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大本営発表
勉強会の感想
参加者の皆様、お疲れ様でした。俺も疲れました(笑
出席者の感想のなかに「まだ、こんなレベルの喧嘩をしていたのか!」と驚かれた方もいるでしょう。
実際、あのような低レベルの会話しか、成立しないのです。
漁業が危機的状況にあるというのは、この業界の人間の共通認識でしょう。
しかし、そのことを認められない立場の人もいるわけです。
水産庁OBを呼んできても、「魚は減ってないし、漁業に問題などない」と、主張をするのは明白。
多くの漁業関係者が困っている状況をつくりながら、自分たちだけ優雅な老後を送り、
「日本の漁業に何も問題はない」と言い切られると、俺は頭にくるわけです。
予想通りの展開で、話す方は疲れるし、聞いている方は訳わからんでしょう。
今回の勉強会で浮き彫りになったのは、議論の前提として、現状認識が重要ということ。
現状認識であれば、規制改革のようなものを前面に出さない方が良いでしょう。
「今、資源はどうなっているのか」、ということにフォーカスし、
改革派・反対派などの利害関係を極力排除した上で
気楽に話ができる場所を作ってみたら、どうでしょうか。
水研の評価票担当者でも呼んできて、資源評価の結果と将来展望について話してもらう。
それを元に、黒倉先生、松田さんあたりが、パネルディスカッションでもするような感じ。
今回の勉強会より地味な会になるでしょうが、そういうものを地道に積み重ねていくのが、
水産学会らしい社会貢献になると思います。
おまけ
11月から12月上旬の銚子では3~4日おきに1000~2000トンを水揚げ。中心サイズは1尾200~300グラムで、平均価格は50~60円。大半が冷凍原料向け。(みなと新聞 12月5日)
今年は、北巻も、欧州みたいなバランス良い年齢組成でサバを捕っていると、誰かが言ってなかったか?
そもそも04年、07年年産まれしかいない時点で、安定した年齢組成はあり得ないだろう。
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とりあえず、ぼったくり価格を提示してみました
- 2008-11-25 (火)
- その他
どうやら、ある水産関係者さんのコメントがビンゴのようです。
水産庁は「IQ・ITQには金がかかるから困難だ」と大声で宣伝している。
これは、IQやITQ導入へのハードルを高くするとともに、
自らの消極的な姿勢を業界にアピールするという効果がある。
さらに、IQ、ITQの導入が回避できない場合も、
懇談会のお墨付きの元、法外な予算を要求できる。
どっちに転んでもおいしい状況を作るために、
法外な必要経費を計上したうえで、
「金がかかる、金がかかる」と騒いでいるのだろう。
しかし、他国では10分の1以下のコストで、
しかも、全て漁業者の自己負担で、個別漁獲枠制度を実現できている。
日本だけが、国民全体の負担で440億円もかかるというのは、
自らの非経済性を晒しているとは思わないのだろうか。
また、「日本の漁業者は遵法意識が高いから、公的機関の取り締まりは不要」と、
常々主張してきたのに、ITQを導入するとなると、いきなり、漁業者は泥棒扱いで、
全船監視が必要というのも、あまりにお粗末だ。
しかし、どんな法外な値段をつけたところで、
天下り&反対派をそろえたお抱え懇談会でつっこみが入るはずがない。
一般人は、計算の内訳なんて見ないだろうから、
440億円という数字を一人歩きさせることが出来る。
攻撃と防御を兼ねた、実に良い手だ。
こういうところだけは、本当に頭が働くものだと、感心する。
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議事録は読んだけど、新聞記事との違いがわからない
「新聞記事は、実態を必ずしも反映していないので、
議事録を読んでから批判をした方がよい」
というアドバイスを人づてにいただいた。
先ほど、議事録が公開されていたので、新聞記事と比較してみたが、
細かい表現をのぞいて大差がないように思う。
大きな流れとしては、水産庁の方針が次のように示されたことだろう。
● IQやITQの導入は困難
● やりたいなら、漁業者が勝手にやれ
それに対して、桜本議長は次のようにまとめている。
「IQ・ITQにつきましては、今回の論点整理にまとめていただいたように、いろいろな問題点があり、我が国への導入に関して、水産庁側の姿勢を明示していただいたところです。それに対して特に大きな反対もないということで、方向性としては妥当なものをお示しいただけたのではないかと私自身は考えております。」
ここでいう「水産庁側の姿勢」とは、ITQは困難ということだろう。
それにたいして、反対がなかったので、懇談会として認めたと言うことだ。
みなと新聞に書いてある通りだと思う。
俺が議事録の真意を全く理解できていないのか?
