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日経調の新年会に行ってきたよ
- 2008-02-01 (金)
- その他
髙木委員つながりで日経調の新年会のお知らせが届きました。
場違いなことは承知ですが、滅多にない機会なので参加してきた。
髙木委員に呼ばれたときはあまり時間がなかったので、
委員の皆さんとゆっくり話ができて、大変有益でした。
皆さんの水産魂に触れて、「俺も頑張らねば」と
気持ちが引き締まりました。
髙木委員提言はあれだけ大きな影響力を与えたわけですから、
今後も、漁業を良くしようという志を同じくする人間が、
協力して新しい方向性を打ち出していく必要があります。
みなと新聞の連載は、読んでいただいているようです。
とくに先日書いたものは、好評でした。
(記事は、後日、アップしますね)
あと、当ブログも読んでいただけているみたいですね。
コメント欄が好評でしたので、今後もびしびし書いてください。
水産業は、衰退産業ではありません。
水産物に対する需要は高いけれど、
それを満たせるような製品を供給できていないのです。
魚を調理する人は減りましたが、
魚を食べている量は減っていません。
外食や中食で以前よりも高い単価を払って魚を食べているのです。
これはビジネスチャンスです。
国内の素性の確かな原料を使って、
国内の信頼できる加工業者が加工をすれば、
多少高くても、俺は買います。
そういう消費者は少なからずいるはずです。ただ、国内の水産物は乱獲で低迷しているので、
質量ともに供給が安定しません。
せっかくのビジネスチャンスも乱獲で台無しです。
例えば、マサバをみればよくわかります。
少し増えると、獲って獲って獲りまくるから、
ある年にまとめて小さいのが獲れても、
翌年はほぼ獲れなくなる。
そういう獲り方をしている限り、
後方の加工・小売り・消費は安定せず、
まともな値段はつかないでしょう。
今の獲り方だと、日本の消費者には見向きもされず、
中国やアフリカに投げ売りすることしかできない。
乱獲をする漁業者とそれを放置する行政の責任です。資源を良い状態に保って、高く売れるサイズを安定的に供給すれば、
国産魚をつかった加工品を商業ベースで生産できます。
そうなれば、浜値も上がるだろうし、
消費者も日本のおいしい魚を食べられる。
加工・小売りの経営の安定にも役立ちます。
水産業の安定は、水産資源の安定からです。
そのために、水産資源の専門家としてできることは山のようにあります。
今年も忙しくなりそうです。
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車の衝突安全の格付け制度
- 2008-01-30 (水)
- 研究
車のリスク管理は、食品のリスク管理よりは上手くいっている。
例えば、自動車の衝突安全性能では、
テストの内容とその結果を見ることができる。
http://www.nasva.go.jp/mamoru/car/clash/list.html
車の安全には幅があり、高級車ほど安全である場合が多い。
安全はただではないことがわかる。
しかし、安全性が低い車が、必ずしも不人気というわけではない。
安全性が低いことを織り込み済みで、軽自動車を選ぶ場合もあるだろう。
安全をどの程度重視するかは個人の問題である。
重要なことは、消費者にリスクが見えること。
消費者がリスクを理解した上で、合理的な判断を下すことである。
もちろん、この格付けシステムが完璧だと言うつもりはないが、
車のリスク管理の方が食品のリスク管理よりはうまくいっているだろう。
このような差が生じた最大の要因は、
消費者が自動車のゼロリスクは無理だとわかっていることだろう。
ゼロリスクが無理だとわかれば、
消費者は、絶対に安全な車を要求する代わりにリスクをコントロールしようとする。
もし、消費者が「車は皆同じ程度に安全だ」と考えて、
値段だけをみて車を買うならば、
生産者は安全性を犠牲にしたコストカットを余儀なくされるだろう。
安全に対価を払おうという消費者がいるから、
生産者はコストをかけて安全な車をつくることができる。
製品のリスクを伝えることは、消費者、生産者の双方に利益がある。
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「死闘!値上げの冬」を見ました
- 2008-01-29 (火)
- その他
明日までの仕事が全然終わっていないです。またもや、ピンチ。
ブログの続きを書きたいのだが、時間がないです。
ネタは幾らでもあるんだが、筆が遅くて、まいっちんぐ。
日経スペシャル「ガイアの夜明け」 1月22日放送 第298回
「死闘!値上げの冬 ~価格は誰が決めるのか」を見ました。
値段のみを基準に店を選ぶ消費者。
