終身雇用制度は、一部上場企業に特殊な制度であり、日本の労働人口のごく一部をカバーしているに過ぎない。しかし、それと同じ構図は、日本社会の多くの場所で目にすることができる。漁業の衰退メカニズムも、共通する部分が多い(と思う)。
簡単に漁業の歴史を振り返ってみよう。終戦直後から、沿岸の漁業者は過剰だった。終戦8年後の昭和33年の科学技術白書にはこのような記述がある。
漁業経営体の85%をしめる漁家は,沿岸漁業と一部の沖合漁業を営んでいる。昭和27年以来,12~13億貫のわが国総漁獲量のなかで,沿岸漁業は,おおむね50%を占めてはいるが,戦前から沿岸漁業の漁獲量は相対的に減少の一途をたどってきている。零細漁家の生活は,ますます悲惨なものになりつつある。
昭和37年の科学技術白書には次のような図がある。
終戦直後から、沿岸の漁業者は過剰で、漁獲量は着実に減少していたのである。この過剰な漁業者を解消できないまま、今に至っている。昨年度の漁獲量は、当時の約半分の120万トンまで落ち込んでいる。
沿岸漁業者の職の流動性は極めて低い
漁業者は、その特定の漁業でしか通用しない技能をもった職人である。また、多くの沿岸漁業者は、その土地と強く結びついている。彼らは、「オラが村が世界で一番」と思っており、よその土地に移るなど、考えたくもないだろう。沿岸漁業者は、技能と土地に固定されている。転職をするという選択肢も無ければ、引っ越しをするという選択肢もない。沿岸漁業者の職の流動性は、サラリーマンよりも格段に低い。漁場の生産性がどれだけ落ちてきたとしても、日本の漁業者には、そこで漁業を続ける以外の選択肢が無かった。
過剰な漁業者が、衰退する漁場にしがみついた結果、漁業への新規加入が閉ざされた。下の図は、日本の漁業者の年齢分布を示したものである。まず、15-24歳の新規加入が減少している。1980年代には、新規加入がほぼ途絶えた状態である。そして、漁業者の平均年齢が毎年1歳ずつ上昇していくという末期的な状況が続いている。
1970年から、2001年に漁業者は3分の1に減ったが、60歳以上の漁業者の数は2割も増えている。漁業は重労働であり、経済原理が働いたなら、若者が勝つ。では、なぜ、高齢者が椅子に座り続けられるのかというと、漁業権という特権をもっているからだ。
漁業権をおさえておけば、漁業者としての地位は安泰
漁業権は排他的に漁業を営む権利であり、漁業共同組合が管理している。組合は、参入自由の法則が原則であり、特別な理由がない限り、希望者を拒めないことになっている。これは建前であり、実際には組合員の胸先三寸で、新規加入を排除できる。消費者が国産魚を必要とする限り、漁業権という特権をもった漁業者は、失業する心配がないのである。漁業権(組合)にしがみついていれば、漁業者としての地位は保たれる。会社にしがみついていれば、ポストが維持される終身雇用制度と非常に近い状態である。定年があるサラリーマンよりも、定年のない漁業者の方が、終身雇用といえるかもしれない。
去年、全漁連が動員をかけて、燃油補填デモをした。なぜ、漁業者だけが大規模なデモができるかというと、排他的漁業権のおかげでライバルがいないからだ。自分たちがデモをしている間に、魚を捕る人間がいないことがわかっているから、漁業者は安心してデモができたのである。運輸業の方が厳しかったはずだが、彼らは歯を食いしばって、頑張った。クロネコがデモをすれば佐川に客を取られるし、その逆もしかりだから、暢気にデモをしているどころでは無かったのだろう。















