発表完了

あー疲れた。
参加者が多くて、うれしかった。
みんな、合意形成で悩んでるんだな。
俺の発表も、まずまずの出来だったんじゃないかな。
発表については、何らかの形でネットに公開したい。

カテゴリー: 雑記 | 5件のコメント

ミナミマグロ不正漁獲問題

日本の漁業は、資源管理が出来る状況にない。
強引にTACを下げたところで、資源管理は難しいだろう。
おそらく、不正漁獲が増えてますます手がつけられなくなるだけだ。
最近、なにかと話題のミナミマグロはその好例だろう。

ミナミマグロは、日本および豪州の乱獲で80年代に入ると資源が急減し、
目に見えて魚が減ってきた。
そこで1985年から厳しい漁獲量規制が開始された。
日本の漁獲枠は、2万トンから6千トンへと、5年間で7割削減した。
その後も6千トン前後の漁獲枠が維持され続けた。

ミナミマグロ国別漁獲量
minamimaguro.png

厳しい漁獲枠が設定された結果、大幅に減船をすることになった。
減船対象の漁船を廃船にしないで台湾などに転売した結果、
管理に参加していない国での漁獲を増やす結果となった。
結局、転売されたマグロ漁船は日本の資金で廃船にすることになった。
最初から、廃船にしておけば良かったものを・・・

かなりの減船があったにもかかわらず、
残された日本のマグロ漁船が生計を立てるには、漁獲枠は少なすぎた。
その結果が、漁獲量の不正報告だ。
国内のマグロの流通量は、明らかに漁獲枠よりも多かった。
オーストラリアがこの点を追求してきて、水産庁も渋々調査をしたら、
やっぱり多く獲っていたことが明らかになった。

2005年10月に開催されたCCSBT年次会合で、オーストラリアが行った日本の市場調査で、漁獲割当量を大幅に超えるミナミマグロが日本に流通している可能性が指摘されました。これを受け、2005年の年末に水産庁は日本船の水揚量の調査を実施したところ、2005年の日本船が1500トンを超える漁獲枠超過をしていたことが明らかになりました。
http://www.wwf.or.jp/activity/marine/news/2006/20060331.htm

日本はマグロの違法操業(IUU)に対して非常に厳しいことを言ってきた。
「国際的なルールを遵守しない漁業の根絶に向けた取り組み」とかいって、
自分でもルール違反をしていたのだから、世話はない。

水産庁プレスリリース「正直、すまんかった」
http://www.jfa.maff.go.jp/release/18/032902.htm

水産庁としては、「ごめんなさい、もうしません」で逃げ切る構えだったが、
そうは問屋が卸さなかった。
ミナミマグロは資源が悪化しており、漁獲削減が必要な時期だったので、
過去のこともふくめて、責任が追及されることになった。
http://nzdaisuki.com/news/news.php?id=2535

オーストラリアの漁業管理局のRichard McLoughlin氏は8月1日に行われた非公式会議で、「6000トンの捕獲規定に対し、日本はこの20年間にわたって12000トンから20000トンのマグロを密猟している」と述べた。

毎年、漁獲枠の倍の漁獲をしつつ、不正報告でごまかしていたと言うことだ。
全体の漁獲枠を守るように不正報告をするのは、個々の漁業者に出来ることではない。
組織ぐるみ、国ぐるみで、不正を働いていたと考えるのが自然だろう。

国内ではこの件の報道は少ないが、海外ではかなりのニュースになっている。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=Richard+McLoughlin+tuna+japan+stolen+%242+billion

http://www.abc.net.au/news/newsitems/200608/s1713515.htm
 日本は、2億ドルもの魚を国際社会から盗みながら、15年間も会議に何食わぬ顔をして参加していたのだ。
Essentially the Japanese have stolen $2 billion worth of fish from the international community and have been sitting in meetings for 15 years saying that they’re pure as the driven snow.

