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研究 Archive
11/22の発表
- 2006-11-22 (水)
- 研究
リーハーサルの動画をアップしてみた。
内容的には本番とほぼ同じです。
約75MBで、QuickTimeのプラグインが必要となります。
見たい人は、下をクリック
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ミナミマグロ不正漁獲問題
日本の漁業は、資源管理が出来る状況にない。
強引にTACを下げたところで、資源管理は難しいだろう。
おそらく、不正漁獲が増えてますます手がつけられなくなるだけだ。
最近、なにかと話題のミナミマグロはその好例だろう。
ミナミマグロは、日本および豪州の乱獲で80年代に入ると資源が急減し、
目に見えて魚が減ってきた。
そこで1985年から厳しい漁獲量規制が開始された。
日本の漁獲枠は、2万トンから6千トンへと、5年間で7割削減した。
その後も6千トン前後の漁獲枠が維持され続けた。
ミナミマグロ国別漁獲量
厳しい漁獲枠が設定された結果、大幅に減船をすることになった。
減船対象の漁船を廃船にしないで台湾などに転売した結果、
管理に参加していない国での漁獲を増やす結果となった。
結局、転売されたマグロ漁船は日本の資金で廃船にすることになった。
最初から、廃船にしておけば良かったものを・・・
かなりの減船があったにもかかわらず、
残された日本のマグロ漁船が生計を立てるには、漁獲枠は少なすぎた。
その結果が、漁獲量の不正報告だ。
国内のマグロの流通量は、明らかに漁獲枠よりも多かった。
オーストラリアがこの点を追求してきて、水産庁も渋々調査をしたら、
やっぱり多く獲っていたことが明らかになった。
2005年10月に開催されたCCSBT年次会合で、オーストラリアが行った日本の市場調査で、漁獲割当量を大幅に超えるミナミマグロが日本に流通している可能性が指摘されました。これを受け、2005年の年末に水産庁は日本船の水揚量の調査を実施したところ、2005年の日本船が1500トンを超える漁獲枠超過をしていたことが明らかになりました。
http://www.wwf.or.jp/activity/marine/news/2006/20060331.htm
日本はマグロの違法操業(IUU)に対して非常に厳しいことを言ってきた。
「国際的なルールを遵守しない漁業の根絶に向けた取り組み」とかいって、
自分でもルール違反をしていたのだから、世話はない。
水産庁プレスリリース「正直、すまんかった」
http://www.jfa.maff.go.jp/release/18/032902.htm
水産庁としては、「ごめんなさい、もうしません」で逃げ切る構えだったが、
そうは問屋が卸さなかった。
ミナミマグロは資源が悪化しており、漁獲削減が必要な時期だったので、
過去のこともふくめて、責任が追及されることになった。
http://nzdaisuki.com/news/news.php?id=2535
オーストラリアの漁業管理局のRichard McLoughlin氏は8月1日に行われた非公式会議で、「6000トンの捕獲規定に対し、日本はこの20年間にわたって12000トンから20000トンのマグロを密猟している」と述べた。
毎年、漁獲枠の倍の漁獲をしつつ、不正報告でごまかしていたと言うことだ。
全体の漁獲枠を守るように不正報告をするのは、個々の漁業者に出来ることではない。
組織ぐるみ、国ぐるみで、不正を働いていたと考えるのが自然だろう。
国内ではこの件の報道は少ないが、海外ではかなりのニュースになっている。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=Richard+McLoughlin+tuna+japan+stolen+%242+billion
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200608/s1713515.htm
日本は、2億ドルもの魚を国際社会から盗みながら、15年間も会議に何食わぬ顔をして参加していたのだ。
Essentially the Japanese have stolen $2 billion worth of fish from the international community and have been sitting in meetings for 15 years saying that they’re pure as the driven snow.
