無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その4

TAC制度に強制力を持たせるのは非常識

水産庁は形ばかりのTACを設定しておきながら、超過漁獲を取り締まらない。そして、TACの超過は日常茶飯事だ。これでは管理とは呼べないだろう。昨年度のマイワシを獲っていた沿岸漁業者のなかには、自分たちがTACを超過していることを知らない人も少なくないだろう。要するに、はなからやる気がないのである。

世界に目を向けると、漁獲枠のごまかしには厳罰が当たりまえになりつつある。ノルウェーなどの資源管理先進国では、違反をする気も失せるほど、徹底した監視体制が導入されている。そして、同じシステムがイギリスやスコットランドなどの周辺国にも広がっている。国際的に見れば、非常識なのは日本の水産庁である。

資源管理のルール違反にお目こぼしをすると、ルールを守った正直者だけが馬鹿をみることになる。これでは、ルールを守るものなどいなくなるだろう。資源管理に対して日本の漁業者が消極的な原因の一つは、「自分が獲らなくても、他の誰かが獲ってしまうのでは?」という心配である。「自分が獲り残した魚は、後でちゃんと獲れる」という安心感を植え付けるためにも強制力をもったルールが必要なのだ。たとえば、ノルウェーは非常に厳しい監視をしているが、実際には違法者はほとんどいない。違法者を罰するためと言うよりは、むしろ、安心して漁業者がルールを守れるように、強制力が必要なのだ。

パトカーのたとえ話は意味不明なのだけど、おそらく「漁業者は自主的にルールを守っているので、強制力は不要」と言いたいのだろう。TAC制度の規制が無視されていることについては、3月21日の記事で説明済みだ。

昨年2月に大中巻きのサバ類の漁獲量がTACを超過したが、水産庁は自主的な停止を要請したのみであった。その後も、「アジなど」、「混じり」という名前のサバが水揚げされ続けた。

意図的なTAC超過の部分には、岩崎氏は何の異論もないようだ。まあ、当事者だけに、反論するだけやぶ蛇だとわかっているんだろう。「TAC?知ったこっちゃねーよ。俺たちは巻きたいだけ魚を巻くだけだ」という無法集団がいる以上、性善説ではだめなのだ。

法律論についても、何が言いたいのかわからない。そもそも水産庁自身が穴だらけのTAC法を作っておいて、「取り締まるのは法律違反」と開き直るのは論外だ。それに納得する納税者はいないだろう。そもそも法律を作る時点で確信犯的にやる気がないというのが、根本的な問題なのだ。また、法の下の平等というなら、北海道のスケトウダラ漁業者はTACによる操業停止を義務づけられたにもかかわらず、マサバやマイワシはTAC超過を野放しという方が、不平等だろう。一律できちんとやるべきである。

マイワシ、サバをTACで管理しているのは、日本と韓国のみ

これは爆笑してしまった。あまりにも世間を知らなすぎる。岩崎氏は、日本とせいぜい韓国のことしか知らないのだろう。自分が知らないことを無いと言い切れる自信は流石だな。

米国は漁獲枠のことをHarvesting Guidelineと呼んでいる。岩崎氏は、「ガイドライン=強制力がない」と勘違いしているようだが、日本のTAC制度と違って米国のHarvesting Guidelineには強制力がある。サバの場合も、EEZでの漁獲量がHarvesting Guidelineに達したら、漁業が閉鎖されることになっている。
http://www.fishtheisland.com/National_fish_news.htm#11

EU・ロシア・ノルウェーの共同管理については、ここで紹介している。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2008/02/post_301.html
また、ネットで検索すれば、オーストラリアをはじめとする多くの国が漁獲枠を設定していることがわかるだろう。

サバは世界中に生息する広域分布種である。たとえば、マサバ(Scomber japonicus)の分布はこんなに広い。
http://fishbase.sinica.edu.tw/tools/aquamaps/receive.php

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世界中にローカルなサバ漁業は無数にある。一部の先進国をのぞいて資源管理の文書はあまり整備されていないので、サバを漁獲枠で管理している国がないことを示すのは不可能だ。少しでも国際的な資源管理について調べた経験がある人間なら、「特定の魚種が、特定の方法で管理されていない」などと不用意なことは言わないはずだ。

