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勝川俊雄公式サイト

全漁連に対する考察

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■2008/ 3/13

《お知らせ》水産業改革高木委員会「提言」に対する考察についてのリンクを追加しました。
http://www.zengyoren.or.jp/oshirase/pdf/kousatsu.pdf

「ついに、全漁連からの反論が出た」と、思いきや、反論になってないです。さすがにこれを反論とは呼べなかったようで、「考察」などと名付けているが、あなた方は当事者なんだから、悠長に考察している場合じゃないでしょう。この文書の日付は2007年7月となっているんだが、PDFの作成は2008年3月12日。全漁連のサイトからリンクが張られたのは3月13日。8ヶ月間、何をやってたんだろうね。

さて、肝心の内容なんだが、髙木委員提言に関する考察というより、「マルクス経済学者による自由経済への怨嗟の声」みたいな感じ。髙木委員提言に対して、「自由競争」、「弱者切り捨て」といったレッテルを貼って批判をしているんだけど、「では、漁業はどうするの?」というビジョンがまるでない。こういう人たちが「困った困った」と口では言いながら、何のアクションも起こさずに漁業を衰退させ続けているのだ。

全漁連という組織の本質がよくわかるのはこの一文だ。

私達は、日本漁業の困難の原因は、漁業経営コストの上昇、輸入水産物の増加、低価格志向を含む消費者の需用の変容といった客観的事情にもとづいていること、したがってそれに対する対処策は、悪化した客観条件に対処しうるだけの明確で強力な漁業政策の確立でなければならないと考えている。

「漁業が衰退した原因は、すべて外部な要因で、俺たちは悪くない!」という、実にわかりやすい主張である。「明確で強力な漁業政策」の具体的な内容は何も書かれていない。全漁連の日頃の行動から察するに、「補助金をもっと増やせ」ということだろう。全漁連という組織の特色は、責任転嫁・他力本願である。

漁業を取り巻く環境が悪いという発想が全漁連の限界を物語っている。漁業を取り巻く情勢はドラスティックに変化をしてきたし、今後も変化をし続けるだろう。日本だけが変わったわけではなく、世界の漁業が刻一刻と変化しているのである。この情勢の変化に対して、漁業の側が対応していく必要がある。

ノルウェーの漁業をみれば、漁業の衰退を外部要因のせいにできないことがわかる。ノルウェーの人件費は日本の比ではなく高いが、ノルウェー漁業は輸出金額を順調に伸ばしている。輸送にコストをかけた上で、全漁連が魚の値段が安いと主張する日本市場にも食い込んでいる。日本の魚が安いのは、「サイズが小さい・大きなサイズが安定供給できない」という生産者側の責任も大きい。そういうことを全部棚に上げて、すべて周りが悪いと決めつけて、自らは何も変わろうとしないから日本の漁業関係者(役人・研究者も含む)はダメなのだ。

衰退する日本漁業と、利益を伸ばし続けるノルウェー漁業の最大の違いは、漁業を取り巻く情勢の変化に対する姿勢の違いである。IBMを再建した辣腕CEOのガートナーの言葉に「もっとも強い種が生き残るのではなく、変化にもっとも対応した種が生き残る」というのがある。”It is not the strongest of the species that survive, but the one most responsive to change. “
変化を新しいビジネスチャンスと捉えて、痛みを伴ったとしても変化をし続けたノルウェー漁業と、変化はすべて忌むべきもので、漁業は変わる必要がないとして、何もしなかった日本漁業。時間の経過とともに、両者の差が広がるのは、自明の理であろう。

漁業に限らず、すべての産業を取り巻く状況は、刻一刻と変化をする。日本の漁業が衰退したのは、漁業を取り巻く状況が変わったからではない。状況の変化を悪と決めつけて、対応する努力を怠ったことが、漁業衰退の原因である。要するに、対応を怠った漁業者自身の責任である。

