低水準なときに、虎の子の卓越年級群を
未成熟なうちにがんがん獲るような愚行は絶対に避けないといけない。
今、まさにこれと同じことをしようとしているのがマサバ太平洋系群だ。
現在のマサバ太平洋系群は、当時のスケトウダラと非常に近い状況にある。
資源量は低水準で、2007年級群は卓越である可能性が高い。
北まき&茨城水試は、0歳が卓越だから、TACを増やせと声高に主張している
はっきり言って、今の段階で0歳魚の絶対量などわかるはずがない。
それを担保に漁獲を増やすのは危険すぎる。
もし、思ったよりも0歳魚がいなかったら、
もし、思った以上に獲りすぎてしまったら、
せっかく回復しつつある資源をもとの水準までたたき落とすことになる。
92年、96年と2回も卓越を未成熟のうちに取り尽くし、資源回復の芽を摘んできた。
それでも、なお、卓越が発生したとわかると同時に0歳から巻こうとする。
北まきと茨城水試は90年代の失敗から何も学んでいないのである。
もし、小サバの中国輸出で07年級群をつぶしたら、
「日本の海の幸を中国に切り売りする売国漁業」として後ろ指を指されるだろう。

マサバ太平洋系群はいまだに低水準なのだから、
卓越が発生したとしても未成魚の多獲は控えるべきである。
少なくとも1度は卵を産ませてから利用すべきだ。
スケトウダラの失敗を経験した人間の一人として、
マサバ太平洋系群の07年級の未成魚の漁獲を諫めないといけない。
それが、見殺しにされたスケトウダラ日本海北部系群へのせめてもの供養である。

日本独自のエコラベルだって!?

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http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200710240003a.nwc

 水産資源の保護や環境保全に配慮して漁獲したことを認証する日本独自の「海のエコラベル」が動き出す。漁業関連団体などで構成する大日本水産会が12月にも、「マリン・エコラベル(MEL)・ジャパン」を立ち上げ、来年初めから国内の水産物を対象とした認証を始めるもの。

本家の英国MSCは費用がべらぼうにかかる。
それが、「営利目的」と批判され、敬遠される一因になっている。
しかし、ユニリーバがMSCでビジネスをしようと思うなら、
金を積まれたからといっていい加減な漁業にMSC認定はできないので、
悪いことばかりではない。

一方、日本のエコラベルは交通費程度で取得できるらしい。
まあ、たしかに安いに越したことはないけど、
浜までいけばそれで資源が持続的に利用されているかどうかわかるわけではない。
過去のデータをもとに資源の持続性を検証するのは、専門的な知識が必要な作業である。
持続性を検証するには、時間もコストもかかるのである。
そういう作業を一切、抜きにして
審査員「資源管理やってる?」
漁業者「うちは、ちゃんとやってるよ」
審査員「じゃあ、OK! このシールを貼っておいてね」

というようなことをやるのだろうか?

「国内のほとんどの漁業者が、環境に配慮した漁業に取り組んでおり、
地道な取り組みを広く消費者にアピールするのが狙い」というのは笑うところかな?
じゃあ、なんで日本沿岸には魚がこんなにいないのよ?
形式的な、実効性に乏しい自己満足的な取り組みしかやっていないからだ。
非持続的に利用されてる日本のほとんどの魚にシールが貼れるようである。
これじゃあ、何の意味もない。
たとえば、今話題のスケトウダラ日本海だって、
沿岸漁業者は自主的な取り組みを積極的にやっていたよ。
かなり模範的な部類にはいるので、ここだってシールを貼れるわけだ。
資源を崩壊させるような漁業でも、楽々認定されるようなものは、エコラベルではない。

消費者が知りたいことは、
「資源管理の取り組みをなにかしらやっているか」ではなく、「持続的に利用されているか」である。
日本のエコラベルは、前者で資格認定をしておいて、
あたかも後者のようなイメージを植え付けるのであれば、消費者を欺くものである。
俺には、消費者に正しい情報を与えると言うより、
消費者をだまして魚を高く買わせようとしているようにみえる。

エコラベルを作ろうという方向性は良いと思うが、
現状では基本的な方向性が間違えていると思う。
どんな漁業が認定されるのかワクワクしながら待つことにしよう。

初音ミク - この衝撃を君はもう体感したか?