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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その3

4/11日に関しては、論点を整理してみよう。

TAC値の根拠が説明されていることが、審議会の資料を見ればわかる

本当にそうなのか、実物を見てみよう。

それから、マイワシでございます。マイワシの資源は低い水準ながら平成7年以降横ばい傾向にありましたが、本年の加入量水準は再び減少傾向にあるとされていることから、平成14年のTACは削減をしたいと考えております。その削減幅でございますが、今回の削減によりまして過去最低のTAC数量となること、またマイワシは漁獲量の年変動が非常に大きいことから、対前年比1割減にしたいと考えております。この結果、14年のTAC総枠は34万2,000トン、うち大臣管理分の大中まき網漁業につきましては18万1,000トンにしたいと考えております。また、都道府県に対する配分につきましては、島根県で 2,000トン、その他の県で1,000トンの減となります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/003.html

これが資料のマイワシ関連の部分なのだが、これに対して質問もコメントも無かったわけだ。これで根拠が示されているとはとうてい思えない。委員に資源のことを理解している人間が皆無な時点で、まともな審議などする気がないのは見え見えだけどね。

この議事録でわかるように、水産庁は肝心な情報を隠している。

  1. 資源量がすでに26万トンまで減少していること
  2. 去年の実漁獲がすでに13万トンまで落ち込んでいること。

これらの2つの情報と照らし合わせれば、34万トンというTACが荒唐無稽であることは自明だろう。しかし、「加入が減ったからTACを10%減らします」という説明では、34万トンのTACの非常識さが全く伝わらない。TACが資源量を超えているという情報を委員は誰一人として知らなかったはずだ。また、TACは水産庁がいくらでも大盤振る舞いをできるが、だからといって魚が増えるわけではない。その前の年は、TACが38万トンに対して、実漁獲はたったの13万トンであった。すでに魚がいないことはわかっていたのだ。この期に及んで、実漁獲の3倍もの過剰なTACを10%削減しても何の意味もないことは自明だろう。

この議事録をいくら読んでも、TAC値の根拠は全く見えてこない。俺には、水産庁が都合が悪い情報は隠蔽し、お手盛り審議会でろくな議論もせずにTACを恣意的に決めているようにしか見えない。ここまであからさまな議事録を、堂々と公開できる神経は、流石としか言いようがない。この件に関しては、実物を自分の目で見て判断することをおすすめします。水産政策審議会の資源管理分科会議事録はここにあります。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/
毎年、11月にTAC値の審議が行われますので、そこを重点的に読んでください。

 

TACを前年より若干減らすというフィードバック方式をとっていたから、水産庁の説明はおかしくない

フィードバック方式かなんだか知らないが、資源量を超えるような漁獲枠を出すのは論外。
「フィードバック方式は、かなり有力な手法である」とか自画自賛しているけど、資源量を超えるような漁獲枠を出した時点で、その方法が機能していないのは自明だろう。

実は、フィードバック管理は俺の専門分野だったりするのだが、TACがフィードバック方式なんて初めて聞いた。当時のTACの設定をフィードバック方式の管理と呼ぶのは、全くの論外である。確かにフィードバック制御は使い方次第で効果があるのだが、10%という小さな変動幅では、よほど寿命が長く、変動が小さな資源しか管理できないというのは、我々の間では常識だ。

実際のマイワシの資源を対数で表現すると下のようになる。削減率10%だと、赤線のように漁獲枠が減少していくのだが、実際の減少(青線)はそれよりも急なのだ。毎年、漁獲枠を10%削減し続けても、資源はそれ以上の早さで減ってしまうので、いつまでたっても漁獲にブレーキはかからないのである。10%変動幅でのフィードバック方式で、変動が大きなマイワシを管理できるはずがない。
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さらに、フィードバックをかけているのは、実漁獲ではなく、過剰に設定されたTACであることに注意が必要だ。当時の状況を整理すると、TAC38万トン、漁獲量13万トン、資源量26万トン、ABC2.4万トン(笑)だったわけだ。TACは、資源量の1.5倍、実漁獲量の3倍という、明らかに過剰な状態であった。すでに大幅に過剰なTACを10%削減しても何の効果もないことは明らかだろう。このときの資源量は26万トンしかないのだが、TACが26万トンまで減るのに4年もかかる。4年間も、獲りたいだけ獲れば、さらに資源状態は悪化するだろう。当時の漁獲量の13万トンまでTACが減るのは12年もかかる。12年間も漁獲にブレーキがかからない資源管理など、聞いたことがない。

