「NZのITQは、資源管理としては機能していない」とか、誰か言ってなかったっけ??

そういえば、「NZのITQは経済政策としては成功したが、資源管理としては機能していない」とかいう、面白レポートがあったよね(https://katukawa.com/category/study/reform/nzreport)。あの検討会の議事録は、政府の公式文書として認めてもらえなかったという話を小耳に挟んだけど、内容が内容だけに、仕方がないだろう。

レポートでは、NZのITQが資源管理として機能していない根拠として、ホキ(白身魚)のTACが近年減少していることを挙げていた。実際には、NZの漁業者は過剰漁獲をしていたわけではない。卵の生き残りが悪くて、一時的にホキ資源が減少した。それを素早く回復させるために、NZ政府は予防的に漁獲枠を絞ったのだよ。いくらでも魚が捕れる段階で、漁獲枠を半減できたのだから、立派なもんだ。すぐに元の水準に戻るだろうと予想していた(https://katukawa.com/category/study/species/%E3%83%9B%E3%82%AD)が、予想以上に早く回復したみたいだね。

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(みなと新聞6月9日より引用)

ノルウェーのカペリンでもわかるように、魚はちゃんと残せば、ちゃんと回復する。早めにブレーキを踏めば、それだけすぐに回復をする。自然変動が原因だろうと、何だろうと、魚が減ったら、漁獲圧をゆるめるのが世界の常識であり、資源が減ったら、漁獲圧が強まる日本のマイワシ漁業のような状態はあり得ないのである。獲りたい放題獲っておいて、「地球温暖化が悪い」とか居直っているから、漁業は衰退を続けるのだ。

もちろん、ノルウェーやNZの漁業だって完璧ではないし、直すべき問題点は山ほどある。しかし、これらの国の漁業が、資源を持続的に利用しながら、経済的にも成り立っているのは、紛れもない事実である。「日本とは状況が違うので、参考にはならない」と居直ったり、生半可な知識で揚げ足取りをしても、かえって自らの無知を晒すだけだ。それよりも、これらの漁業国の成功を謙虚に認めた上で、その長所を日本漁業にどのように取り込むかを議論すべきだ。お互いに、もっと有意義なことに時間をつかいたいものである。

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組合・個人ベースで利益を伸ばすノルウェー漁業

企業化を進めて、国際競争力を高めている代表的な国が、ニュージーランド(NZ)である。一方、組合が企業の役割を補完して個人ベースの漁業で生産性を上げているのがノルウェーだ。

ノルウェーの漁船漁業は、世襲の家業である。親父の船を息子が継いで漁を続けている。サバを獲っているような旋網船は、船主の所有物である。このあたりの構造は、銚子の漁船漁業とほぼ同じ。漁業が儲かる家業のノルウェーでは、漁業を辞める人間がいない。だから、ノルウェーで漁業をするには、漁業者の子供として産まれる以外に方法はないという話だ。

個人・組合ベースであっても、ちゃんとやれば利益がでることを、ノルウェー漁業は証明している。ノルウェーの基本戦略は次の2点だ。

1)国が資源の持続性を保障するために、責任ある管理措置をとる。
2)個別漁獲枠制度を導入し、早どり競争を抑制する
3)単価が上がるように、組合が努力をする

ノルウェーはEUと協力して、サバ資源の管理に取り組んでいる。資源水準は良好であり、漁獲は厳しく資源されている。また、個別漁獲枠制度によって、自分の漁獲の権利は保障されているから、焦って獲る必要はない。豊富な資源の中から、高く売れるサイズを、高く売れるタイミングで獲りに行けばよい。資源は豊富だが、漁獲枠が限られているという状況なので、探索船や運搬船などの余計な設備は不要である。魚の奪い合いに無駄なコストをかけずに、良い魚をコンスタントに水揚げできる。