こういう風に言われても仕方がないだろう。
ただ、ミナミマグロの国際会議に参加した全ての日本人が実態を知っていたわけではない。
実は俺も1回だけCCSBTの会議に参加したことがあるが、違法漁獲なんて知らなかった。
資源管理の枠組みを一緒に考えようというお誘いが遠水研からあったのだ。
Ana Parmaとか、Hilbornとか豪華なメンツと資源管理の議論ができるのは魅力的だったが、
タイミングが合わなくて、結局はお流れになってしまった。
ミナミマグロの資源評価は、日本の延縄の漁獲統計をつかって解析を行ってきたのだが、
それが全く当てにならないとなると、
今まで研究者が積み重ねてきたものは、全ておじゃん。
大勢の人間が5年もの歳月をかけて、
ようやく管理方式が完成しようという矢先に、これではゲンナリしてしまう。
「漁獲量を減らしたのに、なんか増えないなぁ」と思っていたのも納得。
これでは、増えるわけない。
今回の一件で、日本の信頼はがた落ちなワケだ。俺個人も、かなり失望した。
懲罰的な措置として、来年から日本のみ漁獲枠が3000トンに半減されることになった。
厳しい措置と思うかもしれないが、関係者によると「ゼロにならなくて良かった」とのこと。
国際社会は違法にとても厳格で、罰則も半端ではない。
明らかな違法行為が組織ぐるみで行われていたのであれば、
厳重なペナルティーは仕方がないだろう。
この違法行為によって、国益が大きく損なわれることになった。
「やっぱり日本は信用ならない」ということで、日本漁業のイメージダウンは甚だしい。
捕鯨を初めいろいろな問題に影響を与えることは確実だろう。
どこの国の政治家も、良い格好をしたいが、自国民に厳しいことはいえない。
発展途上国を叩くのは、南北問題に進展して結局は墓穴をほることになる。
自分たちと食文化が違う先進国の日本漁業は、絶好のターゲットなのだ。
多くの国が日本漁業を叩こうと目を光らせている状況では、
この手のチョンボは絶対に避けなくてはならなかったはずだ。
国益という観点からすると、ミナミマグロの漁獲枠削減どころではない失策だ。
不正をするなら絶対にバレ無いようにやるべきだし、
それが出来ないなら不正をすべきではない。
ネットで公開されている流通統計から過剰漁獲が丸見えなんて、脇が甘すぎる。
日本はカウンターパンチで、豪州も過剰に獲っているというネタを出したらしい。
日本に入ってくるミナミマグロの量が豪州のTACよりも多いのだが、
豪州は畜養で太らせたからだと言い張って、肝心なデータは出さずに華麗にスルーしたらしい。
結局、証拠不十分で、おとがめは無し。
水産政策審議会でも、ミナミマグロの不正漁獲に関するネタがでている。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/024.htm
しかしながら、相も変わらぬ輸入の増大、また増大による魚価低迷に何らの変化がございませんし、沖の不漁に加えまして、御承知のとおりの燃油の高騰によりまして、一層経営が圧迫をされている中で、勢い、各船が単価の高いみなみまぐろ資源への依存体質から脱却することができなかったことが、今日の省令改正に至ったことは、私たちとしてみてもちょっと残念であります。
なお、本省令でとられておる措置が日本の漁業者のみならず、今おっしゃられましたように外国のみなみまぐろの漁業者、蓄養漁業者及び加工販売業者に対してもぜひ適用されるように、御尽力をお願いしたいものだと思っておるところでございます。
これは日鰹連関係者のコメントなのだけど、危機感ゼロ?
不正報告の防止を強化する省令改正が悪いみたいな言い方だな。
挙げ句の果てに「海外もちゃんと取り締まれ」とか言って、
とても不正がばれて形見が狭いようには見えない。
「日本の漁業全体に迷惑をかけてごめんなさい」と謝るところだと思うのだけど。
ミナミマグロの漁業者が違法行為をしてしまった背景には、
資源管理による漁獲枠の減少があるだろう。
漁獲枠では生活が成り立たないから、違法漁獲をせざるを得なかった。
彼らとしても苦渋の選択だったはずだ。
資源の生産力と漁獲努力量が不釣り合いな中で、
漁獲量だけ締め付ければこうなるのは当然だろう。
漁獲枠の範囲で生活が出来る規模まで漁業を縮小する必要があったのだ。
税金をつかってでも、漁業者がミナミマグロから撤退する道筋をつけるべきだった。
それをしなかったから、違法行為をせざるを得ない状況を作り、
結果として国益が大きく損なわれたのだ。
来年から、ミナミマグロの漁獲枠が半減されることになった。
不正漁獲を含めて12000トン獲っていたところを、
3000トンに減らすのだから1年で4分の一に減らすことになる。
個々の経営体の痛みのみを対価にしては資源管理を進めるならば、
不正漁獲問題は再発するかもしれない。
再び不正がばれたら、今度こそ漁獲枠はゼロになるだろうから、
ここでしっかりと手を打つ必要がある。
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資源管理が出来ないのは漁業者の責任か?