読者の皆様も、みなと新聞の記事と、議事録を比較してみてください。
なにがどう違うのかわかったの方は、コメント欄で指摘していただけると、有り難いです
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IQ入れると440億円かかる?を検証する
「ITQイヤイヤ懇談会」の結論としては、ITQは金がかかるから駄目ということらしい。
今の日本では、TAC制度には、ほとんど金をかけてない。
資源評価もいれて30億ぐらいでしょうか。(知っている人いたら教えてください)
漁業の未来のために、しっかりと投資をするのは大賛成だが、
ITQを導入すると管理コストが跳ね上がるというのは、おかしな議論だ。
440億円って、どっから出てきた数字なの、という素朴な疑問が沸いてくる。
水産庁の出してきた440億円の根拠は計算根拠は、次の資料の17(15)ページにある。
http://www.jfa.maff.go.jp/suisin/yuusiki/dai5kai/siryo_18.pdf
○漁港漁場整備法に基づく第2種漁港(496港)及び第
3種漁港(101港)に検査官3名が周年駐在。○大臣管理漁業対象漁船(3808隻・統。左図から算定)
に検査官1名が乗船。【試算結果】
(検査官人件費×3名+事務所借料)×597港
=13,969,800千円検査官人件費×3808隻・統=29,702,400千円
合計:43,672,200千円
一定規模以上の港に3人、一定規模以上の船に1人を常駐させる人件費だそうです。
ちなみに、船に乗る人間の費用は、一人当たり年額780万円。
港の検査員も同じ費用がかかるとすると、事務所借料が0円になってしまう。
港の検査員の方が一人当たりの費用が安くなる理由がわからない。
たぶん、人件費だけ計算をして、それじゃあまりにかっこわるいから、
「事務所借料」という文だけを加えたのだろうか。
また、2種漁港すべてに、3人も常勤する必要は無いだろう。
特定第三種には、一人ぐらい貼り付けても良いかもしれないが、
2種漁港に常勤3人は明らかに過剰である。
(参考:http://ja.wikipedia.org/wiki/日本の漁港一覧)
440億円という金額自体も法外だが、これらのコストはITQだから必要なわけではない。
オリンピック制度でも、それぞれの港で水揚げを迅速かつ正確に確認べきだから、
港の漁獲量把握のための行政コストは、現状でも必要なはずだ。
べつに漁獲枠を個別割り当てにすることで、発生するコストではない。
オリンピックだろうと、ITQだろうと、総量規制をしていたら必要になるはずだ。
また、ITQは出口管理だから、個別の船の水揚げを港でチェックすればよい。
よって、船に監視員を配置する必要はない。
検査官人件費×3808隻・統=29,702,400千円は不要。
水産庁は、TACやITQのような量的規制よりも、操業規制が有効であると主張してきた。
操業規制が守られているかどうかを確認するには、船に監視員が必要になる。
つまり、この300億円はITQではなく、水産庁が主張する操業規制の必要経費なのだ。
水産庁の計算によると、ITQなら、操業規制の半額で済むことになる。
語るに落ちるとはこのことだろう。
実は、隠れITQ推進派が資料を作っていたりして(笑
まとめ
漁港検査費用(13,969,800千円)
ITQを導入する、しないに関わらず、港での漁獲量の把握は必要。
これは、TAC制度を入れた時点で必要な費用であり、
オリンピック制度からITQに移行することで生じるコストではない。乗船検査官人件費(29,702,400千円)
ITQは水揚げ量の規制なので、検査官を乗船させる必要はない。
これは、水産庁がITQの対案として主張する操業規制のコストである。
ITQをやらない言い訳づくりの一環として、法外な管理コストを試算して見せたのだが、
コスト計算の前提自体がナンセンスであり、
440億円という費用はITQの導入と関連するわけではない。
あまりに、稚拙な計算だと思う。
有識者の皆さんは、この試算に、どんなコメントをしたんだろうね。
議事録が楽しみです。
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IQ方式を導入できない言い訳がお粗末すぎる件について
- 2008-11-16 (日)
- 資源管理反対派
「IQ方式は、お金がかかる」という以外に、3つの理由を挙げているのだが、
どれもお粗末すぎて、ため息が出てくる。
IQ方式について何も理解していないことは明白だ。
IQ制度に反対するにしても、制度を理解した上で反対してもらいたい。
① 操業が各漁業者にゆだねられ漁業団体による管理が行われなくなった場合、水揚げ集中による市場の混乱
現状で漁業団体による管理が機能しているかどうかは、さておき、
IQ制度を導入すると、漁業団体による管理が行われなくなるというのは、意味不明。
ノルウェーだって、組合が主導している細かい操業規制は山ほどある。
業界団体の管理は続けた上で、個人の漁獲量に上限を設ければ良いだけの話である。
また、IQを導入で水揚げが集中するというのは、あり得ない話だ。
個人の漁獲枠が限られているのに、
わざわざ値崩れするような獲り方をする馬鹿はいない。
早い者勝ちの現状では、解禁と同時に漁獲が集中してしまうが、
それを防ぐ効果がIQにはあるのだ。
この反論理由一つとってみても、この懇談会のメンバーが、
IQ制度のことを、全く理解していないことは明白である。
学部生のテストでも、こんな答案は赤点です。
② 各種規制の撤廃・見直しによる操業秩序の混乱
混乱を避けるという口実で、漁業はこのまま衰退させるつもりみたいだが、
水産庁の存在意義はなに?