圧力団体である全漁連はことある毎に補助金を要求して、漁業者を目先の困難から救ってきた。結果として、産業は変わる機会を失い、競争力を失っていった。非効率になった漁業を支えるために、ますます補助金が必要になり、補助金依存体質のためますます漁業が非効率になるという悪循環だ。そのなれの果てが、利益を出せずに、自然を破壊する漁業である。
右肩下がりで生産金額が減少している日本の漁業を維持するためには、右肩上がりの補助金が必要になるが、それは非現実的であろう。仮に右肩上がりの補助金が得られたとしても、漁業は遠からず消滅するだろう。漁業で利益を出せず補助金で生活している人間は、漁業者ではなく、失業者なのだ。

漁業における競争の質

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人間の漁獲能力が自然の生産力を凌駕している状況で、「競争が無い世界」などは、あり得ない。
例えば、漁業者を今の半分に減らしても、競争は無くならないだろう。
競争は必ずしも悪いものではなく、産業が発展していく上で不可欠なものでもある。

競争が存在するかどうかよりも、競争の質を問わなくてはならない。
その競争のもとで産業がどの方向に進むかが重要なのだ。
産業を長期的に発展させるような良い競争があれば、
産業を衰退させるような悪い競争もあるのである。
水産行政の果たすべき役割は、良い競争によって、産業をより生産的にすることである。

現在の日本漁業はほぼ無管理状態であり、
至る所で早獲り競争が繰り広げられている。
無主物である水産資源を誰よりも早く漁獲するために、
漁業者は網目を小さくして、値崩れを承知で獲りまくる。
限られた自然の生産力から利益を出せるような漁業は、
後先考えず未成魚を根こそぎとるような漁業には太刀打ちできない。
現在の日本漁業の競争原理は「より早く、より多く」である。
その結果、乱獲が蔓延し、漁業はますます非生産的になる。
適切な規制をしないかぎり、漁業の生産性は確実に失われる。
日本は、適切な規制をするどころか、
非生産的な漁業を税金で支えているのだから、漁業は衰退するのは自明である。
すでに漁業から利益をだすことが困難になり、
魚を巡る競争から、補助金を巡る競争へのシフトが進んでいる。
現在の日本漁業の衰退は、何のビジョンもなく「悪い競争」を放置してきた当然の帰着である。
今なら、まだ間に合う漁業もたくさんあるので、
無責任な乱獲放置は一刻も早く止めなくてはならない。

無規制漁業の末路
共有地の悲劇→悪い競争→乱獲→漁業の衰退

この不毛な連鎖を解消するには、個別割当制度が有効である。
予め個々の船や地域に漁獲枠を配分しておけば、早どり競争を緩和できる。
自らの取り分が確保されているので、漁業者は自らに与えられた枠の中で利益を伸ばそうとする。
限られた漁獲枠から、より多くの利益をあげるための競争になる。
競争が変われば、漁業のあり方も変わる。
例えば、日本の漁船は船倉と網が大きい。より多く獲るための漁船である。
一方、個別割当制度が導入されているノルウェーの漁船は、網が小さい。
早獲り競争がないので、網を大きくして一網打尽にする必要がないのだ。
その代わり、彼らは魚の質を上げるための投資を惜しまない。
魚の値段が最も上がるタイミングで漁獲を行い、
魚体を傷つけないようにフィッシュポンプで水揚げをして、
殺菌された冷凍海水をふんだんに使い、素早く水揚げをする。
競争原理を変えることで、漁業の方向性が変わる。
単価を上げる競争がによって、漁業全体の利益は増加していく。
これが、良い競争の条件である。

我々の目標は、「漁獲効率」の意味を変えることである。
現在の漁獲効率とは、「より低コストで、より早く、より多く獲る」ことを意味する。
こういう漁獲効率を皆が追求したところで、乱獲が蔓延して、漁業が衰退するだけである。
21世紀の漁業が目指すべき効率は、資源の再生産に与える影響に対して大きな利益を得ることである。
日本漁業の衰退を食い止めるには、後者の意味で効率的な漁業が生き残れるような漁業制度に変えなくてはならない。
そのための現存する唯一の処方箋が、個別割当制度なのである。

個別割当制度で優良漁業を守れ

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漁業全体の長期的な利益を増やすという観点からは、
小さい魚を多く獲って安く売る漁業より、
大きな魚を少なく獲って高く売る漁業の方が望ましい。
現在の日本漁業は早い者勝ちの自由競争であり、
他の漁業者よりも早く、根こそぎ獲る漁業しか生き残れない。
資源管理をしないということは、
不合理漁獲をする漁業を優遇することに他ならないのだ。