魚価を上げるために組合は最大限の努力をしている。たとえば、最低価格制度というものがノルウェーにはある。最低価格制度というと、日本の漁業関係者は、「安い値段しかつかなかったら、最低価格との差額を税金で補填して貰えるのかな」と思うだろうが、そんな甘っちょろい制度ではない。ノルウェーでは全ての魚は組合を通して販売しなくてはならないのだが、組合は自らが設定した最低価格以下では、魚を売らないのである。もし、設定した最低価格で売れなければ、その魚は鮮魚市場では売れずに、ミール工場に直行だ。漁業者からすると、自分の漁獲枠を安価なミール向けの魚では埋めたくない。だから、最低価格に届かない品質の魚は、極力獲らないのである。ノルウェーの最低価格制度は、最低品質制度ともいえる。バイヤーは、ノルウェーの魚は買いたたけない代わりに、品質については安心して買うことが出来るのだ。

最低価格制度が、経営の柔軟性を奪っている側面もある。ライバル国(たとえばアイスランド)は、ノルウェーが最低価格以下では売れないことを知っている。だから、ノルウェーの業者よりも、少し安い金額を提示して、商談をまとめることもある。そういう不利益は百も承知で、ノルウェーは最低価格制度を続けている。品質と供給が安定させれば、魚価は自ずと上昇することを、ノルウェー人は知っているからだ。安売りをしないことで、短期的に失う利益よりも、長期的に得る利益の方が多いことを理解しているのだ。

今でこそ、高品質で知られているノルウェーのサバも、90年代に日本に入ってきた当初は値段が安かった。日本の消費者にとっては、単なる輸入魚に過ぎなかったのである。しかし、安定した品質の魚を、安定供給することで、日本国内でのノルウェーサバの認知度は向上した。今では、店頭でノルウェーサバの方が値段が高いのが当たり前だし、塩鯖ならノルウェーという消費者も多いだろう。

また、ノルウェーの組合は、出来るだけ高い値段で売れるように、ネット上でのセリを運営している。少ない人員・コストで、大きな成果を上げている。オークションの結果は、インターネット上で、リアルタイムで確認できる

日本の旋網はなんで儲からないのか

銚子とノルウェーの旋網を比べると、むしろ、銚子の方が大規模かつ企業的だろう。ノルウェーは1隻(8~10人のクルー)で操業の全てをこなす。銚子の巻き網船団は、探索船、運搬船、旋網船×2の4隻がセットで操業をおこなう。それだけ、人件費も燃油もひつようになる。銚子の旋網船団は、最新のソナーで武装した探索船を駆使して、群れの奪い合いをしている。群れを見つけたら、他の船団に獲られる前に、とにかく獲る。値段は、港に帰ってのお楽しみである。早い者勝ちの一網打尽操業の結果、資源は低迷を続けている。卵の生き残りが良かった、当たり年産まれを取り尽くす操業形式であり、漁獲サイズに多様性がないので、多様な需要を満たすことが出来ない。

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(マサバの漁獲の年齢組成 資源評価票より引用)

今年も、円高で輸出が止まっているのに、国内需要がないような小型魚ばかりを水揚げして、せっせと凍らせているようだ。海に泳がしておけば、電気代もかからない し、成長するし、卵も産むのに、もったいない話である。まともな取り締まりもせずに、早どり競争を野放しにしている日本では、必然的にこうなる。

まとめ

ノルウェー漁業が儲けているのは、企業ベースだからではないし、漁業の規模が大きいからでもない。行政と組合がやるべき仕事をきちんとやっているからである。

もちろん、薄利多売でも短期的な利益が出るかもしれない。北巻にだって、利益を出している船はある。そういう船だって、マイワシに続いてマサバが、本当にいなくなれば、終わりである。今のままでは、「今年はいいけど、来年はわからないなぁ」という程度の経営しか成り立たないのだ。北巻が今まで続けてこられたのは、90年代以降のマサバの生産力が安定していたからである。もし、加入の失敗が数年か続 けば、マサバもマイワシと同じようになるだろう。そうなるまえに、ノルウェーを見習って、ほどほどの漁獲で利益が出るような体質に変える必要がある。