③ 漁村地区の崩壊の恐れ
なんで、IQを入れると、漁村地区が崩壊するんだよ。
個別漁獲枠を導入して、ノルウェーの沿岸漁村はつぶれたか?
資源管理をしないから、日本の漁村は壊滅状態なのであり、
このまま何もしなければ、今後もどんどん崩壊するだろう。
原因と結果を故意にはき違えているとしか思えない。
なんとか漁業で生計を立てている日本の漁村も、
大型旋網漁船の沖どりの脅威にさらされている。
早さと量で競ったら、大型旋網が勝つに決まっている。
漁村を守るためには、早い者勝ちをやめて、
予め漁獲枠をそれぞれに配分するしかないだろう。
(つづく)
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お金がかかるからIQは導入しません
11月10日のみなと新聞
11月10日付のみなと新聞によると、水産庁のお手盛り懇談会が、
「個別漁獲枠制度(IQ制度)は導入困難」と、きっぱり明言をしたようだ。
(この記事は事実に反するという指摘をいただいたので、
最終判断は議事録を見てからにしたいと思います。
でも、主な意見のPDFを見る限り、記事の内容はそれほど外れてはいないと思います。
http://www.jfa.maff.go.jp/suisin/yuusiki/dai5kai/siryo_19.pdf)
IQを導入できない理由を並べているのだが、理論武装がまるでなってない。
1年間、税金使って考えて、出た結論がこれでは、脱力してしまう。
やる気がないのは最初からわかっていたが、
もうちょっとマシな言い訳は準備できなかったのだろうか。
IQ制度の前提条件からして、お粗末だ。
「関係者の不満のない漁獲枠配分」なんて無理に決まっているだろう。
魚を獲りたい人間に対して、魚があまりに少ないために、
早い者勝ちの、無秩序な魚の奪い合いによって、生産性が低下している。
早どり競争を抑制するために、個別配分が必要なのだ。
「関係者の不満のない漁獲枠配分」が無理だから、
IQ制度は導入しないと言うのは本末転倒である。
また、「漁獲量などの迅速かつ的確な把握が可能であること」とあるが、
ノルウェーをはじめとする多くの漁業国は、リアルタイムで漁獲量を正確に把握している。
日本で漁獲量の把握ができていないのは、水産庁の怠慢である。
これを資源管理をやらない口実に使うのではなく、
水産庁に対して「漁獲量の把握に向けた取り組みをまじめにやれ」と言うべきだろう。
水産庁には、漁獲量の把握すら荷が重いということであれば、
資源管理をするための独立した政府組織をつくるべきだ。
漁獲隻数や水揚げ漁港の多さとか言っているが、
漁船数が多いと言っても、大臣許可はたいした数がないし、
知事許可(沿岸)は、自称・資源管理に積極的な漁業組合に業務委託をすればよい。
港にしても、数は多いが、実際にまとまった水揚げがある港はごくわずか。
そのごくわずかをしっかりと抑えた上で、他の漁港にも報告義務をつければよい。
普通に出来ることだし、そもそも、やらないといけないことばかりである。
ただ、漁港の数が多すぎるというのはその通り。
バス停ごとに、コンクリートでガチガチに固めた豪華な漁港がある国なんて、日本ぐらいだよ。
漁業が行われていない廃船係留所みたいなの漁港だって、いくらでもある。
漁港を減らせば、水産土木予算も浮くことになるし、一石二鳥だね。
で、空いた漁港はヨットハーバーにでもすれば良いだろう。
漁業よりも、環境負荷が少なくて、経済効果も大きいので、村おこしにはもってこいだ。
436億円もかかるから出来ませんと言っているのだが、算出根拠はどこにあるんだろう?
