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日本のサバが安いのは低品質&補助金によるダンピング

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日本のサバは、市場価値が出る前に取り尽くされ、世界一安い値段で途上国にたたき売られている。まさに不合理漁獲の極みである。このことを指して、「日本の漁業の価格競争力は世界一」という意見も一般論としてあるようだが、これは全くの誤りである。そのことを少し整理してみよう。

製造コストが低く、品物をより安価に供給できことを価格競争力と言う。例えば、人件費が高くて製造コストが高くなるJ国と、人件費がただ同然で製造コストが安いC国があったとする。同じクオリティーの製品を製造した場合、1個当たりの利益が大きくなるのはC国になる。 C国がシェア拡大のために価格をAからBへと下げたとする。この場合、J国は赤字になるのでBまで価格で追従できない。C国はシェアを拡大し、薄利多売で利益を増やすことができる。値下げ競争をした場合に、製造コストが安い(=価格競争力がある)方が勝つのである。

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1)ノルウェーのサバと日本の小サバは競争関係にはない
もし、日本がノルウェーが輸出しているような500gの脂ののったサバを、今の単価で製造できるなら、価格競争量が高いと言えるだろう。しかし、日本が輸出しているのは200gの小サバである。ノルウェーが輸出しているサバと日本が輸出しているサバは別物であり、サイズ・価格・用途など、全く重なっていないのだ。ノルウェー漁業は日本で高級鮮魚として消費できるようなサバのみを漁獲・輸出している。一方、日本漁業は日本市場で価値が出る前のサイズで獲り尽くし、中国・アフリカに輸出している。日本が小サバを幾らたたき売ろうと、ノルウェーのサバの値段には影響を与えない。そもそも、市場も用途も違うのだから、当たり前だ。サバを輸出している国で、日本のように未成魚を輸出している国は他に無い。日本の小サバ輸出にはライバルは存在しないのである。価格競争で安くなっているのではなく、その値段でしか買い手がいないから安いのである。

2)日本のサバの安い値段は補助金によるダンピング
 世界一安い値段で小サバを輸出している大中巻き漁業は、軒並み赤字。太平洋系群を獲っている北部巻き網組合は、10年以上赤字続きで、補助金で支えられている状態だ。自国よりも購買力が格段に落ちる国に雑魚を輸出しても、船の維持費にもならない。それでも収入が全く無いよりはマシと言うことで、まとめて獲って捨て値で売る。こうして、サバ資源の回復の芽を摘み続けているのだ。

日本の小サバの安い値段は、企業の価格競争力ではなく、税金によって支えられているのである。小サバを中国に売り込むためのプロモーションまで、税金でやっているんだから、至れり尽くせりだ。政府の補助金によって不当に安い価格で輸出をすることを「ダンピング」と言う。ダンピングは、市場の健全な競争を妨害し、最終的には消費者の利益を害するので、独占禁止法などで禁止されている。WTOでも「ダンピングを相殺し又は防止するため、ダンピングされた産品に対し、その産品に関するダンピングの限度をこえない金額のダンピング防止税を課することができる」となっている。 ただ、日本の小サバ輸出をダンピングとして提訴する国はいないだろう。なぜなら、貴重な水産資源であるサバを、日本みたいに価値が上がる前にたたき売る国など他にないからだ。ノルウェーなどのサバ輸出国だって、日本の小サバ輸出に反対をするはずがない。日本の漁業者が未成魚を乱獲するおかげで、世界一美味しい日本のサバ市場が手にはいるのだから、棚からぼた餅だ。

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日本のサバが世界一安いのは、日本の漁業者に知恵が無く、日本の水産行政に何のビジョンもないからである。日本から輸出されるサバの安い価格は、企業努力ではなく補助金によるものである。日本の漁業者はダンピングをしても誰からも苦情が出ないぐらい酷い獲り方をして、サバ資源の回復の芽を摘み続けている。こういった不合理漁獲を税金で支えているのが日本のお役所なのだ。このデタラメな水産政策によって、損をするのは日本の納税者・消費者である。