- 2006-11-12 (日)
- 研究
以上、見てきたように、日本では乱獲を助長するような政策が実施されている。
そんな状況で「資源管理は漁業者が自主的にやれ」というのは無理だろう。
両手両足を縛ったままで、「さあ泳げ」といって海にたたき込むようなものだ。
資源管理は、漁業者個人の負担でできるようなものではない。
行政が最低限の道筋を作る必要がある。
確かに、自主管理を行っている漁業も存在するが、
これらは例外と見なした方がよいだろう。
自主管理が機能している漁業は、恵まれた条件がそろっているのだ。
いまのままだと、自主管理の輪は広がっていかないだろう。
現状で罰則を含む厳しい管理を実施しても、漁業者が不正をするだけだろう。
その気になれば、抜け道はいくらでもある。
厳しい規制の前に、資源管理が出来るような状況をつくることが先決だ。
そのためには、それぞれの漁業に資源管理の必要条件の何が足りないかを精査し、
足りない条件を補うような政策を実施する必要がある。
努力量の拡大につながるような補助金のばらまきを止めるとか、
休漁補償を謹呈して非効率的な漁業を延命させるのを止めるとか、
現状でもできることはいくらでもあるはずだ。
水産庁は資源管理を出来ない状況を作っておきながら、
「漁業者が反対するから資源管理は無理できない」と言う。
では、漁業者の賛同を得るためにどんな努力をしたのか?
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乱獲を誘発する漁業システム
- 2006-11-07 (火)
- 研究
先のエントリーでまとめたように、
乱獲を回避するためのポイントは次の3点
1)過剰な設備投資を抑制する(控えめで充分)
2)資源に減少の兆しがあれば、漁獲を弱める
3)資源の減少が明らかになれば、素早く回復処置をとる
この逆をやれば乱獲が進行するという実例が、日本の漁業なのだ。
1)過剰な設備投資を補助
税金をつかって設備投資を補助しているので、
生物の生産力が少しでも小さくなると、すぐに過剰漁獲になる。
わざわざ乱獲状態を作り出していると言えるだろう。
とくに危険なのは、一時的に資源の生産力が上がった後だ。
船ができあがる頃には、資源の生産力は戻っているが、
船の借金を返すために、過剰に漁獲をしてしまう。
2)資源の減少を認めない
資源状態が悪化する兆候はいろいろとある。
自称「海のことを一番知っている」漁業者が気がつかないはずがない。
しかし、漁業者が資源の減少を認めるのは、
誰の目からみても明らかにやばい状態になった後だ。
たとえ漁獲量が減っても、漁業者は資源が減ったとは考えない。
「今年は資源が漁場に来なかっただけだ」とか、
「来年から卓越が発生するかも知れない」とか、
何らかの偶然でいるけど獲れなかっただけだと解釈をする。
資源状態に関して言うと、漁業者の判断が最も当てにならない。
情報はあっても、根拠のない楽観論が判断を狂わせるのだろう。
もちろん、漁場形成と資源の分布の不一致などの理由で、
資源量は維持されているのに、一時的に漁獲量が落ちる場合もある。
この場合にも用心をするに超したことはない。
獲った魚を海には戻せないが、獲らなかった魚を将来捕ることは可能なのだから。
3)資源の減少が明らかになっても、対策を先送り
本当に獲れない状態が続くと、漁業者も資源の減少を認めるようになる。
現在の漁船をもってしても獲れないというのは、かなり末期的な状況だ。
この状態になっても、厳しい管理措置が執られることはない。
漁業者の生活があるとか、経済的な混乱があるとか、とか、
いろんな理由をつけて、対策を先延ばしにする。
その結果、資源は手がつけられない状態まで悪化するのは時間の問題だ。
すると、漁業者は自暴自棄になって、どうせ減るなら獲り尽くせと言うことになる。
今まで見てきたように、日本の漁業は、システムとして乱獲を誘発してしまうのだ。
終戦直後の食糧難の時代ならいざ知らず、
世界的に資源の囲い込みが進み、自国の資源を大切にすべき状況に適した政策ではない。
政策として乱獲の条件を整えておきながら、
漁業者の自主性にまかせると言う口実で、行政は資源管理に関与しない。
これでは、資源の持続的利用は難しいだろう。
ただ、資源管理は100%無理というわけではなく、自主管理に成功した事例もある。
これは世界的に見ても快挙であり、日本の漁業コミュニティーのポテンシャルをしめすものである。
