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動画で見るノルウェー漁業 その1
期中改定で資源回復の芽を摘みそうなマサバ太平洋系群は、
今日の会議で、期中改定の内容が確定するはずなんだが、どうなったんだろう。
マサバ太平洋系群の資源評価票には、肝心なパラメータが記載されていないし、
試算が出来ない状況です。
まあ、マサバについては、状況が確定してから、バッチリ書くことにして、
取りあえずは、ノルウェーの話をしていきましょう。
日本の水産関係者がノルウェーに視察に行くっていうのは、ありふれた話で、
文字としての情報はそれなりにあると思う。
ただ、自分の目で見ると、「ああ、これは日本とは雲泥の差だ」と強く実感をした。
水揚げから冷凍に至るプロセスの一つ一つが魚のクオリティーを保つことに配慮されている。
サバの水揚げから、冷蔵までの一部始終をビデオ撮影してきたので、
動画によって現地で体感した衝撃の一部だけでも伝われば幸いです。
動画を見るには、「続きを読む」をクリックしてください
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鯨害獣論について考えた
- 2007-11-12 (月)
- その他
なにかと議論の対象となる鯨害獣論についても、考察をしてみよう。
「鯨が魚を大量に食べているから、鯨は害獣であり駆除すべきである」
というのが、鯨害獣論である。
クジラ害獣論は、国内の捕鯨推進派、特に漁業関係者からは大歓迎をされた。
彼らは元々捕鯨に賛成をしていた人たちであり、
彼らから歓迎されたところで捕鯨再開に向けて何の進展もない。
「持続的利用ならOKだと思うけど、日本に獲らせて大丈夫なの?」と
心配している人たちが世界中に居るわけだが、彼らは、
「こいつらは最後の一頭まで駆除という名目で獲り尽くすのではないだろうか?」
とますます不安になったに違いない。
さらに問題なのは、生態系モデルをつかって、クジラ害獣論を主張したことだ。
多少なりとも種間関係を含むモデルを扱った人間なら、
生態系モデルがいかに厄介な代物かを知っているだろう。
パラメータの設定によって、直感と逆の結果も簡単に出てくるのである。
生態系モデルのような大規模なものだと、数字の上では何でも起こりうる。
生態系の中にはほとんど情報がない生物が数多くいる。
商業利用される魚の量すらまともに推定できないのに、
漁業の対象とならない種なんて、情報がほとんど無いのである。
結局、こういう種は適当なパラメータを入れざるを得ないのだが、
この部分をどうするかで、最終的な結果は変わってしまうのである。
パラメータをいじれば、クジラがいることで生態系が安定するという結論だって導けるだろう。
生態系モデルを使い出したら最後、不確実性を巡る泥沼に足を踏み入れることになる。
こうなれば、「アレがわからない、これがわからない、だから調べましょう」と言って、
いくらでも時間を稼ぐことが可能になる。
それが如何に無益かは、新管理方式(New Mamangement Procedure)ので経験済みだろう。
以前提案されたNMPは、ベストな個体数推定値を元に、漁獲枠を決定する方式であった。
科学者委員会では、何がベストな個体数推定値かで揉めて、結局は漁獲枠を出せなかったのである。
個体数を推定する場合にも、様々な不確実性があり、計算の設定を一意的に決めることは出来ない。
日本はできるだけ個体数が増えるような設定を探し、英米はできるだけ個体数が減るような設定を探した。
こういうことをやれば、同じデータを使っても、でてくる結果には大きな差が出てくる。
双方が譲らなければ、何も決まらないのである。
この膠着状態を何とかしようということで、調査データを入力すれば漁獲枠が計算できる方式に変更された。
これが改訂管理方式(Revised Management Procedure)である。
せっかく科学者グループがRMPを完成させて、科学的に漁獲枠を計算できる状況になったのに、
生態系モデルを持ち出せば、もとのグダグダに逆戻りしてしまう。
俺としては、クジラが害獣であるか否かを議論するつもりは全くない。
クジラが害獣かどうかは、科学的には「わからない」というのが正解であろう。
