国益という観点から、
水産行政のあり方を根本的に問い直す必要がある。
現在の国益は、食料の安定供給である。
そのためには生物資源の持続性を維持することが不可欠だ。
現在の漁業は、資源を持続的に利用しておらず、国益に反している。
にもかかわらず、大量の税金が漁業に投入されている
(漁業者のもとに届いていないという別の大問題もあるが、、、)。
対価は受け取るが、サービスは提供しないでは通用しない。
選択肢としては、対価を受け取るのを止めるか、
サービスをちゃんと提供するかの二者択一だろう。
産業と国益の関係を、根本的に問い直す必要がある。
漁業は、国益に答える義務を負う覚悟があるか?
国民は、漁業に国益の対価を払う合意があるか?
そのことを問い直す必要があるだろう。
現在の一般会計は、年間1800億円→国民一人あたり1500円
特別会計もいれると、その数倍にふくれあがるはずだが、詳細が不明。
3000円~6000円の範囲に収まるだろう。
俺の個人的意見をいうと、
魚をこれからも食べ続けることができるなら、
これぐらいの出費は全然惜しいと思わない。
1)漁業は国益に応えて、納税者はその対価を払う
国民全体で水産物安定供給のための費用を捻出する以上、
漁業者には資源を持続的に有効利用する義務が生じる。
「俺たちの生活がかかっているんだから、部外者はつべこべ言うな」とか、
「魚をどこまで減らしても漁業者の勝手でしょ?」という言い分は通用しない。
漁業者には乱獲をしたり、資源を枯渇させる権利が無くなるのだ。
現在の科学水準では、適切と思われる漁獲を行っていても、
資源が枯渇したり、経営が立ちゆかなくなったりする場合が必ず出てくる。
そういった場合に、漁業者が乱獲も首つりもしないで済むような仕組みが必要だ。
現在、公共事業に使っている予算の10%も回せば楽勝だろう。
2)漁業は国益には縛られず、納税者から対価を受け取らない
水産資源は、漁業者の私有物であり、
生かすも殺すも漁業者の勝手という考え方。
経営が厳しくなれば、勝手に乱獲をすればよく、
資源が枯渇すれば勝手に廃業すればよい。
現在の漁業はそんな感じだろう。
無秩序な自由競争の元では漁業という産業は確実に衰退する。
競争→過剰投資→資源枯渇→産業の荒廃
というコンボは共有地の悲劇として古くから知られている。
全体の利益を確保するためには、抜け駆けを防ぐ権力が必要になる。
その役をすべき水産庁が、全く機能していない。
だから、日本で資源管理がそれなりに上手くいくのは、
比較的小規模な浜で生産性の高い資源を占有している場合に限られる。
秋田のハタハタ、伊勢湾のイカナゴ、京都のズワイガニのような
一部の地域性の高い資源だけが残っても、日本の漁業に未来はないだろう。
この方向を選ぶなら、将来の水産物の供給は輸入に頼ることになるだろう。
また、EEZ内の生物資源を持続的に有効利用する義務が明記されている
国連海洋法条約を破棄するのが筋だろう。
日本漁業はどちらを選択するのだろう?
常識的に考えて、後者を公式に選ぶというのはあり得ないだろう。
国際社会に向けて、「日本は無責任な国内漁業を支持します!」
などというのは無理だ。
かといって、水産基本計画を見る限り、資源を管理する気はなさそうだ。
「食糧供給を安定させます」と外部には言っておいて、
実際の漁業は無秩序なままでもよいと思っているだろう。
その見通しはズバリ甘すぎる。今後の展開を予想してみよう。
水産庁が現状のままであれば、漁業はじり貧を続けるだろう。
国家財政が厳しい中で、縮小する産業への予算は削られ続けるだろう。
資源低迷→漁業生産低下→水産業衰退→予算削減→食料庁水産課
サプライズ人事&早速の不祥事などから、別の芽も出てきた。
トップが大失策→農水省不要論→農水省解体が行政改革の目玉に→水産庁消滅
現在のスタイルを維持したところで、現状は維持できない。
結果として、漁業に関係する全てのセクションが縮小の方向に進んでいくだろう。
漁業者にとっても、国民にとっても、役人にとっても、良い選択だとは思えない。
一方、資源管理を選んだ場合、最初は厳しいが、長期的にはバラ色の未来が待っている。
管理徹底→漁獲減→資源回復→漁獲増→漁業者ウハウハ→国民満足→海洋省誕生
日本の沿岸の生物生産力はまだまだ高い。
やりようによっては、持続的な漁獲量を倍増させることも可能なのだ。
長期的視野から、合理的に問題を整理していけば、
長い目で見て、みんなが幸せになる方向はある。