ただし、自主管理が成り立つためには、厳しい条件がある。
1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験
これらの条件が成り立たない漁業がほとんどであり、
今のままでは、自主管理の輪は広がっていかないだろう。
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乱獲を抑制する漁業システム
- 2006-11-05 (日)
- 研究
乱獲状態の解消には、社会的・経済的に莫大なコストがかかる。
だから、資源管理のポイントは、予防にある。
防火に勝る消火なし、というワケだ。
乱獲状態を放置すれば必ず悪化するので、
対策が遅れれば、そのぶんだけ社会・経済的なコストは増えてしまう。
ボヤのうちに消しておくことが重要なのだ。
乱獲を回避するための基本戦略は次の3点
1)過剰な設備投資を抑制する(控えめで充分)
資源を持続的に有効利用するためには、
「努力量は控えめに、資源量は高めに」が基本となる。
この状態は、設備投資をすれば短期的には利益が出る水準でもある。
つまり、何らかの規制がなければ、良い状態は保てないのだ。
2)資源に減少の兆しがあれば、漁獲を弱める
水産資源の生産力はコンスタントではない。
多くの資源の加入率は産卵場の水温と相関があることが知られている。
環境要因によって、一時的に生産力が落ちてしまうことは良くあるのだ。
ぎりぎりまで努力量を拡張していた場合、一時的な生産力の低下によって、
資源を大幅に減少させてしまう。
こうなると、資源はもはや漁業を支えられなくなってしまい、
乱獲スパイラルへと突入する。
資源の生産力の一時的な低下が、乱獲の引き金となるケースは非常に多い。
「自然環境のせいだ」と漁業者も行政も言うが、これは管理の失敗なのだ。
資源の生産力が変動するというのは常識であり、
生産力が一時的に低下するのは、当然のこととして対応しなくてはいけない。
生産力が回復したと見なされるまで、漁獲を弱めれば数年で回復するのだから。
3)資源の減少が明らかになれば、素早く回復処置をとる
日本のように、わざわざ政策で誘導するのは論外として、
乱獲を予防する対策を練っていたとしても、
乱獲状態を100%回避できるわけではない。
気がついたら、資源が減っていたというのは、良くある話だ。
漁獲努力量が資源の生産力を超過した状態を放置すれば、
手のつけられない乱獲まで確実に進行する。
この場合には、素早く、回復措置を講じる必要がある。
もちろん、経済的な混乱は不可避である。
そもそも、この状態になってしまう時点で戦線は悪化しており、
急ブレーキか、事故かという選択肢しかない。
どちらが良いかは言うまでもないだろう。
一時的な混乱を避けて、産業をつぶすという選択は馬鹿げている。
ノルウェーの場合は、断固たる漁獲量削減をしたのが功を奏した。
徹底した措置を素早く導入したからこそ、10年程度の漁獲減で済んだのだ。
中途半端な削減措置を逐次的に導入しても漁獲の低迷が長期化するだけだろう。
極端な漁獲量削減が成功したのは、失業しても食べていける福祉国家だからというのもある。
そのための道筋をつけない限り、こういった極端な方向転換は出来るはずがない。
日本漁業は、そのためのコストを払ってでも方向転換をすべきかを問う段階に来ているだろう。
いくら方向転換をしても、元の補助金付けの政策に戻ってしまえば、
資源が再び減少するのは時間の問題なのだ。
ノルウェーの場合は、基本的な政策を変更して、努力量の抑制を行っている。
補助金も削減しているので、以前のような過剰漁獲にはならないだろう。
大きさが変わるツボがあるとしよう。
常にツボのぎりぎりまで水を入れ続ければ、
ツボが小さくなったときに水は溢れるだろう。
水をこぼさないためには、
ツボが小さくなった時を基準に水を入れること。
また、水面がツボの入り口に近づいたら、水を抜くことだ。
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資源管理の成功例:ノルウェー(2)
North Sea herringの復活に成功した背景には、国の政策の大転換があった。
特定の漁業だけ頑張ったわけではなく、国の漁業全体を方向転換させたのだ。
ノルウェー政府の基本政策
1.資源の保護を最優先した漁獲量の規制を徹底する
2、漁業ライセンスの発行を控えて、漁業者を減らす
3.補助金を減らして、水産業の自立を促す