平成19年度のマイワシのTAC超過について

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こんどは、マイワシがTACを超過しましたね。こんどは、知事許可(沿岸)が枠をオーバーということです。では、どの県がどうやってオーバーしたかを見ていきましょう。TAC魚種の漁獲実績はここにあります。
http://www.jafic.or.jp/tac/index.html

まず、去年の4月にTACと漁獲量の推移を見ていこう。6月に期中改定で、TACが35千トンから、60千トンに増枠された。最終的な配分は、大臣許可43千トン、 知事許可17千トンである。大臣許可は、最後までTACに達しなかった。一方、知事許可は8月の段階で、配分枠を使い切っていたのである。その後も順調に漁獲を続けて、10月に7千トン獲ったのが大きかった。12月の値は暫定値であり、ここから2~3千トンは増えるだろう。 最終的には、200%近くなるだろう。

TACと漁獲量

TAC
7月
8月
9月
10月
11月
12月
合計 60000 45172 51308 53568 61914 65710 66361
大臣 43000 30747 33662 34227 35801 36005 36658
知事 17000 14425 17646 19341 26113 29705 29703

TACの消化率

7月
8月
9月
10月
11月
12月
大臣
72%
78%
80%
83%
84%
85%
知事
85%
104%
114%
154%
175%
175%

 

では、県ごとに見ていこう。県別漁獲量の上位は西の県が占めている。これは例年通りである。

19年度漁獲量
1 高知県 5414
2 宮崎県 5135
3 長崎県 5042
4 島根県 3446
5 三重県 2327
6 鹿児島県 1984
7 和歌山県 935
8 神奈川県 776
9 石川県 690
10 愛知県 660

 

知事許可としてはTAC枠に達した9月以降の漁獲量をみると、こんな感じ。高知、島根は殆どが9月以降ということになる。

TAC超過後の漁獲量(t)
1 高知県 4485.1
2 島根県 2122.9
3 長崎県 1713.5
4 鹿児島県 1011
5 三重県 968

 

平成19年12月と平成18年12月の報告漁獲量を比較してみよう。漁獲量の差が大きいのは九州・四国であった。長崎、鹿児島が突出していることがわかる。去年は殆ど獲れていなかった長崎での高い漁獲量は、対馬暖流系群の卓越年級群の発生を示唆する。漁獲量としては上位の三重県は、前年比でみると減少している。

前年の漁獲量と比較(12月報告)
差(t)
1 長崎県 4855 27.0
2 鹿児島県 1914 28.4
3 島根県 1907 2.2
4 宮崎県 1860 1.6
5 高知県 1373 1.3
34 三重県 -248 0.9

TAC魚種のうちマイワシとスルメイカ以外は、大臣許可と知事許可に配分された後、知事許可分はさらに県に配分される。マイワシは、漁場形成が偏るので漁獲枠をそれぞれの県には配分していない。沿岸漁業全体の枠しかないのである。各都道府県が、前年度実績を目安に漁獲をするという通達しかない。9月以降の漁獲が多かった高知は、前年度実績をそれほど超えていない。三重に至っては、前年度実績を下回っている。目安は守っているのである。前年と比べて漁獲量が急増した長崎・鹿児島は漁獲の中心が8月以前であった。この2県と島根は9月以降の漁獲をもう少し抑えるべきだった。この前年度実績というのはあくまで目安であって、実行力は何もない。これでは、漁獲枠など無いも同然である。マイワシは資源が減少中なので、前年度実績通り獲ってたら、どんどん減る。また、今年のように少しでも資源が増えれば、枠など守られるはずがない。現在のTAC制度は、管理をしていますというポーズだけで、過剰漁獲を取り締まる気など無いのである。今回の知事許可分の超過に関しては、管理としての枠組み作りを放棄している水産庁の責任が重いだろう。

