みなと新聞12月21日の記事をおいておきますね。
勝川俊雄の最新の記事をいち早く読めるのは、みなと新聞です。
購読申し込みはこちらから。
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/
みなと新聞12月21日の記事をおいておきますね。
勝川俊雄の最新の記事をいち早く読めるのは、みなと新聞です。
購読申し込みはこちらから。
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/minato/
自分のことを少し振り返ってみよう。
キャリアのスタート地点においては、パラダイス鎖国系研究者だった。
日本漁業のことはさておき、資源管理の理論的な研究を進めていこうと思っていた。
国内資源がどうしようもない状態だということを知るにしたがい、
楽しくパラダイス鎖国をしている場合じゃないなと思うようになった。
それで、漁業者や行政に対して、お小言を言い始めたのだが、
彼らとの接点を持つにしたがって言うだけ無駄だと思うようになった。
石田丸事件とか、釧路キャッスルホテルの乱だとか、いろいろな経緯があり、
漁業者と行政に任せていたら、漁業に未来はないと確信するに至った。
しかし、漁業者も行政も、都合の悪いことには聞く耳を持っていない状況で、
研究者に何ができるだろう?
研究者は、漁業に対して直接的な力は持ち得ない。
学者として、いくら偉くなってもそれは変わらない。
某審議会だって、漁業に何の影響力も無いではないか。
審議会に潜り込んだとしても、現状に異議をとなえたら、お役御免になるだけだろう。
学者としての肩書きは学内政治の世界では大切なのかもしれないけど、
その権力はしょせん大学内限定である。
「漁業の役に立たないとしたら、何のために研究をしてるんだろう?」
と悩んだ上でたどりついた答えは、
「水産関係者を変えることはできないなら、それ以外を変えれば良い」
ということ。
マスメディアをつかって、漁業の現状を一般人に知ってもらうことにした。
一般人の意識を変えてしまえば、漁業関係者も変わらざるを得なくなるはずだ。
風車を逆に回すには、風の向きを変えればよいという実に簡単な話である。
こういう経緯で、マスメディアを積極的に利用することにした。
その第一弾は、朝日新聞のマイワシの記事だ。
記事が出る過程で、納得がいかないこともあったが、とりあえずは記事が出た。
記事が出てから、その影響力というものを痛感することになった。
メディアを通すと水産庁のコメントが得られるというのが大きな進歩だった。
今までは何をきいても「社会経済的な考慮からこうなっている」の一点張りだったのが、
新聞取材だとなんらかの説明をせざるを得ないようである。
まあ、資源量を上回る漁獲枠を設定することに対してまともな説明などできるはずがないのだが、
まともな説明ができないということが、何よりの答えである。
日本の水産政策のお粗末さの一端が読者にも伝わっただろう。
こういうことを繰り返していけば、水産政策への疑問の目が向くことになり、
今までのような乱獲を放置したまま補助金をばらまくのは難しくなる。
結果として、漁業も良い方向に進むだろう。
一般人に訴えかけるという方法は、
回り道のようにみえて、実は一番の近道だったように思う。
ただ、平坦な道ではないことは確かである。
この道を進んでいったら、どうなるかは正直わからない。
今まで誰もやってなかったから。
今のところは、どこからも苦情は来ていない。
むしろ、もっとこういう話をして欲しいという応援はたくさんきた。
情報に対する需要は確実にある。
大きな枠組みでとらえると、自分が選んだ道というのは、
民主主義国家における専門家としての使命のような気がしてきた。
大学の業務をこなし、論文を書く。そういう職業として業務はもちろん重要である。
その一方で、専門知識を社会に還元するという重要な使命も果たさなければならない。
現在は、漁業に関しては、漁業関係者に都合がよい情報しか流れていない。
現状が悲惨であるという情報が無ければ、現状維持で良いと思ってしまうだろう。
消費者が魚の値段にしか興味がないのは当然のことなのだ。
情報を流してこそ、民意の質は上がっていくはずだ。
メディアと協力して、この状況を打破しなくてはならない。
漁業者は政治家に陳情する。
政治家は票を集めるために水産庁に圧力をかける。
水産庁は、声の大きな政治家がバックにいる漁業に補助金を配る。
この手の口利きシステムは漁業に限らず、至る所で日常的に目にする。
口利きシステムは、漁業者の意見を政策に反映する手段であり、良い面もある。
これをなくればよいというものではない。
しかし、税金で乱獲を支えている現状は、多くの納税者の利益になるとは思えない。
さて、この乱獲漁業に対して、研究者はどのように対応してきただろうか。
ここでは主に3つのタイプに分類してみよう。