こういう風に言われても仕方がないだろう。
ただ、ミナミマグロの国際会議に参加した全ての日本人が実態を知っていたわけではない。
実は俺も1回だけCCSBTの会議に参加したことがあるが、違法漁獲なんて知らなかった。
資源管理の枠組みを一緒に考えようというお誘いが遠水研からあったのだ。
Ana Parmaとか、Hilbornとか豪華なメンツと資源管理の議論ができるのは魅力的だったが、
タイミングが合わなくて、結局はお流れになってしまった。

ミナミマグロの資源評価は、日本の延縄の漁獲統計をつかって解析を行ってきたのだが、
それが全く当てにならないとなると、
今まで研究者が積み重ねてきたものは、全ておじゃん。
大勢の人間が5年もの歳月をかけて、
ようやく管理方式が完成しようという矢先に、これではゲンナリしてしまう。
「漁獲量を減らしたのに、なんか増えないなぁ」と思っていたのも納得。
これでは、増えるわけない。

今回の一件で、日本の信頼はがた落ちなワケだ。俺個人も、かなり失望した。
懲罰的な措置として、来年から日本のみ漁獲枠が3000トンに半減されることになった。
厳しい措置と思うかもしれないが、関係者によると「ゼロにならなくて良かった」とのこと。
国際社会は違法にとても厳格で、罰則も半端ではない。
明らかな違法行為が組織ぐるみで行われていたのであれば、
厳重なペナルティーは仕方がないだろう。

この違法行為によって、国益が大きく損なわれることになった。
「やっぱり日本は信用ならない」ということで、日本漁業のイメージダウンは甚だしい。
捕鯨を初めいろいろな問題に影響を与えることは確実だろう。
どこの国の政治家も、良い格好をしたいが、自国民に厳しいことはいえない。
発展途上国を叩くのは、南北問題に進展して結局は墓穴をほることになる。
自分たちと食文化が違う先進国の日本漁業は、絶好のターゲットなのだ。
多くの国が日本漁業を叩こうと目を光らせている状況では、
この手のチョンボは絶対に避けなくてはならなかったはずだ。
国益という観点からすると、ミナミマグロの漁獲枠削減どころではない失策だ。
不正をするなら絶対にバレ無いようにやるべきだし、
それが出来ないなら不正をすべきではない。
ネットで公開されている流通統計から過剰漁獲が丸見えなんて、脇が甘すぎる。
日本はカウンターパンチで、豪州も過剰に獲っているというネタを出したらしい。
日本に入ってくるミナミマグロの量が豪州のTACよりも多いのだが、
豪州は畜養で太らせたからだと言い張って、肝心なデータは出さずに華麗にスルーしたらしい。
結局、証拠不十分で、おとがめは無し。

水産政策審議会でも、ミナミマグロの不正漁獲に関するネタがでている。
http://www.jfa.maff.go.jp/iinkai/suiseisin/gijiroku/kanri/024.htm

 しかしながら、相も変わらぬ輸入の増大、また増大による魚価低迷に何らの変化がございませんし、沖の不漁に加えまして、御承知のとおりの燃油の高騰によりまして、一層経営が圧迫をされている中で、勢い、各船が単価の高いみなみまぐろ資源への依存体質から脱却することができなかったことが、今日の省令改正に至ったことは、私たちとしてみてもちょっと残念であります。
 
 なお、本省令でとられておる措置が日本の漁業者のみならず、今おっしゃられましたように外国のみなみまぐろの漁業者、蓄養漁業者及び加工販売業者に対してもぜひ適用されるように、御尽力をお願いしたいものだと思っておるところでございます。

これは日鰹連関係者のコメントなのだけど、危機感ゼロ?
不正報告の防止を強化する省令改正が悪いみたいな言い方だな。
挙げ句の果てに「海外もちゃんと取り締まれ」とか言って、
とても不正がばれて形見が狭いようには見えない。
「日本の漁業全体に迷惑をかけてごめんなさい」と謝るところだと思うのだけど。