売り上げを伸ばすために、無理な値段をつけざるを得ない小売り。
今の値段ではやっていけないことはみんなわかっている。
でも、自分だけ値上げをしたら、そこで淘汰されてしまう。
だから、皆、無理を承知で安売り競争を続ける。
値下げ圧力の犠牲になるのは、弱者である。
大手の価格圧力にさらされ、無理な値段をつける製造者。
大手のように買いたたけないから、客足が遠ざかる中小の小売り。
そんな殺伐とした舞台裏を垣間見ることができました。
まあ、全体のストーリーとしては、思っていたとおりの内容でした。
すでに言い尽くされたことではあるが、漁業も消費までを考えないとダメだね。
消費者にとって価値がある食料を持続的に生産しながら、業界全体で利益が出せるようにする。
その上で、利益を公平に配分していく必要があるだろう。
どういうシステムなら、それが可能かを考えていかないといけない。
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「信じて安心」から「安全性を検証」への移行が必要
- 2008-01-28 (月)
- その他
食の安全というものを突き詰めて考えると、日本人の「丸投げ気質」という壁に突き当たる。
日本の消費者は、リスク管理を丸投げしておいて、うまくいかないと文句を言うが、
そもそも、丸投げした時点で上手くいくはずがないのである。
日本の社会は、専門家への丸投げ&思考停止によって運営されている。
これは、専門家にとっても、消費者にとって、楽な選択だ。
専門家は、合意形成などせずに独善的に基準を決められる。
そして、消費者の方も、専門家に決めてもらえれば、自分は考える必要がない。
お互いに楽をしてきた代償として、消費者は思考停止した情報弱者になり、
専門家は消費者よりも生産者のために働くようになる。
こうして、手抜き丸投げシステムは、確実に破綻をするのである。
消費者とまじめな生産者の長期的な利益を確保するには、
サービス提供者がしっかりと情報を開示して、
消費者がそれを判断するような社会システムへ変えていくべきだろう。
実際に日本の社会も、徐々にその方向に向かっている。
このブログでも、医療を例に1年半前にこんなことを書いているので、引用しよう。
方法論の違いについては、医者を例にするとわかりやすいと思います。
昔の医者は患者にろくな説明をしませんでした。
なにか質問をすると、「素人は口出しをするな」という感じで嫌な顔をされました。
患者は、症状についての情報も無いまま、ただ与えられた薬を飲むしかない。
今の医者は、情報公開に積極的になり、
症状や薬の効果など、いろいろなことを話してくれます。
同じ薬を処方させるにしても、患者の安心感がまるで違います。昔の医者と今の医者の違いは、
情報を制限することで余計な手間を省こうとするか、
情報を共有することで相手の理解を得ようとするか、
ということです。
それぞれのスタイルには、それぞれのメリットがあります。
昔のスタイルだと、診察は短時間で済むというメリットがありました。
また、患者が無知であれば、医者にボロが出る心配はほとんどありませんでした。
医者としては非常に楽だったはずです。
一方、今のスタイルだと、時間は掛かるし、いい加減なことは出来ない。
その代わり、患者に安心感をあたえて、信用を得ることが出来ます。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2006/08/post_10.html
昔の医療は、患者の医者に対する根拠のない安心感によって、支えられていた。
医者が情報を流さなければ、患者は治療内容を検証することが出来なかった。
検証できないにもかかわらず、医者を信用して安心してきたのである。
相次ぐ医療事故などで、医療に対する安心が失われた。
そこで情報を開示して、患者に検証してもらうことで、
安心を得ようという戦略に変わったのである。
日本の医療の情報開示には目を見張るものがある。
医師が処方した薬に対して、薬局で効用や副作用の説明をしてくれるのがだ、
こちらとしてもダブルチェックができて安心だ。
また、主治医以外のより専門的な医者の意見を聞くという
「セカンドオピニオン」も広まりつつある。
医療の現場がここまで変われた理由は簡単だ。
治療内容が患者本人にとって重要だということだろう。
患者にとって、関心が高かったから、変わらざるを得なかったのである。
食の安全も消費者本人にとって重要なので、きっかけさえあれば変われるとおもう。
生産者サイドの疲弊状況を見れば、既に変わらなければならない状況だと思う。
専門家の意識改革が必要である。
専門家は「我々が決めてやるから黙って従え」というスタンスから、
「手助けはするが、最終的に決めるのはお前ら自身だ」というスタンスに変わるべきである。
