- 2008-12-16 (火) 15:13
- ニュージーランド | 水産庁のNZレポート
ITQをやりたくない水産庁は、NZの資源管理の悪い点だけを抜き出したレポートをつくり、
資源管理をやらない口実の一つとして利用した。
ノルウェー、NZ、アイスランドは、資源管理の成功例として取り上げられることが多く、
完璧ではないが、他よりは、うまくいっているというのが一般的な認識であり、
どこからも相手にされていない日本のTAC制度よりは100倍マシだろう。
NZのことを「資源管理としては機能していない」と言い切る根拠は何なのかと質問したところ、
「CathさんというNZ人がそういってたよ」という回答を得た。
こういう時は本人に聞くのがてっとり早くて、確実なので、
水産庁のレポートを英訳したものを送りつけて、いろいろと質問をしてみました。
Cathさんは、環境への意識が高い人のようで、「今のNZのやり方では生ぬるい。
もっと環境のことも考えて、しっかりと規制をすべきである」という意見のようです。
本人の了解をいただいたので、私の質問(太字)とそれに対するCathさんの回答を公開します。
1a) Do you think NZ government should stop QMS.
It needs significant design, and there are some strong lessons on what not to do from the New Zealand experience.
Provision of “property rights” has strengthened the say of fishing companies in the public debate and has diminished the standing of public interest voices. As larger fishing companies have gobbled up the smaller operators, we now have a few hugely powerful and wealthy fishing companies that provide a lot of money to political parties to get their way and use their financial and hence legal might to oppose any Ministers who try to institute controls over the catch limits or other sustainability measures. The politics of control have become much harder now that the private property rights are well specified but the public entitlements to sustainability remain less well specified.
One vital element is to carefully specify the rights of the community to a healthy environment, to provide incentives to consider the impacts of fishing, to internalise the externalities and to strengthen the say of communities over the decision making processes for setting catches and other sustainability measures. An ecosystem based management regime and recognition of the non-harvest values of fish in the ecosystem is required.
質問1a)NZ政府はQMSを止めるべきだと思いますか?
やり方を大幅に変える必要はあるでしょう。また、反面教師として学ぶべき点も多いです。
ITQによって所有権を与えたことで、公的な議論での漁業会社の発言力が強まり、一般人の声が弱まっています。より大きな漁業会社が、小さな経営体を統合し、いくつかの巨大な漁業会社が誕生しました。彼らは大量の資金を支持政党に与えています。財力、すなわち政治力を行使して、漁獲枠や他の持続的な手法をコントロールしようとする大臣に反対してきました。漁獲枠の所有権が確立されたことによって、政治的な介入は難しくなりました。その一方で、公共の持続性に対する権利は、未だに確立されていません。
健全な環境への、コミュニティー(一般国民)の権利をきめ細かく定め、現在は考慮されていない外部負荷をしっかりと考慮し、漁獲枠の決定などの持続性に関わる意志決定へのコミュニティーの発言力を強化すべきです。生態系ベースの管理システムの確立と、取り残した魚の価値の認識が必要でしょう。
まだまだ続く
- Newer: NZのITQは資源管理として機能していない? その2
- Older: 日本のTAC制度はオリンピック制度ですらありません
Comments:3
- 某 08-12-17 (水) 17:52
-
興味深い情報をありがとうございます。
第3パラグラフは「今のNZのやり方では生ぬるい。もっと環境のことも考えて、しっかりと規制をすべきである」というよりも,むしろ,「(日本の漁業権のような)権利を沿岸コミュニティに与えて,漁業者自身が生態系管理をしていこうとするようなインセンティブを与えるべき」ということだと思いますがいかがでしょうか?
「ひとつ極めて重要なことは,健全な環境確保に対するコミュニティ(漁村地域社会)の権利を,細心の注意を払いながら定めることです。それによって,漁業の影響を考慮するインセンティブを(コミュニティ自身に)与えて外部不経済を内部化するとともに,漁獲量や他の持続性確保の手段を定める意思決定過程でのコミュニティの発言力を強化することです。生態系ベースの管理の枠組みと,直接的な漁獲によらない,生態系内での魚の価値の認識が必要でしょう。」
- 勝川 08-12-26 (金) 11:38
-
某さんの訳は、少しばかり、我田引水では無いでしょうか
まず、コミュニティーには、漁村や地域という意味はありません。
おっしゃるような意味であれば、local community of fishing villageと言うでしょう。私の訳では、「コミュニティー=漁村」だと思いこんでいる、
一部の人間のためにわざわざ(一般国民)といれてありますが、
普通は書くまでもないことです。>外部不経済を内部化するとともに
経済性のことなど、ここでは触れていません。
漁獲のインパクトの話なのだから、素直に読めば、
現在の枠組みでは無視されている外部インパクトを、
しっかりと内部化し、その削減に対するインセンティブを与えるべき
ということになるでしょう。
これは、Cathさんの他の著作でも一貫して主張していることです。>むしろ,「(日本の漁業権のような)権利を沿岸コミュニティに与えて,
>漁業者自身が生態系管理をしていこうとするようなインセンティブを与えるべき」
>ということだと思いますがいかがでしょうか?全く違うと思います。
というか、なぜそういう考え方ができるのか理解不能です。
ITQを巡る論争は、業界の利権 VS 一般国民の権利という、
枠組みで議論が行われています。
沿岸漁業に特権を与えるべきというのは日本だけですが、
日本の漁業など、参考どころか、相手にもされていませんよ。
そもそも、漁業が破綻している国のまねをするはずがないでしょう。 - 某 08-12-31 (水) 12:30
-
少し見解が異なるようですので、若干の補足説明をさせていただきます。
“community”は地域社会や共同体という意味で、一般には同じ地域に居住して利害を共にする人の集団のことを指します。この点では、一般国民(public, people, citizen)よりも限定した意味を持つと思います。おっしゃるとおり、「漁村」という意味は直接的には含んでいませんし、NZで果たして「漁村」に該当するものがあるのかどうか存じ上げておりませんが、次の一文”to provide incentives to consider the impacts of fishing, to internalise the externalities ・・・”へ続くことから判断すると、「沿岸地域社会」あるいは「漁業が営まれている地域社会」くらいには意味を特定できると思います。”community-based management”というときの”community”と同様の意味でしょう。
それから、”internalise the externalities(外部不経済を内部化する)” は経済学用語で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%A8%E6%80%A7
市場を通らない(この場合は負の)価値を、その発生源である経済主体自身の損失として体感できるようにすることを言います。ここでの「外部不経済」は、漁業による資源減少や生態系の劣化のことを指しています。それを漁業や地域社会の活動の中に内部化すること、つまり、その活動によって生じる負の影響を、活動を行う人自身の損失として体感できるようにすることで、その削減に対するインセンティブを持たせるような仕組みをつくることが必要で、そのためには”carefully specify the rights of the community” が必要だと、この方は主張しておられるのではないでしょうか?
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://katukawa.com/wp-trackback.php?p=679
- Listed below are links to weblogs that reference
- NZのITQは資源管理として機能していない? その1 from 勝川俊雄公式サイト