当時の漁獲のもとで資源が減少していたのだから、実漁獲量を基準に漁獲枠を削減しなければ、フィードバック管理とは呼べない。前年の漁獲量の13万トンの1割減で、TACは11.7万トンにするとかいうなら、まだ話はわかる。漁業経営の観点からも、実際に13万トンしか獲っていないのだから、実漁獲ベースで考えるのが妥当だろう。

結論:当時のTACの算出方法はフィードバック方式とはとうてい呼べない。また、どのような方式であろうと、資源量を上回るような漁獲枠をだすような方法を正当化することはできない。

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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その2

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無誤謬性などという一般的ではない単語をもち出てくるので、

一般読者には訳わからんと思うので、説明しよう。



日本の社会というのは「エリートである官僚は失敗をしないので丸投げして安心」という前提で運営されてきた。丸投げする側は思考停止できたし、丸投げされる側は自由裁量で何でもできた。このシステムが、戦後の一時期は機能したのだが、現在は完全に制度疲労をしている。相次ぐ不祥事によって、官僚への信頼は失墜してしまった。これを「官の無誤謬性神話の崩壊」と呼ぶ。



無誤謬性の維持こそが、官僚システムの要であり、官僚のアイデンティティーなのだ。役所は無誤謬性を維持するために、過ちを認めない。また、できるだけ情報を出さないようにする。

岩崎氏の頭の中では官の無誤謬性は健在なのだろう。「過ちを認めて事後的に変更されるABCは無誤謬性がないので信用できない。だから、過ちを認めない水産庁が決定するTACの方が信用できる」というのが彼の主張の骨子だ。

そもそも研究者は最初から無誤謬性など主張していない。資源評価が不確実であることを認めているからこそ、新しい情報が得られるたびに資源評価を更新しているのだ。そして、そのプロセスを公開し、透明性を高めることで社会的信用を得ようと考えている。常識的なアプローチと言えるだろう。

無誤謬な資源評価など世界中どこを探してもないわけだ。だからといって、科学的な資源評価を無視しても良いと言うことにはならない。例えば、UNCED「リオ宣言」では、次のように明記されている。

破壊から環境を保護するために、諸国は、それぞれの能カに応じて、広く予防的アプローチを展開すべきである。深刻なあるいは不可逆的な損傷がじる恐れがあるような場合、費用効果的に有効な対策について、科学的不確実性を口実にして、その実施引き延ばしを図るようなことがあってはならない。

「不確実性を口実に管理・保全をしないというのは駄目ですよ」ということだ。不確実性を前提にするなら、最善の策は、①意志決定プロセスの透明化を徹底することと、②新しい情報を素早く取り入れることの2点である。現行のABC決定に関しては、まだまだ改善の余地があるが、研究者は一貫して、このような方向を目指してきた。

水産庁とわれわれ研究者では目指すところが全く違うのだ。それをまとめると次のようになる。

水産庁の無誤謬性による安心システム

前提条件:エリートである官僚は間違えないだから、国民は丸投げして安心

行動規範:官僚は国民に余計な説明はせず、一度決めたことは変えなければよい



研究者の説明責任による信頼システム

前提条件:人間誰しも間違える

行動規範:説明責任を果たすことで信頼を得る。過ちが明らかになったら、素早く対応する。

ABCが事後的に更新されることをもって、ABCは信用できないと主張する岩崎氏は、自らの無知をさらけ出しているだけである。 そもそもだれもABCの無誤謬性など主張していないのだから、岩崎氏の文章は何の反論にも成っていないのである。


「水産庁はABCを絶対視すべきでないと言ったと勝川氏は非難しているが・・・」の部分は稚拙な印象操作である。元の俺の文章はこれ。

ABCとTACの乖離を批判する声に対して、水産庁は「ABCを絶対視すべきではない」と主張し、ABCへの批判を繰り返している。ABCとの乖離を批判している人間は、ABCを絶対視しているのではなく、根拠がないTACを問題視しているのである。TACに対してABCと同レベルの説明責任を果たした上で、TACの方がより妥当であると示せるなら、誰も文句は言わないだろう。

