NZは70年代から80年代にかけて、国家財政が破綻し、小さな政府を目指した。財政破綻以前は、漁業振興のため漁船建造の補助金などが整備されていたが、全て廃止された。それまでお荷物であった水産業の立て直しの切り札としてITQ制度を世界に先駆けて導入した。革新的な制度を導入したNZ漁業の歴史は、試行錯誤の連続であった。彼らが、どのような困難に直面し、それをどのように打開してきたかを紹介しよう。
ニュージーランド漁業制度年表
1983 沖合漁業に割当制度が導入される
1986 商業漁業に全面的にITQ制度を導入
1990 割当が固定従量制から変動制に変更
1992 ワイタンギ条約に基づくマオリへの補償が確定
1996 漁業法の改正:割当配分方式を変更、調査費用の徴収、年間漁獲権(ACE)導入の決定
最初の割当制度(1983年)
1983年に沖合漁業の7魚種に割当制度を導入した。当時の沖合漁業は、外国船のみであり、政治的に導入がしやすかった。EEZから外国船を排除して、国内の漁業会社に漁獲枠を販売した。漁獲枠を取得できるのは、漁船と加工場を保有している企業に限られた。
ITQを全面的に導入(1986年)
沖合漁業でノウハウを蓄積した後、1986年に沿岸も含む国内漁業全般にITQ制度を導入した。このときは既存の漁業者から、猛反発があった。しかし、環境にうるさい国民の声を背景に、与党も野党も、ITQの導入を公約に選挙を戦った。最初は主要29種に対して、漁獲重量を固定した漁獲枠を設定した。トン数固定漁獲枠だと、配分した漁獲枠の上限がTACとなる。資源が減少して、漁獲枠を減らす必要が生じた場合には、政府が漁業者から漁獲枠を買い上げることで調整をすることにした。
相次ぐ訴訟で、漁獲枠削減が困難に
ITQの導入後、漁業が儲かる産業になると、漁獲枠の価格が高騰した。漁獲枠が金の卵であることに気がついた漁業者は、政府に漁獲枠を売らなくなった。漁獲枠の買い上げは難航し、TACの削減ができなくなった。そこで、政府は、漁獲枠の一律削減を試みたが、漁業者は猛反発をした。「10tの権利を国から買ったのに、それを勝手に8tにするのは怪しからん」ということで訴訟をして、国が敗北した。
割当を変動制に切り替え(1990年)
漁獲量一定では資源管理が成り立たないので、NZ政府は苦労して、1990年に漁獲枠を重量固定制から、割合固定制(重量変動制)へと変更した。漁獲枠は、商業漁業漁獲枠(TACC)に対する割合で設定される。10%の漁獲枠を持っている人間は、TACCが変動しても常にその10%の権利を有することになる。この制度改革によって、NZ政府は訴訟のリスクを負わずに、TACCを自由に変えられるようになった。
先住民(マオリ)との法廷闘争
NZ政府が抱えたもう一つの訴訟が、先住民である。マオリの伝統漁業は、漁獲枠の取得要件を満たしていなかったので、マオリには漁獲枠が配分されなかった。新しい法律を知らないマオリは今まで通り、魚を捕りに行き、逮捕された。マオリは自分たちの権利が侵害されたと感じたマオリは、NZ政府を訴えた。
ニュージーランドでは、先住民と移住者の間にワイタンギ条約という取り決めがある。これは1840年に、イギリス王冠と先住民の間で交わされたもので、先住民の土地に関する主権を認める内容になっている。この内容に照らし合わせれば、マオリの漁獲を白人が規制する権利は無いことになる。この裁判は、イギリスの連邦最高裁判所まで行き、「王冠の契約は絶対である」ということで、マオリが勝ったのである。これにより、NZ政府は莫大な賠償金をマオリに支払うことになった。結果として、漁獲枠を売却して得た政府の利益は吹っ飛んでしまった。マオリへの敗訴はNZ政府にとって大きな痛手となった。その後も対応に苦慮することになる。
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Comments:2
- 県職員 09-02-20 (金) 11:27
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昨日,とある会議で資源管理推進室長様が,ITQは当面取り入れない方向性でかたまりつつあるとおっしゃっておりました。
理由はいろいろあるとは思いますが,残念です。 - 勝川 俊雄 09-03-13 (金) 12:59
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正直、失望しましたね。
ここまで、後ろ向きとは思いませんでした。
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