ちなみに、97魚種、629系群をITQで厳密に管理をしているニュージーランドは、
漁業者から徴収した資源回復税(Cost recovery levies)の35m$で全てをまかなっている。
1NZ$=55YENとしてたったの19億円だ。
436億円も必要になるのは、組織として非効率ではないか。
仮に、436億円が必要だとしても、がんばって捻出すべきだろう。
だいたい、年間予算が4000億円もあって、
未来の食糧供給に必要な資源管理の費用をケチる理由がわからない。
利用者もいないような漁港建設を控えれば、400億円なんてなんとでもなるだろうに。
漁業者が騒げば、ぽんと600億くれてやるくせに、
あ、追加で600億だから、全部で1200億円か。
(つづく)
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桜本文書を解読する その7
おわりに
規制改革会議の第3次中間とりまとめには、「我が国の水産資源の状況は危機的状況である」、「有効な管理手段として何ら機能しないばかりか、さらなる乱獲を促進している我が国の現行の漁業・管理の仕組み・・・」、「資源のほとんどが枯渇ないし減少している状況で・・・」等々の文言が並んでいるが、これらはいずれも事実に反しており、一般の人々に大きな誤解を与えるものである。
「魚は減っていないし、我が国の資源管理は機能している」と言いたいようだが、
それを真に受ける漁業関係者はいるだろうか。
国産の高級魚は姿を消し、輸入魚が日本市場を席巻しているのが現実である。
「昔は網を下ろせば魚は幾らでも捕れたが、今は一日中探しても魚がいない」というような話は、
どこにでも転がっている。漁船の性能が格段に上がっているにもかかわらず、だ。
むしろ、昔と同じぐらい獲れている漁業の方が希だろう。
海に沢山いる魚を捕れないほど、日本の漁業者は無能ではない。
日本の漁業者は、魚を捕ってくることに関しては実に有能である。
彼らに欠けているのは、魚を残すことである。
漁業者が、乱獲をするのは、資源管理が機能していないからである。
この文章では、TAC制度は機能していると言いたいようだが、
残念ながら、TAC制度を国内で評価する声は皆無である。
水産庁と水産政策審議会が自画自賛をして居るぐらいで、
漁業者、加工業者、研究者のいずれも、「あれでは意味が無い」ということで意見が一致している。
TAC制度で漁獲を止められると思っている漁業関係者などいないのが現実である。
そういう状況で、「魚は減っていない」とか、「我が国の資源管理は機能している」とか、
書かれても何の説得力もないのである。
魚が獲れないから、漁業者はことあるごとに、補助金を要求する。
漁業者と違って、加工業者には補助金はないので、
今年に入ってからも、多くの加工業者が廃業を余儀なくされている。
魚屋はバタバタつぶれ、スーパーの鮮魚コーナーの殆どは赤字だ。
こういう危機的な状況を、桜本先生にも、正しく認識してもらいたいものである。
TAC 制を実施するにあたって最も重要なことは、「ABCの値は(したがって、もちろんTACの値も)合意事項であり、科学的には決まらない」ということを正しく理解することである。「科学的に決まる」ということは「科学的に(私情をはさまず、客観的に、つまり誰がやっても)一つの解が決定できる」ということである。「科学的情報を用いてある事柄を決定する」ということと、「科学的に一つの解が決定できる」ということは同じではないことを理解すべきである。しばしば、「目的関数が決まれば、科学的に一つの解が決定できる」という人がいるが、残念ながらこの人は「どの目的関数を選択するかは科学的には決められない」ということに気がついていない。
TAC制を実施するに当たり最も重要なことは、「科学者の合意事項を尊重すること」だろう。
科学には限界があり、科学者のしめす漁獲枠が常に正しいとはかぎらないのは、当然である。
だからといって、何をやっても良いと言うことにはならないのだ。
「一意に決められない」というのは、今のようにABCを無視する理由には成らない。
法定速度が60kmの道があるとしよう。
この道の法定速度が60kmでなくてはならない理由を科学的に証明できる人間は居ない。
日本の基準で60kmとなっても、他国の基準なら別の速度になるかもしれない。
「61kmじゃだめなの?」とか、言い出したらきりがない。
では、一意に決められないからといって、速度制限は不要かというと、そんなことはない。
一意に決められなくても、何らかの基準は必要なのだ。
ある程度妥当な値が、きちんと明示され、それが守られることが重要なのだ。
日本の外に目を向ければ、科学者の合意事項の重要性は自明である。
科学者の合意事項を尊重している漁業は、確実に生産を伸ばしている。
ノルウェーを初めとする先進漁業国には、
漁獲枠を一意に決められる魔法のような方法があるわけではない。
科学者は、政府や漁業者の圧力に晒されずに、漁獲枠について協議をする。
そして、科学者の合意事項を「科学的決定」と捉えて、尊重するのである。
ICESも、米国も、豪州も、NZも科学者が合意の上で勧告する漁獲枠は一つである。
そして、その1つの漁獲枠を守ることで、漁業を発展させているのである。
日本で資源管理が出来ない理由は、「科学的に一つの解が決定できない」からではない。
不確実性を口実に、科学者の合意事項を無視するから、ダメなのだ。
ABCを無視したいなら、現行のABCに代わる、より良い基準を示す必要がある。
桜本先生は、ABCに対する対案を示さず、現状擁護を繰り返している。
では、現状のTAC設定はどうなっているのかというと、資源量を上回るTACを設定したり、
低水準資源に対して、資源量を現状維持する漁獲量の4倍のTACを設定したり、まるでデタラメだ。
水産庁は、ABCを無視した過剰な漁獲枠設定について、
社会経済的な要因を考慮した結果であると、説明をする。
しかし、どのような社会経済的な要因を考慮した結果として、