ABCを絶対視しろと主張しているのではない。むしろ、逆立ちしてもそう読めないように書いたつもりだ。岩崎氏はこの文章に反論をしているのだから、読んでないと言うことはあり得ない。「ABCを絶対視しているのではなく、根拠がないTACを問題視している」と明記しているのだから、うっかり読み違えるはずがない。読者をミスリードするために、故意に読み違えたと考えるのが自然である。まともな反論ができないから、せこい印象操作をしたのだろう。しかし、こんな稚拙な印象操作が通用するほど世の中は甘くない。

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無責任発言時代か(岩崎寿男)を読み解く その1

俺の基本スタンスとして、自分に対する反論は大歓迎だ。議論を通して、論点が明らかになることもあるだろう。ただ、岩崎氏の反論はレベルが低すぎて、議論にも何にもなりゃしない。そもそも無理解や誤解の上に批判を展開しているから、どうしようもないのだ。まあ、水産庁の中枢にいた人間のレベルがよくわかるという点では価値はある。また、改革に反対する勢力のお粗末さもよくわかるだろう。まともな反論はできない上に、勝手に墓穴を掘ってくれる岩崎氏には今後も活躍をしてもらいたいものだ。ただ、残念なことに、この人の文章は、ほとんどの人には理解不能だろう。これではもったいないので、解説を入れることにする。

まずは、4/10日の文章について分析してみよう。

最初の3段は、独善的とか、無責任とか、抽象的に誹謗しているだけで、特に内容はない。「おまえのかあちゃんでべそ」レベルですね。

笑ってしまったが「多くのデータにより普遍的に自分の主張が成立することを実証して論じるという通常の学者のルール」の下りだ。水産庁→北まき理事という都合の悪い過去を隠してる人間が偉そうに何を言う。当事者が第三者を装って自己弁護をするのは、人としてのルールに反していると思うけどな。

4段目はまっとうな内容だと思ったら、俺の文章の要約だった。ABCを超えたら乱獲というのはABCの定義から自明だし、根拠が不明なものより、根拠が明らかな方が信用できるというのも当然だろう。ルールを破る不届きものがいるのだから、何らかの強制力が必要なのは自明だし、現在まったく機能していないTAC制度を改善するのは当然だ。俺の言っていることは、実にわかりやすいじゃないか。

ABC値以上獲ると乱獲は誤り
これは、岩崎氏のABCに対する無理解を示している。ABCとは、そもそもの定義からして、それを超えたら乱獲になる閾値なのだ。「ABCを超えても乱獲ではない」というのはあり得ない。ABCを超えても乱獲ではないなら、それはABCではないわけだ。


資源が減るとか不都合なことが起きているか。起きていない。
では、大中巻き網対象魚種の資源量を見てみよう。マイワシは明らかに減っているし、マサバは増えているとか言い切っているが、対馬系群は明らかに減っている。マサバ太平洋についても、卓越を獲り尽くしただけだ。「乱獲で資源回復の芽を摘んだ」というのが適切な表現だろう。マアジも太平洋は減少傾向だし。まともなのはマアジ対馬ぐらいじゃないか。
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そもそも、北巻きなんて、獲るものが無くてモグラたたきみたいに未成魚が沸くたびに根こそぎ獲っているんだから、不都合があるのは明白だろうに。不都合がないなんて寝言は、休漁補償金を返納してから言ってほしいね。