水産庁は「ウルメやカタクチを獲る中で、(マイワシが)混じる量が多かったようだ。混獲と専獲を分けるのは難しい」といつものように開き直っている。混獲だろうと専獲だろうと、資源に与える影響に代わりはないのだから、全体の漁獲量を抑えるのは当然のことである。混獲だから良いという問題ではないだろうに。こんな理屈をこねるのは、世界広しといえども、日本の水産庁と日本の漁業経済学者ぐらいだ。南アフリカは、カタクチ漁業が混獲するマイワシに対して、混獲漁獲枠を設けて資源の保全に努めている。まじめに資源管理をしている国を少しは見習って欲しいものである。混獲・専獲が問題であるならば、なおのこと地域に漁獲枠を配分しておく必要がある。予め枠が決まっていれば、混獲を含めて漁獲枠に収まるように工夫して操業をできる。混獲でどうしても獲れてしまう分を引いた残りを専獲すればよいのである。それでも混獲で獲りすぎてしまったなら、超過分は翌年のその地域の漁獲枠を減らすことで対応できる。TACを超過したマイワシの混獲をゼロには出来ないが、減らす方法は幾らでもある。日本はそういった努力をなにもしていない。管理をする側の人間が、資源管理ができない理由を並べれば、それで良いと思っているかぎり、今後も乱獲に歯止めはかからないだろう。

 漁獲量の県ごとの内訳を見ると、去年とは資源の構造が変わっていることが示唆される。去年と比較して漁獲量が増えた県を黄色、減った県を青で示すと下のようになる。

 image08020505.png

今年の10月以降の漁獲増は、産卵場の周辺で0歳魚の漁獲が増えたためだ。太平洋系群、対馬暖流系群ともに卓越が発生したようである。ただ、卓越といっても現在の低水準では簡単に獲り切れてしまう水準である。この年級群を確実に産卵につなげていくことが、マイワシ資源にとって死活問題だ。07年級群は、この後、東に摂餌回遊を行い、来年、産卵場に戻ってくる。どうせ、北巻は獲って、獲って、獲りまくるだろう。水産庁は北巻の乱獲を抑制するどころか、少しでも多く獲れるように最大限の援護射撃をするだろう。この年級群が再生産に結びつくかどうかは、東への回遊しだいということになる。07年級群は今のところ、西に止まっている。このまま西に止まってくれれば、資源回復の芽はあるのだが、東に行けばそれで終わりだ。

05年、07年と親が少ないながらも、順調な加入が観察されている。これらに確実に産卵をさせれば、資源を緩やかに回復させながら、漁獲を安定させることもできるだろう。獲るなとは言わないから、せめて1年だけでも我慢して欲しい。

車の衝突安全の格付け制度

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車のリスク管理は、食品のリスク管理よりは上手くいっている。
例えば、自動車の衝突安全性能では、
テストの内容とその結果を見ることができる。

http://www.nasva.go.jp/mamoru/car/clash/list.html

車の安全には幅があり、高級車ほど安全である場合が多い。
安全はただではないことがわかる。
しかし、安全性が低い車が、必ずしも不人気というわけではない。
安全性が低いことを織り込み済みで、軽自動車を選ぶ場合もあるだろう。
安全をどの程度重視するかは個人の問題である。
重要なことは、消費者にリスクが見えること。
消費者がリスクを理解した上で、合理的な判断を下すことである。

もちろん、この格付けシステムが完璧だと言うつもりはないが、
車のリスク管理の方が食品のリスク管理よりはうまくいっているだろう。
このような差が生じた最大の要因は、
消費者が自動車のゼロリスクは無理だとわかっていることだろう。
ゼロリスクが無理だとわかれば、
消費者は、絶対に安全な車を要求する代わりにリスクをコントロールしようとする。
もし、消費者が「車は皆同じ程度に安全だ」と考えて、
値段だけをみて車を買うならば、
生産者は安全性を犠牲にしたコストカットを余儀なくされるだろう。
安全に対価を払おうという消費者がいるから、
生産者はコストをかけて安全な車をつくることができる。
製品のリスクを伝えることは、消費者、生産者の双方に利益がある。

 