生態系モデルを使ったからと言って白黒は付かないのである。
ただ、生態系モデルの結果を日本から持ち出すのはチョンボだと思う。
あるシンポジウムで、俺が生態系モデルが白黒をつけるツールとしては役に立たないと話したところ、
クジラ害獣論の元となる計算をした岡村さんから、
「世界の流れからして、日本としても生態系モデルは無視できない」というようなコメントをもらった。
俺としても、生態系モデルを無視して良いと思っているわけではない。
反捕鯨陣営が泥沼に持ち込む目的で、生態系モデルを持ち出してくる可能性はある。
現にYodzisなどは、そういう論文を書いているのだから、
日本としても、それに対する防御策を練っておく必要があるだろう。
「パラメータの設定によって結果が大きく変わるから、生態系モデルは信用ならない。
だから、単一種で頑健なRMPをつかいましょう」と言えるように準備しておくべきなのだ。
日本として必要なことは、生態系モデルの泥沼に引きずり込まれないような防御策であって、
自ら生態系モデルをつかって何かを主張することではないのである。
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プロレスには飽きただよ
- 2007-11-12 (月)
- その他
日本は商業捕鯨再開を本気で目指しているとは思えない。
米国の反対を押し切って、商業捕鯨を再開するというのであれば、
捕鯨国のアイスランド、ノルウェーと共同戦線を張る必要がある。
下関までは、日本はこの路線を目指していると思っていた。
その後の、グダグダな展開をみると、どうもそうではないようだ。
日本は鯨肉の輸入をしないことで、同盟関係を破棄しようとしている。
逆に、強硬路線はとらないということであれば、
捕鯨再開は国際世論の変化を待ってからと言うことになる。
国際世論の変化を促すためにも、
風当たりの強い調査捕鯨を続けるべきではない。
ホエールウォッチングのシンボルであるザトウクジラをわざわざ公海で獲って、
反捕鯨陣営を挑発するのは百害あって一利無しだろう。
日本は、捕鯨陣営からも、反捕鯨陣営からも、孤立しつつある。
こういう中でのIWC脱退の示唆は、1933年の国際連盟脱退を彷彿させる。
何のビジョンもないまま、その場しのぎを繰り返し、打つ手が無くなると、自暴自棄。
大本営は、今も昔も行動パターンが同じである。
今の日本のやりかたでは100年たっても捕鯨再開は無理だろう。
日本の行動は、捕鯨再開という目的からは非合理的である。
捕鯨再開は建前であって、本音は別だろう。
IWCで米国と派手に喧嘩をして、国内での捕鯨への世論を高めつつ、
調査捕鯨利権を確保したいのだろう。
俺には、そういう風にしか見えない。
これを邪推だというなら、日本の捕鯨関係者は、
どのようにして商業捕鯨を再開するかというビジョンを示すべきである。
そのためにどれぐらいの時間とお金がかかるかも、併せて示すべきである。
説明責任を一切果たしていない以上、邪推されても仕方がない。
俺個人としては、捕鯨自体には大賛成である。
クジラは持続的に利用可能な資源であり、利用しないのは勿体ない。
だからといって、日本の捕鯨関係者を応援する気には、到底なれない。
やるならちゃんとした戦略に基づいて、真面目にやるべきだし、
やる気がないなら止めるべきである。
日本の捕鯨運動はポーズだけのプロレスである。
捕鯨を再開したノルウェー、アイスランドに比べて、なんと情けないことか。
プロレスとガチンコの見分けも付かずに、
何のリテラシーもなく捕鯨陣営を応援をし続ける人々にも失望している。
ポーズをポーズと見抜けずに、踊らされる人間に支えられて、プロレスは続くだろう。
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商業捕鯨再開への基本戦略
- 2007-11-09 (金)
- その他
この記事には赤字の部分に誤りがあります。正しくは
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2007/11/post_244.html
をご覧ください
日本の基本戦略は、IWCおよび米国との関係をどうするかによって決まる。
1)ノルウェー・アイスランドと共にアメリカ様の許可が無くとも商業捕鯨を復活させる
