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勝川俊雄公式サイト

新聞記事が出たようだ

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http://www.asahi.com/science/news/TKY200701160340.html

全体として、朝日新聞らしい記事に仕上がっている。
タイトルはTACを超過する漁獲を許していたような印象を与えるのでどうかと思う。
「許容漁獲量」ではなく「生物学的許容漁獲量」と書いて欲しかったが、
見出しは字数制限がきついだろうし、そのあたりは新聞社の判断だろう。

俺のコメントは以下の通り。
「90年代以降、太平洋のマイワシは適正な漁獲を守れば増える可能性が高かった。
資源量が減った以上、現状に見合った規模に漁獲量を減らすべきだ。」
ウェブ版しか見てないけど、紙媒体の方も同じだろう。
実際の記事が出るまでドキドキしたけど、
自分の意図したコメントが掲載されたと思う。

その後の廃業云々という話が続く部分は少し気になった。
これも俺のコメントなのだろうか?
取材には「廃業」という表現を使った覚えはない。
たしかに過剰努力量を削減する必要についてはコメントしたので、
それを拡大解釈していけば、廃業に結びつくかもしれない。
でも、いきなり廃業では話が飛躍しすぎだろう。

まずいっす

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ブログを書いていたら、締め切りを過ぎている仕事を発見。
本当の締め切りにはぎりぎりで間に合いそうなので、良かった。
明日からセミナー再開なのに、セミナーページの更新も忘れていたし、
いろいろとてんぱってます。あれも、これも、やらないと。

ブログに書くべきネタは尽きないのですが、
執筆者の体力と気力が尽きまくりです。

反漁業運動の傾向と対策

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「漁業は環境破壊であり、その存在自体が気に入らない」という反漁業派が増えている。
彼らは、漁業に向かって様々なプレッシャーをかけてくる。
年々、プレッシャーは強まってきて、防戦一方という状況にある。
漁業への非難の中にはいわれのない中傷もふくまれるので、
個別に地道に反論をしていくことが重要だろう。
ただし、それだけでは限界がある。
というのも、反漁業派の警鐘はマスコミ経由で、あっという間に広がるが、
それに科学的に反論をしたところで、専門的な雑誌に掲載されるのがせいぜいであり、
苦労が多い割には漁業のイメージ低下をほとんど回復できないのだ。
対処療法的に投げつけられたウンコを拭くのも大事だけれど、
ウンコを投げられなくするような根本療法についても考える必要がある。

現在の漁業は、資源の保全を考えているとはとうてい言えない。
漁業は環境破壊だと言われても、反論ができない場面が多い。
Myersらの解析はお粗末だからといって、
マグロ漁業が資源を持続的に利用していることにはならない。
どう見てもマグロは獲りすぎだろう。
Myersのウンコの投げ方が駄目なだけで、ウンコを投げること自体は妥当な行為だ。

漁業が短期的な利益のみを追求し続けてきた結果、
漁業は環境を破壊する悪い産業であるという世論が育ってしまった。
不正漁獲がばれても「日本だけじゃない」とか言い訳をしてみたり、
こそこそと情報規制をして無かったことにしようとしているようでは、
漁業に対する不信感が育ち、風当たりは強くなって当然だろう。
反漁業運動を育てているのは、持続性を無視した漁業なのだ。
反漁業運動が活発化しているのは、身から出たさびとしか言いようがない。
世渡り上手な研究者が反漁業運動に上手にのっかっている。
これらの研究者を非難しても、
そこに反漁業運動の下地となるような一般人の漁業への反感があるかぎり、
事態は全く改善されないだろう。
世渡り上手な人間はどこに出もいるのだから。
持続的な漁業を行った上で、それを一般人に広報していく以外に、
反漁業運動を押さえ込む有効な手段は無いだろう。
非持続的な漁業を放置して、ボロを隠せばよいと思っているなら、それは大きな勘違いだ。

Faith-based Fisheries

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俺が尊敬するHilborn博士が最近書いたエッセイがいろいろと話題になっているので、
ここでも紹介しよう。

Hilborn R. (2006) Faith-based Fisheries. Fisheries 31(11) 554-555
ここからpdfを落とすことが出来るので、つべこべ言わずに原文を読むべし。
http://web.fisheries.org/main/images/stories/afs/3111.pdf

