スケトウダラ Archive
スケトウダラのおもひ出 その5
卓越年級群の過大推定に関して、水研を責めるつもりはない。
誰がやっても不可避であっただろう。
資源評価など全く無視して、獲りたい放題の現状では、実質的な影響は軽微である。
たとえ、資源評価が正確であったとしても、同じように獲っただろう。
ただ、資源評価の問題点が明らかになった以上、
同じ過ちを犯さないように対策を練る必要がある。
大切なことは、失敗を認めて、原因を解明し、対策を練ることである。
平成18年の評価票には、次のように明記されている。
2003~2004年度の評価においては、資源動向が横ばいあるいは増加と、他の年とは異なる判断をしており、またこの期間に算出されたABCおよび過去の再評価結果の全てが、その後の資源状態の好転を予想した上で非常に高いABCを提示している(八吹 2003、2004)。これらの数値は、結果的に実漁獲量を上回った。これは、当時の1998年級群の好漁の結果、同年級豊度の評価を実際よりもかなり高く見積もり、その後の資源を支え、回復させる効果を過大に期待したことが原因であった。一方、2005年度以降の評価では、1998年級群の好漁が続かなくなり、当初想定したほど年級豊度が高くないと予想が修正されたこと、および2002年度漁期に、先の楽観的な資源予測の下で1998年級群を中心に獲り減らしてしまったことに伴い、資源状況およびABCの見積もり(過去の再評価、再々評価を含む)は大きく減少し、ABCは1万トン台で推移している(八吹 2005、本田ほか 2006)。なお、2005年度の実漁獲量はABCを上回った。
もちろん2003~2004年度の評価においても、当時使用しうる全ての情報を用いた上で、当時としては最適な評価を実施しており、1998年級群が当時想定したほど大きな年級群では無かったことは、当時の調査、研究技術の下では予見することが出来ず、当時の評価技術の限界によるものであった。これらを踏まえ、出来るだけ早い(若い)段階で年級豊度を正確に把握し、早急かつ適切に資源解析・評価に反映させることが必要となる。現在それを目的として、仔稚魚・若齢魚を対象とした計量魚探調査など、漁業情報と独立した調査の実施と情報の収集に取り組んでいるところである。
1998年級群の過大推定と資源評価の限界を認めた上で、
漁業情報と独立した調査の実施と情報の収集に取り組みを始めたのだ。
下の図は水試が行っている稚魚の調査結果である。
上が計量魚群探知機の調査で、下がトロールによる採取量を示したものである。
水研も時期をずらして同様の調査を行い、その結果を共有している。 *1
これらの調査によって、分布域のほとんどを網羅しているので、
漁業開始前に年級群の情報が得られるようになった。
現在、これらの調査結果は漁業者からも評価されているようである。
1998年級群の過大推定という失敗を経て、北海道の資源評価は進歩した。
再び同じ失敗を起こさないような体制が整いつつある。
最近、じりじりと減少しているスケトウダラ太平洋系群に卓越が発生したとしても、
北部日本海系群の1998年級群のような過ちは犯さないであろう。
これはきちんと失敗に向き合ったからである。
日本における資源評価の歴史は短いし、十分なノウハウはない。
だから、不可避な失敗は山ほどあるだろう。
失敗に向き合う姿勢があれば、それをヒントに資源評価を改善していくことができる。
失敗事例というのは、貴重な財産なのである。
日本の水産業界には、失敗に向き合う姿勢が欠如している。
現在の日本の水産業はすごい勢いで衰退しており、問題があることは明らかである。
役所も漁業者も、何でもかんでも鯨や海洋環境のせいにして、
自分たちの責任をうやむやにすることしか考えていない。
この無責任体質によって、漁業がどこまでも廃れていくのである。
*1 公開当時は、「これは水研の調査だが、水試も同様の調査を独自に行い
と記述しておりましたが、上の図は水試の調査の結果でした。
メールにて指摘をいただいたので、10月30日に訂正しました。
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スケトウダラのおもひで その4