→南氷洋調査捕鯨を犠牲にしてでも鯨肉を輸入をすべき
2)アメリカ様にはたてつかずに、IWC,CITESの決定に従い、世論の変化を待つ
→南氷洋調査捕鯨とIWC多数派工作は即刻止めるべき
3)IWCを脱退して、沿岸捕鯨で細々とやっていく
→南氷洋調査捕鯨とIWC多数派工作にかかる経費は不要になる
選択肢は少ないはずなのに、日本の捕鯨陣営の戦略は全く見えてこない。
捕鯨陣営の建前(ポーズ)としては1)であるが、実際には鯨肉を禁輸して、
ノルウェー・アイスランドのはしごを外してしまった。
ノルウェーとアイスランドは、IWCの商業捕鯨モラトリアムを留保しているので、
IWCの枠内でも捕鯨をする権利があるわけだ。
日本およびノルウェーはCITESのミンククジラを留保しているので、
取引をすること自体は可能である。
IWCにしても、CITESにせよ、会議としては禁止されていることを、
抜け道を利用して行うわけである程度の非難は覚悟すべきだろう。
ただし、留保という制度が加盟国の正当な権利であると考えると、
鯨肉「販売」によって成り立っている「調査」捕鯨よりはマシだろう。
まあ、50歩100歩というのは間違いない。
日本は国として、鯨肉を輸入をするという姿勢を2006年には示していたわけだ。
一端は輸入に合意 しておいて、相手が捕鯨を再開してから、
はしごを外すのは国としての姿勢に問題があるだろう。
やる気がないなら、先方にもそう言っておけばよいのに。
日本の捕鯨陣営は口先だけで、これらの捕鯨国と共闘していく覚悟があるようには到底思えない。
日本の捕鯨陣営は捕鯨国による新たな商業捕鯨の復活を目指していないのだろう。
一方で、日本は国際的な協調性を重視しているわけでもない。
調査捕鯨に対する国際的な風当たりは、ノルウェー・アイスランドの商業捕鯨の比ではない。
調査と称して、これら両国の商業捕鯨の倍も獲っていれば、当然だろう。
「自衛隊は軍隊ではありません」みたいな詭弁が通用するのは日本人だけである。
国際世論を無視した調査捕鯨が、結果として世界の反捕鯨運動を支えている。
反捕鯨運動はアンチ巨人みたいなものと考えるとわかりやすい。
アンチ巨人は巨人というブランドがあって初めて成り立つわけだ。
日本のプロ野球がメジャーのファームのようになってしまった現状では、
巨人軍というブランドは失墜し、わざわざアンチ巨人をしようという人間は絶滅危惧だ。
それと同じで、日本が反対するから、反捕鯨がパフォーマンスとしての価値をもつ。
世界の反捕鯨運動を支えているのは日本の捕鯨運動、特に調査捕鯨である。
日本がごり押しすればするほど、自然保護団体も米国も集金できて勢いづくわけだ。
日本が「もう公海で捕鯨なんてやんねーよ、バーカ、バーカ」といって引っ込めば、
反捕鯨活動に対する旨みはほとんど無くなり、関心もなくなるだろう。
アメリカ様の心変わりを待つなら、そちらの方が早道だ。
米国が捕鯨容認に回ってから、調査を再開した方が結果として早道だ。
IWCもCITESも米国に支配されているわけで、
これらの枠組みの中で捕鯨を再開するにはグレーゾーンを使う以外にない。
グレーゾーンをつかってでも、早期の商業捕鯨再開を目指すならば、
ノルウェー・アイスランドの鯨肉を輸入して、捕鯨をビジネスの軌道に乗せる必要がある。
一方、グレーゾーンを使わないと言うことであれば、米国の雪解けを待たなければならない。
「調査」捕鯨を強行して、反捕鯨陣営に燃料を投入し続けるようなマネは止めるべきだろう。
俺個人としては、ノルウェーアイスランドと組んで、商業捕鯨の枠組みを再構築して欲しいと思う。
アイスランドはまだ完全に撤退を決めたわけではない。
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1191919991/27n-
ノルウェーも日本の態度を見極めるために、漁業大臣が来日する。
今が、これらの捕鯨国に明確なシグナルを送るラストチャンスであろう。
茨の道を目指さないというのであれば、「調査」捕鯨は止めるべきだろう。
公海での調査捕鯨がある限り、米国の世論は捕鯨容認へとは向かわない。
米国が反対する限り、IWCはもとよりCITESは絶対に動かない。
「国際社会の合意が無い限り、外には獲りに行きません」という態度を明確にした上で、
