川崎先生から論文を送っていただいた。
月刊経済という雑誌の7月号に掲載されたものらしい。
http://www.shinnihon-net.co.jp/magazine/keizai/2007/keizai07.html
紹介せずにはいられないような素晴らしい内容だった。
「魚離れ」と日本漁業 漁業政策・資源管理政策の批判的検討
川崎 健
魚介類の消費減退、漁業の実態から漁業政策を批判している。
日本漁業の現状を理解するのに適したレビュー。
消費から資源まで多岐にわたる内容が良く整理されている。
魚離れ
魚離れのメカニズムが80年代までと90年以降では違うと論じている。
1980年代までは、食料支出が増える中で、魚が肉に置き換えられていった。
つまり、食の欧米化(相対的魚離れ)である。
一方、1990年代以降は、家計が苦しくなる中で食料支出が減少する。
低価格志向が強まるなかで、肉よりも魚介類から切り捨てられている。
貧困化によって貧乏人は魚を食べられなくなっているのだ(絶対的魚離れ)。
この分析には、うなずける。
確かに、スーパーでは輸入肉の方が魚より安いのだ。
出来るだけ安くすませようと思ったら、晩ご飯のメニューは確実に肉になるだろう。
金持ちは畜養マグロやブランド高級魚を食べ、貧乏人は輸入肉を食えということか。
これが、格差社会のとほほな現実だろう。
日本漁業の衰退とまき網漁業
魚離れの次は「巻き網」の問題に触れている。
「乱獲による漁業資源の喪失と政府による乱獲の容認」ということで、
かなりつっこんだ内容の話がある。
横国の松田先生、東大海洋研の渡邊先生とならんで、
俺のマイワシの記事も取り上げられている。
川崎、松田、渡邊、勝川と日本を代表する研究者(最後が違う?)の間では、
浮魚の管理をしないといけないということで、意見は一致しているのだ。
で、ここで驚いたのは、大中巻きの平均航海数のグラフ。
2003年から、急激に上昇しているのだ。
この年から、休漁補償金を出しているはずなんだけど・・・・
どうやらピストン操業をしているらしい。
この公海数の統計はネットには出ていないので盲点だった。
引用文献の漁業・養殖生産統計年報の書籍版を確認したところ、該当するデータが確かにありました。
もう、なんでもありだな。
漁業政策の批判的検討
まずは、水産基本計画を分析した後に、資源回復計画に話題は移る。
●繰り返すのか種苗放流政策の失敗
●サバ類の資源回復計画の実態
と続くのだが、ここに次のような文章がある。
入口規制も出口規制も有効に機能せず、未成魚を多獲し続けている現状は、過去の教訓に学ばず、実効的な資源管理が行われていないことを意味する。国費を投入しての「資源回復計画」とは、いったい何であろう?
このようなことになったのは、先に指摘したように政府が一方では乱獲を容認しながら、他方では「資源回復」を政策の重要な柱として推進しようとする、この矛盾した政策展開に基本的な根元がある。このことをきちんと説明する説明責任が政府にはある。このことこそが、「中間論点整理」で「強く期待」された「国民的な議論」ではないだろうか。
「まさに、その通り!」と膝を叩きたくなるような内容だ。
俺も、このことを言うがためにブログを書いておるんだよ。
その後は、日経調の高木委員の緊急提言についても触れている。
国有化に関しては、ある漁業関係者さんと近い意見のようだ。
1994年の国連海洋法条約によって、EEZの資源は無主物ではなく、
共有財産資源なのだから、わざわざ国有化宣言をする必要はないということ。
あと、参入のオープン化は無いだろうというつっこみがあった。
これに関しては俺も同じような感想をもった。
緊急提言の文章からは、参入の自由化=オープンアクセスとしか読めないのだが、
高木委員としてはオープンアクセスのコモンズではなく、
ITQのような譲渡可能制度を考えているようである。
今月発表される最終提言では、中の人がこのあたりを明確に書いてくれるでしょう。
最後に日本漁業の課題で閉める
日本漁業の最大の課題は、漁業で生活することが可能で、将来の発展を期待できる方向性をもった漁業の構築をいかにして行うか、である。
これもまさにその通り。
漁業が産業として残っていくためには、資源の持続性と消費の持続性が鍵になる。
資源の持続性、漁業の持続性、流通の持続性、消費の持続性は実は同根なのだ。
日本の水産物を取り巻く実態は、乱獲、乱売、乱食であって、これじゃ漁業も廃れるはずだ。
すでに5回ぐらいは読み返したけれど、考えさせられる内容だった。
水産白書なんかより、よっぽど水産業の現状がわかる。
一人でも多くの人に、手にとって読んで欲しい。
月刊経済という雑誌は実物を見たことがないのだが、
7月号だけでも買えるみたいなので、お近くの書店でどうぞ。