水産学という肩書きを持つ研究者の多くは、実は漁業には関心がない。
魚の生態だとか、海流だとかに関心があり、漁業を口実に趣味の研究をしている。
パラダイス鎖国系研究者の特徴は、漁業について何も知らないことである。
「この研究は漁業の役に立つ」と口にするが、自らの研究費を確保するための方便に過ぎない。
まあ、中には愚直に水産庁や漁業者に諫言をする研究者もいる。
しかし、諫言をした結果、かえって疎んじられてしまう。
馬鹿殿に仕える忠臣のようなものである。
水産庁に諫言をすれば、「そんないい加減なアセスメントは信用ならぬ。
不確実性を撲滅してから、顔を洗って出直してこい」と怒られてしまう。
研究者が、無理難題に四苦八苦している間に、期中改訂でもなんでもやりたい放題だ。
また、漁業者に諫言すれば「俺たちには生活がかかってるんだ。
顔を洗って出直してこい」と怒られてしまう。
そして、今日も一生懸命、顔を洗っているのである。
聞く耳を持っていない人間に対して何を言っても無駄なのに・・・
例えば、まともに審議をした試しがない某審議会がある。
国を代表する学識経験者を集めたはずなんだけど、議事録を見ればわかるとおり、
官僚からお勉強させてもらっているようなお寒い状況である。
とても政策につっこみを入れられるようなレベルではない。
日本にはそんな専門家しかいないわけではなく、
身辺調査を念入りにした上で、そういう人を選んでいるのだろう。
研究者はこんな感じだし、漁業者は陳情の場と勘違いしているしで、
唯一まともなのは企業から来ている人だが、
彼らの意見は「今後の検討課題とします」といって、完全にスルーされている。
一般人はこのような審議会システムなど知るよしもない。
そこで、「こういう偉い先生がゴーサインを出したなら大丈夫だろう」とコロッとだまされる。
一般人の専門家への信頼を良いことにやりたい放題だ。
審議会に偉い先生を並べておけば、下っ端研究者が批判できないというメリットもある。
あるシンポジウムで、マイワシのTACが資源量を超えていたことを痛烈に批判したら、
審議会の前委員長が、その後、ずーっと俺の方を睨んでた。
彼は自分の役割が、自分たちが無批判に承認した政策にけちがつかないように、
下っ端研究者に「睨みをきかす」ことだと思ってたんだろうな。
批判を受け止めて、よりよい審議をしていこうなんて姿勢はさらさら無い。
審議会の仕事は、審議をすることではなく、
官僚が出してきた案を審議をせずに了承することだ。
審議会は、外部の研究者を黙らせて、水産政策の実像を納税者から隠すための道具である。
一般人に情報を伝えることではなく、一般人への情報を遮断するのが審議会の機能なのだ。
さて、サイエンス以前の問題を抱えている場合、研究者はどうすべきだろうか?
使われもしない資源管理手法を改良していれば十分か?
まあ、管理手法を改良すること自体は悪いことではないが、
それだけで社会的役割を果たしたとは言えないだろう。
資源評価が無視されていることに対して、社会の合意は得られていない。
多くの日本人は、日本の資源は科学的な根拠に基づいて、それなりに管理されていると考えている。
まさか、ひどい乱獲が放置・黙認されているとは思っていないのである。
科学的なアセスメントを無視して、水産庁が乱獲を公認していることを知らない。
自分たちの税金によって、乱獲が維持されているとは夢にも思ってないだろう。
以上の事柄を社会に知らしめることが専門家の役目である。
これらを理解した上で、世論が現状の漁業政策を認めたならば、
そこで我々の役目は終わりである。
この国には水産資源学など必要がないということだろう。
一般人の魚に対する関心の高さをみれば、そうはならないだろう。
RMPを無視する本会議に抗議して議長を辞めたハモンドの行動は、
研究者として正しい。真摯な態度である。
この状況に対して何も言わないというのは、納税者に対する裏切り行為であり、
漁業者・行政にへつらって、甘い数字を出すなど言語道断だ。
「行政や漁業者に無視されちゃったよぅ」と泣き言を言う前に、
社会に対して、現状を伝える努力をすること。
IWCやCCSBTはOM的なアプローチは採用したが、資源管理が行われているわけではない。
これらの管理組織はサイエンス以前の問題を抱えており、
その問題を解決しなくては、科学的な管理は不可能なのだ。
IWCは、科学的な勧告に基づき捕鯨を行うという合意形成が必要である。
CCSBTは、各国が合意した漁獲枠を遵守しているかどうかのチェック機構が必要である。
これらのハードルをクリアしない限り、科学的なアセスメントの質を向上させても無駄だろう。
IWCやCCSBTの管理が破綻しているのは、資源評価の不確実性の問題ではない。
そのことを明らかにしたという点で、OMの採用は妥当であった。
OM的なアプローチが採用されていなければ、今でも泥仕合をしていた可能性が高い。
では、日本ではどうだろうか?