IWCを一時的に脱退して沿岸捕鯨で一定量を国内供給するのが良いだろう。
牛肉の生産には水が大量に必要になる。
長期的には水資源の問題で牛肉の生産は減るだろう。
代替はクジラぐらいしか見あたらない。
日本が調査捕鯨によって、反捕鯨陣営に燃料を投入し続けない限り、
クジラを利用しようという方向に世界が動くのは時間の問題だと思う。
強硬路線にせよ、雪解け路線にせよ、最大の障害は調査捕鯨である。
日本が調査捕鯨利権にこだわる限り、時計の針は永久に止まったままだろう。
そもそも、商業捕鯨再開のための調査捕鯨だったはずであり、まさに本末転倒である。
日本は基本的な戦略を国際社会に対して明確にした上で、
商業捕鯨再開という大きな目的のために、調査捕鯨を中止する英断が必要だろう。
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「調査」捕鯨に明日はあるか?
- 2007-11-09 (金)
- その他
調査捕鯨は、副産物である鯨肉をうることで費用を捻出している。
大まかに言って、鯨肉販売の利益が50億円で、国からの補助が10億ぐらいかな。
調査捕鯨の資金を捻出するために、鯨肉の価格は非常に高く設定されている。
1kg2~3千円という価格設定のせいで、供給は非常に限定的である。
調査捕鯨の量は増やしたけど、その分値段を下げないと売れないようで、
やっぱり鯨研は火の車という話である。
この状況でノルウェー、アイスランドの鯨肉が安価で入ってきたらどうなるだろう。
ノルウェーなら、赤身が1kgがたったの600円である。
この値段なら、外食、中食を問わず、至る所に鯨肉が顔を出すだろう。
300円の鯨竜田丼だって、登場するかも知れない。
新しい食の選択肢がぐっと増えて、俺のような貧乏人の食生活が少し豊かになるだろう。
その代わり、べらぼうな値段を付けている日本の調査捕鯨の副産物は不良在庫となり、
調査捕鯨は資金的に成り立たなくなるだろう。
この捕鯨利権の問題こそが、いったんは合意した鯨肉の輸入を阻んでいる最大の要因だろう。
米国が反対するのはわかりきっていたわけで、それが理由で変節したわけではないだろう。
また、北大西洋の鯨肉には水銀やPCBの汚染が取りざたされているが、眉唾である。
確かに脂身には汚染物質がたまりやすいが、
アイスランドが輸出しようとしていたのは、汚染が少ない赤身である。
日本近海で獲られている小型鯨類の脂身よりよほど安全であろう。
ノルウェー・アイスランドの安全基準に不備があるなら、
日本から基準を示して対応してもらえば良いだけの話である。
そういう要求を日本側が出したという話は聞いたことがないので、変節理由はここでもないだろう
汚染の実態に関しては、専門分野ではないので、なんともわからんとですたい。
こんど宮崎先生にお目に掛かる機会があったら、その辺を質問してみよう。
今現在、高い金を出して鯨肉をありがたがって食っているのは、中高年のノスタルジーであろう。
値段の価値があるかというと、正直微妙というか価値は無いと思う。
料理の盛り合わせに1品入ってくるようなクジラ肉が美味しかった試しがない。
俺がまた行きたいと思ったのは、札幌の「おばんざい くじら亭」ぐらいだろうか。
今のままでは、鯨食の裾野は広がっていかずに、じり貧だろう。
鯨肉にノスタルジーを感じる世代がいなくなれば、それで終わりである。
これでは文化とは呼べないだろう。
日常的に食べてこそ文化であり、調査捕鯨では鯨食文化は守れない。
逆に日本人が日常的に食べれるほど獲ったら、どう見ても調査ではないだろう。
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時には捕鯨の話をしようか その1
- 2007-11-06 (火)
- その他
捕鯨に対しては多種多様な考え方がある。
クジラは漁業の邪魔をするから駆除すべきだと思っている人もいれば、
クジラは人間の友達だから食べるなんてとんでもないと考える人もいる。
捕鯨運動および反捕鯨運動の両者は、形而上学(宗教)の域に達しており、
話し合うだけ時間の無駄だろう。
IWC総会では、双方が自らの主張を繰り返すだけで全く議論がかみ合っていない。
IWCでいくら議論を重ねたところで、