そのためにやるべきことは3点だ。

1)十分な産卵親魚を取り残すこと
2)漁獲枠を個別配分して、早どり競争を抑制すること
3)魚価を上げること(安売りをしないこと)

どれも、当たり前のことである。この当たり前のことをやらずに、漁船漁業構造改革総合プロジェクトとかいって、すでに過剰な漁船を増やすようだけれど、金が余っているなら、補償金でも積んで、0歳・1歳魚の漁獲を禁止にすればよいのに。これをきっちりやれば、2年後ぐらいには、資源も漁業もかなり良くなると思うよ。


ちゃんとした獲り方をすれば、ちゃんと儲かるということで、新聞記事をはっておきますね。

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みなと新聞6月5日より

こちらもどうぞ。

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蟹工船の未来

蟹工船は、企業による労働者の搾取を描いた小説である。すでに著作権が切れているので、青空文庫で読むことができる。大学の生協でも平積みになっていたので、かなり売れているのだろう。蟹工船は、劣悪な条件で酷使される蟹工船の漁業者が、ロシア人の入れ知恵でサボ(ストライキ)を断行する、という話だ。テンポの良い独特な文体で、労働者から搾取する企業・国家権力を風刺している。さくっと読めるので、まだ読んでいない人は、是非。

戦後の日本の沿岸漁業は、小林多喜二の理想を具現化したようなものだ。排他的漁業権を持つ漁業者組合が、沿岸の絶対的な支配権を持っている。水産系の大企業は、過剰な漁業者を抱える沿岸ではなく、外海へと広がっていった。結果として、日本沿岸から企業的漁業は姿を消して、今日に至っている。

沿岸からは企業を排除した。漁業者は海に出ないでストをしている。小林が、今の沿岸漁業を見たら、「これぞ、理想の社会」と泣いて喜ぶかもしれない。では、労働者は豊かになったのかというと、そうではない。漁業者は再生産も出来ずに減少しているし、養殖業者は原価割れのただ働きだ。企業を排除して、個人営業のみになれば、みんなが幸せになるわけではない。そのことは、日本の沿岸漁業の歴史が証明している。

漁業が地域の基幹産業として機能するには次の2つの条件が必要である。

条件1)漁業で安定的な収益を得る
条件2)利益が関係者・地域にきちんと還元される

蟹工船の場合、漁業の利益は労働者に還元されなかった。資本家の搾取によって、条件2が満たされていなかったのである。このような不平等は許されるものではない。リスクを負っている労働者に、きちんとした対価が支払われるべきだ。一方、企業を排除した日本の沿岸漁業からは、経営の合理性が失われてしまった。互いに競争関係にある個人が、過剰競争によって、有限な再生資源を食いつぶす、「共有地の悲劇」の見本のような状態になっている。こちらは条件1が満たされていないのである。そもそも利益がなければ、搾取されようがない。逆に、漁業者の方が、「俺たちが魚を獲らないと困るだろ」と声高に主張して、補助金をゲットしている。

資本家の搾取が諸悪の根源であり、企業をなくせば問題が解決するわけではない。個人は善で、企業は悪というような、単純な二元論を脱却し、条件1と条件2を両立できるような漁業の形態を、企業・個人を問わずに模索していく必要がある。企業であれば条件2をどのように確保するか、個人であれば条件1をどのように確保するかが、課題だろう。

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個人に任せたら漁業が衰退したでござるの巻き

沖合・沿岸を問わず、日本の漁業は、魚の奪い合いである。獲らなければ話にならないのだから、限られた予算は、競争のために投資することになる。ライバルよりも早く獲るために、エンジンを大きくし、魚群探知機やソナーに投資をする。たとえば、ソナーがある船とそうでない船が、競争をしたら、全く勝負にならない。誰かがソナーを導入すると、他の人間もそれに追従せざるを得なくなる。投資ができなくなった船から、早獲り競争に敗れて去っていく。この乱獲レースに、真の勝者は存在しない。新しい装備をいち早く導入した船が、リードを保てるのは、他の船が追従するまでのほんの一瞬だ。皆が新しい装備を導入して、漁業全体の漁獲能力が向上したところで、魚がいないのだから全体の利益は増えない。