「信じてください」から、「検証してください」へ変わるべきなのだ。
消費者も「考えるのめんどくさいから、そっちで決めといて」というスタンスから、
「俺たち自身で判断するから、情報を寄こせ」というスタンスに変わらないといけない。
専門家や行政の大多数は「消費者は無知だから、俺たちが決めてやらないとダメだ」と思っている。
情報を絶たれた消費者が無知なのは、当たり前の話だ。むしろ、そうし向けて来たのである。
きちんと情報を流し続けることで、消費者の判断力を鍛えて行かなくてはならない。
いきなりは無理でも、情報を開示し続ければ正しい判断を下すだけの知恵が、
多くの日本人にはあると思う。
ただ、最初の一歩を踏み出すのは並大抵のことではない。
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動画:日本漁業はどうなっているのか?
- 2008-01-25 (金)
- その他
先日、規制改革関連のミーティングがあった。
半分ぐらいは、経済の人で、漁業のことはあまり知らぬだろうという配慮から、
日本漁業の現状が俯瞰できるような文書を配付した。
せっかくだから、それをパワーポイントにして、ナレーションを入れてみた。
overview.wmv (41.3MB、32分)
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食品のリスクのいろいろ
- 2008-01-25 (金)
- 食の安全
食品のリスクといっても、いろんな種類のものがある。
たとえば、添加物による健康のリスク、賞味期限に達しても売れ残るリスクなど、いろいろだ。
この手のリスクは、トレードオフになっていたりする。
例えば、食品添加物には、食品が腐敗するというリスクを減らす効果がある一方で、
摂取することによる潜在的な健康リスクが存在する。
これらのリスクはトレードオフであり、それぞれの割合を決めるのが添加物の量だ。
リスクには目に見えるものと、目に見えないものがある。
食品が腐敗していた場合、消費者にはすぐにわかるし、責任問題に発展する。
一方、潜在的な健康リスクを実証するのは困難であり、責任を問われることはないだろう。
製造者にとっては、消費者の健康リスクよりも、
自らが責任を負う腐敗のリスクを避けることが重要になるので、
食品添加物を山盛りにするだろう。
目に見える腐敗のリスクを減らす代償として、目に見えない健康リスクが増えていく。
厳密な表示制度がなければ、見えるリスクが見えないリスクに置き換えられている。
結果として、消費者は多くのリスクがある食品を食べる羽目になる。
消費者による食品リスク管理を進める上で重要なことは、
1)現存するリスクの種類を明らかにすること
2)それぞれのリスクを評価する手法を確立し、表示を徹底すること
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食の安全保障のあり方を再考する
- 2008-01-24 (木)
- 食の安全
食の安全を考える際に重要なことは、リスク論であろう。
安全とはリスクであり、いくらコストをかけてもリスクは0%にはできない。
リスクをどこまで許容するかというのは消費者の価値観の問題であり、
行政や専門家が決めることではない。
リスクと値段のバランスを考慮して、
安全に対してどこまでコストをかけるかを決定するのは消費者である。
行政の役割はリスクを評価するための表示を徹底することであり、
専門家の役割は表示からリスクを評価できるように情報を整備することだろう。
判断は消費者の自己責任であり、行政と専門家はそれをサポートする。
これが正しい食品リスク管理のあり方だと思う。
しかし、日本の現状は、これとはまったく違う。
日本では、行政が一意的な安全基準を決定する。
消費者に変わって、行政が許容リスクを決定しているのである。
一方、消費者は店に並んでいるものはゼロリスクだと勝手に考えて思考停止する。
リスク管理を行政に丸投げして、ゼロリスクを要求しているのである。
そもそも無茶な要求をして、何かあると文句ばかり言うのだから、行政も大変だ。
日本の消費者にリスクという感覚はない。
店に並んでいるものは100%安全であるべきだと信じている。
だから、値段だけ見て買い物をして、何かあるたびにヒステリックに反応する。
まさに、だだっ子だ。
「食の安全が揺らいでいる」というのは、
消費者が「ゼロリスクではない」と気づき始めた良い兆候である。
今まで日本の消費者が持っていた根拠のない安心感の方が異常なのだ。
公的機関が安全宣言をしたり、運が悪い企業に見せしめ的に厳しい処罰をしても、
ゼロリスク信仰を取り戻すのは不可能だろう。
むしろ、これを良い機会と捉えて、ゼロリスクは無理ということを教育しながら、
食品のリスク管理を本来のあり方に徐々に戻していくべきだと思う。