英米豪が「ごめんなさい、捕鯨をしても良いです」なんて言うわけない。
RMPができる前は「捕鯨には科学的根拠が無い」とか言っておいて、
いざ科学者委員が捕鯨可能という結論を出したとたんに、
あれこれ難癖をつけて科学者委員会の助言を無視をするのである。
最初に結論ありきで、都合がよいときだけ「科学的な根拠」を盾にとり、
都合が悪くなすとさくっと無視する。
水産庁が国内のTAC制度でやっていることと同じである。
日本はIWCで多数派工作をして、捕鯨再開を目指しているようだが、
この線での勝利は望み薄である。
IWCは外交と国際政治力の場所であり、完全に英米が主導権を握っている。
外交力で圧倒的に劣る日本が、そこで勝つのは至難の業である。
下関では惜しいところまで行ったかもしれないが、そこが限界だろう。
向こうが本気で危機感を感じた場合、
政治力を駆使して日本のキーマンを外すことだって可能なのである。
IWCの中でいくらがんばっても、事態は動きそうにない。
追い詰められた日本代表団は、IWC脱退を示唆する発言をした。
IWCは、仮にも国際条約である。
「都合が悪いから脱退して好き勝手やりますよ」なんてことをしたら、
どれほど国際的な非難にさらされるかわからない。
日本は貿易でもっているような国であり、国際協調と信用が重要なのだ。
どうみても、IWC脱退は国益全体からはマイナスである。
IWCを脱退して商業捕鯨を再開するというのは、
日本にとってあり得ない選択であり、脅しにもならない。
むしろ、「もう打つ手がありません」と自ら白状しているようなものだ。
確かに、IWCという枠の中だけで物事を見ていると、事態の打開は難しいだろう。
しかし、実は、今まさに、商業捕鯨再開の決定的なチャンスが到来している。
にもかかわらず、千載一遇のチャンスを逃してしまいそうである。
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失敗を認めることが最大の防御
- 2007-11-03 (土)
- その他
我々はスケトウダラ日本海北部系群を守ることに失敗した。
しかし、その失敗の原因を追及し、対策を講じることで、次のステップへと進みつつある。
1998年級群の過大推定という苦い経験から、漁業とは独立な若齢魚の調査を充実させた。
これによって、漁獲開始までに、年級群の大まかな量が把握できるようになった。
また、資源が減少しきってから漁獲にブレーキをかけるだけの力は我々研究者にはないことも判明した。
そこで、資源が減りきる前に警鐘を鳴らせるように、合意形成のあり方を見直している。
日本海北部系群と同じ失敗は繰り返さないように全力を尽くしている。
我々の資源評価の歴史は、まだ始まったばかりであり、資源評価のノウハウはほとんどない。
今後も、様々な失敗をすることは避けられないだろう。
その失敗と真摯に向き合うことで、資源評価を磨いていくしかないのだ。
1)失敗を認める
2)失敗の原因を特定する
3)同じ失敗を繰り返さないように対策を講じる
この1から3のステップを、外部にオープンに行うことが組織防衛の最良の手段である。
一連の不祥事で様々な企業が袋だたきにあっているが、
国民は不祥事よりも、それを隠してごまかそうとしたことに憤っている。
たとえば、どんな企業であれ、製造業ならリコールはあり得る話である。
ある会社が製品をリコールしたからと言って、バッシングをされたりはしない。
リコールすべきことを知りながら、それを隠して、ごまかそうとした場合に、袋だたきにされるのだ。
資源評価も同じことである。
科学には限界があり、我々が常に正しい資源評価をできるわけではない。
それは、少し考えれば誰にでもわかることであり、
専門家が失敗を認めて、それに向き合っていく姿勢を示せば、有権者の理解は得られるだろう
未だに、失敗を認めたら権威が失われると勘違いしている専門家がいるのは、失笑ものである。
確かに専門家の権威を前面に出して、素人の目をごまかすことは可能ではあるが、
見る人が見れば、この手の嘘は一目瞭然なのだ。
高度な専門知識を持った人間がつっこみを入れだしたら、たちまち窮地に立たされ、逃げ場はない。
このことを、一部の人間は痛いほど実感しているはずである。
去年、ブロック会議が揉めたのも、このあたりの思想の違いが根底にある。