要約

最近10年の間に、漁業は悪という先入観に基づく論文が、
NatureやScienceといった著名な雑誌に掲載されるようになった。
漁業が生態系に壊滅的なダメージを与えているという結論がはじめにありきで、
その結果に至るロジックには飛躍や我田引水が多く見られる。
NatureやScienceといったジャーナルは、科学的な妥当性よりもむしろ、メッセージ性によって
掲載する論文を決めているようである。

カナダのMyersは世界のマグロが9割以上減少したという論文をNature誌で発表し、
世界的な反響を呼んだ。
Myers RA, Worm B. 2003. Rapid worldwide
depletion of predatory fish communities. Nature. 423:280?283.
http://www.fisherieswatch.org/docs/261.pdf
Myersは日本の延縄のCPUE(1000針あたりの漁獲尾数)データを元に、
マグロ資源は9割以上減少したと主張したのだが、
延縄のCPUEは資源量の指標として使えないことがわかっている。

Walters(2003), Hampton et al.(2005), Poracheck (2006)など、
Myersの論文を批判する内容の論文がすでに発表されている。
これらの論文は、マグロの減少や管理の必要性は認めつつも、
Myersらの恣意的なデータ選択や、我田引水な結論を批判している。

問題点を整理すると次のようになる
1)いくつかのジャーナルは、センセーショナルなメッセージ性を優先して論文を選ぶ
2)対象となる漁業を知らない査読者が、欠点だらけの論文を通してしまう
3)科学的な反論は、水産の専門誌にしか掲載されないので、間違った情報が一人歩きする。

非科学的な論文は却下できるように、査読プロセスを再構築する必要がある。
どんなにキャッチーなメッセージ性をもっていても、
検証可能な仮説と証明に不備がある論文は却下しなくてはならない。
そのためには、データと問題を熟知した査読者を選ぶ必要があるだろう。

俺の雑感

さすがは、Hilborn。実に、論点が明確で説得力がある。
広範なフィールドを扱う雑誌にアンチ漁業的な論文が増えてきて、
なんとなく困ったことになりそうだと思っていたところに、
じつにわかりやすく問題を説明してくれた。
たったの2ページなんだから、原文を読まないと駄目だろう。

延縄のCPUEは60年代に8割程度下がっているが、
その後も60年代の倍以上の漁獲を今日まで続けている。
Myersが主張するように、延縄のCPUEが資源量を反映していて、
60年代に8割も減ったなら、世界中のマグロはとっくに絶滅しているだろう。 
60年代の漁獲は、延縄に掛かりやすい局所集団を激減させた可能性は高いが、
マグロ全体を8割も減らしたとは言えない。
このあたりは魚住さんの本に詳しく書いてあるので、ぜひ読んで欲しい。

マグロは絶滅危惧種か
マグロは絶滅危惧種か

posted with amazlet on 07.01.07

魚住 雄二 日本水産学会
成山堂書店

確かにマグロの多くは乱獲されて、資源回復の必要があるだろう。
ただし、資源の有効利用の観点から減らしすぎているのであって、
種として絶滅するような状況にはないことは明白である。
にもかかわらず、IUCNはクロマグロを絶滅のおそれが最も高い種として指定している。
これは、IUCNの絶滅危惧の指標が科学的な絶滅リスク評価よりも
むしろFaith-basedな価値基準に基づいている証拠であろう。
政治的な思惑から、絶滅のおそれがないものを絶滅危惧種として登録するような団体は信用できない。
また、Myersの論文のように、非合理的なロジックで漁業を非難するのも論外だろう。
生態系保全という目的が正しければ、どんな手段でも正当化されるというものではない。
マグロが獲りすぎだということを科学的にきちんと示す方法はいくらでもあるはずだ。

新年ご挨拶

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研究者の本分は論文を書くことですが、
水産学は実学である以上、社会にメッセージを送る義務もあります。
水産資源に関する情報をネットに書いたところ、
予想を上回るリアクションがありました。
これは、水産資源の情報が公開されていない現状を物語っています。

日本の漁獲量はピークよりも半減しましたが、
日本近海の生物の生産力はまだまだあります。
しかし、現在の漁業を放置しておけば、
いずれ取り返しの付かないことになるでしょう。
日本の漁業を改善していくためには、
現在の問題点を洗い出し、対策を練っていく必要があります。