ミナミマグロの漁業者が違法行為をしてしまった背景には、
資源管理による漁獲枠の減少があるだろう。
漁獲枠では生活が成り立たないから、違法漁獲をせざるを得なかった。
彼らとしても苦渋の選択だったはずだ。
資源の生産力と漁獲努力量が不釣り合いな中で、
漁獲量だけ締め付ければこうなるのは当然だろう。
漁獲枠の範囲で生活が出来る規模まで漁業を縮小する必要があったのだ。
税金をつかってでも、漁業者がミナミマグロから撤退する道筋をつけるべきだった。
それをしなかったから、違法行為をせざるを得ない状況を作り、
結果として国益が大きく損なわれたのだ。
来年から、ミナミマグロの漁獲枠が半減されることになった。
不正漁獲を含めて12000トン獲っていたところを、
3000トンに減らすのだから1年で4分の一に減らすことになる。
個々の経営体の痛みのみを対価にしては資源管理を進めるならば、
不正漁獲問題は再発するかもしれない。
再び不正がばれたら、今度こそ漁獲枠はゼロになるだろうから、
ここでしっかりと手を打つ必要がある。

カテゴリー: ミナミマグロ不正, 研究 | 9件のコメント

資源管理が出来ないのは漁業者の責任か?

以上、見てきたように、日本では乱獲を助長するような政策が実施されている。
そんな状況で「資源管理は漁業者が自主的にやれ」というのは無理だろう。
両手両足を縛ったままで、「さあ泳げ」といって海にたたき込むようなものだ。
資源管理は、漁業者個人の負担でできるようなものではない。
行政が最低限の道筋を作る必要がある。

確かに、自主管理を行っている漁業も存在するが、
これらは例外と見なした方がよいだろう。
自主管理が機能している漁業は、恵まれた条件がそろっているのだ。
いまのままだと、自主管理の輪は広がっていかないだろう。

現状で罰則を含む厳しい管理を実施しても、漁業者が不正をするだけだろう。
その気になれば、抜け道はいくらでもある。
厳しい規制の前に、資源管理が出来るような状況をつくることが先決だ。
そのためには、それぞれの漁業に資源管理の必要条件の何が足りないかを精査し、
足りない条件を補うような政策を実施する必要がある。
努力量の拡大につながるような補助金のばらまきを止めるとか、
休漁補償を謹呈して非効率的な漁業を延命させるのを止めるとか、
現状でもできることはいくらでもあるはずだ。

水産庁は資源管理を出来ない状況を作っておきながら、
「漁業者が反対するから資源管理は無理できない」と言う。
では、漁業者の賛同を得るためにどんな努力をしたのか?

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乱獲を誘発する漁業システム

先のエントリーでまとめたように、
乱獲を回避するためのポイントは次の3点

1)過剰な設備投資を抑制する(控えめで充分)
2)資源に減少の兆しがあれば、漁獲を弱める
3)資源の減少が明らかになれば、素早く回復処置をとる

この逆をやれば乱獲が進行するという実例が、日本の漁業なのだ。

1)過剰な設備投資を補助
税金をつかって設備投資を補助しているので、
生物の生産力が少しでも小さくなると、すぐに過剰漁獲になる。
わざわざ乱獲状態を作り出していると言えるだろう。
とくに危険なのは、一時的に資源の生産力が上がった後だ。
船ができあがる頃には、資源の生産力は戻っているが、
船の借金を返すために、過剰に漁獲をしてしまう。

2)資源の減少を認めない
資源状態が悪化する兆候はいろいろとある。
自称「海のことを一番知っている」漁業者が気がつかないはずがない。
しかし、漁業者が資源の減少を認めるのは、
誰の目からみても明らかにやばい状態になった後だ。
たとえ漁獲量が減っても、漁業者は資源が減ったとは考えない。
「今年は資源が漁場に来なかっただけだ」とか、
「来年から卓越が発生するかも知れない」とか、
何らかの偶然でいるけど獲れなかっただけだと解釈をする。
資源状態に関して言うと、漁業者の判断が最も当てにならない。
情報はあっても、根拠のない楽観論が判断を狂わせるのだろう。
もちろん、漁場形成と資源の分布の不一致などの理由で、
資源量は維持されているのに、一時的に漁獲量が落ちる場合もある。
この場合にも用心をするに超したことはない。
獲った魚を海には戻せないが、獲らなかった魚を将来捕ることは可能なのだから。