大分県の例でも、状態を放置しておけば、巻き網の乱獲が進行し、
関サバ漁業は消滅する可能性が高い。
1尾5000円で十分に卵を産んだ大型個体を獲る漁業が淘汰され、
1尾10円で未成熟魚を中国に売る漁業が生き残る。
それが、現在の日本の漁業システムの当然の帰着なのだ。

関サバ漁業が淘汰されるような制度では、日本漁業に明日はない。
日本人が高い金を出してでも食べたいと思うような良質な魚を
安定供給できるようなシステムに作り替える必要がある。

まず、TACをABCまで下げるのは、資源管理として当然だ。
でも、それだけでは関サバ漁業は生き残れない。
オリンピック制度では、スタートダッシュで獲りまくれる巻き網が漁獲枠を独り占めするだけだろう。
漁業者間の競争によって、漁期が短縮し、漁業の利益は限りなく減少していく。
漁獲枠を厳格にしたところで、オリンピック制度では資源は守れても漁業は守れない。
このことは、米国、カナダの失敗から明らかだろう。

過剰な早獲り競争を抑制するには、個別割当方式(IQ・ITQ)しかないだろう。
IQは、予め漁獲枠を個々の漁業者・漁船に割り振っておく制度である。
関サバ漁業者と巻き網漁業者にそれぞれ漁獲枠を予め配分しておくことで、
双方の漁獲量を保証することが出来る。
それぞれの漁業者は与えられた枠内での、利益の最大化を目指すことが出来る。

まとめ
漁業から持続的に利益を得るためには、
資源の再生産への影響を少なくしつつ高い利益を上げるのが望ましい。
関サバ漁業は、極めて理想的な漁業と言える。
しかし、現在の無管理状態では、不合理漁獲に淘汰されてしまう。
持続的に利益を上げられる漁業を守り、育てるためには、
IQやITQのような権利ベースの漁獲枠配分システムの導入が必要である。

今の日本では、価値競争力では勝負できません

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世界の漁業先進国の目指す方向性とは、
限られた自然の生産力の範囲で経済的な利益を増やすことである。
その観点から言うと、関サバというのは、ほぼ最強。
サバの小売価格が1尾5000円になるなんて、とんでもない話だ。

俺が「見本にせよ」と持ち上げているノルウェーのサバだって、
その20分の1の値段にもならない。
ノルウェーにはサバを1尾5000円で買う人はいないので、
逆立ちしたって関サバには価値では勝てないのだ。
その意味では、日本は恵まれた市場といえるだろう。

漁業で利益を出すためには、価格の安さではなく、
価値の高さで勝負しないといけないということは、ここに書いた。
http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/2008/02/post_303.html

日本には世界で最高の価値を創造できる漁業がある。
(逆に言えば、最高の金を払う市場がある)
しかし、資源管理をしていない日本では、価値競争力では生き残れない。
同じ資源を値段の安さで勝負する漁業と共有することになれば、
価値で勝負する漁業は確実に負けてしまう。
未成熟個体を獲る巻き網は、価値競争力では最低水準である。
短期的に資源を切り崩してあぶく銭を手に入れるだけで、
長期的に見れば儲からない漁業である。
完全な自由競争の元手は、「儲かる漁業」は「儲からない漁業」に負けてしまう。
その結果、日本では漁業は儲からない産業になってしまった。

日本は乱獲天国である。
獲って、獲って、獲りまくる漁業者の権利ばかり保護して、
高く売れるように工夫をする漁業者の権利は蔑ろだ。
この状況を変えない限り、漁業に未来はない。
限りある自然の生産力を有効利用できる漁業者が
生き残れるような制度を導入しなくてはならない。
そういう制度を導入しているアイスランドや、ノルウェーでは、
漁業者は資源を守りながら、漁業によって豊かな生活を送っている。
日本の漁業が網羅か無いのは、人件費の問題ではない。
ノルウェーの方が人件費が圧倒的に高いからだ。
中国人と同じことをやってたら、中国には絶対に勝てない。
ノルウェー人と同じことをやれば、
人件費は安くて、良い市場をもっている日本人が勝てるのだ。

こんな当たり前のことがなんでわからないのだろうか?