行政と専門家は、消費者の代わりに何が安全で何が危険かを決めるのではなく、
消費者自身がリスクを判断するためのサポートに徹するべきである。
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「日本漁業にITQはなじまない」という嘘
ITQへのありがちな反論として、「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」というのがある。
これがいかに的外れな批判かを説明しよう。
たしかに日本は多様な魚を利用しているが、そのすべてをITQで管理しろなどとは誰も言っていない。
俺の主張は、現在のTAC魚種の管理をオリンピック制度をITQに置き換えろというものだ。
日本漁業において、生産量として重要な魚種は限られている。
主要な魚種数が世界の漁業と比べても、特別に多いわけではない。
そのことを数字を使ってみてみよう。
FAOのThe State of World Fisheries and Aquaculture 2006のP29に以下のような記述がある。
Most of the stocks of the top ten species, which account in total for about
30 percent of the world capture fisheries production in terms of quantity (Figure 6 on p. 11), are fully exploited or overexploited and therefore cannot be expected to produce major increases in catches.
世界の漁業では、上位10種で全体の漁獲量の30%を占めているというのだ。
一方、日本の漁業では上位10系群で海面漁業生産の約50%を占めている。
上位10種にしたら、もっと割合は上がるだろう。
日本で利用されている魚種は多いが、量として重要な魚種はそれほど多くないのである。
ITQは、企業的な大規模漁業を管理するためには不可欠である。
大臣許可漁業、特に巻き網のような漁業をターゲットにITQを導入すべきだと議論をしてきた。
それらの重要魚種の殆どは、既にTAC制度で管理の対象になっている。
現在のTAC対象種は、漁獲量の個別配分と譲渡のルールさえ決めれば、ITQの導入は可能である。
それだけで、日本の漁獲量の半分程度はカバーできるのである。
まずは、そこからやるというのは全然無理な話ではない。
むしろ、ITQではなく、オリンピック方式を採用していることが非常識なのだ。
現行のオリンピック制度をITQに改めろという我々の主張に対して、
「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」という反論はそもそも的外れなのだ。
「日本全国津々浦々の海産物全部をITQで管理しろ」なんて、誰も言っていない。
ITQの適用範囲は、現在のTAC魚種+数種に限定されるだろう。
日本の脆弱な研究体制では、ローカルな魚のABCまで推定できないことは、
実際にABCの計算に携わっている我々が一番よく知っている。
そもそも、ITQ先進国のアイスランドだって、ITQで管理しているのは沖合漁業のみで、
沿岸は地域ベースの管理である。それでも十分な効果があるのだ。
「日本漁業にはITQがなじまない」と主張する人間には、
現在のTAC魚種を、ITQではなく、オリンピック方式で管理すべき理由を示すべきである。
もちろん、ITQが完璧な管理システムだなどというつもりはない。
しかし、世界の主要な漁業を見渡せば、ITQがもっとも成功している管理方式であり、
既に使えないことが証明済みなオリンピック方式よりも優れていることに異論の余地はない。
オリンピック方式を使わなければならない理由があるなら、それを示してもらいたいものだ。
「ITQは日本漁業にはなじまない」と主張する人間が、日本になじむ資源管理の実例を示した試しはない。
対案をださずに、ただ、反対をしているだけである。
ITQに反対している人たちは、資源管理自体に反対なのだろう。
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死闘!値上げの冬 ~価格は誰が決めるのか
- 2008-01-23 (水)
- 日記
日経スペシャル「ガイアの夜明け」 1月22日放送 第298回
死闘!値上げの冬 ~価格は誰が決めるのか
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview080122.html
こんな番組があったんだね。
超タイムリーではないですか!!