3)資源の減少が明らかになっても、対策を先送り
本当に獲れない状態が続くと、漁業者も資源の減少を認めるようになる。
現在の漁船をもってしても獲れないというのは、かなり末期的な状況だ。
この状態になっても、厳しい管理措置が執られることはない。
漁業者の生活があるとか、経済的な混乱があるとか、とか、
いろんな理由をつけて、対策を先延ばしにする。
その結果、資源は手がつけられない状態まで悪化するのは時間の問題だ。
すると、漁業者は自暴自棄になって、どうせ減るなら獲り尽くせと言うことになる。


今まで見てきたように、日本の漁業は、システムとして乱獲を誘発してしまうのだ。
終戦直後の食糧難の時代ならいざ知らず、
世界的に資源の囲い込みが進み、自国の資源を大切にすべき状況に適した政策ではない。

政策として乱獲の条件を整えておきながら、
漁業者の自主性にまかせると言う口実で、行政は資源管理に関与しない。
これでは、資源の持続的利用は難しいだろう。
ただ、資源管理は100%無理というわけではなく、自主管理に成功した事例もある。
これは世界的に見ても快挙であり、日本の漁業コミュニティーのポテンシャルをしめすものである。
ただし、自主管理が成り立つためには、厳しい条件がある。

1)生産力が高い資源を自分たちだけで囲い込める
2)コミュニティーに個人の利益よりも全体の長期的利益を重んじるリーダーがいる
3)長期的な視点から、漁業者にものが言える現場系研究者がいる
4)資源の壊滅的な減少を経験

これらの条件が成り立たない漁業がほとんどであり、
今のままでは、自主管理の輪は広がっていかないだろう。

カテゴリー: 研究 | 1件のコメント

いくつかのエントリーを非表示にしました

本や論文は、全体を完成させてから、出版されることになる。
それに対して、ブログは徐々に書きながら逐次掲載をしていく。
ブログの読者は、作者が書かない限り、先を読むことが出来ない。
全体図が見えないなかで、話がゆっくりと進行していくので、
先を知りたくなっても不思議ではない。

コメント欄にて、「じゃあどうすれば良いんだ」と結論を要求する読者がいる。
彼らへのサービスとして、「現段階で、できることはない」という結論を書いたのだが、
今度は「その理由を説明しろ」とコメントがつくことになった。

最終的には、ジグソーパズルのようにそれぞれの記事がはまる予定なんだけど、
かなり先に出てくるピースを出したら意味が通じないだろう。
やっぱり、順を追って話すべきだったと反省しました。

ということで、時期尚早とおもわれる記事はいったん非表示にしました。
しかるべきタイミングで、再び掲載することにします。
コメントについても、現段階では議論をする下地が整っていないので、
宿題とさせてください。

カテゴリー: お知らせ | 2件のコメント

乱獲を抑制する漁業システム

乱獲状態の解消には、社会的・経済的に莫大なコストがかかる。
だから、資源管理のポイントは、予防にある。
防火に勝る消火なし、というワケだ。
乱獲状態を放置すれば必ず悪化するので、
対策が遅れれば、そのぶんだけ社会・経済的なコストは増えてしまう。
ボヤのうちに消しておくことが重要なのだ。

乱獲を回避するための基本戦略は次の3点

1)過剰な設備投資を抑制する(控えめで充分)
資源を持続的に有効利用するためには、
「努力量は控えめに、資源量は高めに」が基本となる。
この状態は、設備投資をすれば短期的には利益が出る水準でもある。
つまり、何らかの規制がなければ、良い状態は保てないのだ。