サンマの漁獲はABCを下回っていたが、ここ数年、資源は下がり気味であり、ABC値は資源管理の基準として不適切である。
魚は自然変動する。歴史的にも希な高水準にあるサンマが、平均的な水準まで自然減少するのは当然だろう。サンマは超高水準から、高水準へと自然減少をしただけで、資源状態は現在も良好だ。資源量と比べて漁獲の規模は小さいから、まだまだ獲れる。出荷調整をしているだけで、まじめに計算すればABCはもっと多い。
岩崎氏は「ABC以下の漁獲なら資源は必ず増える」と勘違いしているようだが、そんなことはない。高水準のサンマは獲らなくても自然に減る。だからといって、ABCをゼロにして、現状を維持するために種苗放流をするべきだろうか。それこそ理不尽だろう。高水準資源については、ABCは漁獲の妨げにならないように設定すべきだし、実際にそうなっているのだ。
サンマや、するめいかは、高水準から、通常の水準へと戻っているだけで、今の資源状態は悪くない。ここ数年は、もっと獲っても問題は無かった。一方、マイワシとかマサバとか超低水準の資源は、一刻も早く回復措置を執る必要がある。特にマイワシは、現状を維持するだけでは危険な水準なので、安全を見て控えめに獲るべきなのだ。ABCは資源の状態を考量した上で、設定されている。「漁獲がABCを超えたら資源が減る」とか、「漁獲がABC以下なら資源が増える」と言ったものではないのだ。まあ、こんな勘違いをするのは岩崎氏ぐらいだろうが。

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今日のブログはお休みです

みなと新聞の原稿を鋭意執筆中です。
今日が締め切りなんだけど、まいったなぁ。
というわけで、今日はブログを書く余裕がないです。
今回は、Wormの2048年漁業消滅説の解説をします。
国内のネタは扱いませんので、
肩の力を抜いてお楽しみください。

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無責任発言時代か 岩崎寿男 その2

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無責任発言時代か 岩崎寿男 その1

TAC制度をちゃんと見直すように、厳しく批判をしたところ、変なところから反論(?)がきた。

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この人は水産庁から、北巻き理事に天下ったんだけど、業界の守護神を自認しているみたいで、
俺に関する怪文書をばらまいたり、いろいろとがんばっているのだ。
水産庁&北巻きといえば、俺が常にやり玉に挙げているツートップであり、
水産庁から北巻に天下った岩崎氏は、当事者の中の当事者と言えるだろう。
岩崎氏が部外者だったら、当事者なんて日本に一人もいなくなるというレベルのバリバリの当事者だ。
にもかかわらず、みなと新聞では「漁業経済学会会員」とか「「民間の学識経験者」とか名乗っているから、
あきれてしまう。
まあ、確かに天下りしたら民間人だし、金を払って学会に入っていれば学識経験者と言えないこともない。
嘘ではないかもしれないが、当事者が当事者であることを隠して批判をするのは、フェアではない。
このあたりの行動が岩崎氏の本質をよく表していると思う。
まあ、岩崎氏が自らの過去を隠しても、俺が書いちゃうから、隠している意味はないんだけどね。

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みなと新聞連載 08年3月 後編

みなと新聞 3月21日

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TAC制度の見直しに入る前に、問題点を指摘しておこうと思ったんだけど、
問題点を列記していくときりがないんだよ。
当時のブログにはこんなことが書いてあったりする。

水産庁が4月からTAC制度を見直すらしい。良い機会なので、みなと新聞の連載用に「TAC制度の問題点と改善案」をまとめてみたのだが、気がついたら9ページもの大作になっていた。連載記事の目安は1500文字なんだけど・・・

ど う す れ ば い い ん だ ?
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2008/03/post_311.html

1回で納まるようにがんばって削ったんだけど、結局、2回になってしまったよ。
みなと新聞が太っ腹だから、全部載せてくれたのでよかった。

この連載で言いたかったことは、
1)TAC制度は資源管理になっていないので、現状を正当化するのは無理。
2)ABCが駄目だとか居直って、何も変えないつもりなら、後で困るよ。
3)だから、気合いをいれて見直した方が良いよ。でないと後で公開するよ
ということだ。
これだけストレートに書けば、誰が読んでもわかるだろう。

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みなと新聞連載 08年3月 前編

TAC制度を見直しするとはいうものの、聞こえてくるのはABCへの非難ばかり。
使いもしないABCじゃなくて、TACを何とかしないとだめだろうに。
ということで、「今のままじゃ駄目なんだから、ちゃんと見直してください」と熱いエールを送ったのがこれ。
みなと新聞の08年3月20日の1面に掲載されました。

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エールは届いたかな?