自然の生産力が限られている以上、全体の利益を増やすには、魚の質を高める以外の方法はない。しかし、今の漁業には、獲れるかどうかわからない魚の価値を上げるための設備に投資するゆとりはない。少なくなった魚を探すための装備は急速に広まる一方で、魚の質を保つための冷凍設備などは貧弱なままである。結果として、産業は衰退し、借金だけが増えていくことになる。互いに競争関係にある個人が、過剰競争によって、有限な再生資源を食いつぶす、「共有地の悲劇」の見本のような状態になっている。

日本の沿岸は漁業組合が排他的な独裁権を持っており、企業を閉め出してきた。その結果が、この有様である。組合に独裁権を与えるだけでは、漁業の合理化にはつながらないことは、漁業の現状を見れば明らかだ。少しでも全体最適化という視点があれば、今のようになるはずがない。もし、企業が漁場を占有しているなら、明らかに過剰な船を出漁させないだろう。また、明らかに過剰な漁獲設備ではなく、質の向上のために投資をするだろう。企業にまかせた方が、よほど、マシだったのではないだろうか。

今の日本のシステムでは、早取り競争に明け暮れる個人経営漁業者が、事後処理の不十分な魚を不安定に供給することしかできない。今のやり方では、遠からず自滅するだろう。今の組合をベースとした地域漁業が生き残るには、企業が果たすべき役割を、組合が果たす必要がある。無駄な競争を抑制し、魚の質を高めて、コミュニティー全体の利益を増やす。そういう方向に、漁業者をまとめていければ、組合ベースの漁業でも十分にやっていける。日本にもそういう組合は、いくつか実在する。組合が企業の役割を補完すれば、日本でもちゃんと利益は出るし、世代交代もちゃんとできている。ただ、そこまで力のある組合は、例外中の例外であり、全国でも数えるぐらいしか無いのが現状だ。残念なことに、ほとんどの漁業者・組合は、現状の非効率的な漁業を延命することしか頭にない。全漁連からして、御用学者を使って、産業として成り立っていない現状を正当化しているようでは、先は見えている。

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ユニクロカレンダー

すごくよくできているね。
ぱらぱら漫画のように、人や車が動いていて、おもしろい。おもちゃみたい。
写真の良さとビデオの良さを併せ持つ、秀逸なコンテンツだとおもった。
クリックすると、大画面で見られます。

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こちら石巻さかな記者奮闘記

こちら石巻さかな記者奮闘記―アメリカ総局長の定年チェンジ

この本はなかなかおもしろかった。朝日新聞の経済部の記者が、定年後に石巻支局に赴任し、漁業について書いた本。しっかりと現場の取材をしているし、素人(一般人)目線でかかれているのが良い。一線で活躍してきた新聞記者だけに、現場を伝える能力は抜群だ。この本は、漁業に対して好意的なんだけど、漁業ヨイショ一辺倒ではない。筆者の漁業に対する問題意識を、宴曲に表現している。書くことと、書かないことの区別、そして、書く部分の表現の選び方は絶妙だ。このあたりは、ベテラン新聞記者の技だね。

第二章のメロウド(イカナゴ)漁のレポートは、実に秀逸だ。日本漁業の問題点が透けて見える。

出航してから約二時間、漁場に着いたのだろう。(中略)周りには何隻も同じように舳先から長い棒を突き出した船が見える。(中略)エンジンを切らないのは、カモメの動きからイケ(魚の群れ)を見つけたときに、僚船よりも早くイケに近づくためだ。(P38)

イケに向かうときは、周りの僚船との競争になる。早くイケに近づいた方が最初に網を入れることができるというのが漁師仲間の昔からのルールだそうで、イケを見つけて、早くイケに近づくのも船頭の腕と言うことになる。僚船と鉢合わせする機会が数回あったが、賢一さんはいつも最初だった。(P40)