管理課は失敗については一切書かないことで、外部からの批判の芽を摘もうとした。
失敗を隠蔽すれば、数年は安泰かもしれないが、ばれたときにただではすまされない。
腹を切るのは水研の担当者だろうから、管理課的には知ったこっちゃ無いのかもしれない。
また、失敗をうやむやにし続ければ、太平洋系群でも日本海北部系群と同じ過ちを繰り返すだろう。
一方、俺は、失敗についてきちんと認めて、対策を明記することで、批判の芽を摘もうとした。
失敗と向き合うプロセスをしっかりと公開していくことで、
資源評価が改善されるばかりでなく、社会の批判からも守られるのである。
俺は北海道ブロックの資源評価が、自らの失敗を率直に認めた上で、
原因と対策についてオープンに話し合えるような場であって欲しいと願っている。
まだまだ不十分な点は多いが、全体としては良い方向に向かっていると思うし、
その中で自分が重要な役割を果たせたことを誇りに思う。
ただ、一つお小言を言わせてもらうと、
俺は水試が出してくる「ここだけの丸秘情報」というのが、実に気に食わない。
資料に残せないような情報でABCを決めたら、部外者に説明しようがないじゃないか。
後で、資源評価の結果が問題になったときに、説明責任が果たせなければ、
ボコボコにたたかれても仕方がないだろう。
安全のために、資源評価票に書けないような情報は使わない方が良い。
資源評価に必要な情報であれば、公開できるように手を尽くしてほしい。
それが、資源評価の信頼を高めて、自らを守る最良の方法なのである。
何でも隠しておけば安心という時代は終わった。
これからは、オープンにしておくことが最大の防御なのである。
このことを水産業界の人間は全然わかっていない。
今のまま何でも隠しておけば安心と思っていると、
社会保険庁のように袋だたきにされる日がやがて来るだろう。
Xデーはそう遠くないよ。
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スケトウダラのおもひ出 その6
卓越年級群を未成熟のうちに取り尽くしたことがわかって、
「まあ大変」という状況で、俺が北海道に呼ばれたのだった。
その時点では、資源的にはまだ間に合ったが、漁業的には手遅れだったと思う。
この資源は90年代から減り始めたが、
漁獲量の削減が真剣に議論されるのは、ほんの数年前。
誰の目から見ても資源の枯渇が明らかになってからである。
この状態になると、漁業経営は苦しくなっており、
漁獲を控えめに減らすのはすでにできない相談である。
年収800万が400万になるのと、
年収400万が200万になるのでは、話がぜんぜん違う。
すでに厳しい状況でさらに減らすというのは無理だろう。
資源が減れば減るほど、漁業者から漁獲枠を上げるようにプレッシャーが強まり、
TACはABCから乖離していく。
研究者もまた、ABCを増やすことで、漁業者に迎合してきた。
スケトウダラ日本海北部系群の管理目標は、毎年、下方修正されている。
平16年度:2014年度の親魚量が184千トンを上回る
平17年度:2021年度の親魚量が184千トンを上回る
平18年度:2026年度の親魚量が 85千トンを上回る
平19年度:2027年度の親魚量が 55千トンを上回る
管理目標を下方修正すれば、当面のABCを水増しできる。
その年の合意形成はやりやすくなるかもしれないが、
資源状態が悪化するほど、高い漁獲率を許すのは資源管理ではない。
平成17年から平成18年にかけて大幅な目標修正があった。
管理目標が資源回復ではなく現状維持に変わったのだ。
資源が良い状態に回復したなら、現状維持に目標を変えても良いかもしれないが、
資源が減っている中で目標を現状維持に変えるのは好ましくない。
また、資源管理に一貫性をもたせるためには、平成19年度の管理目標は、
平成18年度の目標(2026年度当初のSSBが85千トンを上回る)をそのまま利用すべきである。
資源が減ればそれだけ目標水準を減らしていたら、いつまでたっても漁獲にブレーキはかからない。
このように資源が減るたびに目標を下方修正していけば、
一見、管理をしているように見えて、資源はどこまでもずるずる減っていく。
前に進んでいるように見えて、後ろに進むムーンウォークのようなものである。
(やっぱり、マイケルの動きはキレがちがうね!)