日本の漁業には至る所に問題が山積みにもかかわらず、
問題があるということすら口にしづらい雰囲気があります。
その結果、様々な問題点が放置されたまま、
ずるずると非効率的・非持続的に資源が利用されています。
問題点を隠そうとする人間と、問題点を特定しようとする人間の
どちらが漁業の将来を考えているかは言うまでもないでしょう。

漁業という巨大なシステムの全てを理解している人はいません。
だから、皆で知恵を絞ってより良い漁業を目指さないといけない。
今年度も水産資源研究者の視点から、
ビシビシと問題提起をしていくつもりですので、
よろしくお願いします。

ミナミマグロの報道

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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/20061218/20061218_013.shtml

最終的に確認した文章がそのまま掲載されたのでグッド。

ミナミマグロ問題に関しては、漁業交渉の最中に情報を規制するのはしかたがないだろう。
弁護人は、被告の不利になるような情報を隠す義務があるのと同じこと。
すでに、今後5年間はTACの半減が確定したのだから、これ以上情報を隠しておく必要はない。
また、漁業交渉の場所(CCSBT)で議論されていた内容を日本国内で公開しても、
ミナミマグロの交渉には何ら影響を与えない以上、情報公開をすべきだろう。

ミナミマグロ漁業の管理は難題であったことは間違いない。
最初からきちんと取り組んでいれば、少なくとも国内問題で収まったはずだ。
知らぬ存ぜぬで過剰努力量の問題を先送りし続けた結果、
国際問題にまで発展させてしまい、結果として国益が大きく損なわれた。
すでに国際問題としては決着がついた今だからこそ、
国内問題として、しっかりと向き合う必要があるはずだ。
漁業の構造的な問題は何一つ改善されていないのだから、
きちんとした対策を講じなければ、同じことが繰り返されるだろう。

新聞取材を受ける機会が増えた

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コメントを求められるのは、他に対応する人が国内にいなさそうなやばいネタばかり。
水産資源の現状を一般人にわかりやすく説明するのは、専門家としての義務だと思うので、
どのようなネタであろうとも、出来る限り対応していくつもりではある。
専門家としての義務を果たすことで、日本の水産業に良い影響を与えると思う。

日本近海の資源は酷い状態で、このままだと水産物の自給は困難になる。
そのことを国民に知ってもらったうえで、
次の2つの選択肢のどちらを選ぶかを考えて欲しい。
1)将来の水産物自給のために、国として漁業をサポートする
2)漁業が廃れるのを放置して、輸入に依存する
俺としては前者をえらんで、将来の食糧供給のために
国として、社会として、漁業をサポートするような方向に進んで欲しい。
その問題提起をするために、メディアの力を利用したい。

記者としては、漁業バッシングや水産庁バッシングみたいなトーンの記事が書きやすいのだろうが、
俺としては、漁業の窮状をサポートするための世論を高めるという意図で取材を受けている。
漁業のイメージを悪くするだけのバッシング系の記事には協力するつもりはない。
しかし、必ずしも俺の意図したような記事になるとは限らない。
取材の内容を切り張りした結果、本来の趣旨とは正反対のコメントが記事なり、
コメントをした本人がびっくりという例もある。
こういった事態を防ぐために、最終的な原稿をチェックさせてもらうことを、取材の条件としている。
この前取材を受けた新聞社は、内規で原稿を印刷できる形で渡すことはできないということで、
電話でコメントの最終チェックをすることになった。
この内規は取材を受けた後に聞いたので、「なんだかなぁ」という感じがする。
俺のコメントは水産庁を糾弾するようなノリになっていたので、
この内容だったら名前を使わないで欲しいと伝えたところ、
それでは全体を変更しましょうということになった。
電話では、細かい部分まで確認しきれない部分もあり、
自分が意図したような記事になってくれるのか、一抹の不安はある。
まあ、大丈夫だろうと思うけど、正直、記事が出てくるまではわからない。
また、記者が書いた原稿を、デスクが変更する新聞社もあるらしいし。
自分の名前(というより東大海洋研と言う肩書き)が
自分が意図しないような形で利用されてしまうリスクは常にある。

