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漁業システム論(8) ジーコジャパンと日本漁業

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世界のサッカーでは、システムとして機能するチームが勝ってきた。
スーパースターを並べればそれで勝てるわけではない。
歴代のサッカーチームのなかで、最もタレントが豊富だったと言われる
黄金のカルテットですら、結果を残せなかったのだ。

ジーコ・ジャパンのシステムは素人目にも破綻していた。
システムが破綻しているときに、選手個人に出来ることはほとんど無い。
ジーコ・ジャパンがドイツで惨敗したのは選手の責任ではない。
誰がピッチに立とうと、同じような結果に終わっただろう。
システムの不全は、監督であるジーコの責任だ。

だからといって、ジーコを非難してもしょうがない。
彼なりにベストを尽くしたのだろうから。
世界のサッカーは90年代以降、戦術が急速に進化したのだが、
ジーコはその時期に日本でプレーして、そのまま引退した。
プレイヤーとしてシステマチックな近代サッカーを経験していないし、監督経験もない。
80年代のサッカーしか知らない人間に、近代的なチームを作れといっても無理だろう。
ジーコを監督に選んだ時点で、システムが破綻することは確定的だった。
ネームバリューだけでジーコを選んだのが日本サッカー協会であり、
それを暗に支持したのが日本のサッカーファンなのだ。
ファンの多くは、日本を応援をして騒ぎたいだけで、サッカーの内容には興味がないだろう。

ジーコジャパンと日本の漁業は共通点が多い。
上の文章を日本の漁業に置き換えると次のようになる。

漁業システム論(7) 共同体は十分条件ではなく必要条件

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この前の記事では、漁村共同体管理の限界について論じたのだが、
「現にコミュニティーベースの管理の成功例があるじゃないか!」
という反論があるだろう。
たしかに、自主管理の成功例はあるにはあるが、
引き合いに出されるのは、秋田のハタハタ、伊勢湾のイカナゴ、京都のズワイガニの3つだけ。
逆にこれしか上手くいっている事例が無いのだ。
ここ数年、新しいものは出てきていないし、
俺が把握している範囲では上手くいきそうな次の計画は見あたらない。
3つの例外的に上手くいった事例を除いて、全く広がっていかなかった。
成功例があるということよりも、成功例が非常に少なく、
後に続く漁業が無いことに着目すべきだろう。
3つの成功例の共通点から、自主管理が機能するための条件が見えてくる。

1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験

成功例である3つの漁業は、共同体で管理をするための条件が整っている。
ここまで条件がそろった資源は、かなり例外だろう。
さらに、これらの条件がそろった資源だって、最初から上手く資源を利用していたわけではない。
どの例をみても、過去に資源を壊滅的に減少させているのだ。
資源の崩壊を経験した後に、ようやく厳しい管理が出来るようになった。
コミュニティーがあれば乱獲を自動的に回避できるといった、
甘っちょろいものではないのだ。

漁村共同体があるから、管理をしなくても乱獲が回避できるわけではない。
実態は全く逆なのだ。
日本は行政主導のトップダウン型管理が機能していないから、
漁村共同体でボトムアップ型管理ができる資源しか守れない。
漁村共同体は、乱獲を回避するための十分条件ではなく、必要条件なのだ。
日本で資源管理が成功するのは、ラクダが針の穴を通るようなもの。
その針の穴がコミュニティーベースの自主管理であり、
針の穴を通り抜けた3匹のラクダが、ハタハタ漁業、イカナゴ漁業、ズワイガニ漁業である。

現在の日本で機能している資源管理の実例から学ばない手はない。
日本の漁業を守るためには、この3つの成功例を手本に、
自主管理の条件が満たされている資源から管理を進めるべきだろう。
自主管理が出来そうな資源は限られると思うが、探せばいろいろとあるはずだ。
11月の海洋研のシンポジウムでは、ハタハタとイカナゴの当事者の話が聞けてしまう。
3つのうち2つをまとめて勉強できてしまう、貴重な機会はそうあるものではない。
ズワイガニがそろえば大三元だったが、小三元でも実質4翻だ。
全ての水産関係者は、午前中だけでも聞いておくべきだろう。

漁業システム論(6) 漁村共同体は水戸黄門か?