この資源を持続的に利用するうえでの本当の勝負所は、90年代中頃だっただろう。
卓越がでなくて、資源が減ってきたことは実感としてあったと思う。
この時代には、まだがんばれば獲れたが、ここで漁獲量を減らすべきだった。
がんばっても獲れなくなってからでは遅いのだ。
そして、1998年級群を未成熟で獲らずに産卵をさせていたら、
今頃、全く違う展開になっていただろう。
スケトウダラ北部日本海系群は獲らなくても減るような資源ではない。
適切な時期に適切な漁獲量まで減らしていたら、今後も持続的に利用できたはずだ。
産・官・学が強固なスクラムを組んで、問題を先送りすることで、
雪だるま式に問題を深刻化させて、
ついには解決不可能にしてしまったのである。
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スケトウダラのおもひ出 その5
卓越年級群の過大推定に関して、水研を責めるつもりはない。
誰がやっても不可避であっただろう。
資源評価など全く無視して、獲りたい放題の現状では、実質的な影響は軽微である。
たとえ、資源評価が正確であったとしても、同じように獲っただろう。
ただ、資源評価の問題点が明らかになった以上、
同じ過ちを犯さないように対策を練る必要がある。
大切なことは、失敗を認めて、原因を解明し、対策を練ることである。
平成18年の評価票には、次のように明記されている。
2003~2004年度の評価においては、資源動向が横ばいあるいは増加と、他の年とは異なる判断をしており、またこの期間に算出されたABCおよび過去の再評価結果の全てが、その後の資源状態の好転を予想した上で非常に高いABCを提示している(八吹 2003、2004)。これらの数値は、結果的に実漁獲量を上回った。これは、当時の1998年級群の好漁の結果、同年級豊度の評価を実際よりもかなり高く見積もり、その後の資源を支え、回復させる効果を過大に期待したことが原因であった。一方、2005年度以降の評価では、1998年級群の好漁が続かなくなり、当初想定したほど年級豊度が高くないと予想が修正されたこと、および2002年度漁期に、先の楽観的な資源予測の下で1998年級群を中心に獲り減らしてしまったことに伴い、資源状況およびABCの見積もり(過去の再評価、再々評価を含む)は大きく減少し、ABCは1万トン台で推移している(八吹 2005、本田ほか 2006)。なお、2005年度の実漁獲量はABCを上回った。
もちろん2003~2004年度の評価においても、当時使用しうる全ての情報を用いた上で、当時としては最適な評価を実施しており、1998年級群が当時想定したほど大きな年級群では無かったことは、当時の調査、研究技術の下では予見することが出来ず、当時の評価技術の限界によるものであった。これらを踏まえ、出来るだけ早い(若い)段階で年級豊度を正確に把握し、早急かつ適切に資源解析・評価に反映させることが必要となる。現在それを目的として、仔稚魚・若齢魚を対象とした計量魚探調査など、漁業情報と独立した調査の実施と情報の収集に取り組んでいるところである。
1998年級群の過大推定と資源評価の限界を認めた上で、
漁業情報と独立した調査の実施と情報の収集に取り組みを始めたのだ。
下の図は水試が行っている稚魚の調査結果である。
上が計量魚群探知機の調査で、下がトロールによる採取量を示したものである。
水研も時期をずらして同様の調査を行い、その結果を共有している。 *1
これらの調査によって、分布域のほとんどを網羅しているので、
漁業開始前に年級群の情報が得られるようになった。
現在、これらの調査結果は漁業者からも評価されているようである。