食品のリスクのいろいろ

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食品のリスクといっても、いろんな種類のものがある。
たとえば、添加物による健康のリスク、賞味期限に達しても売れ残るリスクなど、いろいろだ。
この手のリスクは、トレードオフになっていたりする。
例えば、食品添加物には、食品が腐敗するというリスクを減らす効果がある一方で、
摂取することによる潜在的な健康リスクが存在する。
これらのリスクはトレードオフであり、それぞれの割合を決めるのが添加物の量だ。
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リスクには目に見えるものと、目に見えないものがある。
食品が腐敗していた場合、消費者にはすぐにわかるし、責任問題に発展する。
一方、潜在的な健康リスクを実証するのは困難であり、責任を問われることはないだろう。
製造者にとっては、消費者の健康リスクよりも、
自らが責任を負う腐敗のリスクを避けることが重要になるので、
食品添加物を山盛りにするだろう。
目に見える腐敗のリスクを減らす代償として、目に見えない健康リスクが増えていく。
厳密な表示制度がなければ、見えるリスクが見えないリスクに置き換えられている。
結果として、消費者は多くのリスクがある食品を食べる羽目になる。

消費者による食品リスク管理を進める上で重要なことは、
1)現存するリスクの種類を明らかにすること
2)それぞれのリスクを評価する手法を確立し、表示を徹底すること

食の安全保障のあり方を再考する

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食の安全を考える際に重要なことは、リスク論であろう。
安全とはリスクであり、いくらコストをかけてもリスクは0%にはできない。
リスクをどこまで許容するかというのは消費者の価値観の問題であり、
行政や専門家が決めることではない。
リスクと値段のバランスを考慮して、
安全に対してどこまでコストをかけるかを決定するのは消費者である。
行政の役割はリスクを評価するための表示を徹底することであり、
専門家の役割は表示からリスクを評価できるように情報を整備することだろう。
判断は消費者の自己責任であり、行政と専門家はそれをサポートする。
これが正しい食品リスク管理のあり方だと思う。

Image200801244.png

しかし、日本の現状は、これとはまったく違う。
日本では、行政が一意的な安全基準を決定する。
消費者に変わって、行政が許容リスクを決定しているのである。
一方、消費者は店に並んでいるものはゼロリスクだと勝手に考えて思考停止する。
リスク管理を行政に丸投げして、ゼロリスクを要求しているのである。
そもそも無茶な要求をして、何かあると文句ばかり言うのだから、行政も大変だ。
Image200801241.png
日本の消費者にリスクという感覚はない。
店に並んでいるものは100%安全であるべきだと信じている。
だから、値段だけ見て買い物をして、何かあるたびにヒステリックに反応する。
まさに、だだっ子だ。

「食の安全が揺らいでいる」というのは、
消費者が「ゼロリスクではない」と気づき始めた良い兆候である。
今まで日本の消費者が持っていた根拠のない安心感の方が異常なのだ。
公的機関が安全宣言をしたり、運が悪い企業に見せしめ的に厳しい処罰をしても、
ゼロリスク信仰を取り戻すのは不可能だろう。
むしろ、これを良い機会と捉えて、ゼロリスクは無理ということを教育しながら、
食品のリスク管理を本来のあり方に徐々に戻していくべきだと思う。
行政と専門家は、消費者の代わりに何が安全で何が危険かを決めるのではなく、
消費者自身がリスクを判断するためのサポートに徹するべきである。

「日本漁業にITQはなじまない」という嘘

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ITQへのありがちな反論として、「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」というのがある。
これがいかに的外れな批判かを説明しよう。

たしかに日本は多様な魚を利用しているが、そのすべてをITQで管理しろなどとは誰も言っていない。
俺の主張は、現在のTAC魚種の管理をオリンピック制度をITQに置き換えろというものだ。
日本漁業において、生産量として重要な魚種は限られている。
主要な魚種数が世界の漁業と比べても、特別に多いわけではない。
そのことを数字を使ってみてみよう。