関サバのような素晴らしい魚の生産者が淘汰されるようなことがあってはならない。

ファイルが遅れないずら

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明後日のシンポの準備がまだ出来てない。
しょうがないから、雑談もするか。
コメントに返事がかけていないけど、もうちょっと待ってください。

いやぁ、今日は焦ったね。
みなと新聞に送ったはずの原稿が届いていないという話で、慌てて送り直し。
どうやら、gmailで送ったメールが届かないみたい。
そういえば、前にもこんなことがありました。
送ったけど届いていないメールが他にもあるかもしれない。
申し訳ありませんが、、俺から送られてくるはずのメールが届いてない人は連絡をしてください。

で、ひさびさにThunerbirdが出動したのだが、
「今度はEPSファイルが開けません」とのこと。
古いバージョンのイラストレータを入れ直して、
ファイルをつくりなおしたりしてもだめ。
しょうがないから、pdfで送ったナリ。

今思い出したんだが、Thunderbirdには
イラストレータのファイルを添付で送ると壊れるバグがあったような気がする。
テキストファイル扱いでされて、文字のエンコードをいじられちゃうから、
圧縮ファイルにしておくらないといけなかった気がする。

やばいです

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水産庁が4月からTAC制度を見直すらしい。良い機会なので、みなと新聞の連載用に「TAC制度の問題点と改善案」をまとめてみたのだが、気がついたら9ページもの大作になっていた。連載記事の目安は1500文字なんだけど・・・

ど う す れ ば い い ん だ ?

TAC制度は問題点が多すぎというより、問題がない場所がない(笑
かろうじて機能しているのはサンマの出荷調整ぐらいじゃない?

 

最近ブログの限界を感じるようになってきた

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ブログは思いつきをどんどんアップできるという長所がある反面、話の内容が発散しがちになる。当ブログは、基本的に行き当たりばったりなので、関連する前の文章が3ヶ月前とかいうこともざらである。こうなると、よほどのコアな読者以外は話についてこれない。しょうがないから、同じような文章を何度も書くことになる。同じ話をループしているだけで、なかなか先に進んでいけないのだ。

例えば、近頃でてきた「沿岸と沖合では別の規制をすべき」という指摘はその通りである。それに関連することは、今までにも書いてきた。過去の議論をまとめた上で、自らの見解を示すべきだと思うのだが、肝心の過去の記事がすっかり埋もれてしまっている。自分でもどこに書いたのかよくわからないのだから、どうしようもない。苦肉の策で、関連する記事を表示できるプラグインを導入してみたりもしたが、全部手動で関連づけの設定をスル必要がある。過去に遡って関連づけをするには莫大な時間が必要になるので、速攻で挫折した。

ブログとは別に、今まで書き貯めた文章を体系づけて再構成して、まとめる時期にきているのかもしれない。

サバ産地、ノルウェーを千葉県産に

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表示ミス:サバ産地、ノルウェーを千葉県産に--神奈川・小田原の水産会社
 神奈川県小田原市の水産物加工会社「イチコー」が、製造したサバの干物のパック商品について、「ノルウェー産」を「千葉県産」と表示していたことが分かった。小宮社長は「ノルウェー産のサバは千葉県産に比べ二倍以上も仕入れ値が高い。高いサバを損をしてまで売るわけがない」と産地偽装を否定。千葉県産と思って買った消費者には「本当に申し訳ない」と話している。
http://mainichi.jp/life/food/news/20080311dde041040003000c.html
http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiimar0803253/

サバに関しては、ノルウェー産を千葉産と偽る理由はどこにもないので、これは本当のうっかりミスと思われます。2枚380円でノルウェーのサバを売ったら、大赤字だろうし。この値段でノルウェー産のサバを買えた消費者はむしろラッキー。この加工は、高価な原料を安い値段で売ってしまった上に、新聞で偽装と叩かれて、踏んだり蹴ったりだな。疲労したアルバイトを深夜まで働かせたツケは高くついたと言うことでしょうか。