1998年級群の過大推定という失敗を経て、北海道の資源評価は進歩した。
再び同じ失敗を起こさないような体制が整いつつある。
最近、じりじりと減少しているスケトウダラ太平洋系群に卓越が発生したとしても、
北部日本海系群の1998年級群のような過ちは犯さないであろう。
これはきちんと失敗に向き合ったからである。
日本における資源評価の歴史は短いし、十分なノウハウはない。
だから、不可避な失敗は山ほどあるだろう。
失敗に向き合う姿勢があれば、それをヒントに資源評価を改善していくことができる。
失敗事例というのは、貴重な財産なのである。
日本の水産業界には、失敗に向き合う姿勢が欠如している。
現在の日本の水産業はすごい勢いで衰退しており、問題があることは明らかである。
役所も漁業者も、何でもかんでも鯨や海洋環境のせいにして、
自分たちの責任をうやむやにすることしか考えていない。
この無責任体質によって、漁業がどこまでも廃れていくのである。
*1 公開当時は、「これは水研の調査だが、水試も同様の調査を独自に行い
と記述しておりましたが、上の図は水試の調査の結果でした。
メールにて指摘をいただいたので、10月30日に訂正しました。
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スケトウダラのおもひで その4
先のエントリで、卓越年級群を過大評価するプロセスについて説明したが、
平成15年と平成18年の評価表を元に、どれぐらい過大評価したかを検証しよう。
|
平15評価 |
平18評価 |
過去5年 |
2歳 |
0.029 |
0.059 |
0.020 |
3歳 |
0.090 |
0.200 |
0.082 |
4歳 |
0.121 |
0.513 |
0.137 |
平成15年と平成18年の評価表より、卓越年級群が2~4歳で経験した漁獲係数(F)を抜粋した。
平成15年の時点では、Fをかなり過小推定していたことがわかる。
最後のカラムに、平18の評価表の卓越年級群より前の5年のFの平均値を示した。
これは平成15年の評価でのFの推定値と近い。
平成15年の時点で、卓越発生前のFはそれなりの精度で推定できていたのだ。
そして、卓越を漁業者が選択的に利用するということが織り込まずに、
そのFを資源評価に使ってしまった。
Fが過小推定されると、資源量は過大推定される。
大まかに言って、Fが半分になると、資源量は倍程度に推定される。
平成14年の資源評価では、
2歳魚で9.1億尾、2001年度には3歳魚で6.6億尾
平成15年の評価表には、
1998年級群が、2000~2002年度に2~4歳で、それぞれ8.4億尾、6.1億尾、4.3億尾と算定され、
とあるが、実際は4.1億尾、2.9億尾、1.8億尾であったことがわかってる。
|
平14評価 |
平15評価 |
平18評価 |
2歳 |
9.1億尾 |
8.4億尾 |
4.1億尾 |
3歳 |
6.6億尾 |
6.1億尾 |
2.9億尾 |
4歳 |
|
4.3億尾 |
1.8億尾 |
これが現在の資源評価の限界である。
だから、低水準資源の卓越年級群は細心の注意を持って、
成熟年齢まで保護しないといけない。
これは鉄則なので、ルールとして明記しておくべきだろう。
アンチ資源管理陣営は、資源評価が不確実だから、
資源管理などやめて漁業者は好きなだけ獲って良いと主張するが、
それがとんでもない暴論であることはいうまでもない。
不確実な段階で利用しなければ良いだけの話である。
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