石巻漁港で水揚げを終えたところで、水揚げだかを尋ねたら約12万円とのことだった。ここから燃料代などを差し引くと、手元にはそれほど残らない計算だ。(P41)

私が乗ったメロウド漁は好漁だったので、(P49)

この情報を総合すると、こうなる。

  1. 少ない魚群を大量の船で奪い合っている
  2. 早取り競争に勝つために、常にアイドリング→大量の燃油の浪費
  3. 好漁日に、成績上位の船ですら、利益が出ない

多すぎる漁業者が、少ない魚群を奪い合う。早取り競争に勝つために、船体に不釣り合いな馬力のエンジンを搭載し、一日中、アイドリングをして、群れを見つければ全速で走る。燃油を湯水のように使い、資源を枯渇させながら、利益が出ない。沿岸漁業の実像が、克明に描写されているではないか。俺が常々書いている通りなのだ。でも、この漁業はマシな方だと思うよ。

では、どうすればよいのだろう。多すぎる漁船を適正規模まで縮小するのが最善だが、それがままならない場合も多いだろう。現在の隻数を維持しながらでも、競争による無駄なコストを削減することはできる。この漁場に対する適正な隻数なんてたかがしれているのだから、ローテーションを組んで、適正な隻数だけ出漁するようにする。また、群れの奪い合いを防ぐために、全ての船の漁獲金額をプールして、均等に再配分するプール制も有効だ。やり方は、いくらでもある。

燃油高騰は、現在の非効率的な競争操業を改める絶好のチャンスだったはずだ。しかし、安易な補填によって、その芽はつまれてしまった。何も考えずに、皆で漁場に出かけて、我先に群れを奪い合っているうちは、産業としては成り立たないだろう。この状態を維持するために公的資金をつかっても、長い目で見て漁業者を救うことにはならない。

「第三章 漁業を考える」では、地域捕鯨と遠洋捕鯨の摩擦、燃油問題など、日本漁業の問題について整理している。昨年暮れの東大のシンポジウムについてもふれている。議論のかみあわなさについて、率直な意見が書かれており、よく観察していると思った。

筆者は、思いやり予算をストレートに配るべきと言う立場である。水産庁が、燃油補填に対して、5人以上のグループ化を求めたことを、「結果的には使いづらい補助制度になった」と批判しているが、そうだろうか。個人の取り組みによる省エネには限界があるが、グループ化で無駄な競争を省けば、燃油は大幅に節約できる。公的資金を使う以上、無駄を省く努力をするのが当たり前である。補償金の要件として、グループ化を求めるのは、納税者に対する最低限の筋だとおもう。問題は、グループ化による操業合理化に全く向かっていないことだろう。

いろいろと書きたくなってしまうのは、ネタがよいからだろう。ただ、漁業という観点から書かれている、2章と3章は読み応え十分。ただ、4章と6章は、地方の話がとりとめもなくつづく。新聞社の地方支所の日常を垣間見ることが出来るが、漁業にはあまり関係がない。5章では魚の食べ方を説明しているのだが、俺的には目新しい情報はなかった。一般の読者にはこういうコーナーも必要だろう。

結論

読む価値がある本だった。当ブログ読者は、買って読むべし。文章が読みやすいので、さくっと読めるはずだ。消費者目線を維持しながら、漁業の現状がうまく記述されている。たった1年で、ここまで書けるのは、流石である。

石巻の漁業だけをいくら見ていても、漁業を発展させるための知恵は浮かんでこないかもしれない。石巻の現場を知った上で、海外の持続的に利益を出している漁業(たとえば、ノルウェー)を見れば、石巻にも使える知恵が数多く見つかるだろう。そういう情報を、地方に還元することこそ、地方魚記者の役目だと思う。国際的な視点と、経済的な視点をもつ、魚記者はまさに適任と言える。魚記者の今後の活躍に期待をしたい。

