ヨーロッパウナギの方が、大西洋クロマグロより、資源状態は良かった
ヨーロッパウナギをワシントン条約に載せることが決定した2007年のハーグの締約国会議の前に、FAOの専門家パネルは、ヨーロッパウナギが付属書IIに該当するという勧告を出した。レポートはここ
ヨーロッパウナギの漁獲状況はこんな感じ。当時は、欧州の研究者のなかにも、不確実性が大きいし、規制の必要性を疑問視する声があった。

一方、タイセイヨウクロマグロの場合も、専門家パネルは付属書IIで完全に合意した。また、日本人以外のほとんどの研究者は、付属書Iを支持したのである。それもそのはず、近年の減り方が尋常じゃないのだ。次の図は、ICCATの科学委員会が推定した成熟魚の資源量である。

SSB(産卵親魚のバイオマス)のスケールに注目して欲しい。成熟年齢が長く寿命が長い種の親が10万トンを大きく割り込んだ状態で、毎年2万トンも輸出しているのだから、今の漁業が非持続的なことは一目瞭然だろう。漁獲にブレーキかけなければ、このままご臨終コースなのだけど、ワシントン条約では、付属書IIすら否決されてしまった。つまり、今後2年半はノー・ブレーキで逝く、という結論が出てしまったわけだ。さようなら、大西洋クロマグロ。君のことは忘れないよ。
上の2つの図をみれば、ヨーロッパウナギと、大西洋クロマグロのどちらが危機的状況にあるかは一目瞭然だろう。前回の締約国会議までは、まだ、科学者のアセスメントを尊重するという前提があった。今回はそれが完全に崩れてしまったのは残念なことである。
ワシントン条約を阻止したことで、日本人は、太平洋クロマグロを、最後まで食べ尽くす権利を得たわけである。あと数年で食べ尽くすだろう。その後には、何が残るのか。マグロが減りすぎるとどうなるかはわからない。産卵群が維持できずに消滅するのか、瀬付き(沿岸の小規模群集)として残るかのか。どちらにしても、漁業も輸入も維持できないことは明白である
地球の反対の乱獲された資源を食べ尽くすことが、日本の食文化なのか?
ワシントン条約の規制まで、日本人は、ヨーロッパウナギを大切に食べていたかというと、そうではない。ニホンウナギの下位代替品として、スーパーで山のようにたたき売りされていた。シェアを争う商社が、持続性も相場も無視して、ウナギをかき集めた結果、消費者は一時的に安く買えた。その結果として、資源は枯渇し、消費はほぼ消滅し、食文化自体を壊してしまったのだ。持続性を無視した乱消費によって、欧州およびアジアの未来の食卓のウナギを奪ったのである。ウナギは、年に何度か、晴れの日に食べる食材であって、本来はああいう食べ方をするものではない。土用の丑の日に、ちょっと良い店で、「今年のウナギはおいしいね」と言いながら、味わって食べていた昔の方が、よほど食文化と呼ぶにふさわしいだろう。
タイセイヨウクロマグロもウナギと同じような状況にある。輸入業者が、シェア争いで、相場も市場も無視して、マグロを買いあさった結果が、2万6千トンの冷凍在庫である。親魚量が8万トンを切っている希少種の冷凍在庫がこんなにあること自体が、恥ずかしことである。にもかかわらず、日本のメディアは、「当面は我々の食卓への影響はないようで一安心です」などという恥知らずなコメントを垂れ流し、視聴者はそれを当たり前のように受け入れる。こんな食べ方を「食文化」とかいって、へそが茶を沸かすよ。
大西洋クロマグロをヨーロッパウナギと置き換えて考えて欲しい。地球の反対の資源を最後まで食べつくすのが、日本の食文化なのか。どうせ、大西洋クロマグロは、たいして獲れやしないんだから、最後ぐらいは、地元・地中海の食卓に看取らせてあげたいと、俺は思う。紀元前から、マグロを食べてきた地中海沿岸の人間だって、今まで通りマグロを食べられるわけではないが、少なくとも、我々が食べつくすよりは正当な権利ではないだろうか。