読者から貴重な情報をゲットした。
俺が提唱した自主管理に必要な4つの条件のうち一つを欠いても、
自主管理がちゃんとできている例があるという。
この事例は、俺も初めて知ったが、実に興味深い。
自主管理についての4つの条件はとても説得力があり、僕も友達に自主管理の説明をするときに使わせてもらいます。
しかし、資源の壊滅的な減少について、ちょっと意見があります。
先日もお話した兵庫のイカナゴの事例なのですが、兵庫県の漁師はこの条件を満たしていないんですよ。
勝川さんの教えを信仰していた僕にとってはそれは衝撃的でしたww
昭和30年代に兵庫県がイカナゴの産卵場となるじゃりを工事のために採集しようというしたんですよ。しかし、イカナゴ漁師がこれに猛反対し、産卵場を守ったという歴史があるらしいのです。そのため、イカナゴの資源に対する思いが強かった。結果として後の解禁日統一決定の指標となる試験場の資源量調査のデータもかなりスムーズに受け入れられたのでしょう。まだイカナゴの事例しか存じないのですが、資源が減っていないのに、資源の重要性がわかり、自主的な管理が成功しているのは貴重な事例と言えると思います。
今回の事例で注目していきたいのが、自分達が魚を獲りすぎると、翌年の漁獲量に影響があった点です。漁業者が獲りすぎると、その反動がすぐに実感できる点。
漁がどれだけ影響を与えているかを実感させることができる方法を模索できれば自主管理の成功に近づくのでしょうね。
この資源が俺があげた4つの条件のうちの一つを欠いているにもかかわらず、
ちゃんとした管理ができている理由を考察してみよう。
欠けているのは、 条件4の「資源の壊滅的な減少を経験」だ。
この条件が必要な理由は2つある。
a)漁業者全員の危機感を高めて、管理に強制力を持たせることが出来る。
b)すでに経済に成り立ってないので、禁漁などのきびしい措置がとれる。
上のイカナゴの場合、開発により資源が存続の危機にあり、漁業者自らの手でそれを守った。
漁業者の意識を高めるためのイベントのおかげで、上のa)については満たされたのだろう。
補償金を蹴って、資源を守った漁業者の心意気はすばらしい。
で、資源が減る前に管理を開始したのがポイントだ。
資源が枯渇した状態なら、禁漁レベルの措置が必要になるが、
資源状態が良い段階なら、そこまで厳しい措置は必要ない。
減らさないように予防的に振る舞えば、b)は必要ないのだ。
資源を回復させるより、資源を減らさない方がずっと楽だし、痛みも少ない。
「禁漁したら、資源が劇的に回復しました」というような派手さはないが、
予防原則で資源を減らさなかった、この事例の方が資源管理として洗練されている。
これは、今後の沿岸資源の管理を考えていく上で、極めて重要な事例だと思う。