これら3つの古典的な管理手法が、如何に効果的であったかは歴史が証明している。
資源量
資源量はコンスタントに上昇を続けて、浮魚・底魚共に、85年から倍以上に回復した。
浮魚のSSBの合計値
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 1Aより引用)
底魚のSSBの合計値
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 2Aより引用)
漁業者の数
漁業者の数は、どんどん減っている。資源が高水準にあっても、漁業者の数を絞るための努力が続けられている。
ノルウェー漁業白書のp5より引用
漁獲量
一時的に漁獲量が減らし、資源を回復させた。
そして、資源回復後も、漁獲量を増やし過ぎないように努力をしている。
http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/5459/43391/file/rapport2004.pdfのP40より作図
漁獲高
漁獲高(million Nok)は、上昇の一途を辿っている。
世界中で魚の需要が高まり、魚の単価が上昇しているので、漁獲量が横ばいでも収益は増えている。
豊富な資源から、需要があるサイズを安定的に供給できるので、
日本のように獲れるものをその都度獲りきる漁業よりも、価格の面で有利である。
ゆとりある資源利用によって、経済効率を高めているのだ。
「漁獲量を減らし、収益を増やす」というのが、ノルウェーの政策目標である。
http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/5459/43391/file/rapport2004.pdfのP40より作図
補助金について
70年代の補助金依存体質からの脱却には15年かかった。
この図は80年代からのデータだが、実は70年代よりも80年代の方が補助金は増えている。
過剰努力量が自然淘汰されるのを待っていては資源が持たないので、税金を使って淘汰したのだ。
ピークの81年には200億円ぐらいだった補助金が、現在は殆どゼロまで削減されている。
漁業の採算を自立させる方向に誘致したので、補助金を打ち切ってからも生産性は向上している。
不適切な補助金を出さないことが、漁業の競争力を高めて、漁業者の経営を安定させるという実例だ。
(http://www.fiskeridir.no/fiskeridir/content/download/7568/61949/file/tabeller2005_1.xlsのFigur 13より引用)
日本とノルウェーの漁業構造の比較
日本 | ノルウェー | |
漁業従事者 | 21万人 | 1.9万人 |
漁獲量 | 550万トン | 280万トン |
漁業者あたり漁獲量 | 26トン | 147トン |
資源状態 | 低位減少 | 高位横ばい |
補助金 | 1800億円+α | ほぼゼロ |
貿易(重量) | 輸入一位 | 輸出一位 |
ノルウェーの漁業者あたり漁獲量は、日本の5倍以上。
この表面的な数字以上に、日本の漁業の方が効率が悪い。
ノルウェーは資源量を高めに維持しつつ、経済的に価値が高いサイズを計画的に漁獲している。
一方、日本では値段がつけば何でも獲る漁業が主流であり、
こんなことまでしている。
http://www.hokkoku.co.jp/_today/H20061002001.htm
これは、ぼちぼちやっている魚屋さんのBBSで仕入れたネタなのだが、
サゴシで豊漁貧乏とは酷すぎる。1年待てば高級魚なのに・・・
こういう漁獲をしていたら、日本の市場が輸入品に席巻されても仕方がないだろう。
負けるべくして負けているのだ。
補助金漬けの日本漁業に国際競争力がないのは当然だ。
国内の漁業関係者は、10年後には漁業者が10万人に減るとか心配しているようだが、
10年後には資源も半減しているだろうから、それでもまだまだ漁業者が多すぎる。
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資源管理の成功例:ノルウェー(1)
ノルウェーの最近30年の歩みは、日本漁業の将来を考えるうえで、貴重なモデルケースになると思う。
1970年中頃までのノルウェー漁業は補助金漬けで、漁業経営は悲惨な状態であった。
「補助金漬け→過剰努力量→資源枯渇→漁獲量減少」というおきまりの路線を進んだ。