グランドデザインから、国内組と国際組の違いを説明してみる

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日本の水産政策のグランドデザインは次の2点である。

1)公海に日本漁業の縄張りを確保する
2)縄張り内からより多くの漁獲量を得られるように漁業者をサポートする。

1)と2)がセットになって、戦後の日本漁業の生産が伸びていった。魚を乱獲しながら、外へ外へと広がっていく、焼き畑漁業である。焼き畑漁業の前提条件として、新漁場や未開発資源を常に開拓する必要がある。1)を国際組が、2)を国内組が担当していたのだが、どちらも破綻すべくして破綻してしまった。そもそもの基本戦略が時代に即していなかったのである。

 1970年の段階で、日本の漁業は世界に広がっており、これ以上の拡張は望めなかった。沿岸国の排他的利用は時代の流れであり、日本の外交力では世界的な流れを逆行できるはずがない。また、貿易摩擦が取りざたされた時代には、自動車や半導体のために漁業を犠牲にするという国としての政治判断もあった。国内外の逆風の中で、国際組にできることは、撤退を遅らせることのみであり、その観点からは良い仕事をしたと思う。
 本来であれば、国際組が時間稼ぎをしている間に、国内組は資源管理を徹底して、自国の資源と漁業を立て直すべきであった。ちょうどこの時期に神風が吹き、マイワシが増えた。マイワシでなんとか凌ぎながら日本沿岸の回復を図ることは可能だったはずだ。しかし、実際には、マイワシが増えたからといって、安易に漁船規模を拡張して、自らの首を絞めた。国際組が時間を稼いだ間に、乱獲で資源を枯渇させ、後に残ったのは借金と過剰な漁獲努力量だけ。これでは、幾ら時間を稼いでも、何の意味もなかった。そもそもグランドデザインの時点で、破綻していたのである。捕鯨を見ればわかるように、水産庁は未だにこの破綻したグランドデザインにしがみつき、漁業を衰退させているのである。

 研究においても、グランドデザインに従って、国際組と国内組は全く違うミッションの下にあった。

 国際組の役割は、国際会議において、日本に有利な結果を通すことである。そのような会議においては、参加者全てがデータを共有するのが前提である。データが同じである以上、解析手法で優劣が問われることになる。統計解析においては最新の手法が、モデル解析においては、出来るだけ多くの要素が入った複雑なモデルが良いとされた。国際組の戦場は、米ソ軍拡競争のように複雑化の一途を辿ったのである。こういった軍拡競争は勝者を産まず、資源の有効利用にも繋がらなかったが、泥沼の中からOMという新しい考え方が産まれたのだが、その当たりの経緯は、このブログでも前に書いたので省略。http://kaiseki.ori.u-tokyo.ac.jp/~katukawa/blog/study/490om/でも読んでくれ。

 国内組は、日本の漁業にブレーキをかけるような研究は御法度だった。ちょっと調べれば「獲りすぎ」という結果が出てくるに決まっているので、日本では漁業に直接関係する研究はほとんどできなかった。資源研究者には、国際組に入って帝国軍人として大本営の命令通りに闘うか、国内組として仮想資源の仮想的な話をするかの選択肢しかなかったのである。その一方で、漁獲を続けるための理由付けを助ける研究は大いに奨励された。例えば、「海洋環境と資源変動の関連を調べて、資源が減った理由を海洋環境から説明しよう」という研究には多額の予算が付いた。「魚が減ったのは海洋環境のせいだから、人間は悪くない!」と居直るのに使えるからだろう。また、純粋な意味での生物学・生態学も、乱獲問題に触れない限り、自由であった。

 国内では、魚自体や、魚と海洋環境の関係を対象とした研究は進んだが、漁業に関してはアンタッチャブルであった。その状況を変えたのがTAC制度である。資源評価を外部に公開でやることになったのだが、前述のような事情で、漁業の影響を評価できるような人材は国内には殆ど居なかった。しょうがないから、別の専門分野の研究者に資源評価をやらせているのである。無茶なことをさせるものだと思うが、人材が居ないのだから仕方がない。人材育成については、大学の責任もある。国内の資源評価に関して言うと、担当者がそれぞれ手探りでやっているというのが実情だろう。苦しい台所ながら、頑張っていると思う。