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TAC制度の見直し会議1回目の感想

みなと新聞4月28日 1面より引用

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ついにTAC見直し審議が始まりましたね。
プレスリリースはこちら→http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/kanri/080417.html
委員についての詳細はこちら→http://www.jfa.maff.go.jp/j/press/kanri/pdf/080417-01.pdf

まず、須能委員の「水産業管理という視点が必要。漁業者だけでなく、加工・流通を含む国民的視点で議論を」という発言には全面的に賛成。また、川本委員の「金額により漁業が成り立つかが最大の眼目」というのは、資源が無ければ漁業は無くなるので、それだけではだめでしょう。重量ではなく金額(利益)ベースで考えるという視点は、大切なことですね。限られた自然の生産力の範囲で、最大の利益を得られるようなサプライチェーン(漁獲→加工→流通)を構築することが重要です。その上で、漁業者・加工業者・流通業者に利益が平等に配分できるような枠組みを模索すべきでしょう。

馬場座長代理は、いつもの「反対!!反対!!」ですね。

黒倉・大倉委員の「納得できるプロセスを設けるべき」というのは、「誰が」納得するのかが不明です。「国民が」なのか、「特定漁業者が」なのか、「水産庁が」なのかによって、大きく異なるはずです。藤島委員の「漁業者が納得しないと無理」というのは、「漁業者が反対するから資源管理は無理」という意味なのか、「資源管理をするために漁業者を納得させる必要がある」という意味なのか判断がつきません。魚がいなくなれば、漁業がなくなるわけですから、納得しようがしまいが、乱獲はだめでしょう。漁業者だけの問題ではないのですから。ただ、漁業者にも納得できるように説得をすることは重要だと思います。

大倉委員の「(TAC)対象となる要件が曖昧」という批判は当たらないでしょう。重要な広域資源を網羅するという意味では、現在のTAC対象魚種はかなり妥当な判断だと思います。ただ、問題がある資源も無いわけではない。TAC対象でも分布の中心が日本のEEZの外側にあり、資源評価ができないようなものは、国際的な枠組みで管理をすべきでしょう。また、ブリやイトヒキなどはTAC対象とすべきだろう。「いたずらに対象種を増やす」べきでないのはあたりまえだが、この部分はちゃんと議論をする必要がある。6回も会議があるんだから、1回ぐらいはTAC対象の見直しにつかっても良いだろう。

長屋委員の「ITQは構造政策に関係する」というのはまさにその通り。今の構造ではだめだから、ITQを導入して構造を変える必要があるのだ。川本委員の「ITQは寡占化を招く、非常に問題を含んでいる」というのは論外でしょう。「ITQを導入しなければ寡占化を防げると思っているなら、とんだ世間知らずだなぁ」と思ったら、全巻関係者でした。納得。
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日本の漁業者は激減し、20万人を割り込み、さらに減少中だ。60歳以上が約半数を占める一方で、24歳以下は3%にも満たない。つまり、ITQをやらなくても、漁業者は減り、寡占化は進むことは確実なのだ。

日本漁業は、どう転んでも、ある程度の寡占化は不可避なのだ。ただ、今まで通りの早いもの勝ちを続けるか、生物学的な漁獲枠を遵守するITQを導入するかで、その先の漁業の行く末は大きく異なる。

早い者勝ちの無管理状態では、より早く、より根こそぎ獲った漁業者が生き残る。乱獲力の高い漁業者が生き残り、資源の枯渇は加速していく。今のままでは、資源をどこまでも減らし、漁業者もどこまでも減るだろう。行き着く先は漁業という産業の崩壊である。

漁業者の減少を食い止めるには、ABCを遵守して資源の減少を食い止める必要がある。その上で、ITQを導入すれば、漁獲枠あたりの利益が多い漁業者が生き残る。漁獲枠あたりの利益の向上が、漁業者の維持につながる。一定の漁獲枠から得られる利益が倍になれば、倍の数の漁業者が生き残れる。生物学的な漁獲枠を遵守するITQこそ、漁業者の減少を最小限に抑える方策なのだ。

「非常に問題を含んでいる」のはITQではなく、資源管理を放棄してきた日本漁業の方である。ITQは日本漁業の構造的な問題の一部を解消するのに役立つだろう。

長屋委員が指摘するように、ITQの導入は漁業のあり方を大きく変えることになるので、いきなりITQを導入というのは、難しいだろう。まずはIQを導入し、漁獲枠の譲渡に関しては時間をかけて議論をしていくのが良いと思います。

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