赤福、不二家、雪印、ミートホープなどの事件によって、
食の安全に対する信頼が揺らいでいる。
生産者サイドは消費者の信頼を取り戻そうと必死になっているが無理だろう。
パンドラの箱は空いてしまったので、知らないで安心という状態には戻れない。
ミートホープの偽装肉事件では、
経営者は「半額セールで(冷凍食品を)喜んで買う消費者にも問題がある」と逆ギレし、
「この値段でまともな肉を出せるわけ無い」といなおった。
これに対して、他の食品生産者はミートホープにおおむね同情的だった。
「ミートホープがやったことは許されることではないが、気持ちはわかる」
明日は我が身、他人ごとではないのだろう。
一方、消費者にとってそんなことは寝耳に水だ。
「表示を信じて、安心して買っていたのに、、、」となる。
店に並んでいるものは、最低限の安全水準をクリアしていると疑わない。
だから、値札だけ見て、安心しきって買っていたのである。
消費者にとっては、ミートホープのような偽装は、背信行為に見えるだろう。
ただ、食品業界をそういう方向に導いたのは責任の一端は消費者にもある。
消費者の選択基準が、見た目と値段しかないなら、
それ以外の要素は極力排除されるのは当然のことである。
食料生産の現場は「見た目を維持しながらコストダウンをする」という競争に晒されている。
まず、大手スーパーなどの小売りが値段を決める。
値段は上がらないが、経費は上がっていくなかで、
損失は生産、加工、流通が飲むことになる。
ギリギリもしくは限界を超えたようなコストを要求されている食料生産の現場から、
見た目と値段に影響を与えない要素が失われていく。
添加物による見た目のごまかしは、もちろんのこと、
安全基準に抵触するようなコストダウンの誘惑もあるだろう。
このような背景があれば、ミートホープへの生産者サイドの同情的な態度はよくわかる。
「いけないことだというのはわかるが、そうでもしないとやっていけない」
食料生産の現場は、そこまで追い込まれているのだ。
食料生産と消費者の関係は、悪循環である。
思考停止して、安全を信じる消費者は、容赦なく買いたたく。
小売りが間にはいることで、一方的に値段をつけられてしまう。
生産者サイドは、無理難題を押しつけられても、飲まざるを得ない。
生産者サイドの悲鳴は、消費者には届かない。
ギリギリまでコストを削減した結果として、安全性や味が失われていく。
卵、牛乳、肉、野菜、魚など、本来の味がしない食材があふれている。
コスト削減の結果、不正ぎりぎりのところまで追い詰められる生産者、
安かろう悪かろうといった食べ物を知らずのうちに食べさせられる消費者、
この両者にとって、不幸な事態である。
食料生産の現場と、消費者が切り離されている限り、この悪循環は続くだろう。
いずれ、そういう食品しか製造できなくなっていくだろう。
食の安全が砂上の楼閣であることは、想像力を働かせればわかるはずだ。
外食産業で働いている人間の多くは「この店でだけは食べたくない」という感想を持つ。
内情を知ったら食欲が無くなるような店が少なくないのだ。
消費者と距離が近い外食産業だって、壁一枚隔てればこんな感じなのだから、
消費者との距離が更に遠い製造、加工、流通がどうなっているかは推して知るべしだ。
ぼろが出たところを「例外」と切り捨てて、
社会的制裁といわんばかりにバッシングしても、問題は何一つ解決しない。
食の安全が失われている現状を変えない限り、幾ら安全宣言をしても無駄だろう。
消費者はいくらなんでもそこまでバカではないし、情報を隠すにも限界がある。