日本の国内漁業はIWCとCCSBTを足して2で割らないような惨状である。
科学的な勧告はまるで無視
科学者が設定した乱獲の閾値(ABC)を大幅に超過する漁獲枠(TAC)が慢性的に設定されている。
科学的な資源評価は全く無視されて居るも同然である。
IWCと同じように科学的な勧告に基づき漁業を行うという姿勢が欠如しているのだ。
現在の日本の漁獲枠は非持続的な乱獲を容認するものである。
漁獲枠超過を容認
そのゆるゆるの漁獲枠すら守れないのが日本の漁業関係者のモラルの低さだ。
北部大中巻き網漁業は、去年の2月にTAC枠の上限に達した後も漁獲を続けた。
2月末の時点で、TAC枠を6.6万トンも超過していた。
29万トンの漁獲枠に対して、6.6万トンの超過である。
この無法行為に対して、水産庁は次のような通達を出した。
http://www.jfa.maff.go.jp/release/19/031401.htm
サバ類の採捕を目的とする操業を自主的に停止するとともに、
今後、このような事態が生じないよう改善措置計画を策定するよう求めた。
自主的な操業停止を求めて、それで終わり。
TAC超過を取り締まる気なんて、さらさら無いのである。
漁獲枠が埋まった時点でサバの漁獲を辞めた漁業者も居た。
その一方で、漁獲枠を無視してとり続ける漁業者も居たのである。
サバにちょっとだけアジを混ぜて「アジ混じり」といって水揚げをしたり、手段はいろいろある。
漁獲枠を超過してとり続けた漁業者には、何のペナルティーも無しでは、
まともにルールを守った漁業者は馬鹿馬鹿しくてやってられない。
日本の漁業者が、資源管理への意識が低く、非協力的なのは当然だろう。
水産庁のやる気の無い対応は、超過を容認しているのも同然である。
1)日本では、科学的な勧告を無視して、乱獲を許容する漁獲枠が設定されている
2)ゆるゆるの漁獲枠さえ、守られることができない
この2点から、水産庁に資源管理をする能力が欠如していることは明白である。
日本で資源管理が出来ないのは、資源評価の不確実性以前の問題なのだ。
この状況を変えるためにOMは何の役にも立たないだろう。
日本の場合は、研究者の対立はほとんど無い。
科学的な議論をするようなレベルではない。
ほとんどの担当者は、平松さん作成のVPAマクロを使って計算をしている。
やっとやっと、一つのモデルを使って数字を出している現状では、
複数のモデルを比較する必要など無いのである。
モデルの設定は担当者にほぼ一任されており、
他の人は出てきたABCの値について文句をいうだけだ。
その値がでてくるプロセスについての議論はほとんど無いというお寒い状況では、
OMによる科学者の合意形成など必要ないだろう 。
八戸港の魚介類貿易の主要品目は輸出がサバ、輸入はイカ。それぞれ総数量の五割以上を占めている。サバの輸出は、二〇〇四年の九十一トンから〇五は千三百二十四トンと飛躍的に増加。豊漁だった〇六年は九千二百十五トンに増え、今年も十月末現在で六千九百五十五トンと、高水準を維持している。水産関係者によると、国際的な魚食ニーズの高まりを反映し、主に魚体の小さいサバが缶詰などの加工原魚として中国やアフリカへ輸出されているという。
http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2007/20071214133619.asp
やれやれ。
せっかく卓越年休群が発生しても途上国に投げ売りするだけ。
日本のサバは中国・アフリカへ行き、日本の食卓にはノルウェーのサバが並ぶ。
この現状は変わりそうにないですね。
こういう漁業をなくさない限り、水産物の自給率はあがるはずがない。
今日は本郷まで、Mathematicaのセミナーに行ってきた。
Mathematicaを10年以上、メインで使い続けているので、
今更かなぁという気もしたのだが、参加してみた。
俺的に一番の不満は、シミュレーションの結果を他人に見せづらいこと。