先のエントリで、卓越年級群を過大評価するプロセスについて説明したが、
平成15年と平成18年の評価表を元に、どれぐらい過大評価したかを検証しよう。
|
平15評価 |
平18評価 |
過去5年 |
2歳 |
0.029 |
0.059 |
0.020 |
3歳 |
0.090 |
0.200 |
0.082 |
4歳 |
0.121 |
0.513 |
0.137 |
平成15年と平成18年の評価表より、卓越年級群が2~4歳で経験した漁獲係数(F)を抜粋した。
平成15年の時点では、Fをかなり過小推定していたことがわかる。
最後のカラムに、平18の評価表の卓越年級群より前の5年のFの平均値を示した。
これは平成15年の評価でのFの推定値と近い。
平成15年の時点で、卓越発生前のFはそれなりの精度で推定できていたのだ。
そして、卓越を漁業者が選択的に利用するということが織り込まずに、
そのFを資源評価に使ってしまった。
Fが過小推定されると、資源量は過大推定される。
大まかに言って、Fが半分になると、資源量は倍程度に推定される。
平成14年の資源評価では、
2歳魚で9.1億尾、2001年度には3歳魚で6.6億尾
平成15年の評価表には、
1998年級群が、2000~2002年度に2~4歳で、それぞれ8.4億尾、6.1億尾、4.3億尾と算定され、
とあるが、実際は4.1億尾、2.9億尾、1.8億尾であったことがわかってる。
|
平14評価 |
平15評価 |
平18評価 |
2歳 |
9.1億尾 |
8.4億尾 |
4.1億尾 |
3歳 |
6.6億尾 |
6.1億尾 |
2.9億尾 |
4歳 |
|
4.3億尾 |
1.8億尾 |
これが現在の資源評価の限界である。
だから、低水準資源の卓越年級群は細心の注意を持って、
成熟年齢まで保護しないといけない。
これは鉄則なので、ルールとして明記しておくべきだろう。
アンチ資源管理陣営は、資源評価が不確実だから、
資源管理などやめて漁業者は好きなだけ獲って良いと主張するが、
それがとんでもない暴論であることはいうまでもない。
不確実な段階で利用しなければ良いだけの話である。
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スケトウダラ北部日本海系群のおもひ出 その3
スケトウダラ日本海北部系群に関しては、研究者側にも大チョンボがあった。
そのことはきちんと書き示しておくべきだろう。
1998年は10年ぶりの卓越年級群であり、世紀末救世主と目されていた。
漁業者は、この年級群が漁獲対象になるのを指折り数えて待っていたわけだ。
主に沖合底引きと沿岸延縄の2つのグループがこの資源を利用している。
沖底は、大陸棚でえさを食べている群れを狙うので、未成熟も成熟も獲れる。
沿岸は産卵場に戻ってきた成熟個体をターゲットにするので、未成魚はとれない。
まずは、2000年に未成魚の段階で沖底が漁獲を開始した。
期待された卓越年級群だけあり、当初は調な水揚げであった。
「次は俺たちの番だ」と、沿岸漁業者の期待も高まった。
しかし、ふたを開けてみれば成熟までにとりつくしてしまい、
資源の回復には全く寄与しなかったのである。
日本ではありがちなパターンである。
資源評価の精度が悪いというのは、まあ、皆さんご存じの通りだが、
特に精度が悪いのが最近年の若齢魚である。
一般的な資源評価では、過去の年齢別の漁獲尾数を元に資源量を推定する。
漁獲を繰り返すうちに、推定精度は上がっていくが、
若齢魚は肝心な漁獲のデータが少ないので、推定値は大きくぶれることになる。
さらに、これが卓越年級群だったりすると、推定精度はさらに悲惨になる。
他の年級群との漁獲量の比から、それぞれの年級群の大きさを推定するのだが、
資源が低水準で卓越が出た場合、周りの年級とは桁が違うので比較が困難である。
周りに低い家ばかりのところに高いビルが1つだけあるようなものである。
推定精度はさらに落ちることになる。
また、コホート解析では過去の平均的な漁獲パターンを仮定して最近年の計算をする。
実際には、漁業者は卓越年級群を狙って操業するため、
卓越年級群は普通の年級群よりも強い漁獲圧にさらされる傾向がある。
結果として、卓越年級群は過大推定をされることになる。