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今、いろいろと話題の初音ミクをげっとしたのだが、
マジで、す・ご・す・ぎ!!
おじさんは、感動したぞ。
YMO世代には、夢のおもちゃだ。

初音ミクというのは、音符と歌詞を入れると歌を歌ってくれるソフト。
これで遊んでいると、DTMがネクストステップに突入したのを実感する。
その昔、ACIDが出てきた時も、ループベースのお手軽さに多大なショックを受けたが、
初音ミクは、それに勝るとも劣らない衝撃である。
すごいポテンシャルを秘めたソフトだ。

心ゆくまでいじり倒したいけど、時間が無い。
いろいろと忙しくて、アマゾンから届いて1週間で、
正味3時間ぐらいしか遊べてないという厳しい現実がある。
ただ、驚くほど簡単に歌がつくれる。
過去にシーケンサーをいじった経験があれば、
ちょっとした歌なら1時間もあれば作れるだろう。
メロディーをピアノロールでいれて、歌詞を流し込むだけだから。
もちろん、ニコニコ動画にあっぷされているような凄いのは無理だけどね。

スケトウダラ北部日本海系群のおもひ出

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俺が北海道の資源評価に参戦したのは2004年、
期待されていた卓越年級群を未成熟のうちに獲りきっていたことが判明した年である。
水研担当者が出したabcは、業界には到底受け入れられない厳しい値だった。
abcの値を巡って、壮絶な戦いが繰り広げられた。

おれは、前年の評価票に目を通して、この資源は非常にやばいと直感した。
過去の資源崩壊の事例とかなり近いのだ。
産卵場の漁場が縮小しているが、中央部でしか獲れていない。
これは親魚の減少を示唆するものである。
縁辺部の産卵場の久遠は消滅、上の国は半減。
一方、産卵場中心の乙部ではそれなりに獲れている。
sukex01.png
「乙部で獲れているから、この資源は減ってない」というのが沿岸漁業者のより所であった。

しかし、産卵場の縁辺部が消失していくのは資源低下の典型的な症状なのだ。
繁殖を行う際には、ある程度の密度が必要になる。
そこで、資源が減少をしても、産卵場中央での密度は減少しない。
そのかわり、縁辺部での産卵が無くなるのである。
sukex02.png

実際に、ニューファンドランドのコッドでは、崩壊前年まで産卵場の中心では良く獲れた。
みんなが産卵場の中心に取りに行くから、量としてはそれなりに獲れてしまう。
だから、漁獲量だけ見ていると、資源の減少は把握できなかった。
産卵場を対象とする漁業で、資源の状態を把握するには、漁場の分布を見るべきなのである。
当時の資源評価はCPUEに全面的に依存していた。
スケトウダラの資源評価はニューファンドランドのコッドと似たような事をやっており、
資源状態はもっと酷い可能性が高い(ふたを開けてみれば、実際にそうだった)。

この話をした後で、今の資源評価は甘過ぎで、
最悪の場合、数年後にいなくなるかも知れないと力説した。
産卵場の縁辺部が消滅しているというのは漁業者の実感としてあったのだろう。
通夜状態になってしまった。

俺の意見は、ABCLimit(=tac)8千トン。
その前日に、ある漁業者に「生活がぎりぎり成り立つ漁獲量はどの程度か?」ときいたところ、
「8千トンは必要」という返事が返ってきた。
俺的にはこの水準まで、実際の漁獲を減らすべきだと思った。
その上で、次の漁期に産卵場周辺の分布調査を綿密にやるべきだと主張した。
もし、中心部にしかいなければ、禁漁に近い措置を執るべきだし、
漁業者が主張するように沢山いるなら期中改定をすればよい。
獲らなかった魚は後で獲ればよいが、獲った魚は戻せないのである。
スケトウダラのような寿命の長い魚は、獲るのが1年遅れたぐらいでいなくなることはない。

実際にどうなったかというと、ABCLimit 15千トン、ABCTarget12千トンに対し、
TAC 36千トン、実際の漁獲量14.8千トンであった。
せめてABCを8千トンまで減らせればとも思ったが、どうせTACは2万トンぐらいになり、
実質的な漁獲量の抑制には繋がらなかっただろう。

この段階で8千トンまで漁獲量を減らせていたら、資源も漁業も生き残れたと思う。
残念なことに、骨抜きTAC制度のもとで、漁獲量にブレーキをかけるのは無理だった。

八戸 ハマ再生-欧州水産事情-

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ノルウェーの記事があった。

一人当たりの漁獲量に換算すると、ノルウェーが百七十一トンなのに対し、日本はわずか二十五トン。漁獲額もノルウェーが一千六十五万円、日本が六百九十四万円と一・五倍だ。
  ノルウェーの生産性の高さがうかがえる。漁業省に勤務するハンス・ハッダル氏は「システムの近代化が進んでいるので、少ない人数でも働ける。水産業界は近年、収益を高めているから、一部を除き国は補助金を出していない」と説明する。
 漁業形態や魚種構成の違いはあるが、水産資源が減る中での漁業の在り方について、日本が学ぶべき点は多い。

http://www.daily-tohoku.co.jp/kikaku/kikaku2007/hama/hama01.htm

漁獲額ではなく、収益で見るとますます差が出るでしょう。
良いものは良いと認めて、それを見習う度量が昔の日本人にはあった。
すでに破綻している自国の漁業を自画自賛するだけの、今の漁業関係者は終わってるな。