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1970年代から、日本が利用できる漁場が狭くなるのは決定的であり、
沿岸環境が重要になることは明白だった。
自由競争では乱獲になるので、国による資源管理が必要だというのが、
世界的な流れであった。
にもかかわらず、日本では資源を守るための強制的な措置は執られなかった。
管理をしない口実として利用されたのが、
「日本独自の漁村共同体(漁業などの地域コミュニティー)の存在」である。

「日本には確乎たる漁村共同体があり、トップダウン型の意志決定が末端まで徹底されるので、
行政による資源管理は不要である」というわけだ。
1980年代から、この手の資源管理不要論が展開されてきて、今でも根強い信者がいる。
存在するだけで問題が全て解決なんて、漁村共同体はドラえもんか水戸黄門みたいだ。

たしかに、官の仕事を民に任せた方が上手くいく場合もあるだろう。
しかし、資源管理は行政が責任をもって行うべき仕事だとおもう。
漁村共同体があるから、資源管理はしなくて良いというのは、非現実的な楽観主義だ。
俺が言うのもなんだが、少しでも現場を見れば、そうではないことがわかるだろう。
いくつかの証拠を提示しよう。

1)実際に資源の持続性が守られていない
遠洋・沖合と比較すると、沿岸漁業の方がしっかりとした漁村共同体がある。
しかし、沿岸のほうが管理が上手くいっていないのだ。
昭和37年の科学技術白書を見ればわかるように、
昭和27年の段階ですでに沿岸漁獲量は下り坂だ。
沿岸漁業は、努力量のコントロールが出来ていなかったのだ。

とくに沿岸漁業は,最も就業者が多く,生産性も著しく低いため,
過剰就業構造に対する抜本的対策を講じないかぎり,
その発展をのぞむことはもちろん,現状の維持さえも困難な状態にある。

抜本的対策を講じなかったので、科学技術白書の予言通りになった。
マイワシバブルによって、一時的に漁獲量は昭和27年の水準まで盛り返すが、
マイワシバブルが去ったら、その半分近くまで減少してしまった。

2)密漁に対する抑止力になっていない
日本は密漁天国であり、田舎でも密漁は盛んらしい。
もちろん、浜にもよるだろうが、
明確な違法である密漁すら防げない漁村共同体が多くあるのだ。
これらの共同体に、過剰漁獲を防ぐ能力は期待できないだろう。

3)漁業者が合理的な判断をする保証はない
漁村共同体では、上意下達型の意思決定が可能であるが、
共同体のボスが合理的な判断をする保証は全くない。
半分現役を引退したような高齢者が、
漁業の長期的利益よりも、自分の短期的利益を優先する可能性はある。

4)戦後の漁獲能力の拡充(特に魚群探知機)
戦前の漁業は、漁師が頑張ってとっても、資源を獲りきることは不可能だった。
魚群探知機が無ければ、魚が少なくなると捕れなかったのだ。
現在の漁業は、魚群探知機によって、低水準の資源を効率的に漁獲することが出来る。
江戸時代に機能していた体制が、現在も機能する保証は全くない。

5)多くの資源は、複数の共同体に利用される
沿岸においても、複数の共同体が使う資源がほとんどである。
単一の共同体で占有できる地崎の定住性の資源を除く、
殆どの資源では共有地の悲劇は起こるのだ。
現に、沿岸と沖合の先取り・後獲り問題などは、至る所にある。
より上位の調停者として、行政の役割は必要だろう。
現在の行政は、漁業者間の争いを調停するために、
「お前にも、お前にも獲らせてやるから喧嘩をするな」ということをする。
人間の争いを短期的に収める代償として、資源と漁業が衰退してしまう。

自主管理でうまくいっているなら、放置しても良いかもしれない。
でも、現実にうまくいっていないのだから、何らかの手を打たないとダメだろう。
この期に及んで、「確固たる漁村コミュニティーがあるから、
乱獲は日本にはありません」などと言うのは無責任だ。
学級崩壊しているクラスの担任が、
「生徒の自主性を信じて、教師は一切口出しをしません」というようなものだ。

漁業システム論(5) 良い捕食者の条件

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海洋生態系で、人間は最上位の捕食者である。
捕食者には捕食者のマナーがある。
持続的に餌生物を有効利用するために、捕食者が満たすべき条件を見てみよう。