今さっき、気がついたんだが、放送終わってるじゃん・・・ orz
だれか録画した人いないかなぁ。見た人は、感想だけでも書き込んでください。
ありがたいことに、録画を送ってもらえることになりましたっ!
ワーイ \(^▽^)/
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類似品にご注意を~日本版エコラベル
日本でも独自のエコラベルをつくる取り組みが始まっている。
すでに、口が悪い読者からは「泥棒が売る防犯グッズ」などと揶揄されているとおり、
かなり駄目っぽい。
資源管理更新国である日本では、MSCのエコラベル認証をとれそうな漁業はほとんど無い。
MSCのエコラベルが普及すれば、資源管理をしている国とますます差をつけられてしまう。
そこで考案されたのが日本独自のエコラベルだ。
エコラベルを貼れない日本の漁業者がかわいそうだから、
誰でも張れるエコラベルを自前で準備したのだろう。
(そもそも資源管理をまじめにやろうという発想は無いのだろうか?)
電車賃程度で認証可能という時点で、消費者をを小馬鹿にしてる。
担当者「資源管理やってる?」
漁業者「うちは、ちゃんとやってるよ」
担当者「このシールを張っておいてね。それじゃあ。」
というようなことが行われるのは目に見えている。
厳密に審査をされたMSCのエコラベルと、誰でも張れる日本のエコラベルはまったく別物である。
しかし、一般の消費者にはエコラベルの区別はつかないだろう。
まんまと騙されて、非持続的な漁業で獲られた魚を高く買わされてしまう。
これは、乱獲された魚を騙して売りつけられる日本の消費者にも、
まじめに管理に取り組んでいる一部の日本の漁業者にも不幸な事態である。
MSCのエコラベルの根底にあるのは差別化の思想である。
消費者の力で、持続的な漁業を勝ち組にすることで、
世界をより持続的な方向に導くという狙いがある。
一方、日本版エコラベルの本質は、みんな横並びの護送船団である。
みんなで足並みをそろえて、仲良くシールを張りましょうということだ。
似たようなシールを無差別に貼れば、消費者は判断基準を失ってしまうので、
非持続的な日本漁業が差別されるのを防ぐことができる。
世界のエコラベルが目指す差別化を台無しにする効果があるのだ。
同じような取り組みでも、運用次第でまったく逆の機能を持つのである。
本来は資源管理だったはずのTAC制度も、
水産庁が運用すれば乱獲を容認するための免罪符に早変わりする。
こういうところだけは、本当に知恵が回る。
その知恵を、漁業を良くするために使って欲しいものである。
護送船団方式は、産業を傾ける確実な方法である。
生産性が低い、非持続的な経営体を保護する代償として、業界全体が沈んでいく。
味噌もくそもごった混ぜにして、横並びでシールを貼ろうという計画は、
漁業にとって百害あって一利なしである。
こういった愚行を、食い止めるのが専門家の使命であろう。
TAC制度も、ABCとTACの乖離をネチネチと指摘し続けた結果、
徐々にではあるが風向きが変わってきつつある。
日本版エコラベルに関しても、非持続的な漁業に対してシールを貼っていたら
嫁をいびる姑のように、ネチネチと問題にしていきたい。
認証第1号は2008年度半ばになる見通しだ。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200712070039a.nwc
ということで、どんな漁業がでてくるのか、わくわくしながら待つことにします。
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