後からわかった年齢別の漁獲死亡係数はこのようになる。
赤で囲んだ部分が1998年生まれが2~4歳で経験した漁獲圧である。
漁業者が狙うので、他の年級群より高い漁獲圧にさらされていたことがわかる。
1998年級群は、2000~2002年度に2~4歳で多く獲れた。
確かに、年級群として多かったこともあるが、
それ以上に漁業者ががんばって獲った効果が大きかったのである。
当時の資源評価は、漁獲量だけをみていたので、
たくさん獲れる→たくさんいる→もっと獲ってOK
となってしまった。
2002年には、わざわざ期中改訂をして、未成魚の漁獲を促したのである。
で、ふたを開けてみたら、例年並みにしか残っていなかったのである。
待望の卓越年級群が、自分たちの漁場に来る前に獲り尽くされてしまった
沿岸漁業者の心境は察するにあまりある。
資源が低水準のときに発生した卓越年級群は、
推定精度が低い上に、過大推定しやすい。
これは現在の資源評価手法の構造的な問題点である。
低水準資源に卓越が発生した場合、若齢から積極的に獲るべきではない。
獲らなかった魚は後で捕ればよいが、捕った魚はもう戻せないのだ。
1日でも早く獲りたいのは漁業者の常であるが、
ほとんどの場合、大きくしてから獲った方が儲かる。
また、低水準資源を回復させるためには、資源を回復させなくてはならない。
長い目で見て、未成熟の段階から利用するメリットはほとんどないのである。
低水準資源の場合は、卓越が発生しても、
未成魚の漁獲は例年並みの漁獲量にとどめるべきである。
最低でも1回は産卵をさせてから、積極的な利用を開始すべきである。
こういう獲り方をしていれば、
1998年級群を次世代に結びつけられたはずだ。
また、卓越年級群を、沿岸と沖合で公平に利用できたはずである。
現在の資源評価の精度は決して高くはないが、
そのことを肝に銘じた上でリスクを回避するように心がければ、
資源管理は十分に可能である。
2000-2002年に、研究者が犯した過ちは、資源量の過大推定よりもむしろ、
過大推定をする可能性を考慮せずに、安易に高い漁獲圧を認めたことである。
不確実性を勘定に入れた上で、リスクを回避しなかったことが失敗の本質である。
不確実性ではなく、リスク管理に失敗したのである。
資源管理ができないことを資源評価誤差のせいにしているかぎり、
同じ失敗を繰り返すだろう。
資源が低水準なときに、虎の子の卓越年級群を
未成熟なうちにがんがん獲るような愚行は絶対に避けないといけない。
今、まさにこれと同じことをしようとしているのがマサバ太平洋系群だ。
現在のマサバ太平洋系群は、当時のスケトウダラと非常に近い状況にある。
資源量は低水準で、2007年級群は卓越である可能性が高い。
北まき&茨城水試は、0歳が卓越だから、TACを増やせと声高に主張している。
はっきり言って、今の段階で0歳魚の絶対量などわかるはずがない。
それを担保に漁獲を増やすのは危険すぎる。
もし、思ったよりも0歳魚がいなかったら、
もし、思った以上に獲りすぎてしまったら、
せっかく回復しつつある資源をもとの水準までたたき落とすことになる。
92年、96年と2回も卓越を未成熟のうちに取り尽くし、資源回復の芽を摘んできた。
それでも、なお、卓越が発生したとわかると同時に0歳から巻こうとする。
北まきと茨城水試は90年代の失敗から何も学んでいないのである。
もし、小サバの中国輸出で07年級群をつぶしたら、
「日本の海の幸を中国に切り売りする売国漁業」として後ろ指を指されるだろう。
マサバ太平洋系群はいまだに低水準なのだから、
卓越が発生したとしても未成魚の多獲は控えるべきである。
少なくとも1度は卵を産ませてから利用すべきだ。
スケトウダラの失敗を経験した人間の一人として、
マサバ太平洋系群の07年級の未成魚の漁獲を諫めないといけない。
それが、見殺しにされたスケトウダラ日本海北部系群へのせめてもの供養である。
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スケトウダラ北部日本海系群のおもひ出 その2
04年当時を振り返ると、全体的に危機感が無かったと思う。
本気でやばいと思っていたのは、魚種担当者と俺ぐらいだろう。