ここでは、捕食者と餌生物の動態を記述する単純なモデル(Lotka-Volterra)を利用しよう。

魚の動態  dp/dt = d*p – c*p*z
漁業の動態  dz/dt = a*p*z – b*z

パラメータの意味
a:漁獲収益にしめる設備投資の割合(0.02)
b:努力量の自然減少(0.2)
c:漁獲効率(0.04)
d:資源の生産力(0.2)

この系では、資源の変動を時間遅れで努力量の変動が追いかける事が知られている。
system12.png
さて、この系のパラメータをいじってみよう。

日本の漁業の特徴は、
補助金によって努力量が増えやすく、
給料補償によって努力量が減りづらいことだ。
この状況を再現するために、aを増やして(0.025)、bを減らしてみた(0.15)のが青の軌跡。

資源管理の鉄則は、努力量の増加を抑制することと、
過剰な努力量を速やかに減らすことだ。
日本の漁業の場合とは逆に、aを減らして(0.015)、bを増やす(0.25)ことになる。
これが紫の軌跡だ。

system13.png

それぞれのシナリオの漁獲量(c*x*y)は次のようになる。
system14.png

日本型漁業は、努力量をかさ上げするので、最初に漁獲量が急増する。
しかし、資源が減るので、すぐに漁獲量が減少する。
なかなか努力量が減らないので、資源の回復に長い時間が必要になる。
一方、適切な管理をした場合には、
漁獲量を高めに保ちつつ、変動を抑えることが出来る。
平均的な漁獲量では、資源管理をした場合の圧勝だ。

乱獲行為と乱獲状態
乱獲にもいろんな種類があり、きちんと整理して考える必要がある。
対象生物にとって非持続的な漁獲圧をかけることを乱獲行為と呼ぶ。
下の図で上の方が乱獲行為の領域になる。
乱獲行為を続けると、資源量が減少して、再生産能力が落ちてしまう。
これが乱獲状態だ。

資源を持続的に利用するためには、乱獲行為を避けること。
乱獲状態に陥ったら、素早く努力量を下げて、資源回復を図ることだ。
乱獲状態の資源に乱獲行為を続けると、壊滅的な打撃を与えかねない。
下図の左上の紫の領域は、絶対に避けなくてはならない。
既に述べてきたように日本の水産行政は、漁業を危険領域に誘導するのだ。

system15.png

 

Precautionary Approach Plot

資源の利用状況を俯瞰するために、横軸が資源量、縦軸が漁獲努力量の図を描く。
これをPrecautionary Approach Plotと呼ぶ。
Precautionary Approach Plotは一部の資源評価票で用いられている。
下の図は、平成16年ヒラメ日本海西部・東シナ海系群の資源評価からの引用である。
ちゃんと、資源量と漁獲係数が反時計回りに動いている。
この資源の場合は、漁獲圧の減少が素早かったので、すぐに資源量が回復している。

system11.png

年齢に分解して、Precautionary Approach Plotを描いている例がいくつかあるが、
年齢に分解すると、全体の傾向がつかめなくなるので、図を描く意義が無くなってしまう。
上の図のように全体をひとまとめにして作図をすべきだろう。

漁業システム論(4) 環境変動という免罪符

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乱獲の渦に巻き込まれる原因は多数あるが。
新漁具開発・設備投資のための融資(及びその結果の借金)などは、
漁業者が希望しているものである。
必然的に、その他の原因がクローズアップされることになる。
なかでも、自然環境のせいにすれば、相手は反論できない。
その結果、「資源が減ったのは、環境変動が原因だ」という大合唱になる。

でも、少し待って欲しい。
生物資源の生産力が自然に変動するならば、。
そのことを前提とした漁業システムをつくらないといけないのではないだろうか。
自然に変動するとわかっているものを、
変動をしないことを前提に利用していたら、行き詰まるのは必然だ。
そして、行き詰まったら、「環境変動が悪い」では、通用しない。
生物資源の生産力が、自然に増えたり減ったりしても
乱獲の渦に巻き込まれないような政策が必要なのだ。