そもそもMathematicaをもっている人なんて、あんまり居ないし、
強引に買わせるにはちょっとお値段が高い。
ウェブ上で遊べた方が面白いので、Javaを使ったりもしたのでした。
http://kaiseki1.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/blosxom.cgi/study/article/suketoudara.html
この場合もJavaが入ってないと、みれないとかいう問題もあったりした。
今回のバージョンアップで、この問題点がすべて解消。
予想を上回るすてきな機能てんこ盛りで、もうメロメロの骨抜きですよ。
具体的にどういうことかというと、Manipulateという機能が出来た。
Manipulateコマンドを作ると、あっという間にコントロールボックス付きのオブジェクトがつくれる。
これがExportコマンドで、あっという間にフラッシュファイルになる。
でもって、これをあっという間にウェブにも、パワーポイントにも張れてしまうのだ。
うーん、スーパークール。
週刊東洋経済の12/15日号のP64ページに、
取材対応をした漁業に関する記事が出ました。
「魚が食べられなくなるのは誰のせいか」
なぜ魚が乱獲されるのか。一般に乱獲は漁業者の倫理面に帰されがちだ。
経済学では、漁獲の国家管理が必要とされ、無論日本でも水産庁が管理策と獲っている。それでも乱獲が止まらないとしたら、問題は国の制度のほうにある。
サバのTAC超過や、オリンピック制度の問題点が簡潔にまとめられています。
こういう形で、外部の人にも漁業の問題提起を繰り返していくのは大切。
新聞雑誌の人の文章は読みやすいんだよね。
こういう一般向けの文章を書けるようになりたいものです。
俺の文体は、どうも堅苦しくて、いけないね。
くそまじめな性格がそのまま文体にあらわれてしまうのだろう。
いろいろと忘れてるモノもありそうだが、とりあえずはこんな感じ。 今年の俺は頑張ったよ。
最初に言っておくが、OMが悪い訳ではない。
OMを担ぎ出さないといけないような資源では、
「科学以前の問題」がある可能性が極めて高いのである。
OMによって、科学者が合意形成に成功した結果、
「科学以前の問題」が浮き彫りになったのだ。
科学者というのは、議論を通して、理解を深めていく傾向がある。
科学者同士の見解が別れたまま、泥仕合になってしまうような場所はむしろ例外である。
こういう場所では、研究者は相互理解よりも寧ろ、特定の結論を導くために議論をしている可能性が高い。
IWCやCCSBTにおいては、国益をかけた代理戦争が行われていた。
研究者は、それぞれの国旗を背負った兵隊なのだ。
情報が限られた現状では、どちらの陣営も完全勝利とはいかない。
白黒つかない不確実性の狭間で、堂々巡りが繰り返された。
OMには、この科学者の無益な堂々巡りを止める機能がある。
OM以前は、研究者が合意形成に失敗し、科学委員会として勧告を出せなかった。
科学的な不確実性が、管理をできない要因とされていた。
しかし、それは事実ではなかったのだ。不確実性はスケープゴートであった。
OMによって研究者の合意形成ができたとしても、やはり管理はできなかったのである。
IWCにおいては、科学者が提示した漁獲枠を守るというコンセンサスが無かった。
(科学的アセスメントを尊重するというのは、うわべだけのポーズであった)。
CCSBTにおいては、決定した漁獲枠を加入国に遵守させる枠組みが無かった。
要するに、サイエンス以前の問題があったのである。
OMによって、科学委員が正常化したことで、これらの問題が表面化したのである。
管理できないのがサイエンスの問題であるならば、OMは問題解決に役立つ。
現状では、対立する研究者の合意形成の最良のツールといえるだろう。
そうでない場合、OMはサイエンス以前の問題を浮き彫りにすることができる。
科学者にできることは、そこが限界である。