ほとんどの関係者は、漁業者が望むようなABCを出す事が自らの使命だと考えており、
「漁業者には生活がかかっているのに、
空気の読めない研究者が悲観的な数字を出してきて迷惑だ」という雰囲気だった。
俺が「この魚を捕るべきではない」といくら力説しても、
なんの反論もないまま、なし崩し的にABCが増えてしまった。
道の役人が「我々は漁業者の生活のためにTACを増やすよう働きかけます」とか
宣言していたのには、呆れかえってしまった。
この手のホワイトナイトたちが、「漁業者を救うため」にTACを水増していった。
漁業者のいうままにTACを増やしても、「漁業者を救う」ことにはならない。
このままでは、漁業者の生活が失われる可能性が濃厚なのだが、
その原因は、資源の持続性を蔑ろにして、過剰なTACを設定したせいである。
目先の利益を確保するために非持続的な漁獲を続けた漁業者と、
漁業者に言われるままにTACを増やした役人が、
資源をつぶし、漁業をつぶし、地域コミュニティーを破壊したのである。
北海道に限った話ではないが、漁業者は常に被害者意識が強い。
自分たちが利用した資源を、次世代にちゃんと残すのは漁業従事者の最低限の義務である。
その当然の義務を果たせと言われただけで、被害者面して大騒ぎをする。
自分たちは、理不尽な規制に苦しめられる哀れな存在だと声だかに主張し、
俺のような、いたいけな研究者を「漁業の敵」としてやり玉に挙げるのである。
たしかに、世界には、厳しい管理の犠牲となった漁業者が存在するのだが、
日本は資源管理に極めて消極的な国である。
国内に、資源管理が不必要に厳しすぎて漁業が滅びた事例など、無いだろう。
日本の場合は、乱獲で資源が枯渇した結果として、漁業が自滅しているのである。
自らの短期的な利益の代償として、共有財産の水産資源をつぶしたのだから、
漁業者は被害者ではなく、加害者である。
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スケトウダラ北部日本海系群のおもひ出
俺が北海道の資源評価に参戦したのは2004年、
期待されていた卓越年級群を未成熟のうちに獲りきっていたことが判明した年である。
水研担当者が出したabcは、業界には到底受け入れられない厳しい値だった。
abcの値を巡って、壮絶な戦いが繰り広げられた。
おれは、前年の評価票に目を通して、この資源は非常にやばいと直感した。
過去の資源崩壊の事例とかなり近いのだ。
産卵場の漁場が縮小しているが、中央部でしか獲れていない。
これは親魚の減少を示唆するものである。
縁辺部の産卵場の久遠は消滅、上の国は半減。
一方、産卵場中心の乙部ではそれなりに獲れている。
「乙部で獲れているから、この資源は減ってない」というのが沿岸漁業者のより所であった。
しかし、産卵場の縁辺部が消失していくのは資源低下の典型的な症状なのだ。
繁殖を行う際には、ある程度の密度が必要になる。
そこで、資源が減少をしても、産卵場中央での密度は減少しない。
そのかわり、縁辺部での産卵が無くなるのである。
実際に、ニューファンドランドのコッドでは、崩壊前年まで産卵場の中心では良く獲れた。
みんなが産卵場の中心に取りに行くから、量としてはそれなりに獲れてしまう。
だから、漁獲量だけ見ていると、資源の減少は把握できなかった。
産卵場を対象とする漁業で、資源の状態を把握するには、漁場の分布を見るべきなのである。
当時の資源評価はCPUEに全面的に依存していた。
スケトウダラの資源評価はニューファンドランドのコッドと似たような事をやっており、
資源状態はもっと酷い可能性が高い(ふたを開けてみれば、実際にそうだった)。
この話をした後で、今の資源評価は甘過ぎで、
最悪の場合、数年後にいなくなるかも知れないと力説した。
産卵場の縁辺部が消滅しているというのは漁業者の実感としてあったのだろう。
通夜状態になってしまった。
俺の意見は、ABCLimit(=tac)8千トン。
その前日に、ある漁業者に「生活がぎりぎり成り立つ漁獲量はどの程度か?」ときいたところ、
「8千トンは必要」という返事が返ってきた。
俺的にはこの水準まで、実際の漁獲を減らすべきだと思った。
その上で、次の漁期に産卵場周辺の分布調査を綿密にやるべきだと主張した。