2)資源に減少の兆しがあれば、漁獲を弱める
水産資源の生産力はコンスタントではない。
多くの資源の加入率は産卵場の水温と相関があることが知られている。
環境要因によって、一時的に生産力が落ちてしまうことは良くあるのだ。
ぎりぎりまで努力量を拡張していた場合、一時的な生産力の低下によって、
資源を大幅に減少させてしまう。
こうなると、資源はもはや漁業を支えられなくなってしまい、
乱獲スパイラルへと突入する。
資源の生産力の一時的な低下が、乱獲の引き金となるケースは非常に多い。
「自然環境のせいだ」と漁業者も行政も言うが、これは管理の失敗なのだ。
資源の生産力が変動するというのは常識であり、
生産力が一時的に低下するのは、当然のこととして対応しなくてはいけない。
生産力が回復したと見なされるまで、漁獲を弱めれば数年で回復するのだから。

3)資源の減少が明らかになれば、素早く回復処置をとる
日本のように、わざわざ政策で誘導するのは論外として、
乱獲を予防する対策を練っていたとしても、
乱獲状態を100%回避できるわけではない。
気がついたら、資源が減っていたというのは、良くある話だ。
漁獲努力量が資源の生産力を超過した状態を放置すれば、
手のつけられない乱獲まで確実に進行する。
この場合には、素早く、回復措置を講じる必要がある。
もちろん、経済的な混乱は不可避である。
そもそも、この状態になってしまう時点で戦線は悪化しており、
急ブレーキか、事故かという選択肢しかない。
どちらが良いかは言うまでもないだろう。
一時的な混乱を避けて、産業をつぶすという選択は馬鹿げている。

ノルウェーの場合は、断固たる漁獲量削減をしたのが功を奏した。
徹底した措置を素早く導入したからこそ、10年程度の漁獲減で済んだのだ。
中途半端な削減措置を逐次的に導入しても漁獲の低迷が長期化するだけだろう。
極端な漁獲量削減が成功したのは、失業しても食べていける福祉国家だからというのもある。
そのための道筋をつけない限り、こういった極端な方向転換は出来るはずがない。
日本漁業は、そのためのコストを払ってでも方向転換をすべきかを問う段階に来ているだろう。
いくら方向転換をしても、元の補助金付けの政策に戻ってしまえば、
資源が再び減少するのは時間の問題なのだ。
ノルウェーの場合は、基本的な政策を変更して、努力量の抑制を行っている。
補助金も削減しているので、以前のような過剰漁獲にはならないだろう。

大きさが変わるツボがあるとしよう。
常にツボのぎりぎりまで水を入れ続ければ、
ツボが小さくなったときに水は溢れるだろう。
水をこぼさないためには、
ツボが小さくなった時を基準に水を入れること。
また、水面がツボの入り口に近づいたら、水を抜くことだ。

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「月刊 学術の動向」の9月号

月刊 学術の動向の9月号の特集は、「海洋生物学の新たな時代」
これが、ウェブからpdfで読めてしまいます。太っ腹だねぇ。

http://www.h4.dion.ne.jp/~jssf/text/doukousp/2006-09.html

なんか、東大海洋研の関係者ばかりじゃないか(笑
こういうのを読むと、「あの先生はこういうことをやってたのか」という発見がある。
普段は、「隣は何をする人ぞ」だったりするから。

今回、特に面白かったのは、益田玲爾さんの「魚種交替とは何か?」。
俺的には、益田さんと魚種交替って意外な組み合わせだったんだけど、
やっぱり、魚の行動を長時間観察している人は、発想が違う。
魚種交替にクラゲを入れるというのは、実に面白い観点だ。

クラゲを入れた魚種交替を数理モデルで再現するのも面白そうだ。
ただ、クラゲは水揚げされないから、過去のトレンドがわからないかもね。
そういえば、太平洋のクラゲはどうなっているんだろう?