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漁業者が減っても、消費者は困らない

漁業関係者の多くは、「水産物の安定供給のために、赤字の漁業者を救済せよ」と主張している。

科学的にはじき出された許容量を上回る漁獲を、国が認める不可思議。当然、「乱獲を公認している」との批判があるが、水産庁は「TACをABCに沿って激減させると、漁業者は操業できず、倒産する。すると、水産物の安定供給が困難になる」という。
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/suisan-oukoku/14119.html

これ、全くの嘘。むしろ赤字の漁業者を維持することは、水産物の安定供給にとって、マイナスでしかない。

まず、日本の漁業者は余っている。足りないのは魚だ。横浜国立大学の馬奈木准教授の試算によると、現状の漁獲量を維持するのに必要な漁業の規模は今の15%。要するに85%も過剰な漁船を保持しているのである。

漁業者多すぎ、魚がいない。というのは世界的に共通している。1989年にFAOは世界の漁獲能力は、現状の漁獲を維持するために必要な130%の水準であると推定した。また、Garcia and Newton (1997)は、世界の漁船規模を現状の53%に削減すべきであると試算をしている。世界中で、漁船も、漁業者も余りまくりなのだ。不足しているのは、魚や漁獲枠である。「日本近海に魚があふれるほどいるけれど、漁業者がいない」という事態は、まずあり得ない。もし、そのあり得ない事態になれば、暇をもてあましている漁船を海外からチャーターして、水揚げをさせれば良いのである。

たとえば、NZでは、ロシアや韓国漁船をチャーターして、自国で操業・水揚げをさせている。海外のチャーターは、日本漁船よりも圧倒的に安価である。韓国船は非常にマナーが悪いらしい。NZの操業違反の8割は韓国漁船だとか。一方、ロシア船は、操業規則も守り、魚の質も良いとのこと。日本の漁業者が絶滅をしても、ロシア船をチャーターすれば、水産物の安定供給は可能だし、その方が、魚の値段は下がって、質は上がる可能性が高い。

漁業者減ると、全漁連や、水産庁は、とても困る。我々、水産学の研究者も、存亡の危機だ。しかし、漁業者が減っても、消費者への悪影響はほとんど無い。それどころか、メリットが多いだろう。自国の漁船を維持するより、外国漁船を単年契約で利用する方が、資源が減少したときに、禁漁等の思い切った措置がとりやすくなる。結果として、資源の持続性が保たれ、水産物の安定供給に寄与する。繰り返すが、水産物安定供給の生命線は、漁獲努力量ではなく、資源なのだ。
安定供給を口実に、現状の過剰な漁業者による、過剰な漁獲を正当化するロジックがいかにデタラメかは自明である。水産庁だけでなく、組合も、漁業者も、御用学者も、みんな言っている。安定供給を口実に、業並みの手厚い保護を勝ち取ろうとしているが、実に浅はかである。漁業者が多すぎるから魚が減るという当たり前の事実に、納税者は遅かれ早かれ、気づくだろう。補助金依存度を高めたら最後、補助金なしには存続できない産業になってしまう。そして、補助金はいつまでも出せる国家財政ではない。補助金おねだり作戦のもたらす結果は、漁業の延命ではなく、確実な破滅なのだ。

日本漁業の生き残る路は、①生産性を高めて経済的に自立すること、②日本の漁業者に任せた方が、資源の持続的利用に寄与すると示すこと、の2点であろう。実際には、全く逆の方向に進んでいる。自給率ナイナイ詐欺で、非生産的な現状を肯定する。そして、「零細な漁民がいるから、資源管理はできません」などと開き直るのである。今のままでは、消費者から見捨てられるのは時間の問題だろう。俺としても、沿岸漁業が少しでも多く残ればよいと思っているが、このままではどこまでも淘汰が進むだろう。組合も、行政も、研究者も、漁業が自立した持続的な産業として発展していくのを助けるために全力を尽くすべきである。そのことが、長い目で見れば、漁業に寄生する我々が存続する唯一の道なのだ。