規制がない漁業では、生産力の変動が過剰努力量を生み出す。
そのメカニズムを見てみよう。
ここでは、生物の生産量が一時的に増加してまた元に戻る場合を考える。

規制がない漁業

system3.png

1)最初に、生物の生産力と漁獲努力量が釣り合っているとしよう。

2)生物の生産力が増加すると、収入が増加する。
これを設備投資にまわすことで、漁獲努力量は時間遅れで増加する。

3)生物の生産力が再び元の水準まで戻ると、
増加した漁獲努力量が過剰努力量となる。
漁獲努力量>生物の生産力 となり、乱獲状態になる。

4)採算がとれなくなった経営体が撤退することで、漁獲努力量は縮小する。
資源の生産力と漁獲努力量が釣り合った段階で、資源の減少は止まる。
どの段階まで、乱獲が進行するかは、過剰努力量が淘汰されるまでの時間で決まる。
過剰漁獲量が淘汰されなければ、資源はどこまでも減るだろう。

 

乱獲を回避するにはどうすればよいか?
このようなメカニズムを理解すれば、獲るべき政策は明らかだろう。
まず、生物の生産力が上昇したからといって、努力量を安易に増やさないことだ。
漁獲努力量は増やすのは簡単だが、減らすのは難しい。
もし、設備投資をするならば、
その投資が過剰努力量に繋がらないかを慎重に判断する必要がある。
「本当に資源の生産力に余裕があるのか?」
「資源の生産力の増加は、どの程度の期間、維持できそうか?」
「設備の減価償却期間は、どのくらいか?」
といったことを考慮した上で、問題の無さそうな投資のみ許可すべきだ。
思慮のない設備投資をすると、投資した本人だけでなく、
同じ資源を利用する全員に損害を及ぼすのだから。

また、注意をしていても過剰漁獲量が発生してしまうこともあるだろう。
この場合は、速やかに漁獲量を資源の生産量と釣り合った水準まで落とすことだ。
その上で、資源が回復するまでの年数を考慮して、
努力量を処分するか、休漁状態で維持するかを決めればよい。

適切な管理システム

system4.png

自然変動する資源を持続的に利用するためには、
努力量を如何に抑えるかがポイントになる。

 


日本の漁業システム

system2.png

1)最初は生物の生産力と漁獲努力量が釣り合っていたとしよう。

2)公的な融資によって、すばやく設備投資を行うことが出来る。
資源が増えるとすぐに設備投資をして、高い漁獲をあげることができる。

3)資源の生産力が減少すると、大量の過剰努力量を抱えることになる。
一転して、資源は厳しい乱獲に晒されてしまう。

4)資源が減少をしても、借金があるから、漁業者は操業を止められない。
また、休漁補償によって収益が悪化した経営体を生き残らせ、
結果として肥大化した努力量を維持しつづけることになる。
カツカツの状態で維持された努力量は、
回復の兆しが見えた資源に殺到し、回復の芽を摘むのだ。

 

ここにも書いたけれど、
「資源が減ったのは、環境変動が原因で、漁業は悪くない!」というのは違うと思う。
確かに、資源の生産力の低下が、乱獲スパイラルに突入するきっかけになったかもしれない。
でも、問題の本質は、そこではない。
資源の生産力が少しでも下がったら、必然的に乱獲になるような状況を
人為的に作り出す現在の漁業システムには根本的な問題があるのだ。
漁業システムの構造的な問題点に目を向けずに、全てを環境変動のせいにしている限り、
今後も同じことを繰り返すだろう。

漁業システム論 (3) 乱獲を誘発する漁業政策

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ひとたび乱獲の渦に巻き込まれると、
そのままズルズルと悪循環を繰り返す。
乱獲の渦から脱出するのは至難の業なので、
乱獲の渦には入らないように注意をすることが最重要だ。
乱獲を水際で止めるのは困難なので、
出来るだけ渦から離れる必要がある。

乱獲の渦への入り口は資源減少だけではない。
魚価が下落して、収益が悪化した場合や、
技術革新で漁獲率が上がった場合にも、
結果として、資源量が減少し、乱獲の渦へと入ってしまう。

system1.png

日本の水産行政の政策を見てみよう。

水産土木→沿岸の生産力の低下→乱獲の渦

新漁具開発→漁獲率の増加→一時的な漁獲増→資源減少→乱獲の渦

設備投資への金融援助→一時的な漁獲増→資源減少→借金苦→乱獲の渦

わざわざ漁業を乱獲の渦に誘導する政策が目白押しだ。
頼みの綱の栽培漁業も資源の生産力を底上げする効果は薄い。
これでは、漁業が次々とたち行かなくなるのはあまり前だろう。
現在の日本の漁業政策は世界の常識から完全に逆行している。
現在の政策を続ければ、多くの漁業がなくなるだろう。