乱獲スパイラルに巻き込まれて、多くの漁業が瀕死の状態であった。
まるっきり、今日の日本と同じ状況だ。
そこから、ノルウェーは漁業政策を転換して、20年がかりで漁業を立て直した。
減少した資源を回復させて、漁業生産高を着実に伸ばしている。
資源の枯渇が最も顕著だったNorth Sea herringを例に、どのようにして漁業を立て直したかを見てみよう。
この資源の長期的なデータはICESのレポートにまとまっている。
http://www.ices.dk/products/AnnualRep/2005/ICES%20Advice%202005%20Volume%206.pdf
以下の図は、このpdfファイルのp195からの引用である。
North Sea herringは、伝統的に重要な資源であり、1965年のピークには120万トンもの水揚げがあった。
しかし、過剰な漁獲圧によって、60年代後半から坂道を転がり落ちるように漁獲量が減少した。
SSB(産卵親魚バイオマス)を見ると、1960年代の高い漁獲量は、資源を切り崩していたことがわかる。
その後も漁獲圧を上げ続けたので、1970年代後半に親魚量はほぼ壊滅状態になる。
下の図が、漁獲死亡係数の変動である。
1960年代後半から、資源が減少するに従って、漁獲率が急上昇していく。
漁獲死亡係数F=1.5というのは、現在の日本のマイワシ漁業に匹敵するような非常識に強い漁獲圧だ。
現在のマイワシ漁業と似たようなことをやっていたのだ。
ただ、0歳や1歳の漁獲圧は低めに保たれていたので、日本のマイワシよりもマシだろう。
1970年代中頃には、このまま漁業を放置すれば、資源は崩壊し、漁業も壊滅することは明白だった。
そこで、ノルウェー政府は、努力量を抑制すると同時に、厳しい漁獲量規制を行った。
1970年代後半のFの急激な減少を見て欲しい。
1.5もあった漁獲死亡係数が、殆ど0まで下がっている。
70%近い漁獲率の漁業を、ほぼ禁漁にしたのだから、かなり思い切った措置である。
経済は大混乱したが、これによって崩壊の瀬戸際にあった資源を生き残らせることが出来た。
あと一歩でもブレーキをかけるのが遅ければ、Newfoundlandのコッドのように壊滅していただろう。
首の皮一枚で、資源が生き残ったのだ。
禁漁の効果は、徐々に現れて、1980年代には資源は目に見えて回復した。
その後は、資源の回復にあわせて漁業を復活させたが、努力量を厳しく抑制する政策がとられたので、
資源は以前の水準に戻っても漁獲率は低く抑えられたままだった。
近年、漁獲量が伸びていないのは、予防的措置に基づいて漁獲率を低めているからであり、
SSB(産卵親魚バイオマス)を見ればわかるように資源状態は極めて良い。
短期的な漁獲量を追求するのではなく、資源を良い状態に保ちつつほどほどの漁獲量で利用しているのだ。
漁獲量は抑えつつも、世界的な魚の値上がりを背景に、着実に生産高を増やしている。
North Sea Herringを回復させるために、ノルウェー政府は画期的な資源管理をしたわけではない。
回復のための管理は、努力量を抑制と、TACによる漁獲量の規制のみである。
使い古された管理手法であっても、徹底して行えば効果はでるのだ。
過剰漁獲量はガン細胞のようなもので、放置すれば資源を食いつぶし、
健全な経営体まで乱獲の渦に引きずり込んでしまう。
ノルウェー政府は、大規模な外科手術によって、
過剰な努力量を削減し、資源と漁業の一部を生き残らせることに成功した。
漁業が自然淘汰されるのを指をくわえて眺めていたならば、
Newfoundlandのタラのように資源を崩壊させていただろう。
その場合、今でもこの漁業が存在しない可能性が高い。
ノルウェー政府の決断が資源と漁業を救ったのだ。
この例を見ると、日本海北部のスケトウダラだって、諦めるのはまだ早いと思う。
今すぐにTACを5000トンぐらいに落として、その漁獲量で食っていけるだけの船に減らす。
そして、今後10年は船を一切増やさなければ、きっと回復するだろう。
首を完全に切ってしまうか、首の皮一枚残せるかで、漁業の運命は右と左に泣き別れで、
今がその境目なのだろう。
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漁業システム論(8) ジーコジャパンと日本漁業
- 2006-10-18 (水)
- 漁業システム論