まじめに資源管理をやれば、補助金は不要になるので、
補助金をばらまくだけの役所はいらなくなる。
水産行政も変わらなくてはならない。

失敗を次に活かすのが敗者の義務

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スケトウダラ日本海系群については、漁業を緊急停止して、
資源だけでも次世代に残すべきだと思う。
しかし、それは出来ない相談のようだ。
漁業者だってカスミをくって生きていけるわけではないし、北海道も金なさげ。
資源回復計画で、禁漁に近い措置がとれるかどうかが最後の期待だったが、
でてきたのが努力量の1割削減という時点で、アウトだろう。

俺が北海道の資源評価に参加した2004年が、
この漁業を存続させるための最後の勝負所だったとおもう。
すったもんだの議論をした上で、なぜか大甘なABCになり、
さらに輪をかけてダメなtacが設定された時点で負けだった。
俺としても、所詮はABC止まりという、研究者の限界を思い知らされた。
資源管理という意味では、完全な失敗。
これ以上ないぐらいの惨敗だ。

時計の針を戻すことはできないし、この漁業を守る手段は俺にはない。
だからといって、クジラだとか、海洋環境だとか、予算不足だとか、
そういう外部要因に責任転嫁して溜飲を下げればよいというものではない。
歴史を遡って、管理の失敗点を明らかに下上で、
スケトウダラ日本海系群の失敗を教訓を他の漁業へ活かすべきだ。
これがスケトウダラ日本海系群に関わった研究者の義務である。

俺が最も骨身にしみた教訓は、
「減ってからだと、何もできない」
「平常時(減る前)の準備で勝負は決まる」
「卓越年級群に過度な期待は禁物」

ということだ。

減ってから、管理をしようとしても手遅れ

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資源を酷く減らさないと自主管理ができないというのは、大問題である。
漁業を停止しても利益が出なくなるほど減ってしまってからだと、
実際には手遅れな場合がほとんどだ。
資源管理は、そもそも資源が減る前に導入すべきものなのだ。

俺がこのことを実感したのは、スケトウダラ日本海系群。
スケトウダラのabcに関わったものの一人として、
この資源のことはちゃんとまとめないとイカンと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく。

画像ファイル "http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/fig/1910-4.png" は壊れているため、表示できませんでした。
これは、19年度の資源評価なのだが、半端なくやばい。
すぐに禁漁にすべきだが、そうもいかない事情がある。
この資源を利用している沿岸漁業の浜は、ほぼスケトウダラの漁業でもっているようなもの。
他に獲るものがないので、スケトウダラを獲らなければ経営が成り立たない。
しかし、スケトウダラ資源が無くなったら、村の存続自体が危ういのである。
まさに、抜き差しならぬ状態にあるのだ。

残された選択肢は2つしか無い。
1)そのまま漁業を続けて、数年後に資源をつぶして漁業も消滅
2)すぐに漁業をやめて、資源の回復を待つ

すでに漁業者に方向転換をする体力はない。
社会がサポートしなければ、資源の枯渇→漁業の崩壊→地域コミュニティーの壊滅となるだろう。
この厳しい状況で、ようやくスケトウダラ日本海系群の資源回復計画が動き出した。
管理課が頑張って予算を取ってきてくれたのはわかるし、有り難いことだと思う。
が、今の計画では努力量を1割しか削減できない。
これでは、焼け石に水だ。
今必要な措置は漁獲停止である。
努力量の削減なら、9割5分ぐらい減らさないと駄目だ。
それには莫大な公的資金が必要になるが、それだけの投資価値があるだろうか?
「減っていない、まだ獲れる」と言い張って、獲り続けたのは、漁業者自身であり、
それを税金で救済するのは社会的合意が得られないだろう。

漁業を存続させるためには、漁業を停止して、資源の回復を待つしかない。
しかし、それは既に出来ない相談なのだ。
このままずるすると漁獲を続けて、
数年の猶予の代わりに漁業の未来は閉ざされるだろう。

資源管理でも「防火に勝る消火無し」なのだ

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読者から貴重な情報をゲットした。
俺が提唱した自主管理に必要な4つの条件のうち一つを欠いても、
自主管理がちゃんとできている例があるという。
この事例は、俺も初めて知ったが、実に興味深い。