その漁獲枠の数字が算出されたのかを示した試しがない。
天下り先の漁業者団体の希望を聞いて、鉛筆を舐めて漁獲枠を設定しているのだろうか。
欧米諸国でも、社会経済的な要因を考慮して、漁獲枠を設定している。
あくまで、対象生物の持続性を損なわない範囲で、経済学者、社会学者が、
根拠を明確にした上で、漁獲枠を決定するのが大原則である。
例えば、米国の場合は、ABC>TACという制約条件下で、
水産資源学者、経済学者、社会学者が協議をして、TACを決定する。
他国でも、たしかに社会経済的要因を考慮しているのだが、
日本のように根拠も示さずに、漁業者に言われるままに、
漁獲枠を野放図に増やしているわけではない。
現在、水産庁は「TAC制度等の検討に係る有識者懇談会」によるTAC制度の見直し作業を実施している。適切なABCの決定方法や、ABCを決定する際の不確実性に如何に対処するかということに議論が集中している(経過については、水産庁ホームページをご覧ください)。まだ、議論の途中であるが、大きく2つの点が変更されることになりそうだ。(1)複数のABCの提示。これは複数の管理シナリオの提示と言い換えてもいいだろう。現行では、1つのABC、1つの管理シナリオしか提示されておらず、これが人々に誤解を与える原因ともなった。(2)TACの期中改訂。資源量の推定精度の向上やABCの決定方法の改善を行ったとしても、資源量の将来予測が大きく外れる可能性を根絶することは困難である。それらの不確実性に対応するためには、厳格なルールの下での TACの期中改訂は不可欠の要件との判断である。
>適切なABCの決定方法や、ABCを決定する際の不確実性に如何に
>対処するかということに議論が集中している
「TACが非公開であり、算出根拠が不明」とか、
「TACを超過する漁獲が野放しで、ルールを守った人間が馬鹿を見ている」とか、
TAC制度は、いろんな方面から非難を浴びている。
もし、現在のTAC制度を改善したいのなら、参考にもしていないABCのあら探しより前に、
検討すべきことはたくさんあるはずだ。
この懇談会の目的は、漁業の未来のためにTAC制度を改善することなのか、
それとも、水産庁の自己弁護のために、ABCのあら探しをすることなのか?
だいたい、漁業組合代表なんて、水産庁からの天下り役員ばかりであり、
人選からして、まともな議論をするつもりがあるようには見えない。
また、ABCの複数化と期中改定で、TAC制度が機能するとは思えない。
一意に決められないから、複数のABCを出せば、問題が解決するわけではない。
複数のABCの中から、誰がどういう基準で、えらぶかが問題だ。
どうせ、一番大きいABCを選ぶだけだろう。
漁獲枠を下げると、漁業者から苦情が出るから、
ABCを増やすことで、ABCとTACの乖離を減らそうという作戦だろう。
ただ、ABCを複数化したところで、現存量を超えるABCなんて出るはずもないので、
これでABCとTACの乖離が無くなるとは思えない。
また、期中改定にしても、重箱の隅をつついているだけだ。
たしかに、今までのように、誰かが怒鳴り込んでくる度に、気前よく漁獲枠を水増ししているよりは、
期中改定に関しても、何らかのルールを作った方が良いのは間違いない。
ただ、それは本質的な問題ではない。
そもそも、期中改定より前に、TACの決定に対する厳格なルールを作るのが先だろう。
TAC設定自体がいい加減なのに、期中改定だけ厳格なルールをつくっても、砂上の楼閣だ。
また、その厳格なルールとやらは、だれがどういう基準で決めるのだろう。
ABCにはさんざんケチを付けているけど、誰が決めても一つに定まるような期中改定のルールは、
作れるとは思えないのだが。改定ルールも複数化するのだろうか。
>1つのABC、1つの管理シナリオしか提示されておらず、これが人々に誤解を与える原因ともなった。
ICESも米国も、IWCのRMPも一つの漁獲枠を提示している。何が問題なのだろうか?
逆に、複数の漁獲枠を出して、上手くいっている管理など聞いたことがない。
「人々に誤解を与える」とは、具体的に誰がどう誤解をしているのかがわからないが、
誤解であれば、専門家が誤解を解くように努力すれば良いだけの話ではないだろうか。
というよりも、水産庁が、印象操作で、必死にミスリードしているように見えるんだけど。
「魚離れ」とか、「TAC真理教」とか(笑)
現行の我が国のTAC制度についても、今後ともさらなる改善を行っていく必要があることはもちろんであるが、正しい現状認識とABC等に関する正しい理解のないTAC制やITQ制への盲信と猛進は、単に社会を混乱に陥れる結果をもたらすだけになるだろう。
「ABC等に関する正しい理解のないTAC制」とは、TACがABCを超えている現状に他ならない。
資源管理の名の下に、乱獲を容認しているから、単に社会が混乱するだけで、
漁業は衰退を続けるのである。
現在のTAC制度は、単なる税金の無駄づかいだろう。
ABCを無視する過剰なTACに対する非難の声は、日増しに大きくなっている。
社会的非難に晒されているのはABCではなく、
根拠も示されず、値もデタラメなTACなのである。
桜本先生には、責任ある委員会の長として、TACの設定根拠を説明して欲しいものである。
自分たちが承認したTACの根拠も示さず、ABCの揚げ足取りをしているだけでは、
科学者としての社会的責任を果たしているとは言えないだろう。
今度もABCを無視し続けるつもりなら、以下の2点が必要だろう。
1)過去に遡り、TACがどうしてその数字になったかを説明すること
2)そのTACが、ABCよりも妥当であることを説明すること
この2点をきっちりやらない限り、幾らABCの悪口を言ったところで、
TACが信頼を得られるはずがはないのである。
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桜本文書を解読する その6
TAC設定魚種の早期拡大は必要か?