世界のサッカーでは、システムとして機能するチームが勝ってきた。
スーパースターを並べればそれで勝てるわけではない。
歴代のサッカーチームのなかで、最もタレントが豊富だったと言われる
黄金のカルテットですら、結果を残せなかったのだ。
ジーコ・ジャパンのシステムは素人目にも破綻していた。
システムが破綻しているときに、選手個人に出来ることはほとんど無い。
ジーコ・ジャパンがドイツで惨敗したのは選手の責任ではない。
誰がピッチに立とうと、同じような結果に終わっただろう。
システムの不全は、監督であるジーコの責任だ。
だからといって、ジーコを非難してもしょうがない。
彼なりにベストを尽くしたのだろうから。
世界のサッカーは90年代以降、戦術が急速に進化したのだが、
ジーコはその時期に日本でプレーして、そのまま引退した。
プレイヤーとしてシステマチックな近代サッカーを経験していないし、監督経験もない。
80年代のサッカーしか知らない人間に、近代的なチームを作れといっても無理だろう。
ジーコを監督に選んだ時点で、システムが破綻することは確定的だった。
ネームバリューだけでジーコを選んだのが日本サッカー協会であり、
それを暗に支持したのが日本のサッカーファンなのだ。
ファンの多くは、日本を応援をして騒ぎたいだけで、サッカーの内容には興味がないだろう。
ジーコジャパンと日本の漁業は共通点が多い。
上の文章を日本の漁業に置き換えると次のようになる。
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漁業システム論(7) 共同体は十分条件ではなく必要条件
- 2006-10-17 (火)
- 漁業システム論
この前の記事では、漁村共同体管理の限界について論じたのだが、
「現にコミュニティーベースの管理の成功例があるじゃないか!」
という反論があるだろう。
たしかに、自主管理の成功例はあるにはあるが、
引き合いに出されるのは、秋田のハタハタ、伊勢湾のイカナゴ、京都のズワイガニの3つだけ。
逆にこれしか上手くいっている事例が無いのだ。
ここ数年、新しいものは出てきていないし、
俺が把握している範囲では上手くいきそうな次の計画は見あたらない。
3つの例外的に上手くいった事例を除いて、全く広がっていかなかった。
成功例があるということよりも、成功例が非常に少なく、
後に続く漁業が無いことに着目すべきだろう。
3つの成功例の共通点から、自主管理が機能するための条件が見えてくる。
1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験
成功例である3つの漁業は、共同体で管理をするための条件が整っている。
ここまで条件がそろった資源は、かなり例外だろう。
さらに、これらの条件がそろった資源だって、最初から上手く資源を利用していたわけではない。
どの例をみても、過去に資源を壊滅的に減少させているのだ。
資源の崩壊を経験した後に、ようやく厳しい管理が出来るようになった。
コミュニティーがあれば乱獲を自動的に回避できるといった、
甘っちょろいものではないのだ。
漁村共同体があるから、管理をしなくても乱獲が回避できるわけではない。
実態は全く逆なのだ。
日本は行政主導のトップダウン型管理が機能していないから、
漁村共同体でボトムアップ型管理ができる資源しか守れない。
漁村共同体は、乱獲を回避するための十分条件ではなく、必要条件なのだ。
日本で資源管理が成功するのは、ラクダが針の穴を通るようなもの。
その針の穴がコミュニティーベースの自主管理であり、
針の穴を通り抜けた3匹のラクダが、ハタハタ漁業、イカナゴ漁業、ズワイガニ漁業である。
現在の日本で機能している資源管理の実例から学ばない手はない。
日本の漁業を守るためには、この3つの成功例を手本に、
自主管理の条件が満たされている資源から管理を進めるべきだろう。
自主管理が出来そうな資源は限られると思うが、探せばいろいろとあるはずだ。
11月の海洋研のシンポジウムでは、ハタハタとイカナゴの当事者の話が聞けてしまう。
3つのうち2つをまとめて勉強できてしまう、貴重な機会はそうあるものではない。
ズワイガニがそろえば大三元だったが、小三元でも実質4翻だ。
全ての水産関係者は、午前中だけでも聞いておくべきだろう。
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漁業システム論(6) 漁村共同体は水戸黄門か?