自主管理についての4つの条件はとても説得力があり、僕も友達に自主管理の説明をするときに使わせてもらいます。

しかし、資源の壊滅的な減少について、ちょっと意見があります。
先日もお話した兵庫のイカナゴの事例なのですが、兵庫県の漁師はこの条件を満たしていないんですよ。
勝川さんの教えを信仰していた僕にとってはそれは衝撃的でしたww
昭和30年代に兵庫県がイカナゴの産卵場となるじゃりを工事のために採集しようというしたんですよ。しかし、イカナゴ漁師がこれに猛反対し、産卵場を守ったという歴史があるらしいのです。そのため、イカナゴの資源に対する思いが強かった。結果として後の解禁日統一決定の指標となる試験場の資源量調査のデータもかなりスムーズに受け入れられたのでしょう。

まだイカナゴの事例しか存じないのですが、資源が減っていないのに、資源の重要性がわかり、自主的な管理が成功しているのは貴重な事例と言えると思います。

今回の事例で注目していきたいのが、自分達が魚を獲りすぎると、翌年の漁獲量に影響があった点です。漁業者が獲りすぎると、その反動がすぐに実感できる点。
漁がどれだけ影響を与えているかを実感させることができる方法を模索できれば自主管理の成功に近づくのでしょうね。

この資源が俺があげた4つの条件のうちの一つを欠いているにもかかわらず、
ちゃんとした管理ができている理由を考察してみよう。
欠けているのは、 条件4の「資源の壊滅的な減少を経験」だ。
この条件が必要な理由は2つある。
a)漁業者全員の危機感を高めて、管理に強制力を持たせることが出来る。
b)すでに経済に成り立ってないので、禁漁などのきびしい措置がとれる。
上のイカナゴの場合、開発により資源が存続の危機にあり、漁業者自らの手でそれを守った。
漁業者の意識を高めるためのイベントのおかげで、上のa)については満たされたのだろう。
補償金を蹴って、資源を守った漁業者の心意気はすばらしい。
で、資源が減る前に管理を開始したのがポイントだ。
資源が枯渇した状態なら、禁漁レベルの措置が必要になるが、
資源状態が良い段階なら、そこまで厳しい措置は必要ない。
減らさないように予防的に振る舞えば、b)は必要ないのだ。

資源を回復させるより、資源を減らさない方がずっと楽だし、痛みも少ない。
「禁漁したら、資源が劇的に回復しました」というような派手さはないが、
予防原則で資源を減らさなかった、この事例の方が資源管理として洗練されている。
これは、今後の沿岸資源の管理を考えていく上で、極めて重要な事例だと思う。

自主管理には幸運が必要

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先に述べたように、非常に厳しい条件がそろって、はじめて、
強制力を実行力をもった資源管理を始めることが出来る。
しかし、資源管理を始めたからと言って、安心するのはまだ早い。

儲けが殆どでないぐらい減らしてしまった資源は、
獲らなくてもそのまま低迷する可能性がある。
減らしすぎると、資源の増加力が失われてしまうのだ。
また、回復するにしても、10年、20年といった時間がかかる場合もある。
自主管理の成功例は、管理開始後、すぐに資源回復という結果が出た。
ある意味、運が良かったのである。
杉山さんは、「ハタハタが回復したのは本当に運が良かった。
やっぱり、ハタハタは神のさなかなのです」と語っていた。
当事者は、そのことを認識しているのである。

たしかに、自主管理の成功例の陰には幸運もあった。
ただ、その運を活かせたのは、きちんとした管理システムをつくった現場の人間の功績である。
人事を尽くしたからこその天命であった。
海洋環境の影響などで、資源の生産力は大きく変動する。
だから、資源管理は出来ないと言う漁業関係者は多い。
適切な管理システムが欠如していたら、自然現象で一時的に資源が増加しても、
資源を枯渇させてしまうのは時間の問題だろう。
マサバ太平洋系群しかり、サワラ瀬戸内海系群しかりである。

自主管理については、いくつかの朗報もある。
自主管理は水平的には広がっていないが、
既に成功例がある場所では垂直的な広がりを見せている。
愛知では、イカナゴに続き、イカの自主管理に取り組んでいるが、これは期待しても良いだろう。
しかし、垂直的な広がりには、限界があるのも、また事実である。
以前、冨山さんに「一人でいくつぐらいの漁業を自主管理できますか?」と質問したら、
「4つぐらいかなあ」という話だった。
ただでさえ、人の数も質も厳しい中で、冨山さんレベルの人間を、
管理が必要な資源の数/4人もそろえることはまず不可能だろう。