もし、中心部にしかいなければ、禁漁に近い措置を執るべきだし、
漁業者が主張するように沢山いるなら期中改定をすればよい。
獲らなかった魚は後で獲ればよいが、獲った魚は戻せないのである。
スケトウダラのような寿命の長い魚は、獲るのが1年遅れたぐらいでいなくなることはない。
実際にどうなったかというと、ABCLimit 15千トン、ABCTarget12千トンに対し、
TAC 36千トン、実際の漁獲量14.8千トンであった。
せめてABCを8千トンまで減らせればとも思ったが、どうせTACは2万トンぐらいになり、
実質的な漁獲量の抑制には繋がらなかっただろう。
この段階で8千トンまで漁獲量を減らせていたら、資源も漁業も生き残れたと思う。
残念なことに、骨抜きTAC制度のもとで、漁獲量にブレーキをかけるのは無理だった。
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失敗を次に活かすのが敗者の義務
スケトウダラ日本海系群については、漁業を緊急停止して、
資源だけでも次世代に残すべきだと思う。
しかし、それは出来ない相談のようだ。
漁業者だってカスミをくって生きていけるわけではないし、北海道も金なさげ。
資源回復計画で、禁漁に近い措置がとれるかどうかが最後の期待だったが、
でてきたのが努力量の1割削減という時点で、アウトだろう。
俺が北海道の資源評価に参加した2004年が、
この漁業を存続させるための最後の勝負所だったとおもう。
すったもんだの議論をした上で、なぜか大甘なABCになり、
さらに輪をかけてダメなtacが設定された時点で負けだった。
俺としても、所詮はABC止まりという、研究者の限界を思い知らされた。
資源管理という意味では、完全な失敗。
これ以上ないぐらいの惨敗だ。
時計の針を戻すことはできないし、この漁業を守る手段は俺にはない。
だからといって、クジラだとか、海洋環境だとか、予算不足だとか、
そういう外部要因に責任転嫁して溜飲を下げればよいというものではない。
歴史を遡って、管理の失敗点を明らかに下上で、
スケトウダラ日本海系群の失敗を教訓を他の漁業へ活かすべきだ。
これがスケトウダラ日本海系群に関わった研究者の義務である。
俺が最も骨身にしみた教訓は、
「減ってからだと、何もできない」
「平常時(減る前)の準備で勝負は決まる」
「卓越年級群に過度な期待は禁物」
ということだ。
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減ってから、管理をしようとしても手遅れ
資源を酷く減らさないと自主管理ができないというのは、大問題である。
漁業を停止しても利益が出なくなるほど減ってしまってからだと、
実際には手遅れな場合がほとんどだ。
資源管理は、そもそも資源が減る前に導入すべきものなのだ。
俺がこのことを実感したのは、スケトウダラ日本海系群。
スケトウダラのabcに関わったものの一人として、
この資源のことはちゃんとまとめないとイカンと思いつつ、時間ばかりが過ぎていく。
これは、19年度の資源評価なのだが、半端なくやばい。
すぐに禁漁にすべきだが、そうもいかない事情がある。
この資源を利用している沿岸漁業の浜は、ほぼスケトウダラの漁業でもっているようなもの。
他に獲るものがないので、スケトウダラを獲らなければ経営が成り立たない。
しかし、スケトウダラ資源が無くなったら、村の存続自体が危ういのである。
まさに、抜き差しならぬ状態にあるのだ。
残された選択肢は2つしか無い。
1)そのまま漁業を続けて、数年後に資源をつぶして漁業も消滅
2)すぐに漁業をやめて、資源の回復を待つ
すでに漁業者に方向転換をする体力はない。
社会がサポートしなければ、資源の枯渇→漁業の崩壊→地域コミュニティーの壊滅となるだろう。
この厳しい状況で、ようやくスケトウダラ日本海系群の資源回復計画が動き出した。
管理課が頑張って予算を取ってきてくれたのはわかるし、有り難いことだと思う。
が、今の計画では努力量を1割しか削減できない。
これでは、焼け石に水だ。
今必要な措置は漁獲停止である。
努力量の削減なら、9割5分ぐらい減らさないと駄目だ。
それには莫大な公的資金が必要になるが、それだけの投資価値があるだろうか?