FAOのThe State of World Fisheries and Aquaculture 2006のP29に以下のような記述がある。

Most of the stocks of the top ten species, which account in total for about
30 percent of the world capture fisheries production in terms of quantity (Figure 6 on p. 11), are fully exploited or overexploited and therefore cannot be expected to produce major increases in catches.
image08012301.png

世界の漁業では、上位10種で全体の漁獲量の30%を占めているというのだ。

一方、日本の漁業では上位10系群で海面漁業生産の約50%を占めている。
上位10種にしたら、もっと割合は上がるだろう。
日本で利用されている魚種は多いが、量として重要な魚種はそれほど多くないのである。

Image200801091.png

ITQは、企業的な大規模漁業を管理するためには不可欠である。
大臣許可漁業、特に巻き網のような漁業をターゲットにITQを導入すべきだと議論をしてきた。
それらの重要魚種の殆どは、既にTAC制度で管理の対象になっている。
現在のTAC対象種は、漁獲量の個別配分と譲渡のルールさえ決めれば、ITQの導入は可能である。
それだけで、日本の漁獲量の半分程度はカバーできるのである。
まずは、そこからやるというのは全然無理な話ではない。
むしろ、ITQではなく、オリンピック方式を採用していることが非常識なのだ。

現行のオリンピック制度をITQに改めろという我々の主張に対して、
「日本は多様な魚を利用しているから、ITQは無理」という反論はそもそも的外れなのだ。
「日本全国津々浦々の海産物全部をITQで管理しろ」なんて、誰も言っていない。
ITQの適用範囲は、現在のTAC魚種+数種に限定されるだろう。
日本の脆弱な研究体制では、ローカルな魚のABCまで推定できないことは、
実際にABCの計算に携わっている我々が一番よく知っている。
そもそも、ITQ先進国のアイスランドだって、ITQで管理しているのは沖合漁業のみで、
沿岸は地域ベースの管理である。それでも十分な効果があるのだ。

「日本漁業にはITQがなじまない」と主張する人間には、
現在のTAC魚種を、ITQではなく、オリンピック方式で管理すべき理由を示すべきである。
もちろん、ITQが完璧な管理システムだなどというつもりはない。
しかし、世界の主要な漁業を見渡せば、ITQがもっとも成功している管理方式であり、
既に使えないことが証明済みなオリンピック方式よりも優れていることに異論の余地はない。
オリンピック方式を使わなければならない理由があるなら、それを示してもらいたいものだ。

「ITQは日本漁業にはなじまない」と主張する人間が、日本になじむ資源管理の実例を示した試しはない。
対案をださずに、ただ、反対をしているだけである。

ITQに反対している人たちは、資源管理自体に反対なのだろう。 
 

類似品にご注意を~日本版エコラベル

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日本でも独自のエコラベルをつくる取り組みが始まっている。
すでに、口が悪い読者からは「泥棒が売る防犯グッズ」などと揶揄されているとおり、
かなり駄目っぽい。

資源管理更新国である日本では、MSCのエコラベル認証をとれそうな漁業はほとんど無い。
MSCのエコラベルが普及すれば、資源管理をしている国とますます差をつけられてしまう。
そこで考案されたのが日本独自のエコラベルだ。
エコラベルを貼れない日本の漁業者がかわいそうだから、
誰でも張れるエコラベルを自前で準備したのだろう。
(そもそも資源管理をまじめにやろうという発想は無いのだろうか?)
電車賃程度で認証可能という時点で、消費者をを小馬鹿にしてる。
担当者「資源管理やってる?」
漁業者「うちは、ちゃんとやってるよ」
担当者「このシールを張っておいてね。それじゃあ。」
というようなことが行われるのは目に見えている。

厳密に審査をされたMSCのエコラベルと、誰でも張れる日本のエコラベルはまったく別物である。
しかし、一般の消費者にはエコラベルの区別はつかないだろう。
まんまと騙されて、非持続的な漁業で獲られた魚を高く買わされてしまう。
これは、乱獲された魚を騙して売りつけられる日本の消費者にも、
まじめに管理に取り組んでいる一部の日本の漁業者にも不幸な事態である。