以上見てきたように、「科学的根拠に基づく資源管理」の厳格化を強調してみたところで、既に述べた様に、その科学的根拠とするABC自体が合意事項であり、決して科学的に決定できるわけではないということに注意する必要がある。さらに、(1)TAC対象8魚種19系群のうち中位または高位水準にある11系群のうちの多くの系群が、TAC制の適用以前から中位または高位水準にあったこと、(2)TACャ対象魚種以外の44魚種71系群のうちの約半数の36系群が我が国の現行の漁業・管理の仕組みによって、中位または高位水準を維持していること、(3)ABCの値は合意事項であり、科学的に一意に決まるわけではないこと。したがって、ABCの値に対する合意形成のプロセスも当然のことながら複雑となること、(4)TACャの決定には社会的・経済的要素を考慮すべきであるが、どの程度、社会的・経済的要因を考慮するべきであるかについて合意を得ることもまたそう簡単ではないこと。すなわち、もともとTAC制は技術的にも難しい管理手法であると言えること、(5)ABCやTACャの値について合意形成を図るためのプロセスや、TACが遵守されているかの監視等々に膨大な労力と費用がかかること(IQ、ITQになればその労力と費用はさらに増大する)等々から考えると、「TACャ設定魚種を早期拡大」しなければならない正当な理由は見当たらない。むしろデメリットの方がはるかに多いといえる。
水産庁は「日本は漁業が複雑で、魚種も多く、コストがかかるから管理ができません」と繰り返してきた。
しかし、漁業が複雑なのは、どこの国も同じである。
漁業が単純で、すんなりと管理ができた国など、一つもない。
他国は、行政官が国益のために、知恵を絞って、日本よりも桁違いに少ない予算で、
資源管理を導入し、成果を出しているのである。
日本で資源管理ができないのは、漁業よりもむしろ、管理をする側の問題だと思う。
漁獲量が日本の10分の1のニュージーランドは、96種628系群をITQで管理をしている。
http://www.fish.govt.nz/en-nz/Fisheries+at+a+glance/default.htm?wbc_purpose=Basic%26WBCMODEs
漁業者から一律に徴収した「管理費用」で全てまかなっている。
日本は、たった7つの漁業をオリンピック制度で、形式的に漁獲枠を設定しているだけ。
漁獲枠の超過も見て見ぬふりで、漁業生産は落ち込むばかりである。
水産庁は二言目には「金がない」と言うけれど、
余所の国は10分の一以下の予算でまともな資源管理をしているのである。
4000億円も予算がありながら、まともなクオータ制度を作れない役所なんて、
世界広しといえども日本の水産庁ぐらいだろう。
燃油が上がれば、従来の予算の枠内で、何百億円も集めてこれる。
本当に金がない役所に、こんな芸当はできるはずがない。
ノルウェーやニュージーランドは、漁業者が資源管理の費用を全て負担しているのに対し、
日本の水産予算は全て、一般国民の負担である。
こういう状況で、「お金がないから、資源管理できません」なんて、良く言えるものだ。
ノルウェーと日本のサバ漁業について、比較してみよう。
水産庁が「漁業が単純だから、日本の参考にはならない」と主張するノルウェーは、
これだけきめ細かい漁獲枠の区分をしている。
http://www.sildelaget.no/kvoteoversikt.aspx
さらに、漁具の規制はあるし、稚魚が多く捕れた海域は閉鎖する。
こういった、きめ細かい規制を積み重ねて、漁業の生産性を高めているのだ。
もちろん、管理費用は漁業者の負担だ。
一方、日本のサバの管理は、マサバとゴマサバという別な種を一緒くたに管理している。
異なる種の漁獲枠をまとめて設定するなど、まともな漁業国ではあり得ない話である。
漁獲枠の区分にしても、大臣許可漁業と知事許可漁業の2つの区別しかない。
禁漁区などないし、サイズ規制もないし、漁具の規制もない。
そもそも、非生産的な小さい魚の漁獲を抑制するどころか、奨励している状態だ。
ノルウェーと日本では、日本の規制のほうが、よっぽどおおざっぱである。
「日本では利用している魚種が多いから管理が難しい」というが、
日本の方がノルウェーよりも管理をしている魚種が少ないのだ。
せめて、ノルウェーと同数の魚種を、同レベルのきめ細かさで管理した上で、
「日本は、魚種が多く、漁業も複雑だから、これ以上はできません」と言うならわかるけど、
日本の方が管理をしている魚種が少ない上に、個々の管理もまるでザルなのだから、
「日本は漁業が複雑で、魚種も多い」というのは言い訳にもなっていないのである。
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桜本文書を解読する その5
「科学的根拠として現行のABCに固執するものではない」→ 自らの非を認めた?