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政治力によって、漁業が弱体化するプロセス

政治力によって、日本の漁業が弱体化されていくプロセスをみてみよう。

全漁連は、非生産的な漁業の代弁者である。「漁業が儲からなくても良い理由」だとか、「儲からない漁業を助けなければならない理由」を並べて、補助金を勝ち取ることには熱心だ。その一方で、漁業自体の利益を増やすことには、関心がなさそうだ。うがった見方をすれば、漁師が魚を売った上前をはねても、大した額にはならない。漁業が儲かって自立をするより、儲からない漁業への補助金が増えた方が、組合は潤うのだろう。たとえば、漁業者は組合を通して、重油を買う。漁業者の重油には税金がかからないにもかかわらず、漁業者が組合から買う重油は、税金込みの市価よりも高いようであるhttp://www.nochuri.co.jp/report/pdf/n0805jo3.pdfの4ページを見ても、漁連の重油が割高であることがわかる。資源管理には消極的なの全漁連が、燃油補填にご執心だったのも、納得がいく話である。

ここに、漁協全体の収入の時系列がある。見事なまでに、本業は赤字垂れ流し。しかし、全体は黒字なのだ。
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もう漁業に見切りをつけて、別の金づるで食ってるようにしか見えない。金づるの分類は、「その他収入」の「その他」であり、その内容は、明かされていない。銀行の利子とか言ってる人もいるけど、本当だろうか。最近の利子って、そんなに高いものなのかね。「本当は、砂利採取や、工事の補償金じゃないの?」とか、想像がふくらんでしょうがないです。憶測でいろいろ言われるのが嫌なら、内容を公開してもらいたい。

日本漁業に必要なのは、燃油補填ではなく、休漁補償

現在、日本の漁獲量は激減している主要因は、資源の減少である。魚がいないのだ。特に、高級魚、大型魚が減少し、質的な劣化も激しい。逆に、漁業者は余っている。横浜国立大学の馬奈木さんの試算によれば、現在の15%が適正な水準とのこと。妥当な数字だろう。

過剰漁獲が蔓延している日本の沿岸漁業に必要な政策は、燃油補填ではなく、休漁補償である。公的資金で赤字操業を維持する必要は全くない。赤字操業というのは、使った燃油の方が、捕れた魚よりも価値が高いわけだ。つまり、海に燃油をばらまいて、環境を破壊しているのと同じである。赤字操業を止めて、浮いた燃油の代金で魚を輸入すれば、資源は回復するし、消費者もより良い魚を安価に入手できた。2年ぐらい休漁すれば、平均的な魚体は大幅に増加するし、産卵親魚の底上げも期待できる。この場合のマイナスは、漁業者の収入が短期的に激減するぐらいなので、公的資金による直接補償もアリだろう。長期的に日本の漁業を元気にする方向に、政治力を発揮する組合なら、俺も応援したい。

実際には全く逆のことをやったのだ。全漁連は、漁業者を動員して、公的資金による燃油補填を勝ち取った。これは、税金をつかって、資源の枯渇を進めることに他ならない。たとえば、資源回復計画と称して、多額の公的資金が遣われている。http://www.jfa.maff.go.jp/sigen/kaifukukeikaku.html 資源回復のために休漁補償金が支払われている漁業まで燃油補填をするのはおかしな話である。車で言えば、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいる状態だ。せめて、こういう漁業だけでも、燃油補填ではなく、休漁補償を増やすのが、納税者に対する最低限の配慮だと思う。
全漁連が政治力で実現した燃油補填は、公的資金による乱獲維持でしかない。全漁連的には、公的補償によって重油の消費量が維持できれば、ホクホクだろうが、納税者にも、漁業という産業にも、長期的に見て不利益しかない。こういうことを繰り返していれば、どんな産業だって弱体化するだろう。

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非生産的なセクションを、政治力で温存するから、高齢化が進む

日本の社会では、非効率なセクションを整理・縮小することに、根強い反対がある。もちろん、非効率なセクションも残しつつ、全体が維持できればそれに越したことはない。しかし、多くの場合、それは無理な相談だ。再三度外視で、非生産的なセクションを温存しつづけるとどうなるかという答えが、今の日本漁業である。