MSCのエコラベルの根底にあるのは差別化の思想である。
消費者の力で、持続的な漁業を勝ち組にすることで、
世界をより持続的な方向に導くという狙いがある。
一方、日本版エコラベルの本質は、みんな横並びの護送船団である。
みんなで足並みをそろえて、仲良くシールを張りましょうということだ。
似たようなシールを無差別に貼れば、消費者は判断基準を失ってしまうので、
非持続的な日本漁業が差別されるのを防ぐことができる。
世界のエコラベルが目指す差別化を台無しにする効果があるのだ。
同じような取り組みでも、運用次第でまったく逆の機能を持つのである。
本来は資源管理だったはずのTAC制度も、
水産庁が運用すれば乱獲を容認するための免罪符に早変わりする。
こういうところだけは、本当に知恵が回る。
その知恵を、漁業を良くするために使って欲しいものである。

護送船団方式は、産業を傾ける確実な方法である。
生産性が低い、非持続的な経営体を保護する代償として、業界全体が沈んでいく。
味噌もくそもごった混ぜにして、横並びでシールを貼ろうという計画は、
漁業にとって百害あって一利なしである。
こういった愚行を、食い止めるのが専門家の使命であろう。
TAC制度も、ABCとTACの乖離をネチネチと指摘し続けた結果、
徐々にではあるが風向きが変わってきつつある。
日本版エコラベルに関しても、非持続的な漁業に対してシールを貼っていたら
嫁をいびる姑のように、ネチネチと問題にしていきたい。

認証第1号は2008年度半ばになる見通しだ。
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200712070039a.nwc

ということで、どんな漁業がでてくるのか、わくわくしながら待つことにします。

エコラベルという新しい試み

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消費者には、その魚が持続的に漁獲されたものか、
それとも乱獲されたものかを区別できない。
乱獲された魚と資源管理された魚では、
短期的には乱獲された魚の方が値段が低くなる。
悪貨は良貨を駆逐するということになるわけだ。
これは、まじめに資源管理をしている漁業者にとっても、
将来も魚を食べ続けたいと考える消費者にとっても不幸な事態である。

この状況を変えるための試みとして、
MSCのエコラベルが世界的に広まりつつある。
MSCのエコラベルは持続的に漁獲をされた魚にシールをはる。
意識の高い消費者が持続的な魚を選べるようにする試みだ。
下の青いシールが目印だ。

Image200801201.png

エコラベルの取り組みは、ユニリーバとWWFが初めて、
現在は非営利団体(Marine Stewardship Council)が運営している。

 合計で、およそ70の漁業がMSCの取り組みに携わっており、
24漁業が認証済み、34漁業が審査中、さらに20から30が非公開予備審査を受けている。
これらの漁業を合わせた水産物の年間漁獲量は4 百万トンを超える。
日本の海面漁業生産と同じぐらいだ。
世界の海面漁業生産(中国のぞく)の7%がMSC認証を受けている計算になる。

特にMSC認証率が高いもの
世界の天然サケ漁獲量の42パーセント
世界の主要な白身魚漁獲量の40 パーセント
世界の食用イセエビ漁獲量の18 パーセント

日本では、イオングループがMSC認証の水産物を販売しているものの、
あまり目にする機会はないだろう。
しかし、欧米ではすでに市民権を得たと言っても良い。
たとえば、マクドナルドやウォールマートは、
MSC認証製品以外の水産物は扱わないと宣言している。
07年11月に、MSC認定製品が1000に達した。
最初の製品から500 番目の製品までには7 年もかかりましたが、
それからわずか9 カ月間でその数は倍増したのだ。
持続可能な認証水産物の需要はきわめて高い。
消費者の意識の低い日本ではアレだが、
世界では持続的であることがビジネスチャンスを生むのである。