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学問の世界も縦割りです

現状では、漁業に明るい未来が無いことは明白だ。
しかし、どうすれば良いかを明確に示すのは困難だ。
俺は漁業という大きなシステムのごく一部しか知らないから。
経済のことは、あまり知らない。
漁業の現場のことも良く知らない。
水産庁の考えていることも良くわからない。

漁業という大きくて複雑なシステムは、至る所に致命的な問題を抱えている。
全体像と問題を把握している人間など一人も居ないだろう。
おのおのが、自分の知っている範囲の問題点を述べるのが限界だ。
水産経済学と水産資源学はきれいに別れていて、接点がほとんど無い。
水産学という狭い世界もまた縦割りであり、資源と経済が独立に論じられている。
経済学者は経済が問題だと言い、資源研究者は資源の枯渇が問題だと言う。
まさに、「群盲象をなでる」だろう。

「群盲象をなでる」ではダメだというのでは、そこで話は終わり。
誰も何も語れなくなってしまう。
逆に、「群盲象をなでる」という状態で何が出来るかを問うべきだろう。

ある人は尻尾を触って「象とはヘビのようなものだ」と言い、
ある人は足を触って象とは「柱のようなものだ」と言う。
みんながバラバラなことを言って、紛糾するのがこの故事の内容だ。
もし、この二人がお互いにコミュニケーションがとれていたなら、
象にはひも状の部分と、柱のような部分があるとわかっただろう。
「群盲象をなでる」の故事では、皆が自分のさわった部分が全てで、
それと違う情報を切り捨てたところに落とし穴があった。
自分が漁業の一部しか知らないと言うことを自覚した上で、
余所の部分を知っている人間と情報交換をすれば、
視覚に頼らずとも象の全体図を把握できるはずだ。
それ以外に、漁業の問題点を把握する方法は無いだろう。

そういう意味では、11月のシンポジウムにはいろいろと期待をしている。
経済系と資源系の研究者がほどよいバランスで混ざっている。
お互いに接点が無かっただけに、急には話がかみ合わないだろうけど、
今後も接点をもっていかないと、問題解決型の学問に発展しないだろう。

その前に要旨を書かないと。もうすぐ、締め切りなんだ。
何を聞きたい?

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アイスランド、商業捕鯨再開キター!

アイスランドが自国の沿岸での商業捕鯨を再開。
捕獲枠は、ナガス9頭、ミンク30頭だそうだ。

BBC 必死だな(笑
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/6074230.stm

Iceland has broken a 21-year-old international moratorium on commercial whaling by killing a fin whale – an endangered species.

ついでに、ABCも必死だな(笑
http://abcnews.go.com/Technology/wireStory?id=2598999&CMP=OTC-RSSFeeds0312


アイスランド沿岸に4万3千頭もいるミンクを年間30頭捕ったからって、がたがた言うなよ。
ナガスクジラは IUCNの絶滅危惧種だとか騒いでいるようだが、
ナガスクジラも、アイスランド沿岸に2万5千頭もいる。
絶滅危惧種を商業利用するアイスランドが非常識なのではなく、
こういう生物を絶滅危惧とか言っているIUCNの基準が非常識なだけだろ。

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書くのも無責任、書かないのも無責任

このブログを読み返すと「我ながら風呂敷を拡げすぎたな」と思う。
自分のなわばりである資源管理の理論だけなら、しっかりとした話が出来ると思うけど、
漁業全般の話をするのは、正直しんどい。
専門家は、狭い「なわばり」の外のことは、あまり知らないものだ。
だから、研究者は自分のなわばりを出ない。
「語り得ないことは、沈黙せねばならない」と言って口を閉じる。

哲学や純粋な理学であれば、沈黙は金かもしれない。
水産学のような実学の研究者に、沈黙が許されるのだろうか?

資源研究者として、次のことは自信を持って言える
○ 海洋生物資源の生産力は、今の漁業を支えることはできない
○ 日本の漁業が生き残るための選択肢は多くない
○ 時間の経過と共にその選択肢は失われていく

こういう状況で何のメッセージも発することが出来ないなら、
もはや実学とは言えないだろう。

リオデジャネイロ宣言では、
「十分な科学的確実性がないことを、環境悪化を防ぐ費用対効果の高い対策
を引き延ばす理由にしてはならない」と明記された。
研究者も同じだと思う。
不確実性を理由に、専門知識を社会に還元するのを遅延すべきではない。

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