いくつかの好条件が重なったときのみ、自主管理は開始できる。
現状では自主管理は資源が枯渇した状態から開始せざるを得ない。
資源が回復するかどうかは、運だのみになってしまう。

今のままでは、厳しい条件をくぐり抜けた幸運な漁業しか生き残れない。
それでは、産業としての漁業は滅びたも同然である。
自主管理を水平的にも垂直的にも広げていこうと思ったら、
自主管理に欠けている条件を、外から強制的に補う必要がある。
資源が枯渇する前に、漁獲にブレーキをかけることを義務づけるのは国や行政機関の仕事だろう。

自主管理には成功例があるが、裾野が全く広がっていない件について

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漁業者による自主管理の成功例としては、
日本海のズワイガニ、秋田のハタハタ、伊勢湾・三河湾のイカナゴが有名である。
これらの成功例に関しては、いろいろな場所で紹介されているので、ご存じの方も多いだろう。
では、それ以外はどうだろうか。実は、それ以外の成功例はほとんど無いのである。
自主管理で守られている沿岸資源はほんの一握りである。例外的に成功している事例を除いて、
自主管理は広がっていないという厳しい現実がある。

自主管理の成功例の共通点を見ていくと、そこには高いハードルがあることがわかる。
そのことに関しては、既に書いてある。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/6_1.html
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/10/7_1.html

自主管理の必要条件
1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験

資源管理っていうのは、とても手間暇が掛かる。
自主管理の場合は、会合の場所の確保から、すべて手弁当でやらなければいけない。
みんなが手間暇をかけるのに見合うだけの経済的なリターンが期待できないと、そもそも管理をする意味がない。
また、「資源が回復したら、全部余所の漁業者に獲られてしまいました」では、お話にならない。
高い経済性をもった資源を自分たちだけで抱え込めている状況が必要になる。
これが1)の条件だ。

ただ、高い経済性をもった資源は、漁業経営の柱となっており、
資源が悪化したからと言って、簡単に漁獲量を減らせない。
ようするに、経済的に大事な資源ほど、漁獲にブレーキをかけづらいのだ。
1)の条件を満たしている場合にも、やはり、自主管理がすんなりいくわけではない。
そこで、出てくるのが4)の条件なのだ。
資源がとことん悪くなれば、漁業として殆ど利益が出せなくなる。
殆ど獲れなくなれば、たとえ禁漁をしたとしても、経済的には大きな影響がない。
ここまで減らせて、初めて、効力がある措置が導入できる。
3つの成功例は、どれも、こういう状況から資源管理がスタートしている。

高い経済性をもった資源を、獲っても獲らなくても大差がないところまで、
自分たちの手で枯渇させてしまった苦い経験。
過去の儲かっていた時代のバラ色の記憶。
この2つが(機能する)自主管理を始めるための必要条件なのだ。

法的な拘束力がない中で、強制力のある管理をするには、村八分理論による強制力が必要になる。
漁業で怖いのは、海難事故だ。いざというときに助けてくれるのは同業者しか居ない。
遭難したときに、皆が網をあげてまで自分を探してくれるかどうかは死活問題であり、
沿岸漁業には、村八分による強制力を発揮しやすい土壌はある。
ただ、この強制力は良い面にも働くが、悪い面にも働く。
リーダー(もしくは有力な漁業者)が資源管理に後ろ向きなら、自主管理はほぼ不可能だ。
自主管理の拘束力のキーとなるのは、「リーダーを本気にさせられるかどうか」にかかっている。
これが条件3)。

そして、そのためには、「リーダーを口説ける」現場系研究者が必要なのだ。
これが条件4)。
秋田の杉山さんも、三重の冨山さんも話しに、凄く説得力がある。
あれは素人がまねしようとして、出来るレベルじゃない。

以上をまとめてみると
経済性の高い資源を自分たちだけで抱え込んでいるという美味しい条件が必要。
その資源を自分たちの手で、漁業が成り立たないぐらい減らしてしまうという苦い経験が必要。
禁漁をしても、大差がないぐらいのところまで減ったタイミングでのみ、実行力がある管理措置がとれる。
そのタイミングで管理を始めるには、浜のリーダーを本気にさせないといけない。
そのためには、説得力抜群の現場に精通した研究者が必要になる。

これらの条件のうち、1つでも欠けたら自主管理は無理だろう。
自主管理は出来て当たり前のことではなく、出来た浜が凄すぎるのだ。
自主管理の成功例は、イチローのようなものであり、普通の浜の普通の資源では無理だろう。

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