61 ページに、「現在、我が国においては、科学的根拠としてABCを用いているが、・・・、その根拠については、現状のABCに固執するものではない」と記述されている。この記述の意味は、「ABCが計算できるものについては科学的根拠としてABCを用い、ABCが計算できないものについては、他の科学的根拠を用いてTACを設定してもよい」という意味なのか、「現行のABCを科学的根拠としている資源についても、必ずしも現行のABCに固執する必要はなく、他の科学的根拠を用いてTACを決定してもよい」という意味であるのかが不明である。前者はTAC制を現行のTAC対象種以外の魚種に拡張する場合の話であろうから、その妥当性については後述する。
もし後者であるとするならば、この記述は、今までの規制改革会議の主張と矛盾している。なぜなら、いままで規制改革会議は現行のABC を絶対視し、TAC¬=ABCとすべきという主張をくり返してきたからである。上記の記述は、現行のABC を絶対視し、TAC=ABCとすべきという自分たちの主張が誤っていたということを認めたということであろうか?
そもそも漁業者側の主張は「現行のABCの算定方法が納得できない」ということであり、資源量推定値の見直しや、RPS(産卵親魚量当たり加入量)一定という仮定のもとで資源量の将来予測を行い、ABCを決定することに対して懐疑的で、他のABCの決定方法も検討してほしいということであった。至極妥当な要求であるにも関わらず、そのような漁業者の要請は一切考慮しないで、現行のABC を絶対視し、TAC¬=ABCとすべきという主張をくり返してきた規制改革会議が、ここに至ってこのように変節する理由が理解できない。その程度の底の浅い主張であったということであろうか?
文章の意味がわからないなら、規制改革会議か水産庁に、確認すればよいと思います。
「自らの非を認めた?」などと、鬼の首を取ったかような勢いだが、
規制改革会議は、別に現行のABCにこだわってきたわけではない。
乱獲を回避して持続的に漁業ができれば、それでよいわけだ。
そのために、「利用可能な最良の科学情報をもとに漁獲枠の上限を設定すべきだ」と考えている。
利用可能な科学情報がABCしかないなら、ABCをつかうべきだし、
水研センターのABCよりも優れた指標があれば、そちらをつかうのが当然だろう。
現状では、ABC以外の科学的指標が、国内で出てくる可能性は極めて低い。
日本で資源評価ができるのは、水研センターと水試の一部のみ。
そういった人間は、ほぼ全員がABCの決定に関わっている。
資源音痴の水産庁が、独自に科学的根拠のある数字を出せるはずがない。
せいぜい、某お手盛り審議会で非公式協議をして、「根拠は外部に出せないけど、
学識経験者が認めた数字だから、科学的なんだ!!」と言い張るぐらいが関の山だ。
そんなものが科学的根拠と認められるほど、世の中甘くはない。
ABCに代わる科学的指標がでてるはずがないのだから、
科学的根拠を守れということは、結局はABCを守れということになるはずだ。
水産庁サイドの強い希望で、「科学的根拠を遵守するなら、現行のABC以外でもかまわない」
という文面になったらしいが、規制改革会議がこだわっているのは、
「科学的根拠に基づく持続性の確保」だから、別にどちらの記述でもおなじことだ。
また、ABC以外の科学的な指標が出てくるとは思えない現状では、
結局は、ABCを遵守しろと言うことになるのは明白だろう。
どこをどう読んだら、「変節」とか、「底が浅い」とかいうことになるのか、理解に苦しみます。
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桜本文書を解読する その4
「ABCの値は合意事項であり、科学的には決まらない」「生物学的に妥当な目標資源水準など科学的には(生物学的には)決められない」というのが私の持論であるが、紙面の関係もあり、その点についてはここでは触れないことにする(興味のある方は資源管理談話会報(2004)、月刊海洋38(2006)をご参照下さい)。 話を簡単にするために、今、生物学的に妥当な目標資源水準が科学的に(生物学的に)決定できるものとして説明する。例えば、20万トンが生物学的に妥当な目標資源水準であったとする。今、現状の資源水準が10万トンで、20万トンまで資源を回復させる必要があったとする。その時の対応として、本質的に異なる2つの管理方策が考えられる。管理方策Aは20万トンになるまで禁漁する(ABC=0)。管理方策Bは何年かかけて資源水準を20万トンに回復させる、という2つの管理方策である。
資源が多い場合についても同様である。今、資源量が40万トンであれば、管理方策Aは20万トンになるまで最大の漁獲圧で漁獲する(可能な限り獲まくる、ABCは青天井)。管理方策Bは何年かかけて資源水準が20万トンになるように、現状の漁獲量を増やす。
管理方策Aを採用すべきと主張するのであれば、ただ一つのABCの値が科学的に決定できると主張しても誤りではない。ただし、生物学的に妥当な目標資源水準が科学的に(生物学的に)決定できるという条件付ではあるが・・・。しかし、管理方策Aを採用すべしと主張している人は実際には一人もいない(もし、そう主張される方がおられたら名乗りを挙げていただきたい)。科学的にただ一つのABCの値が決定できるとすれば、条件付ではあるが、この場合しかあり得ないことに注意する必要がある。