では、どうすればよいのか?
現在の日本の水産行政と全く逆のことをやればよい。
沿岸を開発する代わりに、沿岸環境を保全すればよい。
漁獲効率を追求した漁具を開発する代わりに、
選択的な漁具を開発して、その利用を義務づければよい。
設備投資のための融資制度を廃止して、
資源の生産力に余力がある漁業のみ設備投資ができるような許可制にすればよい。

日本に限らず、世界中の漁業が過剰な漁獲努力量という問題に直面している。
その中で、長期的なビジョンを持って努力量の抑制に成功した漁業のみが、
生産をのばしている。
逆に、過剰努力量を削減できなかった漁業は衰退する。
税金で過剰努力量をつくった日本漁業が立ちゆかなくなるのは、自明の理である。
過剰努力量に蝕まれた漁業が生産量を減らす中で、
努力量管理に成功した漁業が、生産量のシェアを上げつづけるだろう。
漁業政策を根本的に改革しない限り、今後も水産物の自給率は低下するはずだ。

漁業システム論 (2) 乱獲スパイラルと共有地の悲劇

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日本の漁業はシステムが破綻している。
システムとして破綻しているときに、
個々の漁業者がいくら頑張っても結果は出ない。
では、日本の漁業システムがどのように破綻しているかを見てみよう。

自由競争下の漁業は、必然的に乱獲になることが知られている。
システムとして、そういう傾向があるのだ。
自由競争下の漁業が破綻するメカニズムは、
「乱獲スパイラル」と「共有地の悲劇」の2つで説明できる。

乱獲スパイラル
ある漁業が、ひとたび乱獲状態に陥ると、そこから抜け出すのは至難の業だ。

  1. 資源が減少する
  2. 漁業者の収益が悪化する
  3. 利益を確保するために、漁獲率を上げる
  4. ますます、資源が減少する
  5. ますます、収益が悪化する
  6. ますます、漁獲率を上げる
  7. どうしようもなく、資源が減少する
  8. どうしようもなく、漁業者の収益が悪化する
  9. どうしようもなく、漁獲率を上げる

底なし沼のような乱獲スパイラルから抜け出すには、
資源が減ったときに漁獲圧を下げればよい。
この場合、収益がさらに悪化することになるため、
長期的なビジョンと、短期的な収益減少に耐える経営体力が必要となる。

乱獲スパイラルの地獄絵図

 漁獲率を上げて凌ぐしか、、、!
      ヽ(´Д`)ノ   \/\
       (   )        \/\
      /\< ヽ  \    /    \/\
    /    \  |  \  |\    /    \/\
    |\    /  .|       \  |\    /    \ /\ ますます資源枯渇
   / \ \/    |    ループ    \  |\   /    \/\
経営悪化  |    .|  して終らない       \|\    /    \/\
 |\    /|     |   ./(´Д`)               \|\    /    \
 |  \ //\      |\(∩∩)/|               \ /       \
 |   |/    \     |   \ /  .|    魚がいない!               >
 |   \    /|     |   |    |      ヽ(´Д`)ノ /  \        /  |
 |    \ /魚が捕れない・・        / (  ) \     \   /     |
 |      |/   \        /\ /    < ヽミ3\    /| /      |
 |      \    /ヽ(´Д`)ノ      \      \    /|/           |
 |        \ //\(  )  \     \     /|  /               |
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共有地の悲劇
 生物学者ハーディンは、1968年に、「共有地の悲劇(tragedy of the commons)」というタイトルの論文を発表した。生産力が限られた生物資源が自由競争に晒されると、必ず乱獲が起こるという理論である。
 漁業者は漁獲量を増やすことで、収益を増加することが出来る。その代償として資源の枯渇だが、その損害は全ての漁業者が均等に被ることになる。他人が獲りひかえているときに、抜け駆けをして根こそぎ獲ってしまうのが最も合理的になる。真面目に資源を残そうとした正直者がバカを見るだけなのだ。こういう状況では、我先にと枯渇した資源を取り尽くしてしまうだろう。全体の長期的利益と引き替えに、個人が短期的利益を追求できる場合、自由競争は機能しない。抜け駆けを防止するような、強制力を持った規制が必要になる。