日本漁業でもMSC認証を目指す動きがある。
京都府機船底曳網漁業連合会(アカガレイ、ズワイガニ漁)、
北海道のホタテとサケが審査中だったかな。
まあ、どこもすんなりとはいかないようですね。
京都のズワイガニはまだ正式に認証されてはいませんが、
すでにフランスから輸入の申し込みがあったりするようです。
小サバの輸出みたいなのは即刻止めるべきだけど、
日本人よりも高く買う国には、輸出を促進すべきだろう。
そのための一つの手段として、エコラベルは重要だ。
ただ、認証には数百万単位で費用がかかるのがネックかな。
まあ、まじめに審査をすればそれぐらいの出費にはなると思う。

意識の高い生産者が、生産現場の情報を消費者に与える。
意識の高い消費者が商品を買うことで、持続的な漁業を支える。
エコラベルは、生産現場と消費者を結びつけることで、漁業を変えようという新しい試みだ。
MSCの今後の発展に期待をしたい。

Our Daily Bread

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食料生産現場と消費者の接点を増やす必要がある。
それは、生産者・小売り・消費者すべてにとって、長期的な利益があるだろう。

そこで、食育ということになるわけだが、
日本の食育はどうもうさんくさい。
国産品を美化して、高く売りつけようという魂胆が見え隠れする。
国産品プロモーションのような印象である。

俺が良いなと思ったのは、Our Daily Bread という映画。
食料生産の現場の画像を淡々と流すだけで、
後は、受け手が考えろというようなシンプルな構成だ。
実はまだ見てないんだけど(てへっ
公式サイトのイカスTRAILERを見るだけで、この映画の凄みを感じることができる。
http://www.ourdailybread.at/jart/projects/utb/website.jart?rel=en&content-id=1130864824948

現在、日本でも上映中です。
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
ポレポレ東中野で2月に上映予定なので、見に行くつもり。
ただ、邦題の「いのちの食べ方」というのは、いただけない。
箸の上げ下げまで注文をつけられるような、押しつけがましさを感じてしまう。
この映画は、食べ方について説教しようというような内容ではないはずだ。
映画自体は興味深いだけに、ひどい邦題は実に残念だ。

日本でもこういう試みがあっても良いだろう。
農水省がやると国産品のプロモーションになってしまうだろうから、
NGOか文科省あたりに期待をしたい。

魚の小売り価格は、肉が決めている

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情報の分断に小売りが果たす役割は大きい。
小売りは徹底的な情報規制をする。
「大丈夫。店に並んでいる物はすべて安全です。
皆さんは値札だけをみて、好きな物を選んでください。」
その結果、消費者はどんどん買いたたく。

では、小売りが一人勝ちかというと、そうでも無さそうである。
小売りは小売りで、厳しい競争に晒されており、
自分たちで好きな値段をつけられるわけではないのである。

生鮮食料品(肉・魚)の価格の変化を消費者サイドから見てみよう。
内務省統計局の家計調査(二人以上の世帯
http://www.stat.go.jp/data/kakei/2006np/02f.htm)から、
家計が購入した生鮮魚介と生鮮肉の平均単価を抽出した。

image08011801.png

70年代、80年代を通して、魚の単価は安定的に上昇し、1990年代前半に肉の単価に追いついた。
その後は、同じようなトレンドで推移している。
1991年の牛肉自由化によって、肉の単価が下落すると、魚の単価も同じように下落した。
2003年12月に米国でBSE感染牛が発見されると肉単価の上昇した。
その後、魚の単価も引きずられて上がっている。
肉と魚は競合関係にあり、その価格には強い相関がある。。
魚の末端価格を決定するのは、肉の値段であり、
肉の値段は様々な国際情勢に左右される。

一部の生産・加工業者は、安売りをする小売りが諸悪の根源のように言うのだが、
それは違うだろう。
魚の値段を決めているのは小売りではなく、肉を巡る国際情勢である。
小売りは小売りで、与えられた条件の中で厳しい競争を繰り広げている。

ただ、競争の結果のひずみが弱いところに集中している現状はある。
獲った魚を並べて、「値段はそっちでつけてくれ」というスタンスの漁業者が最も弱い。
漁業者もブランド化などの努力をしているが、
現在のように生産現場と消費者が分断された状態では限界があるだろう。

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