「減っていない、まだ獲れる」と言い張って、獲り続けたのは、漁業者自身であり、
それを税金で救済するのは社会的合意が得られないだろう。
漁業を存続させるためには、漁業を停止して、資源の回復を待つしかない。
しかし、それは既に出来ない相談なのだ。
このままずるすると漁獲を続けて、
数年の猶予の代わりに漁業の未来は閉ざされるだろう。
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今日は、内部検討会です
今日は、スケトウダラの内部検討会です。
内容は非公開なので詳しくは書けません。
今年のブロック会議は、もめないで済むと良いのですね。
去年同様、声の大きさで勝負するなら負ける気はしませんが・・・
そういえば、今のブログに移行したのが、
ちょうど去年の内部検討会の頃だったわけですが、
密度が濃い一年でした。
情報発信と社会貢献の方面でがんばった反面、
研究活動が少しおろそかになってしまったのが反省点。
そろそろ引き籠もって、論文を書こうと思ったら、マイワシの期中改訂だし。
参った。
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スケトウダラ続報
平成18年度の資源評価票(案)が一般公開されました。
http://abchan.job.affrc.go.jp/18pbcom/index.html
スケトウダラ日本海北部系群はこれですね。
http://abchan.job.affrc.go.jp/18pbcom/html/1810.html
管理方策のABCLimitとABCTargetを見てください。
それぞれ、11000トンと8900トンです。
去年のABCLimitとABCTargetは、
それぞれ11900トンと7700トンでした。
http://abchan.job.affrc.go.jp/digests17/html/1710.html
資源量推定値は、去年が209千トンで今年が147千トンです。
これらを表にまとめるとこんな感じ。
去年 | 今年 | |
ABCLimit |
11900 |
11000 |
ABCTarget |
7700 |
8900 |
資源量 | 209000 |
147000 |
資源量は3割減ったにも関わらず、
ABCLimitは去年と殆ど同じで、ABCTargetに至っては増えています。
このことからもわかるように去年のABCと今年のABCには整合性がありません。
目標を下方修正したからです。
もし、目標を下方修正していなければ、ABCはどうなったでしょうか。
今年のダイジェスト版の管理方策の下から2番目に「SSBの回復」というシナリオがあります。
これが去年までの目標です。
目標を下方修正していなければ、ABCLimitは5900トンとなりほぼ半減です。
ダイジェスト版には目標の変更に関する記述が無いので、ここに書いたようなことは伝わりません。
殆どの人は、ABCの数字しか見ません。
評価票を時系列を追って眺めるようなABCオタクにしか管理方策の変更がわからない。
また、管理方策が変更されたことがわかっても、どこがどう変わったのかが読みとれない。
こういう書き方では、資源の現状が伝わらない。
目標の変更というのはとても大切なことです。
やむを得ず目標を変更する場合には、
どういう理由で、どこをどう変えたのか。変えてなければどうなったのか。
そういったことを明記する必要があるでしょう。
詳細版に関しては、目標の変更について記述したバージョンがブロック会議で採択されました。
現在までは、会議で承認されたバージョンから、大幅な変更は無さそうです。
最終的なバージョンが公開されるまで、慎重に見守ろうと思います。
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大学の研究者が果たすべき役割
「なんで、この人はこんなに必死なの?」と思っている人も多いだろう。
そこで、俺が考える大学の研究者の役割と、必死な理由を説明しよう。
どういう立場でABCに関わっているかというと、
ABCを決める際に科学的なアドバイスをして欲しいと言うことで、
水研センターから依頼をされて、事前検討会とブロック会議に参加している。
会議に参加をしても、交通費しか出ない。
弁当代も、懇親会のお金も自腹の完全にボランティアのお手伝い。
資源評価票には俺の名前は出ないし、評価票に対して何かの責任を問われることはない。
漁業者、行政、水研センターなど、ブロック会議の参加者は、
資源や漁業と何らかの関わりを持っている。
彼らは、自らの組織を代表して参加しているわけで、
組織の利益の代弁者としての発言を要求される。
みんな、重たいものを背負って会議に来ているのだ。
「減っているのはわかるけど、生活もある」
「減っているのはわかるけど、正直に書くと怒られる」
とか、いろいろあるのだろう。
自分の発言は、組織にも多かれ少なかれ影響を与えてしまう以上、
自分が理想を通そうとすると自分一人の問題ではすまない。
それに対して、俺は何も背負っていない。
スケトウダラが豊漁になっても何の利益もないし、
逆にスケトウダラ漁業が崩壊しても何の不利益もない。
ぶっちゃけ、スケトウダラ資源がどうなろうと、俺の生活には全く影響がないのだ。
漁業の利権システムとは無関係であるが故に、発言の自由がある。
みんなが言いづらいことを、俺が言わなければ、いったい誰が言うのか。
発言の自由が保証されているということは、発言をする責任もある。
何も背負っていないが故に、妥協は許されない。
自分が日本漁業の未来を守る最後の砦だという気概と責任感を持って、
相手が誰であろうと、言うべきことは言わないといけない。
それが資源研究者としての最低限の責任なのだ。
水産業という利権システムの内側では、発言の自由は制限されてしまう。
この困難な時代にあって、大学の研究者の果たすべき役割は大きい。
同業者には、是非、ブログを書くところから初めてもらいたいものだ。
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