このリスクを避けるには取材を受けるのを止めれば良いのだが、
それでは専門家としての義務を全うできない。
日本の漁業にプラスになるような記事を書いてくれるなら、
今後もどんどん情報提供をしていきたい。
逆に、漁業=環境破壊というようなレッテル張りに利用されないように気を配る必要がある。
勉強している記者と話すとこちらも得るものが多いので、
取材自体は楽しいのだけど、いろいろと気を遣うことも多い。
試行錯誤でメディアとの付き合い方を学ぶ必要があるんだろうな。

漁業者が自然に減るのを待っていたら手遅れになる

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「わざわざ減船に金をかけなくても、漁業者は勝手に減るから良いだろう」
水産庁はそう思っているようにみえる。
確かに放置しておいても漁業者は減るが、
自然淘汰に任せていたら、漁業の衰退に歯止めはかからないだろう。

gyogyousha.png

沿岸、沖合・遠洋漁業別漁業就業者数累年統計 より)

ここ30年以上、資源が枯渇していく中で、漁獲量は減少を続けている。
その結果、多くの経営体が淘汰されてきた。
過去20年の間に漁業就業者の数はほぼ半減している。
では、漁業者が減ったことによって、残された漁業者の経営は楽になっただろうか?
漁業者の数は激減しても、漁業経営は厳しさを増すばかりである。

淘汰される寸前の経営体は、少しでも赤字を減らすために、
なりふり構わず漁獲量を増やす傾向が強い。
その結果、資源をさらに枯渇させて、連鎖的な経営破綻を引き起こす。
漁業者を自然淘汰で減らしたところで、
漁獲努力量と資源の生産力のバランスは是正されないのだ。
それどころか、資源と他の経営体を道連れにする可能性の方が高い。

漁業者の高齢化が進んでいるので、今後も漁業者は減少するだろう。
漁業者が減ったところで、資源状態が悪化するので、
漁業者一人あたりの漁獲量は減る可能性が高い。
漁業者が減れば、加工や流通のコストが結果として上がることになり、
ますます日本漁業の国際競争力は失われるだろう。
漁業者は、生き残るために漁獲量を増やそうとしのぎを削っている。
確かに多く獲れる経営体の方が生き残る可能性が高いだろうが、
過酷なイス獲りゲームに勝ち残ったとしても、明るい未来は無いだろう。

漁業者の自然淘汰を待っていては、資源も漁業も失われてしまうだろう。
資源の生産力があるうちに、人為的に努力量を減らさないといけない。
税金を使ってでも、経営が成り立たない漁業を速やかに縮小した方が長期的な国益に適うはずだ。

ミナミマグロ不正漁獲の原因を推理する

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なぜミナミマグロは不正漁獲をしてしまったのか?
当事者の声が全く聞こえてこないので、
部外者がそこに至るストーリーを想像してみた。

CCSBTのTAC管理によって、1985年から1990年の5年間で漁獲量を7割削減することになった。
油代がかさむ遠洋漁業では、これでは経営が成り立たないだろう。
船に多額の資本投資が必要な遠洋漁業は、
経営が厳しいからと言って船を出さないわけにはいかない。
そういうなかで、1989年までは漁獲枠を守っていたわけで、
並大抵の努力では無かったはずだ。
90年代にはいって、畜養によってマグロの値段が下がると、
経営が破綻し、不正漁獲をせざるを得なくなった。
そして、ずるすると不正漁獲を続けるうちに資源が減ってきて、
現在に至るわけだ。

では、漁業者に何が出来たか?
おそらく、何も出来なかっただろう。

マグロ漁船は減価償却が長く、きわめて長期的な投資になる。
1980年代前半に、5年後には漁獲枠が7割削減されると予測できたはずがない。
漁業者が今後も現状の漁獲が出来ると考えて設備投資をするのは無理からぬ事だ。
しかし、日本が国として国際機関CCSBTの管理を受け入れたことで、
漁獲量は厳しく規制されることになった。
CCSBTの管理を受け入れたのは漁業者ではなく日本国なのだから、
国として漁業者の漁獲量削減をサポートをする義務があったはずだ。
サポートをする気がないなら、国際的な管理機関などに入るべきではなかった。
厳しい規制を課すにもかかわらず、水産庁は漁業のリストラを充分にサポートしなかった。
その代わりに、漁獲の取り締まりもしなかった。
ミナミマグロの漁獲量の集計は、船からFAXによる自己申告だけ。
オブザーバーがいるのは全漁船の10%程度なので、ごまかしたい放題だったわけだ。
実行不可能な規制を押しつけておいて、サポートも取り締まりもしない。
漁業者の選択肢は座して死を待つか、不正漁獲をするかしかない。
彼らが後者を選ぶのは必然といえるだろう。
不正漁獲という抜け穴がなければ、90年の時点でミナミマグロ漁業は社会問題になったはずだ。
漁業者と水産庁でもめただろうが、国内問題として処理されて、
結果として、国際的な信用と漁獲枠を失うことは無かっただろう。
また、不正漁獲が無ければ、今頃は資源がそれなりに回復していた可能性が高い。