国際組の研究は統計学・シミュレーション解析に偏っており、国内組の研究は魚の生態・海洋環境と資源変動の関係に偏っている。お互いに無いものをもっているのだ。国内の資源評価の質を高めていくためには、国際組を活用しない手はないだろう。上手くはまれば、良い関係になると思う。ただ、国際組のスキルは縄張り争いで喧嘩に勝つための道具であって、より合理的な資源管理をするための道具ではないことに注意が必要だ。決まった大きさの土俵があって初めて相撲の技術は意味をなすように、同じデータを使って正しさを競い合うという前提があって初めて意味をなす技術も多い。複雑すぎる統計手法は国内では不要だろう。そもそも厳密な議論をするほどの情報の精度ではないし、国内資源に関しては、データをとりに行くことも可能だからだ。最近年の資源量の推定に関しては、VPAのチューニングを頑張るより、音響調査などの漁獲統計と独立した資源評価をした方が良いだろう。国際組の財産の中で特に重要だと思うのはOMに関連する部分だ。日本でも資源管理をまじめにやることになれば、OM的なアプローチは必要になるから、準備をしておいて欲しいものだ。

遠洋水研の成果検討会の雑感

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遠洋水産研究所の平成19年度研究成果検討会(混獲関連データのモデル解析)が昨日あった。
混獲のデータは非常に多くゼロを含むので、統計的な扱いが難しい。
混獲データを解析する際の統計的なテクニックに関する、マニアックなテーマだった。
この検討会でも、日本の漁業政策におけるグランドデザインの誤りを痛感した。


日本の漁業政策におけるグランドデザインは、国際漁場における縄張りの確保である。
(世界の漁場を支配する)=(漁業の勝者)という図式である。
日本の漁業政策の基本は、陣取りゲームであった。
漁業の世界で、太平洋戦争の続きをやっていたのである。
そして、太平洋戦争と同じ失敗を繰り返して、産業を滅ぼそうとしている。
硬直化した組織、上層部の自己保身、情報操作、など、
知れば知るほど大本営と水産庁は相似である。

自らの役割を世界漁場での日本の縄張りの拡大と捉えていた水産庁は、
優秀な人材を国際的な部署に配置した。
にもかかわらず、日本の遠洋漁業は縮小の一途を辿った。
沿岸国の権利の強化は世界的な時代の流れであり、幾ら人材をつぎ込んだところで、
縮小を遅らせるのが関の山であった。
一方、国内組は場当たり的な施策を繰り返し、無為無策に国内漁業を衰退させた。

EEZ時代以降、大切なのはむしろ国内の水産資源を有効利用することだったが、
そのことに気がつかず、公海の縄張り争いに明け暮れて、国内漁業を蔑ろにし続けた。
その結果、日本の漁業はすっかりガタガタになってしまった。
ローテーションが厳しい野球チームが、能力のある投手を敗戦処理に使うようなものであり、
勝ち目がない戦に戦力をまとめて投入すれば、勝てる戦にも負けてしまう。

このような人材の不均一は、研究の現場でも同じである。
遠洋水研はマグロなどの交渉で常に戦争が続いている状態だ。
とにかく数字に強い人間を、分野を問わずに集めてきて、実戦に送り出してきた。
遠洋水研の研究者は、たたき上げの実戦部隊である。
一方で、TAC制度が始まる以前の国内組は無風状態の中でまったり、ぬくぬくであった。

さて、TAC制度によって、国内組も資源評価をしないといけなくなった。
元遠洋水研の平松さんが、ハートマン軍曹のごとく国内組を鍛えた結果、
国内組の資源評価能力は、短期的にずいぶんと向上した。
しかし、100戦錬磨の遠洋水研との間には、未だに、超えられない壁がある。
遠洋水研の人的リソースは、日本の漁業政策の失敗の中から得られた貴重な財産だ。
その貴重な人的リソースを集中させるほど、マグロ漁業の混獲は重大な問題だろうか。
俺にはとてもそうは思えない。どう頑張っても、マグロの漁獲量は減る一方だろう。

何処も人手が足りていなくて、大変なのはわかるけど、
こんな時だからこそ、漁業政策のグランドデザインを考え直した上で、
少ない人的リソースの有効配置をはかるべきではないだろうか。

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