管理方策Bは何年で資源を回復させるか(最適な資源水準に持っていくか)ということが問題になる。5年で回復させるべき、10年で回復させるべき、あるいは6年で回復させるべき等々いろいろな提案があるだろう。しかし、5年で回復させるのが科学的に(生物学的に)正しくて、6年で回復させるのは科学的に(生物学的に)正しくないということを科学的に論証できる人などいないはずである(もし、論証できるという方がおられたら名乗りを挙げていただきたい)。つまり、何年で資源を回復させるかという議論の中には、既に生物学とは異なる次元の価値観が入り込んでいることになる。多くの場合その期間は社会的・経済的な要因に深く関係して選択されることになるだろう。
すなわち、何年で資源を回復させるかは生物学以外の要因も考慮した場合の合意事項であって、科学的に1つの値が決定できるといった類のものではない。何年で資源を回復させるか、その年数によって、当然ABCの値もすべて異なってくる。つまり、「ABCの値も合意事項であり、科学的に1つの値が決まるわけではない」ということである。「ABCが科学的に決定できない」から、合意形成のプロセスが重要になるのである。「ABCの値も合意事項であり、科学的には決定できない」ということを正しく理解していない人が「合意形成の重要性」を謳ってみても、「合意形成の重要性」を真に理解して発言しているとはとても思えない。
わかりづらい文章だが、要約すると「ABCは科学者の合意事項に過ぎないので無視して良い」ということだ。あまりに時代錯誤な考えである。90年代以降の世界の動きを全く理解しておらず、
「行政官ならまだしも、こんなことを言う研究者がまだいたのか」とかなり驚いた。
80年代以前には、世界中で、科学的アセスメントよりも、漁業者の目先の都合を優先していた。その結果、多くの漁業が破綻したのである。苦い経験から、不確実性があったとしても、利用可能な最善の科学情報を遵守するようになった。たとえば、92年のリオデジャネイロ宣言は、「科学的情報の欠如を口実に管理を怠ってはならない」と明記されている。また、1995年に公表されたFAOの責任ある漁業の行動規範でも同様のことがうたわれている。
現在、利用可能な最善の科学情報とは、「専門家集団の合意事項」に他ならない。日本政府が「これを実行に移さないのは科学軽視である」と他国を非難している。IWCのRMPにしても、科学者委員会の合意事項に過ぎない。桜本氏の考えを捕鯨に当てはめれば、「RMPは科学者の合意事項に過ぎないから無視して、漁業者の希望に応じてRMPで計算された捕獲枠を超過してもよい」ということになる。こんな主張が、通るわけ無いだろう。
また、「5年で回復させるのが科学的に(生物学的に)正しくて、6年で回復させるのは科学的に(生物学的に)正しくないということを科学的に論証できる人などいないはずである」という例は全く現実に即していない。
今の日本のTAC設定は「5年で崩壊させるのか、それとも1年がよいのか」というお粗末なレベルである。たとえば、マイワシでは海にいる魚の量を上回る漁獲枠が設定されていた。激減しているスケトウダラ日本海北部系群(参考資料1)の場合、資源量を維持するための漁獲枠4.6千トンに対して(参考資料2)、水産庁の設定した漁獲枠は1万8千トンであり、資源を保護するどころか、もっと漁獲圧を増やして良いという計算になる。
NZでは、ホキ資源が減少したときに、政府は漁獲枠を20万トンから10万トンに削減した。資源の回復を確認した後に、政府が漁獲枠の増枠を提案したところ、漁業者団体は、より早く確実な資源回復を実現するために、もっと漁獲枠を減らすように主張し、結果として、漁獲枠は1万トン削減された。そういうレベルでTAC設定の綱引きがされているのであれば、桜本氏の「漁獲枠は科学のみで決めるべきでない」という反論も理解できる。しかし、日本では、あり得ない過剰な漁獲枠に対して非難の声が上がっているのである。これらのTAC設定を容認してきた委員の長である桜本氏には、資源量を超える漁獲枠が、どのような社会経済学的理由によって、正当化されるかを、説明する義務があるはずだ。「資源回復の早さは科学的に決められない」などと、とぼけるのは、あんまりだろう。
参考資料1 スケトウダラの資源量(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/details/1910.pdfより引用)
参考資料2 研究者が勧告したスケトウダラの許容漁獲量は、3.4~4.2千トン(http://abchan.job.affrc.go.jp/digests19/details/1910.pdf)。にも関わらず、水産庁が設定した漁獲枠は180千トン。現在の過剰な漁獲圧を更に増やして良いことになる。
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