- 2006-10-16 (月)
- 研究
1970年代から、日本が利用できる漁場が狭くなるのは決定的であり、
沿岸環境が重要になることは明白だった。
自由競争では乱獲になるので、国による資源管理が必要だというのが、
世界的な流れであった。
にもかかわらず、日本では資源を守るための強制的な措置は執られなかった。
管理をしない口実として利用されたのが、
「日本独自の漁村共同体(漁業などの地域コミュニティー)の存在」である。
「日本には確乎たる漁村共同体があり、トップダウン型の意志決定が末端まで徹底されるので、
行政による資源管理は不要である」というわけだ。
1980年代から、この手の資源管理不要論が展開されてきて、今でも根強い信者がいる。
存在するだけで問題が全て解決なんて、漁村共同体はドラえもんか水戸黄門みたいだ。
たしかに、官の仕事を民に任せた方が上手くいく場合もあるだろう。
しかし、資源管理は行政が責任をもって行うべき仕事だとおもう。
漁村共同体があるから、資源管理はしなくて良いというのは、非現実的な楽観主義だ。
俺が言うのもなんだが、少しでも現場を見れば、そうではないことがわかるだろう。
いくつかの証拠を提示しよう。
1)実際に資源の持続性が守られていない
遠洋・沖合と比較すると、沿岸漁業の方がしっかりとした漁村共同体がある。
しかし、沿岸のほうが管理が上手くいっていないのだ。
昭和37年の科学技術白書を見ればわかるように、
昭和27年の段階ですでに沿岸漁獲量は下り坂だ。
沿岸漁業は、努力量のコントロールが出来ていなかったのだ。
とくに沿岸漁業は,最も就業者が多く,生産性も著しく低いため,
過剰就業構造に対する抜本的対策を講じないかぎり,
その発展をのぞむことはもちろん,現状の維持さえも困難な状態にある。
抜本的対策を講じなかったので、科学技術白書の予言通りになった。
マイワシバブルによって、一時的に漁獲量は昭和27年の水準まで盛り返すが、
マイワシバブルが去ったら、その半分近くまで減少してしまった。
2)密漁に対する抑止力になっていない
日本は密漁天国であり、田舎でも密漁は盛んらしい。
もちろん、浜にもよるだろうが、
明確な違法である密漁すら防げない漁村共同体が多くあるのだ。
これらの共同体に、過剰漁獲を防ぐ能力は期待できないだろう。
3)漁業者が合理的な判断をする保証はない
漁村共同体では、上意下達型の意思決定が可能であるが、
共同体のボスが合理的な判断をする保証は全くない。
半分現役を引退したような高齢者が、
漁業の長期的利益よりも、自分の短期的利益を優先する可能性はある。
4)戦後の漁獲能力の拡充(特に魚群探知機)
戦前の漁業は、漁師が頑張ってとっても、資源を獲りきることは不可能だった。
魚群探知機が無ければ、魚が少なくなると捕れなかったのだ。
現在の漁業は、魚群探知機によって、低水準の資源を効率的に漁獲することが出来る。
江戸時代に機能していた体制が、現在も機能する保証は全くない。
5)多くの資源は、複数の共同体に利用される
沿岸においても、複数の共同体が使う資源がほとんどである。
単一の共同体で占有できる地崎の定住性の資源を除く、
殆どの資源では共有地の悲劇は起こるのだ。
現に、沿岸と沖合の先取り・後獲り問題などは、至る所にある。
より上位の調停者として、行政の役割は必要だろう。
現在の行政は、漁業者間の争いを調停するために、
「お前にも、お前にも獲らせてやるから喧嘩をするな」ということをする。
人間の争いを短期的に収める代償として、資源と漁業が衰退してしまう。
自主管理でうまくいっているなら、放置しても良いかもしれない。
でも、現実にうまくいっていないのだから、何らかの手を打たないとダメだろう。
この期に及んで、「確固たる漁村コミュニティーがあるから、
乱獲は日本にはありません」などと言うのは無責任だ。
学級崩壊しているクラスの担任が、
「生徒の自主性を信じて、教師は一切口出しをしません」というようなものだ。
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