沿岸漁村(漁協)は、大きく3つに分類できる。

1)漁業で、利益を出している
2)漁業外収入で、利益を出している
3)まったく利益をだしていない

1)漁業で利益を出している漁村

こういう漁村は、後継者もいるし、コミュニティーにも活気がある。残念なことに、こういう漁業は、きわめて少ないのが現実である。日本漁業における若齢層の少なさからも、再生産できている漁業が例外であることがわかるだろう。地元で漁業希望の若者が順番待ちをしている場合も多く、よそ者はまず入れません。

2)漁業外収入で、利益を出している漁村

沿岸環境を切り売りし、補償金などで莫大な利益を得ている漁村も存在する。しかし、その数は、あまり多くない。漁業権が打ち出の小槌になるかどうかは、地理的な要因が大きい。漁業者につかみ金を払ってでも沿岸をいじりたい人間がいなければ、漁場を占有したところで、金にならない。
漁業権利権でウハウハな漁協は、新規加入をまず認めない。漁業以外の収入は、漁業者を増やしても、増えない。むしろ、一人一人の分け前は、減るからである。また、この手の組合は、ドル箱を占有したいので、何があっても合併に反対する。

3)利益を出していない漁村

実はこれが大多数を占めている。補助金については、某シンポジウムでもいじめられたんだが、農業と比べれば規模は格段に小さい。もともと漁業は輸出産業だったので、伝統的に少ないのです。まああの手この手でいろいろやっているみたいだけど、ほとんどの場合お小遣い程度だ。
これらの浜の漁師も、少ない魚を大勢で分け合うのは基本的に反対だ。また、新規加入者だって、生活が成り立ってないようなところにわざわざ入りたくない。子供は漁業以外の職につかせて、「捕れるだけ獲って、漁業は自分の代で終わり」という漁師が多いだろう。日本のほとんどの沿岸漁村では、順調に高齢化と少人数化が進行している。縮小再生産すらできずに、一直線に絶滅に向かっている、「限界漁村」は多数存在する。

漁業就職フェアは税金の無駄遣い

漁協が成り立つには最小の人数がある。この定員に達していない漁協がかなりあると見られている。すでにリタイアしているお年寄りの幽霊会員でなんとか定数を保っているところもある。生産性の低さは、漁業権による政治力でのりきれる。しかし、政治力の源泉である漁業権が維持できるかどうかは死活問題だ。そこで、頭数をそろえるために、外から人を呼ぼうと言うことになる。しかし、漁師の子供ですら逃げ出すような生産性の低い浜に、素人がノコノコと転職したところで、経営が成り立つわけがない。漁業者就職の補助金のたぐいはあるが、指導という名目で既存の漁業者に吸い取られる。既得権者は、漁協が維持できて、補助金もゲットできて、一挙両得だ。一方、新規加入者は、自己資金を食いつぶし、新規雇用の補助金がつきたところで、賞味期限切れでサヨウナラだろう。
不況で、一次産業への転職を考えている人も多いようだが、くれぐれも、計画的に、下調べをした上での転職をおすすめします。儲かっている漁業は基本的によそ者お断りだし、誰でも良いから(自己資金をもって)きてくださいという漁業は、産業として成り立っていない可能性が高い。漁業就職フェアのたぐいは山のようにあるが、新規参入は、実質的に閉ざされたままであり、漁業は着実に自滅の道を歩んでいる。

漁業関係者に言わせると、高齢化は一次産業をいやがる若者が悪いらしいのだが、俺にはそうは思えない。生産性が低くて、生活が成り立たないから、漁業に就職できないのである。非生産的なセクションを政治力で温存した結果、高齢化が進み、ますます入り口が狭まっている。この構図を変えるには、(3)の利益を出していない浜の非生産性を改善し、(1)を増やすしかない。日本の漁業政策は、公的資金をばらまいて、非生産的な漁業を非生産的なまま温存しようとしているから、どこまでも衰退が続くのである。

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R.I.P.

タイマーズは、問答無用で、格好良かった。

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