共有地の悲劇=囚人のジレンマ
二人の囚人がいるとしよう。
二人共が自白をしなければ、取り調べの後に二人とも出所できる。
自分だけが相手を売れば、自分はすぐに出所できるが、相手は刑務所送り。
二人とも自白をすれば、二人とも刑務所送り。
検察が二人の囚人を別々に取り調べをすると、
高い確率で二人とも自白して、二人とも刑務所送りになる。
それぞれの囚人の行動とスコアを考えてみよう。

囚人A
黙秘 自白
囚人B 黙秘 4\4 0\5
自白 5\0 1\1

お互いに黙秘をすれば、合計の利益は最大になる。
囚人Aの個人的な利益を考えると、
相手が黙秘をしている場合には、
自分だけ自白をして抜け駆けをした方が、
個人的な利益を増やすことが出来る。
また、相手が自白をした場合にも、
自分だけ黙秘するするよりも、自分も自白した方が利益は増える。
つまり、相手の出方がどうであれ、自分は自白をした方が得になる。
このことは囚人Bにも言えるわけだ。
二人の囚人は、自分個人の利益を考えて、自白をする。
その結果、二人の利益の合計が最低になるシナリオが選ばれてしまう。
これを囚人のジレンマという。
黙秘を資源管理、自白を乱獲と置き換えれば、共有地の悲劇も全く同じ構図になる。 

自由競争漁業のシステムとしての限界
ひとたび乱獲に陥ると、乱獲は加速度的に進行する(乱獲スパイラル)。
資源を利用する漁業者の間に利害の対立がある場合には、
乱獲状態から抜け出すのは不可能である(共有地の悲劇)。
今の日本のように漁業者の自由に任せておいたら、
資源が枯渇して産業が成り立たなくなるということは、
俺が産まれる前にわかっていたのだ。

漁業システム論 (1) 現場を知らない人間に何がわかる?

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俺は一貫して、非現場主義を貫いてきた。
船には乗らないし、海にも港にも行かない。
その代わり、ネットで情報を収集して、
コンピュータの上で分析をして結果を出す。
研究室の中で全てが完結するので、
サッカーをするときぐらいしか自分の部屋を出ない。
生活リズムとしては、ネット引きこもりと全く大差がないだろう。
こういう研究スタイルだと、
「現場を知らない人間に何がわかる!」とよく言われる。
でも、俺は逆に訊きたい。
「現場しか知らない人間に、どんなビジョンがもてるのか?」と。

世の中には、現場にいるだけでは見えてこないものがある。
その現場の基礎となっているシステムが、
現場からは見えていないことが往々にしてある。
灯台もと暗しというやつだ。
現場至上主義の落とし穴を理解するために、
「中国のことを知りたければ、中国に住むべきだろうか?」
という命題を考えてみよう。

なぜ順応的管理なのか?

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俺の研究のメインテーマは順応的管理。しばらくはこれで行く予定。
順応的管理について、詳しくはここを見て欲しい。
http://kaiseki1.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/blosxom.cgi/study/article/adaptive.writeback

なぜ順応的管理というテーマを選んだかを説明しよう。

 

研究世界で勝つには大きく2つの方法がある。
一つは、いま流行っているものを追いかけるスタイル。
普通の人はこのスタイルで競争をする。
何かがブレイクすると、みんなが殺到するので、
他人よりも早く論文を書くために、時間との戦いになる。
寝る暇も惜しんで頑張った足の速い奴が勝つという、実に疲れる世界だ。
俺は「息をするのもめんどくせぇ」というぐらいの怠け者なので、
こういうのは遠慮したい。
もう一つは、将来の展開を読んで、網を張って待つスタイル。
流行に飛びつくのではなく、その次にどうなるかを読むのだ。
流れが正確に読めれば、労せずして勝てる。
「漁業の歴史」でも書いたけれど、歴史をストーリーとして理解すれば、
長期的な流れを読むのは、それほど難しいことではない。
世界の資源管理が次に進む選択肢はそれほど多くないのだから。

シンポジウムのお知らせ

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コメント欄にてお問い合わせのあったシンポジウムですが、
松田さんに訊いたところ、11月22日に確定だそうです。
連絡ついでに宣伝をしておきます。
公開かつ入場無料ですので、興味がある方は是非きてください。

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