水産庁の資源管理への姿勢は、「金は出さないし、口も出さない」で一貫している。
資源管理に必要な費用をケチった結果、漁業者に不正漁獲を余儀なくし、
ミナミマグロの過剰努力量という国内問題を国際問題にして、
日本の漁獲枠と国際的信用が失われてしまった。
ミナミマグロの不正漁獲問題の本質はここにあると俺は思う。
来年からミナミマグロのTACは6000トンから3000トンに半減される。
TACは半減だけれども、
実際は10000トン獲っていたのだから、実漁獲で見れば7割削減になる。
当然のことながら、これでは生活が成り立つはずがない。
今回も何のサポートもしないなら、
別のマグロの不正漁獲が増えるだけだろう。

ミナミマグロにこだわる理由

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国内の動きを見ていると、責任の所在を曖昧にしたまま、
不正漁獲問題を過去のものにしたいようだ。
「同じ日本人なのに漁業者をいじめたら可哀想」
「他の国だってやっていることで日本だけが悪いわけではない」
「今回の漁獲枠削減は懲罰ではなく、日本が進んで範を示したのだ」
こういった発言ばかり繰り返されている。
苦い過去をうやむやにすることが真の意味で漁業のためになるはずがない。

ミナミマグロ不正漁獲は、すでに国際問題に発展している。
国内世論さえごまかせればそれで良いというレベルではない。
特に痛いのが、世界の研究者からの信用を失ったことだ。
国際交渉の場では、サイエンスという土俵で国益をかけた戦争が行われている。
ミナミマグロの管理を巡っては日本とオーストラリアが泥仕合になってしまったので、
中立な研究者(凄いメンツだよ!)を呼んで調停をしてもらっていたという経緯がある。
2国間の戦争が泥沼になったので、多国籍軍にPKOをしてもらっていた感じだ。
中立な研究者達が日豪の間を取り持って、
5年もかけて管理の枠組みをようやく完成させたと思ったら、
その基礎となったデータがねつ造だったいうのだから、しゃれにならない。
今回の不正行為は、多国籍軍の陣地にタマを撃ち込んだようなものだ。
また、国益のために最前線で頑張っていた日本の研究者の多くは、
可哀想に不正漁獲の事は知らなかったらしい。
彼らにしてみても、ヤリキレナイ川だろう。
敵に塩を送り、味方の戦意を失わせ、中立軍を敵に回す。
この愚行は、ミナミマグロ戦線が壊滅しただけではなく、
他の国際資源の戦線を著しく後退させる可能性がある。
ハッキリとした因果関係は見えないかも知れないが、
国際的な信用の低下が大きな損失であることは疑いの余地がない。

ミナミマグロ漁業に関しては、漁獲枠を失った、国際的な信用も失った。
漁業としては失うものはもう無いだろう。
だからこそ、この事例を糸口に日本漁業の構造的な問題に向き合うべきなのだ。
● なぜ、不正漁獲をしてしまったのか?
● どうしていれば不正漁獲は防げたのか?
これらの2点を整理して、再発を防がないといけない。
このブログでミナミマグロ問題を扱っているのは、
別に漁業者バッシングをしたいわけではない。
むしろ、犯罪者扱いをされて漁獲枠を取り上げられる漁業者を少なくしたいのだ。
そのために、問題の所在を明らかにした上で必要なサポートを明らかにする。
それが漁業を良くするためには必要な作業だろう。
この一件をうやむやにしていたら、同じようなことが繰り返されるだろう。
こういう事を繰り返していたら、
世界中の漁場から日本漁船が閉め出されても文句は言えない。
そういう状況だけは防がないといけない。

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